84.魔術士というもの・7
五百年という節目にその火は燃え盛った。
アルバリーク建国記、ちょうど中ほどにその逸話が記されている。「決別の神火」と銘打たれた話はこれまで書き連ねられてきた幾多の魔獣平定とは趣が異なり、神々の戦いが主題だ。
刃を交えたのは女神デーアとその兄神とされている。
元より罪を犯して放逐された女神デーアだったが、恩赦が与えられたのだという。五百年にも及ぶ魔獣討伐が評価された、神々の国の情勢が変わり女神デーアの力が必要になった、などと幾つか理由は挙げられているが、根拠はなく明確ではないと文は結ばれている。
ともあれ、迎えは来た。
だが女神デーアはその手を払い除けた。
この理由もまた定かではない。建国記で書かれているのはそこにあった事実だけ――兄が激昂し、妹が真っ向受けた――で、なぜ兄神が怒り狂ったのか、妹神が一歩も退かなかったのかは触れられていない。
そして結果だけが後世に語り継がれている。
女神デーアはかつていた世界には二度と戻らない。その意志は金色に輝く火となり兄神に降りかかった。焼けただれた兄神は還ること叶わず、アルバリークの大地に散った。
古き世界からの音沙汰は後にも先にもこの一度きり。
これをして「決別の神火」と呼ぶのだ。
* * * *
そんな神話に基づく三曲目は、激しさの中にもどこか寂しげな旋律が重ねられていた。
ひたすら勇壮だった最初の「荒野に吹きすさぶ風」とは違う。曲調の激しさなどは似ているが、こちらは舞曲の三拍子で、その速いテンポが緊張感をもたらしている。
楽会としては最高に盛り上がった。
二人の楽士――レイテアの首席と、アルマ――は、互いに一度もミスをすることなく最後まで弾ききった。実力を鑑みると順当といえば順当な結果だったが、観客からすると彼女たちの腕前がどれほどなのか分からないわけで、その意味で実力伯仲の二人は単純に勝負として面白かった。
補給線は互角。
よって、三戦目の行方は正しく武会に委ねられた。
その日の午後。
武会会場に立ったフェルデは、魔術士のローブをまとっていた。漆黒の長衣はまごうことなく宮廷魔術士団の制服だ。
対峙するレイテアの魔術士もその色は違えど同じく長衣を翻している。
この一戦で、神聖騎士部門の雌雄が決するかもしれない。勝負どころという意味で観客は膨らむと予想されていたが、加えて滅多にない魔術士同士の対決とあって、これまでとは比較にならないほど大勢が武会会場につめかけていた。
どんな試合運びになるだろう。
フェルデが初撃で倒れたとしたら、アルバリークの被る風評はいかほどか。考えたくないが、どうあっても拭いされない不信感が真澄の心に影を落とす。
だが口には出せない。
たとえフェルデが「協力しない」と最初から宣言していたという事実があっても、勝負の結果に言い訳はできないし、まして再戦など頼めるはずもない。そしてアルバリークはそういう人物だと承知で人を替えずにここまで来た。つまり言うだけ詮ない話なのだ。
「ねえ。魔術士ってあんまり若手は出ないものなの?」
ともすれば口から滑りそうになる懸念を忘れるため、真澄は意識して話を振った。
目の前にいるレイテアの首席は壮年に差し掛かるくらいか。
彼が最年長と見受けられるが、それを差し引いても魔術士たちはいずれも真澄より上に見える。アルバリーク陣営は基本的に二十代の若手が多く、その差は歴然としていた。
が、
「充分若い」
アークの答えは真澄の首を傾げさせた。
その仕草が解説を引き出す。
「一人前になるまでに魔術士の方が時間がかかるんだ」
「そうなの? どれくらい?」
「一声十年てところか」
軽く言われたが、その長さに真澄の目は丸くなった。
アークの言に照らし合わせるとレイテアの魔術士たちは確かに若手だ。騎士は五年ほどで一人前とされる正騎士になるわけで、比べると倍も違う。
「もう一つ言えば、誰もが一人前になれるわけでもない。そこが騎士と違う」
「なれない……って、どういうこと」
「どうもこうもない。クビだ」
「……え」
首。
その単語が真澄の頭で「解雇」という解釈に至るまで、しばらくかかった。
それが持つ残酷な意味に僅かばかり心がすくむ。かつて真澄自身もお払い箱になった過去がある。形式上は自主退職だったが、あれはあくまでも当時の上司の温情だ。
次の就職に、少しでも障りないようにと。
真澄の病が判明してから退職するその日まで、上司は一度も真澄を責めなかった。それどころか闘病生活を気遣い、やがてくる新しい生活を応援してくれる人格者だった。
真澄は幸運だった。
同じ解雇でも、誰もがこうして恵まれているわけではないだろう。アルバリークの再就職事情がどうなっているか、詳しくは知らないけれども。
思わず真澄は黙りこんだが、それをどう受け取ったのかアークは「誰彼構わずクビってわけじゃねえぞ」と注釈を寄越してきた。
「魔術士には階級が三つしかない。従と正、それから大魔術士。従の期間が十年くらいあって、毎年所定の試験がある。そこで成績を出せなかったら、だ」
正魔術士に昇格したら基本的に解雇はない。
さらに上級である大魔術士は誰もが目指すところであるものの、神聖騎士と同じく才能による部分が大きく名誉職扱いである。
続いたそんな説明に、真澄の視線は自然と会場に立つ二人の魔術士に向かった。
フェルデは大魔術士だったはず。
対峙する相手もそうなのだろうか。なにせ部門の名前に「神聖騎士」と冠されているわけで、釣り合いを考えると妥当と思われるがどうだろう。
「相手も大魔術士なの?」
「分からん」
「なにそれ」
「大魔術士なんぞそういるもんじゃない」
実のところ、武楽会に出場しているレイテアの魔術士はどの部門であってもその階級はほとんどが正なのである。従魔術士は当然ながら出場自体できず、一方で大魔術士はそもそも人数が限られている上に若手とは言いがたいことがほとんどだからだ。正魔術士の中でも魔力量には幅があるので、あとは各部門の規定量に準じた人間がそれぞれ出場することになっている。
いずれにせよ、階級は魔力量を視なければ量れない。
しかし『視る』のは承知のとおり非常に難しいため、結局は先ほどの投げっぱなしなアークの答えが出てくるという寸法なのだ。
「大魔術士はそうそういないって言うけど、じゃあフェルデって実はそこそこすごいの?」
信じられないんだけど。
真澄の顔は自然と渋くなる。ガキを拗らせてそのまま大きくなったようなあの男が、とつい小言を付けたくなるがそこはぐっと我慢した。
しかし不満は表情に出ていたらしい。
アークが「すごいことになってるぞ」と言いながら眉間を指してきた。
「人間性と態度はともかく、魔術士としての実力は折り紙付きだ。あいつまだ二十の半ばだろう」
順当どころか飛び級で昇格しているはずだ。
そうでなければあの若さで大魔術士にはなれない。よほど努力を重ねたのだろうと評したアークに、思わず真澄は険のある視線を返した。
「人より努力できて結果優れてるからって誰になに言っても良いわけじゃないわよ。教えたでしょ、あいつがグレイスに言ったこと。勘違いも甚だしいっつの」
「おい落ち着け、俺を睨むな」
「あんたがあいつの肩持つようなこと言うから!」
「あれの善し悪しを言ってるんじゃねえよ。ただの事実だ。そもそもお前が最初にすごいかどうかを聞いてきたんだろうが」
呆れ顔のアークに綺麗にかわされ、憤慨しつつも真澄は深呼吸して落ち着きを取り戻した。
どうにも沸点が低くていけない。
気を紛らわすために会場に注意を向けると、ちょうど審判が試合開始を宣言するところだった。
* * * *
繰り広げられた戦いは異彩を放っていた。
巨大な光が煌めき空が満たされる。二色が混ざり合い四散する様は幻想的で、極光のようでもあり花火にも見えた。
そして見た目の美しさとは裏腹に、轟音が絶え間なく響く。
小刻みに揺れる大地がぶつかる力の凄まじさを物語っていて、これまでの騎士と魔術士の組み合わせとは根本的にその展開、戦い方が違っていた。
二人の魔術士はどちらも動かない。
最初に立ったその場所に不動のまま、手を僅かかざすだけで長衣が翻る。
光の共演はただただ美しい。言葉を失うほどに。
しかしそれは長くは続かなかった。
それまでは相手からの攻撃をさばく一方だったフェルデが、ある時を境にして攻勢に転じたのだ。
琥珀の光が残像を残して宙を駆ける。
さながら流星のようだ。真昼にもかかわらず強く輝くそれらは、相手の薄紅色を塗りつぶして侵食した。
まさか。
声を上げたのはリシャールだった。真っ向から魔力枯渇が極るなんて、と続いた声は呆然としていた。カスミレアズとヒンティ騎士長も目を瞠っていた。
勝負あった。
審判が手を上げかけたが、勝者宣言は為されなかった。更に大きく膨らんだ琥珀の光がそれを遮ったからだ。
フェルデの手から放たれた光は、真っ直ぐにレイテアの魔術士めがけて馳せていく。神速で。フェルデの顔色は変わらない。いつもと同じように、否、いつも以上に退屈そうなまま。
片や相手の首席はなにかを叫んでいた。
どう見てもその顔は恐怖にひきつっている。しかしお構い無しに琥珀の光は牙を剥いた。
そして終わりは唐突に訪れた。
三色目の光が弾ける。
そのばら色はフェルデの琥珀を打ち消し、餌食になりかけた首席を守った。
目が眩むほど満ちていた光が失せる。
直後、轟音。
それは観客全員の耳をつんざき、会場全体に張り巡らされていた防護壁を揺るがした。
* * * *
審判は勝者宣言をしなかった。
なにかを手短に説明していたようだがあくまでも選手に対してのみであり、彼はそのまま運営本部へと戻っていった。
二人の魔術士も彼に倣い、会場を後にする。本来であればその場で勝利者が讃えられるはずだったが、少し経ってから試合結果について協議中であるとのアナウンスが入った。
物言いがついた為、と端的な理由も述べられる。
それが一体どこからついたのか、その根拠はなにかなどの詳細は一切明かされなかった。
観客席は騒がしい。
が、関係者席も似たようなもので、アルバリーク、レイテアの双方がそれぞれに憶測を飛ばし合っていた。
運営本部の幕はぴたりと閉じられている。
中でどのような話し合いが行われているのか、芳しいのかそうでないのかさえ分からない。なにより肝心のどちらに非があったのかが見えず、気持ちの方向が定まらない。
そうこうしていると、フェルデが席に戻ってきた。
無表情というよりは仏頂面だ。そのまま誰とも口を利かず座るかと思いきや、アークが呼び止めた。
「殺したいほど因縁のある相手だったのか」
無視するかと思われたがしかし、フェルデの足が止まった。剣呑な視線だけがアークに向けられる。言葉はなかった。
しかしアークもまたそこで言葉を区切った。
ただ静かに待っている。必ず返答があるものと疑わない顔で。
しばらくはだんまりを決め込んでいたフェルデだったが、向けられる強い視線にうんざりしたのか、やがてその口を開いた。
「別に」
投げやりな声だ。
「適当に手を抜いて負けようと思ったら、予想以上に相手が弱くて苛ついた」
いつまで待っても決定打のない相手、このままでは勝負がつかない。痺れを切らして少し反撃してやると相手が捌けなかった、ただそれだけのこと。
殺すつもりなど微塵もなかった。
禁じられた即死を誘う古式魔術を使ったわけじゃない。誰もが知る現生魔術ごときでなにをそこまで騒ぐのか理解に苦しむ。
淡々とフェルデが言う。
内容をどう斟酌したのか、少し考えてからアークは「休んでいい」とフェルデを放免した。受けたフェルデは踵を返す。宿舎へ戻るのだろう。組んだアルマがなにかを言いたげだったがフェルデの背中は一切の接触を拒んでいるようで、結局アーク以外の誰も声をかけられなかった。
「……確かにフェルデの方が実力は上だったでしょうけど、言うほど相手が弱かったようにも思えませんが」
ぽつりと呟いたのはリシャールだった。
「あの首席、大魔術士ですよね? 最初の五連撃、範囲攻撃の最上級でしたし」
「かといって保身に走ったとはとても考えられんが」
首を捻るのはヒンティ騎士長だ。
彼が指摘しているのは組決めの時の一悶着だ。アルマが周囲からの評価を持ち出して釘を刺していたのだが、そんなことを気にするような性格ではないはずだ。
なぜ。
疑問は募る一方だ。あれだけの啖呵を切ったにもかかわらず、翻意したのは一体、なぜ。
憶測の輪に入っていないカスミレアズが無言のまま、立ち去る背中を見つめていた。
それからおよそ三十分ほど経った頃、運営からこの三戦目についての協議結果が発表された。
勝敗はつけない。
つまり無効試合にするという結論に至った、と短い説明があった。
武楽会史上初のことである。
前代未聞の決着だった。




