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ドロップアウトからの再就職先は、異世界の最強騎士団でした~訳ありヴァイオリニスト、魔力回復役になる~  作者: 東 吉乃
第三章 生き方の決め方

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81.魔術士というもの・4


 リシャールの呟きを契機に夜の団欒はお開きとなった。

 真澄とグレイス、そしてシェリルは部屋がそれぞれ隣あっているので三人連れだって戻る。歩く間はグレイスもシェリルも押し黙ったままで会話は一つもなかった。

 揺れる光球が古い廊下を照らしている。

 最初に通りがかったのはシェリルの部屋だった。扉の前には護衛の騎士が立っていて、ヒンティ騎士長はまだ戻っていないと告げてきた。

「そう」

 言葉少なにシェリルが受ける。

 なにかを言いたげな間が僅か空く。そのままドアノブに手をかけた彼女は、ためらいがちに振り返ってきた。

 視線はグレイスに向かっている。

 相変わらず強く輝く瞳だがしかし、そこにはかつてのような険は混ざってはいなかった。

「……私とあなたの出自では、比べることさえおこがましいけど」

 自分たちだけに届く密やかな声だ。

「あなたも捨てることができたら楽になれるのにね」

 おやすみなさい。

 相槌を待たずにシェリルは部屋へと入っていく。後に残ったのは立ち入るまいと廊下の遠くを見遣る護衛だけだった。

 長居は無用だ。

 立ちつくすと要らぬ心配をかける。

 真澄が歩を進めると、少し遅れてグレイスもついてきた。次は彼女の部屋だ。真澄は「また明日ね」と声をかけたが、それに対する返事はなかった。

「マスミさま」

 代わりに意を決したような緊張で呼び掛けられる。真澄はその場に留まって小首を傾げた。

 きっとグレイスはなにかをその胸に秘めている。

 思い悩むのか、迷うのか、逡巡するのか。あるいは別の(なにがし)か。いずれにせよ長くなりそうなので、真澄は扉を指差した。

「ここは声が響くから、中で聞くわ。どうせカスミちゃんも戻ってないだろうし」

 同じく扉の前に立つ騎士に目線で尋ねると、彼は一つ頷いた。


 部屋の中は綺麗に整頓されていた。

 ものがあるべき場所に収まっている。滞在から既に半月ほど経っているにもかかわらず、今からでも新しい宿泊客を迎え入れできそうだ。二人部屋とはいえその二人が二人とも几帳面だとこうなるらしい。自室の散らかり具合とその犯人を脳裏に思い浮かべ、真澄の目はつい眇られた。

 そんな真澄に気付くことなくグレイスが窓際のソファを勧めてくる。礼を言いながら腰を下ろすと、反対側にグレイスがかけた。

「いいわよ、なんでも訊いて」

 グレイスが口を開く前。

 真澄は前置きを飛ばして本題を促した。放っておけば確実に「夜分に申し訳ありません」という謝罪から始まるのだ、真面目な彼女のことだから。

 答えられることなら全て答える。

 そう続けた真澄に、グレイスは目を伏せた。

「……マスミさまのご実家のことをお伺いしたくて」

「実家?」

「お気に障ったなら申し訳ありません。あまり記憶も定かでないところに……」

「あー、と。それは構わないけど」

 そういえばそういうことにしていたのだった。

 グレイスと出会った当時、真澄にはまだスパイ容疑がかかっていたので、自身のことを無駄に詮索されないよう記憶喪失を装ったのだ。本人さえ忘れかけていた話をよくも細やかに覚えているものだと感心する。しかしそんな内心をぶちまける訳にもいかないので、真澄は鷹揚に手を振った。

 それにしても予想外の問いで真澄の眉が上がる。

 てっきり先ほどのシェリルの態度に心当たりがあるかどうかを訊かれると思っていたのだ。

「私の実家がどうしたの? 覚えてることならいいんだけど」

 念のため予防線を張りつつ尋ねてみる。グレイスは視線を落としたまま続けた。

「家を……継ぐ、のは、マスミさまだったのでしょうか。それとも他にごきょうだいがいらっしゃった、とか」

 直球がきた。

 グレイスにしては珍しく、これもまた予想外だった。

「それ、楽士としてってことよね?」

「はい」

「うーん……」

「あの、そう簡単には思い出せないでしょうし、やはりこのお話はもう」

「違う違う。そこは覚えてるんだけど、どうやって説明しようかなと思ってね」

 この腕組みはそういう意味である。真澄が付け加えると、傍目に分かるほどグレイスの手に力が入った。

 緊張しているのだろう。

 自分の答えが彼女にどう影響するのか、アルバリーク人でもなければ楽士でもない真澄には読めない。それは同時に相手の立場を慮ってやれない、欲しい答えをあげられないのと同義だが、そうであるからこそ真澄は正直な所を明かすことにした。

「私の国ではそもそも楽士って世襲制じゃなかったのよ。この意味、分かる?」

 大前提が違う、その事実を理解できるか。

 噛んで含めるようにゆっくり。そして待つ。そんな真澄の態度にグレイスの視線は上がったが、それは虚を突かれたように固まっていた。

「……え?」

「うん、分かんないよね」

 アルバリーク人として正しい反応に懐かしさを覚え、真澄は苦笑した。そういう顔はアークで慣れた。そして生まれ育った国――今は遥か遠い日本――を思い浮かべながら、自身がどう生きてきたのかを語った。


 真澄が生きた国と時代。


 遥かに遠い故郷は望めば手に入れられるものが沢山あった。

 たとえば貴族に代表される身分制度は既になく、職業選択の自由があった。誰とでも好きに恋愛をして、結婚できた。

 完全ではない。

 それでもそこには自由と平等があった。


 どう生きていくかは、自分次第だっただけで。


 振り返るたびに苦しくなる。そして「動けないのもいい加減にしたら」と詰る自分も同時にいる。

 己を見つめる冷静な目。

 それはここに――幸運なのかどうかは分からないけれども――アルバリークに来ていなければ、きっと生涯持ち得なかったであろうものだ。

「恵まれてる国だったよ。ただその中で私は落ちこぼれというか、……楽士にはなれなかった。ついでに言うと結婚どころか相手もいない独り身だったし、誰にでもできるような仕事をやって毎日細々と暮らしてた」

「マスミさまが?」

「うん」

「……信じられません」

「まあヴァイオリンを弾く以外に特技らしい特技もなかったから、当たり前っちゃ当たり前の暮らしよ。自由であることの対価は自己責任ってやつね」

「それは本当に恵まれているのでしょうか。私には、とても厳しいように聞こえます」

 グレイスが泣き出しそうに頬を歪めた。

 それを真澄は曖昧に笑って受け流す。眩しかった舞台がまた目の前にちらついた。

「それでも、そうね。仮に私が楽士だったとして」

 こつん。

 人差し指でテーブルを弾くと、小さな音が鳴った。

「自分の血筋が必ず楽士である必要はないと思う。本当に豊かな音を出せるかどうか、音楽そのものを愛せるかどうかは、生まれでは決まらないから」

 その血の(あたい)を問うのなら、真澄はヴァイオリニストとして大成したはずなのだ。母がかつてそうであったのだから。

「誰でも構わない、と?」

 グレイスの顔が苦しげに歪む。

「楽士の一族として守ってきたものは、意味がないのでしょうか」

「どうかな。なにを守ってきたのかにもよると思うけど」

「なにを守ってきたか……?」

「そう。アルバリークの楽士が排他的な一族で存在する意味っていうのかな。楽士としての技術や心なのか、それとも大昔に偉大な楽士が出たっていう血そのものなのか、あるいは他の理由があるのか。もっと平たく言うと、どうしてあなたたちでなきゃ駄目なのかってこと。答えられる?」

 ずっと疑問に思っていた。

 なぜ世襲でなければいけないのか。だが三ヶ月以上の時を費やしても尚、妥当と呼べる理由を見つけられないのだ。

 寡占状態にして利益を確保する。

 強いて挙げるのならこれが答えなのかとも思うが、建国記を読むに千年以上の歴史を誇る国において、本当の始まりからしてそんな矮小な理由だったとは考えにくい。


 歴史のどこかで、おそらくなにかが変わったのだ。

 そしてそこから騎士、魔術士、楽士の関係性も変わった。


 それが分かれば受け継ぐべきもの、変えて良いものが明らかになるだろう。グレイスの抱える悩みに対する指標にもなるはずだ。

 少し間を開けてみる。

 が、グレイスは固まったままテーブルに視線を落としていて、今しばらくは口を開けなさそうだった。だから真澄はさらに続けた。

「ヴァイオリンなんて弾こうと思えば大人になってからでも弾けるのよ。多少難しいからって特別視するような楽器じゃない。音感だって鍛えればどうとでもなるし、ある程度のレベルまでなら良し悪しは結局のところ正しい指導を受けられるかどうかで決まるもの。門外不出にするほど大層な話じゃないわ」

「……」

「納得いかない?」

「いえ、その……すみません、考えたことがなかったので頭がついていかなくて」

「じゃあついでに極論を言いましょうか。補給線として考えた時、楽士全員がそれなりの実力を持っているなら世襲の意味も分かる。けど、身近にいるたとえばグレイスとリシャールが同じ力量になってない時点で、私から見たら世襲なんて無意味でしかない」

「無意味、ですか」

「だから誰が家を継いでも大差ない。私はそう思う」

 言い切った真澄に、グレイスがすがるような視線を投げてきた。


 目が合う。

 そして無言の時が往く。


 固い沈黙はグレイスの悩みの深さを表していた。

 言われてすぐ同意などできないだろうことは百も承知だ。であるから、真澄は未来(さき)を語った。

「……なんて、言いっぱなしじゃ無責任にしか聞こえないよね。私はね、楽士養成所を創ろうかと思ってる」

 それが世襲制に疑問を持つ者としての答えである。

 真澄の描く夢に、グレイスは銀色の目をしばたかせた。

「養成……ですか? ですが仕官だと楽士長が」

「今の宮廷楽士とは別物。あくまでも第四騎士団として出自は問わずに広く希望者を募って、私が育てる。で、そのまま第四騎士団の楽士になってもらうつもり」

 今度は真澄がテーブルの木目を見つめる番だった。


 ずっと考えていた。

 補給線としてのあるべき姿、というものを。その問いは同時に、どうしたらアークやカスミレアズを、ひいては第四騎士団を支えられるのだろうか、という自問に繋がった。

 いつか「自分の代わりはいる」と(うそぶ)いた。

 確かに楽士は他にもいる。それは事実であるけれども、思うように力を貸してくれるかどうかは分からない。むしろ世襲が当たり前で人が限られている現状では難しいだろう。


 この武楽会で明らかになる。

 もし、元いた場所に帰ることができたなら。


 ただ「さようなら、お世話になりました」と頭を下げるわけにはいかない。せめて世話になった分だけは「後進」という形で返して、それから帰ろうと思うのだ。

 数年、あるいは十年はかかるかもしれない。

 それでも自身の時間を費やしてもいいと思える程度に、真澄はここで幸せだった。

「私ね、故郷(くに)に帰ろうと思ってるの」

 養成所は置き土産のつもりである。

 真澄の静かな決意に、グレイスが息を飲んだ。

「ですが記憶はお戻りでは」

「うん。戻ってないけど、私の国を知ってる人がいるらしくて。武楽会の報酬はその人に会わせてもらうつもり」

「そんな……」

 グレイスの視線が泳ぐ。

 彼女は真澄を見て、一度それを外し扉を見遣り、再び真澄を見た。

「マスミさまの帰りたいお気持ちは分かります。お引き留めしてはいけない、とも。ですが一つだけ……総司令官様は……?」

 控えめながら真正面から問われたのは、見なかったふりで置き去りにしようとしている話だった。

 どくり。

 その顔を思い浮かべて心臓が跳ねる。

 もう話はつけてあるとか、あなたには関係ないとか。そんな簡単な嘘さえ吐けず、真澄はただ押し黙るしかなかった。


 後ろめたいからか。


 アークの気持ちは聞いた。けれど真澄ははぐらかしたままで真剣に答えていない。グレイス自身がこの話を知っているわけではないだろうが、それでも十二分に責められている気がした。

 どう答えればいいのだろう。

 悩みながら、自嘲の笑みがもれた。

「残れ、とは言われてるけどね」

 精一杯の婉曲だった。どうしても、生涯の伴侶として求められた、とは口にできなかった。

 他人事のような物言いだったせいかグレイスの顔が曇る。続けざまなにか言われる前に、真澄は小さく笑った。

「大事な人はもう、あんまり作りたくないの。さよなら言う時が寂しいから」

 向き合うのが怖くて、だから逃げるのだ。

「子供みたいで笑っちゃうよね」

 分かっていて尚踏み出せない自分は、どうしようもなく弱い。

 これだけは新世界でも変えられなかった。

 諦めにも似た境地だ。それ以上は口をつぐんだ真澄に、グレイスもまたなにも言わなかった。


 深夜。

 静けさの中、時計の進む音だけが僅かに響く。


 やがて「ガウディの本家は」と小さな声がもれた。

「ガウディ本家を継げるのは兄と私しかいません。本当なら他に兄がもう一人と姉が三人、それに弟が二人いるはずでしたが」

 彼らは皆、幼くして死んだ。

 グレイスの声は水底のように沈んでいた。

「楽士の一族であるために血族婚を繰り返して血が濃くなりすぎたのです。双子の弟たちは生まれることさえできずに、母のお腹で亡くなりました」

 どうにか生まれ、辛くも長じることができた、たった二人。

 課されているのはその血を次代へ繋げることだが、家に残らねばならないのは楽士であるグレイス自身である。そしてまたガウディを名乗るに相応しい資質を持つ子を選び、楽士として育てていくのだ。

 それを今日まで疑うことはなかった。

 か細い声はそう漏らした。

「理由はきっと違いましょうが、わたくしも同じです。誰かを大切に思うことのないよう生きてきました。どうせ一緒にはなれませんから」

 主張せず、黙して語らない。口を開いたところで未来は決まっているから。諦めるというよりは、物分かりの良いふりで。

 そんな生き方が周囲に誤解を与えてきた。

 グレイスは寂しそうに微笑みながら、彼女の右腕をそっと撫でた。夜着に隠されたそこには大きな傷跡がある。彼女がひたすら「専属にならない」という意思だけを示し続けた結果、魔術士のフェルデにつけられたものだ。

 細い指が二度三度と往復する。

 やがてグレイスが伏せていた顔を上げた。

「マスミさまのおっしゃるとおりです。一族に縛られているくせに、自分でなければならない理由を答えられない。これでは誰であっても変わりません。だから脅せば言いなりになると勘違いもされるのでしょう」

 初めて聞くグレイスの強い口調だった。

 そのまま彼女は小さく息を吐く。窓の向こう、暗闇に眠るソルカンヌの街を見下ろす瞳は揺れていた。

 そして、

「今でも忘れられない言葉を、わたくしはフェルデ様から投げつけられました」

 震えながら絞り出された言葉は、

「『楽士でありながら、どうせそこにお前の意志などないのだろう』と」

 だからこちらから選んでやる、光栄に思え。

 そう続けた不遜な相手に、しかしその時のグレイスは言い返すことはおろか否定さえできなかった。目を逸らし拒絶の意を見せるのが精一杯で。

 苦しい告白だ。

 もはやどうしようもない過去に、真澄はただ憤った。

「あいつ、そんなこと言ったの?」

 何様のつもりか。

 その場に真澄がいたら、胸ぐら掴んで説教しただろう。腹立たしさについテーブルを叩く。振り下ろした真澄の拳に、かき消えそうだったグレイスが驚き、そして小さく笑った。

「やっぱりマスミさま、怒りましたね」

「当たり前でしょう。大体ね、楽士に補給してもらわなきゃなにもできないくせに生意気なのよ。今からでも殴ってやりたいわ」

「……わたくしもこれからは、そう言えるようになります」

 ずっと心に刺さっていた悪意。

 ようやく忘れられそうだと言うグレイスの目尻からは、涙が一粒こぼれ落ちた。

「家を継ぐためではなくて、誰かを支えたくて楽士になったのです。一番大切なことを、わたくしは随分と長い間見失っていました」

 もうグレイスの声は沈んでいなかった。

 その様子を見て真澄の頬も緩む。叩きつけた拳も解いた。

「今度フェルデに因縁つけられたら問答無用で殴ればいいのよ。調子に乗るなってね」

「なぐ、……さすがにそれは……いえ、でも、頑張ります」

 神妙な顔でグレイスが握り拳を作る。

 これがカスミレアズにバレたら「また余計なことを吹き込んで」と説教されそうだが、真澄としては彼女が胸を張っていられるのならそれでいい。


 弾きたいと思う純粋な気持ちは、実に些細なきっかけで失われてしまうから。


 自身の幼い頃を思い出す。

 最初にヴァイオリンを弾きたいと言ったのは少しでも母の傍にいたかったからで、いつしかそれは母が喜んでくれるのが嬉しいから、に変わった。


 懐かしい。

 懐かしすぎて、胸が痛い。


 あの頃は一つの曲が弾けるようになる度に、あれができたこれを覚えたと楽しかった。今ではもうほとんどどんな曲も初見で軽く弾ける自分がいて、そういう感動とはほど遠い。

「自分にしかできないことを、もう少し考えてみます」

「……あ、ええ。そうね」

 物思いに耽って、一瞬だけ真澄の反応は遅れた。だがグレイスは特に気にした様子はなく、真澄は密かに胸を撫で下ろした。ちょうど時を同じくして、扉の向こうから数人の話し声が聞こえてきた。低い声の後、ノックが響く。

 どうやらアークたちが戻ってきたらしい。

 時計を見ると小一時間ほども話し込んでいたようで、草木も眠る頃合いだ。真澄は立ち上がり今度こそ就寝の挨拶を言う。グレイスもまたそれに応え、話はそこで終わったのだった。


*     *     *     *


 そして一日の休みを挟み、予定通り神聖騎士部門が始まる。

 課されたのは全五曲からなる組曲で、その発表に会場全体がどよめいた。


 組曲の名は「女神の軌跡」。


 アルバリーク建国記の場面を順に追っているもので、絵画などにもよく使われる有名な逸話がモチーフとなっている。いわゆる交響組曲で、そこには確かに標題が置かれているらしい。

 存命の作曲家の中でも最高峰といわれる人物が、今年の武楽会のために書き下ろした大作との触れ込みだった。



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