70.救いの御手は誰が為に
「まったくもう! わがまま放題で困っちゃうわ」
アルマがおかんむりである。
ぷう、と頬を膨らませて、フェルデが出ていった扉を睨みつけている。ただし優しいたれ目が穏やかすぎるので、迫力は騎士たちの百分の一にも満たないが。
「近衛騎士長二人に喧嘩を売るだなんて、思い上がりもはなはだしいこと!」
「アルマ殿のお陰でどうにかまとまりました」
助かりました、と苦笑するのはヒンティ騎士長だ。
「ご迷惑をおかけしまして」
同じようにカスミレアズが頭を下げる。
血の気が多すぎたことは理解しているらしい。アークが途中で割って入ったからいいものの、あのままいけば間違いなく決闘になだれ込んでいただろう。
真澄やアルマはともかく、地方楽士が度胆を抜かれている。
そんな彼女にはめでたく組になったリシャールが、謝罪合戦を横目に「驚いたでしょう」と話しかけた。
「もう大丈夫ですよ。お二人とも普段は紳士ですから」
リシャールが近衛騎士長二人を指し示す。
固まっている地方楽士はまだ呆けているのか、「そ、そうですか……」と言うだけで精一杯のようだ。年の頃は若い。グレイスと同じくらいだろうか。
綺麗な銀色の瞳が、高い位置からそっと彼女を見下ろす。
「それにしても珍しいですね。エーヴェ家から楽会出場とは」
今は神聖騎士とはいえ、リシャールも帝都で有数の楽士一族の出である。それなりに楽士の系譜というものが頭に入っているらしく、知らない間柄ではないらしい。
敵意なく話しかけられて、地方楽士がわずかに緊張を解いた。
「あ、はい……恥ずかしい話ですが、実家に援助をしたくて」
「援助? ですがエーヴェ家はヴェストーファ駐屯地と代々繋がりがあるはずでは?」
駐屯地が撤退したならまだしも、なぜ。
訳ありそうな彼女にリシャールが尋ねると、「違うんです」と訂正が入った。
「おっしゃるとおり、エーヴェ家は今も変わりなく不自由ございません。ただ、私はエーヴェの養子でして……実家というのは生家のメリノ家の方なんです」
知っている単語が立て続けに出てきて、真澄は目を瞠った。
ヴェストーファのメリノ家といえば、叙任式で大変世話になった大貴族だ。母親は既に亡く、父一人娘一人の家で、娘のアンシェラからは楽譜をもらった。
亡くなった母親の形見を、来年への約束手形として。
たった一人の跡継ぎであるアンシェラは苦しい家の台所事情を理解しながらも、気丈に振る舞っていた。そんな彼女がどうか良縁に恵まれれば良いと、真澄には祈ることしかできなかった。
見れば、アークとカスミレアズも驚いた顔をしている。三者三様に面食らっていると、地方楽士が「失礼します」とリシャールに断りを入れて立ち上がった。
そのまま真澄の前に歩み寄って来る。
祈るように両手を胸で組んだ彼女は、目に涙を浮かべて「ようやくお会いできました」と呟いた。
「春にアンシェラを元気づけて下さったと聞いて、ずっとずっと、いつかお礼を申し上げたいと思っておりました。いつも寂しい思いをしているあの子が、あんなに楽しそうにマスミ様の……第四騎士団の皆様の話をしてくれて。またお会いして頂けるという約束を、あの子は顔を合わせるたびに嬉しそうに話すのです」
「じゃあ、あなたはアンシェラの……?」
「姉です」
イヴと名乗った彼女の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
とび色の瞳と、それより少しだけ明るい髪。
ありふれているが殊のほか優しい色と、よくよく見れば面差しなども確かに良く似ている。人目を引く容姿ではないが、姉妹とも育ちの良さと穏やかな気性がにじみ出るたおやかさを持っている。
何度言っても足りない。
そう繰り返しながら、彼女は――イヴは、涙を拭い続けた。
「あの子がこんなに寂しい想いをすると分かっていたら、私がメリノに残れば良かったのですが」
どうしても養子に出るのはイヴでなければならない事情があった。
丁度イヴが四歳、アンシェラが一歳の時のこと。ヴェストーファ地方を流行り病が襲って、当時エーヴェ家に三人いた幼子がばたばたと倒れていった。後世にヴェストーファ飢饉と呼ばれる危機の引き金となった、重篤な流行り病である。
家督は違うとはいえ同じ地方貴族。
それまでも懇意にしていた間柄から、エーヴェ家がメリノ家に養子を申し入れたという。
エーヴェ家は急いでいた。
血縁も含めた次世代が流行り病で全て没してしまい、このままではヴェストーファ駐屯地への補給が遠からず絶たれてしまう。残りの血族もいつ病に倒れるか分からない中、楽士としての教育を一日でも早く伝えねばならなかった。ゆえに、幼すぎるアンシェラではなく、イヴに白羽の矢が立ったのだ。
「ただ、誤算だったのはメリノの母が若くして亡くなってしまったことで」
男子を産むどころか、結局メリノ家の跡継ぎ候補はアンシェラ一人になってしまった。
メリノ家は長く続く伝統ある血筋だが、そのヴェストーファ飢饉で多くの私財を投げ打って民の救済に奔走した。おかげで一時期は流通さえも途絶え死の地方と呼ばれたヴェストーファは、ゆるやかながらも後年見事に再興を果たした。
だがメリノ家の体力は戻らなかった。
他の家から援助を受けたくとも、婚姻を結ぶための子供がいない。一人残ったアンシェラはメリノの家督を継ぐために婿を取らねばならず、かといって後ろ盾となる後妻を迎えるための資金も底をついていた。
実態としては貴族と呼ぶには辛い、ぎりぎりの財政状態。
それを現当主の手腕と先祖代々伝わる資産で、どうにか今日まで繋いできたのだ。だがそれももう限界だという。
「先日里帰りした時にメリノの父が言っていたのです。妹も楽士に……エーヴェに出してやれば良かった、メリノは自分の代で終わりにすべきだったと。ですが、それはもう」
「……現実的ではないでしょうね」
真澄の相槌に、イヴが頷きながらも悲しそうに目を伏せた。
確かにイヴがこれほど楽士として適正を見せていることを鑑みれば、妹のアンシェラも可能性はある。だがそれは、同じく幼少の頃から楽士としての教育を受けていたなら、の話だ。
たとえば今からエーヴェに引き取られたとしても、ある程度は弾けるようになるだろうが、良くて正騎士相手が関の山だろう。イヴのように、神聖騎士と釣り合うほどの音感や技術を身に着けることは、おそらく叶わない。
分かっているから、過去形なのだ。
メリノの当主もイヴも。
どんな思いで「養子に出してやれば良かった」と、あの心優しい当主は口にしただろうか。彼自身が散財したわけではなく、むしろ賞賛されて然るべき行いの後で、最も守りたかったものが守れない中で。
察するに余りある。
思いがけず明かされた事情に、誰もが沈痛な面持ちを隠さない。そんな中、イヴが気を取り直すように笑った。
「すみません、自分のことばかり。楽士としてはしたないのは重々承知ですが、私は妹の支度金を頂きたくて参りました。怪しい者ではございませんので、どうか皆さまからご指導頂ければ幸いに存じます」
「……ますます負けられませんね。頑張りましょう」
リシャールが右手を差し出す。
はにかみながら受けたイヴは、「全力を尽くします」と応えた。
「さて。リシャール・イヴ組は問題なさそうですね」
若い二人を見て、アルマが目を細めた。
これから武楽会までの間、互いの呼吸を見極めること、そして常に行動を共にすることをアルマが指示し、二人は頷いた。素直な二人に満足したのか、アルマがご機嫌でくるりと向き直る。
常盤の彼女は、顎に手を当てて小首を傾げた。
「既に専属になっている二組も、今さら心配はないですね」
水を向けられたヒンティ騎士長とシェリルが顔を見合わせる。シェリルが恥ずかしそうに顔を伏せるのを、ヒンティ騎士長が余裕の笑みを浮かべて見守っている。先ほどの鬼神のような雰囲気が嘘のようだ。
お腹いっぱいである。
アルマもアルマで「あらあら」などと言ってころころ笑っている。そんな彼女の視線が次に向かうのは、当然アークと真澄なのだが、
「……あなたたちはもう少し初々しくてもいいんじゃないかしら」
なんともありがた迷惑なコメントである。
どうせ見なくたって、互いが今どんな顔をしているかなど手に取るように分かる。ヒンティ組に中てられて、「うへぇ」となっているだけだ。
ともあれ実力でいえば首席同士、まったく心配はない。
それを分かっているらしいアルマはさらりと流し、最後の一組――カスミレアズとグレイスに話題を移した。
「残るは武会次席と楽会五位ですね。推薦状付きですが、ここが最も実力に差があります。あなたたちが誰より努力しなければなりませんよ」
「はい」
「……はい」
名指しされた二人の返事は重ならなかった。
カスミレアズが気遣わし気にグレイスを見る。気付いたグレイスは頬を緩めたが、その笑みは弱々しかった。両者のぎこちなさを見かねてか、実兄であるリシャールが間に入った。
「言わなければ分からないよ、グレイス」
リシャールにしかできない言い方だ。
優しいが、はっきりしている。兄妹ならではの距離感だった。
「不安に思うことがあるならここで言うんだ。助けてほしいならお願いしなければ伝わらないよ。武楽会は一人で戦うものじゃない」
諭されたグレイスは、机上で華奢な指を組む。少しの間ためらった後、彼女はそっと顔を上げた。
「フェルデ様のこと、……皆様にお伝えしなければならないことがあります」
「……話してくれるの?」
無理はしなくていいのよ、とアルマが眉を困らせる。
今にも消え入りそうなグレイスの様子に、真澄を始め女性陣は皆、アルマと同じ意見だ。男性陣は静観の構えである。窺うような沈黙の中、グレイスは意を決したように口を開いた。
「私は仕官して六年になりますが、騎士団との仕事は一度も経験がありません。魔術士団に――より正確に言うと、フェルデ様とその周りの方が常に私を指名していたからです」
そして六年という短くない歳月の中で、数えきれないほど専属の申し入れをもらった。
だがいずれも全て断った。
その理由を、グレイスはつっかえながらも語った。
ガウディ家に生まれその適正をみせた以上、楽士として生きるのは規定路線だった。
が、仕官を決めたのは家のためではなく、騎士団叙任式を見て感動したからであること。美しい祝別の緑光が忘れられなくて、第一騎士団を支えるのが夢だったこと。けれど現実はそうはいかなかったこと。
人知れぬ過去が明かされていく。
フェルデ一派に目をつけられてからは、脅迫まがいの任務要請ばかりだった。
受けなければ、宮廷魔術士団は二度と第一騎士団には力添えしない。この程度の脅しは序の口で、手を変え品を変えグレイスは彼らの要請だけを受けるよう、日々圧力をかけられた。
最も苛烈だったのは、魔力を盾に専属契約を迫られた時である。
今年の夏の初めだった。グレイスと真澄がまだ出会っていない頃だ。
ある日訓練が終わった後で、フェルデはグレイスの右腕に強力な――その場で頷くだけで、成立してしまうほどの――専属契約を、無理矢理押し付けた。優し気な笑みを浮かべながら、「断れば痛い目に合う」と言って。
グレイスは首を横に振った。
その瞬間、破棄された契約は呪いとなってグレイスの右腕に降りかかった。
「これが、その時の傷です」
ためらいがちにまくられた袖の下から現れたのは、肘から手首までを切り裂くような跡だった。引きつれてまだ赤さが残っている大きな傷に、全員が絶句する。
真新しい傷に、真澄は歯噛みする。
なぜ気付かなかったのだろう。思い起こせば、日頃は制服で長袖のシャツをまとい、唯一あった演奏会ではやはりその腕は黒いレースに覆われていた。
気丈にしていても、痛みはずっとあっただろうに。
ヴィラードを奏でるのに不可欠な右腕。治りきっていない傷を目の当たりにして、真澄の胸が詰まった。
「その時はこれで済んだのですが、フェルデ様は言ったのです。『大魔術士になったらもう一度迎えにくる』と」
そしてその日は訪れた。
だがフェルデにとって誤算だったのは、グレイスが選考会に名乗りを挙げていたことだった。
選考会に参加する楽士は通常の補給任務からは外され、選考会に集中できるよう取り計らわれる。ゆえに、フェルデがグレイスに接触する機会は昨日までなかった。
奇しくもフェルデが大魔術士に昇格するまでの空白の期間に、偶然とはいえ真澄がグレイスと出会ったこと、カスミレアズが事情を知ってその手を差し伸べたことが、彼女の身を守ったのだ。
ただし、まさか武楽会まで使って追ってきたのは予想外だった。
もうこれ以上、どうしたらいいか分からない。
どんなに断っても相手が聞き入れてくれない。そんな話の通じない相手を選考会に招き入れてしまったのは自分だと言って、グレイスは言葉を詰まらせた。
「……助けてください」
細い声だ。
痛みを孕んだ沈黙が部屋を満たす。彼女が受けてきたあまりの仕打ちに、実兄のリシャールでさえ言葉を失っていた。
「なによ、それ」
どれくらいそうしていただろうか。
重苦しい空気を破って、目を吊り上げたのはシェリルだった。
「そんな馬鹿な話で、あなた避けられて……だから、いつも独りだったの?」
「私が魔術士団の専属を受けられないのは私の個人的な事情でしたし、フェルデ様のことは、……万が一にも他の方にご迷惑をおかけしてはいけないと」
「それでこんな怪我……馬鹿!」
なにかを堪えるようにシェリルが叫んだ。
「謝らないわ。専属のことであなたに投げつけた言葉、謝らないわよ。今さら知りませんでしたなんて。でもね、腕の話は別だわ。傷つけられてまでどうして隠したのよ!? そんなやり方で専属を迫るなんて、絶対に、絶対に許されないことよ。そんなに私たちは、……楽士長や首席次席は、頼りなかった……!?」
言葉はグレイスを責めている。
が、やり場のない怒りと憤りは、その実全て宮廷次席楽士であるシェリル自身に向けられていた。シェリルとグレイスの過去のやり取りを知っている真澄は、いっそ潔いと思う。
口から出た言葉は取り消せない。
後で謝ってもそれはただの自己満足だ。
安易な謝罪など口にしないシェリルは己を貫いている。慣れ合うよりよほど誠実だ。分かっているのか、グレイスもまたその場しのぎの返答をせず、困ったように微笑むだけだった。
多分彼女たちは互いに分かっている。
相手の事情を考えなかった浅はかさと、自分の理由を言わず誤解を与えた落ち度を。
「シェリル、済んでしまったことは仕方がない。これから先、どうするかだ」
なだめたのはヒンティ騎士長である。
「早急にガウディ殿の安全を確保せねば。この分だと、どんな手段に出てくるか分からない」
ヒンティ騎士長の危惧はもっともだった。
相手は既に前科持ちといっていい。この上で公的にカスミレアズが立ちはだかるとなれば、相手の焦りは想像に難くない。危険なのはこの準備期間のみならず、本戦の間も同じだろう。
まくり上げていた袖を下ろしながら、グレイスは「面倒ごとを申し訳ありません」と目を伏せた。
今にも消え入りそうな姿だ。
そんなグレイスを見れば見るほど、フェルデとかいうふざけた男に腹が立ってくる。ふつふつと湧き上がる怒りに、とうとう真澄は平手で机を叩いた。
「胸を張りなさいグレイス。気にすることなんてないわよ、あなたは一つも悪くない」
「そのとおりだ」
鼻息荒い真澄の叱咤に、間髪入れず横からアークの同意が入った。
いきなり臨戦態勢に入った首席二人を見て、アルマが目を丸くしている。こんな時ばかり――血潮たぎる展開になると、どうも息が合いすぎていけない。
ともあれ、フェルデを許し難いのは事実である。
それは武会首席も同じだったようで、真澄が「なんとかしろ」と詰め寄る前に、アークはヒンティ騎士長に向き直った。
「干渉を排除するなら、やはり認証が手っ取り早いか?」
「そうですね。防御認証を二重にかけるべきです」
「二重?」
「フェルデは我らを侮っています。騎士は防御一辺倒だと。だからこその二重認証だと考えるでしょう」
「……あり得るな」
「二つ目の認証破壊時に、攻撃起動を入れましょう。最低でも身体拘束、できれば魔力枯渇か意識はく奪が望ましいかと」
「魔力枯渇か……できるか、カスミレアズ?」
若干渋い顔になりつつアークが問う。投げられたカスミレアズも眉根を寄せつつ、「確実性を求めるなら身体拘束です」と答えた。
真正面からドンパチやるのは十八番の二人だが、こと細かい魔力操作となると不得手なのである。
分かりやすすぎる彼らを前に、ヒンティ騎士長が頬を緩めた。
「エイセル騎士長が身体拘束をかけられるなら充分。それを囮にします」
そして四段階でグレイスを守る。
宮廷警護を専門に担うヒンティ騎士長は、そう言った。
やり方は簡単。
まずはカスミレアズの防御認証をグレイスにかける。
いかなる魔力の干渉も受け付けないよう、一つは大きく堅牢に、相手の魔力を削ぐように。もう一つは予備と見せかけた、攻撃起動をするための目くらまし。そして攻撃は身体拘束、まあさほど器用ではない第四近衛騎士長であることを考えれば、妥当な選定だ。
これら三段が全て起動したら、本命の第四段が襲いかかる。
ヒンティ騎士長の強力な魔力枯渇、アークの豊富な魔力を元とする守護眷属、そしてリシャールの探知警報。構えているならいざ知らず、出会い頭に質の異なる三者の術をさばくのは、熾火でも難しい。
魔力枯渇が極まればそれで良し。万が一かわされたとしても、既に発動したリシャールの警報を止める術はない。警報が騎士四人に届けば、あとは直接やり合うだけである。騎士が駆けつけるまでの間であれば、碧空の鷲がフェルデと互角に渡り合うだろう。
「……それ、簡単……なんですかね?」
探知警報は得意ですが、でも、とリシャールが口ごもる。
「起動の条件付けとか、そういう間接系はちょっと、……自分はそこまで器用ではないのですが」
立て板に水のごとく説明された内容に、全員がすぐに相槌を打てなかったのは致し方ない。ましてリシャールの心配ももっともである。
簡単と言いつつ、全っ然そうは聞こえなかったからだ。
細かい作業が苦手なアークとカスミレアズも分かりやすく固まっている。にわかに浮かんだ懸念を払しょくするように、ヒンティ騎士長が「心配いらない」と笑った。
「第四段をまとめて隠蔽するのは私がやる。起動の格付けも。力だけ貸してもらえれば、あとは私が万事滞りなく整える」
「整えるって、……えっ。ヒンティ騎士長って、他人の術にも干渉できるんですか?」
リシャールが銀色の目を丸くする。
「私は得意な方だが、そうだな。大なり小なりそれができなくては、宮廷騎士団ではやっていけないな」
「へえー。俺、宮廷なら落第だな……第一で良かった」
「得手不得手の問題だよ。宮廷騎士は器用な者が多いかわりに、最大火力はさほど重要視されない」
某第四騎士団に比べたら、赤子も同然。
どこか楽し気なヒンティ騎士長の評に、その某団所属の二人が半目で顔を見合わせている。
そういうわけで、とヒンティ騎士長がアークに向き直った。
「大原則は、できる限りガウディ殿が一人にならないようにすることですが。不自然ではない大きな力を隠れ蓑にするのは常套手段です」
「警報を止められる可能性はないのか」
「ゼロとは申しません。が、これを突破できた魔術士を、少なくとも私は存じません」
「……なるほど、実績ありの布陣か。容赦ねえな、宮廷騎士団は」
「お褒めに与り光栄です」
肩を竦めたアークに、ヒンティ騎士長が笑ってみせた。
「そうと決まればさっさとやるぞ。指示を出せ、ヒンティ」
「かしこまりました」
そのやり取りを皮切りに、グレイスを騎士四人が取り囲む。
赤くなったり青くなったり忙しいグレイスを横目に、残る楽士四人は時間潰しに選考会で弾いた曲の話で盛り上がるのだった。
* * * *
無事にグレイスに対する保険もかかったところで、定例会議の時間や連絡先、日頃の居場所などをそれぞれ連絡しあい、解散の空気になった時のことだった。
会議室に三回、切れの良いノックが響き渡った。
予想外の来訪者に、思わず近場にいるもの同士で顔を見合わせる。扉に最も近かったカスミレアズが応対に出ると、果たしてそこにいたのは第四騎士団指南役のセルジュだった。
「良かった、まだ解散してなかったか」
「……走ってこられたのですか?」
カスミレアズの言外には「わざわざそんなに急いで?」という疑問がにじんでいる。が、師弟の会話はそこでさっさと打ち切られ、セルジュは隙のない身のこなしで室内に入ってきた。
小柄な指南役は迷わずアークの前へと進む。
そして、
「武楽会に関する情報を掴みました。良くない話です」
溜めもなにもなくセルジュがきっぱりと言い切った。
「フェルデの話か? それなら今」
「いえ、違います。『魔の蛇』の目的が割れました。マスミ殿の誘拐です。身代金目当てではありません、一度さらったら二度と返す気はなかったようです」
簡潔な報告にアークが目を瞠った。
星祭りからこっち、そういえばの話である。思わず真澄も身を乗り出して、セルジュの言葉に耳を傾けた。
「悪いことにマスミ殿の顔が知られていないので、レイテアへの移動中あるいは本戦中に、出場楽士が手あたり次第にさらわれる恐れがあります。そして本人ではないと知れたら最悪口を封じられるでしょう。今年の会場はレイテアですから、我々には地の利がない。護衛計画を練り直さねばなりません」
もはや事は真澄一人では収まらず、出場楽士全体に関わってくる。普段は温厚なセルジュが血相変えて駆けこんできたのは、相応の理由だった。
アークの盛大な舌打ちが響く。
「……どいつもこいつも」
内外に問題を抱えるなど前代未聞だ。
今年の武楽会は大荒れになる。
そんな予感に埋め尽くされ、その場にいる全員に緊張が走るのだった。




