54.安らかな場所は
ヒンティ騎士長は床にひざまずき、先ほど倒れ込んだ侍女に手を貸してやっていた。
その仕草が洗練されすぎていて眩しい。物語の挿絵を見るようだ。
「どうだ?」
手短にヒンティ騎士長が問う。侍女は目を伏せて、首を横に振った。
「召し上がっては頂けませんでした」
「……そうか。下がっていい」
年若い侍女が唇を引き結び、床に散らばった茶器を片付け始める。その目には涙が盛り上がっていた。
ため息を吐いて立ち上がったヒンティ騎士長が、真澄たちに向き直る。
「特にここ数日、不安定なのです」
「ものも食べないくらい?」
行間を読み取って真澄が問うと、ヒンティ騎士長が頷いた。噛みしめているらしい奥歯、精悍な顔に影が落ちる。
「まずはお会いになってください」
大きな拳が半開きになっていた扉を叩いた。
部屋に入るなり、ヒンティ騎士長とカスミレアズがほぼ同時にひざまずいた。
騎士の最敬礼だ。
つられて真澄も一瞬身動ぎしたが、背筋を伸ばし居住まいを正すに留めた。自分は楽士だ、騎士ではない。
部屋はかなり広い。
アークと真澄に与えられている部屋よりまだ大きく、二倍はあろうかという空間だ。一面が大きな窓で、藍に沈みかけた空の向こうに一番星がきらめいている。あの侍女はカーテンを引く前に追い出されてしまったらしい。
「殿下。本日は新しい楽士をご紹介に上がりました」
ヒンティ騎士長が部屋の奥に声を掛ける。
声を辿って真澄も視線をずらすと、豪奢なソファの上に、ちょこんと部屋の主が座っていた。
透けるように儚い金髪に、澄んだ青い目。
上流階級の色だ。
けれど青白く痩せた腕に細い首、あまり外には出ていなさそうである。
見慣れないものを警戒する仔馬のように、大きな瞳が大人三人に向けられる。彼の前にある壮麗な彫刻のテーブルの上にはとりどりの果物や菓子、軽食などがところ狭しと置かれているが、手を付けた形跡はない。
「第四騎士団の首席楽士です。名はマスミ=トードーと」
「初めまして」
ヒンティ騎士長の紹介に合わせ、真澄はスカートの裾をつまんで礼を取った。
反応はない。
ただ真っ直ぐに、青い視線に射抜かれるだけだ。
相手は王族。許しがなければ退出もなにもできない。しばらくを待ってみると、小さな掌が宙に差し出された。
ふわり。
これまで見たことのない大きさを誇る魔珠が浮かび上がる。
その輪郭は真珠貝のように虹色に輝いており、見る角度によって鮮やかに変わる。あれがきっと、『熾火』の色なのだ。誰に訊かずとも分かり、真澄はその美しさにしばし見入った。
宝玉とも見紛うその珠はしかし、同時に空虚でもあった。
「マスミ殿。お許しが出ましたので、私どもは退出致します。あとはお願い申し上げます」
「え、でも」
無言でいる相手からいつ、どんな許しが出たのだ。
真澄が訝ると、ヒンティ騎士長は「ご心配なく」と付け加える。
「殿下は魔力回復時にはお一人を望まれます。ご安心ください、部屋の外で控えておりますから」
「そうなの? いいならいいけど……」
戸惑いながら真澄は部屋の主を窺う。だが目は合わなかった。
彼は抱え込んだクッションに視線を落としている。ヒンティ騎士長の説明に、否を唱えることもしない。それがつまり意思表示なのだろうか。高貴な相手の考えることは良く分からない。
「それでは何かございましたら、お声がけください」
ひざまずいたままもう一度礼を取り、ヒンティ騎士長とカスミレアズは宣言どおり退出した。
* * * *
さて、どうしたもんだろう。
一人取り残された真澄は、胸のうちで呟いた。
正直いってかなりの無茶ぶりだと思っている。初対面の相手といきなり部屋で二人きりにされて、気まずいにも程がある。
まして相手は年端もいかぬ子ども。
いくら高貴な身分であっても、知らない大人が急に演奏したところで聴き入ってくれるとは到底思えない。
「テオドアーシュ殿下?」
まずは呼びかけてみる。
が、返事はない。青い視線だけが返ってくる。
「私、外国人なんです。だからアルバリークの作法に詳しくありません。粗相があったらごめんなさい」
先に頭を下げておく。
ヒンティ騎士長は簡単に放り込んでくれたが、後になってから「不敬罪だ」などと詰め寄られてはたまらない。自分で張れるだけの予防線は張って、真澄はテオの反対側のソファに歩み寄った。
「座っても?」
問いかけてみるも、やはり返事はない。だが駄目とも言われないので、真澄は沈黙を肯定と取ることにしてソファに座った。
手に持っていたヴァイオリンケースを横に置く。
その時初めて、テオの視線がわずかに動いた。ケースを追ったのだと分かる。だがそれには気付かないふりで、真澄は目の前にある水差しを手に取った。
手近な銀杯を引き寄せて、中身を注ぐ。
ただの水かと思いきやそれは綺麗な薄紅色の液体で、甘酸っぱく爽やかな香りが鼻腔をかすめた。
「はい、どうぞ」
礼儀として相手にも渡しつつ、真澄は自分の銀杯を傾けた。
テオは身体を強張らせる。
が、真澄はまったく気にせず綺麗な皿を手に取り、目の前に広げられている軽食を物色した。
一口サイズのサンドイッチは、二色のパン――クリーム色と、茶色の――で作られ、モザイク模様のように美しく盛り付けられている。
中に入っている具も野菜の緑、黄色、赤が鮮やかだ。
茶色の主張はローストした肉だろうか、それも分厚く挟まれていて食欲をそそる。
他にも丸や角形に切られた小さなパイが五種類ほど。どれも表面の飾り模様が違っていて、ワンポイントに乗せられている果実もとりどりだ。きっと中身も甘かったり塩気があったり、舌を楽しませてくれるのだろう。
端には中身をくりぬいた果実を器にして、これまた食べやすく切られた果物が山盛りになっている。
もはやタワーだ。
そして果実は球だったり星形だったり、可愛らしいものばかり。よくよく見れば馬蹄だの花だの凝った形もあり、きっと厨房の料理長あたりが頑張ったであろう事実が窺える。
きっと、自分たちの主に一口でもいい、食べて欲しくて。
そうでなければこれほど手を掛けるものか。
涙を浮かべてうつむいた侍女、詰られても言い訳一つしなかったヒンティ騎士長。透けて見える沢山の想いに切なくなる。だがそんな内心は悟られぬよう、真澄は淡々と全ての料理を小皿に取り分け、自分の前に並べた。
まとめて置かれている銀のフォークをつまみ、両手を合わせる。
「いただきます」
ただでさえ大きな青い瞳がこぼれんばかりに見開かれた。
唐突すぎて驚いているのか、得体が知れなくて怪しんでいるのか。いずれにせよ彼が初めてみせた感情らしい感情だ。
まずはパイをもぐもぐやりつつ、真澄は真っ直ぐに少年を見つめる。言葉は発しない。ただ見るだけだ。頭からつま先まで、つぶさに。
良く整った顔立ちだ。
幼さのせいもあってか、凛々しいというより中性的な線の細さが目立つ。普段見慣れているのがごつくてガタイの良いアークやカスミレアズなので、王子様然とした面立ちは新鮮でもある。
長いまつ毛に縁取られた二重の目は、真澄を捉えて離さない。
痩せた薄い頬があって、唇は噛みしめられている。両手は豪奢な刺繍がほどこされたクッションを抱きしめていて、緊張して力が入っているのか爪が白い。
そこまで観察して、パイを全種類制覇した。
一度、銀杯を傾ける。柔らかな酸味と控えめな甘さのバランスが素晴らしい。口の中を一度リセットして、次に真澄はサンドイッチに手を伸ばした。
一つ二つと口に放り込む間も、真澄はテオを見続けた。
穴があくほど。
少しだけ、テオのまばたきが増えた。入室した時はほぼ無表情だったが、今は眉が少しだけ寄せられている。それでも逸らされないテオからの視線は、明らかに不審者を見るそれに変わってきた。
なんだコイツ、と思われている。
多分、いや、絶対。
右手にサンドイッチ、左手に銀杯を持ってはたと動きを止めてみる。咀嚼はおろか、まばたきさえも。
すると、テオが身構えるように硬直した。
「……」
「……」
たっぷり十秒ほどかけてから不意に目を逸らし、真澄は手元の皿を見る。持っていたサンドイッチを二つまとめて口に入れて、開いた右手でもう一度水差しからお代わりを注いだ。
ようやく外された視線に安堵したか、詰めていた息を吐く音が聞こえた。
自慢じゃないが耳はいい。
真澄はがばりと顔を上げ、もう一度テオを真正面から見た。突然の動きにテオが「ひっ」と息を呑む。
よし、これで完全に不審者認定された――つまり、意識がこちらに向いた。
「別にとって食いやしませんよ」
口の端についたパンくずを拭いつつ、真澄は平然と言ってやる。
「肉付きの悪い殿下を食べるくらいなら、こっちの手間暇かかってる美味しいごちそうを選びます。もったいない」
「……もったいない?」
初めて聞いた言葉はおうむ返しだった。
「殿下が食べなければ捨てられてしまうんでしょう? せっかく作ってくれたのにそれじゃもったいないから、こうして私が頂いているわけです」
「……」
「どう思います? こんなに綺麗に、食べやすく、おいしく、殿下のためだけに作られた食事のこと」
あらかたサンドイッチを食べ尽し、真澄はデザートのフルーツ盛りに手を伸ばした。
皿に取り分けていたオレンジの星やメロンっぽい味の馬蹄などを全てたいらげた後、フルーツタワーそのものを目の前に引き寄せる。豪快な真澄の動きを、テオは今度こそ信じられないものをみるような目で食い入るように見つめていた。
「あ、別に説教する気はありません。ただ良かったら、またご相伴にあずかれれば嬉しいんですが」
「……食べさせてもらってないのか?」
なんと。
会話のボールが返ってきた。それも超絶上から目線プラスいっぱしの口で。
だが声変わりもしていない高い声で、威厳もへったくれもない。このクソガキ、と怒るより先に、真澄の口には笑みが乗った。
「なにがおかしい」
「いえ別に?」
「お前、第四騎士団の首席楽士といったな。アークの団だろう、アークはなにをしているんだ」
「マスミです」
「アークは、……え?」
「私の名前はマスミです。お前じゃありません」
あえて真澄は会話をぶった切ってやった。
テオがアークを慕っているらしいというのは、ここに来る前に聞いた。真澄自身の腕もさることながら、そのあたりの関係性もあって、ヒンティ騎士長からのヘルプだったのである。
さてどう出るだろう。
タワーから直接フルーツをつつきながら様子をみると、王子はふくれっ面になっていた。
アークならば迫力満点だっただろう。
だがただでさえ青白く細身なテオ、迫力のはの字もない。本気になれば真澄でも抑え込んでかっさらえそうだ。威嚇になってない威嚇、それがまた真澄のにやにやを増長させる。
「お前、私を誰だと思ってる」
「……」
「おい」
「……」
「なあ」
「……」
「この、っ」
「……」
青い視線が突き刺さってくる。
が、真澄は意に介さずフルーツを口に運び続ける。ひょいぱくひょいぱく、と。
ついでに駄目押しとばかり「まさか言葉が通じないんですか」の意を込めて小首を傾げてやると、とうとう相手が根負けした。
「……おい、マスミ」
「はい、なんですか」
爽やかに返事をしてやると、「なんなんだコイツ」という視線が飛んできた。
九歳相手に手加減しない二十八歳。
あとでカスミレアズあたりから説教されそうだが、バレなければ大丈夫だ、問題ない。
「アークはいないのか。専属の食事さえ準備できないほど、忙しいのか」
これはいかん。
真澄の食べっぷりが良すぎたせいか、第四騎士団総司令官に大変不名誉な疑惑が持ち上がっている。
訂正すべく、真澄は一旦フォークを置いた。
「ご心配には及びません。しっかりと食事も寝床も与えられております」
「じゃあなんで」
「単純に夕食がまだだっただけです。殿下は食べないっておっしゃるし、なら頂こうかと」
「なんだそれ……」
「殿下はどうして召し上がらないんですか?」
阿呆のふりで切り込んでみる。
なにも知らない変な外国人、事情を知らなければ気を遣うこともない。そう思ってくれればいいのだが。
「……食べたくない」
たった一言で、青い視線は逸らされた。
やはりそう簡単にはいかないらしい。根は深そうだ。
「そうですか。食べたくないなら仕方ないですよねじゃあ私が!」
思いっきり明るい声を出し、真澄は再びフォークを手に取った。
うっきうきでデザートの続きを頬張る。自慢じゃないが痩せの大食い、燃費悪いと良く言われる体質だ。三人前はありそうな食事だったが、日中真面目に仕事をしていたこともあってこれくらい余裕でいける。
いけるのだが、一つ案を思いつく。
試してみる価値はある。そう思い、真澄は取っておいたパイとサンドイッチを新しい小皿に盛って、テオの前に差し出した。
「あのー、一つずつでいいんで食べてください」
「嫌だ」
「駄目です。あのですね、さすがに全部私が食べたとなるとちょっと外聞悪すぎるんですよね。なので、殿下と二人で食べたっていうことで、一つご協力をお願いします」
「そんなこと気にするのか」
散々食べた後で? と呆れた声で続く。
こんにゃろう。
生意気さにデコピンしてやりたくなるが、そこはぐっとこらえる。そして真澄はへらり、と相好を崩した。
「私は気にしないんですけど、アークの――第四騎士団総司令官の面子ってものがありましてね」
殿下だってさっき勘違いしたでしょ、と畳みかけてやる。
好きだというアークを盾に取れば、押し切れるかもしれない。そんな急場しのぎの思いつきだったが、なんと有効打となった。
渋々ながら小さな手が皿に伸びる。
さく、と軽い音が立つ。小さな口の中は、濃厚なホワイトソースとエビの――エビじゃない何かかもしれないが――旨味で満たされていることだろう。
さらに別のパイをひっつかみ、真澄はテオの皿に追加で乗せた。
「これもおいしかったですよ」
「一つだけって言ったじゃ」
「あ、こっちの三つはあげませんよ、私のです。ものっすごいおいしかったんで、わがまま言う殿下にはもったいないです」
「……そっちをよこせ」
「お断りします」
伸びてきた細い手をかわし、パイの乗った皿を高々と遠ざける。
身長差を利用して、そのまま残り三つを真澄は一気に自分の口に入れた。
「あははっ、殿下ちっちゃーい!」
「くそっ汚いぞ! お前本当に大人か!?」
ぴょんぴょん跳ねて真澄にとりすがる姿が実に可愛らしい。もっといじめてやりたくなる。
これもバレたら説教案件だなと冷静に分析しつつ、真澄は代わりにサンドイッチの残りをテオの口に突っ込んでやった。
「んぐっ」
急に塞がれた口に、テオが目を白黒させる。
それを見ながら真澄は声を抑えた。
「知らなかったんですか? 大人なんて汚いですよ。汚くて当たり前。でも、殿下もいずれそんな大人になります」
真顔で言った後、真澄はソファに座り直した。
きっと喉が渇いただろう。テオの銀杯を取り、突っ立ったままの彼に手渡してやる。ところが彼は喉を潤す前に、口を開いた。
「お前……なんなんだ?」
「私はマスミ=トードーです」
「どこから来た」
「殿下の知らない、遠い異国ですね」
「どうしてアルバリークに来た」
「諸般の事情がありまして」
「事情? どんな?」
「それを話すにはちょっと……まだ足りませんね」
「なにが足りない?」
「食事が」
「……え?」
テオの目がまん丸になった。
「しばらくご招待頂けるなら、そのうちお話します」
全てを平らげ、白いナプキンで口元を拭いながら真澄は微笑んだ。
テオの顔には「理解不能だ」と大きく書いてあった。
* * * *
「おまえ、けっきょく、なにしに来たんだ……?」
時刻が夜の十時を回った頃、目をこすりながらテオが言った。
夜の帳はとっくに降りていて、真澄がここにきてから、かれこれ四時間は経っている。
それまで適当な雑談――ヴェストーファでの叙任式やアークを切れさせたこと、カスミレアズの苦労話などなど――を、一方的に話し続けていた真澄は、そこではたと口を噤んだ。
小首を傾げてテオの真意を待つ。
すると、あくびを噛み殺しながらテオがどうにかこうにか続けた。
「そのヴィラードは、……かざり、か……?」
「さて、……どうでしょうね」
「……」
小さな目蓋が完全に閉じられた。
大人の真澄にしてみれば宵の口だが、九歳の子供には遅い時間だ。よく頑張った方だろう。真澄は音を立てないように立ち上がり、テオの傍に寄った。
「よっ……しょ、っと」
小さな背、細い膝裏に手を通し、持ち上げる。
軽い。
同じ年頃の平均体重に、とうてい足りていなさそうだ。さして膂力があるわけでもない真澄が、こうして楽に持ち上げられるのだから。
部屋の奥にある天蓋付きのベッドにテオを乗せて、上掛けをかけてやる。
広いベッドだ。
大人が三人寝てもまだお釣りがきそうである。さらり、細い金糸が額を流れる。それを見ながら、真澄はヴァイオリンを取りに行った。
「うなされたりは、しないの……?」
調弦をしながら小さく問いかけてみるが、返事は当然ない。
その小さな身体で、なにを深く思い悩む。
出会ったばかりの、ほとんどなにも知らない子。その生い立ちも日々の暮らしも、なにが好きでなにが嫌いなのかも分からない。けれど寂しそうな瞳は「助けて」と言っていた。
どうか悪夢に追われなければいい。
そんな願いを込めて、真澄は小さく弓を走らせた。
古い子守歌を、夜の静寂に染み入らせるよう、ゆっくりと紡ぐ。『Slumber My Darling』という、純然たるクラシックではないが心を揺さぶる美しい曲だ。邦題は『お眠りなさい愛しい子』となっていて、穏やかな三拍子が耳に残る。
作詞作曲はスティーヴン=フォスター。
アメリカ音楽の父とも称される彼だが、その生涯は非常に短く、三十七歳という若さで早世した。
『Slumber My Darling』は1862年の作曲で、その時代背景はまさにアメリカ南北戦争が戦われていた真っ只中だった。激動の時代に生まれた優しい旋律は、幾多の安らかな眠りを見守ってきた。
戦い、傷つき、死にゆく命。
望まれ、守られ、育まれていく命。
両者の対比が鮮烈すぎて、この曲を奏でると胸がただ苦しくなる。優しすぎる音に、涙さえこぼれそうになりながら。
おやすみ、と。
付された歌詞は母から子への無償の愛が歌われている。
この手でお前を全てから守る。だからどうか穏やかに、平らかに、安らかに眠れ。
白い祈りが、そこにある。
背後でかちゃり、と音がした。
弾きながら真澄が振り返ると、室内へそっと身体を滑り込ませる騎士長二人がいた。カスミレアズが後ろ手に扉を閉めるうちに、ヒンティ騎士長が足音を忍ばせて近付いてくる。
言葉に違わず、彼らはずっと外に控えていたらしい。
真澄はベッドに目配せをする。
主が眠っているのを理解したヒンティ騎士長は、壁にその背を預けた。腕を組み、じっと真澄を見つめている。やがてうつむいたかと思うと、その目蓋がそっと閉じられた。
鋭い目付きが隠される。隙なく後ろに整えられていた前髪が、ひとふさ額に落ちてきた。
幼く無防備だ。
カスミレアズは壁際に置かれていた椅子にかける。背もたれに腕を置き、真澄の演奏を見ている。その碧眼が、眩しそうに細められた。
単音、それも非常に緩やかなテンポ。
彼らにしてみれば回復量など微々たるものだろう。それでも聴き入るその姿勢は真摯だった。
D線で繰り返していた同じ旋律。
最後にA線、E線とオクターヴを上げて謳ってやる。
震える弦は最後まで優しかった。




