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ドロップアウトからの再就職先は、異世界の最強騎士団でした~訳ありヴァイオリニスト、魔力回復役になる~  作者: 東 吉乃
第二章 楽士の奮闘、ここに極まる

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37.慣れた頃が危ないんですよ

「おはようございます、マスミさま」

 丁寧かつ柔らかい声に次いで、かちゃり、とドアノブが回った。わずかな衣ずれの音が続き、その後は部屋に光が射しこんだ。

 真澄はまぶたの向こう、その白さにうめく。

「今日も皆さまお待ちですよ」

「んー……」

「朝食を準備してきますね」

 カーテンと窓を開け放って早々に、女官のリリーは退出していった。

 分かりやすく信頼されている。

 真澄の寝起きは悪くない。そもそも誰に声をかけられずとも自分で起きられるのだが、そこはせめてもの形式上ということで、彼女は毎朝こうして挨拶がてらカーテンと窓を開けてくれるのだ。

 最初はいたく感激された。

 なぜかといえばそれは、他でもない第四騎士団総司令官であるアークの寝起きがことのほか悪い点にある。そんな人間を日々相手にしていたら、神経がいくらあっても足りない。

 リリーはアーク付きの女官だった。

 それを、年が近くて接しやすかろうという理由で真澄の世話役に抜てきされたのだ。

 出会って数日は互いに様子見の距離感で接していた。しかし日が経つにつれ、同年代という気安さが二人の仲を急速に縮めたのだ。そして「実は」とリリーに打ち明けられたのが、くだんの「総司令官は朝に弱い」情報なのである。

 つらつら考えているうちに薄らぼんやりとしていた意識が覚醒する。

 真澄は薄い掛布をのけて、どっこいせ、と起き上がった。

 大あくびを隠しもせず――どうせ部屋には自分しかいない――もそもそと歩き、隣の部屋へと足を運ぶ。そこは衣裳部屋であり、身支度を整える部屋でもある。壁一面にずらり、色とりどりのドレスが並んでいる。一度も袖を通したことがないそれらには今日も目をくれず、真澄は端っこに掛けられている仕事着を手に取った。

 型はほぼ軍服に近い。

 アークたちのような本物の軍人が着る騎士服とは装飾など細部が異なっており、いわゆる軍属だと一目で分かる制服だ。シャツを着て、スカートを履く。ほぼ機能性のみを追い求めたどこまでもシンプルな装いとなる。

 ただし、事務方などに代表される他の軍属とは明確に違う部分が一つ。

 楽士の証明である正方形の布。それを真澄は手に取り、姿見に向き直った。

 青く柔らかい、上質なスカーフだ。

 今日はどう結ぼうか。少し考えて、襟下ではなく首に直接巻いて、蝶結びを作ることにした。もちろん結び目は右、ヴァイオリンの邪魔にならないように。

 右、左。

 身体の角度を変えて、姿見の中にいる自分の装いを確かめる。今日もシャツには皺一つなく、スカーフの形も崩れていない。


 この青いスカーフをまとうのは帝都で真澄ただ一人。


 それなりの緊張感を持ちつつ身支度を整えた真澄は、その後軽く化粧をして、リリーの待つ食堂へと向かった。


*     *     *     *


 数百名をまかなえる食堂は、今日も様々な人間が入り乱れて活気にあふれている。

 意外なことにその大半を占めるのは、真澄と同じ制服の軍属たちである。それも本物の裏方がほとんどで、楽士はとんと見かけない。花形で本物の軍人である騎士と魔術士もいるにはいるが、彼らは勤務形態が三交代制――常時、三分の一が即応体制――であるため、相対的に姿は少ない。

 真澄が食堂に姿をみせると、今日も今日とてあちこちがどよめく。

 努めて気にしないようにしながら、真澄はリリーの待つテーブルに向かった。

「マスミさま。やはり他の楽士さまと同じように、お部屋に食事をご用意しますか?」

 スプーンを手にとるなり、リリーが顔をくもらせた。

「別にここで構わないってば。どうせそのうち飽きるでしょ」

「飽きるどころか、最初の頃より注目されている気がします……」

 リリーは居心地悪そうに身を縮める。一方で見られることに慣れている真澄は、まったく意に介さずスープに口をつけた。

 注目のされ方は実に多様だ。

 二人の横を通り過ぎたあと、振り返って二度見してくる者。その視線は大抵、真澄の首元に注がれている。他には、明らかに視線をさまよわせながら、真澄で止める者。その顔には必ずといっていいほど興味本位と驚きが入り混じって浮かんでいる。あるいは数名で食事をとりながら、さりげなく様子をうかがってくる者。彼らが何をささやきあっているのかまでは分からないが、話のタネになっているのは確実だ。

 いずれにせよ珍獣扱いはここにきて否定できない事実となっている。

「注目、ねえ」

 パンを頬張りつつ真澄はひょいと視線を走らせる。

 この一瞬だけで、三人ほどと目が合った。拝観料をよこせと言いたいくらい見られている。

「まあ、確かに。そう考えると楽士ってのはつくづく排他的っていうか閉鎖的よね」

「そうでしょうか……楽士さまは高貴でいらっしゃいますから、私どものような平民と同じ食事をとるなんて、私どもの方が考えられないのですが……」

「ここで働いてるっていう条件は一緒なんだけどねえ」

 真澄がため息をついてみせると、リリーの眉は八の字に下がった。毎朝くり返す会話ながら、真澄とリリーの育った環境があまりに違うせいで、どうにも噛み合わないのである。

 真澄にしてみれば職場に身分を持ちこむのはナンセンス以外の何ものでもない。同じ課の隣に座っている先輩が「俺は社長の息子なんだぜ」と胸を張ったところで、「あんたが偉いわけじゃないでしょうが」と即座につっこむ案件だ。

 ところがリリーはこの限りではない。

 真澄が食堂を使うと言い出した日には、腰を抜かすほどびっくりしていた。貴族なんかじゃない、ただの一般人だからと何度言っても通じなかったのは記憶に新しい。

「大丈夫。みんな一回見たら満足するから」

「軍部関係者だけで何人働いていると思ってらっしゃいます……? 数百人はいますよ、一体いつになるやら」

「また第四騎士団ってのが悪かったわよねー」

 清々しく笑いながら、真澄は首の青いスカーフをなでる。

「たかが布きれ一枚がこんなに目立つなんて、ほんと思ってもみなかったわ」

「むしろ見分けをつけるためのシンボルカラーですし、縁取りですよ」

「絶滅種が実は生きてました、みたいなものだもんね」

 この『青く、金糸に縁取られた』スカーフが帝都にて日の目を見たのは、実に十二年ぶりとなる。

 楽園と呼ぶにふさわしい、南の暖かく穏やかな海。その上に果てなく広がる空。どこまでも深く美しいその色は、第四騎士団の所属であることを示す。そして金糸の優美な縁取りは、最高位の楽士という身分証明になる。

 騎士の肩、袖章と同じ役割をその布一枚が果たすのだから、記号というのは便利なものだ。

「失礼、相席しても宜しいかな」

 と、横からかけられた落ち着きのある声に、真澄とリリーは横を見る。

 そこにいたのは老年にさしかかろうかという年の、騎士にしては小柄で、しかし背筋の伸び方は道場の師範を思わせるような人だった。彼の人がまとう騎士服の肩章は青い。

「おはようございます、セルジュさま。空いてますわ、どうぞお好きなお席に」

「ありがとう」

 言いながら、老騎士セルジュ=ヴァレーゼは四人掛けのテーブルの一角に座った。

「二人とも、もう済ませるところだったかな?」

「いいえ、私たちも食べ始めたばかりです」

「ふむ……小食なのだな」

 いきなり肉塊にフォークを突き刺すセルジュの盆には、所狭しと山盛りの皿が置かれている。パンもサラダもメインもデザートも、全てが三人前ほどありそうだ。

 一線を退いて指南役という肩書ながら、現役騎士たちと遜色ない盛りの良さである。

「それでよくもあれだけ豊かな音を出せるものだ」

「セルジュさまほどの肉体労働と同列にはなりませんよ」

 思わず真澄はぷ、と笑う。

「そうかな? 朝から晩まで弾き通しだ、私にはできそうにない。まあおかげで訓練に全力を出せるようになったのは、有難いことだが」

「日に日に駆けこみが増えているのはおっしゃるとおりですけどね。活気があるのはよろしいことかと」

「本当にそうだな。昔を思い出して、つい指導にも熱が入ってしまう」

「どうぞお手柔らかに。ぼろ雑巾が増えてしまいますよ」

「はっは。これは言い得て妙だ」

 さも愉快そうにセルジュは笑うが、下っ端騎士たちにしてみれば笑いごとじゃないだろう。なんせ彼は退役して非正規になったとはいえ、近衛騎士長のカスミレアズに次ぐ実力者だ。

 セルジュ=ヴァレーゼ。

 ほかでもない旧第四騎士団における「白き二十の獅子」、その最高位を務めた神聖騎士である。

 この人が残ってくれたことそれ自体が新第四騎士団のいしずえとなり、同時にその発展に寄与したといっても過言ではない。表舞台では騎士団取り潰しを食い止めたアークと、化け物級の実力を誇るカスミレアズばかりが脚光を浴びているが、縁の下の力持ちはまさに彼を筆頭とする旧神聖騎士たちだ。

 アークはともかくとして、歴代最高の近衛騎士長であるカスミレアズでさえ頭が上がらない相手だ、騎士団全体におけるその影響力は推して図るべし。

 そんなセルジュのおかげで不躾な視線から解放され、真澄たちはゆっくりと朝の時間を楽しむことができた。

 三人の朝食、その食べ終わりは同時だった。

 食器を返却口に戻したところで、リリーは騎士団宿舎に戻った。彼女には、これから掃除洗濯など女官の仕事が待っている。その背を見送り、一方の真澄はセルジュと一緒に訓練場へと足を向けた。

 石造りの長い回廊を、二人でゆっくりと歩く。

 時刻は朝の七時を回ったところだ。日を追うごとに強くなる夏の日差しは、昨日に増して一段と眩しい。

「セルジュさま、今日のご予定は?」

「全体修練は午後だが、午前中も希望があれば個人修練に付き合ってやろうと思っているよ」

 朝日に目を細めるセルジュの顔はとても穏やかだ。

 これが一歩戦場に立つと鬼神のごとき強さを発揮するというのだから、にわかには信じがたい。ところが連日真澄の部屋に送り込まれる下っ端騎士の消耗具合を見ていると、「ああ本当なんだな」と納得せざるを得ないのだ。

 叙任を受けたばかりの従騎士は、そもそも危険すぎて組み合わせてもらえないレベルである。

 まあ彼らに関してはそもそも魔力量が常人に毛の生えた程度ゆえ、真澄の世話になることはほとんどない。ところが続く準騎士、正騎士、真騎士たちは、それこそ毎日果敢に手合わせを願い出ている。そして毎日ボロクソにしごかれ、魔力がすっからかんの状態で真澄の部屋送りとなる。まさに這うようにして、汗と泥と血にまみれたでかい身体を引きずってくる。

 現役の神聖騎士たちには騎士団を回すための仕事がある。よって、常に修練に時間を割けるわけではない。そこで出番となるのが、指南役という肩書を持つ退役した騎士たちなのである。

 幸か不幸か、第四騎士団にはセルジュを筆頭として七名の指南役がいる。

 彼らは皆、現役時代は神聖騎士だった。それも旧第四騎士団出身で、つまり「白き二十の獅子」が七頭いるということだ。生きる伝説の一角を担った七人を相手に、修練には申し分ない環境とみるか鬼神魔神の棲み処とみるか、それは個人の資質による。 

「早出組は、……もう始めているようだ」

 言葉の合間に耳を澄ませたセルジュが笑った。

「そうですね。先ほどからはっきりと聞こえます」

「活気があっていい。どれ、腹ごなしに私も混ざるとしよう」

「いってらっしゃいませ。休憩時間、お待ちしております」

 片手を軽くあげたセルジュは颯爽と走り去っていった。正面から訓練場に入るのではなく、裏口から近道をするつもりらしい。徐々に大きくなる気合の声、剣げきの高い音、爆発音などが彼を誘ったようだ。

 正しく伸びた背筋を見送りながら、真澄は歩みを止めることなく正規の道を往った。



 その部屋に着いて真澄がまずやるのは、窓を開け放つことだった。

 途端に沢山の音と気配が押し寄せる。訓練場に隣接しているこの部屋からは、第四騎士団の修練状況が一望できる。それを横目に、真澄は指慣らしをして、曲を練習するのだ。持っていた楽譜は壁際の棚に全て収めた。譜面台もある。金属製ではなく、自然なカーブを描く木製の。真澄はそれがことのほか気に入っている。

 休憩を兼ねて、楽譜を記すのも大きな仕事だ。

 耳で覚えている様々な曲を思いつくまま書きためていく。なんせ楽譜が手に入らない。楽士に関する一切が門外不出というのは冗談ではなかったようで、アルバリーク製の譜はただの一つも持っていない。

 メリノ家のアンシェラ嬢から譲り受けた名もなき譜も棚に眠ったままだ。

 もったいないと残念に思いつつ、今はどうしてやることもできない。仕方なし、真澄は知っている曲を忘れないように書き続けるのだ。楽譜起こしはもっぱら午後にやることが多い。腕の休憩がてら、お茶を飲みつつの地味な仕事である。

 帝都に来てからおよそ十日ほども経った。

 短期間ながら、この生活がすっかり板についたと言っていい。肉体派の職場に馴染めるかどうかを懸念していたが、心配は完全に杞憂に終わった。むしろ真澄が驚くくらい、騎士たちは当たり前のように部屋にかけこんでくる。彼らを迎え入れるために休憩用のベッドを用意し、一方で自分用の執務机まで設えられているこの部屋は、学校の保健室さながらだ。

 遠く威勢の良い声と共に、穏やかな風が吹き込んでくる。

 学生時代に戻ったような錯覚に陥る。なんというか、本当に普通に働いているよなあ、などと感慨深くもなる。そして実に汗臭いBGMを聞きながら真澄が何を弾こうかと楽譜をめくっていると、わ、と訓練場で声が上がった。


 ……何かあった。


 歓声とは違う異質な音に真澄の顔はくもる。構えていたヴァイオリンを置いて窓によると、遠い一角に人だかりができていた。


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