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ドロップアウトからの再就職先は、異世界の最強騎士団でした~訳ありヴァイオリニスト、魔力回復役になる~  作者: 東 吉乃
第三章 生き方の決め方

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89.魔術士というもの・12


 遠ざかる靴音が完全に聞こえなくなってから、カスミレアズは詰めていた息を吐いた。

 安堵と合わさってか緊張に遠のいていた痛みがどっと戻ってくる。額の不快感を掌で拭えば、冷たい汗でびしゃりと濡れた。


 気付かれただろうか。


 考えて、逆に気付いていないはずがない、と苦る。

 自分の試合運びが磐石であったのなら総司令官はここに来ない。来る理由がないからだ。ただの労いならば宿舎に戻ってからで事足りる。

 つい先刻の情景が脳裏によみがえる。


 光と土煙に紛れた一瞬の攻防。


 フェルデはためらわなかった。双眸に宿っていたのは紛うことなく激情で、しかしそれが憎悪なのかどうかは分からなかった。

 その強い意志はカスミレアズの身体を貫いた。

 防御壁が間に合わなかったわけではない。温存していた魔力は全て注ぎ込んだ。普通ならばそれは琥珀の槍を折っていた。

 そうならなかったのは、フェルデも同じだったからだ。

 あの男も全てを一撃に乗せてきた。

 折れるはずの槍は最後に輝きを増して、青い盾は粉々に砕け散り、衝撃が胸を抜けた。

 それでも尚カスミレアズは地を蹴った。


 魔力は尽きた。

 だが長剣は折れずにあった。


 息を止め間合いを詰め己が分身を振るう。

 騎士として身を立てる時に、この生ある限り退かぬと決めた。誰が相手であろうと誓願を違えるつもりはない。

 切っ先は寸分狂わず喉元に突きつけた。

 皮一枚、僅かな震えでさえ血が流れるであろう近さで。

 反撃はなかった。引き結ばれた口元はもはや言葉を紡がず、だらりと下がった両の腕に宿る光は一筋もなかった。


 遠く、遥か彼方へは絶大な力を誇りながら、

 近接戦闘ができない者。


 肉薄されれば抵抗する術のない弱さ。


 その宿命からは、いかなる魔術士も──フェルデさえも逃れられない。

 彼らは大火力と引き換えに肉体の頑強さを捨てる。

 時間がないからだ。

 膨大な魔力を精緻に扱うには数千あるいは数万もの術式を覚え、またいかなる状況においても常に同じ結果を出せるよう発動制御を骨の髄まで叩き込まねばならない。

 仲間の誰が欠けようとも動揺してはならないし、相手が誰であろうと躊躇ってはならない。

 肉体よりなにより精神の強さが求められる職業だ。

 女神から授けられた力はその恩恵の大きさに合わせて相応の代価を必要とする。そんな現実をフェルデがどう思っているのか、長剣を突きつけた時の無表情からは量りかねた。

「近衛騎士長の看板は降ろせ」

 試合が始まる前、互いに礼を取る束の間にフェルデが言った。

 当然ながらカスミレアズの顔は険しくなったが、続けられた条件を怪訝に思い、最後は困惑の方が大きくなった。

「──自分程度をあしらえないのなら」

 間違いなくフェルデはそう言った。

 尊大で不遜な大魔術士にはあまりに似つかわしくない内容で、カスミレアズはまず己の耳を疑った。

 どういう意味だ。

 反射的に出かかった問いは試合開始の号令にかき消された。

 それから今に至るまでその真意は質せていない。果たし合いの様相を呈した試合中はもちろんのこと、終わりは互いに一礼を交わすだけで精一杯だった。

 話をする余裕は皆無。

 フェルデの顔面は蒼白で息が完全に上がっていたし、カスミレアズも負った深手を隠すことだけに集中していた。そのまま背を向け合い会場を後にして今に至る。

 控室を訪ねてみれば、あるいは話ができるか。

 フェルデの言葉、喉に刺さった小骨のような違和感を拭い去れずに腰を浮かしかける。だがその瞬間に身体が軋み、カスミレアズは諦めた。

 余計な動きをしている場合ではない。

 また一筋伝った頬の汗にカスミレアズの焦りは募った。

 実のところ胸に負った傷には何もしていない。既に鼻が麻痺していて自身では分からないが、この部屋には血の臭いが漂って──否、充満しているはずだ。総司令官が入ってくるなり顔をしかめ、さらに問い質してきたことが如実にそれを物語っている。

 カスミレアズとて意地を張っているのではない。

 どうかしたくともできないのだ。魔力は尽きているし、残っていたとしても自分の治癒では焼け石に水。考えるだに溜め息の出る現実に、ふと両親の顔が脳裏に浮かんだ。


 母は結婚を機に退役したが、それまでは宮廷魔術士団で大魔術士として仕官していた。優秀さは折り紙つきだったらしく、カスミレアズが見習いで宮廷に上がった時からその過去は周囲の人間から聞かされたものだ。

 そんな彼女であっても楽士と専属契約は結べなかった。

 理由は至極単純。

 男女の別なくもはや楽士の数が圧倒的に足りない。建国の頃、極小だった集落であれば専属契約イコール婚姻という形は合理的だっただろう。少ない人間それぞれに果たす役割があって、その中でも安全に直結する戦闘能力と補給は最優先されるべきものであった。

 翻って今はどうか。

 なまじその契約に補正をかける術を開発してしまったのが悪い。国を成すまでに増えた自分たちは、かつての救済措置に今やがんじがらめだ。

 大魔術士でさえそんな有り様なのだ。

 その最高位とはいえ一介の騎士に過ぎなかった父には楽士を娶るなど夢物語で、理想を追い求めることは到底許されず、結局はエイセル家として望ましい結婚に落ち着いた。


 そんな両親の馴れ初めを知っているからだろうか。

 フェルデがグレイスに固執する心情も理解はできた。ただしその強引過ぎるやり口にはまったく賛同できないが。

 ともあれ、カスミレアズ自身は慣習のとおりに楽士と一対一の関係を築くのはもはや限界だと感じている。その意味で、主であるアークが真澄に対して築いた関係は斬新で見習うべき部分が多い。色々言ってはみたが、実際にはあの二人の方が余程関係は進展しているのだ。

 自分はどう決着をつけるか。

 胸の内で呟きながらカスミレアズは立ち上がり、控え室を後にした。

 

*     *     *     *


 準決勝の朝が来た。

 カスミレアズはグレイスと共に砦の一室へと入っていた。試合開始前までの一時間、ここで魔力の回復を図るのだ。

 部屋に入るなりグレイスはヴィラードを奏で始めた。

 これからの試合を鼓舞するかのようにどれも勇壮だ。アルバリークを代表する難しい曲ばかりで、華奢な指と手首は休まず動き続けている。カスミレアズはその姿を椅子にかけたまま漫然と見つめていた。

 少しでも気を抜くと意識が霞む。

 痛みはもうあまり感じない。それよりも高いであろう熱が厄介で、どうしても集中が途切れがちになる。

「……長。エイセル騎士長」

「っ、は……?」

「エイセル騎士長。ご気分が優れないようですが……」

 気付けばグレイスがこちらを窺っていた。

 ヴィラードは置かれている。しかしカスミレアズにはいつから音が止まっていたのか記憶があやふやだった。

 間の抜けた返事にもなっていない返事だったが、彼女はそのまま待っている。銀色の視線は真っ直ぐにカスミレアズに向けられていて、その迷いなさにカスミレアズは僅か狼狽した。

「その、失礼した。少し考え事をしていたもので」

「……お怪我のことですか」

 随分はっきりと断言された内容にカスミレアズの心臓が凍りついた。

「いや、怪我などしては」

「嘘。隠しても分かります。確かに寝台こそ別でしたけれど、どれだけ一緒にいたとお思いですか」

 存外に強い口調でグレイスが押しきってきた。反論は許さないとばかり、そのまなじりはつり上がっている。

 控えめな彼女は口数は多くない。

 が、一度言い出せばそこに強い意志が宿る。どうやら逃げも誤魔化しもできそうになく、カスミレアズは観念した。

「心配痛み入る。だが問題ありませんのでどうか内密に」

 口止めを頼んだ途端にグレイスの顔色が変わった。

「棄権してください。本当は昨日からずっと、気が気ではありませんでした」

 同じ部屋、分かれて寝ていても漂う血の匂い。熱に浮かされて速く浅い呼吸に何度手を伸ばしかけたか。けれど不用意に近付けば起こしてしまう。少しでも多く休んでほしい、けれど本当にこのままで良いのか。

 一晩中悩み夜が明けた。

 それから今この瞬間までずっと言い出せなかった。けれどもう、と彼女は何かを振り切るように首を横に振った。

「わたくしなどの勝手な夢に充分すぎるほどして頂きました。本当にありがとうございます。ですが、誰かを犠牲にしてまで……エイセル騎士長にお怪我をさせてまで貫きたいわけではありません。ですから、どうかもう」

 続く言葉をカスミレアズは手で遮った。

 そして悟る。とうとうこれを質さねばならない時が来たのだと。


「──あなたの覚悟はその程度なのか」


 カスミレアズ自身が思っていた以上に強い声が出た。部下を叱責する時よりあるいは厳しい口調だったかもしれない。そんな事実に己の期待が存外に大きかったことを知る。

 かけていた椅子から立ち上がる。

 グレイスは凍りついたようにその場に佇み、しかし決してカスミレアズから視線を逸らそうとはしなかった。第四騎士団の人間よりよほど胆力が備わっている。

 そうであるからこそ彼女の他人を気遣う優しさが浮き彫りになるし、また同時にそれが彼女自身の足枷にもなっている。

「騎士団を支えたい──真の補給線でありたいのであれば、たかがこれしきで怯むな」

 言いながらカスミレアズは襟を引き胸元を開いた。グレイスが息を飲む。縫い留められた視線の先には赤黒く深い傷があるはずだ。血は止まったが録な手当てもしないままで、深く醜く汚れたそれは直視に耐えないだろう。

 言葉を失っているグレイスに、カスミレアズは尚も重ねた。

「最前線はもっと酷い。この程度で済めば良い方で、手足を失うこともあれば即死もあり得る。だが私たちは承知の上で騎士として叙任を受けた。そこに第一も第四もない。我らが本当に欲しいのは半端な優しさなどではなく、己が死ぬまで戦えるよう最後までヴィラードを奏でてくれる強さだ」

 後ろをついてくる従順さではなく、肩を並べる強さを。

 すぐに心配する濃やかさより、信じる勇気を。

 これまで一度として口にできたことはない本音だ。求めるのは酷だと分かりきっていたし、そんな相手と出会えるとも思っていなかった。


 この背中を見届けて欲しい。

 いつか膝が折れたとしても、自分の命はあなたの未来さき、その糧になるから。


 なんと勝手な言い分だろうか。

 誰かを守りたくて騎士になり、だが抱いた誓いの果てにいつかその誰かを置き去りにするかもしれないのだ、自分たち騎士というものは。そうであるから英雄などとは程遠い。

「意志があればこそ絶対に退けない時もある。(おもんぱか)って譲るばかりでは何一つ為し得ないぞ」

 己の過去が目蓋に浮かぶからだろうか。どうしても語気が荒くなり、そこでカスミレアズは口を閉ざした。

「……専属でさえないのに過ぎた言葉を申し訳ない」

 先に視線を外したのはカスミレアズだった。

 どこまでも彼女が目を逸らさずに待っているから、何かを勘違いしそうになって、自分を戒める。

 ところが追撃はすぐに来た。

「なぜ教えてくださったのですか」

 誰も、兄でさえそれを真っ向言ってはくれなかった。

 呟いた声は微かに震えていた。再びカスミレアズが目を向けると、しかしグレイスは泣いてはおらず、ただその唇を噛み締めていた。

 悔しいとも悲しいとも、どちらとも言い難い表情だ。

 涙をこぼさない気丈さと無言の時間。カスミレアズは戸惑い、やがて答えを出した。

「申し込みたい相手に自分の本音を明かさないのは卑怯でしょう。まして私は軍人で、あなただけを守ると約束できない男です。互いに時間をかけることが許される立場でもない」

 そうであればこそ、姑息な駆け引きの余地などない。

 とはいえ、

 まさかこんな形で白状することになろうとは露ほども考えていなかった。言い方もさることながらタイミングもあれこれ思案していたというのに、その全ては無駄に終わった。

 しかしここまで来たならもはや後には退けない。

「帝都に戻った後しかるべき時期にガウディ家にお伺いしますが、返事を強要するつもりはありません。ただそれまでには……もうあまり時間はありませんが、考えて頂ければと思います」

「……分かりました」

 少しだけ溜めてからグレイスが頷いた。その顔は真剣そのもので、さながら軍議に座しているかのようだ。

 甘い雰囲気は皆無。

 いつもの控え目な立ち居振舞いとは異なる、どこか自分たち騎士にも似た剛健さが宿っていた。そんな彼女は「一つだけ」と断りを入れて口を開いた。

「もしもお応えできなかったらどうしますか」

「それをここで訊きますか」

 既に申し込まれているも同然の当人が出す仮定ではない。

 断る布石としか聞こえない内容に毒気を抜かれ、カスミレアズは苦笑した。

「その場合は親の顔を立てる形に落ち着くでしょうね。自分としてもあなたでなければ誰であっても同じですから、正直どうでも」

 が、銀の乙女は「違います、そういうことではなくて」と静かに、しかし強く声を張った。どうでもいいと言いかけながら遮られたカスミレアズはその剣幕に押され思わず顎を引く。気付いているのかいないのか、彼女はその細い手指でヴィラードが置かれている卓を叩いた。

 タン、と軽くしなやかな音が鳴った。

「わたくしの気持ちがエイセル騎士長に添いたくても、家の反対があるかもしれません。出奔するならば色々と準備がいりますから」

 頬に手を当てグレイスが考え込む。「楽譜全部は無理かしら……お兄様にお願いするしか」などと鈴の声で小さく呟いているが、


 どう受けとればいいんだそれは。


 胸の内でカスミレアズは叫んだ。

 成り行き上とはいえほぼ申し込んだも同然の内容を口走った自分も自分だが、それに対して当たり前のように色々と考えを巡らせる彼女も彼女だ。

 目が合う。

 彼女ははたと黙りこんでその細い手指で口を覆った。

 互いの間合いを量り、無言になる。

 カスミレアズが真意を質そうとした時、ちょうど扉がノックされ、来訪者を告げた。

「……どうぞ」

 後ろ髪を引かれながらも扉へ応える。

 顔を出したのはレイテアの運営だった。

「時間です。準備は宜しいですか」

「ああ、……はい」

 一瞬だけ歯切れが悪くなったのは、準備などまったくできていないからだった。

 治癒をかけるどころか魔力の回復さえ終わっていない。

 とはいえそれは自分たちの選んだ結果で、猶予を頼めるはずもない。カスミレアズは外していた胸当てをまとい長剣を手に取った。

 視線を背中へ送る。

 そこには無言のまま手際よくヴィラードをケースに収めるグレイスがいて、その頬は心なしか引き締まっているように見えた。

「どうぞこちらへ」

 運営が扉を手で押さえ先の道を指し示す。

 朝の光が射し込む。カスミレアズが目を細めた時、柔らかな風が襟足から頬を撫でた。少し遅れて微かな香りが鼻腔を掠めて、

 花か。


 いや違う、これは太陽の──


 確かめたくてそれを追う。その先、目の端を横切っていったのは流れるように翻る銀糸だった。

 細く華奢な背中は迷うことなく外へ向かい、律動的な靴音は殊更に高く澄んでいた。

 やがて振り返った彼女の瞳は、真っ直ぐにカスミレアズを射抜く。

「参りましょう」

 エイセル騎士長、と呼ばわる声。

 その強さ。

 無駄な言葉は重ならない。行動が示す彼女の意志を確かに受け取り、カスミレアズは襟を正す思いで準決勝へ踏み出した。



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