第1話:初対面の貴族に押し倒されたが、何もされなかった件
一体、どうしてこのような状況にあるのか。ここにきて自問である。
あと、どのくらいこうしていればいいのか。
あと、どのくらいこの男に見下ろされていなければいけないのか。
あと、どのくらいこの男に押し倒されていなければいけないのか。
「子爵――――!!!」
バターン!
乱暴にドアが開いた音がした。
「不躾だなブレトン。」
いや、あんただから。しつけてないの。
「夜伽の邪魔とは、いささか無粋ではないか?」
初対面の女をこんな風に押し倒しているあんたのほうが、無粋でしょうよ。
ことの始まりは、今日の昼下がり。
「……やばい……。お金がない。」
ブロイニュ地方の、とある町にて、私はため息をついた。
財布が空に近い。限りなく。
「……仕事……探さなきゃ……。」
私は旅をしている。
親が借金を抱えていて、借金取りに追われている、しがない町娘だ。
出身は王都なんだけれど、今、王都はかなり荒れている。最近起こった革命の傷跡は深く、治安も不安定みたいだ。
これで借金も有耶無耶になればいいのに、と思っている自分は、実に国がどうこういうよりも、自分中心に生きている女だと思う。
借金取りから逃れるため、根なし草な生活をしているけれど、毎日を生きるお金くらいは必要だった。
だから時々、住み込みで働かせてもらえる仕事だったり、配達の仕事だったりを探してる。
そんなわけで、今日も例によって例のごとく、情報集まるバールにやってきたわけだ。
「何かいい仕事ないかしら?」
がやつく店内を見渡して、飲み物の注文もそこそこに、適当に人を選んで尋ねた。
「……割のいい仕事があるよ。」
適当に選んだその人は、にこりと笑った。
あ、人のよさそうな男。これは信用できそうね、と安堵。
「どんな?できたら日給でお給料が出るのがいいんだけど。」
「うん。応相談だよ。」
「内容は?」
「ちょっと芝居につきあってもらえればいいんだけど。」
「……お芝居?私は役者じゃないわよ?」
首をかしげる。
「大丈夫。黙っててくれればいいから。」
「……はぁ。それで?取り分は?」
取り分が、法外に良かった。
なので、即決。これが、間違い。
そもそも尋ねた相手が悪かった。今ならそう思う。
「名前は?」
「ラピス。」
店を出て、仕事場へ案内してくれるというので彼について大通りを歩いた。
「ああ、良い名前だね。完成をもたらす石の名前だ。」
「……そうなんだ?知らなかったわ。」
初耳だ。そんな石。
「はい乗って。」
「…………へ?」
指さされたのは、馬車だった。
「……えーと?」
なにこれ。
「どういうこと?」
「劇場に、ご案内しないとね。」
「………………へ?」
そして通されたのは、この町の子爵邸。
「んな……何……ええ?!」
「此処で待っていてもらえるかな?」
「へ?!あ、はい……!」
座らされる。
豪華なソファ、大きな部屋、素晴らしい装飾品、みたこともないような華!
頭がくらくらした。
「……お前か。」
「!」
後ろから声がしたので、振りむいたら男が立っていた。
黒髪の長髪。身なりからして……。
「……子爵……様……ですか。」
「ああ、私がヴァーテンホールだ。」
「は、じめまして。」
「ブレトン。彼女で間違いないな。」
「ええ。」
「あの……なんですか。あの私、仕事で……。」
状況把握率10パーセントを下回ってます。
「ああ、仕事を頼みたい。」
子爵が答えた。無機質な口調だった。
「あの、芝居ってどういう……。」
「私の愛人の芝居をしてほしい。」
「…………は?」
いかん。無礼な態度をついとってしまった!
「え?ど、どういうことですか……。」
とりあえず状況を!把握せよ私!
「実はしつこくしつこく、自分の娘を娶れと言ってくる知り合いがいてな。めんどくさいので、私には特定の女がいるということにしようと思ったんだ。」
「ええ?」
「ま、口で言ってもあの男には通用せんと思ってな。そこで実物の愛人に登場してもらおうと。」
「それで……芝居ってわけですか……。」
「そうだ。よかった頭はわりかし良いんだな。」
どうも。
「愛人のまねごとなんてそんな……私、しがない一般市民ですよ。町娘ですよ。気品とかありませんけど!」
すがるようにブレトンと呼ばれた従者に訴える。
「その点は重要視してないから安心を。女であれば十分です。」
おーい。なんか私に求められてることすっごく低いんだけど?
「で……、私はどうすれば……。」
「夜まで待機していてくれればいい。」
「へ?それだけ……?ですか?」
「ああ。時間が来たら呼びに来る。夕食もだそう。ただし着替えだけしておいてくれ。」
「あ、……はい……。」
あれ、やっぱり簡単で、割のいい仕事かも?
「それと。」
ブレトンが追加注文してくる。
「このことは他言一切無用。もし口を滑らせれば、命はないと思ってね。」
サ――っと血の気が引く音が、私には聞こえました。
お金もないのに命までなくせるか!!!!!!
「……うわ、豪華なドレスね……。」
並べられたドレスを一つ選び、メイドさん達に着せてもらった。
黄色いドレス。あんまり派手じゃないのが良かったのだけど。どれも派手だからもう何でもいいや。
夕食もかなり良いものが出された。
「……やっぱり、割のいい仕事なのかも……。」
一人にっこりしてしまった。
庶民には手が届かない食材だもの。これは役得ね。
「ラピス。」
「!」
ノックののち、子爵が入ってきた。
「準備はいいか?」
「は。はい!」
立ち上がる。準備、と言われてもただ単にご飯をおいしく召し上がっていただけなんだけど。
「そうか。では。」
子爵が私の手を取り、歩き出した。
綺麗な手だなぁ。これが貴族の手か……と、まじまじとその手を見た。
「あの、私、何をすれば……?」
「言った通りだ。黙っていてくれればいい。」
「……黙って、他は……?」
「騒いだりしなければそれで良いよ。」
子爵は振り向いて言った。
……綺麗な人だな。と、彼の顔を見て思う。
足が止まる。たどり着いたのは子爵の部屋だった。
「え……入っていいんですか?」
みたところ、寝室だった。
「構わない。」
「……おじゃまします……。」
寝室に客人を招く……ってこと?
なんか変だなと思った。
瞬間。
「ひえ!?」
ふわりと体が宙に浮いたかと思うと、柔らかいベッドの上に倒されていた。
「え……っええええ!?」
「静かに。」
唇に指をあてられて、やんわりと黙らされる。
「ちょ……子爵……!」
「黙っていろ。」
「ええ?!」
でも!
「…………。」
だが、子爵は私を押し倒したまま、フリーズした。
「…………?」
動かない。
「あの……。」
これはいったい、どういう状況ですか。
「ブレトンが来るまで、悪いがこのままでいさせてもらう。」
「…………は?」
「君はしゃべるな。いいな?」
「は……はぁ。」
「何もしないから、安心しろ。」
そして、冒頭に戻る。
***
「あっはっはっはっは!」
大笑いする子爵。
「あの男のあの顔……!よもや忘れられまいな……!」
いやいや。
「ブレトン、お前も演技に箔が付いていたぞ。」
「お褒めにあずかり光栄です。」
いやいやいや。
「ラピス。君も、ありがとう。」
「……いいええ……。」
子爵は微笑んだ。
よく見ると、綺麗と言うか『鋭い』目をした怖い人だった。訂正しとく。
「……もっと説明が先に欲しかったです……。」
「すまないすまない。時間がなくてね。君に逃げられて代わりを探すのも無理だと思ったんで。」
いい性格してますねぇ。
部屋に入ってきたブレトンと、結婚を推してくる知り合いの男は、私達の体勢を見てポカーンとした顔を見せた。
その後あれやこれやしっちゃかめっちゃかになり、今に至る。
「はい、報酬です。」
ブレトンが私に持ってきた金貨の入った袋。
うわあ、ずっしり重い。
「ありがとうございます。」
「今夜は此処に泊まるといい。」
「はぁ……。」
変わった貴族だな、しかし。貴族ってもしかして、皆こんな感じなのかしら?
その夜はなんだか眠れなかった。心臓がまだ不定期にバクバクする。
「今日は、本当にびびったわ……。」
男の人にベッドで押し倒される経験なんて、未だかつてない。
キスだってまだしたことないのに。
――うわわわ、怖かった!
今更何もされたなったことが幸運に思えて、ぞわっとする。
でも、報酬は本当によかった。これで当分は旅ができそうだ。
「お父さんもお母さんも、元気かな……。」
借金を抱えたまま、都がめちゃくちゃになって家族散り散りになってしまった。
なんだか恋しくなって、窓から星を見つめた。
綺麗だな。ああ、スピカだ。
「……ん?」
バルコニーに出て下を見ると、庭に動く人影が見えた。
「……誰かしら……?」
目を凝らすと、その人影には見覚えがあった。
ポカーンとした顔しか思い出せないけれど、先ほど、この屋敷にやってきた男だ。
「何を……?」
嫌な予感しかしなくて、私は走り出してしまった。
「どこに……っ」
階段を駆け下りて庭に出たが、男の姿はすでになかった。
ただ、どう考えてもあれは不審な動きだった。
もしかして暗殺?自分の思い通りに行かないから子爵を殺そうってこと?
怖い。しかし……。
「……一飯の恩!」
そう言い聞かせて、私は震える足を叩いた。
命は捨てらんない。でも、人情だって捨てらんない。
とにかくあの男を見つけないと!
「見つけたぞ。」
「!」
駆けだそうとした時だった。
「な!」
突如、後ろから羽交い絞めにされた。
「あなたは!」
「こんばんはレディ。どうして此処へ?」
「……あなたが私を探していたように、私もあなたを探していたからよ。サー。」
そいつはにやりと笑った。
ああ、これは、やばい。思い通りにならないから子爵を殺そう、ってんじゃなくて、邪魔な私を殺そう!ってはらだ。
「……不躾じゃありませんこと?先ほども、今も。」
「これは失礼。ですが離すわけにはいきません。」
つかまれている部分が痛む。
「今から死んでもらわなければならないのでね。」
「……っ!」
ガブ!と、思いっきり男の腕を噛んだ。
「いっ!何を!」
ゆるんだ腕から抜け出し、私はよろめきながらも逃げ出した。
「おのれ!」
追ってくる。
私は思いっきり振り向き、木に立てかけてあった箒をつかんで振り下ろした。
バキ!
「ぐ!?」
男はうめいて倒れた。
「ば……馬鹿にしないでよね!生まれは都でも、私には武民の血が流れてるんだから!」
「っの女あ!」
男は剣を抜いた。
「っ!」
さすがに箒と剣では分が悪い。
「こんな時間に。」
「えっ……?」
暗闇から声。
「こんなところで、私に黙って逢引きとは……。どういうことだ?ラピス。」
「……し、子爵!」
闇から現れたのは、その闇と同じ色をした髪をなびかせる子爵だった。
男も想定外の展開に頭が一瞬真っ白になったようで、がたがたと怯えだした。
「お前は……ウズか。なるほど、やはりお前も彼女の魅力に取りつかれてしまったのか。」
「……違うのです、子爵……これは…!」
「一目見ただけで、欲しくなるだろう?私の女は。」
その鋭い目に、心底。ほんとに心底ぞっとした。
「ウアアアアアアアア!」
男が叫んで子爵に切りかかった時、躊躇なく振りおろされる剣が、男の体をぶった切った。
血しぶきが飛び、悲鳴は天に吸い込まれるように消え、私はただただその場で立ちつくすだけだった。
というか、何も言えない。
「……はぁ。」
子爵はため息をついた。
「で、君は、何をしてる?」
条件反射的に体がびくりと跳ねる。
「っあ……!あの……!」
どうしよう。怖い。
鋭い目が突き刺さる。
そりゃ、私だって怪しいだろう。なんで此処にいるのか、って話だ。
「私は……その……、バルコニーから、こいつが見えて……。」
喉がつっかえて、さらさらと言葉が出てこない。
「子爵が、狙われてるって……思って……だから。」
「女の身ひとつで、こいつに向かっていったと?」
「……!」
一歩近づかれ、私は反射的に後ずさってしまう。
私……、私は、悪いことなんて……。
―――悪いことしていないんなら、自信持って、しゃんとしてなさい!
ぐるぐるとしている頭の奥から、母の声が聞こえた気がした。
コクンと息をのむ。
「…………あなたが。」
子爵は黙って私の言葉を待つ。
「あなたの命が危ないと思ったんです!そう思ったら、止めなくちゃって思ったの!一飯の恩もあるし……!それに!」
叫んだ。
「今この瞬間、誰かが危ないって思ったら、躊躇なんてしてる暇ないでしょうが!」
なんとなく、子爵の目が丸くなっているように見える。
「勝手に城の中を歩いたのは謝ります!失礼いたしました!おやすみなさい!」
それだけ言い捨てて、逃げ去ってやろうと思い、体を翻した。
「……え。」
だけどそれは妨げられる。
子爵が私の右手をつかんだのだ。
「こんなに震えてるのに。」
「怖かったんですから、仕方ないでしょう……!?」
なによ。
「……見返りが欲しいのではないのか?」
「っ!いりません!馬鹿にしないで!私はあなたに恩を売るために助けようとしたんじゃないんです!」
むしろ返すためだっつーの!
「もう寝ます!放してください!失礼します!」
「ラピス。」
ぐっと、腕は強くひかれた。
「はなし……!」
「ありがとう。」
「……へ?」
「おやすみ。」
子爵は私の手を、口元に持っていき、軽くキスをして私の手を放し、何事もなかったかのようにすたすたと去ってしまった。
とりのこされる私と死体。
「なんっ……なの?あの人。」
変な人!!!!!
***
翌朝、朝食時に子爵はいなかった。
まあ私は客人でも何でもないんだし、子爵と食事を共にできるなんて考えちゃいけない。
「はぁ……。」
ため息をつく。
「辛気臭いですよ。食事中に。」
「あ。お、おはようございます、ブレトンさん。」
「おはよう。ラピス。」
微笑む。優しい顔だ。
「昨日大変だったそうだね?」
「あ……、ああ、あの男の人ですか……。」
「庭師がカンカンだったよ。あんなところで切らなくてもいいよねえ?」
「や、あれは……。」
仕方がないというか。
「とっ捕まえて色々吐かせた方がいいに決まってるのにね。」
確かに。そういうこと計算のできない子爵なのかしら?
というか、論点がいろいろおかしいな。
「子爵は?」
「あ、多分まだ寝てる。」
「ええ?」
「低血圧なんだ。」
「はぁ……。」
そんな貴族、だめだろ。
「挨拶は、無理かな……。」
ちらと時計を見る。そろそろ出かけたい時間だ。
「行ってみたらいいよ。部屋にいる。」
「まぁ、別に会えないなら会えないでも……。」
「あら、嫌いになっちゃった?」
「いや、別に。ただ、まぁ。ちょっと怖いかな……っていうか……。」
朝食は残さず食べた。
「あのー……。子爵―……。」
子爵の部屋の扉を数回ノックする。
「あのー、私です。ラピスです。」
コンコン。
「も、もうすぐ発つので一応、ご挨拶を……。」
「入れ。」
「!?」
ちっくしょー!寝ててくれてよかったのにー!
「し、失礼しますー……。」
子爵という貴族相手にあれだけ怒鳴り散らした自分に、かなり怒ってるんじゃないかって、内心びくびくした。
扉を開けると、子爵はまだ寝巻のままベッドの上に横たわっていた。
「まだ起きてないんですか。」
呆れますよいっそ。
「ああ、朝は苦手だ。」
ああそう。
「あの、もう私発つので。あの……お仕事ありがとうございました。」
「ああ。」
「き、昨日、なんか、失礼な態度ですみませんでした。」
「いや。」
うう。もう、しんどいのよ、この空気。
「じゃ。」
逃げよう。去ろう。さようなら。
「ラピス。」
「は、はい。」
なぜ呼びとめたし!
「お前、魔女の粉を知ってるか?」
「え?ああ、知ってますよ。伝説の毒でしょう?シュイの……。」
「そう。そして此処がどこだかわかるか?」
「え、ブロイニュでしょう……?」
「そう。魔女の土地だ。」
「…………あの?」
何、この流れ。
「ラピス。」
「は、はい。」
「もうひとつ、頼まれてほしい仕事があるんだが、いいか?」
「……な、なんでしょう?」
子爵はにやっと笑った。鋭い目で。
やばい。
雲行きがよくない。これは……。
これは、よくない兆しです。お母さん。