99.変わらなかった未来
レイテア魔術士団長のレイビアスはそれからすぐにユクの離宮へとやってきた。
カレヴァが転移の法円を持っていたようで、離宮の入口に出迎えに行く手間もなく、彼は真澄たちの目の前に姿を見せた。
年の頃は四十の中だろうか。
あまり背は高くなく、見た目に偉丈夫とは言い難い。
目の下には僅かに隈があり、少しこけた頬に疲れが滲んでいる。しかし厳格な眼差しと引き結んだ口元が醸し出す空気が、決して侮ってはいけない相手だと物語っていた。
「お初にお目にかかります。レイテア魔術士団を預かっておりますレイビアス=ヴィレンです。本来であれば王都にてお迎えして正式にご挨拶申し上げるべきながら、それが叶わず大変恐縮です」
加えてアークレスターヴ殿下には大変なご無礼を。
重ねたレイビアスは深々と頭を下げた。
「律儀だな。俺はもう殿下と呼ばれる立場じゃない、気にするな」
「温かいお言葉痛み入ります。しかし宗主国要人へ刃向かうなどその場で処断すべき事態ながら、今しばらくお時間を賜りたく」
「処断か……まずは聞こう。詳しい説明が欲しい」
「無論、ここまで来て隠しだてするつもりはございません」
大変な醜聞ですが、と前置いて、レイビアスは経緯を語った。
大きな問題は、アルバリークとの戦争に対して国内、つまり政治の中枢が二分していたことだった。
言わずと知れた継戦派と停戦派である。
当然のことながら国王は継戦派。加えて王太子が継戦派筆頭であったがため、王宮内の要職にある人間は停戦を表立って口に出すと職を追われる恐れがあること、さらに政情不安定になることを避けたがために、レイテアは国として継戦の姿勢を崩さなかった。
しかし表向きはそうでも、実態は刻々と変化する。
戦争が長引くほどに増える戦死者、苦しくなる生活に、近年では国民の大部分が厭戦気分を抱いていた。魔術士をはじめとする軍への志願者は減少の一途を辿り、その一方で現有戦力が削られていき、レイテア魔術士団の弱体化は甚だしかった。
そしてアナスタシアからの警鐘も表向きは棄却されたが、予言された刻限が近づくにつれ陰で停戦派は着実に増えていった。
そして国王も年を取った。
だからこそ、今年の武楽会を契機に停戦協定を結ぶことが決まった。停戦派からの再三に及ぶ要請が繰り返される中、前線の状況を問われたレイビアスからの報告――既に継戦能力に限界が来ている事実――が、決め手となった。停戦派の長年にわたる働きかけが実った瞬間だった。
ところが協定締結が決まってから継戦派の中で不穏な動きが出始めた。これを阻止すべく、レイビアスは密かに特務部隊を動かしたのだ。
「ということは、魔術士団長は停戦派だったと」
「是も否も……回答はご容赦ください」
アークの合いの手に、レイビアスは複雑な表情のまま明言を避けた。
そんな様子にアークが目を細める。
「終戦を迎えて尚、まだ己の立場を明言できないか。レイテア内部の腐敗は余程進んでいたと見える」
「……反論はできません」
「苦労性だな。改めねば早死にするぞ」
そういう奴を知っている、と続けたアークの声には責める響きはなかった。
レイビアスは苦笑しながら「本来であれば」と呟いた。
「本来であればこの立場で口にすべきことではありませんが、……これ以上、部下の無駄死には見たくなかったとだけ」
自分達に本当に力があることを信じるのなら、人のものに手を出すより新天地に赴けばいい。着任当初、否、その前からずっとそう考えていた。呟いた士団長の横顔には深い思慮が浮かんでいた。
壮年でありながら、その目尻と頬には皺が刻まれている。
芳しくはない顔色に浅からぬ苦悩を見て取ったか、それ以上アークはレイビアスの立場について追求しなかった。そして区切りをつけるように、そのまま床に転がっている二人へと目を移す。
「それで? こいつらは王太子の側近らしいが」
「ご存じでしたか」
感服したようにレイビアスが息を吐いた。
「停戦に合意したのは国王陛下です。が、陛下より強硬な継戦姿勢を崩さなかったのが王太子殿下でした」
王太子は何度も国王へ継戦の重要性を直訴した。その度に国王は揺れ、しかしそれを停戦派の重臣が入れ代わり立ち代わり諌めてどうにか決定を覆すことなくやってきた。
その内に、停戦派の重臣三名が職を追われた。
追われたというと語弊がある。明確な証拠がない。見かけ上は体調面からの辞任が二人と家族の都合が一人で、理由としては不思議ではない。が、その三人はいずれも職を辞す直前までそのような素振りも噂も一切なかった。
その三人を皮切りに、役職の高低に関わらず王宮内での辞任が続いた。
協定締結の可決から武楽会までのそう長くはない期間に、二十人を超える主要文官が王宮を去った。
そして武楽会直前に、超大物――右大臣が殺された。彼は停戦派の筆頭だった。
下手人は上がっていない。
しかしレイビアスの危機感は一気に募った。その右大臣はもとは大魔術士で武官上がりだったからだ。
「ここまでやるか、と。信じられない気持ちで一杯でしたが、遺体が目の前にある事実は変わりませんでした」
レイビアスは右大臣の死に犯人の並々ならぬ執念を見た。否、人をも手にかけるそれはもはや妄執とさえ呼べるほどに。
犯人は理解していた。
大魔術士の口を封じるのは容易くない。ともすれば返り討ちに遭う恐れさえある。その危険を承知で殺した事実に、もはや次の標的は誰であってもおかしくはないと言えた。
相手に禁忌などない。
そんな確信が、特務部隊を動かす決定打となった。
「それゆえ、限られた時間ではありましたが王女殿下に護衛をつけた次第です」
「……解せんな」
淀みなかったレイビアスの説明に対し、そこで初めてアークが目を細めた。
「なぜ末のアナスタシアだった? 他の王族は皆彼女より上位だし、文官の要職もいる。その全員を守れるほど特務部隊の人間がいるとも思えん」
「……」
「言えないか」
「過去形でお話します。国王の命で王族全員を私が『監視』していました。無論、非公式にです」
打ち明けられた話にはアナスタシアが最も驚きを露わにした。
レイビアスは彼女を気にする素振りを見せながらも、アークから目を逸らさなかった。
「常時では気付かれますので、不定期ですが。国王は王族それぞれに護衛騎士という名の見張りをつけましたが、猜疑心のお強い方ですからそれだけでは不安だったようです。謀反の意志を見つけ次第報告する手筈となっていました。しかし王族は優秀な魔術士も多いですから、相応に防御をかけられたりすることもありましたし、――逆に国王が『監視』を受けることも」
「なるほど。アルバリークより激しい諜報合戦だな。恐れ入った」
「とはいえ、私から謀反の報告を上げたことは一度もございません。ただ王女殿下の件は」
ふと言葉を区切り、レイビアスの薄緑の瞳がアナスタシアを捉えた。
「職分を逸すると知りながらも看過できませんでした」
その部屋で話されていたのは国王への直接的な謀反の計画ではなかった。
あくまでも「レイテアは変わる必要はない」と。
その為には全てを最初に戻さねばならず、手段は選ばない。抑揚なく、教科書を読むように淡々と続く演説。語り部は一人で、彼を取り巻く者たちは一切の疑いも持たず熱心に耳を傾けている。さながら狂信者のごとく。その中でアナスタシア殺害は語られたのだ。
「赤の周期の警鐘。その提唱者がいなくなれば、後はどうとでも情報操作できる。実際のところがどうかなど知ったことか、死ぬ理由が魔獣か戦争か、どちらであってもどうせ死ぬなら構うまい。戦争が続く限り富は生まれる。その富を元に人も生まれ続ける。高貴なるものの為に、下賤の犠牲は許される」
そこまで言って、レイビアスはアークに視線を投げた。
「いかなる思想も自由であって然るべきですから、是非について私から申し上げることは致しません」
絞り出したような声に、疲れ切った肩だった。
レイビアスはあくまでも中立の立場を貫こうとしている。
しかし選民思想ともいえる極端な思想から、人を殺めるという恐ろしい計画とその実行を目の当たりにして、沢山の疑問符を飲みこんでいるような複雑な表情だった。
「ともあれ、万一を考えて今般の警護に至った次第です。私以外の誰も、本件は存じません」
だからこそ現行犯を確保する必要があった。
そう言って、レイビアスは彼の配下二人を見遣った。
「ご苦労だった。随分と難しい任務だったようだ」
「第四騎士団長がいらっしゃるとは知らず、さすがに肝を冷やしました」
労われたカレヴァは、半ば引きつった笑いを浮かべながら彼の足を指差した。
曰く、王太子側がアナスタシアに手出しする理由になるよう、彼ら二人はあえてアークの罠に軽くかかり手傷を負ったらしい。が、軽くとは言うも罠の威力が桁違いで、薄氷を踏む思いだったという。
さらに他にいた三人の仲間などは本当に罠にかかってしまい、この部屋に辿り着くこともできなかった、と。
そんなカレヴァの報告を聞いて、レイビアスは首を二度三度と横に振った。
「三人を連れてくるように。撤収前に治癒をかけてやらねば」
「かしこまりました」
途中で戦線離脱を余儀なくされた同僚がそれなりに気になっていたようで、レイビアスの指示にカレヴァともう一人の魔術士はすぐに従った。
二人が部屋を出ていく。
完全に足音が遠ざかるまで見送った後、レイビアスは振り返ってアナスタシアに向き直った。そのまま流れるように膝をつき、頭を垂れる。
「久しくご無沙汰を重ねておりました。直接お話できずに今宵を迎えざるを得なかったご無礼、申し訳もございません」
「顔を上げてください士団長。レイビアス様、お願い致します」
頑なに動こうとしないレイビアスに対し、アナスタシアは傍に寄って手を添えた。
そっと。
疲れ切っているその双肩に。
「あなた様のご尽力でわたくしの命は長らえました。お礼と、……謝罪せねばならないのはわたくしの方です」
「謝罪? 何をおっしゃいます」
「兄がご迷惑をおかけしました。身内のことで大変に煩わせてしまいまして」
アナスタシアはそれ以上を口に出さなかった。
顔を上げたレイビアスが立ち上がる。投げかけられた薄緑の視線を避けるように、アナスタシアはレイビアスから僅かに顔を逸らした。
「わたくしは、士団長とお兄様のお二人が組んでいるものだとばかり……ですから、嬉しいのです。レイビアス様が、わたくしの思っていたレイビアス様であられたことが」
俯きがちながらその唇には笑みが浮かんでいる。しかし声の震えは隠しきれていなかった。
嬉しくて泣いて、だから震えているのか。
彼女の言葉を額面どおり受け取ればそう解釈もできるだろうが、決してそうではないはずだった。
誰も声を掛けられない。
元よりその可能性を指摘していたアークは、慰めも何もなく静観している。自分の力で立ち上がるのを待つかのようだ。ライノは憤りを隠せていないが、言葉が見つからない様子でいる。真澄にしてもそれは同じで、何を言っても気休めにしかならないと思うと自然と口が重くなった。
そんな中、レイビアスがローブの乱れを正す。
ぱたり。
柔らかな布の音を後押しとしたのか、彼は「一つだけ」と呟いた。
「誰であっても今日のこの日は変わりませんでした」
レイビアスが真っ直ぐにアナスタシアを見つめる。
「王女殿下が憎まれたから、ではありません。その位置に――停戦のきっかけとなる起点に――いたなら、たとえそれが御母堂であられたとしても同じ未来でした」
仲の良かったきょうだいが、袂を分かつ。
もはやそれは単純な愛憎ではなかった。
「ですから、過去は過去のまま御胸に。どうか」
懇願とも取れるレイビアスの言葉。真意をどう受け取ったのか、アナスタシアの頬を涙が伝う。
透明な滴は音もなく、床の絨毯に染みこんでいった。
* * * *
深夜を越えて、時刻は既に明け方近くなっていた。
一眠りするような空気でもなく、真澄はソファに座ったまま赤く燃える暖炉を見つめていた。その横でアークとレイビアスは今後についてを話し合っている。
魔術士二人の王都への連行はレイビアスが請け負うことになった。
彼ならば任せられるということで、アークは夜が明けたらすぐにユクを発つ意向を示す。レイビアスは頷き、それからどこに送り届ければよいかと尋ねてきた。
「問題なければ帝都でも構いません。自由転移でお送りしますゆえ、お望みの場所へ」
「さすが士団長だな。だが場所は当初予定どおりノストアでいい」
「しかしそれでは帝都まで距離がございますが」
「構わん。寄り道する場所がある」
「左様でございますか。ではノストアで決まりですね」
「頼む」
深くは詮索しない態でレイビアスは頷いた。
「ところで処断の件だが」
と、アークが拘束されている魔術士を顎で指す。レイビアスが背筋を正した。
「士団長に任せる」
「……は、……? と、いいますと?」
「俺に対する不敬は不問にする。レイテア内だけでもこれから忙しくなって色々と面倒だ、そこにアルバリークを入れると余計にややこしい」
「しかしそれでは示しがつきません」
「本当に律儀で真面目だな。どこぞの近衛騎士長を思い出す」
肩を竦めるアークの脳裏に誰が浮かんでいるのか、真澄にはすぐに分かった。
思わず吹き出してしまう。
そんな様子を見て褒められているわけではないと悟ったか、レイビアスが困ったように眉を下げた。そこにアークが「どうしてもというなら」と重ねた。
「一日も早く魔術士団を立て直すことで返してくれ。士団長ともなればエルストラスの件は既に耳に入っただろう」
レイビアスの顔色が変わった。
薄い唇が噛みしめられる。
「……御意に」
魔術士団長が腰を折って頭を下げた。
こうしてユク離宮での騒動は決着がつき、短いながらも密度の濃いレイテア滞在は終わりを迎えたのだった。




