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ドロップアウトからの再就職先は、異世界の最強騎士団でした~訳ありヴァイオリニスト、魔力回復役になる~  作者: 東 吉乃
第三章 生き方の決め方

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91.魔術士というもの・14


 決勝戦の勝敗が観客の間でどう予想されていたのかは分からない。

 大番狂わせだったのか、それとも順当だったのか。

 少なくともアルバリークと真澄にとっては、この結果は当たり前というか納得のものだった。

 アークは勝った。

 遊んでいるとまではいかないが、まったく危なげなくアナスタシアの攻撃全てをあしらい一部の隙も見せなかった。そういう安定感という意味ではヴェストーファの時と似たような展開ながら、さすがに熾火クラスの魔術士相手だと試合そのものに見応えがあった。

 やはり豊富な源泉を誇る魔力は術の発動規模が桁違いに大きい。

 フェルデとレイテアの首席魔術士の試合よりも尚、光は輝き閃いていた。

 そんな中でアークとアナスタシアの間合いは徐々に詰まっていき、最終的にアークは長剣で王手をかけた。手加減しないと宣言していたとおり完全に首を取りにいく太刀筋だったが、アナスタシアには勝負が見えたのか自ら白旗を上げた。


 そして武楽会は全てが決した。


 夕方には表彰式が予定されている。

 そこではレイテアとアルバリークそれぞれの楽士全員で締めくくりに一曲ずつ披露することになっていて、今はその音合わせをしているところだった。

「……は!?」

 二度見した挙げ句に素っ頓狂な声が出たのは不可抗力である。

 音合わせの途中で真澄は手洗いに立った。

 誰もいないトイレの個室で用を足し、ちょっと一息。出てきてさあ手を洗おうという段になって、横からいきなり声をかけられて心臓が止まりそうになったのである。

 トイレのドアに背を預けて声をかけてきたのは、アナスタシアの騎士だった。

 又の名を誘拐未遂犯ともいう。

 当たり前のようにそこに立っている男を見て最初は驚いたものの、次に色々な疑問が真澄の頭に湧いて出てきた。

「ちょっとここ女子トイレよ? なんで入ってきてんのよ?」

「最初に聞くことがそれか?」

 呆れた顔を隠さず男が応える。そのいでたちは黒装束で、かつて見た姿に悪事の匂いしかしない。

 手荒に扱われた記憶は割に新しいので、真澄の目は自然眇められた。

「どうやって外の護衛を通り抜けてきたのかは知らないけど、誘拐はやめておいた方がいいと思うわよ。私に触った瞬間アークがすっ飛んでくるから」

 冗談だと思うなら試してみたらいい。

 そう言って、真澄は握手さながら右手を差し出した。するとどう受け取ったのか男があっさり首を横に振った。

「遠慮しておく」

「……ずいぶん素直ね。どういう風の吹き回し?」

「嘘の吐けない相手の言葉を勘ぐるだけ無駄だ」

「相変わらず人の神経逆撫でしてくれるわよね」

 そういえばコイツこういう奴だった。

 思い出して、ぐ、と真澄は噛み締める。しかしここで言い争いをしても話は進まない。「大人になれ多分自分の方が年上だ」と内心言い聞かせ、とりあえず真澄は手を洗った。

 水瓶に汲まれている水を小さな手桶を使ってすくい、片手ずつ流しかける。

 レイテアには水資源が乏しいのか、アルバリークのような常に水があふれ流れる手水はついぞ見なかった。

 ぴぴ、と滴を払ってハンカチで拭く。

 一連の動作を終えてもう一度真澄が向き直るまで、男は一言も口をきかなかった。

「それで、誘拐じゃないならなんの用?」

 返す返すもここは女子トイレなのである。

 わざわざ人目を忍んでこんな場所まで追いかけてくるなど余程の話なのだろうが、友人どころか知人ですらない間柄なので皆目見当がつかない。

 すると男は虚を突かれたように目をしばたいた。

「聞いてくれるのか」

「誘拐は勘弁だけど、穏便に話しするくらい別に構わないわよ」

「助けは呼ばないのか」

「いや、だって話すだけでしょ?」

 それともなにか、やっぱり誘拐を目論んでいるのか。

 胡乱(うろん)な目で真澄が見ると、男は「そうではなくて」と慌てたように首を左右に振った。

「総司令官は許可していないが」

「私が誰と話そうと私の自由なんだけど……って、ん? あ、もしかして決勝戦で王女様が勝ったら話すとかって話で来たの?」

 回りくどくて今一分かりにくい男の言葉だったが、なんとなく見えてきた。

 真澄の問いにためらいつつも、やがて男は一つ頷く。

 なるほど用件は分かった。

 そして次なる疑問が出てくるのである。

「張本人の王女様は?」

「殿下はいらっしゃらない」

「そりゃ見たらいないのは分かるわよ。私が聞きたいのはなんで彼女が直接話に来ないのかってことなんだけど」

「総司令官は許可していない。殿下は約束を固く守られている」

「あーそういうこと。さっきもそうだったけど、ものすごく真面目な王女様よねえ」

「分かるか!?」

 急に男の反応が前のめりになった。

 それに若干顎を引きながらも真澄は抱いた感想をそのまま伝えた。

「あれは分からない方がどうかしてるレベルで礼儀正しいと思うけど? 世間知らずっていうより、すごく苦労性に見えた」

 若いのに難儀よね。

 つい年寄りくさい発言が出てしまったが、本当にそう思ったのだから仕方がない。

 その行儀の良さは生来のものでは決してないだろう。必要に迫られて人は相応しい振る舞いを身に付けていく。彼女はきっと、そうあらねばならない時間が長かったように思う。

「助けてあげたくなる気持ちも分かる。だからわざわざ来たんでしょ?」

 放っておけば、アナスタシアはアークとの約束を守って口を閉ざす。そして二度と真澄に会おうとはしなくなるだろう。

 しかしそれでは真澄も困るのだ。

「ちょうど私も王女様と話したかったところなの。どうして私をこの世界に()んだのか、理由を聞きたくて」

「……殿下が召喚主と気付いていたのか」

「どうかな。気付いたのってさっきだから、それを気付いてたって胸張るのも微妙」

 思わず苦笑が漏れる。

 別に隠しだてするようなことでもない。ここで間合いを取り合っても今さらすぎるし、答えを得るために手間が省けるのならそれに越したことはない。


 ここに来るまで考え抜いた。


 日本に帰ることができるのか、できないのか。できるなら、それはいつ、どうやって。

 できないのなら。


 怖いとは思っている。

 心の片隅には帰れるという答えを期待する自分が間違いなくいて、帰れないと突き付けられたその先は棚上げにしていることばかりだ。

 自分の置かれた現実を知ることは怖い。

 真澄自身は過去に一度向き合うことから逃げ出して、そこからずっと動けないでいる。今回がどうなるか、それは真澄にも分からない。

 僅かばかりの物思いを切り上げて、真澄は男に視線を戻した。

「まあとにかく、あなたが理由を知ってるなら話は早いんだけど」

 自分の内情は横に置き水を向けてみると、男の顔が曇った。

「それは……」

 そして言いづらそうに言葉を区切る。

 知らなくて口ごもるというより、知っていてどこまで話すか迷っているようだ。

 やがて、

「俺には許されていない」

 ぽつりと呟かれた言葉には、なぜだろう、辛さが滲んでいた。

 真澄はしばらくを待ってみる。

 許されていないと言いながらも男はこうしてここに来た。きっと男自身の考えがあるはずで、それを知ることは真澄が下すべき判断の一助となる。

 男は床を見つめたままやがて口を開いた。

「理由を明かすか明かさないかは殿下の御心次第だ。殿下以外の誰もそれを軽々しく口にはできない。だが、……殿下の懸けたものは大きい」

 大きすぎる。

 そう呟いた男の頬は歪んでいた。

「取り返しがつかない。だから報われて然るべきだと」

 言葉が途切れた。

 黒布で口元を覆い隠していても尚分かるほど、痛そうな顔で男が押し黙る。

 沈黙に想いが滲む。

 強く、頑なに、けれど一途に。主従の枠には到底押し込めなさそうな篤さだ。それにある種眩しささえ感じながら、真澄は問うた。

「なにを懸けたの?」

「……魔術士としての寿命を」

 真澄は息を飲んだ。

 その深刻さを少しは分かる程度には、新しい世界での時間は経っている。


 この世界は苛烈だ。

 魔力を持たない者は一人で街道を往くことさえできず、人は寄り添い支え合いながら生きている。その中で魔術士というものは大きな力を誇り、比例して社会的立場に恵まれている。

 誰しもなれる職業ではない。

 まして大魔術士ともなれば尚のこと。

 決して平易な道ではなかったろうに、それを懸けてなにを引き替えにしようというのだろう。


「……どうして? 私は彼女の補給をするために()ばれたのかと思ってた」

「殿下は魔術士として在ることをお望みではない」

 男の言葉を真澄が理解するまで数秒はかかった。

 片やそう在ることに誇りを持つ者がいて、片やそう在ることを厭う者がいる。

 魔術士とはなんなのか。

 その生き方は騎士とは違い、あまりに濃淡があるように見える。ただ、抱いた疑問を男に投げても無意味だ。彼は魔術士ではないし、肝心な部分は話せないと最初から断っている。

 潮時だ。

 真澄の決心は固まった。

「ねえ、あなた名前は?」

「は? そんなもの訊いてどうする」

「名前訊いて質問返されるのって初めてだわ。王女様の前でもあんた呼ばわりされていいっていうなら、まあそれでもいいけど」

「殿下に会ってくれるのか」

「だってあなたは私の質問には答えられないんでしょ? それなら直接話すしかないでしょうよ。私にも色々と都合があるし」

 武楽会が終わっても、どうせしばらく休養を取らねばならない。腱鞘炎を完治させるためだ。それに、レイテアから離れるとアナスタシア本人に会うのは難しくなる。

 時間の余裕的にもタイミング的にも今しかない。

 そんな真澄の説明に、男は「それなら」と顔を上げた。

「今す」

「まだ表彰式があるって言ってんでしょ? 私がいないだけでアルバリーク側は大騒ぎなわけだけど、王女様がいないそっちも大概騒ぎになるんじゃない?」

 被せるように突っ込んだ真澄に男ははっとして動きを止めた。ヴェストーファで見せた大胆さ、狡猾さはどこへやら、焦るにも程がある。

 浅はかというか前のめりというか。

 呆れて真澄が首を傾げると、男は咳払いをして「少し忘れていただけだ」と居住まいを正した。

 なんだそれ、と。

 重ねて真澄が突っ込むと、「ええいうるさい」と切り上げられてしまった。

 どこか覚えのある態度である。

「ふうん……そんなに好きなんだ」

「あ!? ばっ、違っ、殿下はそんな」

「なに焦ってるの? 別に私はあなたが王女様のこと好きなのね、とは一言も言ってないけど?」

「こ、のっ……! 名前はライノ! ライノ=テラストだ、覚えとけ!」

 音がしそうなほど歯を食い縛り、もはや負け惜しみにしか聞こえない自己紹介だった。

「はいはいライノね。私は真澄、宜しくね。それで早速なんだけど、穏便に事を進めたいから明日の朝にこっちの宿舎まで迎えに来てくれる?」

「それは構わないが、穏便に……?」

「今夜アークに話通すから。黙って行ったら今度こそあんた消されるわよ?」

 星祭りの「魔の蛇」騒動。

 思い起こせばあの時の主犯格は確かに「ライノから話を聞いているぞ」と言っていたわけで、しっかり釘を刺しておかないとどう出られるか分かったものじゃない。

 そういうわけで予防線含めて当時の顛末を詳細に話してやると、ライノが力一杯ひきつった。

「大体あんたカスミちゃんにも勝てなかったでしょ?」

「お前そういう……」

 ごり、と抉られたような顔でライノが俯く。

 しかし真澄は構わず念を押した。

「実力的には正騎士か、せいぜい真騎士ってとこ? あんまり無茶するのは止めときなさいよ」

 もう一度念を押すが、これまでの数々の所業から真澄には非常に強力かつ厳重な守りが付与されている。下手に動けばライノ自身もただでは済まないし、最終的にはアナスタシアの希望も叶わない。

 理路整然と説明してやると、ライノは苦しそうに「分かった」と呻いた。

「それじゃあ決まりということで」

「おいお前、随分軽いが本当に大丈夫なんだろうな」

 あの総司令官が簡単に頷くとは思えないが。

 ライノは疑心暗鬼を丸出しにしている。それに対し、真澄は肩を竦めて首を捻った。

「渋々でも頷けばいいんでしょ?」

「お前本当に大丈夫か」

「そこは相手のある話だから絶対とは言い切れないけど、まあ努力はするから」

「お前、……頑張れよ! 絶対説得してこい! 絶対だぞ!」

 重ねてどこかの体育教師のごとく叱咤激励を飛ばされ、真澄は食傷気味に「はいはい」と応える。最後までライノは心配していたが、結局は真澄に蹴り出される形で彼は去った。

 さて。

 一人になって、真澄は腕を組む。

 千載一遇の機会ではあるが、同時に最大の難関を突破せねばならなくなった。

 この話を持ちかけたら、まず間違いなくアークは答えを迫るだろう。棚上げにしていた求婚の話だ。少なくともそれをかわしたままではアークは絶対に了承しない未来が見える。

 どう持っていけば上手くいくだろうか。

 頭を悩ませつつ、真澄はトイレを後にした。


*     *     *     *


 武楽会のフィナーレを飾る表彰式は終始華やかな空気で執り行われた。

 仲秋の夜、早い日暮れ。

 空は既に暗くなっている中、ソルカンヌの砦が光をまとい浮かび上がる。旧跡ではなく今のソルカンヌ領主が住まうそこは今日のこの日に一般市民にも解放され、武楽会の終了を祝う会場となっている。

 大広間に設えられた壇上には両国の首脳陣が顔を揃え、それを見上げる形で客席の最前方には出場者が並ぶ。一般市民はそれより後ろ、仕切られた区画に通されているが、数が多くそれぞれの囁きは波のようなざわめきとなり会場を満たしている。

 やがて時刻は六時を迎えた。

 会場内に響き渡る鐘の音は、大広間中央の壁に鎮座する大時計からだ。六度の時、伸びゆく余韻が消える頃には誰もが口をつぐみ、静寂が広がる。その中で一つだけ、ゆっくりと歩く靴音に会場の視線が向かう。最先にいる司会は壇上に立ち、そして開会をを宣言した。

「これより第八十三回武楽会表彰式並びに閉会式を執り行います。皆様ご起立をお願い致します」

 案内と同時に全員が立ち上がり、レイテア大編成による両国国歌が演奏された。

 その後、首脳陣から今大会の講評が出される。レイテアそしてアルバリークどちらからも言及されたのは、過去に類のない高次元の競い合いであり、両国関係の発展に大きく寄与するであろうということだった。

 次に来るのは団体戦、いわゆる武楽会そのものの勝敗に対する表彰があるはずだったが、これは割愛された。周知のとおり、無効試合からの勝負なしという形で決着しているからだ。司会の宣言に対し、この時ばかりは会場内から拍手が沸き起こった。

 両国の選手も互いに顔を見合わせ礼を取る。

 唯一仏頂面だったのはそのきっかけを作ったフェルデだ。しかし彼の思惑はどうあれ、既に選手の間には和やかな空気が流れていた。

 誰もが濃淡あれど笑顔だ。

 そして司会は次の式次第を読み上げた。

「それでは個人戦の表彰に入ります。武会優勝、アークレスターヴ=アルバアルセ=カノーヴァ殿、楽会優勝マスミ=トードー殿。ご両名は壇上へお上がりください」

「行くぞ」

 緊張のかけらも見せずにアークが立ち上がる。差し出された手を取りながら真澄も続くと、後方の一般席からどっと拍手喝采が上がった。

 ちらりとアークが視線を向けて「すげえな」と呟く。

「会場が違うことを差っ引いても去年はこんなんじゃなかったぞ。お前、随分と気に入られたな」

「いや、さすがにこれ全部私宛てってことはないと思うけど」

「どうだかな。去年の楽会はレイテアが持っていったが、それでもここまでは盛り上がってなかった」

「えー……?」

「いいじゃねえか、素直に受け取っておけ」

 喧騒に包まれているのをいいことに、私語をしながら壇上に上がる。目線が高くなるとその分頭上の光球に近くなり、眩しさが増した。

 美しい衣装をまとった可憐な乙女が出てくる。

 彼女は頭を垂れながら、記念品をアークと真澄に手渡してきた。また拍手が沸き起こる。その盛り上がりを手で制し、アークが前へと出た。

「武会優勝者として一言挨拶申し上げる」

 声は朗々と会場に響き渡った。



 今大会において、出場者全員が己の抱く信念の下に戦った。それは勝敗がどうあれ何ら毀損されるものではない。

 我らは――騎士も魔術士も、等しく戦いにこの身を置く。

 誓願は力となり、研鑽は確たる未来の(いしずえ)となるだろう。

 今日が終わりではない。

 明日を生きるために我らはたゆまぬ努力を改めて誓う。故にこの身に褒賞を受けるはまだ早く、辞退させて頂く。

 その代わり、願わくば「碧空の鷲」を記憶に留めておかれたい。この翼も爪も全ては民のため、つまりここに列席されている方々のためにある。

 必ず守る。

 もしも困難に行き合ったとしても、どうか信じていてほしい。



 そこでしばらく間が空いた。

 僅かに違和感を抱いて、真澄は斜め後ろからアークの表情を窺った。

 どこか不自然だ。

 こんなところで感極まって詰まるような男ではない。事実、見える横顔はいつもと変わらず強いままだ。それなのになぜ結びの言葉も出さずに待っているのだろうか。

 待っている?


 ――なにを?


 アークは一体、なんの、誰のためにこれほど強い言葉を発しているのだろう。

 そんな真澄の疑問は会場から上がった大歓声にかき消された。もはや怒号と呼んで差し支えなさそうな興奮が渦巻く。拍手と歓声、そして誰もがアークの名を叫ぶ。その盛り上がりを見届けて、最後にアークが微かに笑った。

「――いささか簡単ではあるが、これを私の挨拶とさせて頂く」

 実にあっさりとアークが退いてくる。

 そして目が合った。

「……ちょっと、今のってどういう意味」

「あ?」

「なんでわざわざ途中で」

「別に深い意味なんざねえよ。気にすんな、ほら次はお前だ」

 最後まで問わせてもらえず、真澄は入れ替わりで前へと押し出されてしまった。

「俺なんかよりよっぽどお待ちかねだ」

 アークが肩を竦めて後ろへ下がる。真意を問う間もなく真澄を迎えたのはアーク以上の歓声だった。

 熱気に圧される。

 それは初めて目にする光景だった。

 表彰式など数え切れないほど経験してきて、しかもそのほとんどを中心に立って栄誉を受けてきた。称賛されるのが当たり前で、自身もさることながら観客でさえ結果を規定路線として受け入れていたように思う。

 今回も特別なことはしなかった。

 むしろ腕の調子が万全ではなかった状態で、達成感とはほど遠い勝利だった。

 だから戸惑いを隠せない。

 自分のなにを認められたのか、真澄には分からない。

 それでも楽会優勝者として一言言わない訳にもいかず、歓声の中で真澄は壇の手前へと出た。

 一礼。

 少し待つと場が徐々に静まっていく。そして真澄は大会に招かれたことへの礼、賞を与えられたことへの感謝、今後の更なる研鑽を誓った。アークに比べると通り一辺であまり立派な内容ではない。熱狂させられない自分を申し訳なく思いながら、これだけはと決めていた言葉を最後に言った。

「私も褒賞は辞退させて頂きます。この志はまだ道半ばですから、身に余ります」

 背中で驚く気配があったが、真澄は気付かない振りで挨拶を終えた。

 そして表彰式は滞りなく進み、最後に両国の楽士団による演奏で締めくくりを迎えた。


*     *     *     *


 それはチェロの低く柔らかな二小節の前奏から始まる。


 大逆循環。


 二十八回繰り返される同じ二小節は、何度聴いても飽くことなく、いつ聴いても変わらず透明に美しい。

 そこに三つの旋律が乗る。

 最初は一つだけ。二小節を過ぎると二つ目が入り、さらに二小節を経て三番目が追っていく。

 全てが同じ旋律を奏でながらも、時々で重なる音は単なる和音を越えて響き合う。


 パッヘルベルのカノン。


 その名のとおり作曲はヨハン=パッヘルベルだ。およそ1680年頃に書かれた曲で、パッヘルベルその人は生涯に多くの曲を生み出したが、今日まで知られるほぼ唯一といっていい曲がカノンである。正式名称は「3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調」という。

 その名が示すとおり本来は二曲が対になって完成するのだが、演奏されるのは前者ばかりという奇特な曲でもある。


 難易度としては高くない。

 真澄がこれをアルバリーク楽士団のエキシビションとして選んだのは、演奏者の力量にばらつきがあっても尚美しく優しい曲であるからだ。

 もう武楽会は終わっている。

 技巧を誇る必要はないし、疲れた肉体の中でこの一ヶ月をゆっくりと振り返る、そんな曲がいいと願ってのことだ。


 真澄はファーストヴァイオリンの端から、弧を描くアルバリーク楽士団をそっと窺う。

 セカンド、サードとその向こうに大ヴィラード。皆、真澄が変換した楽譜を見ながら演奏している。

 魔力回復という大きな目的のあるアルバリーク音楽は複雑な、言い換えれば高難度の曲がほとんどだ。その中にあって真澄が提示したカノンは、当初楽士たちに大きな驚きをもたらした。しかし三百年以上も人々に愛され続けた曲は、演奏を重ねるほどにアルバリークにも浸透していった。

 楽士たちの顔にもう緊張は浮かんでいない。

 高く低く連なる音が、安息を運んでくる。


 弓を運びながら次に壇の下へと目を転じる。

 そこには武会出場者たちが整然と並び、カノンに耳を傾けている。

 腕を折ったヒンティ騎士長は三角巾で腕を固定されながらも背筋を伸ばして座っている。腕の曲げ伸ばしができないせいで制服は羽織るだけだが、それでも肩に光る銀の肩章が眩しい。

 隣には同じ輝きを背負うカスミレアズがいる。

 いつもと変わらず堅く真面目な顔で列席しているが、その首元は白い包帯で覆われている。

 準決勝の勝敗。

 最悪の事態も想定されていたが、その後アークによってその結末が詳らかにされた。

 フェルデの評とは逆に、王手をかけていたのはカスミレアズの方だった。

 殺すつもりで――否、殺せば、勝利はカスミレアズの手に転がりこんでいた。しかしカスミレアズはそうしなかった。喉から手が出るほど欲しい勝ちだったが、関係ない者を踏み台にしてまで望みはしなかった、と。

 カスミレアズは最後の一線で太刀筋を変えた。

 その僅かな間と引き替えにアナスタシアの光をかわしきれず、首に大怪我を負った。一方でさすがと言うべきなのか、残っていた僅かな魔力で盾を創り力の大部分を受け流してもいた。担架に乗せられたのは実はアナスタシアの方で、試合終了時にカスミレアズは立っていたがアナスタシアは地に伏していた。

 判定の決め手はカスミレアズの長剣が地面に突き刺さっていたことと、その魔力が完全に尽きていたことによる。

 アナスタシアは異を唱えたらしいが、カスミレアズは判定を受け入れた。

 アークは詰めが甘いと切って捨てたものの、声はどこか穏やかだった。


 騎士長二人の後ろにはリシャールとフェルデが並んでいる。

 試合運びは真逆の二人だったが、どちらも大きな怪我は負っていない。リシャールは思考に深く沈んでいるようであまり晴れやかな顔とは言い難い。フェルデも似たようなもので、仏頂面で前に座るアークを睨み据えている。


 旋律が往く。


 同じ音の流れが一つ、二つ、三つと流れていく。最後に緩やかになっていく音を左手で順に紡ぎながら、真澄は目を閉じた。


 そう、終わった。


 一つの区切りは確かについた。

 そして自分たちはまた次の一歩を踏み出す時がきた。


*     *     *     *


「なぜ望まなかった」

 夜、表彰式が終わってすぐのことだ。部屋に戻るなりアークが詰問してきた。

 声には苛立ちさえ滲んでいる。

 真澄としても当然そうなるだろうと予想していたので、慌てず説明した。

「私の召喚主はアナスタシアだって分かったもの」

 武楽会の褒賞そのものは、そもそも召喚主が分からなかったから取ろうとしていた手段なのだ。普通に言えば多方面から確実に色々と詮索されるであろう話をわざわざ披露することもない。

「そうでしょ?」

「そこは妥当な判断だ。だが俺が聞きたいのはその先だ。どさくさに紛れて有耶無耶になってたが、褒賞が要らないということはつまり俺の求婚を受け」

「あーちょっと待ってそこを相談したいんです!」

 のべつまくなし畳み掛けられそうになり、慌てて真澄は押し返した。

「彼女だってことは分かったけど理由をまだ聞いてないわけで、本人に確認し」

「却下だ」

「ちょっ最後まで言わせてくれてもいいじゃない!」

「お前だってさっきぶった切っただろうが!」

「っていうかなんで駄目なの!?」

 この話題になるとどうにも互いに前のめりすぎて上滑りする。しかも真っ向いけば押し負けそうで、真澄は早々に軌道修正を図った。

 尚も言い募ろうと息を吸ったアークは一瞬動きを止め、それから落ち着きを取り戻すかのようにゆっくりと息を吐いた。

「なんで駄目か? じゃあ訊くが、どうやって本人に確認するつもりだ」

「どうやってって、彼女に会って対面で話を」

「できると思うか? 相手は曲がりなりにもレイテアの王族だぞ。いきなり行ってもまず会える相手じゃない」

「彼女から会いたいって頼まれてるのに?」

「公人である以上、個人の意志は基本的に勘案されない。安全を確保できるかどうかが絶対基準だ。まして敵国の人間だろう。理由の如何に関わらずまずレイテア側の許可が降りん。それに一番重要というか問い詰めたいのは、そもそも俺がお前を一人で行かせると思うのかという点なわけだがどう思う」

 総司令官の口調で言葉どおり問い詰められる。あまりにも理路整然と話されて、思わず真澄は詰まった。

 一人で行くつもりではあった。

 が、アークはそれを絶対に認めないだろう。敢えて問われていることからも明らかだ。

「……護衛がいてくれれば許可、出る?」

「念のため訊くが誰を連れていくつもりだ?」

「やっぱりカスミちゃ」

「お前は鬼畜か」

「や、だから駄目だなって今思ったわよ!」

 仕事モードのアークはやたらと冷静でやりづらいことこの上ない。会社勤めの時分こういう上司が確か隣の部署にいたな、などと余計なことまで思い出す始末である。

 それはさておき、誰の名前を出せば合格が出るだろうか。

 現実問題として第四騎士団のナンバーツーが駄目ならば、それ以下の人間では及第点にさえ届かないだろう。つまり選択肢は無いに等しい。

 ちらと窺うと、どう見ても渋い顔でアークが目を眇めていた。

 この詰め方。

 何度か覚えのあるこれは、相手を絶対に逃がさない時の特徴だ。

 言いたいことは分かっている。

 ここまでくると観念するしかない。一呼吸置いて真澄は本音を出した。

「本当は分かってるのよ。あなたに頼むべきだって。でも言えないんだからしょうがない」

 アークだからではない。

 きっと誰であっても真澄にとっては同じなのだ。

「迷惑をかけたくなくて。誰かの荷物にはなりたくない」

「荷物だと? 俺はマスミをそんな風に思ったことなど一度もない」

「うん、分かってる」

 分かってる。

 真澄が同じ言葉を続けると、ふとアークが黙りこんだ。

「……分かってるから、もう少しだけ待って。私はまだあなたに何も……はいもいいえも答えられない」

 自分の一生がかかっているから慎重になっているのではない。

 同じく相手の人生もかかっている。

 本当に自分でいいのか、自分にその資格があるのか、もう少しだけ考えたいのだ。

「分かった」

 簡潔に応諾があった。

「王女に会うことはマスミの答えの一助になるか」

「それは……もちろん」

「なら俺が行く」

「でもアークは忙しいし立場があるし、いきなりはさすがに難しいんじゃ」

「馬鹿野郎。選んだ相手の守りを他人にやらせるほど無責任じゃねえぞ俺は。むしろそういう人間だと思われてたんならそれは甚だ心外だし、今まさにこの場でその考えを改めろ」

 噛み付く勢いのアークに、真澄は首肯を返すしかできなかった。

「とはいえ取れる時間は一日だ」

 帝都に戻ってやることが山積みになっている。

 そう呟いて窓の外を見るアークの目はどこか遠かった。


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