それぞれの翌日3
昨夜の事が頭から離れず、その少女は出された食事に手を付ける事が出来ないでいた。
男の人の、泣き叫び、もだえ、苦しむ声が聞こえたかと思うと、やがて肉の焼ける臭いがこの部屋にまで入ってくる…その声が聞こえなくなり、臭いがしなくなるまでどのくらいの時間があっただろう。
昨夜この施設の別の部屋でおそらく誰かが焼き殺された…そんな朝に出された食事が肉の焼いたものとパンである。
何の肉かわかったものじゃない…それ以前に朝から肉か…と思わなくもないけれども。
数日前に連れてこられたここが、王都エリックリンドである事は、ここまで連れてきた連中の会話から間違いないだろう。どこかの地下…手枷足枷されるでもなく部屋に閉じ込められ、部屋の外に見張りが一人…監禁というよりは軟禁に近いだろうか?
10年ぶりの王都…
6歳まで過ごした思い出の街に、しかし今は何の感慨もない。
10年間、シバース教アナトミクス派から逃げていた。
何故自分が狙われるのかもわからないまま、ただ逃げ続けていた…
もう逃げるのなんて嫌だなって思った…どこかで落ち着きたい。落ち着いて生活がしたい。
そりゃそうだ…一生よくわからずにただ逃げ続けるだけなんて誰だって嫌だろう。
しかし、それが油断となって奴らに居場所を突き止められた。
10年が無駄になった…その悔しさで頭がいっぱいになってる…
ふと、部屋の外に誰かがやってきた気配を感じる。見張りの交代だろうか?そうでなければ幹部らしき人達の誰かが様子を見に来たのか…
後者なら、それはとても憂鬱な事だ。あの幹部たち…特に隻腕の狂人と女性幹部は、10年前の記憶もあって顔も見たくない…
そもそも狂人でない物なんて、アナトミクス派にいるのだろうか?
『シバースによる世界の統治』
アナトミクス派が目指すのはそれであり、それは簡単に言えば『世界征服』である
そんな子供じみた妄言を、しかし本気で実行に移している人達…とても、まともな思考とは思えない。
その人物が見張り役と話をしてるのはわかるが、何を話してるのかは聞き取れない…しかし雰囲気から見張りの交代ではないと感じ、そして扉が開く…
「やあ!君、少し話し相手になってくれないかな?」
あの狂人か、この狂人か、どの狂人かと警戒してたら、やたらフレンドリーに話しかけられたので、虚を突かれた。
アナトミクス派の正装なのだろう、白いローブに謎仮面を付けていて顔を確認する事はできないが、声から察するには、かなり若い人物のような気がする。
「ちょっとした退屈しのぎさ。硬くならなくていいよ?」
相手がどれだけフレンドリーだろうが、相手はあのアナトミクス派の一員…警戒しない訳にはいかない。
「ここの連中はさ、話をしててもなんていうか会話にならないんだよね?どうにも同じ言葉を話してる気がしない」
それは同感。
「おまけに秘密主義でさ、一応僕は幹部として迎えられてるはずなんだけど、君の事すら何も教えてくれないんだよね?酷いと思わない?」
黙して答えない…
「それにみんな一枚岩じゃないっていうか…アナトミクス派の目的って『シバースによる世界の統治』でしょ?でもみんなそんな事はどうでもいいみたいで、それぞれがそれぞれに違う目的で動いてるみたいなんだよね~」
こちらが無視してるというのに、お構いなしで話しかけてくる…いや、ほぼこれ独り言を聞かされてるんだ…それも愚痴だ…
「まあ僕も私怨でこの組織に参加してるから、人の事は言えないんだけどさ」
つらい…興味のない話を、しかも単なる愚痴を延々聞かされる…すごくつらい…
「僕はね?3年前にこの街でデモをやったんだよデモ」
この街でこの10年の間に何があったかなんて全く知らない。しかしデモと聞くと、その少女にはどうしても10年前のテロ事件の事が想起されてしまう。
「街中のシバースに声をかけてね?シバースの地位向上!差別法撤廃!ってね?10年前のアナトミクス派の時は何万人ものシバースが参加したんだ、それには及ばなくてもきっとたくさんのシバースが参加してくれる!そうすればきっとシバースの現状を変えられる!」
急にヒートアップしてきた…ちょっと怖い。
「結果何人集まったと思う?50人弱だよ?シバースのデモは禁止されてるって言っても、もっと集まると思ったんだけどな~…笑っちゃうよね?僕は泣いたけどね?」
怖い…確信した…フレンドリーだと感じたこの男もまた狂人であると。
「おかげで僕は国外追放となって現在に至るんだけれど、僕に何が足りなかったんだろうね?子供だったからかな?力が無かったからかな?よくわかんないけどさ…」
そこで糸がぷっつり切れたように、唐突に話すのを止めてしまう…意味が分からない…怖い…
「そんな事より君は何なの?」
今度は矛先が自分へと向いてきた…怖い
「知ってる?魔力っていうのはね、普通シバースじゃなくても少しくらいあるものなんだ。ところが君にはそれが無い、空っぽだ」
それが自分が今ここにいる理由であるだろう事は想像できる。
「それは、僕にとってはとても興味深い事なんだ。君は他の誰とも違う何か特別な存在なんだ。僕の好奇心が君の事を知りたがって仕方がないんだ…」
異質だ…この男はここにいるどの狂人ともまた違う、異質な狂人だと感じた。
「あいつらは君の事を『器』って呼んでたけど、君は何の器なの…」
そう呼ばれる理由には、心当たりがないわけではないのだけれど
「知りません…私が聞きたいくらいです…」
ずっと何も答えずにいたのに『器』と呼ばれる事への抵抗感から、思わず声を出してしまう。
「へえ…やっと話をしてくれたね?」
男が仮面をゆっくり外している…しかし顔は見ない、目を合わせない。合わせたくない…
「名前がまだだったね?僕はリチャード・ヘスコー…君の名は?」
答える義務も義理もない。無視をすればいいのだけれど、なぜかその時、少女は無視をする事が敗北であると感じてしまう。
それはおそらく、目の前にいる狂人への恐怖に負けたくない、負けてはいけないと思ったから。
だからそれまで下を向いてばかりだった顔を上げ、リチャードと名乗った男の顔を見る…予想以上に若い…
そしてしっかりと相手の目を…キッと睨み付けながら…
「マリー…マリー・クララヴェル」
この物語のヒロインが、その名を告げる。
「うん、良い名前だね?またここに来てもいいかな?」
その質問には沈黙をもってNOと答える。
その意図を理解したかはわからないが、リチャードは仮面を付け、踵を返すと扉へと歩いてく。
実際に話してたのは、ほんの数分足らずなのに、ものすごく長く感じた。ようやく苦痛の時間が終わる…
そう思ってホッとしていたら扉を開ける前に
「食事はちゃんと取った方が良い」
とか言い出すからまだ喋り足らないのかと、さっきまでとは若干違う方向で警戒心が働く。
「何、僕らの食べてる物と一緒さ。変な食材は使ってないはずだよ?昨日焼かれた人たちは、僕のペットの餌になったみたいだしね?」
そう言い残して部屋を出て行った。
こちらの考えてる事はお見通しという事なのだろうけど、最後に言ってたのは何の事だろう?ペットの餌?
考えても意味が分からないし考える意味もなさそうなので、今はそれはさておくとして
「逃げよう…このままここにいたら私までおかしくなりそうだ…」
しかし、そんなチャンスが来るのか…仮にそのチャンスがあったとして自分に逃げる術があるのか…
とりあえず腹が減っては戦はできない。いつそのチャンスがやってくるともわからないのだから、あの狂人のいう事を聞くのは尺ではあるが、やはり無理にでも食事は取ろうと出されていたパンに口を付ける…
「あれ?…美味しい…」
以外にも美味しいパン。どうせたいして美味しくもないパンに違いないと、高を括っていたので何か釈然としない…
そうなると、もしかしたらこの肉も大変美味なるものかもしれない。
けれど、それでもマリーはその肉だけは口を付ける気にならなかった…
「どうも腑に落ちない事があるんだ…」
近所のカフェ的なお店に入って席に着き、「コーヒー的な何か」を二つ注文した所で、フェリア先生が唐突に話を切り出す。
腑に落ちないって事は、納得がいかない事があるって事ですけど、さてフェリア先生何が納得いかないというんでしょうか?
クルーア君の部屋が汚かった事でしょうか?
あ?それもあってこのカフェ的なお店まで歩いてこなくちゃいけなかった事かな?いやでもそんなに距離無かったよね?
まさか、このカフェ的なお店自体が腑に落ちないとか「コーヒー的な何か」が腑に落ちないとか、そういう事言い出すわけではないでしょうけど…
「何が腑に落ちないんだよ?」
クルーア君、勇気を出して聞いてみる。
「この物語のヒロインは僕じゃなかったのか?」
は?
「この僕がヒロインじゃないなんておかしいと思わないか?」
ヒュ~っと冷たい風が二人の間を抜けていく…
「お前はいったい何の話をしてるんだ?」
クルーア君の冷静なツッコミに、フェリア先生も正気を取り戻し、顔を若干赤くしながら軽く咳払いをして
「いや…別に…」
誤魔化した。
「そんな事より本題だよ本題!」
また誤魔化した。
「うるさい!いいから今朝の新聞を読め!」
言いながら今朝の新聞をクルーア君に投げつける。
「俺、何も言ってないじゃん…」
ごもっともな不満をブツブツと言いながら、今朝の新聞を広げ目を落とす。
その記事は探すまでもなく、一面にでかでかと載っていて
「なんだこれ?」
そこに書いてある事に驚きすぎて、クルーア君はそれをいまいち現実として受け止めきれず
「昨夜あの後、移送中の馬車が襲われて、移送に当たっていた守護隊隊員全員が殺され、ブロンズ・メイダリオンが行方不明になった…」
フェリア先生が要約して説明しても、やはりいまいち現実として受け止めきれず
「これは知人からの情報でまだ非公表なんだけど、その犯行手口から犯人はシバース教のヴィジェ・シェリルで間違いないだろうって話だ…」
さらに斜め上過ぎる情報が入ったことで、クルーア君現実へと引き戻されて
「なんでブロンズが襲われたんだ?」
なんて、しょうもない質問をすれば
「そんなの僕に聞かれたってわかるわけないだろう?」
フェリア先生に叱られてしまうのも当然…が、しかし
「いや…そうじゃなくて…」
「なんだよ?」
要領を得ない話にフェリア先生、イラつき始めるも
「あの子は?…ユーリカ・マディンは寄宿舎に戻っているのか?」
一瞬時間が止まったように感じる…
何故ブロンズ・メイダリオンが襲われたのか…
目的はさっぱりわからないけど、もしその理由に昨夜の出来事が関係しているのだとすれば、彼女もまた襲われた可能性がある…
何故そのことに考えが及ばなかったのか…
いや、後悔しても始まらない。
代金(もちろん支払いはクルーア君)をテーブルに置くと二人は注文した「コーヒー的な何か」が出されるのも待たずして店を飛び出していった。




