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ドロップアウトからの再就職先は、異世界の最強騎士団でした~訳ありヴァイオリニスト、魔力回復役になる~  作者: 東 吉乃
第二章 楽士の奮闘、ここに極まる

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47.楽士というもの・4


「おや、随分と早い戻りで……え?」

 遠くから勇ましく歩く真澄のヒールの音が響いていたのだろう、真澄の到着と共に絶妙のタイミングで振り返ったセルジュは、しかし言葉を最後まで紡がなかった。

 驚きに見開かれた目はまん丸で、フクロウさながら。

 そのままの表情でセルジュは真澄とその横にいるもう一人――グレイスを見比べた。

「……宮廷楽士がなぜここに?」

 至極もっともな疑問がセルジュの口からこぼれ出る。

 ここは第四騎士団の訓練場に併設されている真澄の仕事部屋だ。またの名を指南役たちの憩いの場、とも。その場にいるべき楽士は真澄一人であって、宮廷楽士など場違いもいいところなのである。

 時間が限られているので、真澄は部屋の奥に進みながら説明をする。

「色々ありまして、今日から私も午前中だけは宮廷楽士として働くことになったんです」

「色々……ふむ、宮廷騎士団長がらみか。それはまた総司令官が怒髪天をつきそうな決定だな」

「さすがセルジュさま。おっしゃるとおり、ええ、朝一で大荒れでした」

「目に浮かぶ。大変だったろう」

「アークはいつものことなので、全然。むしろ売られた喧嘩を買うのに今は忙しくて」

「ほう」

 興味深そうに顎に手をやるセルジュを横目で見つつ、手と口を同時に動かして真澄は準備を進める。

 広いテーブルに楽士長から渡された楽譜の束とヴァイオリンケースを置く。譜面台を部屋の奥から引っ張り出しつつ、グレイスにまずは楽器を見せてほしいと頼むと、グレイスはおっかなびっくりためらいながらも彼女の楽器に手をかけた。

 少しばかり小ぶりなケースは光沢の赤紫で美しい。

 良く見ればそれは宮廷楽士のスカーフと同じ布が張られているようで、華やかさの中にも気品があった。

 留め金が外され、蓋が開く。中に納まっていたのは純白の楽器だった。白木というにはあまりにも眩しい白だ。こんな洗濯もののCMに出てきそうなほど輝く白い木はちょっと真澄の知識には入っておらず、実に不思議で興味深い。

「すご、……真っ白。これがヴィラードってやつ? 触ってもいい?」

「え、ええ、どうぞ」

 かぶりつく勢いの真澄に、グレイスが若干引きつつも快諾をくれる。

 喜び勇んでヴィラードを手に取ると、それはヴァイオリンより僅か大きく、そして重かった。形は素朴な卵型で側面は僅かにくびれている。弦が五本ある様は、とある古い楽器を彷彿とさせた。

「中世フィドルにそっくりね」

 それは今のヴァイオリン属たちの祖先を指す総称だ。

 博物館に置かれている復元を見たことはあるが、真澄自身も現物を演奏したことはない。

 こうなるとこの楽器がどんな音色と音域で歌うのかが気になってくる。そわそわし始めた真澄に気付いたか、グレイスが「どうぞ」と弓を貸してくれた。

 弓も本体と同じく純白の木でできている。

 そういえばと思い起こせば、ヴェストーファ駐屯地の大浴場に置かれていた桶も同じように白かった。多分アルバリークに生えている木が白いのだろう。そもそも木と呼んでいいのかは微妙だが、そこはそれ。

 面白いのは毛の部分で、そこは綺麗な藍色だった。

 真澄の知る弓は馬の毛を使っているのだが、はたしてこの弓の毛は一体どんな動物の毛なのだろう。あるいは植物か、それとも別の何かか。想像するだに未知の世界である。


 どこまで歌うことができるのだろう。


 左端の最低音を担う弦を、そっと震わせてみる。郷愁漂う柔らかな音のうねりが部屋に優しく響き渡った。

 低い。

 ヴァイオリンのG線よりまだ低く、深く歌う。

 一つずつ高音へ移弦してみる。

 五本目、最高音域は素朴で飾らない伸びやかさで弦が震えた。音域は僅かヴァイオリンには及ばず華やかさは物足りないが、それを補って余りある温かな音だ。

 開放弦の音程は真澄の慣れ親しむそれとは違う。それでも音階を探して指を運ぶと、ヴァイオリンとほぼ同じ形で正しく美しい音が響いた。

「んー、なるほど。てことは」

 肩から降ろしたヴィラードと弓を左手に一まとめに持ちつつ、真澄は先ほど楽士長から受け取った楽譜の一つをテーブルに広げた。

 何が始まるのだろう、そんな疑問の表情でグレイスが首を傾げつつ黙ってそれを見ている。

 真澄は羽ペンを持ちつつ、楽譜とヴィラードの指板を交互に見比べた。

「ここがファで、こっちがド……で、ラは……」

 ぶつぶつと独り言を呟きつつ、楽譜に必要な情報を書きこんでいく。そしてある程度の目算を付けたところで、真澄はヴィラードをグレイスに返した。

「ねえグレイス、この曲ちょっと弾いてみて。ゆっくりお願い」

「は、はい」

 戸惑いながらもグレイスがヴィラードを奏で始める。

 凛と伸ばされた背筋に柔らかく大きく動く右腕は、小柄なグレイスを大きく見せた。

 真澄は曲を堪能するというよりはむしろ、音の確かさを聞き分けながら、その弓の運びに注視した。そしてグレイスと楽譜を交互に見ながら真澄自身が必要としていた情報を漏らさず書きこんでいく。

 五分程度のあまり長くはない曲が終わった時、傍で見ていたセルジュから拍手が贈られた。

 はにかみながら小さく礼を取ったグレイスは文句なしに可愛らしく、手元に完成した書きこみだらけの楽譜と相まって真澄は実に満足した。


 正体不明のタブ譜、解読完了である。


 絶対音感がかつてこれほど仕事をしたことがあっただろうか。実際の音さえ聴ければあとはそれを楽譜に書きこんで対比ができるわけで、一曲でおおよその規則性はほぼ理解できた。

 運弓ボウイングの指示記号がどれなのかも把握したし、速度テンポ指示はまあおっつけ考えるにしても、今夜のミッションそのものはグレイスを頼れば当座は凌げる。

 これで最低限の材料が揃った。

 それらを踏まえて真澄がまず真っ先にやらねばならないのは楽譜の変換作業だ。

「悪いけど先に一人で練習しててくれる? 私、ちょっと楽譜手直しするから」

「構いませんが、でもマスミさまは」

「そうそう、できればどの曲弾くか都度教えて。あ、あと様付けはなしね」

「え、」

「ほら時間ないから早く」

「わ、分かりました。ええと、では……まずはこの『帝国の夕べ』からで良いでしょうか」

「なんでもいいよー」

「はい。……?」

 いまいち飲み込めてないながらも素直なグレイスは急き立てられるまま、それから一時いっときヴィラードを奏で続けることになるのだった。



「っしゃーできたー!」

 声と共に羽ペンを放り投げ、真澄は諸手を天に突き出した。

 腱鞘炎になりそうな右手を伸ばしつつ目を転じると、傍らでは額の汗を拭うグレイス、いつの間にか七人全員そろい踏みでお茶を楽しんでいる指南役たち、そして部屋の入口に鈴なりになっている第四騎士団の面々がいる。

 どうやら聞き慣れたヴィラードの音が間近で絶え間なく鳴っていることに気付き、集まってきたらしい。

 最初は「まさか」の確認だったのだろうが、本物の楽士――それも若くて可愛い――を目の当たりにして驚きと困惑と目の保養で動けなくなったとみえる。本当に女性に免疫のない騎士団である。

 注目を一身に集めるグレイスは若干居心地悪そうにしながらも、騎士たちに小さく会釈と微笑みを投げかける。控えめなその所作を見た何人かの若い準騎士が、鼻を押さえながら慌てて走り去っていった。これがアルバリーク帝国を支える騎士団というのだから世の中分からない。

 つと真澄はグレイスを見る。


 むやみやたらと野獣に餌は与えない方がいいと、どのタイミングで忠告したらいいだろう。


 割と本気でそんなことを考えながら真澄はヴァイオリンケースに手をかけた。

 グレイスと違って無駄に集まっている観客に構っている暇も振りまく愛想もなく、目下のところ今夜を凌ぐためにひたすら弾かねばならない状況なのである。

「三十二曲を初見でやれとか分かりやすく嫌がらせよねー」

「半分ほどは楽士必修の有名どころですが……マスミさんは、分からないのでしたね」

 グレイスが気遣いの視線を寄越し、「大丈夫ですか」と問うてくる。

「一時間前には会場に入らねばなりませんから、支度の時間も考えるともう三時間ほどしか時間がありません」

 時計を見ながら顔をくもらせるグレイスの傍ら、真澄の記憶が蘇る。

「そういやアークとカスミちゃんも『普通一時間前に』とかなんとか言ってたな……」

 楽士とはそういうものであると言い切られたのは、かのヴェストーファ駐屯地である。

 まあ当時の真澄は「そんなもん要らん」とばっさり切って捨てた挙句に風呂を要求したわけだが、今回はさすがにそうも言っていられないのは理解している。

 独奏ではなく重奏だ。

 他の演奏者と息を合わせなければ音楽として聴くに堪えない出来、まさに不協和音になる。ゆえに早めに会場入りし、調整を兼ねて音合わせをするのは常識だ。喧嘩を売られた相手とどこまで息を合わせられるのかは甚だ疑問ではあるが、それにしても依頼を受けて演奏するのならばそんな内実は絶対に悟られてはいけない。

「そのへんの時間感覚は任せるわ。現地集合なの?」

「はい。支度を整えた上で会場に入ります」

「支度ってそんなやることあるかなあ。もう少し練習時間取れたらいいんだけど」

「そうですよね……ですが湯浴みと着替えとお化粧がありますから、やっぱりある程度は時間が要ると思います」

「ちょっと待って、この制服じゃダメなの?」

 聞き捨てならない単語がいくつも聞こえてきて、真澄は目を瞬いた。

 そんな真澄に、これまた気まずそうな申し訳なさそうな様子でグレイスが応える。

「訓練回復の要請ならば制服で良いのですが、騎士団会食となると正装ですね……」

「待って、いきなり正装とか言われても何着たらいいのか」

「お部屋付きの女官がいらっしゃいますでしょう? 私もお付き合いしますし、大丈夫ですよ、きっと」

「ならいいんだけど……ってことはやっぱり練習時間はあんまり取れないわけね」

 弓を張りながら真澄は肩を竦めた。郷に入っては郷に従え、むやみやたらと我を通すのも良くないだろう。

 制限が付いたことで久しぶりに腕が鳴る。

 ヴァイオリンに肩当をつけ、左肩に挟んでアー線を鳴らす。さして珍しくもない調弦をする真澄を、グレイスが目を丸くして眺めていた。

「……不思議な色のヴィラードですね」

「やっぱりそう思う?」

「はい」

「でしょうねえ」

 真澄は苦笑を禁じ得なかった。

 想定していた問答だ。本物のヴィラードを見て真澄が驚くのだから、逆もまた然りなのである。同じ擦弦楽器であっても、歴史や環境が異なればこうも違う。それが不思議な感覚でもあった。


 純白の中に紛れ込むこげ茶色。

 

 想像するだに違和感がこみ上げる光景だ。間違い探しのようでもあるその異質さが、他でもない真澄自身の境遇を表している。

 けれど今の真澄にはどうしようもない。

「さて、まずは一通りさらいましょうか」

 譜面台に置いた楽譜をめくりながら、真澄はヴァイオリンを肩に乗せた。


*     *     *     *


 ぶっ通しの練習は第四騎士団の盛大な拍手に包まれながら終わりを迎えた。


 あんたら仕事っていうか訓練は。


 と思っても言うだけ野暮だ。

 滅多にお目にかかれない宮廷楽士を見て涙ぐんでいる準騎士もいれば、口を開けっぱなしで呆けている正騎士もいる。そんな後進たちを尻目に優雅にお茶をすする指南役七名は、「随分とレベルの高い楽士ですねえ」「現役時代に縁があれば、専属申し込みしてたな」などと勝手なことを口走っている。こっちはこっちで年の差を考えて頂きたい。

「はいはい、見世物はお終い!」

 注意を引くために手を叩きながら真澄は告げる。すると、現役世代は渋々ながらも三々五々散っていった。

 これで言うことをきかなかったら、近衛騎士長にチクってやるところだ。

 昼からずっと訓練をサボっていたこと、カスミレアズが知ればまず間違いなく特大の雷が落とされるのは想像に難くない。しかしそんな切り札は脳筋には一切使う必要がなかった。


 ともあれ、この短時間で三十二曲を弾きこなすのは、実に剛毅だった。

 時刻は午後三時を少し過ぎ、身支度を整えねばならない頃合いである。「後で部屋に行きます」という言葉を残し、グレイスはまず彼女自身の準備のために走って戻っていった。

 総司令官と近衛騎士長、それにその専属楽士専用の宿舎棟は、本来グレイスは入れない。だがそこは先日、カスミレアズと同じ認証範囲を付与されたお陰で何ら問題はない。ついでに言えば真澄の部屋にかかっている認証も、グレイスを受け入れるようアークの手で即日かけ直されている。

 そういうわけで、学校帰りの小学生さながら「また後で」と別れたのだが、これが完全に裏目に出た。グレイスが合流するまでの間に、女官のリリーが大層盛り上がってしまったのである。

 この短期間で騎士団会食に声が掛かるなど異例の早さだそうだ。

 真澄にしてみれば今回の指名は名誉どころか単なる嫌がらせにしか思えないわけで、なだめすかしながらどうにか落ち着くように訴えたのだがリリーは止まらない。

 結局グレイスが約束どおりに部屋に来た時に、まだ真澄の着替えは終わっていなかった。


 というより、下着姿での攻防を思いっきり目撃された。


 しかし状況はなりふり構ってなどいられないほど逼迫している。真澄はリリーから一定の距離を保ちつつじりじりと部屋の中を後退していたが、やがて退路はキングサイズのベッドに阻まれた。

 ずさぁっ。

 ここぞとばかり、リリーが間合いを詰めてくる。その動きの隙のなさといったら。

「や、ちょっと待ってリリー。さすがにそれはあんまりだと思う」

「なにをおっしゃいますか! 碧空を名乗るからにはこの程度序の口です!」

 さあさあさあ。

 女官らしくない鬼気迫る様子で、リリーが両手にドレスを広げにじり寄ってくる。真澄は腰を抜かしそうになりながらも「勘弁してくれ」と必死で説得に当たるのだが、一向に聞き入れられる様子はない。

 目の前に掲げられるドレス。

 確かに上質であると確信できる光沢の生地で、染めも「碧空」の名に相応しくどこまでも澄んだ青が美しい。空か海を切り取ってきたかのような深い色だ。色しかり手触りしかり、令嬢か姫にでもなったかと錯覚するほど上質なのである。

 だがしかし。

 綺麗な長尺のドレスはしかし袖も首回りも布がなく、これでもかというほど胸元が開いていて、ついでに背中も開いている。裾が長く足は全て隠れるのがせめてもの情けだが、それで羞恥が消えるわけでもない。


 年を考えてくれ。

 二十八歳でこんなアグレッシブな格好、年甲斐ないにも程がある。


 入浴を済ませ念入りに化粧をした真澄は、いざ着替えの段になって本気でこれを叫んだ。一人でも辛いところなのに、七つも年下のグレイスと並ぶなど公開処刑以外の何ものでもない。

 だが真澄の常識はここにきて通じず、むしろこの格好を許される――楽士として美しく鍛えられている腕、肩、鎖骨を披露できる――ことは、それこそ騎士団長、魔術士団長の専属楽士だけの特権であって名誉以外の何ものでもない、と真顔で返される始末だ。

 横にいるグレイスは困った顔はするものの、助け舟は出してくれない。

「本当は夜に相応しいもっと素敵なデザインが沢山あるんですよ!? それを夜会ではなく騎士団会食だからということで、ここまで妥協しているのです!」

「ちょっ、これが一番マシとかどんだけ露出」

「いいですか、マスミさまがこれを着ないとなればアークレスターヴ様の御名前に傷が付きます」

「私の露出度とアークの評価がどこでどう繋がるってのよ……」

「見せられないような自信のない身体、つまり日々の鍛錬を怠るような人間性、つまり楽士として実力が伴わない者を専属にしたと判断されるのです」

「や、でも……ええー……?」

 力説する女官のリリーには、真澄の懇願は届かない。

 片やグレイスは良くある黒のドレスで、首から胸元、そして腕は透け感のあるレースに覆われたクラシカルな装いだ。演奏会に相応しい格好でこちらの方がなじみ深いのだが、リリーの剣幕とグレイスの反応からしてどうやら真澄には絶対に許されない格好でもあるらしい。

 オーケストラを従えたソリストでもないのに、こんな目立つ格好なんて。

 不満はあるが、「楽士とはこういうものである」と言い切られると真澄には反論の余地がない。

 結局迫りくる時間とリリーの気迫に押し負ける形で、真澄は渋々その碧空のドレスに袖を通すこととなった。余談ながら不幸中の幸いだったのは、数日前まで胸元に散っていた赤い華が消えていたことである。


 危なかった。

 これは今後の夜の過ごし方について、あとでアークと膝突き合わせてじっくりと話し合う必要がある。


 そっと胸に誓いながら、真澄の支度は完了したのだった。


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