85.魔術士というもの・8
「まったくもって言語道断だ。防御壁を破るだけに飽きたらず、試合にまで介入するなど我が国の姿勢そのものを疑われるのだぞ」
くどくどと長い説教はかれこれ一時間ほどにも及んでいた。
内容は既に三順目に入っており、端で斜め聞きをしているライノでさえいい加減耳にタコができそうだ。その度に素直に頭を下げる主――アナスタシア=レイテア――の代わり、せめてもライノは頭の中で反駁する。
保身を図りやがって、と。
目の前で続く小言の中に、参加は自己責任、だが王族としての立場をわきまえろという都合の良い言葉がここぞとばかりに転がり出てきた。主の実の父親、レイテアの現国王から。アナスタシアがひたすら小さくなっているのをいいことに、ぶつけられる言葉はまったく斟酌されていない。
所詮は沢山いる王女の一人でしかないということだ。
アナスタシアの持つ魔術士としての豊かな才能を国王は折に触れ誉めそやすが、だからといって特別かわいい娘だというわけではないのだ。
武楽会へ出たいというアナスタシアの希望も最初は単なる世迷い言として片付けた親だ。本気云々の遥か手前、雑談以下の扱いで翌日には忘れていた。必死に訴える娘が「魔術士を辞める」という捨て身の交渉を繰り出してようやく、「王女が我儘を言っている」と認識したくらいで。
その段階においてもまだ単なる我儘としか捉えない姿勢に、ライノは憤った。
それでも親か、と。
口には出さなかった。不敬に過ぎる。だが隠しきれない不満が顔に滲んでいたのだろう、国王の御前から退出する道すがらにアナスタシアが苦笑しながら「ごめんなさいね」とライノに言った。
お父様はわたくしに興味がないから。
それを呟いた時のアナスタシアの顔が忘れられない。
笑った。困ったように。
どう表現したら良いだろう、一人で道を歩いていて不意に転んだ、それを通りすがりの他人に見られたことに気付いて、照れ隠しをするような。
次いで、お父様は面倒ごとを嫌うから、とも言った。
魔術士を辞めるという決意が交渉になり得たのは、ひとえにアナスタシアの縁談に関わってくるからだ。末の王女におそらく王位は回ってこない。となるとどこか降嫁先を探すのが順当だが、当代きってと呼んで差し支えない実力を誇る魔術士であれば、黙っていても申し込みは途切れない。ただの王女に戻るとそれがなくなるわけで、つまりその分手間が増える。
ただでさえ沢山いる王女たち。
国王が一つ一つの縁談に熱量を割いていないのは側近には周知の事実だった。
そんな風に関心を持たれていないと知っていて尚、アナスタシアは国王を立てる。
実力にそぐわない真騎士部門の出場に頷いたのがそうだ。
対外的には娘の身を案じすぎて過干渉となった、そう思われているが実態は違う。ライノからしてみれば、娘どうこうではなく優秀な魔術士をうっかり損ねたくない、降嫁先をうまくすればさらに良い魔術士に王家の首輪をつけられるのだからと、そんな思惑が透けて見えた。
アナスタシアがそれを分かっていないはずがない。
実の父親に興味を持たれていない、平たく愛されていないと理解しかつ冷静に受け入れている彼女は、にもかかわらず恨み言一つもらさずまた笑ったのだ。
目的はあの召喚した楽士を取り戻すこと、だから部門の枠が取り払われる選抜トーナメント、個人戦にさえ出られたらいい。
物分かりよく受け入れた表の顔、実際の心中はいかばかりだっただろうか。
本当の目的は、楽士のその先にあるというのに。
遠く焦がれ続けた相手。
アークレスターヴ=アルバアルセ=カノーヴァという名の男。
部門が同じでさえあれば、晩餐会という公的な行事の中で初めて言葉を交わすことも夢ではなかった。個人戦ではその名のとおり個の名誉を求めて戦うのみ、言葉どころか刃を交えるだけだ。どうにか掴みとったただ一度の機会は、どうにも主に優しくない。
ライノは眉間に力を込めた。
黒装束は顔を覆い隠してくれる。だが今は「王女の騎士」という表の仕事中であって、鎧は着込んでいても面はない。誰に見られても平気な無表情を取り繕わねばならず、どうにもそれが苦しかった。
そうこうする間も、一方的な糾弾は続く。
「王太子殿下が寛容な御方だったから良かったものの……まかり間違えばお前への処断は免れなかったぞ」
ここで大仰なため息が一つ。
そしてこれまではひたすら頭を下げ続けるばかりの主の肩が、僅かに揺れるのもここだ。だが口答えは一切ない。
本当に反省しているか、言っても無駄だと思っているか。
おそらく後者だ。
規定違反で罰則をくらうことと命の危険が同列に語られている時点で、こちらの主張が聞く耳持たれないのは自明である。周囲に気取られないよう、ライノはそっと息を吐いた。
そう、
アルバリークの魔術士はとんだ食わせものだった。
確かに若手ではあるが実力が桁外れもいいところで、偶然とはいえこちらの首席が相手で幸運だった。あれが同列三位と試合をしていたら、持ちこたえきれずにアナスタシアの守りが間に合わなかったかもしれない。
殺さないこと。
暗黙の了解であるが明確な規定ではないその一線。配慮ともいうべき建前は、アルバリークの魔術士には一切なかった。
レイテア陣営は震撼した。
飲み込まれかけたこちらの首席は精神が不安定になり、今も治療のため医師の管理下に置かれている。復帰がいつになるかは定かでない。武楽会終了に間に合えば良いが、見通しは医師でさえ分からないと言を濁した。
ライノにしてみれば、相手の寛容さに感謝するどころか「しっかり手綱を引いておけ」と苦情を入れてもいいくらいの話だ。
形上はアナスタシアの試合干渉が物言いの発端となっているが、それも元はといえば致死級の大技を放った人間がいるからである。躾が悪いにも程があるのであって、監督不行き届きで詫びがあって然るべきだ。
つらつらと思考を巡らせていると、不意にそれは大きなため息に遮られた。
床に落としていた視線を上げる。
国王が苛々と腕組みをするところだった。そして、
「残る二試合は謹慎だ。観戦は許さん」
不機嫌もあらわに宣告する。
アナスタシアからは「え、」と素の驚きが漏れた。
「そんな」
「文句があるのか? 反省が足りないようだな。ならば個人戦の出場も許すわけには」
「い、いいえ! ……申し訳ございません、謹慎お受けしますので、それだけはなにとぞ」
下げた頭の勢いで、艶やかな栗色の髪が跳ねた。
王が王女を睥睨する。親子であるのに他人より遠く見えるその光景は、とても奇妙だった。
「……これきりだぞ」
低く唸った声は、退出の時間が来たことを告げていた。
武楽会期間中に用意された部屋に戻るまで、ライノは一言も喋らなかった。
主が口をつぐんでいたからだ。
背中を守りながら時折窺ってみるが、すっと伸びた背筋は変わらなかったし、歩く速さもいつもどおり小気味良かった。
宿舎に戻ると出場者全員が不安げな様子で広間に集まっていた。そしてライノとアナスタシアの姿を見るや駆け寄ってきて、口々に面会結果を案じた。
「お咎めなし、大丈夫です。個人戦には出られます」
いたずらっぽく微笑みながら端的に報告したアナスタシアに、全員が安堵の息を吐く。
お咎めなしと言い切るにはそこに至るまでがどうかとも思う。
しかしそんな実情をライノが細かく説明する権利はないので、やはりここでも黙る一択である。
「ただ、団体戦は謹慎になってしまいました。あちらの王太子殿下が本来あるべきわたくしの処罰を取り成してくださったそうで、こちらも相応の姿勢をお見せしなければなりませんゆえ。一緒に応援したかったのですが無理そうです。すみません」
心底申し訳なさそうにアナスタシアが目を伏せる。
端的ながら反駁しようのない理由に魔術士たちは納得せざるをえず、場が沸騰することはなかった。
いつものことながら言い回しが濃やかだ。
どこにも悪者がいなくなった。
相手の意をどこまでも好意かつ丁寧に汲み取る王女は、余計な軋轢を遠ざける。他人の快不快にことさら敏感なその姿勢は、実の親を見て培われたものだとライノは知っている。父王は自身と政にしか興味がなく、母姫は権謀術数が渦巻く後宮で生き残ることに腐心していた。
両親から関心を持たれなかった王女。
彼女を育てたのは雇われの乳母で、しかし彼女はそれに感謝していた。
一人では長じることはできなかった。
彼女は今でも折に触れその言葉を口にして、だから周囲の善意を疑わない。否、何を進言したとしても疑おうとしない。頑なに。
そんな生い立ちを知る由もない下々は、聡明で優しい王女は父王を初めとして沢山の愛に包まれて育まれた賜物だと信じている。
今この瞬間もそうだ。
この武楽会まではアナスタシアと接点などほとんどなかった魔術士たちだったが、親しみやすく優しいアナスタシアの言うことを丸呑みしている。
労りを向けてくる仲間たちに礼を述べながら、アナスタシアは「少し疲れたので休みます」と肩をすくめ、長くなりそうだったその場から上手く抜けた。
そして、気兼ねのない――ライノ以外の目も耳もない、アナスタシアの部屋で。
「でも、……さすがに疲れたわね」
寝台に身体を投げ出して、アナスタシアの素直な言葉が転がり出た。
「お父様ったらどうして同じことをあんなに何度も繰り返せるのかしら。わたくしだったら先に何を言ったかなんて忘れてしまうわ」
嫌味ったらしくなく、純粋に尊敬している声音だ。
こういうところで違いが出る。
あの時ライノは黙って聞いているふりをしながら、その実内心では散々反抗していた。その後ろめたさもあってか相槌は打てなかった。
「ねえライノ」
寝台に寝転がったまま視線だけが向けられる。
柔らかな新緑の瞳だ。
「はい」
ライノが返事をすると、華奢な身体が弾む寝台の勢いを借りて跳ね起きた。
「最終試合、見てきてね。わたくしの代わりに」
「駄目です」
「なぜ?」
「主が謹慎を受けているのに出歩けと? 私はあなたの騎士なのですから」
「んもう、こういう時は頭が固いんだから。いつもは勝手にあちこち行ってしまうくせにっ」
憤慨したアナスタシアが頬を膨らませる。
痛いところを突かれてライノの居心地は悪くなったが、アナスタシアからの追撃は来なかった。
かわりに彼女は身体の半分ほどもある枕に顔を埋める。
どう見てもふて腐れた子供そのものの態度に、ライノの頬が緩んだ。
「相変わらず行儀が良いですね。もう少し粘ってみればいいのに」
「なあに、それ」
どっちなの、と眉を下げながらもころころ笑うアナスタシアは、本当に真っ直ぐだ。裏を読むということをしないし、裏があるとも思わないのだ。
こういう気性を目の当たりにするだに、つくづくライノ自身とは生きる世界が違うのだと再確認させられる。
そんな場面はこれまで数えきれないほどあった。
その度にライノは小さく自身に苛立ちを覚えていたが、それもあと何回あるだろうか。
終わりは遠からず来る。必ず。
そしておそらくは望まない形で。
誰の、とまで考えて不毛さに自嘲する。
アナスタシアの望みはライノのそれではないし、ライノの望みもまたアナスタシアのそれではない。二人同時には叶わないことは端から分かっている。
確定された未来を思えば、せめてものはなむけに多少の無理は叶えたかった。
「抜け出せばいいんですよ。変装して観客に紛れてしまえば誰も私たちに気付くわけがない。どうせ国王ご自身が本当に謹慎しているかを確認するわけがないんだから、見張りは適当に買収したらいいだけの話です。重大な犯罪を犯して国外逃亡を企ててるわけでもなし、簡単にいきますよ」
「……悪知恵が働くのね」
「どうせ最後の武楽会でしょう。ならばやるだけやってみて、上手くいけば儲けものでは?」
虚を突かれたようにアナスタシアが一瞬黙る。
やがて嬉しいような悲しいような、どちらとも取れる曖昧な微笑みが浮かんだ。
「最後……そう、そうね。きっとそうなるわ」
呟きは彼女自身に言い聞かせるようだった。
今回の武楽会が始まる直前、停戦協定が締結された。レイテアから申し入れて、アルバリークが受けた形だ。
理由は至極単純。
レイテアの国力が落ちている。そこに相まってかつてない規模の赤の周期が重なり、駄々を捏ねている場合ではなくなった。
これほど長年争っていて、しかもその発端はレイテアにあって尚こうして配慮される時点で、やはりアルバリークは宗主国なのだ。建前上、レイテア独立を認められていても。
「終戦になれば、武楽会そのものの開催意義がなくなるものね」
元は和平交渉の糸口の一つとして始まった試みである。
国の威信をかけた行事となって以来、勝利に対する報酬はつり上がり続け、今では金品に限らなくなっている。
富も名誉も、そして想う相手さえも。
力さえあれば望むままに手に入れられる。夢と呼ぶべき登竜門は、今まさにおとぎ話の過去になろうとしている。
「絶対に負けられないわね」
アナスタシアの頬が引き締まった。
「わたくしは必ず楽士を取り戻します。そして、アークレスターヴ様に……」
決意は飲み込まれた。
ここに至るまで何年にもわたって抱き続けられているから、今さら声にするまでもないのだ。
「御意」
ライノも短く返す。
その中には「どんな手段を使っても」という黒い意志が宿っている。
主は――アナスタシアは、どこまでも白い。
その清廉潔白さは美徳だが、それではいつまで経っても望みは叶わない。
だからライノが汚れればいい。
どうせ王女の騎士で在り続けられはしないのだ。近い未来に別れゆくならば、最後にその願いの全てをどうか叶えたい。




