39.大嵐の前の小嵐
第四騎士団にて不慮の事故が起こった翌日のこと。
アークは不本意ながらも執務室で一日缶詰になっていた。怪我をした従騎士たちを見舞ってやりたいのは山々ながら、他でもない彼らの傷病手当だ休暇手続きだの決裁書類が一気に上がってきて、全てに目を通していたらあっという間に夕方を迎えていた。
優秀すぎる近衛騎士長も考えものだ。
ぜいたくな悩みを呟きつつ、アークは今日かけっぱなしだった眼鏡を外した。目を瞑り、眉間を指でつまむ。乾いた目に涙が沁みた。
と、ノックが室内に響く。
見計らわれたようなタイミングに、アークは渋々目を開けた。
「……入れ」
「失礼致します」
隙のない挨拶と同時に入室してきたのは、書類の束を抱えたカスミレアズだった。
「おい。この時間からそれ全部決裁しろとか言わないだろうな」
「まさか、明朝八時までで結構です」
「そういうのを今日中って言うんだろうが。ったく、管理職にも人権があるんだぞ」
文句を言いながらもアークは手を差し出した。遠慮会釈なく束が引き渡される。再び眼鏡を掛け直しながら、とりあえず明日の朝でも良さそうなものを除けるためにひとしきり目を通す。すると、中に重要な連絡が一つ紛れ込んでいた。
折り重なった書類の中からそれを引っ張り出す。
表題は「武楽会代表の選考について」となっていて、今年の日程から代表枠数などの概要が記載されていた。ここは重要、忘れてはいけない。赤のインクで日程に丸をつけていると、カスミレアズが口を挟んできた。
「アーク様、今年は武会に出場されないのですか」
「あ? 出るぞ?」
「……ではなぜ楽会の選考日程に丸をつけておいでに?」
「別に間違いじゃない。マスミを楽会に出す」
アークが言い切ると、珍しくカスミレアズが黙り込んだ。
沈痛な面持ちだ。
良く見れば、夕方とはいえ随分と疲れのにじんだ顔をしているのが分かった。なにごとか。不思議に思ったアークは書類を放り、椅子の背もたれに身体を預けた。
「どうした。言いたいことがあるなら聞くが」
「……」
近衛騎士長は、ぐ、と何かを噛みしめるような風情だ。
「カスミレアズ?」
「どのように捌くかを考えております。内部のみならず、外部からの勧誘も激しくなるでしょうから」
ようやくの態で絞り出された言葉に、アークは目を瞬いた。この部下にしては珍しく奥歯にものの挟まった言い方である。
勧誘。
そういえば最近、カスミレアズは多忙の合間を縫ってほぼ毎日訓練場に顔を見せていた。アーク自身は「精が出るな」くらいにしか思っていなかったが、もしやにじむ疲れの原因はそれか。
思い至り、途端に部下が哀れになった。
「まあ座れ」
広い執務室の中、右手に設えられている応接を指し示す。いつもならば固辞して直立不動のまま話を進めるカスミレアズが、この時ばかりは大人しく従った。
執務机にかけたままでは話が遠い。
どっこいせ、とアークも腰を上げて、座を対面に移す。見るが早いか、カスミレアズから深いため息が吐き出された。どうやら本当に疲れている。
そしてこの疲れの半分以上は、他でもないアークが原因とみて間違いない。これは労ってやらねば可哀想すぎる。
「さすがにゼロだとは思っていないが、ちなみに何人くらい相手をしてやった?」
挑戦者の。
端的に訊くと、その答えもまた簡素だった。
「そろそろ一巡します」
「……」
「絶句しないでください。私も驚いているんですから」
「すまん。ちょっと……いや、だいぶ予想外だった」
僅か十日ほどで、第四騎士団の半数――百人以上が、近衛騎士長に挑戦していたとは恐れいった。
「従騎士は実力的に名乗りは上げられないだろうが……まさか神聖騎士たちもか?」
「いえ。上の御三方が言い含めて下さっているようで、その点ご心配には及びません。むしろ空気を読んで、下の五人からはやたらと気遣われる有様です」
「さすが、不遇の時代を生きた伝説は違うな」
アークの脳裏に美しい藍色の光が浮かぶ。
今の新第四騎士団に現役で在籍している神聖騎士は九名を数えるが、年次で見て上から三人は「白き二十の獅子」という称号と共に、旧第四騎士団の主力を張っていた。今でこそカスミレアズが一頭地を抜いているが、それに次ぐ実力を誇るのは彼ら三人なのである。
夜明けの藍は、今は退役して指南役筆頭であるセルジュと同じ色だ。
授けた人はアークの大叔父である。
直接会ったことはない。アークが生まれるより遥か前に亡くなっているからだ。知っているのは大叔父が早世したこと、残された騎士たちが「その名に捧ぐ」と、総司令官空位のままで第四騎士団を守り続けたことくらいだ。
部下からは随分と慕われていたらしいが、一族からは軽んじられていた、とも聞く。
母君が正妃ではなかった。たったそれだけの理由が、アルバリークの中枢を生きるには折に触れ取り沙汰される。
どれほど煩わしかっただろうか。
同じ境遇のアークは、宮廷の面倒に巻き込まれるたび大叔父を想ったものだ。
「セルジュ様が『総司令官の不在に比べれば些事だ』とおっしゃったことも大きいのでしょうが」
「相変わらずでかいな、器が」
「はい。ですので、とりあえず真騎士以下を一通り相手にしました」
「そういうところの躾だけは無駄にいいな……ご苦労だった」
自分の部下ながらあまりに脳筋すぎて半笑いにもなる。
カスミレアズへの挑戦はつまり、お伺いなのだ。そもそも余程の緊急事態でない限り、いかなる案件であろうと、近衛騎士長を通さなければ総司令官への目通りは叶わない。
そういう意味で、ヴェストーファ駐屯地での風呂事件は驚天動地だったのである。主に騎士たちにとって。
風呂で女と出くわすのが戦時と同レベルの緊急事態か。
真面目に考えるほどに情けなくなってくる。が、女日照りに起因するこればかりは総司令官といえど、どうしてやることもできない。日照り原因の半分はむしろアークのせいでもある。
そんな過去はさておき、アーク自身は他の騎士団長と比べ、騎士たちからは割りに近しい存在として認識されている。だからといってその気軽さを職務に持ち込むのは周囲が許さない――正直アークはどうでもいいとは思っているが――ため、部下たちは「総司令官に対して挑戦させて下さいとお伺いを立てる権利を勝ち取る」べく、まずは近衛騎士長に挑戦しているのだ。
そのあたりの行儀は良いというか統率が取れている。
帝都に戻ってきてからというもの、楽士(真澄)争奪戦は日に日に激しさを増している。尚、真澄が総司令官専属であることは百も承知ながら、それでも諦めきれない猛者たちが挑戦するのだ。肩書きが総司令官専属であっても、実態として第四騎士団全員の面倒を見ているのだから、淡い期待を抱くのも無理はない。
諦めきれない、つまり魔力消費が激しい、つまり実力派ばかりがしのぎを削るわけで、真剣勝負といっていい。
カスミレアズは千切っては投げ千切っては投げ、掠らせもせずさばいているはずだ。ただし相応の神経を使っていることは想像に難くない。一撃で仕留めるのは造作もないが、取り返しのつく程々の怪我で済ませてやるというのは実に面倒なのである。
その手間を、まさかの百人以上。
おそらく二度目、三度目もあるだろう。このままでは近衛騎士長が過労死しかねない事態だ。
「俺がまとめて相手をしてやってもいいぞ?」
真騎士以下ならば、どれだけ束になってもアークにとって物の数ではない。
ところが折角の提案はばっさり切って捨てられた。
「駄目です」
「……少しくらい良いじゃねえか。お前も楽になる」
「『熾火』のあなたにとっては軽い火遊びでも、『種火』しか持たない彼らにしてみれば大火傷です」
「さすがに手加減くらいしてやるつもりだぞ?」
どんな鬼畜と思われているのか甚だ心外だ。
曲がりなりにも自軍の戦力を叩き潰すような真似、いくらアークといえどさすがにしない。それくらいの分別は持ち合わせているつもりだ。
むしろ、直々の手合わせなど滅多にない機会である。
アークにしてみれば(自分ではなく騎士たちの)またとない鍛錬の場でもあるし、反対する要素など皆無に思うのだが、近衛騎士長は渋い顔で首を横に振った。
「駄目です。ただでさえ我が団には治癒を使える者が少ないのです。いつ緊急任務が入るかも分からないのに、無駄撃ちするなど言語道断」
「それはお前、しょうがねえじゃねえか」
暗に人材不足ならぬ人材の偏りを指摘されて、アークは唸った。
アークを総司令官として掲げるアルバリーク第四騎士団は、最後の砦と比喩される。
巷では「騎士の中の騎士」が在籍する騎士団として大変に名高いが、実態はぶっちぎりの戦闘力にものを言わせて他部隊の盾となる肉体派集団だ。
そもそも職業軍人には大きく二つ、魔術士と騎士がある。
両者の最も大きな違いは攻勢と守勢どちらに重きを置くかという部分にあって、意外に思われるかもしれないが、アルバリーク帝国では最前線に立つのは魔術士団である。彼らの火力に特化した魔術を矛とし、騎士団は彼らを守る盾となる。
騎士は攻撃もできるが、敵方の魔術士の攻撃を防ぐこと、味方の魔術士の盾になることが第一義。その為、前線に赴く際は先手となり、撤退する時はかならずしんがりを務めることと相成っている。
他の第一から第三までの騎士団はもう少し補助的な術に長けた騎士を擁しているが、第四騎士団は違う。
総司令官のアークが魔術士団長に引けを取らぬ力を有しているが為、アークの叙任を受けるとかなり魔力が強化される。主に攻撃魔術において。
するとどうなるか。
年に一度行われる各騎士団の叙任式。第四騎士団に対して名乗りを上げてくるのは特に勇猛、好戦的な人間ばかりで、そうして選び抜かれた肉体派で構成される第四騎士団はさらに露払いや撤退時のしんがりを務める率が上がり、その活躍からより一層の名声が轟く。やがて広く駆け巡った名声は、次なる任務へとつながっていく。
卵と鶏、どちらが先だったのかはもはや誰にも分からない。
しかし向かうところ敵なしに見える第四騎士団は、どこよりも人材不足にあえいでいるからこそ、そういう戦い方にならざるを得なかった。
それが他ならぬ楽士の存在だ。速やかな魔力回復に絶対不可欠の人材である。しかし、第四騎士団は楽士から最も避けられる騎士団でもあった。
理由はいくつかある。
その一、総司令官の魔力量が底抜けでありもはや人外、並の楽士では過労死する。よって下位楽士の指導者となるべき総司令官専属楽士が常にいない。
その二、近衛騎士長の魔力量が常人を遥かに超えた域に達している為、並の楽士では以下略。
その三、最強の騎士団ということで稼働率が高く、年がら年中どこかしらで戦っている。つまり休みなし、家に滅多に戻れない、おまけに派遣されるのは激戦区や危険地帯ばかり。
その四、荒っぽい筋肉ダルマの完全なる男所帯。きついきたないくさい、見事な3K職場と胸を張っていい。
真っ先に働き口の候補から外される騎士団とはこのことだ。
魔術士団には女性もいるし、彼らは総じて頭脳労働者らしい洗練された振舞いで楽士を遇する。前線に出ても必ず騎士団が盾となるため、危険は少ない。ある程度の仕事を終えたらすぐに撤退もできる。
これで勝負になると思う方がどうかしている。
本来であれば魔術士団にも劣らぬ実力を有しているはずなのだが、いかんせん万年ガス欠。
それを補うべく鍛錬に邁進した結果、剣と盾の熟練度は右肩上がりだ。そして行き着く所は、最も実力のある騎士団は同時に最も燃料切れを起こしやすい残念仕様と相成る。
行きはよいよい帰りは恐い。
そんな諺を地でいく騎士団だが、帰りについても鍛え抜かれた統制でどうにか凌いでいる有様だ。効率が良いはずの魔力、その欠を補うのが筋肉など非効率にも程がある。
騎士団がなければ最終的には魔術士団も困ることになるのだが、彼らはどれだけ頼んでも楽士を回してはくれない。
彼らの方が戦闘力としては魔力一本槍なので手放せないといえばその通りだ。そんな現実は理解しているが、それにしてもこの窮状はもう少し何とかしたい。
そんな中、ただでさえ不得手で倍の魔力を食う治癒術なんぞ使ってられるか。
近衛騎士長が言いたいのはつまりそういうことなのである。棚ボタながら手に入れた真澄という楽士は虎の子で、出来る限り大事に扱いたいのだろう。
気持ちとしては分からんでもないが、アークとしてはもう一押しする根拠がある。
「衛生科に放り込んでやればいいだろう」
後方支援部門というのは本来そのために存在しているのだ。最近では彼らも忙しいらしく、何でもかんでも自前でやれと突っぱねられるが、それは本末転倒だとアークは思っている。
「あくまでもマスミは五体満足な騎士の回復に専念させればいい。訓練での怪我人は騎士団で面倒見ずに、全て後方支援方にまわせ。文句を言われたら俺が直接出向いて頭を下げてやる」
「有難いお言葉ですが、……」
ほんの一瞬、カスミレアズが躊躇した。
「あまり騒ぎを大きくするのは避けたいのです」
「……理由を訊こう」
「色々と探りを入れられています。事故の件は既に知れ渡っておりますので、これ以上目立ちますと芳しくありません」
誰がどう、とは言及されなかった。明言せずとも周知の事実であるからだ。第四騎士団長であるアークに対して、上からものを言える人間はそう多くない。
「相っ変わらず面倒くせえな……」
思わず舌打ちが出た。
実利の話ならまだしも、政治的なしがらみが理由となると下手に動くと泥沼にはまる。これ以上は話しても無駄だ。
「分かった。とりあえず采配は任せる。休みは取りたい時に取っていい」
「ご配慮痛み入ります」
「あっちは今夜中に全て決裁しておくから、今日はもう部屋に戻れ」
カスミレアズは口を開きかけたが、アークが「命令だ」と重ねると、大人しく目礼を返して立ち上がった。疲れてはいるが、最後まで折り目正しく真面目だった背中を見送りつつ、アークは一人になった執務室でぼんやりと考えた。
半端に血が繋がっているから余計に面倒なのだ。
あの人たちは、この期に及んで一体なにを恐れるのだろう。
第四騎士団長に就任する時に王位継承権は放棄した。アルバリーク帝国の典範に謳われているとおり、魔力を用いた古式の盟約で縛られるため、約束の違えようもない。
盟約破棄の例外もあるにはある。
他の全ての王位継承権を持つ人間が死んだ場合に限り、団長職を辞した上で王位に就くことは可能だ。この例外は王家の血を絶やさないための救済措置だが、それにしても十人の兄と十二人の姉がいてその末弟のアークにはどうせ鉢など回ってくるわけがない。
そんな事態など、アルバリーク帝国の滅亡と同義だ。
どうせ由緒正しい血筋でもない。母は少数民族アルセ族のそれも部族長の娘ではあったらしいが、正妃ではなかった。まして最後の側室、そこから生まれたたった一人の息子。数多いる兄姉より大切に扱われるなど、期待する方が馬鹿げている。
誰も自分の進退などに興味はない。
だからこそ王位継承権を捨てるのにも躊躇いはなく、帝国の威容たる騎士団の存続を最優先にした。感謝はされても文句を言われる筋合いなどないと本気でアークは思っている。
それを、一体なにが気に入らないというのか。
大叔父が存命だったのなら、酒の肴ついでに是非聞いてみたかった。
あなたの時代も同じだったのですか、と。




