35.結婚難儀?
そして七日目――騎馬試合締めくくりの最終日を迎えた。
二日酔いで痛むこめかみに目を眇めながら、真澄は競技場の観客席に座っていた。
大歓声が殺意を覚えるほど脳天に響く。
完全に自業自得の苦しみなのだが、恨めしさは止められない。うっかりしていた自分にも腹が立っている。こうなると事前に思い至っていれば、絶対に今日は大人しく留守番を選んでいたのに。
わあ、と歓声が膨れ上がる。
遠のきそうな意識を必死に繋ぎ止めつつ見ると、歓声の元凶であるカスミレアズが競技場に入場してくるところだった。
そう。
まともにやり合っても勝負にならないが為に、模範試合を担当する上位者はトーナメントに出場しない、とカスミレアズは確かに言っていた。
どうしてその時に気付かなかったのだろう。
カスミレアズ本人が、トーナメントに出ていないことを。
あまりの頭痛に現実逃避を兼ねて掘りおこす記憶の中、カスミレアズはこうも言っている――自分は最終日にしか出ない、と。確かに彼自身の口で断言していた。繰り返す、記憶の中の近衛騎士長は、悔しいほど鮮やかに言い切っていた。
そりゃそうだよな、と。
騎士団の中でも虎の子の神聖騎士とくれば、そりゃあ実力はけた違いなのだろう。騎士の五階級を知った今、カスミレアズがエキストラステージ担当なのも頷けるというものだ。
でも、できれば事前に教えてほしかった。
真澄がげんなりする理由は、カスミレアズが「個人戦の」模範試合担当だということである。この後に控えている「団体戦の」模範試合担当がお出ましになる瞬間を思うと、正直気が遠くなる。一体どれだけの歓声が沸き上がるだろうか。自分の頭は割れやしないか、それだけが心配だ。
自分のことしか考えてないのは百も承知である。
競技場に目を転じる。
個人戦で優勝したのは第四騎士団の真騎士、彼が真正面から近衛騎士長に対峙している。二人とも騎馬にまたがっているが、違うのはその装備だ。
挑戦者は槍と盾を構えているが、応戦側は長剣のみ。
隣に座る真騎士――ネストリに聞くところによると、得物のリーチ差もさることながら、上位者に盾を持たせてしまうと鉄壁すぎる防御を破れずに終わってしまう為、ハンデの意味合いが強いらしい。ここでもやはり三対一の法則は生きるのだとか。
ただでさえ魔力量に越えられない壁がある両者。
魔力で築く防御壁も、依代があるかないかで随分とその強度、維持にかかる魔力量が違うようだ。その部分の条件まで同じにしてしまうと、あまりにも一方的な展開にしかならないということで取られている措置だという。
かあん、と澄んだ鐘の音が鳴った。
カスミレアズは動かない。挑戦者は迷わず馬を駆る。その手から馬より早く大地を舐めるように業火が走り、あっという間にカスミレアズの周囲に火柱が上がった。
悲鳴が上がる。
主に女性陣の。
間合いを詰めた挑戦者が槍を水平に構え、炎に突っ込む。見えているのか。明らかに狙いを定めた動きに、固唾を飲む。だが次の瞬間、槍が弾き返された。
火柱が内側から破裂する。
そこにいたのは長剣を横なぎに一閃したカスミレアズだった。
振り抜かれた切っ先は、肩と同じ高さで水平に動きを止めている。その刀身には霧がたちこめるように青い闘気が漂っていた。
挑戦者が慌てて手綱を引く。
しかし応戦側は崩れた体勢を見逃してはくれなかった。
盾を持たない空いた左手に、青白い火球が生まれ出でる。挑戦者の顔色は如実に変わり、突き出すように盾を構える。なりふり構わずといった態だ。そこに青い光が宿るとほぼ同時、火球が襲い掛かった。
光と光がぶつかり合う。
火球は光の盾を消し去って尚、放射状に四散する。走った光に一瞬遅れて、衝撃波が観客席を守る防爆壁――アークが事前に張り巡らせたもの――を、轟音と共に震わせた。
真澄はきつく目を閉じて耐えた。
もはや耳を塞いでいるのか頭を抱えているのか分からない体勢だ。
光が消え音が去る。やがて土煙が晴れると、競技場には圧巻の光景が広がっていた。カスミレアズは最初の立ち位置から微動だにしていない。が、挑戦者は防御壁まで吹っ飛ばされていた。
したたか打ちつけたのだろう、意識はあるが立ち上がれずにいる。
「先制目くらましは良い手だったのですが」
騎士長には子供だましでしたね。
ネストリがあくまでも丁寧に、苦笑交じりに評す。審判による判定が下され、個人戦の模範試合は幕を閉じた。
* * * *
本当の締めくくりとなる団体戦の模範試合が始まる前に、小憩が入った。
なんでも入念な準備がいるらしい。
主に観客席に施される防御壁の重ねがけと、挑戦者の装備確認だそうだ。そういうことならと手洗いに立った真澄は、そこで貴婦人たちの黄色い会話を耳にした。
雑踏の会話など、いつもなら気にも留めない。
にもかかわらず意識を掠めたのは、「本当に素敵よね、どなたをお迎えになるのかしら」というタイムリーすぎた呟きのせいだった。
昨夜、酒の肴になったまさにその話題である。
カスミレアズが途中で口ごもったのは記憶に新しい。用を足そうと個室に入ったばかりだったが、つい興味を引かれ、真澄は耳をそばだてた。
「総司令官さまはさすがに無理でしょうけれど、近衛騎士長さまなら少しはお考えになって頂けないものかしら」
「どうかしら。家格は見られているようでしてよ?」
「まあ、なぜ知ってらっしゃるの? もしかして」
「ええ。父が先走ってエイセル家に申し込みをしてしまいましたの」
「まあー!」
黄色い悲鳴が上がる。
仕切られた個室に身を潜めている真澄には、盛り上がっている様子そのものは見えない。が、色めきたった数人がきゃっきゃうふふと楽しげだ。
「それでそれで? お返事はどのように?」
「エイセル家にご挨拶には伺えたのですけれど……」
「まだあまりお話も進んでらっしゃらない?」
「いいえ、丁重にお断りされました。それも早々に。わたくしの家格なら遜色ないはずですのに、騎士長さまご本人へのお目通りさえ叶いませんでしたわ」
「そうでしたの。ごめんなさい、不躾でした」
「気になさらないで。わたくしだけ、というわけでもないようですから」
悩ましげなため息が落ちる。
はて、どういうことだろうか。
便座に腰を下ろし、さながらロダンの考える人ポーズをとりながら、同じく真澄も考え込む。昨日の話では貴族のご令嬢だから駄目、という理由ではなかったはずだ。
カスミレアズの言葉は途中でアークに遮られたが、それにしても好き好んで孤高の独身でいるわけではなさそうだった。結婚できていないという状態は同じながら、前向きさに関しては決定的に真澄と違う点でもある。
「……でも、どうしたらお眼鏡にかなうのでしょうね」
「特にお二人ともこだわりはない、と周囲の噂では聞きますけれど。やっぱり楽士さまを探しておられるのかしら」
「そうなると、残念ながらわたくしたちでは不適格ということだわ」
「でも、ですよ? 総司令官さまや騎士長さまにつり合う楽士さまなんて、そうはいなくてよ? いつ見つかるとも知れぬ方をずっとお待ちできるほど、あのお二人は……」
「そうね。お家のことがありますから、いつまでもお独りは許されないでしょうね」
「であれば、諦めるのはまだ早い、ということだわ」
「どうかしら」
自制の利いた声が、数人の声をぴたりと止めた。
少しだけ静寂を挟み、次いで落とされた声が響く。
「叙任式、ご覧になった?」
「ええ」
「わたくしも例年のとおり招待されました」
私も私も、と同意が連なる。
「今年来られた楽士さま。お見掛けしたことのない方でしたけれど、素晴らしい腕をお持ちでした。総司令官さまがあんなに優しい目をなさったの、初めてですわ」
「それは、……」
「お二人のことはもう、遠くからお見掛けするだけでいいわ。楽士でもないわたくしには勝ち目なんてとてもないもの」
「本当にそうね。わたくしのお父様も今になって『楽士の家に養女に出してやれば良かった』なんて言うのよ。そうしたらこんなに苦労をかけることもなかった、だなんて」
「お相手、中々見つかりませんの?」
「ええ。わたくしが……メリノの家が誇れるのは、伝統ある古い血だけです。わざわざ片田舎で負債を背負ってくれるような奇特なお家など、そうありません」
予想外の流れに、膝についていた真澄の肘が力いっぱい滑った。
まさか世話になっている家の令嬢が輪の中にいたとは、露ほども気付かなかった。
そして何ともいえない気持ちになる。
明日にも去ろうとしているこの時分に、恩を受けた相手の困窮を知ってしまうとは何の因果か。メリノ家のご当主も、執事頭も、庭師や料理長そしてメイドたちも、誰一人として嫌な顔一つせず温かく接してくれたことが、どうしても思い出される。
大所帯の第四騎士団を迎えるのは大層な負担だっただろうに。
そんな彼らに返せる何かを、今の真澄は一つも持ちあわせていない。その事実に尚、悔しくなる。
「男兄弟がいらっしゃらないのも大変ね。帝都に出て嫁ぐわけにもいきませんものね」
「でもいいのです。わたくしはお父様から『養女に』とまで考えて頂いただけで充分です。長く続いたこの家より、一瞬でもわたくしを大切に思って下さったのですから。これで私がメリノ家を捨ててしまっては、亡くなったお母様にも申し訳が立ちません」
「きっと大丈夫よ。お母様の御加護がおありでしょう」
「そうね。ありがとう存じます」
「わたくしも早くお相手を見つけなければ。弟はまだ小さいから、家を継ぐまでに少しでも多くを残さなくてはならないわ」
「まあ……お兄様のお加減、あまり芳しくなくて?」
「西方の良いお薬を頂いたので、落ち着いてはいるのですけれど」
「そう……」
「この際どなたでも宜しいの。もちろん実家を助けて下さる方だと申し分ありませんが、持参金なしで私を受けて頂けるのであれば、それ以上は望みません」
「ですが、それだとあなたのお立場が」
「貴族の端くれとはいえ、選べるほど高貴な家ではありませんわ。跡を濁さず嫁ぐことで、ご恩返しにもなるでしょう」
「……良い方、見つかるといいわね」
扉の向こうがしんみりとした空気を醸し出す。
良家の子女とはいえ、どうやら内実はピンからキリまであるらしい。嫁ぎ先を見つけるにも難儀するなど、「気の毒に」としか言いようがない。ましてそこに彼女たちの希望が通るわけでもなさそうだ。
ここで「待てよ?」と真澄は首を捻った。
若い騎士たちは、むしろ相手を欲している。
実入りの良い職業だと聞くから、彼らでは駄目なのだろうか。
それとも、貴族というものはやはり莫大な金を使うものであって、騎士の一人や二人では話にならないレベルなのか。だとしても家を潰したり持参金なしを厭わない覚悟ができるなら、悩んだ挙句婚期を逃すよりは騎士と結婚したほうがよほど良さそうなのだが、二の足を踏む理由があるのか。
やはりここでも「楽士」がキーワードとなっている。
直接の戦闘力などないに等しい存在ながら、どうもその影響力はかなり強いらしい。
「来年も一緒に見られるかしら」
「もし帝都に嫁いでいたとしても、里帰りをお願いしてみるわ」
「きっと大丈夫よ。あなたならきっとお優しい方と一緒になれるでしょうから」
「それにしても羨ましいわ。あの楽士さま、お相手には困らないんでしょうね」
「お待ちになって。お身体は御一つよ?」
互いに空気を読み合う間が流れた。
どんな相槌が飛び出してくるだろう。扉一枚隔てた向こうで高まる緊張に、つい真澄も手に汗を握る。
「総司令官さまと近衛騎士長さまは、決闘なさるかしら」
「楽士さまはどちらの御手を取られるのでしょう」
「どちらかとは限らないわ。帝都に戻れば、他にも神聖騎士さまは沢山だもの」
「そうは言っても、決闘ならきっと総司令官さまが一番よ?」
「危険だと分かっているから、楽士さまが仲裁なさって?」
「でも神聖騎士さまが引くはずなくて?」
「近衛騎士長さまも当然黙ってはおられないでしょうし?」
「そして騎士さまたちの愛と誇りをかけた決闘になるのね!」
「総司令官さま、恋敵には手加減ができなくて苦しいでしょうね!」
「いいえ、神聖騎士様が実力の差を愛で超えるかもしれないわ!」
「そして楽士さまがお受けになるのね!」
「いやっ、素敵!」
「きゃあっ!」
いやいやいやいやいやいやいや。
あらぬ方向へ進む勝手な妄想に、真澄は鼻水を噴きそうになった。
さっきまでかなり深刻そうだったのに、それがいつの間にどうしてこうなった。とんだ「喧嘩をやめて、私のために争わないで」だ。
そんなもん、少女漫画の中だけの話である。
若さゆえの妄想力というのは破壊力が半端ない。三十手前の人間が吐いていい台詞じゃないのだと膝詰めで説教してやりたくなるも、聞き耳を立てていた気まずさにそれもできやしない。
思わぬところで精神をガリガリ削られた真澄は、トイレの個室で一人、動悸が治まるのをしばらく待つ羽目になった。
* * * *
そして。
団体戦の模範試合は豪快というか、ここまできたらいっそ壮観だった。
挑戦者である五騎を相手にアークはかすり傷一つ負わず、というより汗一つかかずに勝負を決めた。
確かに騎士たちは言っていた。「胸を借りて参ります」と、彼らは試合前にそう述べていた。だからといって、まさかこんな一方的な展開になるとは思いもよらなかった。
乱れ飛んだ火球。
そびえ立つ大盾。
長剣の間合いに入ることさえ許されず、五人の騎士は次々と膝を折った。カスミレアズが優しく見えたほどの試合運びに、超満員の観客は沸いた。
一瞬とはいえ女性陣の悲鳴が上がったカスミレアズとは違い、今は男性陣の雄叫びがひたすら競技場を震わせている。他の追随を許さないその力、確かに男なら誰もが憧れるだろう。街中で女性より男性からの注目をやたらと集めていた理由が分かった。
競技場の中心、手を挙げて歓声に応えるアークがいる。
かたや観客席に視線を投げると、雄叫びに負けじと頬をばら色に染めた若い娘たちが必死に手を振っている。トイレで耳にした話といい、相手には本当に困らさなそうだ。
なぜ身を固めないのか。
考えて、二秒で答えが出た。
多分、そんな暇はないからだと思う。
嫁を迎えるより先にやるべきことが第四騎士団には山積みだ。
きっと忙しくなるのだろう。色々なことを考えたり迷ったりする暇などないほどに。そうなってほしい、むしろそうなれと強く願いながら、真澄は割れがねのように痛む頭を抱え、目を瞑った。
叙任式から数えて七日間続いた騎馬試合は、華やかなる盛り上がりのうちに幕を閉じた。




