第11話:分かったから顔近づけて迫るのはやめてほしい件
もしかしたら私、もうとっくに後には戻れないんじゃないかしら?
「ブっブレトン……!」
「静かに。ばれたらどうするの?」
ああ、身動きが取れない。
「ちょっと痛いかもしれないけど、我慢して……。」
「い、痛いってどれくらい……?!」
不安で泣きそうになる。
「初めて?」
「二度とごめんよ!」
そこで口をふさがれた。
少しさかのぼった、ある朝のこと。
郵便受けを開けると、バサバサと手紙が雪崩を起こした。
「うお、こんなに手紙ってくるものなのね。」
郵便物を運んだりする役の人が今日は休暇で、代わりに雑用係の私が午前に届いた手紙を取りに来たのだが、郵便物の多さに驚いた。
「あ、そっか。此処で働く人にも同じ場所に手紙が届くのね。」
もしかしたら両親が私に手紙を出してきているかも!と期待したが、残念なことにそんな書簡は見当たらなかった。
「メアリーにも来てる……。」
私はその宛名を確認し、束にして、色んな人に届けてまわった。
召使い一人一人と顔をあわし、その都度他愛ない話をするのは楽しかった。
「まあラピス!今日は郵便屋さんなの?」
そんな私を見てメアリーは茶化してきた。
「茶化さないで。はい、メアリーにもひとつ!」
「誰かしら……?」
手渡すと彼女の顔は火照ったように赤くなった。
「……何、彼氏?」
「ち!違うわよぉ!もう!」
あ、図星ね。
メアリーは上機嫌で仕事に戻っていった。
「……さてと。」
残るは。
「ブレトン!」
「ん?ああ、ラピス。」
私はブレトンを見つけて駆け寄った。
「どうしたの?」
「はい、手紙。」
「手紙?」
ブレトン宛の手紙を見る。
「住所はババラからみたいだけど。差出人がないわ。」
手紙を差し出す。
「……ああ、婆ちゃんだ。」
「お婆さん?」
「そうそう。僕の育ての親!」
「へぇー……。っていうか。ブレトンって時々、話し口調に統一感ないわね。」
ブレトンは首をかしげた、
「へ?」
「婆ちゃんって言うの、町の男の子みたい。それなのに一人称、僕、だし。」
育ちがいいのか悪いのかわからない。
「あはは!そうかなあ?」
ブレトンはあまり意識したことがないようだった。
ブレトンは受け取ったその手でビリッと封筒を破り、中身に目を通して、ふうっとため息をついた。
「何かあったの?」
「ん?日にちが決まっただけ。」
「日にち?」
「うん。ラピスも行くでしょ?」
「……は?」
いえ、何も聞いてません。
***
「次の土曜になった。」
子爵の部屋に手紙を届けたら、子爵が当たり前のようにそれだけ言った。
「だから何がですか。」
主語は!?
すると子爵が言っていなかったっけ?という顔をした。
「遠出だ。ちょっとした旅行だな。」
「はぁ……。行ってらっしゃい。」
「君も来い。」
「はぁ!?」
またこの流れか!
「ちょっとま……っ、土曜!?どこに?!」
「ババラ近くの森だ。」
「ババラ!?東の?なんで?」
「ブレトンの祖母に会いに行く。」
「……あ。」
ブレトンの手紙はそういうことか、と納得した。
「や、私が行く必要ないのでは?」
「日曜にまたあの青年と会う約束でも?」
「いや……、してませんけど。」
「じゃあ来い。」
命令ですか……。
「そんな誘われ方してもねぇ……。」
思わず口に出して呆れてしまう。
「ほう。」
子爵が立ち上がり、ゆっくりと近付いてきた。その口元は意地悪く笑っていた。
「な、なんですか。」
嫌な予感がして思わず一歩下がったが、逃げ切れず、くいっと顎もとを上げられた。
「ちょ……っ!。」
「君と片時も離れたくない。」
顔が!顔が近いから!耳元で囁くのは反則だから!
声が出なかった。
「一緒に来てくれるな?ラピス。」
「…………っか……!」
顔が猛烈に熱くなるのを感じた。
「からかわないでくださいよ莫迦!」
堪えきれず跳ね上がり、子爵の大きな手から離れた。
「はは。このくらいロマンティックに誘って欲しかったんじゃないのか?」
「違います!」
もうやだ、この人!
結局旅に同伴することになった。
***
出発当日。
「馬車で行くんですか。」
私はげんなりした。
「不服か?」
「長く乗っていると酔いそうで……。」
「お酒は強いのに?」
「関係ないでしょう。」
そんなやり私たちの取りを聞いて、ブレトンがくすっと笑った。
彼はいつも以上に上機嫌に見えた。
「久しぶりに帰るんじゃない?ブレトン。」
「うん。そうだね。結構楽しみ。」
「お元気だといいわね。」
「ありがとう。でも絶対元気だよ。」
「ご高齢なの?」
「まぁ。そうかな。」
「そっか。」
ババラ。ブレトンの祖母が住む地域。私にとっては初めて訪れる場所だ。
ブロイニュから少し南下して東に行くとイルルがある。イルルよりさらに東に行くとアルブがあって、その向こう側に森が広がっている。その森がババラの森。ただし、アルブの人達はアルブの森とも呼んでいるみたいだ。
その森はほとんど未開で、賊も多い。ババラは東の隣国ヴェヌトと何度もその国境線で争っていて、多くの傭兵がババラに集まっているので、正直、結構物騒な土地だ。
「ランガンがもう少し領地内に気を配っていればな。」
子爵はふっとため息をついて言った。
ランガンと言えば、ババラで最も権力を持っている大きな貴族家だ。
「まあ、あの方はヴェヌトのちょっかいに、かかりっきりですからねぇ。」
「以前最強の傭兵と謳われるルクを雇って一応鎮圧できたようだ。それで今はだいぶ落ち着いていると聞くが、治安は改善されないらしい。」
私は正直、難しい話をしていてついていけなかったので、黙って外の景色を見ていた。もうすぐアルブだった。
アルブ。武民の地方。南北に長く、この国の数ある地域の中でも比較的広い地域だ。
アルブ北部の方が、より武民の伝統が色濃く根付いている。今通り抜けようとしているのは南部なので、町並みに武民らしさはなかった。むしろとても文化的な美しい町が見えた。
「……ここは?」
「サリーナ・マハリンだ。」
子爵が答えた。
「へぇ。なんだか綺麗な建物が見えます。」
「テアトロ・ヴィーバだね。」
次いでブレトンが説明する。
「テアトロ。へぇ、アルブにもこんなに文化人っぽい町があるのね。」
知らなかった。
「アングランドファウストの功績だな。」
「……誰?」
首をかしげる。
「此処を治める伯爵。」
「知り合いですか?」
「まぁ、顔はよく知っている。何度か話したこともあるな。」
子爵は思い出すように言った。
「ところで、今更ですけど、どうしてブレトンのお婆さんを尋ねるんですか?」
訊いてみた。
「まぁ、色々な。一悶着ありそうなんだ。」
「……ひともんちゃく。」
また物騒なことに巻き込まれようとしているのか?と身構えた。
「僕の婆ちゃんは魔女だからね。」
ブレトンが言う。
「え!?」
驚いた。
「あれ、言ってなかったっけ。」
「聞いてない……。」
……ああ、だからか。と納得した。
―――魔女たちの間で何か問題があれば、調停役として出ていく。
以前そう言っていた。だから、子爵が行くんだ。
子爵が本当にそういう役目を追っていることを実感して、何となく子爵をじっと見つめてしまった。
「どうした?」
子爵がこちらの視線に気づき笑った。
「えっ!いえ!」
この前顔を近づけられたことを何故か思い出して、耳が熱くなった。
綺麗な顔だよちくしょー。
***
「婆ちゃん!」
目的の家に着くと、ブレトンは子供みたいに老婆に駆け寄った。
家は森の奥にあり、買い物とかどうしてるのかしら?と思った。
「ブレトン。よく来たね。」
彼女はブレトンを見て柔らかく笑った。雰囲気がブレトンに似ていて、しわくちゃの顔が非常に優しそうだった。
「ご無沙汰しています。」
子爵が丁寧に話しかけた。
「ウィル様、よくいらっしゃいました。」
「お元気そうで。」
「そちらも。」
そして、彼女は私の存在に気付き、にっこりと微笑んだ。
「あ、あの、はじめまして。」
「青い石だね。」
「え?」
何を言われたのか、一瞬わからなかった。
「あの、えっと、ラピスです。」
「ようこそラピス。」
老婆は名乗らなかった。
そいえば手紙にも名前がなかった。多分、掟か何かなのだろう。
「変わりはないですか。」
通された部屋で、子爵が椅子に腰かけながら問う。
老婆は紅茶の準備をしながらほほっと笑った。側でブレトンが当たり前のように手伝いをしていた。
「手紙で話したことくらいかねぇ。」
「……厄介だな。」
子爵は顔をしかめた。
「犯人探しを?」
「いや、すぐには……、ただ、忠告はしなければなるまいと、思ってます。」
「あれは紛いものだからね。」
子爵はため息をついた。
何の話か全く分からなかったが、私はとりあえず子爵の隣の席に腰かけた。
「……そう言えば。」
突然、彼女はこちらを見て呟いた。
「月が、お主を探して此処に来た。」
「……え?」
何?なんて?
「未完成で、苦しい苦しいと、もがいていたよ。」
そこにブレトンが紅茶を運んできたので、老婆とブレトンも席に着いた。
「えっと、月……ですか?」
彼女の話は要領を得なくて、私は軽く混乱した。
「だから、予言を伝えた。」
「予言。」
「星の名は月に出会う、と。」
「月と、星……?」
月。月の名。それはもしかして。
「追放された……王女様?」
老婆は微笑んだだけで、何も言わなかった。
胸がドキドキする。
まさか。それが本当なら、彼女は生きていた?私を探していたって、どういうこと?何故?
星の名って何?
「あのっ、その人は……どこに!?」
「んー……。」
老婆は考える。目を閉じて、何かを視ているようだった。
「南の双子星を止めに。また舞うようだ。」
「双子星……?」
彼女の言葉は、まるで詩だった。隠喩の連続。私の理解が追い付かない。
「だけど、君のことはもう必要ないようだ。」
何もよくわからなかったのに、その言葉にちょっとだけ胸がチクリとした。
「そう……ですか。」
私は紅茶に映る自分の顔を見下ろして、俯いた。
「席をはずそう。ラピス。」
その紅茶を一口も飲んでいないのに、ブレトンが立ち上がり、そう言った。
「あ……。」
はっとする。
そういえば、何か子爵に話があって、この人は子爵を呼んだんだっけ?
「すみません……。」
私は頭を下げ、ブレトンについて家を出た。
***
外に出た私たちは、ブレトンの提案で井戸に水を汲みに行くことにした。
「ブレトンのお婆様って、本当に魔女……だったのね。」
「何をいまさら?」
「いや、魔女って私にとってはかなり遠い存在で、伝説上のものだった、から……。」
ブレトンは短く笑った。
「僕だって、多分普通に暮らしてたらそう思ってたよ。」
「……ご両親は?」
「いないよ。」
彼は即答した。
「あ……。ごめん、なさい。」
メアリーの時と同じく、いらないことを聞いてしまったと後悔した。
「ううん。謝るようなことじゃないよ。見たことがない人達だし、多分ろくでもない人達だろうから。」
「え?」
「この森に捨てられてたんだ。僕。」
彼はにこやかにそう言った。私は何と答えていいかわからなかった。
「それを運よく婆ちゃんに拾ってもらってさ。育ててもらったんだ。」
「そうなんだ……。」
「この森ってさ、普段は誰も近寄らない森なんだ。だから、本当に必要とされてなかったんだな、僕。――とか、思っちゃいそうじゃない?」
「……そんなこと……。」
ああ、だめだ。何を言っても私の言葉は軽くなる。そう思って口をつぐんだ。
「そう思う暇も与えてくれなかったね。あの人は。」
「……お婆様?」
「と、子爵。」
ブレトンはにかっと微笑んだ。
「だから、感謝してるんだよね。」
あぁ、この人はとても強いんだな。ブレトンの笑顔を見て、私はそう思った。
そうこうしているうちに井戸に着き、ブレトンは水を汲みあげ始めた。
私は持ってきた金属製の壺を手に取り、水でゆすいだ。
「子爵とはいつから?」
「僕がまだ子どもの時からだよ。12歳くらいかな。」
「へぇ……。」
ブレトンが汲み上げる水を私が壺に移し、また井戸の水を汲み上げる。
「……子爵って、今日、何の問題があって此処まできたのかしら。」
私はふつりと湧きあがった疑問を、思わずこぼした。
「あ、知りたいんだ?」
「きょ、興味はあるけど……。」
「魔女達の、事情に?」
それは、禁断の扉の一つだろう。
***
「ラピスラズリと、琥珀か……。」
老婆は笑った。
「あまり見ない組み合わせだ。」
子爵も微笑んだ。
「それで、あなたの見立てをお聞かせ願いたいんですが……。」
本題に入る。
こくり、と彼女は頷いた。
「先の王の没落の裏で、『魔女の粉』が動いていた。摂政のエラルドが王を殺すために何年も前から利用していた、という噂だ。そのことはもう伝えましたね。」
子爵は紅茶を飲みながら静かに頷いた。
「ただ、あの粉はウィル様の許可なしに作ることも、使うこともできない秘薬。つまり誰かが不法に流した『紛い物』ということになる。念のために聞きますが、レシピを盗まれた、ということは、ない……ですね?」
「ありませんね。先日レシピのフェイクが盗まれかけましたが、それより以前にはそういうことはありませんでした。レシピを狙う者は全て、殺してきましたから。」
「先日?その首謀者は?」
「分かりません。」
子爵は首を振った。
「首謀者を捕まえぬ限り、まだこういうことは続く……。甘くはありませんか。」
「厳しいお言葉だ……。でも、甘いとは思いますよ。」
子爵は微笑んで頷いた。
「それで……その件に関する『不穏な動き』とは?」
「魔女達の間で、その粉を売りさばいた裏切り者を見つけ出し罰を与えよという者と、むしろ、何故あの王に対してウィル様は魔女の粉を使わなかったのか、とウィル様を批判し、裏切り者を庇いだてをする者とに分かれて揉めている……。ブロイニュだけではなく、今や散り散りになり国中で暮らす魔女達がね……。」
「……ブロイニュ北部では、あまり騒がれてませんがね。」
「ウィル様がいらっしゃるからでしょう。」
「笑えないな。」
だが、顔は笑っていた。
「だけど、問題は把握しました。よく出来た『紛い物』が出回った件は、もう皆が知っているでしょうが、ヴァーテンホールから魔女たちに警告します。また、その『紛い物』については、私の方でも調査を進めます。まずは、の裏切り者を見つける必要がありますからね。」
「犯人捜し、ということですね。」
子爵は頷いた。
「……二つに分かれた魔女達の件は、正直耳が痛いですが、いずれ対峙する時が来るでしょう。問題が大事になる前に教えてきただき、ありがとうございます。」
魔女はため息をついて、眼を閉じた。
「……予言が出ていたよ。」
「どのような。」
「南で二つの月がぶつかり、北で青い石が波紋を作る。」
「なるほど。」
彼女は再び目を開けて、難しい笑顔で微笑んだ。
「気に入っているようですね。」
子爵はにやりと笑った。
「ええ、気に入っていますよ。」
「……波紋が、禍でなければよいが……。」
「はは……。禍であったとして、それは破滅を意味しない。」
「……どうあっても、手放す気はないと?」
老婆は眼を細めた。
「今のところは。」
子爵は鋭い目で笑った。
***
「ここら辺って、盗賊とか出ないの?」
水壺を抱えて帰る途中、私は尋ねた。
「んー。たまにいる。森の入口らへんは多いね。」
「危なくない?此処でお婆様が一人で暮らすのは。」
心配する。
「んー、でもこんな奥までは入ってこないからね。基本。」
「どうして?」
「なんでかって……。」
と、ブレトンが何か言いかけた時だった。
「キャーーーーー!」
遠かったが、女性の叫び声が聞こえた。
「え?なに?噂をすれば盗賊?」
誰かが襲われてるんじゃ、という不安に駆りたてられる。
その瞬間、ブレトンが駆けだしていた。
「ちょ!ブレトン?!」
「ラピスは家に……!」
「……そ、そんなわけにいかないわよ!」
ブレトン一人に行かせるのも危ないに決まってる!
私は壺を置いて走り出したブレトンを全速力で追いかけた。
しばらく声のする方に走ると、人影が見えた。
「いた!」
まだだいぶ遠いが、向こうから女性が逃げてくる。
「あぁ、こっちに来るな……。」
ブレトンがそう呟いたかと思うと、急に私の腕を引っ張った。
「え?……わ!」
衝撃で舌をかむかと思った。
訳も分からず振り向くと、ブレトンはするすると木を登り始めていた。
「ちょ!なん……!盗賊はあっちよ!」
「ラピスも登って。」
「へぇ?!」
しかし、今ぐずぐずしている場合でもない。何を考えているのか分からないが、ラピスはブレトンを信じて木によじ登った。
「うまいうまい。」
ブレトンは楽しそうに言った。
「町娘なめないで!」
太い枝に到達し、ブレトンに抱き支えられる形で木にしがみついた。
不安定で身動きが取れない。高さも結構ある。下を見るとぞわっとした。
「あいつら、こっちに来るよ。」
「な、なんで分かるの?」
「人間、数ある中から一つの逃げ道をとる時、皆同じような思考をするんだよ。こっちなら安全そうかも、って。」
「それって……。」
前も誰かが此処に逃げてきたのを見てるってこと?
「女の人はこの下を通る。賊もそれを追って通る。その瞬間これ、落とすよ。」
怪しげな黒い袋に重しが付いている何かを持って、ブレトンは笑った。
「なにそれ。」
「墨の塊。いい感じに調合してあるから今は漏れずに袋に入ってるけど、衝撃で破裂したら墨の水がでるよ。うまく頭に当てれば、目を封じられる。そしたら飛び降りて、後ろをとって、ひとひねり♪」
「…………。え、ちょっと……。なに、降りるって。飛び、何……?」
「飛び降りる、だよ。」
はぁぁあ!?
「た、高さ見て言ってよ!」
「ええー?」
ブレトンには高所から飛び降りる恐怖は微塵もないようだった。
そうしている間にも、ブレトンの言った通りに女性はこちらに走って逃げてきた。そしてその10mほど後ろに賊が5人。
「ブ、ブレトン……!」
「し、ばれたらどうするの?」
いやいや、お願いちょっと待って!?
「ちょっと痛いかもしれないけど、我慢して……。」
「痛いってどれくらい……?!」
「……初めて?」
「二度とごめんよ!」
そこで口をふさがれた。
女性が真下を通り過ぎていく。そしてブレトンがすかさず賊の真上をめがけて件の袋を落っことす。いや、投げつける。
「うおおあ?!」
「な、なんだ?!」
はい、見事命中。
うろたえる賊たち。そして、縮まる私の心臓。
「ぃ……っあ!」
口を押さえられたまま、半ば抱きかかえられるように。
落下。
「っひ……!」
人生初の、落下。
「きゃああああああああああああああ!」
未知の恐怖に耐えられず、叫んでしまった。
その時点で、こちらの存在は賊にばれた。
しかし、彼らは真上から落っこちてくる男女二人になすすべなく。
着地とともにブレトンが繰り出した蹴りと拳に、ことごとく、のされていった。
「~~~~~~~~~~っ!」
私はと言うと、しびれた足の痛みに耐えつつ、それを見るので精一杯だった。
「はぁ……はぁ……。大丈夫?ラピス。」
ブレトンが少し息を切らしつつ、なんでもないような顔でやってきて手を差し伸べた。
「大丈夫くない……。」
私は涙目で立ち上がった。
「あ、あの……。」
そんな私たちの側に、先ほどの女性が恐る恐る近付いてきた。
「あ、平気ですか?お嬢さん。」
ブレトンが彼女に向き合ってにっこりと笑う。
「へ、平気です!あの……!」
「この森は最近物騒みたいだ。あまり通らない方がいいですよ。安全な道を教えましょう。」
ブレトンはそう言って、丁寧に道を教えた。
私は一人腰と足の痛みに耐えながら、ぼんやりと考えた。
「……ブレトンって、武民の子?」
どう考えても運動神経が常人のソレではなかったからだ。
……しかし、身が持たない。子爵たちに会ってから。本当に身が持たない!
***
「どうした。2人とも。泥だらけだぞ。」
帰宅後、子爵が少々呆れ顔でそう言った。
「…………いやあ。」
「なんでもありません。」
いや、ありまくりましたけどね!
「そうだ、婆ちゃん。また賊がここら辺まで出てたよ!」
「なんだい。お前、また脅かしたのかい?」
「ここ数年、ずっと子爵のところにいるからね。森の鬼の登場回数が減って、賊も緩んでんだよ。でも、また脅しといたから。しばらくは大丈夫じゃない?」
「呆れた。」
やっぱりこの男、今まで何度も森の盗賊たちを撃退して回ってたな、と思った。なんせ、手慣れてましたから。
だけど、これがブレトンにとって、この森に一人で住む老婆を守る術なんだろう。
改めてブレトンが彼女を大事に思っていることを実感した。
「ん?何、ラピス。」
ブレトンが私の視線に気づいて首をかしげた。
「ううん。」
首を振る。
「ブレトンの体術には、きっと武民も敵わないだろうなって。」
「…………。」
沈黙。
え、何。私、何か言いましたか?
「え、……っと?」
「あはは、ラピス、馬鹿だなぁ。武民はもっとすごいよ。」
ブレトンが明るい声で笑い飛ばした。
「そ、そうなの?」
「見たことないの?」
「ない。わね。」
そういえば、純粋な武民を私は見たことがなかった。
「武民といえば、僕、昔ルクを見たよ。」
「え、あの伝説的な傭兵の?」
ブレトンは頷いた。
ルクは、味方に付いた方が必ず勝つという常勝の傭兵で、生きながらの伝説だった。世間知らずの私でも知っている有名な武民の戦士だ。
「女の子を連れてた。僕らと同い年くらいの。」
「……へぇ。恋人かしら?」
私は彼に勝手に孤高のイメージを持っていたので、なんだか意外だった。
「……いや。」
ブレトンは少しだけ遠い目をした。
「多分、あれは。違うよ。」
そしてなんだか不吉なものを見たように顔をしかめた。
「だって、あの子の眼は、そんなものじゃなかった。」
――三日月のように鋭く、見ていると悲しい短調の音が耳に届くきそうな、そんな眼だった。
ブレトンはそう言って、もうこの話をしなくなった。




