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ラピスラズリと琥珀  作者: なのるほどのものではありません
18/25

第17話:初老の貴婦人は子爵をとんだ腰抜け野郎だと言った件

 朝起きたとき、子爵はもう部屋にはいなかった。

 出会った頃、低血圧だなんだといって朝起きてこなかったのを思い出して、

「やればできるのね……」

 などと、非常に失礼な独り言を呟いた。

 隣の部屋を使っているというブレトンの部屋も覗いてみたが誰もおらず、彼もまた朝早くに出かけたらしかった。

 昨日はあまり眠ることができなかった。


 ――王は民に好かれてはいなかった。

 特に、若い元王宮使用人に熱を上げ、嫉妬に狂った王妃と年端もいかない王女を着の身着のままで野に捨てた、という非道な話は国中の民を失望させた。

 その王女と同い年だった私は、ことあるごとに捨てられた王女のことが気になったものだった。

 そんなスキャンダルばかりの王様に誰もが嫌気さしていたし、政治はというと、ほとんど摂政が国を動かしているのが見て取れた 昨日はあまり眠ることができなかった。


 ――王は民に好かれてはいなかった。

 特に、若い元王宮使用人に熱を上げ、嫉妬に狂った王妃と年端もいかない王女を着の身着のままで野に捨てた、という非道な話は国中の民を失望させた。

 その王女と同い年だった私は、ことあるごとに捨てられた王女のことが気になったものだった。

 そんなスキャンダルばかりの王様に誰もが嫌気さしていたし、政治はというと、ほとんど摂政が国を動かしているのが見て取れた。

 だから革命が起きても、何の不思議もなかった。

 そしてその革命で町が破壊されてしまったのもわかっていた。

 でもだからって、家が丸ごとなくなってるなんて、ショックだった。

 ただ、知り合いも皆いなくなってしまったとは限らない。

 だから、朝食を済ませてもう一度自分の生れた家を訪れることにした。


「…………。」

 うん。ない。やっぱり、跡形もない。

 黙ったまま、家のあった場所に佇んだ。

 だけど。

「変だわ。」

 違和感があった。なぜなら自分の家だけが、綺麗すぎるほどぽっかりと失われているからだ。

 隣家はまだ原形をとどめている。綺麗さっぱり、私の家だけが取り壊されている印象だった。

「ラピスちゃん……?」

 不意に、後ろから声をかけられた。

「え。」

 振り向くと、そこには幼い子供を抱えたおばさんが立っていた。

 それは懐かしい隣家の住人だった。

「ライトンのおばさん?」

「ラピスちゃん!!!」

 彼女は、信じられない、と何度も歓喜の声を上げながら駆け寄ってきた。

「今までどうしていたの?無事だったのね!……あぁ、よかった!」

「おばさんこそ……、無事で本当に良かった。」

 ぎゅっと抱きしめあい、そして顔を見合わせて微笑んだ。涙がこぼれそうだった。

「今までどこにいたの?ああ、本当に無事で……。」

「うん。いろいろ、少し旅してた。」

「お父さんとお母さんは?ご無事?」

「……ううん。2人とは連絡がまだ取れてないの……。おばさん、2人に会ったりしなかった……?」

 彼女は残念そうに首を振った。

「ねぇラピスちゃん……あなた……――」

「あれ!ラピスじゃん!」

 別の声が遠くから聞こえ、声の方に振り向くと、そこには見知った顔が並んでいた。

「カイラ!ゾン!メドヴェも!」

 ああ、懐かしい顔!

「うそ!ラピス!?いつ戻ったの!?」

「お前、今までどこにいたんだよ!」

「心配掛けやがってよぉ……!両親はどうなった!?」

 彼らは学校で共に学んだ学友だった。都に住んでいた頃はことあるごとに遊びまわって、つるんでいたメンツだ。

 あぁ、よかった。みんな無事だった。

 安堵して涙が少しだけでてきた。

「ごめんね。いろいろあってあんまり連絡もできなくて……!恥ずかしいんだけど、うち借金があったみたいでさ、カルテルの連中に追われてたの。だから……――」

「……ラピスちゃん、その……、カルテルの連中とはどうなったんだい?」

 おばさんが心配そうな顔をした。

「あっ大丈夫……お金は返してるし、カルテル自体には返済は終わってるの。」

「えぇっ!?」

 ……え?

 なに、今の驚き方は。

「……おばさん……?」

「ラピス、お前、カルテルに金返し終わったのか?」

 ゾンがゆっくりと、確認するように言った。

「え、うん。……っていうか……ねぇ、何?」

 おかしい。

「どうして皆、うちがカルテルに借金があったこと知ってる風なの……?」

 全員が、口をつぐんだ。なんなら目を合わせてくれない。

「…………待って。……ねぇ、誰か、どうしてうちの家だけ跡形もなくなってるのか、知ってる……?」

 誰も口を開かない。

 嫌な汗がにじんだ。

「ねぇ……皆……――」

「ラピス。」

 メドヴェが諭すように、ゆっくりと私の名前を呼んだ。

「あなた、しばらく王都には戻らないほうがいいわ。」

「え……?」

 メドヴェの青い瞳がじっと見つめてくる。これはいつもの冗談交じりの彼女じゃない。

「あなたはまだ追われてる。昨日もあなたたち一家の情報を聞きに知らない人たちがこの辺に来ていた。」

「え……、いやいや、ちょっと待ってよ。だから私、もうカルテルには……。」

 でも、はっとする。

 カルテルに返済は終わっているはずなのに、私を追っている人は確かに居た。

 どうして……?

「ラピス、あなたが追われている理由は、借金の取り立てじゃない可能性があるわ。」

「どういうこと?詳しく話してよメドヴェ。」

 メドヴェは首を振った。

「私もよくわかってない。でも……。」

「追っている人間がカルテルじゃないとなると、借金とは別に、ラピスちゃんたちに消えてほしいと思っている人がいるかもしれないということだよ。」

 おばさんが補足する。

「どういうこと……?」

「……ラピス、これ、私の今の住所。子供のころ使ってた偽名を使って連絡してきて。あなたはここを早く去ったほうがいい。」

 メドヴェが住所の書かれた紙切れを私の手の平において、ぎゅっと手を握ってきた。

「カイラ、ラピスを送って行って。」

「え……?え……?わ。」

 ばさっとフードつきのマントをかぶせられて、カイラが私の肩を抱き、私を皆から引き離す形で歩き出した。

「えっちょと……!」

 後ろを振り向くと皆が心配そうな顔でこっちを見ていた。

「絶対、連絡して!」

 メドヴェが深刻そうな声でそう叫ぶのが聞こえた。


 一体なんだっていうの!?


 ***


「ラピス……今此処にいるのか?」

 カイラがカラグストンの屋敷と私を怪訝そうな顔で見つめた。視線は3回、館と私の顔を往復した。

「う……うん。一応。」

 カイラは深追いはやめよう、という顔をして首を振った。

「此処でいいか?」

「ん……うん。ありがとう。カイラ。」

 オレンジ色のカイラの髪の毛が日光できらりと光った。

「この中なら、大丈夫……だろうな…………。お前があの家のラピスとばれてないなら。」

「……どういう意味?」

「いや、この屋敷にいれば安心だと思うから、お前は部屋からできるだけでるな。」

「……カイラ、私……」

 カイラはぐしゃっと、私の褐色の髪の毛をなぜた。

「大丈夫だ。必ずまた会えるから……――」

 その時だった。

「ラピスー?」

 あっけらかんとした声が右側から聞こえて、私とカイラは振り向いた。

「……ブレトン!」

 そこにブレトンが立っていた。

「あれ、誰それ?」

「あ、私の幼馴染です。カイラ、こちらブレトン。今お世話になっている家の人。」

 カイラはぺこりと頭を下げた。ブレトンもまた愛想よく笑い頭を下げた。

「じゃあ俺は行く。いいな。しばらく都には帰ってくるなよ。ラピス。」

「う、うん。ありがとうカイラ。また、絶対いつか会いましょう。」

 カイラはひらりと手を振っていってしまった。

「浮気?ラピス。」

 ブレトンは面白いものを見た、というような顔をして茶化してきた。

「な……、そんっなんじゃないわよ!」

 そもそも、浮気って何だ。

「ブレトン、出かけたんじゃなかったの?」

 屋敷の入り口で滞在許可証を見せ、ブレトンと一緒に屋敷の中に入る。

「ん。うん。これから出かけるよ。裁判所まで子爵を送り届けてきただけ。」

「あれ、子爵と一緒じゃないのね。護衛していると思ってたわ。」

「護衛は、もともと出席するはずだった人が用意してくれていたからね。僕は別件でこれから出かけるところ。」

「なるほど。」

「それはそうと、さっきの男が言っていた、しばらく都に来るなって話、あれなに?」

 ブレトンが直視しないようにしていた心の傷をえぐる。

「よく、分からない。分からないけど……、やっぱり私はまだ追われているみたい。カルテルじゃない人たちに。」

「……ああ、確かにポルヴィマーゴでも刺客に狙われたね。あれは、報連相を怠ったカルテルのバカじゃなかったってこと?」

 頷く。

「さすがにカルテルの本部が、私の借金の返済が終わっていることを知らないはずがないわ。昨日の時点で、私たち家族を追っている人が来たってことは、そういうことだと思う。……もちろん、子爵が言うようにまだ返済できていない借金があったのかもしれない。でも…………。」

 私を急いで追い返した彼らの様子はただ事ではなかった。

「うーん。なるほど……こっちの仕事が終わったら、僕、調べてみるよ。カルテルにも行ってみる。」

「え?」

「ラピスは狙われてるんなら、部屋から出ないほうがいい。暇つぶしにこの館の図書室から本を借りて読んでたらいいよ。」

 ブレトン……、なんていいやつなの?

「ありがとうブレトン。」

「どういたしまして。」


 ***


「借金取り以外がラピスを狙う、ね。」

 必要な道具と馬を借り、ブレトンは再びエラルドの館へと向かった。

 そもそも最初から変だった。

 カルテルは確かに堅気とは思えないような取り立てをすると聞く。だが、革命で本部がぶっ飛んですぐに一顧客でしかないラピスの家に刺客を放つだろうか?自分たちだって立て直すのにいっぱいいっぱいだっただろう。

 それから、ラピスの家族が借りている金が莫大だったことが気になっていた。かなり規模の大きい貿易会社を立ち上げる資金と同等だ。とてもいち本屋が必要とする額ではなかった。むしろそんな額の金、どうやって借りたんだ?

「うーん。普段、金貸しなんか使わないからかなぁ。」

 呟く。どうして今まで疑問に思わなかったんだろう。

 そんなことを考えているうちにエラルド邸に到着した。

「……さて、こっちの金の流れも。検めさせていただきますか。」

 馬を降り、ブレトンは指を鳴らして屋敷の中に入っていった。


 ***


 カイラやブレトンに言われた通り、私は部屋に閉じこもって本を読み漁っていた。

 図書室の蔵書は物語よりも、歴史書や学者向けの本が多かった。

 私は何となくダイドの故郷のことについての歴史を知ろうと思い、武民達の地域であるアルブの歴史の本を手に取っていた。


 それはとても悲しい歴史で、彼の村『バルガン』周辺は、突然流行病が流行してしまい、国王の命令で村の閉鎖と焼き討ちが命じられた。それは、国への病気の蔓延を防ぐ手段だったのだが、もちろん地域の住民はそれに抗った。病気の家族を焼き捨てられるのが平気な人間はいない。相当ひどい攻防戦があり、その間に病気が沈静化したため国王軍は引き下がったそうだ。ただし、バルガンはほとんど燃えてしまい、地図からも消されてしまった。

 この国王の判断もかなり批判された。その時、ハンブル王は20歳で即位して数年という若さだった。


 こうやって読んでいると、本当にハンブル王は愚かな王だったように思う。

 人の気持ちを理解できず、権力を持ってしまった結果、色に溺れ、非人道的なことを繰り返した。そういう王だ。

「皆、魔女の粉があるならば、ハンブルに使えばいいのにって思ってたかもね……。」

 呟いた。

「ラピス。帰ってたのか?」

「うわあ!!」

 本に集中していたので、突然話しかけられて、跳ね上がってしまった。

 いつの間にか子爵が部屋に帰ってきていたのだ。窓の外を良く見るとどっぷり夜になっている。

「子爵っ……お帰りなさい!」

「ああ、ただいま。何を読んでいたんだ?」

 私がテーブルで開いていた分厚い本を見て子爵が訪ねた。

「アルブ史の本です。ちょっと気になって……。」

「……そうか。」

 もしかして武民のこと調べたりしてるの、よく思わないかしら?

 ちょっと不安になったので、話題を切り替える努力をする。

「どうでした?今日は。」

「あぁ、特に問題なかった。君は?」

「あ……ええと……。」

 今日、更地になっていた自分の家に行ったこと。幼馴染や近所の人と再会したこと。そして私がいまだに狙われていることや、都には近づかないほうがいいと告げられたことを話した。

「…………おかしな話だな。」

 頷いて同意する。

「ブレトンがカルテルに行って、調べてくれると言ってくれました。」

 子爵はそうか、と呟いて外套を脱いだ。

「あいつはまだ帰ってきてなさそうだな。先に夕食を取ろうか。」

「あ、はい。」

 私は立ち上がり、本を閉じた。

「……ラピス。」

「はい?」

 彼はじっと私の目を見た。

「ハンブルに魔女の粉を使うべきだったと、君は思ったか?」

 彼の真剣な顔にドキッとする。

 そして、軽率な独り言だったと自分を責めた。

「わ、私は……――。ハンブルは、愚かな王だと思います。皆に憎まれて当然の行いを繰り返しました。だから、きっと一部の人は伝説のシュイのような者があらわれて、王に魔女の粉を飲ませてくれたらいいのに、なんて、身勝手な希望を抱いたとは、思います。」

 彼は何度もゆっくりと相槌を打ち、私の言葉を飲み込んでいるようだった。

「でも……、私はそれを望んで、実際使うことができる立場にあったとしても、決断することはできなかったと思います。だって私は、それじゃ解決しないと思うから。例えばそれで国が亡んだら、国を滅ぼした後のことまで面倒見れないのなら、私には魔女の粉を使う権利はないです。使うべきだったなんて、言えない。」

 率直に意見を述べたのだが、子爵は目を軽く伏せ少し考えているようだった。

「……あの、子爵。」

「君は……――」

 子爵が一歩近づき、ふわりと私の頬に手を添えた。

「強い娘だな。」

 そう言った子爵は今にも泣きそうで、こっちまで泣きそうになった。

 そっと頬を覆う子爵の手に、私の右手を重ねた。

「どうしてそんなに、傷ついた顔をするんですか。」


 いつもみたいに、茶化してよ。



 翌朝、ブレトンがカルテルに行ってきた結果を教えてくれた。

 やはり私の家の借金は完済されており、カルテルが私を探しているという事実はないとのことだった。

 私の周りで何が起きているか分からないまま、私たちは、ポルヴィマーゴへと帰ることになった。


 ***


 子爵邸に戻ってきてから、数日。私は相変わらず書庫の整理をしていた。

 もう随分片付いたもので、あと数日ですべての本の修理も終わるだろう。

 これが終わったら次はどんな仕事をすればいいのだろう。ブレトンあたりに相談しなくては。

 そんな晴れた日の昼下がり、突然メアリーが書庫に飛び込んできた。

「ラピス!!」

 らしくなく、あわてた様子で少々乱暴にやってきた彼女に驚いた。

「えっなに?何事!?」

「今、ヴェルサ・ランヴィール様がいらしたの!ラピス知ってた!?」

 誰?

「いや、私は知らないけど子爵のお客様なんでしょう?」

「それが子爵は今日いないのよ!ブレトンさんも!」

 そういえば、朝から一度も見ていなかった。

「どうしよう!すでに誰か馬で子爵にお知らせしに出てくれるみたいなんだけど、ヴェルサ様はそれまで城で待つっておっしゃってて……っ!」

「うん……。ええと……話が見えないわ。何が言いたいの?」

「ラピス!その間ヴェルサ様のお相手をしてくれない!?」

「……はぁ!?」


 この分の給料は上乗せしてもらおう。そう決意した。


 すぐにドレスを着せられて、軽く化粧をされ、ヴェルサ・ランヴィールと呼ばれる人のもとへと行かされた。

「は、初めまして。ヴェルサ様、ラピスです。」

 部屋に通されると、初老の貴婦人が椅子に掛けていた。深い紫色のドレスだが、派手すぎず、落ち着いた印象を受けた。

 釣り目がちな目だが、怖い人のようには思わなかった。ただし、何故だか空気はぴんと張りつめていた。

「初めまして、私はヴェルサ・ランヴィールです。どうぞ、掛けて。」

 頷いて、私は彼女の向かいに座った。

「あなたの話は聞いています。あの子爵の傍に女性がいてくれるなんて、率直に言って驚いていますわ。」

「は、はぁ……。」

 なんか、子爵の評価低いわね。

「私のことは、聞いていますか?」

「えっ……!い、いえ。すみません、存じ上げません。」

 う、やってしまった。メアリーのあの口ぶりからして、この女性は有名な貴族なのだろう。子爵の愛人が無知な女である、なんて噂、子爵の名誉を傷つけることになってしまう。じわっと背中に汗をかいた。

「そう。では、あなたは子爵の魔女の長としての役目をご存知ですか?」

「役目……?えっと、魔女の粉の秘術を守る……とか……。あ。」

 その話、してもよかったのか一瞬不安になってしまう。だが、彼女は黙って頷いた。

「あの、ヴェルサ様も、魔女の血を引いていらっしゃるんですか?」

「ええ。ヴァーテンホールと同じくらいの歴史を持つ魔女の一族です。」

「そ……、そうなんですか。私は子爵にお会いするまで、魔女の存在すら伝説だと思っていました。だから、驚かされることばっかりです。今も、分からないことばっかりで……、あの、魔女特有のお話にうまくお答えできなかったら、申し訳ありません。」

 後からそんなことも知らないのか、と呆れられたくなくて、先に謝っておいた。

 彼女はじいと私の目を覗き込むように見て、そして小さくため息をついた。

「そういうこと…………。あの方のやりそうなことね。」

「え?」

「いえ。あなたは、子爵のことをどうお思いですか?」

「どっ!?どうって……そりゃ。」

 う、また愛してるとか言わないといけない雰囲気なのだろうか、これは。

「私、あの方のことは……、卑怯でとんだ腰抜け野郎だと思っております。」

「へ!?」

 貴婦人は突然、庶民のような言葉をお上品に使った。

「幼い頃から見てきていますが、アーノルド侯が甘やかしに甘やかしたせいか、まだまだ子供です。そんなあの方を、あなたはどう見ていますか?」

 この人はもしかして、子爵が嫌いなんだろうか?

 にしては淡々と、さも当たり前のことを述べるみたいに喋る。憎しみじみたものは微塵も感じられない。

「た、確かに。人のことを玩具にしてきたり、説明不十分で危険な目に合わせられたりしましたが。」

 あれ、なんだか私も一緒に悪口言ってるみたいになってしまったわ。

「子爵は、傷つきやすくて誠実な人だと私は思います。」

 本心で言った。

 子爵を庇おうとして言ったわけじゃない。ヴェルサにどうしてか伝えたくて、思わず口走っていた。

「そう……。」

 ヴェルサはうっすらと笑みを浮かべた。この人は少々感情を顔に出すのが不得手のようだった。

 そして彼女はこう言った。

「いい娘を選んだのですね。」


 その後、運ばれてきた紅茶を一緒に楽しみ、子爵が戻ってきたところで私は退席することになった。


「子爵。」

 部屋を出ると、子爵が慌てた様子で向かってきた。

「ラピス、だ、大丈夫だったか?」

「え、何がですか。」

「ランヴィール夫人の相手をしてたって……!」

「あぁ、はい。一緒に紅茶を飲んだだけですけど……。子爵、アポイントメントがあったのならちゃんと守らないと……――」

「あの人はいつも突然来るんだよ!」

 あ、なるほど。この表情を見る限り、子爵はヴェルサのことが苦手なのね。

「何も心配するようなことは話してません。早く行ったらどうです?」

 子爵は口をパクパクさせた後、観念したように頷いた。

「お帰りの際は、私もお見送りしたいので呼んでくださいね。」

「分かった……。」

 そうして子爵はヴェルサの待つ客間に入っていった。


 ***


「久しぶりですね。ウィル・ヴァーテンホール。」

 ヴェルサと子爵が向き合って座ると、ヴェルサが静かな口調で沈黙を破った。

「ええ、お久しぶりです。ランヴィール夫人。」

 子爵は微笑んだが、少々ぎこちない笑顔になってしまった。昔からヴェルサには苦手意識を持っていたのだ。

「ラピスとお話しされたそうで。」

「えぇ、良い娘ですね。」

 ヴェルサは目をつむって注がれた紅茶の香りを楽しんだ。

「素直な娘です。クレイを思い出しました。」

 子爵は複雑な顔をして俯いた。

「ぐだぐだ話していても仕方ありません。本題の話をしましょう。」

 ヴェルサはカップを机に置いて、少し強い口調で言った。

「革命軍は新たな支配者を立てようとしています。王ではなく、貴族たちの議会と民たちの議会、2つの議会を立てて身分制議会を作ろうとしています。」

「そのようですね。私も都に出向き、貴族院の代表者についての話し合いに参加してまいりました。まぁブロイニュは今回の革命には参加していませんから、発言権はかなり弱いものでしたが。」

 ヴェルサは頷いた。

「次の刺客の魔女について、あなたの意見はありますか。」

「……次の統治者は、バルディアの貴族たちが中心になりそうだ。庶民にも権利があれど、議会を動かすのはまだまだ貴族たちの声の方が大きいでしょう。ただ、どの家のものが代表になるかはまだわからない。また、代表については、都度議会内での選挙なるものを行うらしい。移ろいやすいものでしょう。」

「なるほど……やはり、代表の者の家ではなく、議会そのもののに刺客の魔女を送り込むべきですね。」

 ヴェルサは淡々と言った。

 子爵は苦笑いをして頷いた。

「そうなりそうです。……次の刺客はやはり、アナですか?」

「ええ。そのために育ててきた娘です。クレイも。同じです。」

 ヴェルサはじいと子爵の目を見る。その眼は感情がないように見えたが、怒っているようにも見えた。

「正直に言うと、私はあなたを責めています。そして、不安に思っている。」

「あなただけじゃない。おそらく多くの魔女が、そう思っているでしょう。」

「……あなたは当時14歳だった。だけど、若さを理由にすることは許されないことです。クレイは、役目を果たせず……あんな形で死んでしまった。」

 子爵は目をつむった。それはまるで、後悔をしているようだったが、すぐに目を開きヴェルサの目を見つめ返した。

「私たちの一族は、シュイの一族に代わり、国の支配者を見定める『刺客の魔女』を輩出する役割があります。それは、私たち一族の誇りです。その誇りを踏みにじったとも言えるあなたを、責めたい気持ちでいっぱいです。」

「もう随分責められているように思います。」

 ヴェルサは、ふっと笑った。

「いじめすぎました。」

「手厳しい……。」

 子爵も笑う。

「ともあれ今後の方向性はヴァーテンホールと一致しました。手配のほどはあなたやラウルの役目です。お任せしても?」

「もちろんです。」

 ヴェルサは立ち上がり、次いで子爵も立ち上がった。そこにメイドが新しい紅茶を持ってきたので、子爵はラピスを呼びに行くように伝えた。

「ランヴィール夫人。聞きたいことがあるのですが、クレイ嬢が『刺客の魔女』として王家に奉公に行く時、ラウル殿が手配したと記憶しています。彼女はラウル殿と交流があったのでしょうか?」

 ヴェルサは首をかしげた。何を聞きたいのか、要領を得なかったのだ。

「どうでしょう。……あぁでも、一度里帰り中に、あの家の手伝いに向かわせたことがありました。ミケルが父を亡くしてすぐの頃です。直接ラウルにあったのはその時くらいかと思います。」

 子爵は小さい声でそうですか、と呟いた。

「…………。ヴァーテンホール?」

「はい。」

 ヴェルサはバッグを持ち上げて、真剣な顔で子爵を見上げた。

「あの娘を、解放しなさい。」

「……え?」

「ラピスです。あの子は魔女の本質を知らない。無垢な人間です。この血なまぐさい話から遠ざかるべき人間です。」

 子爵は言葉を詰まらせた。なんと言えばいいのか、分からなかったのだ。

「あなたには、サリサを娶るべきです。あの娘なら、魔女の世界を理解できる。少々じゃじゃ馬じみたところがありますが、あなたを支えることもできるでしょう。」

 子爵は、数秒黙り込み、そして小さく息をついた。笑ったようだった。

「……大変ありがたいお話です。あなたの人を見る目は本当に頼れますから。サリサは確かに候補としては一番ふさわしいと思います。ですが、丁重にお断りします。」

「少なくとも今は。ということで受け取ります。」

 表情を変えずにヴェルサは言った。

「それでいいですよ。今は。」

「……婚期を逃しますよ。ヴァーテンホール。」

「あはは、それは怖いですね。」

 子爵は無邪気に笑った。

「……でも、いつかラピスを手放すべきだということは同意です。ランヴィール夫人。確かにこれ以上あの娘を巻き込むのは、辛い。」

「…………あなたは、本当に、この役目に向かない優しい人ですね。」

 子爵は難しい笑顔でそうでしょうか、と呟いた。。

 だから革命が起きても、何の不思議もなかった。

 そしてその革命で町が破壊されてしまったのもわかっていた。

 でもだからって、家が丸ごとなくなってるなんて、ショックだった。

 ただ、知り合いも皆いなくなってしまったとは限らない。

 だから、朝食を済ませてもう一度自分の生れた家を訪れることにした。


「・・・・・・。」

 うん。ない。やっぱり、跡形もない。

 黙ったまま、家のあった場所に佇んだ。

 だけど。

「変だわ。」

 違和感があった。なぜなら自分の家だけが、綺麗すぎるほどぽっかりと失われているからだ。

 隣家はまだ原形をとどめている。綺麗さっぱり、私の家だけが取り壊されている印象だった。

「ラピスちゃん・・・?」

 不意に、後ろから声をかけられた。

「え。」

 振り向くと、そこには幼い子供を抱えたおばさんが立っていた。

 それは懐かしい隣家の住人だった。

「ライトンのおばさん?」

「ラピスちゃん!!!」

 彼女は、信じられない、と何度も歓喜の声を上げながら駆け寄ってきた。

「今までどうしていたの?無事だったのね!・・・あぁ、よかった!」

「おばさんこそ・・・、無事で本当に良かった。」

 ぎゅっと抱きしめあい、そして顔を見合わせて微笑んだ。涙がこぼれそうだった。

「今までどこにいたの?ああ、本当に無事で・・・。」

「うん。いろいろ、少し旅してた。」

「お父さんとお母さんは?ご無事?」

「・・・ううん。2人とは連絡がまだ取れてないの・・・。おばさん、2人に会ったりしなかった・・・?」

 彼女は残念そうに首を振った。

「ねぇラピスちゃん・・・あなた・・・――」

「あれ!ラピスじゃん!」

 別の声が遠くから聞こえ、声の方に振り向くと、そこには見知った顔が並んでいた。

「カイラ!ゾン!メドヴェも!」

 ああ、懐かしい顔!

「うそ!ラピス!?いつ戻ったの!?」

「お前、今までどこにいたんだよ!」

「心配掛けやがってよぉ・・・!両親はどうなった!?」

 彼らは学校で共に学んだ学友だった。都に住んでいた頃はことあるごとに遊びまわって、つるんでいたメンツだ。

 あぁ、よかった。みんな無事だった。

 安堵して涙が少しだけでてきた。

「ごめんね。いろいろあってあんまり連絡もできなくて・・・!恥ずかしいんだけど、うち借金があったみたいでさ、カルテルの連中に追われてたの。だから・・・――」

「・・・ラピスちゃん、その・・・、カルテルの連中とはどうなったんだい?」

 おばさんが心配そうな顔をした。

「あっ大丈夫・・・お金は返してるし、カルテル自体には返済は終わってるの。」

「えぇっ!?」

 ・・・え?

 なに、今の驚き方は。

「・・・おばさん・・・?」

「ラピス、お前、カルテルに金返し終わったのか?」

 ゾンがゆっくりと、確認するように言った。

「え、うん。・・・っていうか・・・ねぇ、何?」

 おかしい。

「どうして皆、うちがカルテルに借金があったこと知ってる風なの・・・?」

 全員が、口をつぐんだ。なんなら目を合わせてくれない。

「・・・・・・待って。・・・ねぇ、誰か、どうしてうちの家だけ跡形もなくなってるのか、知ってる・・・?」

 誰も口を開かない。

 嫌な汗がにじんだ。

「ねぇ・・・皆・・・――」

「ラピス。」

 メドヴェが諭すように、ゆっくりと私の名前を呼んだ。

「あなた、しばらく王都には戻らないほうがいいわ。」

「え・・・?」

 メドヴェの青い瞳がじっと見つめてくる。これはいつもの冗談交じりの彼女じゃない。

「あなたはまだ追われてる。昨日もあなたたち一家の情報を聞きに知らない人たちがこの辺に来ていた。」

「え・・・、いやいや、ちょっと待ってよ。だから私、もうカルテルには・・・。」

 でも、はっとする。

 カルテルに返済は終わっているはずなのに、私を追っている人は確かに居た。

 どうして・・・?

「ラピス、あなたが追われている理由は、借金の取り立てじゃない可能性があるわ。」

「どういうこと?詳しく話してよメドヴェ。」

 メドヴェは首を振った。

「私もよくわかってない。でも・・・。」

「追っている人間がカルテルじゃないとなると、借金とは別に、ラピスちゃんたちに消えてほしいと思っている人がいるかもしれないということだよ。」

 おばさんが補足する。

「どういうこと・・・?」

「・・・ラピス、これ、私の今の住所。子供のころ使ってた偽名を使って連絡してきて。あなたはここを早く去ったほうがいい。」

 メドヴェが住所の書かれた紙切れを私の手の平において、ぎゅっと手を握ってきた。

「カイラ、ラピスを送って行って。」

「え・・・?え・・・?わ。」

 ばさっとフードつきのマントをかぶせられて、カイラが私の肩を抱き、私を皆から引き離す形で歩き出した。

「えっちょと・・・!」

 後ろを振り向くと皆が心配そうな顔でこっちを見ていた。

「絶対、連絡して!」

 メドヴェが深刻そうな声でそう叫ぶのが聞こえた。


 一体なんだっていうの!?


 ***


「ラピス・・・今此処にいるのか?」

 カイラがカラグストンの屋敷と私を怪訝そうな顔で見つめた。視線は3回、館と私の顔を往復した。

「う・・・うん。一応。」

 カイラは深追いはやめよう、という顔をして首を振った。

「此処でいいか?」

「ん・・・うん。ありがとう。カイラ。」

 オレンジ色のカイラの髪の毛が日光できらりと光った。

「この中なら、大丈夫・・・だろうな・・・・・・。お前があの家のラピスとばれてないなら。」

「・・・どういう意味?」

「いや、この屋敷にいれば安心だと思うから、お前は部屋からできるだけでるな。」

「・・・カイラ、私・・・」

 カイラはぐしゃっと、私の褐色の髪の毛をなぜた。

「大丈夫だ。必ずまた会えるから・・・――」

 その時だった。

「ラピスー?」

 あっけらかんとした声が右側から聞こえて、私とカイラは振り向いた。

「・・・ブレトン!」

 そこにブレトンが立っていた。

「あれ、誰それ?」

「あ、私の幼馴染です。カイラ、こちらブレトン。今お世話になっている家の人。」

 カイラはぺこりと頭を下げた。ブレトンもまた愛想よく笑い頭を下げた。

「じゃあ俺は行く。いいな。しばらく都には帰ってくるなよ。ラピス。」

「う、うん。ありがとうカイラ。また、絶対いつか会いましょう。」

 カイラはひらりと手を振っていってしまった。

「浮気?ラピス。」

 ブレトンは面白いものを見た、というような顔をして茶化してきた。

「な・・・、そんっなんじゃないわよ!」

 そもそも、浮気って何だ。

「ブレトン、出かけたんじゃなかったの?」

 屋敷の入り口で滞在許可証を見せ、ブレトンと一緒に屋敷の中に入る。

「ん。うん。これから出かけるよ。裁判所まで子爵を送り届けてきただけ。」

「あれ、子爵と一緒じゃないのね。護衛していると思ってたわ。」

「護衛は、もともと出席するはずだった人が用意してくれていたからね。僕は別件でこれから出かけるところ。」

「なるほど。」

「それはそうと、さっきの男が言っていた、しばらく都に来るなって話、あれなに?」

 ブレトンが直視しないようにしていた心の傷をえぐる。

「よく、分からない。分からないけど・・・、やっぱり私はまだ追われているみたい。カルテルじゃない人たちに。」

「・・・ああ、確かにポルヴィマーゴでも刺客に狙われたね。あれは、報連相を怠ったカルテルのバカじゃなかったってこと?」

 頷く。

「さすがにカルテルの本部が、私の借金の返済が終わっていることを知らないはずがないわ。昨日の時点で、私たち家族を追っている人が来たってことは、そういうことだと思う。・・・もちろん、子爵が言うようにまだ返済できていない借金があったのかもしれない。でも・・・・・・。」

 私を急いで追い返した彼らの様子はただ事ではなかった。

「うーん。なるほど・・・こっちの仕事が終わったら、僕、調べてみるよ。カルテルにも行ってみる。」

「え?」

「ラピスは狙われてるんなら、部屋から出ないほうがいい。暇つぶしにこの館の図書室から本を借りて読んでたらいいよ。」

 ブレトン・・・、なんていいやつなの?

「ありがとうブレトン。」

「どういたしまして。」


 ***


「借金取り以外がラピスを狙う、ね。」

 必要な道具と馬を借り、ブレトンは再びエラルドの館へと向かった。

 そもそも最初から変だった。

 カルテルは確かに堅気とは思えないような取り立てをすると聞く。だが、革命で本部がぶっ飛んですぐに一顧客でしかないラピスの家に刺客を放つだろうか?自分たちだって立て直すのにいっぱいいっぱいだっただろう。

 それから、ラピスの家族が借りている金が莫大だったことが気になっていた。かなり規模の大きい貿易会社を立ち上げる資金と同等だ。とてもいち本屋が必要とする額ではなかった。むしろそんな額の金、どうやって借りたんだ?

「うーん。普段、金貸しなんか使わないからかなぁ。」

 呟く。どうして今まで疑問に思わなかったんだろう。

 そんなことを考えているうちにエラルド邸に到着した。

「・・・さて、こっちの金の流れも。検めさせていただきますか。」

 馬を降り、ブレトンは指を鳴らして屋敷の中に入っていった。


 ***


 カイラやブレトンに言われた通り、私は部屋に閉じこもって本を読み漁っていた。

 図書室の蔵書は物語よりも、歴史書や学者向けの本が多かった。

 私は何となくダイドの故郷のことについての歴史を知ろうと思い、武民達の地域であるアルブの歴史の本を手に取っていた。


 それはとても悲しい歴史で、彼の村『バルガン』周辺は、突然流行病が流行してしまい、国王の命令で村の閉鎖と焼き討ちが命じられた。それは、国への病気の蔓延を防ぐ手段だったのだが、もちろん地域の住民はそれに抗った。病気の家族を焼き捨てられるのが平気な人間はいない。相当ひどい攻防戦があり、その間に病気が沈静化したため国王軍は引き下がったそうだ。ただし、バルガンはほとんど燃えてしまい、地図からも消されてしまった。

 この国王の判断もかなり批判された。その時、ハンブル王は20歳で即位して数年という若さだった。


 こうやって読んでいると、本当にハンブル王は愚かな王だったように思う。

 人の気持ちを理解できず、権力を持ってしまった結果、色に溺れ、非人道的なことを繰り返した。そういう王だ。

「皆、魔女の粉があるならば、ハンブルに使えばいいのにって思ってたかもね・・・。」

 呟いた。

「ラピス。帰ってたのか?」

「うわあ!!」

 本に集中していたので、突然話しかけられて、跳ね上がってしまった。

 いつの間にか子爵が部屋に帰ってきていたのだ。窓の外を良く見るとどっぷり夜になっている。

「子爵っ・・・お帰りなさい!」

「ああ、ただいま。何を読んでいたんだ?」

 私がテーブルで開いていた分厚い本を見て子爵が訪ねた。

「アルブ史の本です。ちょっと気になって・・・。」

「・・・そうか。」

 もしかして武民のこと調べたりしてるの、よく思わないかしら?

 ちょっと不安になったので、話題を切り替える努力をする。

「どうでした?今日は。」

「あぁ、特に問題なかった。君は?」

「あ・・・ええと・・・。」

 今日、更地になっていた自分の家に行ったこと。幼馴染や近所の人と再会したこと。そして私がいまだに狙われていることや、都には近づかないほうがいいと告げられたことを話した。

「・・・・・・おかしな話だな。」

 頷いて同意する。

「ブレトンがカルテルに行って、調べてくれると言ってくれました。」

 子爵はそうか、と呟いて外套を脱いだ。

「あいつはまだ帰ってきてなさそうだな。先に夕食を取ろうか。」

「あ、はい。」

 私は立ち上がり、本を閉じた。

「・・・ラピス。」

「はい?」

 彼はじっと私の目を見た。

「ハンブルに魔女の粉を使うべきだったと、君は思ったか?」

 彼の真剣な顔にドキッとする。

 そして、軽率な独り言だったと自分を責めた。

「わ、私は・・・――。ハンブルは、愚かな王だと思います。皆に憎まれて当然の行いを繰り返しました。だから、きっと一部の人は伝説のシュイのような者があらわれて、王に魔女の粉を飲ませてくれたらいいのに、なんて、身勝手な希望を抱いたとは、思います。」

 彼は何度もゆっくりと相槌を打ち、私の言葉を飲み込んでいるようだった。

「でも・・・、私はそれを望んで、実際使うことができる立場にあったとしても、決断することはできなかったと思います。だって私は、それじゃ解決しないと思うから。例えばそれで国が亡んだら、国を滅ぼした後のことまで面倒見れないのなら、私には魔女の粉を使う権利はないです。使うべきだったなんて、言えない。」

 率直に意見を述べたのだが、子爵は目を軽く伏せ少し考えているようだった。

「・・・あの、子爵。」

「君は・・・――」

 子爵が一歩近づき、ふわりと私の頬に手を添えた。

「強い娘だな。」

 そう言った子爵は今にも泣きそうで、こっちまで泣きそうになった。

 そっと頬を覆う子爵の手に、私の右手を重ねた。

「どうしてそんなに、傷ついた顔をするんですか。」


 いつもみたいに、茶化してよ。



 翌朝、ブレトンがカルテルに行ってきた結果を教えてくれた。

 やはり私の家の借金は完済されており、カルテルが私を探しているという事実はないとのことだった。

 私の周りで何が起きているか分からないまま、私たちは、ポルヴィマーゴへと帰ることになった。


 ***


 子爵邸に戻ってきてから、数日。私は相変わらず書庫の整理をしていた。

 もう随分片付いたもので、あと数日ですべての本の修理も終わるだろう。

 これが終わったら次はどんな仕事をすればいいのだろう。ブレトンあたりに相談しなくては。

 そんな晴れた日の昼下がり、突然メアリーが書庫に飛び込んできた。

「ラピス!!」

 らしくなく、あわてた様子で少々乱暴にやってきた彼女に驚いた。

「えっなに?何事!?」

「今、ヴェルサ・ランヴィール様がいらしたの!ラピス知ってた!?」

 誰?

「いや、私は知らないけど子爵のお客様なんでしょう?」

「それが子爵は今日いないのよ!ブレトンさんも!」

 そういえば、朝から一度も見ていなかった。

「どうしよう!すでに誰か馬で子爵にお知らせしに出てくれるみたいなんだけど、ヴェルサ様はそれまで城で待つっておっしゃってて・・・っ!」

「うん・・・。ええと・・・話が見えないわ。何が言いたいの?」

「ラピス!その間ヴェルサ様のお相手をしてくれない!?」

「・・・はぁ!?」


 この分の給料は上乗せしてもらおう。そう決意した。


 すぐにドレスを着せられて、軽く化粧をされ、ヴェルサ・ランヴィールと呼ばれる人のもとへと行かされた。

「は、初めまして。ヴェルサ様、ラピスです。」

 部屋に通されると、初老の貴婦人が椅子に掛けていた。深い紫色のドレスだが、派手すぎず、落ち着いた印象を受けた。

 釣り目がちな目だが、怖い人のようには思わなかった。ただし、何故だか空気はぴんと張りつめていた。

「初めまして、私はヴェルサ・ランヴィールです。どうぞ、掛けて。」

 頷いて、私は彼女の向かいに座った。

「あなたの話は聞いています。あの子爵の傍に女性がいてくれるなんて、率直に言って驚いていますわ。」

「は、はぁ・・・。」

 なんか、子爵の評価低いわね。

「私のことは、聞いていますか?」

「えっ・・・!い、いえ。すみません、存じ上げません。」

 う、やってしまった。メアリーのあの口ぶりからして、この女性は有名な貴族なのだろう。子爵の愛人が無知な女である、なんて噂、子爵の名誉を傷つけることになってしまう。じわっと背中に汗をかいた。

「そう。では、あなたは子爵の魔女の長としての役目をご存知ですか?」

「役目・・・?えっと、魔女の粉の秘術を守る・・・とか・・・。あ。」

 その話、してもよかったのか一瞬不安になってしまう。だが、彼女は黙って頷いた。

「あの、ヴェルサ様も、魔女の血を引いていらっしゃるんですか?」

「ええ。ヴァーテンホールと同じくらいの歴史を持つ魔女の一族です。」

「そ・・・、そうなんですか。私は子爵にお会いするまで、魔女の存在すら伝説だと思っていました。だから、驚かされることばっかりです。今も、分からないことばっかりで・・・、あの、魔女特有のお話にうまくお答えできなかったら、申し訳ありません。」

 後からそんなことも知らないのか、と呆れられたくなくて、先に謝っておいた。

 彼女はじいと私の目を覗き込むように見て、そして小さくため息をついた。

「そういうこと・・・・・・。あの方のやりそうなことね。」

「え?」

「いえ。あなたは、子爵のことをどうお思いですか?」

「どっ!?どうって・・・そりゃ。」

 う、また愛してるとか言わないといけない雰囲気なのだろうか、これは。

「私、あの方のことは・・・、卑怯でとんだ腰抜け野郎だと思っております。」

「へ!?」

 貴婦人は突然、庶民のような言葉をお上品に使った。

「幼い頃から見てきていますが、アーノルド侯が甘やかしに甘やかしたせいか、まだまだ子供です。そんなあの方を、あなたはどう見ていますか?」

 この人はもしかして、子爵が嫌いなんだろうか?

 にしては淡々と、さも当たり前のことを述べるみたいに喋る。憎しみじみたものは微塵も感じられない。

「た、確かに。人のことを玩具にしてきたり、説明不十分で危険な目に合わせられたりしましたが。」

 あれ、なんだか私も一緒に悪口言ってるみたいになってしまったわ。

「子爵は、傷つきやすくて誠実な人だと私は思います。」

 本心で言った。

 子爵を庇おうとして言ったわけじゃない。ヴェルサにどうしてか伝えたくて、思わず口走っていた。

「そう・・・。」

 ヴェルサはうっすらと笑みを浮かべた。この人は少々感情を顔に出すのが不得手のようだった。

 そして彼女はこう言った。

「いい娘を選んだのですね。」


 その後、運ばれてきた紅茶を一緒に楽しみ、子爵が戻ってきたところで私は退席することになった。


「子爵。」

 部屋を出ると、子爵が慌てた様子で向かってきた。

「ラピス、だ、大丈夫だったか?」

「え、何がですか。」

「ランヴィール夫人の相手をしてたって・・・!」

「あぁ、はい。一緒に紅茶を飲んだだけですけど・・・。子爵、アポイントメントがあったのならちゃんと守らないと・・・――」

「あの人はいつも突然来るんだよ!」

 あ、なるほど。この表情を見る限り、子爵はヴェルサのことが苦手なのね。

「何も心配するようなことは話してません。早く行ったらどうです?」

 子爵は口をパクパクさせた後、観念したように頷いた。

「お帰りの際は、私もお見送りしたいので呼んでくださいね。」

「分かった・・・。」

 そうして子爵はヴェルサの待つ客間に入っていった。


 ***


「久しぶりですね。ウィル・ヴァーテンホール。」

 ヴェルサと子爵が向き合って座ると、ヴェルサが静かな口調で沈黙を破った。

「ええ、お久しぶりです。ランヴィール夫人。」

 子爵は微笑んだが、少々ぎこちない笑顔になってしまった。昔からヴェルサには苦手意識を持っていたのだ。

「ラピスとお話しされたそうで。」

「えぇ、良い娘ですね。」

 ヴェルサは目をつむって注がれた紅茶の香りを楽しんだ。

「素直な娘です。クレイを思い出しました。」

 子爵は複雑な顔をして俯いた。

「ぐだぐだ話していても仕方ありません。本題の話をしましょう。」

 ヴェルサはカップを机に置いて、少し強い口調で言った。

「革命軍は新たな支配者を立てようとしています。王ではなく、貴族たちの議会と民たちの議会、2つの議会を立てて身分制議会を作ろうとしています。」

「そのようですね。私も都に出向き、貴族院の代表者についての話し合いに参加してまいりました。まぁブロイニュは今回の革命には参加していませんから、発言権はかなり弱いものでしたが。」

 ヴェルサは頷いた。

「次の刺客の魔女について、あなたの意見はありますか。」

「・・・次の統治者は、バルディアの貴族たちが中心になりそうだ。庶民にも権利があれど、議会を動かすのはまだまだ貴族たちの声の方が大きいでしょう。ただ、どの家のものが代表になるかはまだわからない。また、代表については、都度議会内での選挙なるものを行うらしい。移ろいやすいものでしょう。」

「なるほど・・・やはり、代表の者の家ではなく、議会そのもののに刺客の魔女を送り込むべきですね。」

 ヴェルサは淡々と言った。

 子爵は苦笑いをして頷いた。

「そうなりそうです。・・・次の刺客はやはり、アナですか?」

「ええ。そのために育ててきた娘です。クレイも。同じです。」

 ヴェルサはじいと子爵の目を見る。その眼は感情がないように見えたが、怒っているようにも見えた。

「正直に言うと、私はあなたを責めています。そして、不安に思っている。」

「あなただけじゃない。おそらく多くの魔女が、そう思っているでしょう。」

「・・・あなたは当時14歳だった。だけど、若さを理由にすることは許されないことです。クレイは、役目を果たせず・・・あんな形で死んでしまった。」

 子爵は目をつむった。それはまるで、後悔をしているようだったが、すぐに目を開きヴェルサの目を見つめ返した。

「私たちの一族は、シュイの一族に代わり、国の支配者を見定める『刺客の魔女』を輩出する役割があります。それは、私たち一族の誇りです。その誇りを踏みにじったとも言えるあなたを、責めたい気持ちでいっぱいです。」

「もう随分責められているように思います。」

 ヴェルサは、ふっと笑った。

「いじめすぎました。」

「手厳しい・・・。」

 子爵も笑う。

「ともあれ今後の方向性はヴァーテンホールと一致しました。手配のほどはあなたやラウルの役目です。お任せしても?」

「もちろんです。」

 ヴェルサは立ち上がり、次いで子爵も立ち上がった。そこにメイドが新しい紅茶を持ってきたので、子爵はラピスを呼びに行くように伝えた。

「ランヴィール夫人。聞きたいことがあるのですが、クレイ嬢が『刺客の魔女』として王家に奉公に行く時、ラウル殿が手配したと記憶しています。彼女はラウル殿と交流があったのでしょうか?」

 ヴェルサは首をかしげた。何を聞きたいのか、要領を得なかったのだ。

「どうでしょう。・・・あぁでも、一度里帰り中に、あの家の手伝いに向かわせたことがありました。ミケルが父を亡くしてすぐの頃です。直接ラウルにあったのはその時くらいかと思います。」

 子爵は小さい声でそうですか、と呟いた。

「・・・・・・。ヴァーテンホール?」

「はい。」

 ヴェルサはバッグを持ち上げて、真剣な顔で子爵を見上げた。

「あの娘を、解放しなさい。」

「・・・え?」

「ラピスです。あの子は魔女の本質を知らない。無垢な人間です。この血なまぐさい話から遠ざかるべき人間です。」

 子爵は言葉を詰まらせた。なんと言えばいいのか、分からなかったのだ。

「あなたには、サリサを娶るべきです。あの娘なら、魔女の世界を理解できる。少々じゃじゃ馬じみたところがありますが、あなたを支えることもできるでしょう。」

 子爵は、数秒黙り込み、そして小さく息をついた。笑ったようだった。

「・・・大変ありがたいお話です。あなたの人を見る目は本当に頼れますから。サリサは確かに候補としては一番ふさわしいと思います。ですが、丁重にお断りします。」

「少なくとも今は。ということで受け取ります。」

 表情を変えずにヴェルサは言った。

「それでいいですよ。今は。」

「・・・婚期を逃しますよ。ヴァーテンホール。」

「あはは、それは怖いですね。」

 子爵は無邪気に笑った。

「・・・でも、いつかラピスを手放すべきだということは同意です。ランヴィール夫人。確かにこれ以上あの娘を巻き込むのは、辛い。」

「・・・・・・あなたは、本当に、この役目に向かない優しい人ですね。」

 子爵は難しい笑顔でそうでしょうか、と呟いた。

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