マリー・クララヴェル
今日は朝から慌ただしい。
正確には昨日の夜からなのだけれど、シバース教アナトミクス派の間で、何か動きがある事が間違いなさそうなのは、ただ部屋に軟禁されてるだけのマリー・クララヴェルにも感じられる。
それは、嫌な予感しかしないものではあるけれど、現状に何か変化が起こるのであれば、もしかしたらチャンスになるかもしれない…
リチャード・ヘスコーという青年と話をしてから数日が経つ。
それ以来食事を出しに来る者以外は、誰もここには来ていない。
故に誰とも会話らしい会話をしていない。
ボーっとする以外何もする事のない時間を、何とか正気を保って過ごしている…
もっとも、あんな狂った連中と話をしてたら、それこそ正気を保てる自信は無いのだけれど、退屈は死に至る病。
鬱々とした気分にもなったけれど、そこで自棄にならずに踏ん張れたのは、「必ず逃げる」という決心があったからこそ。
この慌ただしさがそのチャンスであれば。
というのは願望でしかないのだけれど、その願望が当たっている事をさらに願望して、マリーはそのために今の自分にできることを再確認する事にする。
先ず、今、自分がいるこの場所は何処なのか?という事を、記憶を頼りに推測してみる。
ここにつれてこられた時には、目隠しをされた状態で馬車に乗せられていて、外の様子など確認する術は無かった。
けれど、どこかトンネルのような所に入り、そこからしばらく坂を下るようにしていたのを覚えてる。
そして、ここが王都であるというのは、その時同乗していた人物の会話から間違いない。
つまり、ここは王都の地下にある何かしらの施設という事でまちがいない。
『王都の地下施設』というだけではあまりにも漠然としているが、それは十分ヒントになる情報。
王都の地下には何があるのかというと、広大な水路。王都エリック・リンドは水路の上に造られた街。
その昔。水資源がとても貴重な物で、戦争の原因にすらなった時代。
聖地エヴァレッティアの、無限に水が湧き出す湖から水を引くために、エリックとリンドのシバース兄弟が、この地を拠点にして大事業を…
って話は長くなるので割愛して…つまりエヴァレッティアから引いた水が、この街を起点にして大陸中に広がっており、その水路が街の地下を通ってる、という事だ。
とはいえ、水路は国の管轄下。
そんな所にシバース教アナトミクス派の隠れ家があるのか?という疑問が残る。
そこまで考えて、そもそもここが地下水路内である事だって希望的観測でしかないと気付き、マリーは思考を止めてしまう。
情報があまりにも足りない。
こんな事では、せっかく切り札を持っていても宝の持ち腐れになってしまう。
切り札…
それは、魔力を自分で生み出す事のできないマリーにとって本当の切り札であり、使えるチャンスは一度しかない…
使い所を間違えれば、それで完全に逃げるチャンスを失うだろう。
そう…マリー・クララヴェルは自分で魔法を生み出す事ができない。
魔力は魔法を使えない一般人でも少しくらいはあるものなのに、マリーにはそれすらない。
しかし、マリーは魔法が使えない訳ではない。
空っぽのマリーの魔力は、外部から供給すれば補充する事は可能であり、そうすれば人並みに魔法が使えるようになる。
他にもそんな体質の人間がいるのかはわからないけど、それが特殊な事であり、アナトミクス派がマリーの事を『器』と呼び、二度にわたって捕らえている理由なのだろう。
とはいえ、人一人が身体に溜めておける魔力は限られてるのだから、そこに注ぎ込むは魔力以外の何かなのだろうと推測できる。
その何かとは何か…
そこまで考えてマリーが横道に逸れてしまった思考を元に戻そうとした時、コンコンと、不意にドアをノックする音がするから一気に緊張が走る。
食事の時間ではない…
という事はシバース教アナトミクス派の誰かが、何かの用があってここに来たと考えるのが妥当であり、それはもう相手が誰であろうと御免こうむりたいのですけど
「マリーさん、入りますよ?」
聞こえてきた声は、その中でも一番マシだと思えるリーダー格の人物の声だったので、少しだけほっとする。
「…どうぞ…」
少しだけほっとして迎え入れたのに、ガチャっとドアの開く音とともに
「は~い」
軽いノリで入ってきたのが一番合いたくない、顔も見たくない大嫌いな魔女の姿だったので、ありったけの嫌悪感情を睨み付けるという行動のみで、無自覚に表現してしまう。
「フン…そりゃアンタはアタシの顔なんか見たくもないだろうけど、それはアタシだって一緒なんだよ!」
「よさないか…」
穿き捨てる魔女ヴィジェ・シェリルを諭すようにして、後ろからエドモンド・グラーフが入ってきた事で、その場の雰囲気が幾分柔らかくはなるものの、マリーの表情は険しいまま。
「何の用でしょうか?」
尋ねる声にも険があるのを隠そうともしないから
「チッ」
シェリル姉さん舌打ちするし
「フンッ」
マリーちゃんは鼻を鳴らすしで、ここまで二人の間が険悪な物とは考えてなかったグラーフ様が、今更ながら人選ミスをした事に気付いて頭を掻いていると
「グラーフさん急がないと」
後から入ってきた男性に促され、わりと事が切迫してる事を思い出す。
マリーの方は、面識の無い男性が唐突に表れたから、さっきまでとは別方向で緊張が走るけれど、それは相手も同じ事。
「あ、どうも…ブロンズ・メイダリオンです…」
同じ施設内に数日いたのにもかかわらず、存在すら知らされてなかった少女に困惑気味のブロンズが、とぼけた自己紹介をするもんだから
「あ、はい…マリー・クララヴェルです…」
こっちも間抜けな自己紹介と相成りまして
「はあぁぁぁぁ…」
シェリル姉さんの深いため息が、緊迫状態の終了を告げ
「ゴホン…」
わざとらしいグラーフ様の咳払いでもって本題へと入ります。
「マリーさん…急で申し訳ないのですが我々はここを放棄する事にしました。当然の事…と言っては申し訳がないのですが、あなたにもついてきてもらう事になります」
この状況でマリーに拒否権がある訳もないが、それはこの場所を移動するという事である。
今朝の慌ただしさから想像した願望が当たったという事であり、つまりは待ち望んだチャンスがやってきたという事であり
「…放棄?街を出るという事ですか?」
そのチャンスを逃すまいと、少しでも多くの情報聞き出そうと試みるけど
「…詳しい事は申し上げられません」
そんな簡単に教えてくれる訳もなく
「ただ、ここから歩いて数時間の所ですよ?」
ん?アレ意外と教えてくれるのか?と思いましたけど、それってつまり
「えー!もしかして徒歩移動なの!」
そういう事なのでしょうけれど、そこで驚きの声を上げたのはなぜかシェリル姉さん。
「聞いてなかったのかよ…」
ちゃんと説明されてたのに、とブロンズ君は呆れる訳ですけど、そんな事言われたらシェリル姉さん面白くないですから
「ああ?何?文句あるの?」
言ってブロンズ君に突っかかろうとした所で
「いい加減にしろ!」
流石にグラーフ様もキレる。
これはこの二人の間で一悶着あるのではないかとマリーとブロンズは変な警戒をするけれど
「チッ…」
シェリル姉さんは苦虫を噛み潰したような顔をして、舌打ちはしたもののそこは引き下がり、その姿が意外なほどイメージと違うものだった事に、他二人が驚きでキョトンとなってる。
「話を戻しましょう」
はい、本題に戻りますよって事で
「万が一のため場所を教える訳にはいきませんが、我々の新たな拠点となる場所です。本来であればそちらであなたを迎える事になるはずだったのですが、工事が遅れてましてね?いまだ完成に至っておりませんので、ここよりも不便な思いをする事になるかもしれませんがご容赦を…」
「えー!」
だからなんでお前が驚くんだ、とシェリル姉さんに言いたい気持ちをブロンズ君が今度はグッと堪えた所へ
「グラーフ様!」
いかにも下っ端といった風貌のシバース教徒が、何やら大慌てで部屋へ入ってくるからグラーフ様は訝しげ。
「何事だ!」
言う言葉も荒っぽくなりますけれど
「あの…ジェリコー様がいなくなりまして…」
それはどうでもいい事ではないのだけれど、その程度の事は想定内。
あの男の事はどうにもならない、と半分あきらめている事ですし、どちらかというとそれを聞いたシェリル姉さんが目を輝かしてる事の方が気になりますし…
「いつもの事だろ…放っておけ」
投げやりに下っ端モブ教徒に言い放ちますけど、下っ端モブ教徒は不安げにしながら
「それが…ヘスコー様の魔獣を一体連れ出してるみたいで…」
予想の斜め上の事態が起きてる事を知り、シェリル姉さんの目は輝きを増し、ブロンズ君は目を丸くし、グラーフ様は頭を抱える…
何が起こってるのやらさっぱりだけれど、何やらシバース教アナトミクス派内でトラブルが起きているらしいのは間違いないようであり…
ハードルは高い…しかし、これは紛れもなく千歳一隅のチャンスである。
マリー・クララヴェルはこのチャンスを絶対に逃さない、必ずこの状況から逃げ切ってみせる、と心に誓い強く拳を握りしめる。




