9 不安と激励 -2-
先生の足はいつも通り早い。ついていくのが大変で、どうやって話を切り出そうかと考えるのが追い付かない。『後で相談に乗ってもらえませんか』でいいかな。『時間があったらお話ししたいんですが』だと、ドラマに出てくるナンパする人みたいだな。これはやめよう。
「あの」
意を決して口を開いた時、見上げた目に映った先生の顔がすごく疲れてるように見えてドキッとした。よく見ると目の下に隈も出来ているようだ。
そうだよね、毎日朝早くから夕方遅くまで道に立って私たち生徒が報道の人たちに絡まれないか見張ってるんだ。お休みの日まで……。
ワンダーパークに行った日だって、自分の担当のパトロール時間が終わっても私たちが帰っていないから駅で待っていてくれた。その後、夜道は暗いからと学校までわざわざ送ってくれまでしたのだ。
帰りが遅くなったことについて注意はされたけど、それは自分たちのことをとても心配してくれているからだ。先生は私たちが危ない目に遭わないように自分のお休みを削って働いてくれている。
「どうかしたのか?」
先生は足を止めた。眼鏡の向こうの顔が、手を伸ばしたら届きそうな位置で私を見下ろしている。
不意に胸がどきんと鳴った気がした。
忘れかけていたのに。俊くんと話しても、玲人くんと話しても気にならなかったのに。
すぐ近くでこんな風に先生の声を聞いて顔を見るとまた、彩名ちゃんから聞いたキスのその先の話が生々しく思い出されてくる。
先生の低い声や大きな手にドキドキして、それなのにあのことを思い出すと怖くなる。
もっと話をしていたいのに、走って逃げたくなる。
自分がどうしたいのか、自分で分からない。
それに、急に不安になった。
秋の事件の時に、先生は何度も何度も私の話を聞いてくれた。泣きながら支離滅裂に話す私を、先生は辛抱強く相手してくれた。それで、前から好きだった先生のことをもっと好きになった。
だけど……あれは、学校の生徒が次々に刺されるという異常事態が続いていたからだったのじゃないだろうか。
事件の手がかりが必要だった。生徒のケアをしなくてはならなかった。
それだけの話だったんじゃないの?
先生が個人的に私を気にかけてくれているなんて、私の思い上がりじゃないのだろうか。
学校が始まってずいぶん経つけれど、二人で話をしたのはお姉ちゃんと一緒に呼び出しをされたあの夜だけだし。
こんなに忙しそうで疲れている先生を、これ以上わずらわせてしまっていいのだろうか。
私なんか先生にとっては、『仕事』のひとつに過ぎないかもしれないのに。
そうでなくても今までの私は先生に甘えすぎていて、泣きわめいたり抱き付いたりあんな恥ずかしいことばかり……。
「どうした。時間がないから話があるならさっさとしなさい」
黙り込んでしまった私を、先生が急かす。ちょうどその時、
「十津見先生、ちょっといいですか」
渡り廊下の向こうから教頭先生の声がした。職員室の前に立って手招きしている。
先生は大きくため息をついた。
「また何かあったか。この学校はマスコミのいいエサだな」
それから先生はもう一度私を見る。
「申し訳ないが行かなくてはならない。何かあったら、あー」
先生はちょっと言いよどんでから、
「いつでも連絡するように。ではさっさと教室に戻りなさい」
私が持っていた資料を全部ひったくるように受け取ると、早足で教頭先生の方へ行ってしまった。
その後ろ姿を見て、寂しい気持ちと同じくらいホッとしている自分が情けなかった。
好きな人なのに。一番大事な人のはずなのに。
どうして私はいつもこんなに臆病なのだろう。
冬の初めに先生に言った『好きです』の言葉さえ、自分で嘘にしているようで。
私は私をすごく嫌いだと、改めて思った。




