お題1『お茶』 タイトル『新茶と深煎り珈琲のラブ・ブレンド』
「ねえ、知ってる? ウーロン茶と緑茶って同じ葉っぱなんだよ」
「嘘、そうなの?」
彼女に向かって驚きの表情を見せる。実はウーロン茶も緑茶も、そして紅茶もまた同じ葉っぱだということは知っている。なぜなら僕の家が御茶屋だからだ。
「そうなのよ。発酵の仕方によって味が変わるんだって」
彼女は得意そうに答える。
「不思議よねぇ、同じものでも色まで変わるなんて面白いね」
「そうだね」
彼女の返事に合わせて相槌を打ちながら団扇を仰ぐ。こうやって知らないふりをするのは僕の日課だ。そうすれば彼女との会話を長く共有できるからだ。
そう、僕は彼女のことが好きなのだ。
彼女は真面目で、優しくて、人の話をきちんと聞く。リスのように目が大きく歯が出ているのが特徴的で愛らしい。彼女といると、ペットといるようで落ち着くのだ。
「なんだ、君は知ってるのかと思った。以外に知らないこともあるのね」
「御茶屋だからってお茶のことはわからないよ。うちの母ちゃんだって知らないと思うよ」
彼女にいいように答えてしまう。この癖は彼女を好きになってついたものだ。今までなら相槌も打たず、返事も返さなかったのだが、彼女に興味を持つようになって以来、僕はピエロのように大げさなリアクションをするようになってしまった。
《《人も発酵すれば》》、何にでもなれるかもしれない。
「僕はお茶よりも珈琲の方が好きだけどね。君のとこの珈琲はブラックが一番おいしいよ」
もちろんブラックなど好き好んで飲めない。彼女に好かれたいがために、彼女のバイト先の喫茶店に通っているのだ。ブラックといいつつ、きちんと砂糖だけは溶かしている。
「私はまだ飲めないけどね、苦いしさ。何が美味しいの?」
「落ち着くんだ、あの雰囲気で飲む珈琲はね。うるさくもないし静かでもない、あのちょうどいい浮力の中で飲む珈琲が好きなんだよ」
もちろん我慢して飲んでいる。まだ嫌いな抹茶を飲んでいる方がましだというくらいなのに、彼女のウエイトレス姿を見ていれば、味など気にならない。
「ふーん、そうなんだ」
彼女の瞳に陰りを見つける。今の反応は気に入らなかったのだろうか。
「まあ、いいや。またいつでも来てよ」
「ああ、もちろん。バケツで用意して貰っても構わないよ」
放課後、彼女は何もいわずに家に帰る。もちろん今日はバイトの日だっていうことも知っている。
僕の部活は茶道部だ。もちろん自分の意思ではなく、家族の意思で宣伝活動という名目で入っている。そっちの方が小遣いが3割増しになるからだ。
僕はその宣伝活動をして得た金で彼女の珈琲を飲みに行く。珈琲部があれば、迷わず入り、彼女の気を引こうとしているだろう。
……よし、今日もおまじない、と。
彼女の店が目に入り背筋を正し、自分に指を鳴らしながら暗示を掛ける。僕は珈琲が好きで、今が夏でもホットのブラックしか飲まない。彼女の店の珈琲は世界一美味しい。お冷だけは絶対に口にしない。
店に入ると、彼女が目に入った。今日もきちんとしたウエイトレス姿だ、この姿を見るために僕はここにいる。
「いらっしゃい、今日もいつものでいいの?」
「ああ、もちろん」
豆の種類などわかるはずがない。お茶の種類だってわかっていないのだ、彼女に出されたものをきちんと頂く。これが僕の流儀だ。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
まずは香りを嗅ぐ。もちろんわからない。どの珈琲だって同じだ、ブレンド珈琲も缶コーヒーの味もわからないのだから、意味はない。ただのスタンドプレーだ。
「ねえ、そういえば知ってる?」
彼女の得意のフレーズだ。僕が一人寂しく珈琲だけを飲んでいると、必ず声を掛けてくれる。彼女の言葉を聞きたいがために、本を持っていかないし、ただ一人でこの席に座る。
「お茶の中でもさ、花が開くお茶があるんだよ。工芸茶っていってさ……」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
次の日。
彼女は突然いなくなった。厳密にいえば、彼女は留学することになっていた。それは始めから決まっていて、僕が介入する余地のないものだった。
悔しかった。彼女にはよき理解者であると自負していたからだ。彼女にとって僕はただのクラスメイトの一人だと改めて思い知らされた。
唯一の救いは彼女の留学期間は 半年間だということ。彼女は父親のいる海外へ遊びに行くついでに勉強しに行くらしい。
きっと彼女にとっては何でもない行事の一つなのだろう。それがまたたまらなく僕の心を苛立たせる。
半年という期間は短いようで長い。僕達はその間、考え方も大きく変わるだろう。中学生が高校生に変わる速度は四季の変化よりも早いのだ。
一つの季節を越しても、僕はあの珈琲店に行くことはなかった。彼女のいない店に何の魅力も感じなかったし、これ以上、関わっては自分が傷つくだけだと思った。
季節は夏から秋へ変わり、冬へと入った。あの頃は半袖で風を浴びながら話していたが、今はマフラーにコートまで掛けている。
冬休みに入って部活動もなかった僕は仕方なく、家の手伝いをした。何も考えずに働くのは嫌いじゃない。単純な力仕事が意外にも頭を軽くしてくれる。
10月に取り入れた四番茶を運んでいると、体が動かなくなった。うちの店の前に知っている人物が現れたからだ。その人物はマフラーと耳宛をつけたままじーっと看板を眺めている。
……どうして彼女が?
半年といっていた期間よりも二ヶ月も早い。
「お、やっほー」
「どうしたんだ、いきなり」
僕は茶葉を担いだまま答える。この重い袋がなければどこかに飛んでいきそうなくらい不安定になる。
「ん?新年はやっぱり日本で過ごしたいなと思ってさ」
「そっか。ってそうじゃない」
普通に会話していることに驚きながらも彼女から視線を逸らしてしまう。きっと彼女にとって俺は本当に何でもない存在だったのだろう。だからこうやって時間が空いても店に気軽に来れるのだ。
「ねえ、知ってる? 新茶ってさ……」
「知らないよっ!」
反射的に体を背け答えてしまう。君に会えて嬉しいはずなのに。
「君が留学することも知らなかったし、君がどこの国にいったのかも僕は知らないよ」
「ねえ、聞いて?」
「聞かないよっ!」
大声で両手を振り回しながら答える。
「僕はお茶屋なのにお茶のことも、わからない。身近にあるものだってわかってないんだ、ましてや君のことなんて……」
「 ごめんね。突然いなくなって」
「本当だよっ!! どうして何もいわずにいったのさっ」
怒りを露わにすると、彼女は泣くどころか密かに笑い始めた。
「くくくっ、ごめんごめん。君には内緒にしときたかったの」
「どうしてさっ!?」
「だから聞いて?」
「今は聞きたくないねっ!」
どうしようもなかった。ただ彼女の顔を見た時に最初に感じたのは恐怖だった。僕は彼女のことを何も知らない、彼女も僕の気持ちを知らない、どうして彼女のことを知ろうとしたのかもわからない。
「そっか……」
彼女はそういって下を向いて黙り込んだ。その表情は初めて見るものだった。いつも明るい笑顔しか見たことがない僕にとっては複雑な心境だった。
「ごめんね、実は君に伝えたいことがあったの」
……知りたくない。
心の声はそういっている。だが体が硬直して何もいえずにいる。
僕が黙っていると、彼女は顔を上げた。
その目元には微かにだが液体が帯びていた。
「私ね、実は《《深煎りコーヒー》》が好きなの」
「え?」
聞いていない話だった。担いでいた茶葉が落ち、袋から葉が零れ柔らかい音が砂時計のように流れていく。
「飲めないって嘘ついてたけど、本当は好きなんだ。だからあなたがあの珈琲を好きっていってくれて嬉しかった。あなたにもっと美味しい珈琲をいれてあげたかったの」
彼女は大きく吐息をついた。その手は大きく握られている。
「だからさ、あなたが好きっていった珈琲を実際に見てきたの。向こうでは季節が逆転するからさ、珈琲の出荷を見るためには今しかない、って思ったの」
「うそ、マジ?」
「おおマジよっ!!」
彼女は目を背けずにいう。
「だからね、あなたを驚かそうと思って、黙っていったの。あなたが飽きないように色々な情報を仕入れにいってきたのよ」
「そうだったのか……」
僕は申し訳なくなり目の前にある袋のように萎んでいった。
「ごめん、僕が珈琲が好きだっていうのは嘘だ。一番好きなのは新茶の玉露なんだよ」
「え? 嘘?」
「嘘じゃないよ」
僕はきちんと彼女に思いを伝える。
「ブラックの珈琲は嫌いだ。砂糖なしじゃ飲めないし、抹茶の方がまだ飲める。僕があの店に通っていたのは君がいたからだ」
僕ははっきりと彼女の顔を見ていった。これ以上、隠し事はしたくない。
「だから君が海外に行くって聞いてから、あの店には行ってない。いっつも我慢して飲んでたんだ」
「うそ、マジで?」
「おおマジだよっ!!」
僕は思いっきり叫んだ。
「ついでにいえば、ウーロン茶は緑茶と一緒の茶葉だってことも知ってた、さらにいえば、紅茶だって一緒だ」
「うそ、マジ?」
「ああ、マジだよっ!!!」
空を見上げながら大声でいう。
「僕が好きなのは《《お前》》だけだよっ!!お前の《《ウエイトレス姿》》が見たくて通ってたんだよっ!!!!」
彼女の表情は変わらなかったが、瞳に陰りが見えた。ここまでいわなくてもよかった、という後悔を帯び始める。
「で、君はどうしたいの?」
「どうもしたくないよ」
僕は咄嗟に否定した。
「もう君に振り回されたくないんだ、だから……ここにはもう来ないでくれよ」
「そっか、そうだよね……」
彼女は踵を返した。
だがそのまま彼女は口にした。
「ねえ、知ってる? コーヒーの木にも花言葉があること」
「知らないよ」
「ねえ、知ってる? コーヒーの花は二日で雪のように消えてしまうこと」
「知らねえよ」
「ねえ、知ってる? 私が好きなのは、あなただけってこと」
「今、知ったよ……」
僕は小さく呟いた。
「……ねえ、知ってる? お茶にもカフェインが含まれていて、ウーロン茶や紅茶にも含まれていること」
「うんん、知らない」
「ねえ、知ってる? 珈琲よりも玉露の方がカフェインが多いこと」
「……知らない」
「……ねえ、知ってるかい? 僕は君が思っている以上に君のことが好きだってこと」
「……うん、それは知ってる」
そういって彼女は泣きながら笑顔を見せてくれた。
気がつけば彼女を腕の中で抱きしめていた。彼女の耳宛が頬にあたり心まで緩くなっていく。
どうして早く答えなかったのだろう。
僕は彼女が好きで、彼女に会いたいがために喫茶店に通っていたのに。
「ねえ、知ってる? 《《今》》、私がしたいこと」
彼女の瞳と唇に目を奪われる。これ以上は聞かなくても誰にでもわかることだ。だが敢えてここはこう、答えなければならないだろう。
「知らないよ。僕は君の気持ちなんて《《一生》》わからないだろうから、教えてくれよ」
読んで頂きありがとうございます。
初めて書いた短編です、意外にすんなりと書いてしまいました。
ただ、完成度は……聞かないで下さい(笑)
これから、短編を書くことがあれば、載せていこうと思います。
お気軽にどうぞ、ゆっくりしていって下さい。