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ドロップアウトからの再就職先は、異世界の最強騎士団でした~訳ありヴァイオリニスト、魔力回復役になる~  作者: 東 吉乃
第二章 楽士の奮闘、ここに極まる

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51.楽士というもの・8

 その日、アークは短期任務計画と一人にらめっこしていた。

 今朝届いたばかりの最新版である。

 向こう三ヶ月間で各団に割り当てられている王都警備の他、来賓や会議などに合わせた要人警護の日程が細かく記載されている。担当ランスを決めていくのはカスミレアズ以下にやらせれば良いだけの、実に簡単な仕事だ。にもかかわらず、アークが執務室で缶詰になっているのは理由がある。


 国境要衝を守る分団のことを考えてやらねばならないからだ。


 帝都に籍を置く第四騎士団の本隊はおよそ二百名だが、分団まで合わせると実質抱える人数は倍ではきかない。

 分団のほとんどはその地方出身者を雇い入れている。

 が、騎士はそれで良くても指揮官クラスはそうもいかない。各地の規模によって人数は異なるが、それでも分団あたり十名前後は帝都の本隊から派遣しているのが実情である。

 よって、第四騎士団の半数近くは常に帝都を離れている。

 彼らの交代時期は一律で決まるのではなく、レイテアとの緊張度合いや個人の状況――たとえば現地で結婚するとか、帝都に残した妻から離婚されそうだとか、親の面倒を見なければならないとか、それはもう色々――を勘案する。

 誰を帝都に戻し、誰を分団に派遣するか。

 帰任希望者と派遣候補者は、既に書類として揃っている。あとはアークが決裁のサインを書けばそれで終わりだが、部下たちの人生がかかっているゆえ、めくらサインはできないのである。


 しかしアークが頭を抱える本質は「決められないから」ではない。


 軍人だ、最後は命令の一言で終わる。

 懸念しているのは、今回の人事異動で戦力的に問題がないか、その一点である。ただでさえ本隊は慢性騎士不足状態なのに、今回の短期計画では通常より仕事が増えている。

 目算、三割増し。

 あからさまに嫌がらせだ。

 心当たりがありすぎて、舌打ちも出る。先日、宮廷騎士団長――腹違いとはいえ、実兄――に、真正面から噛みついた意趣返しをされているのだ。売り言葉に買い言葉だったとはいえ、「通常任務も緊急動員も即応する」と言い切った手前、文句をぶつける選択肢はない。

 稼働率がまた跳ね上がる。

 給料が増えて騎士たちは喜ぶし、おかげで帝都の民からも人気を博しているのはありがたいが、管理者としてはさすがに思うところがある。

 叙任を年に二回に増やすか。

 真剣に考えているそんな時に思いつめた顔の右腕が訪ねてきたとなれば、「今度はなんだ」と言いたくもなるのである。



「魔術研究機関へ出向く許可を頂きに参りました」

 あとはサインするばかりの書類を差し出しつつ、開口一番カスミレアズは言った。

 予想外すぎる。

 カスミレアズの言葉に、さしものアークも怪訝な顔になった。その反応を予測していたのだろう、カスミレアズが説明を続ける。

「ヒンティ騎士長と私の魔力残量を測定するものです。最大値は開示致しません」

「相手はまあ、いいとして……残量? そんなもん調べてどうする」

「回復量の多寡を判定します」

「……マスミが絡んでるな? 最初から話せ」

 魔力回復といえば楽士だ。

 そして楽士といえば、今の第四騎士団には真澄しかいない。カスミレアズは言葉を慎重に選びながら、何があったのかをアークに説明した。


 曰く、宮廷次席楽士に真澄が絡まれ、勝負すること。

 曰く、判定員に相手の専属であるヒンティ騎士長と、カスミレアズが駆り出されたこと。

 曰く、魔珠では判定がつかず、決着を魔術研究機関へ持ち越したこと。


 なるほど、宮廷騎士団から絡まれているのはアークだけではないらしいことが、良く分かる話だった。

 売られた喧嘩を買うのは自由だ、勝手にやっていい。舐められると後が面倒だ。ゆえにアークに止める理由はない。

 だが、カスミレアズの説明には一つだけ良く分からない点があった。

「判定がつかなかった、とはどういうことだ?」

「見かけ上ほぼ同程度の回復量でした」

「そんなもん、お前とヒンティがどれだけ回復したか言えば終わった話だろう」

 魔珠はあくまでも楽士に対して分かりやすくするための仕掛けでしかない。

 他人の魔力量は暴かねば知り得ないが、自分のそれは分かる。そのために従騎士時代があるといっても過言ではないのだ。


 それを、なにを回りくどいことをやっているのだろう。


 至極単純な疑問をぶつけられて、カスミレアズの表情がくもった。

「ヒンティ騎士長が明言を避けられましたゆえ、私も控えました」

「言わなかった……?」

 なぜだ。

 一瞬考えて、アークはその可能性に思い当たった。

「マスミが上だったのか」

「はい。ヒンティ騎士長が専属であることを差し引いても、明らかにマスミ殿が上でした。私どもの総量が多すぎて、有意な差が傍目に見えなかっただけです」

「だろうな」

「おそらく、ヒンティ騎士長の楽士も結果は分かっていると思います」

「自分の専属が勝ちを言わなきゃ、そりゃあな」

 その場で分かってないのは真澄だけだっただろう。

 ゆえに魔術研究機関で白黒つけるという発想が出るのも、らしいと言えばらしい。それが相手の逃げ道を完全にふさぐとは、まさか夢にも思っていないだろうが。

 アークとしては別に構わないと思う。

 突っかかってきたのは相手だ、実力の差を思い知らせて完膚なきまでプライドをへし折って何が悪いというのか。

 だがカスミレアズは人付き合いの機微というものに聡いので、色々と思うところあっての決断だというのはアークにも分かる。だから、「面倒そうだな」とは思うがとやかくは言わない。

「ヒンティ騎士長の専属は、……二人目ですから」

「確か流行り病にやられたんだったか。あれは不運だった」

「はい。ですが楽士本人はそう思ってはいないようで、気負いがあるとか。ヒンティ騎士長はそのあたりを気にされていたので」

 なんとも濃やかな配慮に、アークは舌を巻いた。

「騎士長同士はそういう込み入った話もするわけか」

「トップの仲が悪くても任務は滞りなく完遂せねばなりませんから」

「やかましい」

 痛いところを突かれた。

 多分、カスミレアズの目にはいつもより黒く埋まった短期任務計画が見えている。

「しかし、そんなにはっきり違ったか」

「初めて聴いた曲でしたが、まるで格が違いました。他の首席楽士でも相手になるかどうか」

「そりゃ頼もしいな」

「ただ、……」

 カスミレアズが口ごもった。

「どうした」

「……本当に素晴らしい演奏技術でした。ですが彼女が『楽士ではない』というのは本当かもしれない、とも思いまして……なんと申し上げれば良いのか」

 言いづらそうにするカスミレアズに、アークは小首を傾げた。

「首席楽士以上の腕なのに? 余計に分からんな」

「あまり楽しそうに見えなかったのです。難しそうな曲でしたから真剣だっただけかもしれませんが、一度も笑わなかったのでやはり本意ではないのかと。たまたまヒンティ騎士長の楽士と並べたから際立ったというには、少し気になりました」

「そうか」

 思いがけず報告された内容に、背もたれに身体を投げ出す。アークの腕は自然と組まれていた。

「とりあえず、その難しい曲とやらは今夜聴いてみよう」

 なんなら直接問うてみれば分かる話である。

 どんな空気になるかはともかく、赤の他人というほど遠い関係でもない。近衛騎士長の心配はありがたく受け取ることにして、アークは組んだ腕を解いた。

 右手で羽ペンをとる。

 先ほど差し出された書類にざっと目を通し、不備がないことを確認する。中身は定型で、機微情報の開示許可を受けている旨が書かれている。

 承認のサインを書いて、アークはそれをカスミレアズに返した。

「許可する。さっさと行って片付けてこい」

「ありがとうございます」

 乱れ一つない礼をもって、カスミレアズは退出していった。



 さて、夜の宿題ができた。

 ゆっくり話し合うためにも、まずは昼の宿題を本気で片付けねばならない。気を取り直し、アークは執務机に向き直った。


*     *     *     *


 魔術研究機関は公的機関ながら、宮廷の敷地内にはなかった。それどころか中心街からはかなり離れ、帝都のほぼ東端に位置していた。

 理由は簡単、様々な魔術の研究をしているので、危険なのだ。

 機関そのものは五階建ての巨大な石造りの建物だが、それより何倍もある敷地が目を引く。敷地はあちこちが訓練場のように仕切られていたり、隔壁があったり、頑丈そうな建屋が点在している。そこで研究者たちが自由に炎を操り大盾を繰り出すのが日常であって、今回目当てにしている魔力量の可視化というのは数ある研究の一成果にすぎないらしい。

 歩いていては日が暮れる。

 ということで馬車を使い、真澄たち一行ははるばるここまで来た。ちなみに結果として遠征になったので、グレイスとセルジュはお留守番をしている。

「最高値は見せずに、現時点での魔力保有量だけが分かれば良いのですね?」

 研究機関の職員がカスミレアズに確認する。

 一階の受付を華麗にスルーして直接三階に上がり、彼――中年の、背が低くて丸眼鏡をかけた、生え際が若干寂しい――を尋ねたのだが、彼が魔力の可視化に長けたその職員なのだという。その筋では大変に高名らしい。


 ほう。

 このうだつの上がらなさそうなおっさんが。


 人は実に見かけによらない。

 驚きと共に大概失礼な感想を胸に抱きつつ、真澄は興味深く二人のやりとりに耳を傾けた。

「そうです」

「可視化は二回……ふむ。間に魔力放出が必要……で、一級隔壁を希望。神聖騎士ですね、ふむふむ」

「急で申し訳ありませんが、お願いできますか」

「ええ、もちろん結構ですよ。ええ、こんな面白そうな――おっと失礼。興味深い実験に立ち会いができるなんて、研究者冥利に尽きますね!」

 いい笑顔で中年の禿げかけたおっさんが、サムズアップをしてみせる。

 一瞬殴りたくなったのは内緒だ。

「今日は第一隔壁が空いていますので、そちらを使いましょう。さあどうぞ」

 なぜかこの場にいる誰よりもうっきうきで、可視化のおっさんが案内に立った。



 外にある実験場の敷地内に入っても、不思議と乱雑な音は聞こえなかった。

 本当に実験しているんだろうか。

 あまりの静けさに真澄が周囲を見回していると、おっさんが「防御壁と合わせて防音も完璧です」という解説をくれた。それなりに離れているとはいえ、近隣住人への配慮がすばらしい。これならばカスミレアズがなにをぶっ放そうと大丈夫だろう。安心した。

 勝負そのものは一度やっているので、今度は早かった。

 魔力を空にしたヒンティ騎士長とカスミレアズを前に、まずは先攻。空き時間に多少は練習したらしいが、やはりパガニーニは一筋縄ではいかなかったと見える演奏だった。

 ただ、可視化のおっさんだけは「すごいですねえ」と拍手喝采である。

「では計ってみましょう」

 拍手のしすぎでずり下がった眼鏡を直しつつ、おっさんがヒンティ騎士長の前に立つ。

「解錠願えますか」

「はい。……いつでもどうぞ」

「ご協力ありがとうございます。それでは」

 おっさんの全身が、薄い琥珀色に輝いた。

 覚えのある色だ。

 むしろ「覚えておけ」と言われた色、とする方が正しい。思わず真澄はカスミレアズを肘でつついた。

「あのおっさんって、もしかして宮廷魔術士団の人?」

 発露している魔力は、庭園の守護者であるサーペントと同じ色だ。

「そうだ。研究機関の職員は、各魔術士団からの出向者で構成されている」

「へえ、そうなんだ」

 出向などという俗っぽい単語にもう一つ驚いていると、ヒンティ騎士長の全身が琥珀のベールに包まれていた。

 やがて琥珀の光は収縮を始める。

 いつしかそれは宙に文字を描き、円を描いて回っていた。文字の色が違うだけで、アークが認証のスカーフを作った時とそっくりだ。

 おっさんが手に持っていた紙をとん、と指先で叩く。

 宙で回っていた文字は、それを合図に紙へと吸い込まれていった。

「ふむ。専属契約を結ばれているようですね」

 一人で紙面を独占しつつ、おっさんが真実を言い当てる。

 そのままおっさんはカスミレアズに向き直り、もう一度同じ手順を進めたのだった。



 次いで真澄の演奏が終わった時、可視化のおっさんは腰を抜かしていた。

「ひえー」

 と、なんとも胡散臭い感嘆符がその口から出てくる。

 挙句の果てには「本当に同じ楽譜なのか」と疑われたが、いくらタブ譜に変換したとはいえそんな卑怯な真似はしない。グレイスにも確認してもらった事実があるので、真澄は胸を張って「そうだ」と答えた。

「いやあ驚きました。これはちょっと、いや実に、楽しみですねえええええ」

 変態だ。

 うふふふふ、とにやけるおっさんはただのホラーでしかないのだが、研究者とくればこんなものだろうか。

 そして二人分の計測を終えたあと、おっさんが分かりやすく首を捻った。

「ふむう? これは、……うーん? いやでもそうか、そうと仮定すればあるいは」

 ぶつぶつぶつぶつ。

 可視化のおっさんは止まらない。

 あまりにも自分の世界に入りすぎていて誰も声を掛けられなかった。思わず四人で顔を見合わせていると、しばらくしてから我に返ったおっさんが眼鏡を直しながら寄ってきた。

「いや失礼、お待たせしました。なかなか興味深い結果でしたので、ついあれこれと考え込んでしまいました」

 そして、おっさんが最初の紙をぴらり、と提示する。

「こちらが最初に測定した方です。えーと、シェリル=サルメラ楽士の回復量ですね」

 琥珀色の文字が紙面に並んでいる。


 サウル=ヒンティ     1152

 カスミレアズ=エイセル   910


 なるほど、同じ曲を弾いても専属の方が回復量が多いというのは事実らしい。

 感心しながら結果を見ていると、もう一枚の紙が横に出された。

「面白いのはこちら。マスミ=トードー楽士です」

 子供のように目を輝かせたおっさんが、意気揚々と結果の数字に指を走らせた。


 サウル=ヒンティ     2055

 カスミレアズ=エイセル  2055


 示された結果に二人の騎士長は互いの顔を見合わせ、次席楽士は顔を背けた。

 この瞬間に勝敗が確定したのだ。妥当な反応である。

 ちなみに真澄本人は、書き写した魔珠の精度が全然だめだったことに肩を落とす羽目になった。絵心がないにも程がある。全員に「こんなもんでいいか?」と一応確認して了承は得たのだが、それにしても、だ。

「私の家は代々、可視化の魔術を生業としていましてね」

 興奮しているのか、忙しなく手で眼鏡を触りながらおっさんが言う。

「専属契約なしで一曲を無駄なく全て回復に当てられる楽士というのは、私の代では初めてお目にかかります。昔の書物には何人かの記述は残っていますけれども、本当に稀ですね。いや実に面白い――すばらしいものをお見せ頂き、眼福でした」

 なにか困りごとがあればいつでもお越しください。

 力添えを約束してくれた可視化のおっさんは、満面の笑みで真澄たちを見送ってくれたのだった。


*     *     *     *


「で、帰りの馬車は気まずかったって?」

「それがそうでもなかったのよねー」

 今日の顛末をアークに説明しつつ、真澄は調弦をする。

 ここは真澄の部屋だ。

 珍しく早い時間に帰ってきたアークが、湯上りに濡れた髪を拭きながら真澄の話に耳を傾けている。勝負をしたというのはカスミレアズ経由で既に伝わっているので、「どんな曲か聴かせろ」と言われるのもまあ妥当な流れではあった。

「ヒンティ騎士長、だっけ。あの人ほんとに宮廷騎士団? やたら紳士だし優しいし、もうびっくりよ」

 これまで見た宮廷騎士団の人間は、あからさまに当たりが強かったり無愛想だったり、正直ろくなのがいなかった。それと比べたら天地の差、本当にあの騎士長は人間ができていた。

「楽士の、なんていったっけな……あ、シェリルか。実際問題、あの子泣きそうだったのよね」

「お前が大人気なく手加減しなかったせいで、か?」

「ちょ、それは違……いやそれはそうなんだけど、不可抗力だったっていうか……」

 にやにやするアークを前に、真澄の言葉は尻切れになる。


 結果論ではあるのだが、結果としてあれはどう見てもただの弱い者いじめだった。


 真澄としては良かれと思って白黒はっきりさせたのだが、あそこまで開きがあるとは正直思っていなかった。オーバーキルも甚だしい結果に、こうして「大人気ない」とまったく反論できない感想をぶつけられているのである。


 だって負けてないって言われたから!


 そう叫びたいのは山々ながら、真澄の方が年齢も上でありかつ楽士としての格は上なので、甘んじて受けるしかない評価だ。

 これが、相手の選んだ曲だけだったらまだ良かった。

 うっかり本気を出してパガニーニ先生を召喚してしまったものだから、大火傷になってしまったのだ。主に相手が。

「いやだからそういう話じゃなくて」

「おう」

「ヒンティ騎士長が人間できてるって話よ」

「そうだったな」

「責めなかったのよね、彼女のこと。一言も」

「……ふうん?」

「相手は第四騎士団よ? 遅かれ早かれあの団長の耳にも入るだろうし、そうなったら多分怒られるんでしょうけど、『なにも心配いらない』ってずっと慰めてた」

 帰りの馬車の中、彼は「騎士とはこういうもの」をまさに体現していた。


 隣に座って、肩を抱き寄せて、穏やかな声で語りかける。

 よく頑張った、と。

 さすが私が望んで請うた人。首席楽士殿に道半ば、決して遠くはない。いつか辿り着けるであろうその先を目指して、共に歩めるのが私の喜びであり、誇りでもある。


 言葉を尽くしてヒンティ騎士長はずっと優しい言葉をささやき続けていた。

 そう。

 気まずくはなかったが、いたたまれなかったのが真澄とカスミレアズだ。

 狭い馬車の中、否応なく声は耳に届く。それだけならまだしも、二人の出す空気が甘いことこの上ない。二人だけならあれは間違いなく押し倒し展開だったと断言できる。

 最初は窓の外に目を向け気を逸らしていたが、途中からもうやめた。

 試合に勝って勝負に負けたような状況で、遠慮するのも阿呆らしくなったのだ。真澄はカスミレアズに至極どうでもいい雑談を持ち掛け、戸惑いつつもカスミレアズがそれに応え、というやりとりを最後まで続けた次第である。

「専属なんぞそんなもんだろう」

「そうなの? 私が負けたとしても、アークが慰めてくれるとか想像できないんですけど」

「むしろマスミの負ける未来が想像できんが」

「そりゃ買い被りすぎよ」

「どうだかな。さあ、御託はいいからそろそろ聴かせろ」

「はいはい」

 せっつかれ、真澄は立ち上がった。

 本日三度目のパガニーニである。


 主題と十一回の変奏、そしてフィナーレを迎えるこの曲は、豊かではあるが五分と経たずに終わる。


 弾き終わりにアークを見ると、先ほどとは打って変わって難しい顔をしていた。

 いつもなら拍手が来る場面なのに、どうしたというのだろう。

「……あんまり好きな曲じゃなかった?」

「いや、そんなことはない」

「そう? 眉間にしわ寄ってるから、どうしたのかと思った」

 何か口直しに、夜に優しい曲でも弾こうか。

 真澄が脳内の楽譜をめくっていると、アークがふと問いかけてきた。

「なあマスミ」

「んー?」

 指板に目をやったまま、真澄は生返事を返す。

「お前、ヴィラードは好きか」

「好きじゃなきゃパガニーニなんて手え出さないわよ。弾けるようになるまでどんだけ時間かかったと思ってんの」

「そうか。では、俺の……」

 不意にアークが言いよどむ。

 何事か。

 声が弱かった。違和感にそこで初めて真澄がアークに視線を移すと、アークはいつもの顔でそこにいた。

「俺の好きな曲を弾いてくれ」

 続いた台詞におかしなところはなかった。

 首を捻りながらも真澄はアークの好きな曲を弾き、好きそうな曲も弾いた。


 夜が更けるまで、二人だけの演奏会は続いた。




 楽士の在り方、騎士の在り方。

 専属としての在り方。

 アークが言いかけた真意を、真澄は本当の意味ではまだ理解していなかった。


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