69.台風の目、現る
自室に戻った真澄に、深夜、来客があった。
大きな灯りは既に落とされている時間帯のことだ。適当な相手ならばリリーが当たり障りなく追い返しただろう。が、リリーは戸惑いを隠さないまま取り次ぎにきた。
「常盤の楽士様なのです」
どうしましょう、とリリーが上目遣いに窺ってくる。が、耳慣れない単語に真澄の眉根が寄った。
「どなた?」
「あ、ええと、第一騎士団の首席楽士様です」
所属を聞いて、真澄のまぶたに深い緑の肩章が浮かんだ。
首席というからには総司令官の専属なのだろう。中央棟で一度だけ対面した、堅いが真面目そうな人物が脳裏をよぎる。落ち着いた風貌は、確か宮廷騎士団長よりも年かさに見えたと記憶している。
第一騎士団。
これまでまったくといっていいほど関わりのなかった相手だが、ここにきて一体どういう風の吹き回しだろうか。まずは真意を確かめるべく、真澄は応接に通すことを承諾した。
「こんな夜分にお伺いしてごめんなさいね」
開口一番、彼女は深く頭を垂れた。
少しふくよかな身体に、良く笑うのか目尻のしわが穏やかさを引き立てている。制服ではなく部屋着だが、その首元には金糸に縁取られた、目に優しい深緑のスカーフが巻かれていた。
丁寧にまとめられた髪は珍しく赤みの強い金髪で、艶やかに輝いている。
「いいえ。こちらこそご挨拶もしないままで大変失礼致しました」
応接のソファを勧めながら、真澄も頭を下げた。
リリーから「常盤の楽士」と聞いた時にはピンとこなかったが、彼女は選考会次席に名を連ねていて、今日の選抜者会議の場にも座っていた。
きっと、真澄よりは十ほど上だろう。
だが、少したれ目のきらきらと輝く緑の瞳はまるで少女のようで、年上に失礼とは思いつつも素直に可愛らしい。
「マスミ=トードーと申します。アルバリークの生まれではありませんが、縁あって第四騎士団の首席楽士として迎えて頂きました。まだ二月ほどで、若輩ですが」
「まあ、もうそんなに経つかしら。あの人からお話を聞いた時はとっても嬉しくて、すぐに会いに行こうと思ってたのだけど」
叙任式やらなにやらでばたついているうちに、子供が体調を崩してしまって、楽士の仕事がほとんどできていなかった。困り顔で頬に手を当てた彼女は、「実家が未だに過保護で困るのよ」とため息を吐いた。
「申し遅れましたね。わたくし、アルマ=アーステラです。同じ首席楽士としてお会いできたこと、この上なく嬉しく思いますわ」
「こちらこそ」
「他の首席たちにはお会いになって?」
「それが、まだ全然」
「でしょうね。それぞれ自由に動いているものねえ」
聞けば、こと首席楽士に至っては常に宮廷にいるわけではないらしい。
基本的には大きな家の出であるものばかりなので、任務の状況が許せば家に戻って血族の後進を育てたり、地方の分家回りをしたり、年中忙しくしているという。
かく言うアルマ自身もこの二月ほどはほとんど宮廷にいなかったというから、互いの会えなさ加減は推して図るべし、である。
「大変なのですね」
「一族の名前を名乗るから、こればっかりはね。その分、次席たちが頑張ってくれているから助かるわ」
次席といえば、近衛騎士長たちの専属だ。
ふと血気盛んな約一名が真澄の脳裏に浮かんだ。ちなみに彼女は第三位として今回の選抜にもしっかり入っている。あの気負いは、ある意味で首席の留守を預かっている、という責任感からくるものなのかもしれない。
つまり真面目なのだ。
そう考えるとにわかに好感が持てるから、人間というのは不思議である。
「テオドアーシュ殿下のことも聞いたわ」
アルマが眩しそうに真澄を見る。
「わたくしでは力になれなかったから、とっても心配だったのだけど。でも、……ふふ」
「どうしました?」
「恋の力って偉大よね」
「はい?」
やたらと嬉しそうに顔を綻ばせるアルマだが、真澄には話がまったく見えない。首を捻っていると、「気にしないで」と畳まれてしまった。
「とにかく、あなたがすごいって持ちきりだったのよ。普段うちの実家には寄りつきもしないあの人が、仕事そっちのけでわざわざ走って知らせにきたくらいだもの」
「あの人って……」
「総司令官よ。第一騎士団の」
「……ですよね」
アルマはどこにでもいる普通の夫婦のように話しているが、やはり相手はあの第一騎士団長らしい。
力関係がいまいち分からない。
家同士の云々なのか、それとも当人同士の上下関係か。真澄がひっそり悩んでいるうちに、「ところで」と話題が移ってしまった。
「ご実家は遠いの?」
「ええ。ただ、帰るほどの大きな家でもありませんし、好きにさせてもらっています」
「中々会えないのは寂しいでしょうけれど、その代わりアークレスターヴ様がお喜びでしょう。良いことね」
屈託なく笑うアルマは彼女の考えを押し付けてくるでもなく、本当の意味で大人だった。
最初は何用かと警戒していたが、彼女の分別ある態度にそれももう解けている。当たり障りのない会話を二つ三つ続けた後で、アルマが申し訳なさそうに言った。
「本当に不躾な時間に申し訳なかったわ。でも、どうしても組決めの前にお話しておきたかったものだから」
「あの……少しお尋ねしても?」
「ええ、どうぞ」
「それほど重要な話なのですか」
上から順に組んでいけばいいのではないか。
選考会が初めての真澄は単純にそう思うのだが、カスミレアズといい目の前のアルマといい、ずいぶんと神経質になっているように見受けられる。そうでなければわざわざ忠告はされないだろうし、こうして夜分遅くの面会になどこないだろう。
そんな真澄の疑問を受けて、アルマは「そうなれば良いのだけれど」と目を伏せた。
「おそらく異議が出るでしょうね」
「異議……とはいっても、実力順で組むのが真っ当なのでは?」
「本来はね。ただ、慣例的に最優先で考慮されるのは推薦状の関係なのよ」
推薦を出した騎士は、三人が選抜入りしている。
首席のアーク、次席のカスミレアズ、そして四位のヒンティ騎士長だ。彼らの順位と釣り合っているのは、首席の真澄しかいない。
しかし問題は見当たらない。
彼らのいずれも、相手の順位など気にしないであろうからだ。首を捻る真澄に、アルマは懸念を伝えてきた。
「武会三位が魔術士であること、覚えているかしら」
「ああ、そういえば。珍しいみたいですね」
名前は覚えていないが、グレイスが顔をくもらせていた相手だ。
「楽会の三位はサルメラね。でも彼女に推薦を出したのは武会四位のヒンティ騎士長なのよ」
「あ……! ずれちゃう、のか」
「騎士同士なら気にしないけど、相手は気位の高い大魔術士だから」
かといって、推薦を出した騎士が退くことなど絶対にありえない。慣例と実力がせめぎ合うことになるだろう。
おそらく、揉める。
アルマが深いため息を吐いた。
「他にも良くない噂を耳にしていて」
その魔術士が、グレイス=ガウディを囲い込もうとしている。
まことしやかに囁かれるそんな噂が、第一騎士団と懇意にしている数人の楽士からアルマの耳に入ってきたらしい。しばらく留守にしていて、戻った途端に、だ。第一騎士団に所属しているリシャールはその兄であって、アルマにしてみれば聞き捨てならない内容である。
もしも噂が本当ならば、もう一段面倒なことになる。
グレイスは楽会五位だが、武会二位のカスミレアズから推薦を受けている。どちらに転んでも禍根を残しそうだ。
「彼女とは親しいお付き合いのようだから、耳に入れておいた方が良いと思ったのよ」
「お気遣いありがとうございます。助かりました」
なにも知らずに明日を迎えていたら、いざ事が起きた時に思考停止していたかもしれない。真澄が心から謝辞を述べると、アルマは緑の目を細めて「気にしないで」と笑った。
「わたくしにとっては最後の武楽会なの。だから良い思い出にしたくて」
第一騎士団の後進育成に、そろそろ本腰を入れようと思っている。
ほほえみながらも堅実な未来を語るアルマを目の当たりにして、頭を殴られたような衝撃が真澄を襲った。
首席楽士のなんたるかを垣間見た気がしたのだ。
漠然と、ただ弾いていればいいとだけ思っていた。困窮しているというアークを満足させれば、それでいいと。
けれど碧空と呼ばれているだけでは駄目なのだ。
その名を名乗るということは、同時にその地位にふさわしい振舞いが求められる。帝都に来て二ヶ月、自分を振り返ることなどただの一度もなく駆け抜けてきたが、今が考えるその時なのかもしれない。
真澄とアークが良くても、第四騎士団はどうなる。
補給線とはなにか。それを担うということは、どういうことか。今が良ければそれでいいのか。先々にも責任を負わねばならないのではないのか。
アルマの話は否応にもその問いを真澄に突きつけてくる。そんな新たな気付きはしかし、気持ちの高揚には繋がらなかった。
どちらかといえばその責務の重さに気が遠くなる。
壊れかけた自分の腕、楽士としての存在意義も足元から揺らいで、すれ違ったアークとの仲だけでも手いっぱいなのに、不穏な動きを見せる武楽会に加えて今後の進退も考えねばならない。
こんな自分にできることがあるのだろうか。
不安が押し寄せるが、一つずつ向き合っていくしかないのもまた事実。真澄は左腕をそっとさすりながら、日付が変わるまでアルマと話し込んでいた。
初めて出会った同じ首席楽士。
彼女は遥か先を生きていて、とても追いつけなさそうな大きな背中だった。
アルマを見送ってからも、一筋縄ではいかない今後を思い、しばらく真澄は考え込んでいた。
* * * *
常盤の楽士――アルマ=アーステラと、第四近衛騎士長カスミレアズ=エイセルが抱いていた懸念は、翌日見事に的中した。それも、非常に良くない方向に。
その一言で、それまで穏やかだった部屋の空気が一変した。
騎士全員の視線がたった一人に突き刺さる。
アークは腕組みをしたまま真意を図るように真正面から見据えている。議事進行をしていたヒンティ騎士長も、常以上に鋭い視線を投げかける。カスミレアズは静かな怒気をまとい、末席のリシャールでさえ怪訝さをあらわにしている。
それでも男は飄々とした態度を崩さない。
ハーバート=フェルデという名の、若き大魔術士は。
「もう一度訊こう」
ヒンティ騎士長の声が低い。
「武楽会の勝敗などどうでもいい。そう聞こえたが、私の気のせいか」
「いーえ? そのご理解で合ってます」
「ならば何故選考会に名乗りを上げた。今からでも遅くはない、辞退してもらって委細構わんぞ」
「そりゃ困る。俺はそこの――グレイス=ガウディを専属にするために、わざわざ武楽会なんて面倒な手順を踏みに来たんだ」
名指しを受けたグレイスが、蒼褪めた顔でうつむく。噛みしめた唇が小刻みに震えていた。
完全に怯えている。
目も合わせられないほどのなにが、二人の間にあったというのだろう。隣に座る真澄は、周りから見えないようにそっとグレイスの手を握った。
「俺はグレイスと組む。それが呑めないってんなら、本戦では手を抜かせてもらう」
同じ主張を繰り返して、フェルデは椅子にふんぞり返った。
事の発端は、ヒンティ騎士長が組決めの口火を切った時にさかのぼる。
慣例に従って推薦状付きでまず三組――アークと真澄、ヒンティ騎士長とシェリル、そしてカスミレアズとグレイス――を固めようとしたところ、いきなり異議が上がった。
唯一の魔術士、ハーバート=フェルデだ。
つい最近のこととはいえ、二十代で大魔術士に昇格した男だ。宮廷魔術士団の中でもその実力は群を抜いている。将来を嘱望されているその若き大魔術士は、いっそ不遜に言い放った。
武楽会に勝ちたければ、要求を呑め、と。
さもなくば大魔術士としての力は貸せない、そうフェルデは高らかに宣言した。
これに対し真っ先に目を眇めたのがヒンティ騎士長である。ただしいきなり突っぱねるのではなく、その要求とやらを尋ねた。そんな大人の対応を小馬鹿にするかのごとく続いたのが、「グレイス=ガウディを寄越せ」という一言だったのだ。
「話にならんな」
一触即発の空気の中、ヒンティ騎士長がきっぱりとはねつける。
「推薦を出していない時点で貴様の主張など笑止。それでもわがままを通したければ、せめて首席を獲ってから言うのだな。たかが三位が偉そうに」
「四番手のあんたに言われたくないけどね。俺は今から仕切り直してもいいぜ?」
本戦出場の資格さえ取れれば良かったから、適当に手を抜いてやった。
フェルデが口の端を上げて挑発する。
その視線は先ほどからずっと一人を射抜いている。吹っ掛けられた本人は、ゆっくりと顔を上げた。
「……上等だ。表に出ろ」
カスミレアズの青い瞳が真っ直ぐフェルデに向けられる。
フェルデの顔に昏い愉悦が広がった。
「そうこなくっちゃな、第四近衛騎士長さんよ」
言うが早いか、フェルデが立ち上がる。
その様子を見たカスミレアズが机に手を掛けた時、部屋の中を青い闘気が駆け抜け、地鳴りが響いた。
次いで部屋が小刻みに揺れる。
テーブルの上に置かれている羽ペンが音を立て、羊皮紙が床に落ちた。
一人を除いて、全員がその場に固まる。
地鳴りと揺れが収まった時には、フェルデさえ顔色を失っていた。膨れ上がっていたはずのカスミレアズの怒気までも、かき消されている。
「やめろ。……どいつもこいつも面倒くせえ」
地の底より深い、苛立ちの声だ。
そして黒曜石の瞳がフェルデに向けられる。
「好きなだけ手を抜いていい。どうあれガウディとお前を組ませる理由はない。この決定に異議があるのなら、俺が相手になってやろう」
無論、手加減なしで。
アークの言葉に、フェルデの笑みが僅かに歪んだ。
「ふうん……三番手の俺が手を抜いて、四番手と五番手がどこまで頑張れるだろうね?」
「それこそお前に言われる筋ではない」
間髪入れずヒンティ騎士長が一刀両断する。
「火力一辺倒の魔術士風情が」
「……消し炭にされたいんだ?」
フェルデとヒンティ騎士長が睨み合う。火花が散りそうな空間を収めたのは、ぱんぱん、と打ち鳴らされた柏手だった。
出所に注目が集まる。
そこには穏やかに微笑む常盤の楽士、アルマがいた。
「武会首席から方針も出ましたし、進めましょう。私がフェルデさんと組みますわ」
提案は淀みない。毒気のない笑顔のまま、彼女は続けた。
「ね、あなたはリシャールと組みなさいな。実力も丁度釣り合うはずよ」
アルマが声を掛けたのは四位の楽士だった。
彼女は宮廷楽士ではない。地方から出てきた楽士で唯一、神聖騎士部門に選抜された。グレイスを抑えての結果であり、実力としては申し分ない。
地方楽士は気が抜けたように、こくこくと頷いた。
言葉はない。おそらく、目の前で大暴れする問題児と組まねばならない可能性に、戦々恐々だったらしい。リシャールはアルマに会釈してから、地方楽士に「宜しく」と優しい顔で声を掛けていた。
「へえ。首席楽士サマがわざわざ付き合ってくれるんだ」
相変わらず人を食ったようなフェルデの物言いだったが、その頬は微妙に引きつっていた。
受けたアルマは目尻を緩める。
「ええ、いくらでもお付き合いしますよ。機会は未来ある若い人たちにこそ与えられるべきだもの」
この場で最年長の一言には有無を言わせぬ迫力があった。
裏を返せばそれは、お前には一切のチャンスを与えない、と言っている。
諸刃の剣だ。
気付いた真澄は弾かれたようにアルマを見るが、彼女はいたずらっぽく笑って人差し指を口元に当てた。
「常盤の称号まで頂いたわたくしと、若いあなた。手を抜いても宜しいですけど、どちらの評価が落ちるかしらね。楽しみですこと」
少女のような無垢な笑顔で、口に出されたのは厳しい現実だった。
「楽士ごときが……!」
「まあ。その台詞、楽士棟で言ってごらんなさいな」
干されますよ。
首席の一言はただの脅しには聞こえなかった。ところがフェルデはそれ以上なにも返さず、優し気な笑みを浮かべてグレイスの前に立った。
「なあグレイス。俺との約束、覚えているよな?」
恋人への語りかけのように甘い声を出しながら、フェルデがグレイスの右腕を撫でた。
一方のグレイスは、吐息一つ漏らせず硬直している。
「くくっ……忘れられるわけないよなあ! 今日のところはその可愛さに免じて引いてやる」
さもおかしそうにフェルデが笑う。
「待ってろ。必ず迎えに来る」
グレイスの耳元に呪いのような一言を残し、フェルデは靴音高く部屋から出ていった。
大荒れだった室内に、静けさが戻る。
異様な空気の中、選抜者たちはため息交じりに互いの顔を見合わせた。




