53.つのる疑念
ヒンティ騎士長は苦しそうに語った。
原因はもはや誰にも分からないのだという。
テオドアーシュ殿下が、二か月前のある日を境に回復をうけつけなくなった。その事実は即座に分かったわけではなく、目の前にある結果からの推論でしかない。
いつもどおり王族として、同時に『熾火』としての教育を受けている最中に、魔力が枯渇していることが判明した。
その時点ではまだ騒ぎにはならなかった。
毎日回復をかけているとはいえ、付き人がみていない間に魔力を使う可能性も否定できないからだ。特に、同じ『熾火』でも騎士より魔術士に適正のある者は好奇心が強く、自分で色々な魔術を試したがる傾向が強い。その時も「おそらくそうだろう」と誰しもが思っていた。
ところが呼ばれた楽士が演奏するなり状況は変わる。
確認のためと出した魔珠は、一時間経っても二時間経っても、光が満ちることはなかった。
そこから事態の深刻さが跳ねあがった。
年若いとはいえ王太子の息子。順当に行けば将来の国王となる人物だ。
そんな人間の魔力が枯渇し、まして一切の回復をうけつけないなど危険極まりない。盾となる人間は多くいるが、それでも万が一の場合に自分の身を守れないということだ。よからぬことを考える輩にとっては、千載一遇の好機である。
ゆえに、即日で王族居住区の警備は増員された。
宮廷騎士団の主力部隊のみならず、宮廷魔術士団の大魔術士をほぼ全員投入するという徹底ぶりだ。
そして厳重な緘口令が敷かれた。
物々しい雰囲気の中、めぼしい楽士は全て召集がかかり、回復できるかどうかが確認された。しかし各団の首席楽士をもってしても効果はなく、いよいよ禁術――呪いの類を疑われた。
が、しかし。
能動探知に秀でた魔術士が数人がかりでも、何らの術も暴くことはできなかった。
行き詰った現場を見て、とうとうテオドアーシュの父である王太子が腰を上げた。
王太子であると同時に『熾火』で、かつ古式魔術に精通している魔術士でもある。だがそんな王太子が丁寧に見ても、いかがわしい術の痕跡は一切見えなかった。
あるいは王太子の得手ではない領域の術が巧妙に隠されている恐れもある。
今は古式魔術に詳しい宮廷魔術士が、日々疑わしい術にあたりをつけては解除を試みている。同時に楽士による問題も否定できないため、これはと思う楽士を探しては連れてくる、ということの繰り返しだ。
だが一切の光明も見えていない。
いたずらに過ぎていく日々に、テオドアーシュ自身もあまり笑わなくなり、苦悩を深めた王太子妃は臥せってしまった。
第四騎士団に助けを求めたのは、ヒンティの意志だった。
ヒンティの上申に宮廷騎士団長は最後まで良い顔をしなかったが、それを押し切って今日、ヒンティはここに来た。
それはアークがテオドアーシュに慕われているのもさることながら、真澄ならばあるいはという確信にも近い閃きだったという。
* * * *
部屋の空気がお通夜のように沈んでいる。
アークは明らかに不機嫌極まりないし、ヒンティ騎士長は悲痛な顔で黙り込んでいる。その中でカスミレアズから「なんとかしてくれ」という救援を求める視線が飛んできたので、とりあえず真澄は思ったことを言ってみた。
「別に、そこまで言うならやってみてもいいけど」
がば。
音がしそうなほどの勢いで、ヒンティ騎士長が俯いていた顔を上げる。鋭い目付きとは対照に、余裕なさげな乱れた所作が逆に新鮮だ。
「ご協力頂けますか」
「ええ。宮廷楽士の仕事の一環だと思えばどうってことないし。ただ、」
「ただ? なにか条件があるならば、出来る限り善処しますが」
「や、そうじゃなくて。多分私がいっても無駄だろうなー、と思ってます」
肩を竦めた真澄に、ヒンティ騎士長は困惑を隠さなかった。
そこに割って入ってきたのはアークである。
「おいマスミ、なぜだ」
声にドスが利いている。よほど機嫌が悪いらしい。
「ちょっとそんなに睨まないでよ」
「お前の腕ならテオだって大丈夫だ。『熾火』の俺が保証するのに、なぜ」
「あー……技術とかそういうことじゃないのよね、私が言いたいのは」
そこで三人の騎士たちが一様に眉を寄せる。
怪訝そうな彼らの反応に、真澄はどう伝えたもんかと悩みつつ続きを説明した。
「周りがどうこうっていうより、本人の問題じゃないかなってこと」
真澄自身でいえば、弾いても弾いても納得がいかない、あの感覚に近い。負の谷間は自力で抜け出すしかないものだ。
「色々と手は尽くしたんでしょう?」
「はい」
遅きに失したことをアークから激烈に説教されたとはいえ、やれるだけのことはやったと聞いている。
それで駄目なら、根本的に違う部分に原因があるのではないか。
音楽での回復というものに対し、未だに懐疑的な真澄が真っ先に考えたのはその可能性だった。原理がよく解明されていないものだ、なにが妨げになるかは分からない。
「アークはああ言うけど、私はあなたたちがそこまで駄目だとは思いませんね。理屈が分かってないもの相手にむしろ頑張ったほうなんじゃない?」
「……マスミ。もう少し噛み砕け」
アークからクレームが入った。
難解な話をしているつもりはないが、感覚に頼る話なので、掴みづらいのだろう。
「そうねえ。平たく言えば、嫌になったんじゃないのかって話」
「テオがなにを嫌がるんだ」
「さすがにそこまでは分からないわよ。でも、たとえば注目される魔術士なこととか、偉い人の息子だとか、なんか色々と面倒になったとか」
「大雑把だな」
「だってエスパーじゃないし。そもそもテオ? だっけ、会ったことないし」
これが解決できるんだったら、真澄は評判の占い師になれる。
「私にしてみたら、ヴァイオリン弾けば必ず回復できるって信じて疑わないあなたたちの方が不思議だけど?」
言い切った真澄のあと、部屋に静寂が訪れた。
アークも、カスミレアズも、ヒンティも。
三者三様に虚を突かれた顔をしている。完全に飲み込めていない。
心的要因のせいで、なにかができなくなることなどざらにある。
この前提を理解できないのはどちらに原因があるのだろう。
物理法則と文化的背景が違う、だから双方が噛み合わないのか。それとも真澄がアルバリークというものに対してあまりに無知すぎるからか。もしくはアークたちの想像力が欠如しているからだろうか。
分からないが、今この場でそれを問答しても詮無いことだ。
「……まあここであれこれ言ってもしょうがないし、まずは会ってみましょうか」
真澄の提案で話は区切りとなった。
ヒンティは礼を述べ、認証を準備するからと言って退出した。カスミレアズは砕け散った文鎮のガラス片を拾い集め、アークは憮然とした表情で椅子に座り、青く晴れた真夏の空をじっと見つめていた。
* * * *
認証を取るのにしばらく時間がかかるからという理由で、真澄は第四訓練場にきていた。ほぼ一日グレイスに任せっきりにしていた楽士たちの様子を見るためである。
時はすでに夕方、大きな全体訓練は終わっていて、個別指導を受ける騎士たちだけがちらほらと訓練場に残っている。
楽士たちは騎士にも負けず劣らず汗だくになっていた。
全員が真澄の仕事部屋に引き上げており、汗を拭いつつ指南役たちと談笑している。他人と目を合わせることさえままならなかった最初の頃に比べたら、随分と明るくなった。
そして、奏でる音さえも伸びやかになってきた。
自分一人で弾いているのと、誰かを前に弾くのは勝手が全然違う。
誰もいなければ滑らかに動く弓も、視線を感じるだけで震えるものだ。
そう。思い起こせば、楽士たちは全てがつたなかった。
騎士たちも実力にばらつきのある楽士を前に、戸惑いを隠せていなかった。だがそれも最初の数日のこと。今となっては、それなりに打ち解けた空気で楽しそうにやっている。
あるいは第四騎士団の騎士たちが人懐っこいのも功を奏しているか。
彼らは宮廷騎士団とはまるで違う。
人によっては洗練されていないと揶揄するかもしれないが、人間味があふれている。自信なさげだった楽士たちは、裏表のない騎士たちの笑顔につられて、良く笑うようになった。
ヒンティ騎士長は日が落ちる前に第四騎士団に戻ってきた。
その手際の良さに驚きを隠さないまま、カスミレアズも一緒に真澄を迎えに来た。急にそろい踏みした騎士長二人に、訓練の終わりかけで緩んでいた騎士たちが慌てふためき居住まいを正す。
そんな彼らを横目に、真澄は手に握っていたヴァイオリンと弓をケースに片付けた。
後のことは全てグレイスに任せることを手短に告げ、真澄は「宮廷楽士の仕事で空ける」と断って、第四訓練場を後にした。今日は週末、飲みに行こうと騒ぐ騎士たちの声に、後ろ髪を引かれつつ。
が、外に出るなり真澄の頬は引きつった。
馬が二頭、賢そうな顔で待っていたのである。
一頭は見覚えのある栗毛、カスミレアズの愛馬だ。もう一頭は同じように栗色の馬体ながら、たてがみと尾がススキの穂のように白く、品がある。
聞かなくても分かる。ヒンティ騎士長の相棒だろう。
初めて見る相手に興味を示したのか、長い鼻面が寄せられる。真澄は驚かせないよう、挨拶もかねて優しく撫でてやった。途端、満足気に温かな息がふう、とかけられる。
「その尾花栗毛はヒンティ騎士長の馬だ」
よく躾けられていて、軍馬の中でも殊のほか穏やかだとカスミレアズが言う。
「どっちに乗るでもいいけど、お手柔らかにお願い……」
「善処する」
簡潔に応えたカスミレアズがエスコートの手を寄越す。渋々ながら真澄はその手を受け取った。
昼間のアークの激昂を思えば、そしてヒンティ騎士長の対応の早さを考えれば、事態は急を要しているのだ。
騎士たちに混じって飲みに行っている場合ではないし、ましてやここで舌を噛みたくないだの尻が痛いから嫌だのとはとても言えない。
そんな真澄の葛藤を知る由もなく、まずはカスミレアズが愛馬にまたがる。
次いで真澄を乗せるために、ヒンティ騎士長が下から支えてくれた。カスミレアズの腕の中に真澄がしっかり収まったのを確認してから、ヒンティ騎士長は彼の愛馬にまたがった。流れるような所作は、さすが騎士だ。
夕闇が迫る宮廷敷地内を二頭が駆ける。
栗毛の馬体が夕日を浴びて、ビロードのように美しく躍動していた。
いくつもの門を抜けていくうちに、人通りはどんどん少なくなっていった。
中央棟はとうの昔に通り過ぎた。
ここに辿り着くまで全ての門は無人で、通り抜けるたびに真澄たちの持つ認証が淡く輝いた。適格者である、そう判断されているのだ。
こんな最奥までは足を踏み入れたことがない。
認証なしに通ろうとすればどんな惨劇が待ち受けていることか。えげつない未来を想像して、真澄は思わず身震いした。
最後の門を通り抜けてからは、かなり幅の広い通路がずっと続いている。石畳は美しいが、二頭の蹄の音が響くばかりで人っ子一人歩いていない。
両端は高い白壁に囲まれている。
その壁の上には等間隔で石像が置かれており、まるで監視されているようだ。狛犬のような、獰猛そうな獣の意匠は躍動感にあふれ、今にも動いて襲ってきそうである。
居心地の悪さに目を逸らすと、ちょうど曲がり角に差しかかるところだった。
この石畳の道に入ってからというもの、こうして幾度となく曲がらされている。いい加減方向感覚が怪しくなってきたところだったが、差し伸びる通路の果てには新たな門があった。
手綱が引き絞られる。
それまで駆け足だった二頭はそこで速度を緩め、ゆったりとした並足になった。
徐々に門が近づいてくる。
その両端に人が立っている。初めての門番付き門である。黒の長衣をまとう姿から察するに、彼らは魔術士らしかった。
「これは……ヒンティ騎士長とエイセル騎士長。お揃いとは珍しい」
検めるように魔術士が視線を巡らせる。
一人の目が真澄を捉え、はたと止まった。
「そちらは?」
「第四騎士団総司令官アークレスターヴ様の専属楽士だ」
淀みなくカスミレアズが応えると、門番二人の目の色が変わった。
彼らは真意を確かめるようにヒンティ騎士長を仰ぐ。受けたヒンティ騎士長は、愛馬から颯爽と降りながら言い含めた。
「認証は取っている。我が宮廷騎士団が保証する」
だから魔術士団の検めは必要ない。
きっぱりとヒンティ騎士長が断言すると、魔術士二人は顔を見合わせた。意味深だ。だがそんな彼らを観察する間もなく、ヒンティ騎士長が馬上の真澄に手を差し出す。
騎馬はここで終わりらしい。
ほっとしながら真澄はまずヴァイオリンケースを渡した。うっかり落としでもしたら泣くに泣けない。
それから真澄が降り、カスミレアズも降りる。空馬となった栗毛二頭は魔術士の一人に預けられ、真澄自身は特に魔術士からなにを問われるでもなく、門をくぐることを許された。
ここから先が、王族居住区だという。
中は石造りの回廊がどこまでも続いていた。
見事な庭園を両端に眺めながら、ヒンティ騎士長を先頭に歩く。
庭園には無数の光球が浮かび上がり、宵闇とはいえ視界は確保されている。目に美しいのもさることながら、これだけ明るければ身を隠すのは不可能だろう。
そして彫刻もそこかしこにある。
矢をつがえた有翼の女神。身の丈以上の大剣を構える鬼神。双頭の大蛇を従えた、竪琴を持つ乙女。
モチーフが勇猛さに偏り過ぎている感は否めないが、それでも素人目にも素晴らしい造形である。
「ああいうのって、やっぱりお抱え彫刻師みたいな人が造るの?」
天馬の手綱を引き槍を構える騎士像を、真澄は指差した。
カスミレアズが一度庭園に目を向けるが、すぐに首を横に振る。
「いや。このあたりの彫像は宮廷魔術士団の管轄だ」
「は? ってことはあれって魔術で作ってるってこと?」
なんでもありだな、おい。
言いかけた真澄はしかし、続いた説明に腰を抜かしそうになった。
「当然だろう。像の一つ一つが異なる認証範囲を司っている。ここから先は、……あれの認証を持っていなければならん」
カスミレアズが指し示したのは、焔を吐く竜にまたがり、右手に巨大な光をたたえる暗黒魔導士だ。ひるがえるローブの裾が躍動感にあふれている。
「持ってなかったらどうなるの」
「像が息を吹き返す」
「つまり?」
「この範囲だと竜の焔で消し炭になるか、あの極光に跡形もなく消されるだろうな」
同様に、場所によっては銀の矢の雨が降り注ぎ、地を割る大剣に追われ、前後左右から大蛇の毒牙に襲われる。
平然と言ってのけるカスミレアズに、真澄はめまいがした。
だからか、と。
認証を取るのに時間がかかる。確かにヒンティ騎士長はそう言った。
不思議に思ったのだ。前にアークがグレイスのために作った認証は、その場で五分とかからずできた。それに比べると随分時間がかかるな、というのが素直な感想だった。
でもまあ宮廷騎士団であるし、決裁を取るのが面倒なのかもしれない。
さして深く考えず結論付けたのだが、違った。
この王族居住区に至るまで、既に両手の指以上の認証を抜けてきている。それに加えて、いくつあるかわからない像の認証を全て取るとなれば、確かに骨だ。一つでももらせば命にかかわる。
にもかかわらず数時間で認証を手配したヒンティ騎士長を思えば、それだけ彼が事態を憂えているという証左でもあった。
近衛騎士長というのは、根っから真面目でなければ務まらないのかもしれない。
そんなことを真澄が考えていると、前を歩くヒンティ騎士長がふと振り返った。
「エイセル騎士長」
「はい」
真澄に合わせていた視線を上げて、カスミレアズが首を傾げる。意識が向いたのを確認してから、ヒンティ騎士長が口を開いた。
「今、居住区内の認証は半日で切り替わる。手間をかけさせて申し訳ないが、マスミ殿には必ず帯同してほしい。あなたなら切り替わりの波動を読み取れるだろう」
「アーク様の許可は頂いておりますし、私は問題ありません。それにしても半日とは、やはり厳重ですね」
「逆だよ。これくらいしかできることがなくて、……本当に不甲斐ない」
沈んだ声に、ヒンティ騎士長は首を力なく横に振った。
認証という名の彫像が乱立する庭園を抜け、宮の中に入る。
中は庭園とは違い、生きた人間がそこかしこにいた。
侍女が歩いているし、それ以外にも騎士と魔術士が主要な部屋の前に立っている。急に増えた人の気配に落ち着かないが、それでも集まる視線を気にしないよう真澄は深い青の絨毯を踏みしめた。
「あの角を曲がった先が、テオドアーシュ殿下のお部屋です」
歩きながらヒンティ騎士長が前方を掌で示す。
真澄はヴァイオリンケースを背負いなおし、「ところで」と話しかけた。
「そのテオドアーシュ殿下って神経質なほうですか?」
返事はすぐにこなかった。
ヒンティ騎士長が思案顔のまま最後の角を曲がる。
「……気難しいのは確かです。が、優しいお方です」
「ふうん。どう気難しいの?」
「それは、」
がちゃーん。
突如あがった乱雑な音に、三人の視線が前を向いた。
もう一度、食器が悲鳴を上げる。
扉が勢いよく開いた。侍女が転がりでてきて「大変申し訳ございません!」と叫んでいる。ほうほうの体とはこのことか。
そして部屋の中から「二度と来るなバカヤロー」とばかり、追撃のカップが飛んできた。
初手から刺激の強い光景である。
「……気難しいっていうより癇癪持ちっていった方が正しいんじゃないの?」
真澄が目を眇めれば、
「……そうかもしれませんが、誰彼構わずというわけでは断じてありません」
ヒンティ騎士長がこめかみを押さえて弁明する。
尚、カスミレアズは沈黙を貫きコメントを差し控えた。賢明な判断だ。
「なんか、訳ありそうねえ」
茶をかぶって泣いている侍女を見て、真澄は肩を竦めた。
これは想像以上に手強そうな相手である。




