98.懐刀
しばらくして、罠を張り巡らしてきたというアークとアナスタシアが戻ってきた。
「これで最低でも半数は潰せるだろう」
できれば魔の蛇よりも魔術士が多くかかればいいが。
呟きながら首を回すアークに、真澄は先ほどの話を切り出した。
王太子の側近が混ざっていた件だ。
それを聞いたアークは思案顔を見せたが、「どうあれあまり変わらんな」と評した。
「魔術士団長であれ王太子であれ本人たちが出てくるならまた違うだろうが、その配下だけなら今夜の大勢に影響はない。どちらであっても拘束して王都連行、そのまま投獄だ。沙汰はアルバリーク側で詮議され決定される」
と、ここまで淀みなく述べたアークが「あ」と何かを思い付いた顔になり、次いで面倒くさそうに渋面を作った。
「……俺か。俺がやらなきゃならねえのか、それ」
「なにを?」
「連行。相手に魔力枯渇と身体拘束をかけたところで終わりじゃない。仮に移送途中でもう一悶着あった時に対処できなきゃ話にならん」
この二人にできると思うか。
半目のアークに問われ、真澄は少し考える。一悶着とは例えば仲間が彼らを取り返しに来た場合などを指すのだろう。そんな場面を想像して三秒後、結論は出た。
「うん、無理だと思う。ライノがカスミちゃんレベルならいけたかもしれないけど」
カスミレアズ=エイセル、お堅く真面目で歴代最強との誉れ高い第四近衛騎士長の顔が脳裏に浮かぶ。
今朝方に別れたばかりだが、今の状況を彼が知ったらまず間違いなく説教されるだろう。そもそもそこまで世話を焼いてやる必要があるのかとか、そういえば「用事が増えた」と訂正の連絡さえ入れていない件についてはバレたら確実に怒髪天だ。
「カスミちゃんといえば、帰るの遅くなるって連絡いれといたら? まあこっちは乗りかかった船だしいいでしょ」
付き合うわよ、と付け加えるとアークが一つ頷いた。
ちなみにアナスタシアとライノは首を縮めて申し訳なさそうにしている。「これも縁だから気にしないで」と真澄が言うも、アナスタシアはひたすら頭を下げるばかりだった。
「それにしても、随分自信満々ね」
未来が既に確定しているようなアークの物言いに、思わず真澄は訊ねていた。
するとアークがふん、と鼻をならした。
「第四騎士団を舐めてもらっちゃ困る。たかが魔術士の数人をさばけなくて総司令官を名乗れるか」
なんとも豪気な言葉である。
はいそうでしたねと相槌を打つ真澄の横で、ライノが信じがたいものを見るような畏怖を抱くような複雑な面持ちでアークを見ていた。
* * * *
吹雪は止む素振りを見せるどころかますます厚くなり、早々に夜が訪れた。荒れ狂う風の音に、外の動きはまったく知れない。
時計の針が進む音だけが部屋に響く。
夜は刻々と進んでいくが、緊張のせいか空腹を覚えることもなく、また無駄話をする気持ちの余裕もなかった。
部屋の中央に置いたソファにはアークが腕組みをして座っている。その彼がふと閉じていた目を開け、「第一が突破された」と呟いた。
「第一って、防衛線の?」
「そうだ。……第二も破られた。中々素早いな」
感心したような口振りのアークが時計を見る。時刻は日付が変わる少し手前を指していた。
残る第三防衛線を越えると、辿り着く先はこの部屋だ。敵は確実に近づいている。アークの指示で真澄とライノは部屋の隅へと移動し、アナスタシアはアークの横に立った。
アナスタシアの顔は緊張に蒼褪めている。
当然のことながら真澄も身体が強張っているし、ライノも無言で拳を握りしめている。その中でただ一人悠然とソファに座るアークはさすがとしか言いようがなかった。
誰も喋らず、耳をそばだてる。
やがて敷かれた絨毯にくぐもった足音が迫ってきた。
「本当に間違いないのか。これも罠では」
「しかし残るはこの部屋だけだ」
「これ以上手数を失うのはご免だぞ」
扉の向こうで疑心暗鬼の声がする。
最初にアナスタシア一人で対峙した時とは違い、今回は扉に認証などの防御策を施していない。それが相手を躊躇わせているらしく、やりとりを聞いてアークの口の端が上がった。
「ここまで来たならさっさと入ってこい。罠はもうない」
はっきりとアークが告げる。
途端に扉の向こうが静まり返った。ますますアークの笑みが深くなる。「防衛線は良い仕事をしたようだな」と、これは室内にだけ聞こえる声だった。
少し待っても扉は開かない。
声は聞こえなくなったが、明らかに敵方は目配せし合って思案していると知れた。
「敵から勧められたら余計に怪しいわよね」
見ていた真澄は、アークの言うとおり扉には特に罠が張られていないと知っている。むしろ中央にいるアークそのものが罠より性質が悪いくらいだと思うが、普通の神経ならば敵の言葉は疑ってかかるのが常套だ。
同意を求めて横を見ると、ライノが肩を竦めて「どれだけ怪しかろうと、ここで帰るって選択肢はないぞ」と言った。
言われてみればそのとおりである。
さてどうなるかと真澄が視線を戻した時、扉が慎重に開かれていくところだった。
ギイ。
木の軋む音と共に扉がゆっくりと動く。全てが開いた時、そこに立っているのは四人の魔術士たちだった。
「っ……まさか本当に」
一人が小さく呟く。
明らかにアークの存在に驚き、同時に疎ましく思っているであろう響きだった。
「よく来た。事を構える気であるのは間違いないな」
一方受けたアークはいっそ楽し気に返す。
「離宮探索は楽しんでもらえたようで何よりだ」
アークの視線は四人の魔術士を順に捉えていく。
盾のように前に出ている二人は既に手傷を負っているらしく、一人は右腕のローブが裂け、もう一人は足元が同じように焼け落ちている。そして顔も露わになっていた。後ろに控えている二人だけが無傷のようで、完全な黒衣を保っている。
ライノの報告では敵の頭数は十二人。
八人が罠にかかりここまで辿り着けなかったらしい。半分以下に減った手勢ながら、それでも彼らはここに来た。どうあってもアナスタシアに消えて欲しいというのは本当のようだった。
「どこからでも、誰からでも構わんぞ」
さあ、とアークが顎を煽る。
「かかってこい」
アークの身体から青い闘気がゆらりと滲む。
だが本物の第四騎士団長に怯んだのか、前にいる手傷を負った二人は互いに目配せを交わしつつも一歩下がった。
「どうした、獲物は目の前にいるぞ。それともこの期に及んで腰が引けたか」
アークが「獲物」と呼んだアナスタシアを指差しながら立ち上がる。その動きに対し、足の傷も露わに魔術士が前に出ようとする。呼応するようにアークが長剣の柄に手を伸ばした。
「待て、この間合いでは」
腕に手傷を負った魔術士が、出ようとした一人を押し留める。
「放せっ」
止められた方は身体をよじり腕の拘束を外そうとした。
その声は、アナスタシアに対して首を貰うと宣言した男のものだった。
「どちらであろうと私が行く手筈だった」
「駄目だ」
そのまま彼らは揉みあうようにしながらも、じりじりと扉へ数歩下がった。ぎこちなく不自由を感じさせる動きだ。どうやら二人とも深手を負っているらしい。
回復もできないほど罠で消耗させられたのか。
しかしそんな彼らが先陣を切ることに、真澄は僅かに違和感を覚えた。後ろの二人がなぜ出てこないのだろう。
彼らの動きを見たアークが一歩を詰めた。
「来ないならいい、四人まとめて片付けてやる」
その左手に一気に青い極光が膨らんだ。
「くっ……!」
焦りを隠さない足傷の魔術士が赤紫の光を手に宿す。が、それを押し留めたのはやはり先ほどと同じ隣の魔術士だった。
「待てまだ早い!」
「ええい役立たずが!」
制止と同時だったその罵倒は、無傷の魔術士からだった。
二人の魔術士を押し退けた手から萌黄の光が放たれ、アークに向かう。溜められていた青が真正面からぶつかり、昼の太陽より明るく光が弾けた。
目が眩む。
もう一人の無傷の魔術士が動いたのはその瞬間だった。
彼はアナスタシアに向かって同じく萌黄色の光を差し向けた。構えていたアナスタシアが応戦する。が、光に紛れて魔術士は突如走り出し、そのまま懐から取り出した短剣をアナスタシアに振り上げた。
「えっ」
魔術士なのに接近戦。
不意を衝かれ、アナスタシアが驚愕の声を漏らす。ライノが腰を浮かし、アークが長剣を抜く。体勢を崩したアナスタシアに凶刃が迫り、
「そこまでだ」
落ち着いた低い声が、部屋の中の全ての動きを止めた。
「……え?」
もう一度アナスタシアが驚きの声を出したが、それは先ほどとは変わって怪訝さが大部分を占めていた。
アナスタシアを狙っていた短剣は宙に静止している。その持ち主は、自身の喉元に別の短剣を突きつけられて身動きが取れなくなっていた。
突きつけているのは、足に傷を負って歩みがおぼつかなかったはずの魔術士だ。
先ほどまで浮かべていたはずの苦悶の表情はすっかり消え失せ、鋭い目つきで捕縛した相手を見据えている。
気付けば、腕に傷があった魔術士も同じようにもう一人を取り押さえている。アークに向かった魔術士は、背中からの急な拘束に目を白黒させている。しかし赤紫の光はがっちりと無傷の魔術士を拘束しており、間違いなく身体拘束の術がかかっていると知れた。
突然始まった仲間割れ。
状況が飲みこめず注視していると、足傷の魔術士が口を開いた。
「こちらは士団特務部隊だ。アナスタシア王女殿下へ刃を向けるという明確なる不敬罪で貴様の身柄を拘束する」
「なんだと!?」
拘束された魔術士が傍目に分かるほど驚きを露わにした。
「馬鹿な! 素性は確かに」
「詐称が得意なのは自分たちだけだと思っているのなら、考えを改めた方がいい」
もっとも、改めたところで活かされる機会は来ないだろうが。
そう言いながら足傷の魔術士は相手に身体拘束をかけ、短剣を引いた。どさり、と鈍い音を立てて男が倒れる。
「特務部隊二人の前での現行犯だ。これまでのように言い逃れはできない。背後にいる人物についても洗いざらい喋ってもらう」
「ふん、勝ったつもりなら甘……っなに!?」
「特務部隊の拘束を甘く見ないでもらおう。自ら命を絶つことはできないし、こちらの要求に従わねば死より辛い苦痛が永劫貴様を苛むことになる。恩赦も期待するな。理由は自身が誰より分かっているだろう」
いっそ冷淡なほど事務的な口調だ。
宣告された内容に、拘束された男が言葉を失った。それ以上の抵抗はないと判断したか、足傷の魔術士――特務部隊の一人が居住まいを正し、アークとアナスタシアに向き直った。
「突然のご無礼大変申し訳ありませんでした。私はカレヴァと申します。私とあちらの魔術士は士団特務部隊の者です。レイビアス魔術士団長よりアナスタシア王女殿下の御身をお守りするよう命じられておりまして、こちらに参じた次第でございます」
「それにしちゃ随分と余計なのがいるようだが」
毒気を抜かれた顔でアークが指さすのは床に転がる二人だ。あまりにも急転直下すぎたせいか、言葉も雑になっている。
カレヴァと名乗った魔術士は、そこで苦りきった表情になった。
「お恥ずかしい話ですが、大変込み入った事情がございまして」
「だろうな。説明してもらおうか」
「かしこまりました、と申し上げたいところですが、少々お待ち頂けますか? 士団長より直接ご説明申し上げますゆえ」
「レイビアスとやらか? ここに来ているのか」
「いいえ。今は王都におりますが、これより参ります」
簡潔に述べたカレヴァは次に赤紫の光を右手に宿した。
光は美しく細長い魚に形を変える。
そしてそれはくるりと宙を一泳ぎしてから、姿を消した。