38.当然、これで終わるはずがないんですよ
舞い上がる土煙に遮られて、人が集まっている以外の詳細は分からなかった。
見えない事実がますます不安をかきたてる。こんな状態で優雅に楽器を弾けるわけもなく、やきもきしながら真澄は窓から身を乗り出した。
どうしよう、訓練場に降りた方がいいんだろうか。
だが応急手当などの直接的な処置ができるわけではない。あくまでも真澄にできるのは魔力回復という間接的な支援だけであって、邪魔になるかもしれないと思うと近くに寄るのもはばかられた。
真澄が迷っているうちに、ほどなくしてセルジュが戸口に駆け込んできた。
「場所、開いているか」
珍しく切れた息に焦りがにじむ。
弾かれたように真澄は窓から身を離し、部屋のすみにある今朝がた整えたばかりの簡素なベッドを指差した。今日初の怪我人で、そこはまだ誰も横たわってはいない。ところがセルジュの顔が険しさを増した。
「……狭いな。申し訳ないが緊急事態だ、少し動かす」
「そんなに沢山ですか?」
「従騎士ランスが数組だ。巻き込まれた」
口と同時に手が動く。テーブルがどけられ、ソファの位置が変わり、絨毯が引きずられる。整ったかどうかを確認する間もなく、第一陣がなだれ込んできた。
「騎士長を呼んでこい! 休みの指南役も全員だ!」
叫ぶセルジュの手には藍色の光がきらめいている。
最初の治癒が施されると同時、第二陣、三陣が運び込まれ、十人以上が魚河岸さながらソファといい絨毯といい並べられた。
全員、意識がない。
まとう鎧は傷だらけ、ところによりひしゃげている。その隙間から赤い血が伝っていて、あまりのひどさに真澄は目をそむけることさえできなかった。
「その二人をベッドに上げろ、先に処置する! 他は後回しだ!」
再び藍色の光が放たれる。大きな光でありながら、しかし受けた従騎士は四肢を投げ出したまま動かない。
いつもは音楽の絶えない優雅な部屋が、今は野戦病院の様相を呈す。怒号の指示、石床を叩く軍靴。何もかもが慌ただしい。
絨毯が赤黒く染まっていく。
が、と衝撃に真澄の身体が揺れた。肩が痛い、そう気付いた時にはセルジュが鬼気迫る様子で目前にいた。
「回復を、マスミ殿! 早く!」
神聖騎士の証明――白金に輝く魔珠が、無情にも空になって傍に浮かんでいる。
「これでは到底足りない、頭数がいても我らは……!」
「っは、はい」
喉が渇いている。真澄はまともな声が出なかった。
急がねば。
彼らの力は絶大だ、しかし不自由でもある。分かっている、だが真澄の身体は金縛りにあっていた。床に投げ出されたぴくりとも動かない腕から目を逸らせない。彼らがこの部屋に来る時は、いつも彼ら自身の足で歩いてきた。どれほど手酷くしごかれてぼろぼろになっていても、それでも屈託なく笑いながら「すいませんが今日もお願いします」と頭を下げるのだ。
こんな光景、初めてだ。
真澄が戸惑っているうちに、居合わせた騎士たちが空になった魔珠を携え次々に詰め寄ってくる。こんなにいるのに、治癒の力が低いばかりに窮地に立たされている。
これが戦場だったなら。
冷たい汗が背を伝う。騎士団の存在意義を考えればたやすく想像できる未来に急き立てられ、ようやく真澄の身体は動いた。
* * * *
その後、すぐに駆け付けたカスミレアズと他の指南役の力添えが功を奏し、従騎士たちは一命をとりとめた。
五ランス、合計十五名。
ヴェストーファで迎え入れた新入りの実に半数だ。彼らは後方支援部門である衛生科に引き渡され、応急処置ではない正規の治療を受けている。後送手続きをとってきたネストリが戻ってきて、復帰するには早くても十日はかかるだろうとの初見が伝えられたばかりだ。渋いながらも納得顔のカスミレアズとセルジュだったが、真澄は疑問を抱いた。
専門部隊の治癒であれば、効果は段違いではないのかと。
カスミレアズは「そのとおりだ」と頷きながらも、同時に言った。
「食い止めることはできても取り戻すことはできないから、こればかりはやむを得ない」
「飲み込めそうでいまいち飲み込めないんだけど、それってつまりどういうこと?」
「治癒はあくまでも外傷を治すもの、痛みを取り除くものであって、失われた体液や血などは自然回復に任せるしか手はない。死人を生き返らせることはできない、と言えばいいか?」
「あーなるほど。なんとなくわかった」
どうやら一口に魔術といっても、そこまで万能ではないらしい。
止血はできても造血はできないということだ。前者の効果がめざましいだけに何でもできそうな気がするが、意外と制約があるなあというのが真澄の素直な感想だった。
会話をしながらも、カスミレアズの手は先ほどからずっと動いている。
報告書を作っているのだ。十五人という大人数を巻き込んだ大事故ゆえ、さすがに口頭報告のみとはいかないらしい。過失とはいえ直接の原因――つまり加害者となったセルジュから事情聴取をしつつ、カスミレアズはなんとも沈痛な面持ちを崩さない。
聴取すればするほど、セルジュが悪かったのではなくたまたまそこにいただけ、という状況が浮き彫りになっていくからだ。
運が悪かったとしか言いようがない。
第四騎士団の現状を考えれば、遅かれ早かれ別の誰かが同じような事故を起こしただろう。
「監督不行き届きだったのは認めよう。私の手落ちだった。だが手狭さはもう限界にきている」
肩を落とすセルジュの向こうで騎士たちが後始末をしている。血に汚れた絨毯は処分、ソファの掛布も取り換えられ、駄目になってしまった傷物の鎧が一か所に積み上げられる。
難しい顔で部下の動きを眺めていたカスミレアズが、そのままの顔でセルジュに向き直った。
「確かにセルジュ様の射程内には、頼まれても入りたくなかったでしょうね」
カスミレアズが暗に指摘したのは今般の事故原因だ。
「最初は耳を疑いました。真騎士や正騎士ならまだしも、従騎士が巻き込まれるなどあり得ません」
「私もまさかあそこにいるとは思わなかった。いるわけがないと信じていたから、手加減もしなかったわけだが……」
「まあ、その点は……今回は致し方ないかと。入ったばかりの従騎士です、制限区域の目測が甘くて当たり前だ。それを踏まえて区画割りを目に見える形でしておくべきでした」
「……そろそろ訓練場をもう一つ造っても許されると思うがな」
所帯が二倍なのに、同じ規模の訓練場はおかしい。そう言って、セルジュは疲れた表情で茶をすすった。
二人のやりとりを聞きながら、真澄は三時のおやつを口に放りこむ。リリーが持ってきてくれた差し入れで、甘い焼き菓子だ。さくさくと軽い口当たりが気に入っている。
一方の男二人はそんな気分にはなれないらしく、焼き菓子には見向きもせず真剣な話を続ける。
「ようやく全力で訓練ができるようになった。この機会を逃したくない」
セルジュが真澄を真正面から捉える。
「おっしゃるとおり、真剣に検討すべき時期かもしれませんね」
カスミレアズまでも相槌を打ちながら真澄の方を向いた。
言いたいことは分からないでもない。帝都に来てからというもの、日に日に第四騎士団は盛り上がりを見せている。それは真澄の仕事部屋を訪れる騎士の数が右肩上がりであることからも顕著だ。
最初は半信半疑だった彼らが、今や争うようになだれこんでくる。
補給線のない残念騎士団が一転、足かせがなくなり飛ぶ鳥を落とす勢いで日々練度が上がっている。打ち込むほどに伸びる力は結果として士気を高揚させ、さらに訓練に熱が入るという好循環を生んでいるのだ。
が、ここにきて絶大な力が別の問題を引き起こした。
最大所帯の騎士団かつ限られた訓練場内で、力の及ぶ範囲が見事に被ってしまったのだ。これがまともに防御魔術を使える正騎士や真騎士ならば大事には至らないが、成長途上にある従騎士、準騎士はとっさに自分たちの身を守れるほど熟練していない。結果、とある真騎士の訓練射程を避けて通ろうとして別の神聖騎士の射程圏内に入ってしまった、というのが今般の顛末である。
過失は過失だが、悪意はなかった。
早急に改善されたいとセルジュが願うのも無理はない。
「訓練場増設の件はぜひ上申してほしい。総司令官には後で報告書と一緒に出頭する」
「こちらは完成しましたので、今から参りましょうか」
「そうだな。早い方がいい」
手にしていた湯呑みを置いて、セルジュが立ち上がった。
カスミレアズも八割方埋まった報告書をざっと見直し、席を立つ。そのまま壁掛け時計に目をやって、近衛騎士長は「少し早いが今日はもう上がっていい」と真澄に言った。
大きな事故があったせいで騎士たちが浮き足立っており、今日の訓練はそもそも取りやめになっている。
雑然と散らかった部屋もあらかた元通りになったので、片付けに回っていた騎士たちにも同じような指示が出された。彼らが退出するのを見届けてすぐ、カスミレアズとセルジュは総司令官であるアークの執務室へと向かった。
誰もいなくなった部屋で一人、真澄はヴァイオリンを片付けた。
* * * *
大勢の中で夕食を摂る気にはなれず、真澄は自室に直行した。
後方支援部門の事務所や食堂の入っている棟とは違い、こちらは極限定された人間しか立ち入ることができない宿舎棟だ。どれだけ限定されているかというと、一つの階に部屋を与えられているのが僅か四名――騎士団総司令官と近衛騎士長、そしてそれぞれの専属楽士だけである。
少しだけ息を切らしながら、四階分の階段を上がる。
分かりやすく一階が第一騎士団、二階が第二騎士団と割り当てられており、アーク率いる第四騎士団は四階なのである。エレベーターのような便利なものは当然ない。階段の一段、距離の一歩がこれすなわち鍛錬とみなされているからだ。
歩きながら窺ってみるも、この階に人の気配は皆無だった。
まだ宵の口、アークもカスミレアズも働いている時分だ。むしろ今日は大きな事故があったから、いつも以上に戻りは遅い可能性が高い。こんな時に話し相手になるかもしれない近衛騎士長の専属楽士は、残念ながら空位のままだ。
リリーを始め世話役の女官たちは控えているが、基本的に呼ばなければ姿をみせないのが常となっている。
軽くため息を吐きつつ、真澄は扉を開けた。
部屋の中には既に灯りが入れられていた。今日一日首に結わえていたスカーフを解く。どうせ洗濯をするからと、横着をして着替えもせずに広いベッドへ身体を投げた。
今日は疲れた。
たいしたことはしていない、むしろ早上がりだったのに全身が重い。まぶたを閉じると、沈み込むように真澄は眠りに落ちていった。
緩やかな動きを感じて、真澄はゆっくりと目を覚ました。
いつの間にか灯りは絞られていて、部屋は穏やかに薄暗い。そんな中でゆっくりと髪を撫でられている。真澄に対してこれができるのは、帝都広しといえど一人しかいない。
「……いつ帰ってきたの」
「起きたか」
真澄の質問には答えず、のんびりとアークが言う。
「どうした。寝ぼけまなこのくせに不満気だな」
「だから不法侵入だって何度言ったら通じるのよ……」
「お前こそまだ気にしてるのか? 俺がかけた認証だぞ、そもそも俺以上の適格者はいない」
「そもそも論を持ち出すなら言わせてもらうけど、そもそもここは私の部屋であってあなたの部屋じゃないんですがそこは」
「専属契約ってのはそういうもんだ」
「恋人でもないのにいつでも部屋に入れるってのもいかがなものかと思うわ」
「鍵を持ち歩かなくていいんだ、感謝されてもいいところだぞ?」
「鍵を持ち歩いた方がプライバシーは守られるけどね?」
相変わらず噛み合わない会話をしつつもくつろいだ様子のアークが撫でる手を止めないので、真澄は為すに任せた。
もう慣れた。
自分たちが噛み合わないのはもはやお約束であるし、アークが自然体で真澄のテリトリーに入ってくるのもほぼ日課である。親密な間柄でもないのにこの距離感はいかがなものかと思うが、そういうものだと言い切られて反論の余地もなかった。
認証については今後の生活に関わってくるからということで、帝都に戻ってすぐに説明された。
ヴェストーファ駐屯地のアーク専用天幕にかけられていた術と同じで、いわゆる探知術の一つに分類されるらしい。単に侵入者を発見するだけの受動探知とは異なり、相手の素性を視て判断する能動探知ゆえ、難易度が段違いなのだとか。
本来は得手不得手が如実に分かれる能動探知ながら、苦手とするアークが使える理由。それはひとえに「豊富な魔力量にものを言わせ」ながら、「複雑な条件付けを一切しない」からだそうだ。
当たり前だが真澄はつっこんだ。なんだそれは、と。
受けたアークが少し考えて、ようやく噛み砕かれた説明は大雑把極まりなかった。
曰く、認証とはつまるところその空間から誰を排除するかを決めるものだと。ただしここにも三対一の法則は適用されるので、大前提として認証の強固さは術者の魔力量によって決まる。そういう意味で、アークは認証そのものに出血大サービスレベルの魔力を使っているらしい。
力づくで暴かれない頑丈さがあって初めて、次に選別性能が重要になる。
それが条件付けで、最も基本的な選別は誰に立ち入りを認めるのかという点に尽きる。そこから先の詳細は時間帯での許可や人数、持ち物制限や害意の有無など、やろうと思えばいくらでも高度な選別ができる。が、条件の多さに比例して精度の高い魔力操作が要求されるため、魔術士はともかく騎士では得手不得手を差っ引いても神聖騎士でようやく使えるレベルの高度な術と位置づけられる。
さて、そんな大前提を念頭に置きつつ。
他者をどこまで排除するかは術者次第で、その術者の持つ力と器用さ、気性に左右されているというのが実態だ。
つまり大らかであればわざわざ自室に認証をかけたりはしないが、神経質であっても入室にあたっての条件付けをどこまで細かくできるかは、本人の魔術に関する器用さでおのずと限界は決まってくる。
そのあたり、アークは豪快の一言に尽きた。
知ってのとおりどちらかといえば器用な性質ではないので、真澄の部屋に関していえば、近衛騎士長のカスミレアズと女官のリリー以外は十把一絡げに侵入者は拒む仕様と相成っている。それも大層強力に。そもそも真澄は裏でスパイ容疑がかかったままなので、不用意に不特定多数との接触が増えると好ましくないという理由もあって、そういう扱いになっているのだが。
これが他の人間だと、もう少し細かく条件付けて入室を管理するらしい。
いずれにせよ、楽士の部屋に許可なしで入れる唯一の資格を持つのは、認証をかける張本人である専属相手の騎士もしくは魔術士だけなのである。
最初は「ふーん」で聞き流していた。
が、雲行きが怪しくなってきたのは「真面目に聞いておかないと、後で痛い思いをすることになるぞ」とアークが脅してきたからである。「そういうことは最初に言え」と憤慨しつつも真澄が姿勢を正すと、アークはさらりと言った。
「帝都の、特に王宮や軍部――騎士団と魔術士団の敷地――の中は、壁と窓と扉の全てに探知がかかっていると思え」
当たり前だが真澄はつっこんだ。なんだその人を見たら泥棒と思え的な忠告は、と。
しかし直後に怪訝な顔返しをされたのである。帝国要人が集まる場所、それを守る軍事力を置く場所に認証なしで入れると思うのか、おめでたい奴だな、と。
なるほど道理だ。
真澄は納得した。そしてアークから追加で言われたのは、認証されていない者が立ち入ろうとするとえげつない攻撃魔術が起動するから気を付けるように、という物騒極まりない忠告だった。
気を付けろったってあんたどうやって。
とうとう真澄は詰め寄った。
あいにく魔力とやらは持ち合わせていない上、魔術に造詣が深いわけでもない。基本的に探知術はその性格上 無味無臭無色らしいので、一般人の真澄に気付けと言われても無理難題すぎるのだ。
ちなみに回答として渡されたのが件のスカーフである。
外見は単純に所属と地位を示しているが、内部にアークの魔力が込められており、身に着けている限りアークと同等の認証範囲に立ち入り可能となる逸品らしい。アルバリーク帝国全域をとっても、騎士団総司令官が立ち入れない場所など王宮の極一部に限られている。つまり普通に生活する分には、これ一枚あれば十二分に事足りる寸法だ。
たかがスカーフ、されどスカーフ。
恩恵は大きいがしかし、身に着けるのを忘れて出勤しようものなら即座に不審者認定を受けて痛い目を見る。ゆえに真面目に説明を聞くように、という顛末だ。
つい最近の記憶を引っ張り出しつつ、真澄は枕元に置いてある時計に手を伸ばした。
時刻は午前一時をわずかばかり過ぎている。結構本気で寝落ちしていたことに驚きつつ、やっぱりアークは日をまたいだかと思うと、自然にため息が出た。
「起きて待ってようと思ったんだけど、ごめん」
「いい。疲れたんだろう、話は聞いた」
「話って事故の?」
「ああ。後処理で帰りが遅くなったんだが、……」
ふとアークが黙り込んだ。眉間を寄せて、難しい顔をする。
「どうしたの、そんな顔して。やっぱり訓練場を増やすのは難しいとか?」
ぱたり、と真澄は寝返りを打った。
アークはその動きを目で追っている。ややあって、その眉が持ち上がる。
「そっちは問題ない。下期にでも予算は引っ張ってこれそうだ」
そのために今日のうちに建設伺いをカスミレアズに準備させ、中身をチェックしていたらしい。あんな事故が起こった後なのにご苦労なことだ。
「良かったわね、と言いたいところだけど、そうでもないみたいね」
「まあな。そろそろ本格的にマスミも巻き込まれそうだ、覚悟しておけ」
「ちょっと待てい。なにに巻き込まれるのかは知らないけど、巻き込まれるのは既定路線かい」
「当たり前だろう、俺の専属になったんだから」
そんな当たり前いらなかった、とは今さら言えないわけである。
「色々とやらねばならんことはあるんだが、……まずは武楽会だ。近いうちに他の楽士に挨拶に出向くぞ」
それ、挨拶じゃなくて宣戦布告じゃないのか。
不穏な空気をまとったアークに、真澄の顔は引きつりっぱなしだった。そうして帝都の夜は今日も更けていく。




