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ドロップアウトからの再就職先は、異世界の最強騎士団でした~訳ありヴァイオリニスト、魔力回復役になる~  作者: 東 吉乃
第三章 生き方の決め方

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80.魔術士というもの・3


 初陣、といって良いのだろうか。

 ともかくも真澄にとって初めてのそれは、怒濤のごとく駆け抜けていった。


 ソルカンヌを出て街道を襲歩でしばらく。

 騎士たちは言わずもがな、楽士たちも劣らぬ速さで混成アルバリーク騎士団は馳せた。単騎駆けができないのは真澄だけだった。

 真澄は怯んだ。

 だがその手を掴んだのはアルマで、第一騎士団の首席であり「常磐(ときわ)の楽士」と呼ばれる彼女は迷わず真澄を馬上に引き上げた。アルマは騎士団の最後尾、楽士たちの先頭を往く。二人乗りでも衰えない馬の速さ、それを操る技術は騎士長と遜色ないものだった。

 振り返るとどの楽士も、普段は控えめなグレイスや地方楽士のイヴでさえ、彼女たち自身の手で手綱を握っている。

 補給は最前線にこそ必要。

 ただ優雅に奏でるだけではない、そんな現実が眼前にあった。


 目指す先は空が黒く塗り潰されていた。


 そして真澄は知る。

 当事者として立つ戦場には、迷いを差し挟む余地がなかった。


 襲い来る無数の爪と羽。誰も待つものはいない。正しいかどうかを問う間もない。命を奪う倫理を言う間もない。やらなければやられる危険の只中にあって、高尚であるはずの問答は邪魔でしかなかった。

 定期便の輸送隊は、騎士の強固に連なる盾に守られてその旅程を無事に終えた。数名の怪我人がいたがいずれも軽傷で、ソルカンヌで手当てを受けて大事には至らなかった。

 この時点で任務は達成された。

 しかし現場の、つまりアークの判断で引き続きイグルス掃討が図られた。実際に真澄が魔術士の本気を目の当たりにしたのはこの時のことである。

 カスミレアズやセルジュの比ではない。

 およそ人の(わざ)とは思えない巨大な光が幾筋も空を走り、黒かった空はやがて青さを取り戻した。死屍累々、とはなっていない。全ては光に呑まれて跡形もなくかき消えた。後に残ったのはなに食わぬ顔のなだらかに続く草原と、そこに一本走る石造りの街道だけだ。


 魔獣と人、互いの領域が交錯している世界。


 聞くは安く、理解するには壮絶に過ぎた。しばらくの間、真澄のまぶたには空を切り裂いたレイテアの光が残像として残り続けた。

 全てが終わった。

 遥かな大地に静寂の空が広がる。

 その景色を映しながら、なぜか真澄の耳にはフェルデが叫ぶように放った「人生を懸けた」という言葉がこだましていた。


*     *     *     *


「この度はかえってお騒がせしてしまい、本当に申し訳ない」

 穏やかな茶色の眼差しを伏せて、その人――メリノ公は頭を下げた。もう何度目になるか分からない。その都度リシャールが「気にすることはありません」、「むしろ貴方たちは巻き込まれた被害者です」、などと言葉を尽くしてなだめていた。

 ここはアルバリーク陣営の宿舎、休憩用の広間である。

 イグルスを片付けている間に、ソルカンヌの終着駅でイヴとアンシェラは無事に再会を果たしていた。常ならぬ状況に落ち着かない街を見てリシャールがメリノの二人に宿舎を共にするよう勧め、今に至る。当初は迷惑になるからと固辞していたメリノ公だったが、最後は娘二人から請われてとうとう折れたのだという。そんな彼はここに着くなり春に出会った時と変わらぬ誠実さで、武楽会出場者に礼を言って回っていた。

 そんな低姿勢の彼に、逆に出場者が驚きを隠さない。

 ヴェストーファのメリノ家。

 ここにきて初めて真澄は知ったのだが、アルバリークでその名を知らない者はないほどの名家なのだという。全ての属領まで含めた地方貴族の中でも一、二を争うほど高名なのは、ひとえにアルバリーク建国時にまで遡れる伝統の家系であるからで、それは帝都にいる新興貴族が逆立ちしても手に入れられない本物の証らしい。

 聞くところによると、アルバリークの貴族は二つに分けられるようだ。

 一つは建国に尽力した始祖から続く一族で、メリノ家もこれに入る。もう一つは巨額の財を成し経済に影響力を行使する、いわゆる新興貴族と呼ばれる一族。前者には明確な線引きがあるものの、後者にはそれがない。つまり自称できるということで、同じ貴族であってもそこには越えられない壁が存在している。

 とはいえ、現実は厳しい。

 建国から続く旧家であっても、その全てが商売上手ではないし子孫繁栄が常に叶うわけでもない。本家分家合わせても今では随分と少なくなっており、その世界でも新興貴族に押し退けられるようにひっそりと続いている家がほとんどになっている。

 世知辛い事情はアルバリークに暮らしていれば平民であっても耳に入る。

 そんなわけで、若い正騎士に至っては生ける伝説を見たと言わんばかりに感極まって鼻をすする始末なのである。メリノ公はメリノ公で分け隔てなく彼らと接するので、広間は戦闘後の高揚感も手伝ってか、しばらくは雑然としていた。



 やがて日は落ち、食事も済む。

 夜が深くなるにつれ一人また一人と部屋に戻っていき、日付が変わる頃には数名だけが広間に残った。

 メリノ公とアンシェラ。

 イヴ。

 その隣にリシャールが座り、グレイスもいる。あとは真澄とシェリルが少し離れた暖炉の前で暖を取っていた。アークと騎士長二人は夕食後に王太子殿下の下へ報告に向かい、まだ戻っていない。

 照明は眠りの妨げにならないよう絞られている。

 そんな中、飲み物片手にぽつりぽつりと互いに話をしているのだ。真澄は世間話を持ちかけシェリルが不承不承付き合う。リシャールとグレイスは実家の近況を。メリノの親子は、ソルカンヌまでの旅路を語っていた。

 深まってきた秋。夜は冷える。

 暖炉の薪が燃え落ち、ごとりと音を立てて割れた。シェリルが立ち上がる。部屋の隅に積まれている新しい薪を取り暖炉にくべると、少ししてから赤い炎がゆらりと大きくなった。

 木の爆ぜる乾いた音が響く。

 聞き入るようにそれぞれの会話がふと途切れる。そんな中、メリノ公が不意に切り出した。

「こんなに立派な宿舎まで案内して頂いて……大事になってしまって本当にすまなかったね。最後の旅だから、どうしても来たかったんだよ」

 その目はイヴに向けられている。

 首を横に振りかけたイヴが、目を見開いて固まった。

「……最後? お父様、どういう」

「うん。戻ったら、家を整理しようと思う」

 穏やかながらも一切迷いのない口調だ。

「メリノは私の代で終わりにする」

 決意の声に、部屋にいた全員の視線が集まった。


 静寂。


 薪のささやきだけが聞こえる。

 メリノ公は真っ直ぐにイヴを見つめている。隣のアンシェラも同じで、その口元は微笑んでさえいた。

 驚きに固まったのは外野の方である。

 リシャールは眉根を寄せ、グレイスは思わずといったように手で口元を覆う。シェリルの頬も固くなっていた。

 真澄もすぐに言葉が見つからなかった。

 先に本物の血筋とは何かを聞いたばかりだ。アルバリーク建国の礎となった尊い一族。彼らが実在すること、出会えたことに喜び涙ぐむ者もいる。それを終わらせる、その影響は計り知れない。

 ややあって、イヴが詰めていた息を吐いた。

「待って……待ってください。アンシェラの仕度金なら心配なさらないで、私がこの武楽会で」

「ありがとう、イヴ。だがその必要はないんだよ」

「なぜです! っ、アンシェラ、あなたお相手が見つかったの?」

 血相を変えて立ち上がったイヴは、答えない父から視線を外し、彼女の妹に詰め寄った。

 しかし妹もまた曖昧に微笑み首を横に振った。

「お姉さま、ありがとうございます。でももういいのです。今日までお父さまと沢山お話しして決めました。これを伝えたくて」

 はるばるソルカンヌまで来た、アンシェラはそう言って笑った。

「お姉さまのおかげでこんなに長い旅ができました。一生の思い出です」

「待ちなさいアンシェラ。どういうことですか、お父様。理由を聞かなければ私は到底納得できません!」

 二度とメリノには戻れなくても、自分は。

 テーブルが悲鳴を上げる。

 養子に出たイヴが両手を卓に叩きつけてまで叫ぶ。その出自を誇りに思い、その名に恥じぬよう生きてきたと。けれどそれができたのは同時に、いつもそこに愛すべき家族がいると思えばこそだった、とも。

「終わらせて、それからどうするのです……!? 当面の生活ならば私の給金を全て送りますから、それを充ててください」

「イヴ」

「それでも賄えない時はエーヴェの家から出してもらうようお願いしますから、」

「そうじゃないんだよ、イヴ」

 柔らかく、しかし決然とメリノ公は言った。

 彼は困ったような笑みを浮かべて部屋の中を見渡した。そして思わぬ展開に息を詰める真澄たちに、「お騒がせして申し訳ない」と、今日何度目になるか分からない謝罪を述べた。

 会話が途切れる。

 何から話そうかと考え込むような間が開いて、それからメリノ公は丁寧に言葉を紡いだ。

「もう昔のように私たちにできることは多くない。ヴェストーファも実際は市長がいて、滞りなく民の暮らしは守られている。片やメリノには他者を救えるような財は残っていない。古い時代は終わる時がきたんだよ」

「それはそうかもしれませんが、……だからといって館も何もかも処分するのは反対です。これまで先祖代々暮らしてきて、お母様だって、」

 イヴの声が詰まった。

 幼くして生家を去らねばならなかった彼女であるからこそ、そこに沢山の想いを寄せているのかもしれない。続かない言葉が、そう推察するに充分すぎる動揺を伝えてくる。

 が、メリノ公は愛娘のそんな姿に流されなかった。

「目に見えるかつての栄華こそ無くしてしまわねばならない。そのような力など既にないのに、知らぬ他者から誤解を受ける」

 足枷になるのならそれはもはや誇るべき伝統ではなく、呪いだ。

 メリノ公の呟きは、穏やかさの中に一筋の苦しさが混じっていた。隣に座るアンシェラがそんな父の肩にそっと手を添える。二人の様子に、二の句を継ごうとしたイヴが止まった。

「お姉さま、ごめんなさい。私のせいなのです」

 寂しそうにアンシェラが言うが、そこから先はメリノ公が手で遮った。

「違うよ、アンシェラ。これまで何度も言ってきただろう。イヴ、正直に話そう。いくら仕度金を整えたとしても、今のままではアンシェラが幸せになれない」

「……足りる足りないの問題ではない、と?」

「そう。届く申し出は新しい家からばかりだ」

 同じく古い一族がいいと我を通すつもりは毛頭なかった。ただでさえ困窮している身で、縁談があれば御の字だと。


 メリノ公は過ぎた夏を振り返る。


 そろそろ娘の結婚を。

 とある集まりの席で「婿を探している」と話題にしてからというもの、当初の心配を他所に申し込みが沢山舞い込んできた。メリノ家の事情はその界隈にとうに知れ渡っていたから、ありがたい以外の何物でもなかった。

 そして順番に会った。

 だが十を数えたところで会うのをやめた。残っていた申し込みの名前を全て確認して、会わずに断りの書面を送った。

 申し込みはいずれも新興貴族からだった。

 最初の十人。彼らは古くから続くメリノ大邸宅を目の当たりにしてそれを誉め、中に通すと廊下の絨毯から壁の絵画、窓格子の繊細優美さに感嘆し、当主のメリノ公を持ち上げた。一通り話をして帰るまでそれは続き、十人の誰も、アンシェラ自身の何かを尋ねることはなかった。

 それがメリノ公の心に影を落とした。

 結婚は家同士の話だ。それでも最初に相手自身に声をかけるのが礼儀で、事実メリノに生きた歴代当主とメリノ公自身もそうしてきた。これまでとは立場が違う――婿を取る、という意味で――アンシェラだったが、それでも面通しには同席していたし、彼女自身からもはしたなくならない程度に話しかけるよう教育した。

 だが婿入りを望む彼らはアンシェラとは真正面から向き合わず、メリノ公ばかりを必死に見る。

 彼らが欲しいのは、建国から続く旧家という金で買えない名誉なのだ。そこについてくるアンシェラはただのおまけでしかない。あるいはいてもいなくてもどうでもいい、そんな存在だ。


 嘘でもいい。

 せめて最初に一言でもアンシェラを望んでほしかった。


 絞り出すような願いは親としてあまりにも当たり前すぎて、誰も何も、イヴさえも絶句させた。

「苦労することが分かりきっている。そうまでしてメリノの名を残すくらいなら私が終わらせて、どんな非難も私が受ければいい。アンシェラは自由に生きていけるだろう」

「……私はどなたでも構わないのですが」

 想う人もいないから、とアンシェラが苦笑する。

「お父様がこのとおりなので、わがままを聞いてもらうことにしました」

「アンシェラ……どうするつもり?」

「帝都のデーア神殿に入ろうと思います。冬いっぱいかけてメリノを片付けて、来年の春に」

「デーア神殿ですって? 本気なの!?」

 とうとうイヴが声を荒げた。

 これまでどうにか冷静さを保っていたが、ここにきて掴みかかる勢いである。しかしアンシェラは臆することなく姉を受け止めた。

「ヴェストーファを離れるのでお姉さまには中々会えなくなってしまいますけれど、もう決めました」

「なんてこと……」

 くず折れるようにイヴがへたりこむ。

「神の御元にお仕えする? 一度入ってしまえば還俗できないのよ? あなたまだ十七歳で、そんな……考え直しなさい」

「そうは言ってもお姉さま、私はヴィラードが弾けるわけでもありませんし、この身一つで生計を立てることはできませんから。これが一番良い道です」

「……駄目よ。考え直しなさい」

 振り切るようにイヴが立ち上がる。そのまま彼女は誰とも目を合わせずに、「もう休みます」とだけ言い残して広間から出ていった。



「心中お察しします」

 沈黙の中、最初に口を開いたのはリシャールだった。

 意外さをもって真澄は彼を見る。快活な昼とは違う思慮深い銀色の瞳が、メリノ公を映していた。

「我がガウディ家も同じです。私はこのとおり楽士の才能には恵まれなかったので騎士をやっていますが、妹のグレイスにはこれでもかと群がってくる」

 家に戻る度、申し込みの山が増えている。

 ため息混じりにリシャールは言うが、状況はメリノ家と似たようなもので、むしろ楽士であるがゆえに貴族以外――それこそ箔をつけたい中流楽士の他、当然に騎士、魔術士などからも――申し込まれ、面倒極まりないのだ、とこぼす。

「妹が駄目なら分家の誰かを紹介してくれと言ってくる奴もいます。そこまでくると見事すぎて、いっそ感心するくらいですが」

 リシャールにしては珍しく、言葉の終わりに鼻で笑った。

「縛られる慣習など捨てていい。それで誰かが泣くのなら尚のこと」

「そう言ってもらえると、少しだけ楽になります」

 メリノ公が寂しそうに目を伏せる。

 もう決めたこととはいえ、悩み抜いたのだろう。初老に差し掛かった彼は今でもせりあがる自問自答を飲み込むように、手元の杯を傾けた。

 俯くグレイスに夜の明かりが差し伸びる。

 一言も喋らない彼女の頬に、長いまつげの影が落ちていた。楽士の名門、その本家に生まれ期待どおりの才能を発揮した。けれど彼女を取り巻くのは自分本意な者ばかりだ。

 そしてシェリルもまた何も語らない。

 彼女は黙りこんだまま暖炉に揺れる火を見つめている。過日に知ったその過去は彼女にいつも厳しかった。唯一無二だった理解者もとうとう失って、孤独は深まる一方に思える。


 この世界でさえ、ただ弾くだけではいられないのか。


 むしろ職業楽士が当たり前であるからこそ出てくる悩みなのか。そう在ることを諦めた真澄にはどこか他人事のような、それでいて放ってはおけない気掛かりだった。

「古い時代は終わる。そうかもしれませんね。むしろ終わらせるべき時がきたのか」

 リシャールが呟く。

 隣に座るグレイスはその口を真一文字に引き結び、やりとりに耳を傾けていた。


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