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ドロップアウトからの再就職先は、異世界の最強騎士団でした~訳ありヴァイオリニスト、魔力回復役になる~  作者: 東 吉乃
第三章 生き方の決め方

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95.すぐそこにある綻び


「正直に話してくれてありがとう」

 言いながら、真澄はアナスタシアの背にそっと手を添えた。

 俯いていたアナスタシアが弾かれたように顔を上げる。彼女は可憐なばら色の唇を震わせて、「わたくしのしたことは……」と後悔の念をその目に浮かべていた。

 裏表のない子だ。

 叱責されれば真摯にそれを受け止めようとする。真澄はそんな彼女を好ましく思うし、だからこれ以上抗議を重ねるつもりはない。

 どうあれ現実は変わらない、というのもあるが。

「気にしないでって言うのも変だけどね。もう帰れないんだし、仕事はどうにかするし……そうだ、仕事、どうする?」

 ぱち。

 思わず真澄は両手を合わせた。

 アナスタシアはアークの専属になるがためにわざわざ真澄を召喚したのだ。求婚のことはさておき、真澄としては専属を譲ることに異存はない。

 そもそもがスパイ容疑から始まった話だ。

 真澄がこの世界に来た理由もはっきりしたことだし、形にこだわりはない。あくまでも真澄としては、だが。

 アークを窺うと未だ不機嫌のまま「専属になる必要はない」と一刀両断された。

 アナスタシアが小さくなる。

 さすがにあんまりな態度な気がして、やんわりと真澄は取り成した。

「ちょっと、さすがにもう少し考えてあげたら? せめて実力見てからとか」

 断るにしても断り方があるだろう。

 暗に諫めると、「そういうことじゃなくて」と返ってきた。

「レイテアとの戦争は終わると教えただろう。もう忘れたのか」

「……そういえば」

「こいつは停戦の為に専属を望んでいたわけだ。停戦どころか終戦となれば専属云々の話はするだけ無駄だろう」

 真澄に言い含めてから、アークがアナスタシアに向き直った。

「どこまで耳に入っているか知らんが、レイテアはアルバリークの庇護下に入る。対価は戦争の終結と魔術士団の併合。国同士の条約締結だ、お前がお前自身を犠牲にしなくても約束は必ず果たされる」

「え……っと……?」

 アナスタシアが目をしばたく。その仕草は十代相応に幼くて、彼女の素が初めて見えた。

 険しかった眼差しをアークが僅か緩める。

「その様子だと知らなかったようだな。ついでにもう一つ教えてやる。統治機構が変わるということは、レイテアの王族は王族じゃなくなる。アルセ族のような辺境部族と同じ扱いだ。この意味分かるか」

 アナスタシアの答えはない。

 もとより待つつもりもないのか、さっさとアークは続けた。

「好きなところに嫁げばいい。お前が誰と一緒になろうと誰も文句は言わん。言う理由がもうない。レイテアの行く末はアルバリークの上層部が責任を持って考える話であって、もはや政略結婚もへったくれもない。心がけは立派だが考えるだけ無駄だぞ」

 むしろ面倒な相手を見繕われる前に、戦後のどさくさに紛れてさっさと自分で決めてしまえ。

 言いっ放しの評である。

 アナスタシアは戸惑いを浮かべたまま固まっていた。

「わたくしにできることはもうない、ということでしょうか」

「お前な、――お前はその思い詰めるというか極端な思考をどうにかしろ」

 またしてもアークが説教口調に戻った。

 あ、と。

 真澄の経験が警鐘を鳴らす。そっと窺うとやはりというかなんというか、アークの額にはくっきりと青筋が浮かんでいた。

 これは長くなりそうだ。

 横で聞いている真澄は思わず肩を縮めた。そんなことお構い無し、アークは第四騎士団節を炸裂させる。

「国の往く末を憂うのは大切なことだ。だがそれはお前一人で背負うものでもない、これは言ったとおりだ。とはいえお前は熾火なんだろう。できることがないだと? ふざけるなよ、叙任をする――誰かに人生をかけさせるなら、お前自身がそれを裏切るな!」

 バン!

 アークの武骨な掌がテーブルを叩く。拳ではないだけまだ手加減しているか。

 しかし急に上がった大きな音に糸が切れたか、アナスタシアの瞳から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。

「ちょっと、もう!」

 慌てて真澄はポケットから青いハンカチを引っ張り出す。

 金糸で縁取られたそれでアナスタシアの頬を拭ってやる。けれど後から後からあふれる滴は止まらず、碧空の布はあっという間に海のような深い色に変わってしまった。

「十一も下の子に厳しすぎよ?」

 と取り成すも、アークはまったく取り合わなかった。

 それどころか「迷惑被ったのはお前なのに甘過ぎる」と流れ弾が飛んできた。

「いいか、十八なら充分大人だ。思いついたのが五年前でその時は子供でもここに至るまで翻意する時間はいくらでもあった。にもかかわらず少なくとも成人してからの三年間こいつは叙任を続けてきて、その上で魔術士生命を代償として使った。確かに熾火であっても代わりはいるのは事実だ。こいつじゃなきゃならんということもない。だがそれは無責任な振る舞いをしていいという話じゃないんだ。お前を信じてお前のもとに集い、お前の叙任を受けた人間たちにどう説明するつもりだ」

 厳しいが相変わらずだ。


 だから真澄は、アークの生き様を眩しいと思う。


 その強い光に目を眇めて、その拍子に涙がこぼれそうなほど。いつどこで誰を前にしても変わらない信念だ。目の当たりにする度に尊敬して、同時に遠い人だと思い知らされる。

 短慮であったとしても、アナスタシアならいつか似合いになれる気がするのに。

 そんなことを考えながら、真澄は二人を見ていた。

「それで、……その契約はどうにかならないのか。例えば俺の魔力を補填してお前の寿命を取り戻すとか」

 説教モードのままながらアークが問う。

 言うべきことは誰が相手でも余すことなく言うが、同時に尻拭いというか面倒は最後まで見る人間だ。

 割に苦労性である。

 さてどうなるかと思いきや、アナスタシアは涙を拭ってしっかりとアークに向き直った。

「ありがとうございます。ただこれに関してはいかなる上書きもできません。ほとんどの古式魔術に当てはまることですが、得られる効果の大きさと引き換えに不可逆性がついて回ります」

 アークの盛大な舌打ちが部屋に響いた。

「早まりやがって……」

 そして天を仰ぐ。

 黒曜石の瞳が壁を捉えた時、時刻は正午を迎えようとしていた。


*     *     *     *


 アナスタシアが真澄に会いたがっていた主目的は果たされた。

 これ以上レイテアに長居する理由も時間もないということで当初真澄とアークは早々に出立しようとしたのだが、帰りは転移で送るというアナスタシアからの申し出があり、お礼も兼ねてと豪勢な昼食に招かれた。

 卓についているのは三人だ。

 充分な広さの部屋だったがライノは壁際で立っている。冬を前に温かな湯気の立つカボチャのスープから食事は始まり、アルバリークほど香辛料は効いていないが優しい甘さ、味の皿が続く。途中出てきた焼きたてのパンに手を伸ばしながら、ふとアナスタシアが呟いた。

「ある意味で魔術士というものは、最も不自由な存在なのですわ」

 騎士のようにいざという時に己の身体を張ることもできず、楽士のように誰かを助けられるわけでもない。

 その力は絶大な威力と引き換えに、あくまでも支えてくれる存在がなければ成り立たない。常に足枷がついているも同然なのだ。

 そんな不完全な存在であることに葛藤を抱く者も多い、と彼女は語った。

「だからせめてもと自分たちの使える多彩な魔術、豊富な魔力に誇りを抱き、必死に自分たちがそこにいる価値を見出そうとしているのかもしれません」

 アナスタシアが目を伏せる。

 それを見た真澄は声を掛けた。

「そんなに卑下しなくてもいいんじゃない? だってお互いさまでしょ?」

 できないことを挙げるのならば、ほとんどの騎士は魔獣の群れ一つを跡形もなく消し去るような芸当はできないし、そもそも楽士は戦えない。

 完璧な存在などそうはいないものだと諭してみるも、アナスタシアは痛そうに笑うばかりだ。そして「武楽会で気付かされました」と続ける。

「そんなわたくしたちの考え方はまだ甘いのでしょう。アルバリークの大魔術士様はそれを教えてくださったように思います」

「大魔術士って、まさかフェルデのこと?」

 思わず真澄の片眉が上がる。

 ある意味駄々っ子のようなあの男が人に何かを説けるとはとても思えないのだが、アナスタシアははっきりと首肯した。

「わたくしは赤の周期が厳しいものになると分かっていながら、魔術士としての在り方……研鑽とも言いましょうか、それを周囲に伝えて(きた)るべき時に備えるという努力はしてきませんでした。わたくし自身がどちらかというと攻撃系よりも補助や守りが得手というのもありますが、言い訳です」

 フェルデは団体戦の時分にレイテアの首席に言ったらしい。

 この程度で魔術士を名乗るつもりかと。

 あまりにも違いすぎた実力に、レイテア側の誰も反駁できなかったという。

「間に合うかどうか分かりませんがこれから頑張ります」

 戦争は終わって、もうそこに憂いはないから。

 そう言って笑ったアナスタシアは大きな荷物を降ろしたような、長い旅を終えたような目で、手元の食器を見ていた。



 たっぷりとした昼食の後、お茶を飲んで休んでいる間にアークはカスミレアズへと伝令を飛ばしていた。

 いつもどおり碧空の鷲だ。

 用事が早々に片付いたので戻る。まったく簡潔な一文のみを飲み込んで青い翼はレイテアの曇り空へと消えていった。

 鳥の行方を目で追っていたアナスタシアがふと視線を戻す。そして、

「マスミさま。最後に一つお願いがあります」

 既に空になったティーカップを静かに置いて、彼女は居住まいを正した。

 神妙な面持ちだ。

 真澄は口にしていた小さな焼き菓子をお茶で流し込み、「なあに?」と返した。

「私にできることならいいけど」

「おいマスミ、中身も聞かずに安請け合いするな」

「いいじゃないちょっとくらい。できないことはちゃんと無理って断るわよ」

 アークの小言をいなしつつ、真澄はアナスタシアを促す。すると彼女から請われたのは意外な内容だった。

「わたくしのヴィラードを一度見て頂けませんか」

 自分のなにが駄目で、どうしたらより良い演奏ができるのか。

 どうか厳しく指摘してほしいとアナスタシアは懇願してきた。

 思わぬ願いに真澄は面食らった。

 レイテアとアルバリークの戦争は終わる。だからアナスタシアがこれ以上楽士として一級線になる必要はないはずなのだが。

「見るのはまあ、構わないけど……でももう頑張らなくてもいいんでしょう?」

「それはそうなのですが」

 困ったようにアナスタシアが笑う。

 緑の瞳はなにかを探してさ迷っていた。

「ええと……確かめたいのです。自分が結局どこまでできたのか、釣り合うのは正騎士なのか真騎士なのか、それともまったく話にならないのか」

「……そう? じゃあ帰る前に見ましょうか。腕、治してくれたお礼ついでに魔力も回復するわ」

 二人きりではない状況ゆえ、真澄はそこで話を切り上げた。

 真面目な言葉のその向こう。

 傍目八目とはこういうことを指すのか、どうにもアナスタシアの中に淡い想いを感じ取ってしまうのだが、あまり踏み込むと色々なことを余計に暴いてしまいそうだ。

 本人たちが口に出さないものを他人がどうこうは言えない。気にはかかるがそれを振り切るように、真澄はヴァイオリンケースを開けた。

 弓を張り、調弦しながらアナスタシアにも準備を促す。彼女は別室に置いてあるというヴィラードを取りにライノと出ていった。

 戻りを待つ間に真澄は持ち合わせている楽譜の束を引っ張り出す。その中には武楽会中にアルバリーク様式に変換したものがいくつかあった。

「こんなに早く役に立つとはね」

 独り言を呟きつつ物色する。それは真澄が帝都に戻ってからやろうとしていたこと――楽士の養成所を創る――ための道具だった。

 まだ数は少ないが、実力を量るのに重要なのは初見で弾ける曲の難易度だ。

 少し考えて一葉を真澄が選んだ時、アナスタシアたちが丁度戻ってきた。

「準備ができたらこの曲を見て。最初の十五分は練習していいわ。その後に合わせましょう」

「合わせる?」

「これ、独奏(ソロ)じゃないの。ヴィラード二つで完成させる曲でね」

 説明しながら真澄はアナスタシアに楽譜を手渡した。

 選んだのはバッハだ。


 『二つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV1043』は、全部で三楽章から成る。全てを弾くのは長くなるので、最初のヴィヴァーチェのみ真澄は使うことにした。

 短調ながらその主題は重厚絢爛で、第二ヴァイオリンから始まるそれは第一ヴァイオリンにも引き継がれ、何度も現れ耳に残る旋律だ。

 1730年頃の作曲とされるが、バロック時代の大作として非常に名高い。

 そしてもう一つ特筆すべきは、この協奏曲では二つのヴァイオリンに優劣は全くつけられていない点である。

 よって、演奏者としては互いの力量が知れる、つまり並び立つに同格か否かが如実に分かるという側面を持つ。


 真澄は第二ヴァイオリンを取った。

 しかし既に何度も弾いていて暗譜しているので、今さら練習はしない。自分の弾く音でアナスタシアを萎縮させてはいけないという配慮もあった。

 元よりアナスタシアが真澄に匹敵する実力を持つとはさすがに思っていないからだ。

 真澄は楽譜をめくりながら十五分を待った。

 もちろんその間はアナスタシアの練習の様子を見ている。初見の楽譜に悪戦苦闘している姿から、冒頭の20小節も厳しいだろうことが窺い知れた。

「そろそろ始めましょうか」

 真澄が声をかけると、アナスタシアが額の汗を拭った。

「もう時間ですか」

「別に試験ってわけじゃないから緊張しないで。弾けるところまででいいわ、楽しく弾きましょ」

 横に並びながら肩を叩いてみる。はい、とはにかみながら応えてくれたアナスタシアはやはり可憐だった。

 深呼吸を一つ。

 そして真澄から弓を走らせる。

 心持ち遅めのテンポで始めたが、アナスタシアは然るべきタイミングでしっかりと曲に入ってきた。思わずマスミの頬が緩む。そのまま弾き続けていって、しかし予想通り途中でアナスタシアの手は止まってしまった。

 音が途切れ、部屋に静寂が訪れる。

 アークとライノは真澄たちを注視しているが、口を挟んではこなかった。

「申し訳ありません、これ以上はわたくしには」

 落胆して俯くアナスタシア。

 真澄は楽器を下ろして彼女に向き直った。

「謝ることなんてないわ。そもそも初見でこれを私と同じように弾けるなら、私はここに呼ばれてなかったわけでしょ?」

「……そうでした」

「ほぼ独学で良くやった方だと思うわ。今は正騎士レベルでどうにか、かな。音感を毎日欠かさず鍛えて、弾き方の癖を矯正したら真騎士くらいまではいけそうよ」

 良く頑張った。

 熟練してはいないが、まったくの素人でもない。お世辞でもなんでもなく、これからの練習次第で伸びる素質はありそうだった。

 そんな真澄の評に、「本当ですか!?」とアナスタシアが飛びついてくる。

 両手をわしづかみにされ押されながら、真澄は三回ほど「嘘なんてつかない、つく意味がない」と繰り返す羽目になった。

 その必死さは誰のため? と。

 口にするのは無粋すぎるので慎んだが、その一途さをどこかで羨ましいと思ったのもまた嘘ではなかった。


*     *     *     *


 その後真澄が模範演奏も兼ねて何曲か披露し、アナスタシアの魔力は無事に回復された。

 これで帰路に支障はなくなった。

 ある意味で真澄がこの世界で求められた本来の役目も果たした格好だ。

 アナスタシアは「悔いはない」と晴れ晴れした顔を見せつつ、そんな彼女の案内で最初の部屋へと戻る。中にはライノが控えていて、部屋の中心に法円を描いた羊皮紙が準備されている。それを覗きこみながらアークが転移先を訊ねた。

「ノストアへ参ります」

 アナスタシアが答える。

 次いで彼女は、自在に出口を指定できる自由転移は魔力が足りなくてできないのだと詫びてきた。

「この法円を使う指定転移ならばできますが、さすがに国境を越えるのはあまりにも危険でしたので……」

「つまりノストアにいる誰かが出口の法円を持っている、ということか」

「左様でございます。わたくしの侍女の遠縁で魔術のことは詳しくありません。集落から少し離れた薪小屋に鍵をかけて保管するよう伝えていますから、そこから街道を往けば」

「半日で国境だな。充分だ」

 アークの頭には明確に地図が浮かんでいるらしく、確信に満ちた声だった。

 くすぐったそうにはにかみながらアナスタシアも頷く。彼女が白く細い手をかざすと、法円はまばゆいばかりのばら色に輝きだした。

 準備万端だ。

 円の中に入ればあっという間に術が起動して、アナスタシアともライノともおそらくこれきりとなるだろう。

「……元気でね」

 真澄の口からは当たり障りのない言葉しか出なかった。

 本当は二人に伝えたいことはいくつかある。けれどそれはいつかもう一度会えることを前提とした内容で、これから先会えるかどうか分からないのにそれを言うのは不躾なような、あるいは距離を詰めすぎなような気がして、結局飲み込んだ。

「どうあれまあ、励むことだ」

 真澄の胸中を知ってか知らずか、アークもまた余計な修飾は一切なく別れを述べる。

 アナスタシアの万感こもった一礼を受けて、真澄とアークは法円に入った。

 光が天に向かって差し伸びる。

 美しい光がすぐに全てをかき消すから、最後までその可憐な姿を焼き付けようと真澄はまばたきもせず見ていた。


 さよなら。


 何度口にしたかもう覚えてもいない言葉を小さく呟く。

 身体中を塗りつぶすような寂しさを感じながら、真澄は背中に回されたアークの腕に身を預けた。

 光が満ちる。

 真澄がそっと目を閉じた時、その音は来た。


 パキン、と。


 懐かしかったあの旋律ではない。

 氷が割れるのに良く似た音だ。そして音と同時にまばゆい光は消え失せ、目の前には顔色を失ったアナスタシアと元の部屋があった。

「……え?」

 端的な疑問が真澄の口からこぼれ出る。

 目的地はノストアという国境の街だったはずだ。少なくとも真澄の知らない場所に転移するはずで、アナスタシアの所に戻るとは聞いていない。

 足元の法円を見ると、描かれていた紋様は焦げたように黒ずんでいた。

「何、これ」

「……結論から言うと転移が発動しなかったってことだな」

 言いながらアークが真澄の手を引き法円から降ろす。そのまましゃがんだアークは慎重な手つきで法円をなぞり、その指先には黒い(すす)が付いていた。

「魔術が発動しない理由は二つしかない。単なる術者の失敗、あるいは悪意ある誰かからの妨害」

 アークが手に付いた煤を払う。

「単なる失敗ならこうはならん。大体にして一度は為しているものをし損なうこともない。状況から見てまあ、後者だろうな」

 この場にいる誰よりも冷静にアークが判断を下す。アナスタシアは「妨害なんて」と声を震わせた。

「誰がそんな、……」

 言葉に詰まったアナスタシアは、真っ青になって俯いた。

 その時一際強い風が吹きつけて窓枠を叩いた。あまりの大きさに皆が注目する。

 外ではいつの間にか雪が舞っていた。

「初雪です」

 壁から離れ、窓に手を触れながらライノが呟く。

「こんなに早く……?」

 アナスタシアが呟く向こう、枯れた山が白く覆われようとしていた。


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