45.楽士というもの・2
打ち明けられた現状に誰もがすぐに言葉を発せず、思慮の沈黙に部屋が沈んだ。
カスミレアズは俯くグレイスを真っ直ぐ見つめているが、その顔はここにいない誰かを糾弾するかのごとく険しい。執務椅子にかけたままのアークは頬杖をつきながら机上に視線を落としている。どちらも深く深くなにかを考えている様子だった。
一方の真澄はというと、面食らったというのが正直な感想である。
ここに来るまで散々聞かされていた「楽士というもの」は、もっと気位が高く、血脈を使って他者を排することで互いの結束を高めているものだとばかり思っていた。
だがどうやら認識を改めねばならないらしい。
それはあくまでも楽士の一面であって、閉ざされた世界であるがゆえ、その中で育った独特の秩序――家格で決まる厳しい上下関係や派閥といったもの――が跋扈し、そこに上手くなじめない者は疎まれ排斥されるのだろう。実力主義とは程遠い世界だ。
引きも切らない仕事を鑑みれば、確かに実入りは良さそうである。
だが楽士の家に生まれれば人生安泰というわけでもないらしい。
血による選別も残酷だが、選ばれた人間となっても戦わねばならない相手は数多くある。下手をすれば一生戦い続けなければならないのかもしれない。その家の命運を一身に引き受けて楽士として立つのならば、いかなる理不尽をも甘んじて受け入れて生涯をその職に捧げる覚悟が要求されることだろう。
グレイスは必死に楽士として在ろうとしている。
かつて表舞台から降りた真澄とは大違いだ。不意に蘇った胸の痛みに、真澄の目は眇められた。
「恥ずかしい話を聞いてくださってありがとうございました」
沈黙を打ち破るようにグレイスが笑った。
「出仕を始めてから今日まで誰にも言えずにいました。少しだけ、気持ちが楽になったように思います」
「……いつでも遊びにきたらいい。我が第四騎士団は何者も拒まない。むしろ俺の楽士の話し相手になってくれれば、こちらとしてもありがたい」
穏やかな表情でアークが語り掛ける。日中の鬼神のごとき様相が別人のようだ。そして予想外の声かけだったのか、グレイスが言葉に詰まった。
開いた間についでとばかり、真澄も援護射撃を入れてみる。
「うん、友達になってくれると嬉しいな」
「え……と、ですがその……私には過分といいますか、碧空の楽士様と私ではつり合いが」
「友達付き合いに資格なんていらないでしょ? まあこんなむさ苦しすぎる騎士団付きの楽士なんて真っ平ご免だって言われちゃうと諦めざるを得ないけど」
「いえ、いいえ。そんなことはございません。でも本当に宜しいのですか……?」
「気にしないでー。私ね、アルバリークの人間じゃないの。おまけにちょっと記憶喪失入ってて、この国のことなんにも知らないし、友達どころか知り合いもいないの」
真澄の告白に、今度はグレイスが絶句した。
構わずに真澄は続ける。あくまでも軽い調子は崩さない。
「記憶喪失で迷子になってたところを二人に保護されてね。それがついこの前のヴェストーファ叙任式の時だったのよ。で、まあ行く当ても仕事もなかった上にお金もなくて。いやー参ったわ」
「あの、……ではご家族は?」
「いつか会えればいいけど、多分無理かな」
「思い出せないのですか……?」
グレイスの問いに、真澄は曖昧にほほえんだ。
そもそも母は既に鬼籍に入り、父は別の守るべき家庭を持っている。兄弟はいない。都会で親戚付き合いも薄かった。これで惜しむ何かなどあるわけがない。
色々なことがあまりに遠く離れすぎた今となっては、再会を望む気持ちはないに等しい。
頬に視線を感じる。おそらくアークとカスミレアズのものだ。そういえば彼らにも自分の境遇は話していない。隠すようなことでもなく説明する機会がなかっただけだが、敢えてここではその必要もないだろう。
それまで信じられないものを見るようだったグレイスが、ふと視線を落とした。
「……すみません。こんな時なにを言えばいいか、どんな言葉をかけたらいいのか分からなくて、……ごめんなさい、なにかを言いたいのに、それが出てきません……」
俯くグレイスの口から出てくる言葉はただ誠実だった。
優しい人柄だ。
その美徳は時に争いに弱かろうとも思うが、きっと救われる誰かがいつかいるであろうこともまた確かだ。
「ありがとう。あなたのその気持ちだけですごく嬉しいし、充分伝わってくるから気にしないで。話が逸れたけど、なにが言いたいかっていうとつまり総司令官の専属楽士っていったってただの人間よってこと」
だから萎縮する必要などないのだ。
そう真澄が断言してみせると、複雑な表情ながらもグレイスがそっと笑ってくれた。
彼女が「お言葉に甘えて、近いうちにまた遊びに来ます」と言った時、カスミレアズが壁にかけてある時計を読んだ。そしてやおら立ち上がり「送りましょう」と声をかける。
アークの背後にある窓の向こう、既に日はとっぷりと暮れていた。
時間を忘れていたらしいグレイスが「あ」と手を口に当てて目を丸くしている。そんな彼女にちらりと視線を投げてから、カスミレアズがアークに向き直った。
「アーク様、臨時認証を発行頂けますか」
「いいぞ。どれに付与する?」
「臨時ですからこちらで充分でしょう」
カスミレアズが手にしているのは二つに裂いたスカーフの片割れである。
引き続き微妙に説教されているような気になって、思わず真澄はそっと目を逸らした。その間も二人の会話は容赦なく続く。
「いいだろう、寄越せ。さて、宮廷楽士の範囲はどこまでだったか……」
「私と同じでお願い致します」
「あ?」
「臨時の期間も長めに。できれば退官までが理想ですが」
「ああ?」
「ご安心下さい、悪用は致しません」
「当たり前のことをなに真顔で言ってやがる。……ふん、範囲は認めてやるが期間はとりあえず一年だ」
「ありがとうございます」
カスミレアズが折り目正しく礼をとった。
それと同時、アークの掌に青白い極光があふれだす。輝きが頂点に達すると、光はよられた糸のように細くうねり、真澄の見たことがない文字を宙に描いた。
形はどこかで見たような円形である。
真澄が記憶を辿ると、それはここアルバリークに放り出された最初の夜に体験した「法円」の紋様と雰囲気がそっくりだった。
踊るように宙で円を描いた文字は一層の輝きを増す。執務机に置いた半切れのスカーフをアークが指でとん、と指し示すと、円は布地にすうと染みこんでいった。
絨毯の法円のように跡が残るかと思われたが、文字はすぐに消えてしまった。実に不思議な仕組みに、真澄の視線は釘づけだった。
「できたぞ」
アークが無造作にスカーフを引っ掴む。カスミレアズは恭しく新たな認証を受け取り、「それでは送って参ります」と言ってグレイスと共に執務室を後にした。
* * * *
「なんか、……今日は慌ただしかったなあ」
二人の背中を見送って扉が完全に閉められた後、真澄は応接のソファに背中を沈めた。
「食事にでも行くか」
「んー?」
「食堂まで出るのが面倒なら、ここに運ばせてもいい」
「なにその至れり尽くせり。でも、うーん……」
ちら、と真澄は時計を読む。
明確な返事がないことを訝しんだか、書類に目を通していたアークがひょいと視線を寄越してきた。
「腹、減ってないのか?」
「ぼちぼち減ってるんだけど、カスミちゃん待っててあげた方がいいかなあとか思って」
「……ああ」
合点がいったようにアークが声を上げた。が、
「どうせ遅いから待つだけ無駄だぞ」
興味なさげにあっさり言い放たれた内容に、真澄は首を捻った。
「宮廷楽士のいる棟ってそんな遠いの?」
「それもあるが、そもそも寄り道するだろうからな」
「どこに?」
「第一騎士団」
「第一騎士団?」
「そう」
「なんで?」
「兄貴に会わせてやるんだろうよ。ったく、職権乱用も甚だしい」
「あ……あーなるほど。あれってそういう意味だったんだ」
ぽむ、と真澄は手を打って感心する。
片やぶつくさ言うアークだが、他でもないその臨時認証を作ったのはアーク自身なので、これは様式美としての文句だろう。
「でもなんか意外ねー」
「なにが」
「堅物のカスミちゃんが積極的だったから」
「お前が考えてるようなことはあれの頭にはないと思うぞ」
「えー、そう?」
「確かにガウディ家ならば家格としては申し分ないだろうがな。それ以前の問題で、ガウディ神聖騎士への恩がある」
「そういやカスミちゃんもそれ言ってたけど、そんなにお世話になったの?」
「楽士の融通を少し……いやかなり、か」
「ふうん。そりゃ感謝してもしきれないでしょうねえ」
「興味ないだろうお前」
「ないことはないけど予想通りすぎて全然驚かなかったっていうか」
適当な返事をしつつ、真澄はソファに腹ばいになりながら執務机に向き直った。見れば先ほど食事に誘った張本人にもかかわらずアークは書類を握っている。
この総司令官、態度は品行方正とは程遠いが仕事はやる人間なのだ。
戻りが夜中になることもままある。それでも毎晩必ず真澄の部屋に顔を出すのだから、プライバシーの件はさておくにしても、律儀というかなんというかカスミレアズとはまた違った次元で真面目な人間だ。
そんなアークに言うほど腹も減っていないので付き合うことに決め、真澄は「それは何か」と問うた。
帰ってきた答えは「経歴書」の一言だった。
簡潔にしても程がある。しかし真澄が首を傾げると同時に飛んできた補足説明は、それが武楽会の選考会に必要な提出書類であるというものだった。
そう、武楽会。
これまで折に触れ耳にしてきた単語である。
時間潰しの格好のネタに、思わず真澄は食いついた。当たり前のように参加が大前提らしいが、そういえば当の本人である真澄自身が具体的な内容の一切を知らない。
こんな状態でよくもまあ宮廷騎士団長に喧嘩を売ったものだ。
「ところでその武楽会ってそもそも何やるの?」
腹ばいのゆるい格好のまま真澄が尋ねると、それまでごりごりと動いていた羽ペンが止まった。
そしてアークが顔を上げ、怪訝な顔を寄越してくる。
「……は?」
「や、それはこっちの台詞なんですけど」
「言って、……なかったか?」
「そういった説明は一切受けてませんがなにか」
「あー……そうかすまん、言ったつもりですっかり忘れてた」
「いやまあ別に、今教えてくれればいいけど。てかなんでそんな微妙な反応」
そこまで言って、真澄は「は」となった。
この展開。
無駄に隠し事のできない第四騎士団の面々がこういった気まずい反応をする時。それは実に面倒くさい事案が絡んでいると相場が決まっている。
真澄は思わず身体を起こした。
「おい。おいちょっと待て。まさか命をかけたバトルロワイヤルとか言わないでしょうね」
「それは大丈夫だ、楽会に関しては命のやりとりまで発展した事例はない」
出た、この全然安心できない保証。
予想通りすぎて頭を抱えたくなりつつも、まずは全容を把握すべく真澄は続けた。
「言葉の雰囲気的に武楽会って二部構成? 武会と楽会の?」
「そうだ」
「で? 文脈から察するに私は楽会に出ると?」
「そうだ」
「ふむ。で、行間を読むに武会は肉体派トーナメントで命がけだけど、楽会はいわゆる芸術コンクール的な位置付けなわけ?」
「そうだ」
つまり騎士と魔術士が武会、楽士が楽会に出場する仕組みらしい。双方合わせて通称「武楽会」、実に分かりやすい呼び分けだった。
であれば危険度合も前者が当然に跳ね上がる。
長剣だの魔術だの使ってぶつかり合う真剣勝負、当たり所が悪ければ確かにかすり傷では済まされないだろう。演奏技術で優劣を決める楽会とは一線を画していて然るべきだ。
しかしそれを差し引いても、随分と血なまぐさい。
騎士と魔術士、それに楽士いずれにしても刺々しい空気は目の当たりにしたばかりだが、もう少し安全措置など講じられないのだろうか。互いの戦力を消耗したところで、アルバリーク本国にとってのプラスにはならないだろうに。
「そこまで本気でやるって仲の悪さも大概すぎない?」
「国の威信がかかっているんだ、ある程度はやむを得ない。武楽会のおかげで停戦期間も公的に設定できるからな」
「……ん?」
「なんだ?」
「停戦ってなに? アルバリークって内戦抱えてるの? いやでも、騎士団と魔術士団が出るって、え?」
盛大に疑問符を飛ばす真澄に、気まずそうな申し訳なさそうな微妙な面持ちでアークが応えた。
「……断っておくが、武楽会はレイテアとの公的な外交行事だ」
真澄は絶句した。
想定していた規模感は果てしなく食い違っていた。そして食事も忘れて明かされた武楽会の全貌は、ある意味国際コンクールよりシビアだった。
そもそもアルバリーク帝国は隣国レイテアと長い間戦争状態である。資源豊かな一部の国境線を巡り、領有権を争っているのだ。
だが武力衝突は互いに消耗が激しい。
よって和平への交渉も同時に進められており、その一環として国同士の親善を深めるために武楽会が年に一度催されて久しい。両国の代表が試合という形で見える期間は試みにならい停戦となる。
しかし親善試合とはいえ、敵国との戦いだ。
勝利を収めればこの上ない名誉となるが、下手な負け方をしようものなら継戦士気に関わってくる。ゆえに両国の代表は例年厳しい国内選考を経て選ばれるため実力伯仲、手加減なしのぶつかり合いとなる。
騎士や魔術士は真っ向勝負。
組み合わせの運もありながら、それでも手傷を負うのは弱さゆえと見なされる。相手との力量差を量ること、それを踏まえて深手を避けることさえ実力として数えられる。
片や楽士も温くない。
直接的な命のやりとりはないものの、結果次第でその後の生き方が大きく変わる。あまりにお粗末な演奏を披露したが最後、二度と楽士としての仕事は来なくなり、一族からは放逐され、路頭に迷った挙句に街を転々とし、途中の街道で魔獣に襲われ死ぬことさえある。
恐ろしいのは、実力はあっても大舞台で万人がそれを発揮できないことにある。
国の威信をかけた異様な熱気に包まれた会場で雰囲気に呑まれる者は少なくない。選ばれてその地に立っている時点で実力は推し量れるが、過去の経歴は決して勝利を保証してはくれず、結果として「武楽会には魔物が棲む」と言わしめる。
これまで何人の騎士や魔術士、楽士の人生が狂ったか。
数えるのが馬鹿馬鹿しいほど数多いる、それが武楽会だとアークは言った。
一通りを聞いて真っ先に抱いた疑問があり、真澄はそれを躊躇なくアークにぶつけた。
「あのー、私アルバリーク人ですらないんですがそこは」
今なら分かる。
宮廷騎士団長のみならず、他の騎士団長たちまでもが何故あれほど驚きを露わにしていたのか。
元は単に説教したかっただけかもしれないが、そもそも呼び出し経緯は「身元不明の楽士とは何事か」に端を発している。そこで出頭したはいいものの、石卓を叩き割った挙句に肝心の身元説明をするどころか楽会選考に出ると宣言するなど、正気を疑われるレベルだ、きっと。
この上スパイ容疑がかかっていると言ったらどうなるのだろう。卒倒されるんじゃなかろうか。
そんな真澄の懸念を他所に、アークは涼しい顔で肩を竦めた。
「アルバリーク国籍さえ持っていれば出場権は平等にある。どうせ俺も純粋なアルバリーク人じゃない」
「えっ、そうなの?」
「母が辺境部族の出身だ。今は帝国属領に入ってるが、元は別の小国だった」
「へえー」
帝国というからにはそれなりの規模を持つ国家だとは思っていたが、アークの口ぶりから察するにその名に違わず広範な領土を持つらしい。
であれば流れる血、人種よりも国籍で区別するのは合理的に思えるが、しかし。
「でも私アルバリーク国籍なんて持ってないわよ? おまけに未だにスパイ容疑かかってるじゃない」
「国籍は取った。手続きは済ませてある」
「スパイ容疑者に国籍与えられるのかとか突っ込みどころが多すぎるんですけど」
「第四騎士団総司令官の名前を出せばできないことはほぼ無い」
「ねえ、そんな人治国家的な考え方で大丈夫なのこの国?」
「心配するな、帝国典範に則って処置をした。どこからも文句を言われる筋合いはない」
「左様でございますか……」
呟きながら真澄は悟った。これ以上問答を重ねても無駄である。やったと言えばやったのだろうし、そこまで胸を張るならこれで進退窮まるような雑な処理はしていないだろう、きっと。
それはさておき、これって日本とアルバリークの二重国籍になるのだろうか。
考えたところで答えなど出るわけもないのだが、よもやこんな部分で悩む日が来るとは予想だにしていなかった。ここまで突き抜けてくると、ある意味愉快な人生だ。
「まあそういうわけで参加資格は問題ないんだが」
眉間に皺を寄せる真澄をよそに、そこでアークが頭をがしがしと掻いた。
「お前の経歴をどう書いたもんだかな」
悩ましげに深いため息をつきつつ、アークの身体が背もたれに沈む。
その一言を皮切りに真澄の経歴書作成が始まるのだが、これがまた一筋縄ではいかなかったのである。




