7.姑息な手段さえ使えないほど困窮している騎士団ってどうなのか
ヴェストーファの街に到着するまでの街道を襲歩で駆けさせたお陰で、アークとカスミレアズはすぐに街へと到着した。
それなりに大きいとはいえ田舎、緩い柵が街の外周を取り囲んでいる。牧歌的だ。高い城壁がそのまま城下町までぐるりと連なる帝都と比べると、圧迫感は雲泥の差である。
幾つかある柵の切れ目のうち、最も大きい南側の入口から街へと入る。並ぶ家々を見ながら中心部へ向かうと、徐々に人通りが多くなってくる。それまでの早駆けから一転、二人はゆっくりと石畳の道を進んだ。
程なくして街の中心広場に辿り着く。
いつもは街の人間が行き交い露店が並ぶ賑やかな場所だが、ここが叙任式の会場となるため今は周囲を赤い幕で覆い、関係者以外立ち入り禁止となっている。
数日前から昨日までは、多くの関係者が入り乱れて準備に走り回っていた。
今日は既に限られた人数になっていて、ほぼ大詰めを迎えていることが分かる。当たり前だ。この田舎で最大のイベントといっていい騎士叙任式が、今のこの時分に準備ができていない方が驚きである。
「見る限り順調そうだが?」
ここまで済んでいるのならば、アークにはもう少し寝る時間が残されていたはずだ。
折角久しぶりに良い眠りだったのに。多少の恨み言を込めて目線で問うと、カスミレアズがとある一点を指差した。一瞬アークはカスミレアズの目を見て、そのまま視線を横に滑らせた。
目線の先には赤い絨毯が敷かれている。アークが立ち、新しい騎士たちにその位を与える場所だ。
叙任式は正午からで、この時間に会場に足を踏み入れる式典関係者は誰もいない。ちらほらと見えているのは設営をする裏方の人間ばかりだ。
しかしそこまで考えて、俄かに違和感がこみ上げる。
どれだけ目を凝らしても、今ここにいるべき人間が一人足りない。気付いた瞬間、アークは自分の眉間に力が篭もったのを理解した。
「楽士はどうした」
「脱走しました」
簡潔な問いには簡潔な答えが返ってきた。
同時に思う、答えは求めたがしかし欲しかったのはそういう答えではない。
「だ、……なんだと?」
「私に凄まれても困ります。こういう事態ですから、早く起きて頂かざるを得なかったんです」
どうやら部下にとっても不本意すぎる回答だったらしく、同じく苦虫を噛み潰したような顔でカスミレアズは言い捨てた。
楽士。
広く楽器を演奏することを生業とする人間を指すが、ここではこの叙任式の締めくくりを飾る、騎士への祝福を奏でる人間だ。
その曲の下賜がなければ叙任式が叙任式でなくなるほど重要な意味を持つ。司令官の威信がかかっていると言ってもいい。
今日の為にそれなりの技術を持つ楽士を雇ったのだが、それが脱走――とんずらしたとはどういう了見だ。
意味もなくカスミレアズが嘘を吐くわけがない。堅物を絵に描いたような男だ。よって、「嘘をつけ」と否定するのも時間の無駄でしかない。
降って湧いた面倒事に壁をぶん殴りたい衝動に駆られる。
しかしその時間さえも惜しい為、理性を総動員してアークは冷静さを保つよう努めた。
「まだその辺にいないか?」
一縷の望みをかけて捜索を提案するが、カスミレアズの首は早々に横に振られた。
「夜明けからしらみつぶしに付近を当たっていますが、影も形もありません。昨晩の内に逃げられたようです」
「監視はしていたはずだろうが」
「夜半に目を離した隙を突かれました」
「よりによって何故そんな時間に目を離……あ」
「思い出して頂けましたか。そうです、隠蔽された術者の侵入を検知しましたので、私が出ざるを得ませんでした」
「……そうか。そうだったな」
思わずアークの顔も渋くなる。
第三防衛線内に突如現れた気配。通常であればあり得ない事態に、慎重を期してカスミレアズをわざわざ確認に向かわせたのは、他でもないアーク自身だった。
隠蔽された術者だったとしたら、一兵卒では何かの拍子に術が解除された場合に対応しきれない恐れがあるからだ。折しも叙任式の前日、些末であっても問題の芽は早々に摘み取ろうとしたのだが、結果はこれだ。厄日か。
スパイなどより余程厄介な事態になった。
寝不足でもないのに頭が痛くなる。
「街から調達は?」
「ヴェストーファもそれなりに大きな地方都市とはいえ、アーク様に相応しいレベルとなると期待薄ですね」
お説ごもっとも、アークは何も言えず唸った。
そもそも叙任式は毎年恒例になっている式典だ。ここで簡単に替えの楽士が見つかるのなら、今回のように最初から高い契約金を払ってまで帝都から臨時雇いの楽士など連れてきていない。
「くそ……お前の楽士がいればとりあえず替え玉にできたのにな」
「アーク様に専属がいないのに、私に付くはずもないでしょう。ともかくその話は空しくなるからやめましょう」
「それもそうだな」
ここアルバリーク国の騎士団は常に人材不足に泣いている。
騎士になる人間がいないわけではない。むしろそれなりに市民権を得ている職業で、騎士そのものの絶対数は潤沢に確保できている。
足りないのは騎士を支える楽士だ。
楽士は補給線だ。それはとりもなおさず生命線と言い換えられる。
本来であれば一人の騎士に一人の楽士が必要であるにも関わらず、騎士団一つに数人がやっとというのがザラで、アークの率いる第四騎士団に至っては楽士がいない有様だ。それほどに楽士不足は深刻で、困窮していると言っても過言ではない。
理由は色々とある。
だがないものねだりをしたところで、この場では何の解決にもならない。
「しかし参ったな」
思わずアークは空を仰ぎ見た。こちらの悩みなど知ったことかとばかり、小憎たらしいくらいに晴れている。
時計を読むと、正午まではあと一時間と少しだ。
気ばかりが急くものの、限られた時間の中で膝を打つような名案はすぐには浮かばない。
「この際だ、兵の中からめぼしいやつを探してみるか?」
「肉体派ばかりですから時間の無駄です。それならまだヴェストーファで探す方が現実的かと」
「……だろうな。仕方ない。緊急事態だ、報酬は言い値で取らせろ」
「無論その条件を提示して朝から探しています。そして候補がいないわけでもありません。が、アーク様の名前を出すと軒並み断られているというのが実情ですね」
「それは、……俺か? 俺が悪いのか?」
カスミレアズが一瞬口籠る。
そして、
「悪いとは申しませんが、アーク様は規格外ですから……」
濁された語尾の言いたいことは聞かずとも分かる。
カスミレアズの指摘は、特に第四騎士団が楽士不足にあえぐ大きな理由の一つを挙げている。
「褒めてねえな、それ」
「褒めるもけなすもありません、ただの事実です」
ここで言い争ってみても無駄に痛み分けになっただけで、やはり事態が好転するわけではない。
歴とした理由はある。
これほどまでに楽士を必要としながら、当の楽士に契約を反故にされてまで逃げられる、充分な理由がアークにはある。そしてアークに次ぐ実力を誇るカスミレアズも、アークほど困窮しているわけではないが似たような境遇だ。さらに言えば、騎士団を支える多くの下位騎士たちに至っては、端から楽士獲得を諦めている有様である。
いずれにせよ片や豊富に楽士を抱える魔術士団と違い、こうして騎士団はいつもいつも楽士不足に泣かされるのだ。
まあ嘆いてみたところでやはり状況は変わらないのだが。
「因縁をつけられそうな楽士、どこかにいないか」
言葉にしながら、アークはなけなしの記憶を総動員する。
毎年訪れている街だ。そして必ず歓待される街でもある。叙任式が終わった後の宴で、酒の肴としてヴィラードを奏でた人間が何人かいた。顔と名前さえ思い出せれば、「国庫からの食糧を食べた分を身体で払え」と、姑息な言いがかりをつけてどうにか弾かせようと思っている。
だが性質の悪い考えは、カスミレアズに即座に見破られることとなった。
「駄目です、既に断られています」
「……良く分かったな」
「さすがに退路を断つような頼み方はしていませんが、全員が叙任式でのアーク様を知っている以上、強くは言えないのが現状です。昏倒前提の激しい肉体労働ですから」
「その言い方だと俺が殴り倒してるみたいじゃねえか人聞きの悪い」
「いずれ同じようなものです」
カスミレアズが肩を竦めた。
口を開くほどに自分たちの窮状が露わになる。
誰でもいい、誰かいないか。
二人で腕組みをして考え込むことしばし。一人の顔が脳裏をよぎり、アークは地面に落としていた視線を上げた。
「そういやあいつ、ヴィラード持ってたな」
零れ落ちたアークの独り言に、カスミレアズが目線で誰かと問うてきた。
固有名詞を答えようとするがしかし、はたとアークは口籠る。
「……あれだ。名前は知らん、訊くのを忘れてた」
「もしやあのスパイですか?」
「おう」
「楽士に扮したスパイですか。我がアルバリーク第四騎士団の人材不足が大陸全土に轟いているようで、誠に遺憾ですね」
恨み言はともかく、まともに弾けそうなのか。続けられたカスミレアズの問いに、アークは肩を竦めて首を傾げるしかなかった。
正直に言えば未知数だ。
武器ではなかったから、おそらく本物の楽器だろうと思う。ヴィラードにしては小ぶりな上、奇妙な色をしていたがそこは些事。おまけに随分と頑なな態度で、訳ありそうでもあった。
それでも賭けてみようという気になったのは、彼女が「弾けない」とは決して言わなかったことだ。
組み敷かれて尚張り続けた意地に、アークは本物を見た。
「……進退窮まるにも程がありますが、この際やむを得ませんね」
不確定要素は多い。
しかしもはや選べる状況ではないので、カスミレアズも異を唱えはしなかった。