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ドロップアウトからの再就職先は、異世界の最強騎士団でした~訳ありヴァイオリニスト、魔力回復役になる~  作者: 東 吉乃
第二章 楽士の奮闘、ここに極まる

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58.星に願いを?


「おお……こんなところに出るんだ」

 埃っぽくなった身体をぱたぱたと叩きながら、真澄は周囲を見回した。薄暗さに慣れてしまった目に、夕方とはいえ真夏の日差しが刺さる。

 ここに来るまで結構な距離を歩いてきた。

 有事の際の避難通路ゆえ、ある程度は致し方ない部分もある。が、それにしても長かった。方向感覚もいい加減怪しくなってきた頃合いで辿り着いたのが、この緑の繁みに囲まれたどことも知れぬ公園らしき場所だ。

「北の恩賜おんし庭園だ」

 髪にひっかかったクモの巣を除けながらテオが言う。

 アルバリークの帝都には東西南北に同じような恩賜庭園があり、それぞれが王族ゆかりのものであるらしい。いずれも一般に開放されており、民の憩いの場になっているのだとか。

 ほう、と真澄は感心する。

 が、周囲は生垣に囲まれていて様子は窺えない。傍にある樹々の梢は高く、夏の風に揺られてざあ、と涼やかな音が耳に心地よい。

 ぽっかりと芝生に開いた出口を塞ぎ、二人は立ち上がった。

「行こう。少し歩けば祭りの端に出る」

 数歩先を行ったテオが振り返り、左手を差し出してくる。

「もしかしてエスコートしてくれるんですか?」

「……お前が連れてけって言ったんじゃないか!」

 恥ずかしいのか、テオが一瞬出遅れた。

 連れていく=エスコートせねばならない、というのがアルバリークの流儀らしい。年齢の釣り合わなさはともかく、初めて受ける扱いに真澄はつい笑みをこぼした。

 「やだ嬉しい」「うるさいだまれ」などと、きゃあきゃあ騒ぎながら繁みを抜ける。開けた視界に映ったのは、庭園の名に相応しい大きな池だった。静かな水面に、とりどりの水鳥たちが優雅に泳いでいる。平和な場所だ。

 池の周囲には散策用の柔らかな道が続いている。

 道沿いに立派な樹がいくつも植えられていて、日差しを遮ってくれるのがありがたい。祭りという時期のせいか広さのせいか、近くには人の姿は見えなかった。

「綺麗な場所ですね」

「わたしのひいひいお祖父さまの離宮があった」

 対岸を差す指を辿ると、確かに石造りの宮が池のほとりに佇んでいた。

 余生を過ごしたのか羽休めに使っていたのかは知れないが、灰色ではなく白亜の石は優美で、穏やかに時間が流れていくであろうと思わせる。

 景色に目を細めながら、ゆっくりと道を二人で歩く。

 咲き誇る花を見てはその名を説明し、空を往く鳥がいればどんな翼を持つかを手で示す。僅か九歳ながら本当によくものを知っているテオは、やはり特別な環境で育てられているらしい。

「よくそんなに花や鳥の名前、知っていますねえ」

 知っている花の名前を挙げてみろと言われても、真澄は十も怪しい。バラと百合、チューリップと、……ひまわり? くらいのレベルである。

 イベントの演奏会では、締めくくりに花束を良くもらっていた。

 が、一抱えほどもある大きなあれ、白状すると実は名前の分からない花ばかりだったという罰当たり者だった。そんな真澄だから、本当にテオの博識さを尊敬しているのだが、当の本人は微妙な顔で真澄を見上げてくる。

「花も鳥も、自然のものは全てに与えられた意味があって、象徴シンボルになり得るんだぞ」

 区別をつけておくのは当たり前だ、とテオが続ける。

 次いで紋章学だの旗章学だの専門用語が飛び出てきたが、貴族でもなければ軍人でもない真澄にはちんぷんかんぷんだった。

「アークは『碧空へきくうの鷲』だろ」

「そういやそんな呼ばれ方もしてましたね」

「青と鷲は第四騎士団の象徴だぞ、分かって……いや、その顔絶対に分かってないな?」

「だって誰も説明してくれなかったですし」

 再三言うが、真澄は外国人なのである。

 大事なことなので口を尖らせて主張すると、諦めたらしいテオがまなじりを緩めた。

「青は『信頼と誠実』を司る色、鷲は『誇り』の象徴だ。自分の所属のことくらい覚えておけ」

「言葉だけ聞くとやたら格好いいですね。アークはあんななのに」

「真面目にきけ!」

「はーい」

 九歳から説教されつつ、二十八歳は舌を出して受け流すのだった。穏やかな夕方の一コマである。

 こうしているとテオの笑顔は無邪気でどこにも影などない。会話だって普通だ。


 一体なにが彼の心を閉ざしたのだろう。


 表面的にはなし崩し的に休戦状態になっているが、根本的な解決には至っていない。それを思うと、繋ぐ真澄の手には自然と力がこもった。

「そうだ、会場に着く前に。テオ」

「うん?」

「もしもはぐれてしまった時に備えて、待ち合わせ場所を決めておきましょう」

 手を繋いでいるとはいっても、人波は絶えず不規則に動いている。不意に押されて一瞬のうちに手が解けてしまって、そこから先はあっという間に引き離される恐れもある。

 アルバリークに迷子放送などあるとは思えない。

 あったとしてもテオを呼び出すなど愚の骨頂なので、落ち合う場所は決めておいて然るべきなのである。

「中央広場に女神の噴水がありますよね。なにかあったら、あそこで待つということで」

 女神デーアの噴水。

 六枚の羽根を大きく広げ、長衣をひるがえす美しい女神が立つ巨大な噴水は、彼女がアルバリークという国を建てた際に民衆を導いた姿だといわれている。

 二階ほどの高さに届こうかというその像は、帝都の中心広場における名物だ。周囲には沢山の露店がひしめきあい、アルバリーク有数の観光スポットであると同時、絶対に間違えない待ち合わせの定番スポットでもあるという情報を、真澄はリリーから仕入れている。

 日頃から賑わいを見せるそんな中央広場だが、この時期は例にもれず星祭り会場の一つとして数えられている。

 星空の下、あちこちで杯をぶつけ合う酔っ払いの中には、今日のために駆り出された騎士たちが混ざっていることだろう。もしも混ざっていなかったら、後でぶっ飛ばしてやる所存だ。

 そんな大人の事情を知らないテオは、ひょ、と首を傾げた。

「わたしはいいが、マスミは場所知ってるのか?」

「待ち合わせに辿り着けない場所を指定するほど頭弱くありませんよ?」

「ふうん。迷子になるなよ」

「それはこっちの台詞です。背が低いんだから、私のこと見失わないでくださいね」

「誰がチビだ! 成人になればわたしだってアークくらいに」

「はいはい、そういう台詞はまず私を越えてから言うもんですよ」

「……今に見てろよ!」

 捨て台詞を吐きながらも、手を繋ぎっぱなしのテオが可愛い。

 この繊細な色を持つ華奢な彼が、あと数年もしたらアークやカスミレアズ並みの体躯になるのだろうか。民族人種から考えれば妥当なのかもしれないが、とても想像できない未来である。

 賭けるような気持ちで面白半分、大化けに期待して楽しみ半分といったところか。

 そうしてくだらない話題で両者一歩も譲らず言い合っているうち、祭りの喧騒が徐々に近づいてくるのだった。



 星祭りは中央広場から帝都の一角が会場と定められていて、その区画の道という道には露店が立ち並び、行き交う人間でごった返している。

 本来は夏の夜空にまたたく星を楽しむ祭りだ。

 しかし、帝都内の道では無数に浮かび上がる光球が真昼のごとくあちらこちらを照らし出すので、星などかけらも見えやしない。むしろおっさんや若い兄ちゃんたち酔っ払いの巣窟となっているので、ロマンチックさを求める恋人たちなどは中心区画から離れた郊外でよろしくやっている。

 ようやく太陽が地平に沈みかけた頃、真澄とテオは星そっちのけで絶賛買い食いをしていた。

「これだ……ヴェストーファで食べたやつだ……!」

 肉の焼ける香ばしい匂いに釣られて真澄が立ち寄った屋台。

 そこでは薄いパンを焼くかたわら、七面鳥よりまだ大きい鳥が豪快に丸焼きされていた。並ぶ人が注文するたび、上半身裸のおっちゃんが焼けた鳥を切り分け、隣の若い兄ちゃんに渡す。兄ちゃんは手元の壺に入っているらしいタレを手際よく塗り、それを焼き立てのパン生地にひょいと挟み、注文客に手渡していく。

 真澄の目は輝いた。

 アルバリークに来て初めて食べた食事。あの五臓六腑に染み渡った救命のサンドイッチである。目に入った以上、食べない選択肢はなかった。

 握り拳で震えながら噛みしめる真澄をみて、隣のテオが片眉を上げる。

「そんなにペルタが好きなのか? 大陸中どこでもあるぞ」

 どうやらアルバリーク郷土料理の一つらしく、普通の飲食店にはまず間違いなくメニューとして並んでいるし、祭りとなれば同じ屋台がそこかしこに出るものらしい。庶民とはかけ離れた暮らしぶりのテオでさえ知っている。それくらい、おなじみ定番料理なのだとか。

 真澄にしてみればますます嬉しい情報である。

 年に一回、ヴェストーファでの叙任式でしか食べられないとなると残念すぎる。もぐもぐやりながら、真澄はこくこくと頷いた。

「大好きです」

「首席楽士のくせに安い口だな」

「おいしいものは多い方が人生幸せですよ?」

 はいどうぞ、とまたかじっていないペルタを差し出す。

 人のことを安い口と呼ばわりながら、本人も嫌いではないらしい。日本人にとってのおにぎり感覚だろうか。鼻先に突き付けられたそれを、テオはそれ以上なにも言わずに受け取ってかぶりついたのだった。



 祭りの喧騒は、宵闇が深まるにつれて盛り上がりを増していく。

 夜の帳が完全に落ちた頃、鳴り物がそこかしこでリズムを刻みだす。際どい格好の踊り子が、とん、と身体をひるがえす。大路沿い、テーブル代わりに出ていた木箱を台座に、即席のショーが始まった。

 華麗なステップ、柔らかにしなる背中。

 飛び散る汗にてられた酔っ払いが、一人、また一人と立ち上がり輪を作る。男も女も老いも若きも関係ない。ただ熱い夏の夜を、今はこの時ばかりと誰もが酔いしれる。



 手と手を取り合う。

 赤い頬のまま笑顔を交わす、相手は名前も知らない誰かであるにもかかわらず。


 力強く美しい夜だ。


 平時は重なることのない互いの時間。

 今日のこの日だけは、星々の下で受けた生を謳歌する。数多の人生が交錯する、命燃える夏がそこにあった。


*     *     *     *


 拍動を思わせる力強い鼓と揺らぐ歓声を背中で聞きながら、真澄とテオは歩いていた。

 既に市街地は抜けている。

 鈴なりだった光球はなく、深い藍色の空に満天の星がまたたいている。密やかな光に照らされる道は、アルバリークの帝都を支える水源地へと向かっていた。

 道は水源地からの川に沿って緩やかな曲線を描く。

 せせらぎの傍ではそこかしこで恋人たちが肩を寄せ合い、遥かな天空を見上げている。


 やがて川は森へと差し掛かった。数多の星がちらばる藍色の夜空を背景に、大きな山がそびえ立つ。帝都の背後、北を守る天然の要塞だ。切り開かれている森の入口には、そこを守るように二体の石像が両端に佇んでいた。

 これもまた女神の像だ。

 四枚羽の彼女たちは双子で、女神デーアに付き従い、これを助け、アルバリークのいしずえになったのだという。他にも建国にまつわる女神は数多いるが、彼女たちが見守る場所はいずれも聖域とされているらしく、王族以外は近寄ることさえ許されていない。

 そんな説明を聞きながら、真澄はテオの先導で山へと足を踏み入れた。

 静寂が深くなる。代わりのように、冷たく澄んだ空気がそこには満ちていた。

 道は徐々に勾配を増していく。

 相変わらず道は続いているが、木々の梢にくらく沈むここには人影がない。それでもテオは迷いなく真澄の手を引き、奥へ奥へと進んでいった。

 しばらくいくと、突然視界が開けた。

「マスミ。ここに」

 一足先に進んだテオが立つのは巨大な一枚岩だ。

 周りは藪や梢に囲まれているが、そこだけまるで切り取られたように何もない。

 テオの背後はぼんやりと青く光っている。天から降りてくる星の光ではない。なんだろう。大地から差し伸びるような、柔らかな薄青い光だ。

 さらさらと水音が心地よい。

 だが淡い光しか見えない景色に、真澄の足が竦んだ。

「だいじょうぶ、怖くない。わたしたちが祈りを捧げる場所――地の星が輝く聖域だ」

 テオが一枚岩からとん、と降りる。

 その手が真澄を掴まえて、一枚岩に引き上げた。恐る恐る真澄は足場を覗き込む。その途端、視界いっぱいに光があふれた。

「わ、あ……!」

 遥か眼下にもう一つの星空があった。


 幾千、幾万もの小さな光が明滅する。


 光は流れ落ちていく水面の上を、ゆらりゆらりと漂う。清流に生きる儚い光、ホタルだ。アルバリークでは「地の星」と呼びならわされているようだが、道理だ。

 一大生息地である。

 漆黒の森に囲まれて尚、川の流れがありありと見える。鳴き声はついぞ聴こえない。微かなせせらぎの音が響く中で、青い光だけがあふれて揺らめく。

 しばらくの間見惚れていると、真澄たちの周りにも一つ、二つと淡い光が飛び交い始める。

 隣を見る。

 同じく地の星々を眺めるテオの頬が、青白く照らされていた。

「地の星が守る水源地は、豊かな水を民に約束する。だからわたしたち王族は地の星が輝く夏に感謝の祈りを捧げ、この地を守ることを誓う。本来の星祭りは空ではなく、大地の星を奉るものだ」

 帝都だけに留まらず、アルバリーク帝国全土がこのように豊かな水に恵まれている。

 水は肥沃な土をもたらす。それは命を育み繋ぐ。人が集まるべくして集まって、今のアルバリークがある。連綿と受け継がれた遥かな故郷は、美しい約束の地だ。

「だからわたしは、アルバリークが好きだ」

「……優等生の答えですねえ」

 苦笑しながら、真澄は一枚岩に腰を下ろした。


 確かに真澄は条件を出した。

 テオの好きなアルバリークを真澄に見せろ、話はそれからだと。


 だが言葉の真意はそこではないのだ。

 

 テオは真澄がなにを言わんとしているのか飲み込めていない。大きな瞳を二度三度と瞬かせている。

 ひやりと冷たい岩に座ったまま、真澄はテオをそっと見上げた。

「ねえ、テオ。私は百点満点が欲しかったわけじゃありませんよ。分かりますか?」

 虚を突かれた顔でテオが押し黙る。

 構わず真澄は続けた。

「本当はなんでも良かった」

「なんでも……?」

「そう。この水源地は確かにきれいで、連れてきてもらってすごく嬉しい。でも、たとえばアルバリークの絵本でもなんでも、宮廷から出なくても構わなかったんです」

 それがテオの好きなものなら、なんだって構わなかった。

 大雑把な真澄の願いに、けれどテオは、一生懸命考えて彼の全てを真澄にぶつけてきた。たった一人のために心を砕く、誰にでもできることではないが、しかし。

「ねえ、テオ。一つだけ教えてください」

「……なんだ」

「嫌われるのが怖いですか? それとも、離れていくのが怖い?」

 テオが固まった。

 返事はない。それが多分、答えだ。

 ホタルと同じ青い瞳は、真澄が次に何を言うのかと瞬きを繰り返す。

「あなたは誰をなくしたんでしょう。誰に置いていかれましたか」

 抉るような真澄の言葉に、小さな唇が噛みしめられる。

 見れば、テオの手はシャツの裾を握りしめていた。強い子だ。生意気で負けん気が強いが、絶対に弱音を吐こうとしない。


 まだ早い。

 そう言って抱きしめてやりたくなる。


 長じれば歯を食いしばるべき場面などいくらでも出てくる。だから今はまだ真正面から耐える必要はなくて、辛いならば誰かにそう打ち明けていい。

「テオの生き方は百点満点だと思います。九歳でしたっけ、その年で国のことを考えられるのはすごい。誰にでも……いいえ、ほとんどの人間ができることじゃない。でもね、どんな聖人君子でも、別れのない人生なんてありませんよ」

 どれほど厭うても、避けようとしても、それはいつか必ずやってくる。

 正しく生きようが徳を積もうが関係ない。誰しもに平等に訪れるのが、大切な誰かとの別れだ。

「いい子にしてれば願いは叶うなんて嘘っぱちです」

「……大人がそんなこと言っていいのか」

「私だって昔は子どもでしたし」

「そういうのを屁理屈っていうんだぞ」

 憮然とした声を出すテオに、真澄は手を伸ばした。

 掴まえた細い腕をゆるく引いて、隣に座るよう促す。大人しく従ったテオは、一枚岩の上に小さく三角座りで収まった。

「少しだけ、私の話をしましょうか」

 好きな人に限ってさっさといなくなってしまう。あれ、どうしてなんでしょうね、と呟いて、真澄は小さく笑った。



 最初に真澄の音を喜んでくれたのは母だった。

 母がいなければ、真澄はヴァイオリンと共に生きることはなかっただろう。スタート地点に立たせてくれた母は、けれど真澄の成人さえ見ることなく逝ってしまった。

 次に長くいた恩師も、後を追うように亡くなった。

 多くの世界的なヴァイオリニストを世に送り出してきた恩師。年老い、「もう弟子は取らない」と公言していたにもかかわらず、真澄の音を聴いて最後の弟子として迎え入れてくれた人だ。その人柄がにじみ出る温かな音が、大好きだった。

 恩師亡きあと真澄の面倒をみてくれたのは、恩師に良く似た音を奏でる兄弟子だった。

 優しく才能あふれる彼に心惹かれたのは事実だ。

 この人と共に歩めたらと想像してみたことさえあった。それは兄弟子も同じで、淡い未来の話は確かに交わした。

 けれど長くは続かなかった。

 才能を妬まれたとは思わない。現実として真澄は大成叶わず、兄弟子は世界的な成功を収めていた。疎遠になったのは、真澄の音が兄弟子の眼鏡に適わなかっただけのことだ、きっと。美しいとは褒められた、けれど同時に遠いとも。その直後の国際コンクールで受けた評価が、それを如実に物語っている。

 父も離れていった。

 真澄の存在そのものが彼を苦しめたからだ。父の心が苦悩に苛まれるのは、真澄にはどうしようもなかった。


 難曲を弾きこなしても、賞をとっても、彼らの誰も留め置くことは叶わなかった。

 理由は様々だ。

 だがそのどれも相手が悪いわけではなく、同時に真澄が悪いわけでもなかった。どちらにもどうしようもなかった、ただそれだけのことだった。



「確かに寂しいですよ、誰かに二度と会えなくなるっていうのは」

 これは真澄がそれなりに別れを経験してきたから言えることだ。

「でも、新しく出会う相手もいますから。私は祖国で沢山の人と別れてきましたけど、アルバリークに来てアークやカスミちゃん、グレイス、ヒンティ騎士長、テオに会えました。嬉しいことです」

「嬉しい? 本当に?」

「はい。出会えて良かったと思います」

 まるで想像も及ばない生き方をする彼ら。

 そういう人生を選ぶ者もいる、それを知ったことで真澄の世界は広がった。

「……マスミ。どこにも行かずにわたしの専属になれ」

 意を決したようにテオが真澄を見つめてくる。

 秘めたなにがしかの想いを感じ取り、真澄は正面から受け止めた。

「どうしてですか?」

「わたしはどこにも行かない。ずっと傍にいる」

「私たちって出会って間もないんですけど、どうしてそんな約束をしてくれるんですか?」

「……わたしも置いて行かれた」

 寂しかった。

 ぽつりとテオが呟く。行間から察するに、専属楽士がいなくなってしまったらしい。そこで「なるほど道理で」と合点がいく。


 だからどんな楽士を連れてきても駄目だったのだ。


 テオの専属がいなくなった理由は分からない。だがどうあれ楽士に裏切られたとテオが感じているなら、同じ職業のものを目の前にして曲に聴き入るどころではなかっただろう。

「どうせアークからはろくに食べさせてもらえないんだろう」

 考え込んだ真澄に追撃がかかった。斜め四十五度から。

「や、そこは誤解で」

「アークはマスミを大事にしているのか」

「うーん……丁重とはいいませんけど、まあ第四騎士団にとって虎の子の楽士ですし、多分、それなりには?」

「わたしならもっと大事にする。他の男の元になどやらない」

「それ、今の状況を完全に棚に上げてますけど」

「ええい口答えするな!」

 まさかのちゃぶ台返しがきた。理不尽極まりない。

 それまでしおれたように三角座りをしていたテオがやおら立ち上がる。なにをするのかと訝っていると、彼は真澄の真正面に陣取った。

「とにかく、マスミは私の専属になればいいんだ」

 雑だ。

 いろいろな前提がすっ飛ばされている。ここまでくればいっそ清々しいが、それにしてもあんまりな誘い文句に、真澄は半笑いになった。

「お誘いは嬉しいですけど、でも駄目です」

 テオのまなじりが吊り上がった。

 激烈に責め立てる目だ。

「なんで」

「だって私はアークの専属ですから、副業というか掛け持ちはできません」

「じゃあわたしがアークに勝ったら専属になってくれるか」

「アークが『うん』と言えばいいですよ」

 雇用主が変わるだけのこと、真澄にしてみれば大した差ではない。

 ところがテオは真澄の手を取り、「本当だな!?」と念押ししてくる。勢いがすごい。仰け反りながらも真澄は頷いた。

 第四騎士団の楽士事情から鑑みればまあ頷かないだろうが、テオが王族権限をもって第四騎士団に三十人ほど専属楽士をつける、と交換条件を出せば軽くトレードされそうな気もする。あるいはテオの状況には代えられないという理由で、宮廷騎士団がそのあたりの手当てをつけるかもしれない。

 やりようによっては意外と現実味のある未来だ。

 前のめり感が否めないテオがどこまで算段をつけているのかは分からないが、まあそこはそれ。

「約束だからな、絶対だぞ!」

 急に気合の入ったテオの周りから、ホタルが慌てて逃げていく。

 なにが彼をそんなにやる気にさせたのかは分からない。

 が、元気が出たならそれは良いことである。急に「アークの弱点は、……」などとぶつぶつ呟き始めたテオを眺めつつ、真澄はしばらくの間大地の星を楽しんだ。


 この約束が、後で第四騎士団を揺るがす大ごとになるとは露知らず。


*     *     *     *


 聖域から降りてきて、余韻に浸りながら市街地へ戻る道すがらのことだった。

 人影もちらほら増えてきて遠く光に浮かぶ帝都――星祭り本会場が見えてきた頃、乱雑な声が川のほとりに響いた。なにごとか。思わず注意を引かれて視線を向けると、数人の男が揉みあっていた。

 荒っぽい言葉はろれつが回っていない。

 否応なく真澄の眉はひそめられる。性質の悪い酔っ払いだ。祭りにはつきものだが、関わり合いにはならない方がいい。

 自然と足を速めながら、真澄はテオの手を引いた。だが、

「……マスミ」

 テオが立ち止まる。

 つられて真澄も足を止める。テオが「あれ、」と指を差す。暗くて良く見えない。男たちが持っている灯りが揺れる。辛抱強く目を凝らしていると、闇に慣れた目がその姿を捉えた。

 暴れる翼。

 甲高い鳴き声。

 男たちは揉みあっているのではない、足元にいるそれをなぶっているのだ。よくよく聞けば、粗野な声は喧嘩というより、はやしたてるに近かった。

「あの鳴き声、……鷲だ」

 テオの顔が強張った。

 そういえば恩賜庭園で、様々な鳥を見つけては翼の色がどうの、鳴き声がどうのと教えてくれた。ついでに象徴シンボルの講義というおまけ付きで。真澄にはてんで区別はつかないが、独特な鳴き声ならば姿は見えずとも分かるものなのだろう。

 博識なテオにもう一度感心しつつ、真澄は眉をひそめる。


 昔ばなしか。


 思わず説教してやりたくなる。

 空を飛ぶ鷲が彼らに捕まってしまったのは、怪我をしているかなにかの理由があるのだろう。保護するどころか寄って集ってつつき回すなど、悪趣味にもほどがある。

 様子を窺っていると、ひときわ甲高い鳴き声がこだました。

「当たったぞ!」

「うまいなお前!」

「ははっ、あれじゃあもう飛べねえなあ」

 下卑た笑い声が川のほとりに響き渡る。

 ならず者たちのせいで、周囲からは波が引くように人の姿が消えていた。祭りの夜が台無しだ。しかし男たちにはそんなことを一切気にかける様子がない。

「面白えな、まだ威嚇してやがる」

「どれ、もう一回」

「待てよ。お前はさっき当てただろ、もう死にそうなんだから次は俺だ」

 くぐもった鈍い音、次いで悲痛な鳴き声が響いた。

 その瞬間、テオが真澄の手を振り払った。

「テオ?」

「放っておけない」

「えっ、ちょっ、待っ」

「だってアークの鳥だぞ! おいやめろ、お前たち!!」

 泣きそうな声で叫ぶが早いか、テオはならず者の集団へと突っ込んでいった。

 急転直下、まさかの展開に真澄は一縷の望みをかけて辺りを見回す。が、


 ……人っ子一人いない。


 あれだけ念押ししたんだから、誰か一人くらい見回っててもバチは当たらないんじゃないの!

 心の中で叫ぶももう遅い。どう考えても南無三案件、そして一拍遅れて真澄も地を蹴った。


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