92.譲れない一線とは何か
静かな朝だった。
武楽会という大きな催しが終わり、明けた朝。
祭りの後のソルカンヌは帰路につく人波はあれど、熱狂は潮が引いたように消え失せていた。
注ぐ朝陽は冷たい空気の中ようやく輝きを増してきた。
街の屋台は解体が進んでいる。ひしめき合っていた往来は少しずつ片付いていき、その横を人と馬車が通りすぎていく。
窓からその様子を眺めていた真澄は、背中に届いたノックに振り返った。
「失礼致します」
入ってきたのはカスミレアズだ。その姿は昨晩同様に制服をきっちり着込み、出立の準備は万全であることを物語っている。
真澄の横、窓際のソファでお茶を飲んでいたアークは口が塞がっているからか、手で入室を促した。カスミレアズはそれに従い窓際まで歩み寄ってくる。
「おはようございます。只今の時刻をもちまして全てが整いました。これより本国へ帰任致します」
「おう。道中の指揮は一任する。こっちも何かあれば伝令を飛ばす」
「……何もなくても定時連絡はお願いします。一時間毎とは申しません。せめて朝昼晩の三回は必ずです」
カスミレアズの目がつり上がった。
「昨日から再三申し上げておりますが、お約束頂けないのなら私も参ります」
これ以上は絶対に譲らない。そんなカスミレアズの強い姿勢に、アークが早々に白旗を上げた。
実はこれ、昨晩も同じ攻防戦が繰り広げられたのだ。
アナスタシアに面会するという結論が出てから、真澄とアークで額を付き合わせて話し合った。近衛騎士長であるところのカスミレアズを始めとする護衛たちにどう説明するかという点についてである。
アークは武官とはいえ要人、どこへ行くにも必ず護衛は付く。
絶対だ。例外はない。
それを外そうというのだから一筋縄でいくわけがない。
っていうかどう考えても反対される。
二人でその結論に辿り着くまでは実に早かった。
それを踏まえて尚どうするか、あれやこれやと協議した。例えば王太子からの勅命が出たとする案はそれなりに説得力がありそうだったが、最終的に却下された。
第三者の名前を出すとその第三者に裏を取られた時点でアウトだからである。
相手が誰であろうと関係ない。真面目なカスミレアズは必要とあらば何も厭うことなく職務を遂行するだろう。
そして真澄とアークは投げた。
投げたというと若干語弊があるか。腹を括ったとも言う。無理筋はどうやっても無理筋、正面突破するしかない。そもそも最初から突破する前提だったのかと突っ込まれるとそこは微妙なのだが、真澄たちとしても今後のあれやこれやがかかっているため諦めるという選択肢はなかった。
そういうわけで説得を試みたわけである。
夜中といって差し支えない時間だったが、カスミレアズはアークの呼び出しに即応した。それはもう、呼び出した理由を知っていた真澄としては申し訳なくなるくらいの早さで。しかも「それが仕事です」と真面目すぎる台詞付きで、切り出しにくさに拍車がかかったというのは余談である。
ちなみに初手は全てを言い終わる前に一蹴された。
「あり得ません」
と、ばっさりだ。
アークが必要性を説明するも「内容どうこうではありません」とカスミレアズは額に青筋を浮かべ、「そもそも護衛しないという時点で論外です」と畳まれた。
取りつく島もない。
が、当然ながらアークも負けてはいなかった。
「体調が万全じゃない状態でまともに護衛ができるのか。前線であっても戦線離脱やむなしの大怪我だぞ」
「治癒をかけて職務には支障をきたさないようにします」
「その治癒は誰がかけるんだ? まさかお前自身が、とか吐かすつもりじゃないだろうな。効率が悪すぎる上に肝心な時に魔力が足りませんなんてそれこそ話にならん」
「治癒に長けた者を帯同します」
「極力人数を絞ると言っているのに増やすのか? 公明正大に会談できるならそもそもこんな話はしていない。少しは考えろ」
「お言葉ですが、非公式だからといって何もかもは譲れません。第四騎士団として最優先なのはアーク様の安全です。マスミ殿の召喚経緯を確認するという名目は重要ですが任務でもなし、団としては必須ではありません。総司令官と首席楽士を不要な危険に晒すなど、近衛騎士長として絶対に承服しかねます」
最後は若干であるがカスミレアズの語気が荒くなった。
分かっていたとはいえ予想以上の剣幕に、さしものアークも長考の姿勢に入る。
無言で見合っておよそ一分。
やがてアークが二の手を打った。
「お前、俺がこのまま専属なしでいいと思ってるのか。自分だけ一抜けたは男として器が小さすぎやしねえか」
明後日の方向に話題転換。それも突然。
もはや禁じ手と同じだが、冷静なはずのカスミレアズはそこで僅かな狼狽を見せ、「まだ決まったわけでは」と言い訳めいた言葉を吐いた。
そしてアークはその隙を見逃さなかった。
「ガウディの家督は兄が継ぐそうだ」
「……は? どこからの情報ですか。そんな不確かな」
「ガウディ本人が宣言した。丁度お前の試合中だ。それもあって妹ガウディがお前の控室に駆け込めたわけだ。これで最も大きな障壁は無くなったわけで、後はお前の誠意が伝わるかどうかが焦点だろう。ほぼ一抜けたも同然じゃねえか」
アークが凄む。
一方のカスミレアズは半信半疑というか、飲み込めてなさそうな顔で押し黙った。
「今冬に控える任務の重要性は既に説明した。最終的な結果はどうあれ少なくとも万全の態勢を整えるべく準備をすべきだということ、理解してないとは言わせねえぞ」
「……分かりました」
とうとうカスミレアズが折れた瞬間だった。
「ただし条件をつけさせて頂きます」
「先に言っておくがお前自身の帯同は認めんぞ。一日でも早く帝都に戻って静養に専念するのが仕事だ」
「それは理解しております。そうではなく、明日の朝レイテアの使者に私も面会させてください」
「……何をするつもりだ」
「使者に制約をかけます。王女本人に直接はかけられないので抑止力としては弱いですが、やらないよりはやった方がましです。無論アーク様とマスミ殿にも守護をかけさせて頂きますが」
「いいだろう」
「単一ではなく複数制約にしますので、ヒンティ騎士長にご助力願おうと思います」
「任せる」
「あとは定時連絡をお願い致します」
「分かった。問題があれば伝令を飛ばす」
「お分かりではありません。問題があった時に魔力が枯渇していたらどうするのです。つい先日レヴィアタと交戦した挙げ句に遭難した人間が言える台詞ではありませんよ。まして相手は大魔術士です。魔力の総量はアーク様が上でも器用さは天地の差があって、油断すべきでは」
「ああもういい分かった!」
いつの間にか平常運行の二人である。
色々と小言はもらったがどうやら要求は通ったようで、真澄は隣に座りながら胸を撫で下ろしていた。
その後いくつかの打ち合わせをしてからカスミレアズは自室へと引き揚げた。既に日付は変わっていて、かなり過ごしてしまったとその時知れた。
武楽会の疲れも溜まっているし、明日に備えなければならない。早々に床につくべきだと分かっていながらも、真澄は先ほどのやり取りで一つだけ引っ掛かったことをアークに問うた。
「ねえ、アーク」
「なんだ」
羽織っていた上着を無造作に脱ぎ捨てながらアークが応える。
その背も肩も筋骨隆々。
軍人ながら傷一つなく、それはアークが様々な点において別格である事実を物語っていた。
「さっき言ってた任務ってなに? 今冬ってすぐよね。武楽会が終わったからまたレイテアと戦争状態に戻るの?」
カスミレアズの説得にあれやこれやと並べていたが、彼の顔色が如実に変わったのがそこだった。
梃子でも動かなそうだった近衛騎士長。
最初、あまりの剣幕に内心で真澄は諦めかけた。初めて見る頑なさだったからだ。それほどに掟破りをしようとしているのかと考えると、総司令官でもない人間が我儘を通すのも間違っている気がした。
そこで不意に思考が止まった。
自分には譲れない一線があるのだろうか。
人生がかかっているはずのアナスタシアとの面会。それさえ叶わなくてもいい、一瞬ながら許容した自分が確かにいた。
そんな事実に背中が冷える。
周囲は皆、己というものがあって、その差分に責め立てられるような錯覚を抱く。このままでいいはずがない、そんな焦りだけが募っていく。
ともあれ、任務の話で流れは一変した。
あの激昂ぶりを抑えるのだから相当な話だ。当然、公的には首席楽士である真澄にも関係してくる大きな任務と考えるのが普通であって、それは同時に訊く権利もあるはずだった。
アークが振り返る。
上半身が露のまま彼は少しの間押し黙った。やがて寝間着のシャツに腕を通しながら、服一枚を隔てて声がくぐもった。
「……レイテアとの戦争は終わる」
頭が襟を通る。
そして目が合った。
「停戦じゃなく終戦だ。これまで両国で重ねてきた協議が実を結んだ。だから対レイテア前線はなくなる。心配するな」
「戦争が終わるならそれは良いことだと思うけど……」
若干の戸惑いを隠しきれず、真澄は首を捻った。
答えになっていない。
アークにしては珍しい物言いだ。大雑把ではあるが、大事な情報をわざと隠すような人間ではない。楽士として勧誘された時も真正面からの勝負だった。
それがどうしたことか、話が中途半端に終わっている。
真澄は眉を寄せながらももう一度尋ねた。
「戦争が終わったなら、新しい任務ってなんなの?」
重ねた問いに、アークからは視線だけが返ってきた。
静かだ。
何かを量るようでもあり、何かを躊躇うようでもある。少しだけ沈黙が続いた後、アークは口を開いた。
「後で話す」
「後でって……」
「今はまだ時期じゃない」
「……そう」
食い下がれる雰囲気ではなかったので、真澄はそこで引き下がった。
軍事の知識が無いからだ。
どんなことが機微情報で、何が足を引っ張るのかも分からない。
平和な時代に生まれ育った。
戦争そのものは言わずもがな、二十歳を越えるまで受けた教育の中でもそれに関する話題は過去として語られ、それに直面した時に何を考えどう動けばいいのかなど何一つ教えられなかった。
だから今、アークの考えが分からない。
遠い。
けれどその距離を自分から埋めることがとうとうできないまま、夜は過ぎていった。
* * * *
昨晩のやり取りを思い返していると、さらに扉がノックされた。アークが許可を出すと入ってきたのはヒンティ騎士長だった。
こちらも骨折という大怪我をしている御仁だが、宮廷にいる時と同じように所作は折り目正しく、肩から羽織るだけの制服には皺一つない。
「おはようございます。少し遅くなりまして申し訳ございません。早速始め」
ましょうか、なのかそれとも、ますか、か。
おそらくそう続くであろう言葉を区切り、ヒンティ騎士長が室内を見回した。
やがてその視線は天井のとある一点で止まる。
僅かに目を眇めながら、ヒンティ騎士長は首を傾げた。
「視られていないか」
「は?」
「監視されている気配がする」
面食らっているカスミレアズをよそに、ヒンティ騎士長の手からはすみれ色の光が生まれた。
蔦が這うようにするすると伸びていく。
窓より少し手前の天井、枝のように四方八方に広がる。人の手がものを掴むと同じく光が縮んだ瞬間、
バチッ!
弾けるような音と共に、光が散った。
「……逃げられた」
ヒンティ騎士長が顔をしかめる。
光の行方を目で追っていたカスミレアズは、「武楽会期間中は一切の干渉を排除していたはずです」と不可解さを隠さない。
「本当に『監視』だったか?」
アークが問う。
それに対し、ヒンティ騎士長ははっきりと頷いた。
「テオ殿下が古式魔術の研究で再現されたことがあります。私自身が直接『監視』されたのはその一回のみですが、宮廷騎士団では年に数回特定の人間に訓練を受けさせますので」
「なるほど。しかし言われるまで違和感に気付かないとはな」
「致し方ないかと。古式魔術の中でも高位の術ですから。訓練しても見破ることができない人間の方が多いくらいです」
「ほう。ちなみにどうやって見破る?」
「『監視』はその起点から独特の気配が微かに漏れ出ます。対象の状態を遅滞なく術者に繋ぐので、魔力が常に動くといいますか、流れ続けるからです。そういう意味で魔力を極小に絞る、あるいは隠蔽することはできても、それ自体をなかったことにはできません」
「エリートめ、簡単に言いやがって」
これだから宮廷は、と毒気を抜かれた顔でアークが笑った。
「まあいい、どうせ第四の所掌外だ。問題はなぜ視られていたか、なわけだが」
ふむ。
考え込む素振りでアークの手が顎に伸びる。そしてそのままアークは真澄に向き直った。
「迎えに来いと言ったそうだな。時間だの場所だのは指定したのか?」
「ううん。だって宿舎がここって分かってるんだから、言わなくても来れるだろうと思ったんだけど」
「なるほど。原因はお前だ」
「えっなんで!?」
「再三言ってるが今回は非公式だぞ。これで公式訪問と同じように真正面から出迎えに来るようなら、そいつは相当なポンコツだ」
「お褒めに与り光栄です、アークレスターヴ殿下」
「!?」
部屋の隅から急に割り込んできた聞き慣れない声に、全員の注目が集まった。
間。
その姿を認めて真っ先に動いたのがカスミレアズだった。
「貴様、よくも顔を出せたものだな」
同時に長剣が引き抜かれる。
臨戦態勢のカスミレアズであるが、一方で黒装束の男――ライノ=テラストはすぐに両手を上げて降参の意思を見せた。
「あんたとやり合う気はない。俺は二人を迎えに来ただけだ」
指し示す先にはアークと真澄である。
「知り合いか?」
暢気に訊ねるアークの向かいで、「知り合いもなにも……」とカスミレアズが額に青筋を浮かべた。
「ヴェストーファでマスミ殿を拐かしたのはこいつです」
「あ?」
アークの眉間に一気に皺が寄った。
「そりゃあ……どの面下げてどころの話じゃねえなあ?」
青い闘気が揺らめき空気が震えた。
部屋の温度が急激に下がる。顔は笑っているが怒気が凄まじい。というより、もはや怒気を超えて完全な殺気である。
格上の二人に睨まれて、ライノは完全に顔色を失っていた。
仲裁するか。
真澄が真剣に言葉を選んでいると、アークが「ヒンティ」と呼ばわった。そして、
「こいつに制約をかけろ。マスミに害意を持った瞬間、即死でいい」
「穏やかではありませんね……即死はさすがにできませんので、意識剥奪と身体拘束に特化します。あとはアーク様ご自身の手で煮るなり焼くなり、ということでいかがですか」
「それでいい。お前、少しでも不審だと感じた時点で骨も残さず消してやるから覚えておけ。当然王女もだ。主を守りたければこちらの要求を常に呑め」
アークの脅しにライノは素直に頷いた。
その表情は硬い。僅かばかり青ざめているようにも見える。
短い会話ながら因縁を読み取ったらしいヒンティ騎士長は、それ以上余計な詮索は一切せずにライノへと制約の魔術をかけた。ちなみに起動の源泉はアークの魔力を使っているため、有事の際には確実に仕事をするだろうとのお墨付きである。
その後は昨晩のカスミレアズの宣言通りアークと真澄にも固い守護魔術がかけられ、準備が万端整った。
座ったままでアークがひたりとライノを見据える。
「で、本題だ。どうやって衆人の目をかいくぐる?」
「……これを我が主より預かっております」
ライノが胸元から一巻きの羊皮紙を取り出す。
柔らかな音と共に広げられたそれには、直径一メートルほどの法円が描かれていた。その紋様はごく細かく、遠目に一本の線に見える部分が、近づくと小さな紋様の集まりであることが知れる。
描くのにどれほどの魔力を要したのだろう。
想像するだに気が遠くなる。
「ご案内するのは主の母君の離宮です。都から遠く、かつ母君の滞在は半月ほど先ゆえ、準備の者が数人いるだけです。無論、その者たちが直接お二人の目に触れることはありません」
「離宮の場所は」
「ダズネ山麓のユクです」
「レイテア最南端か。当たり前だが遠いな」
「まともに行こうとすれば一月はかかります。それ故、『転移』でご案内するよう申しつかっております」
手で広げていた法円の羊皮紙をライノが床へと置いた。自然、そこにいる人間の視線が集まる。
「往く道を繋げ、思し召しのままに」
ライノが呟くと、法円に描かれた紋様がばら色の光を発し始めた。
「起動しました。後はこの円の内側に入って下されば、離宮へと繋がります」
「『監視』だけじゃなく『転移』も使える、か。お前の主は生まれる時代を間違えたな」
アルバリークではこの三百年ほど、『転移』の再現は成功していない。
そう付け加えたアークは警戒を露にしながらも興味深いといった風で、輝く法円を覗きこんだ。
「まあ『転移』の最上級、『召喚』ができたのなら朝飯前なんだろうが」
「本件はレイテア国内でも知られておりません。現役の中で扱えるのは我が主だけですが、それも私留まりです。実際に、都へ戻る輿は影を乗せて出立させました」
「大きな力は秘匿する、か。相変わらず政情不安定なことだ。いい、質したいことは直接本人に訊く」
言うが早いかアークが立ち上がり、真澄に手を差し出してきた。
「行くぞ」
「えっもう?」
「これ以上ここにいても話は進まねえ」
「そっそれはそうだけどっ」
「この期に及んでなんでお前は及び腰だ?」
「だって転移とか意味不明、変なところで迷子になったらどうす」
「世界を越えた奴が今更そんな小せえ話気にすんな」
「あんたにとっちゃ小さくてもこっちにしたら大き」
「あー心配しなくていい。迷う時は一緒だ」
被せぎみ、かつ大雑把に話を畳まれたかと思ったのも束の間、アークの腕が真澄の腰に回った。
がっちりと。
それはもう音がしそうなくらいに。
「ちょっ……と!」
この体勢、悪い予感しかしない。
外そうとするも筋肉質の腕はびくともせず、どうにか逃れるべく必死に身体を捩ったが、それは完全な徒労に終わった。
「後は頼んだぞ」
アークの言葉に騎士長二人が揃って礼を返してくる。焦って後ろを見ると既にライノが法円の中に立っていて、ばら色の光はその膝ほどまで伸びていた。
アークが踏み出す。
二人の足が法円に乗った時、光はさらに上へ、天井に届く程に輝きを増した。
騎士長二人がばら色に透ける。
彼らに声をかける間もなく、また同時に心の準備も整わないまま、真澄の目の前は白く塗りつぶされていった。
白い視界の中、微かに単音の旋律が聞こえる。
ひどく懐かしい。
誘うような音色はただ優しい。そして曲の名前はなんだっただろうかと考える。
しかしどうしてもそれを思い出せないまま、真澄は白に溶けた。




