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ドロップアウトからの再就職先は、異世界の最強騎士団でした~訳ありヴァイオリニスト、魔力回復役になる~  作者: 東 吉乃
第一章 始まりは騎士の不遇

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30.奇妙な約束


 これを懸念してたんだったらそうとはっきり言ってくれ。


 分かっている。完全なる逆恨みだ。

 しかしそうとは理解していながらも、真澄は毒づかずにはいられなかった。八つ当たりの相手はカスミレアズ、もちろん脳内で、だ。

 声に出す余裕などあるわけがない。

 いわゆるこの「壁ドン」という体勢に持ち込まれている今の窮状では。


 吐息を感じる距離に、アークの不機嫌顔が迫る。噛みつきそうな勢いでその視線が注がれているのは、真澄の首筋だ。

「これか。わざわざカスミレアズがマントを貸したのは」

 話題に上ったマント――こうなることを見越していたらしい近衛騎士長の苦肉の策――は、あっさりと剥ぎ取られた。床に打ち捨てられたそれは、「力になれなくてスマン」と申し訳なさそうにくしゃくしゃだ。

 風呂から上がるなりすぐの展開だった。

 訳を言われるでもなくそんな状態で、真澄に目を白黒させる以外に何ができよう。

「姑息な真似しやがって」

 アークが誰に吐き捨てたのかは量りかねた。

 細められた双眸は怒り、苛立ち、そんな負の激情が滲んでいる。完全な不審者扱いだった最初の夜でも、アークはここまで獰猛さを露わにはしなかった。

 どうして急に。

 ごくり、と真澄の喉が鳴る。冷たい壁に背を押し付けられ、退路はとっくの昔に断たれている。緊張に指先が冷たくなるのが分かった。

「なんで、……そんなに怒ってるの」

「あ?」

 鋭い視線が刺さり、真澄は口を噤んだ。

 怒気が凄い。

 口は達者な方だと自覚してはいるが、軽口など叩ける雰囲気ではない。鋭利な空気に身がすくむ。多分、本気に近い。その厚い胸板を押し返す、そんな些細な動きを取ることさえ躊躇われる。

 こんなに怖いなんて聞いてない。

 全力で抵抗しても敵わない力の差。純粋な男女の差を分かっているからこそ、「絶対に逃げられない」という事実に身体が小さく震えている。

 アークが手加減しなければ、四の五の言っても真澄には抗う術がない。

「私、なにかした?」

 身長差で必然、真澄が見上げる体勢になる。

 アークは何も言わず、沈黙がおりた。


 次の瞬間、真澄の視界はぐるりと回る。


 きらり。目に飛び込んできたのは天井の豪奢なシャンデリアだった。それは電気でも炎でもなく、小さな光球が鈴なりに煌めいているものだ。

 そして声を上げる間もなく真澄の身体は寝台に沈められた。

 衝撃に目を眇める。騎士服の襟元を寛げながら、アークの身体が覆い被さってきた。


*     *     *     *


 大切な人を立て続けに亡くした年だった。


 十四歳、中学二年の夏。

 母は二年という長い闘病生活の末に、眠るように息を引き取った。最期に握りしめた手は痩せ細り、ヴァイオリンを弾いたら砕けてしまいそうな儚い指先だったことだけ覚えている。

 二年の月日は人を変貌させるに充分すぎる長さだった。

 どこかで覚悟はしていたのだろうと思う。

 母が遠くに、この手が届かない場所に往ってしまう。誰に言われずとも分かっていた。きっと願いは叶う、そう信じられるほどもう幼くはなかった。

 それでも母のこけた頬、くぼんだ目はいつしかおぼろげな記憶になった。思い出そうとしても霞がかったように出来ず、真澄の脳裏で笑うのは病に侵される前の母だ。


 そんな母の死に沈む真澄の肩を抱きしめ、慰めてくれた恩師も、後を追うようにしてその冬に亡くなった。

 高齢であるところに悪い風邪にかかり、肺炎と診断がついてから僅か一週間での出来事だった。早すぎた最期に言葉が見つからなかった。

 遺言にあった形見を譲り受ける話は、最初は断った。

 往年は小さな趣味の教室を営んでいたが、若かりし頃は国際コンクールで入賞し、プロのオーケストラで弾いていた人だ。使っていた愛器は家が買える値段と耳にしていた。

 プロになれるかどうかさえ分からない小娘には分不相応すぎた。

 それでも受け取ることに頷いたのは、恩師が殊の外自分のことを案じてくれていたと知ったからだ。

 真澄は最後の弟子だった。恩師の葬儀には、多くの兄姉きょうだい弟子が参列していた。若かりし頃から頭角を表し、今や世界を舞台に活躍するソリストもいれば、国内屈指のオーケストラ、そのコンサートマスターなどそうそうたる顔ぶれと言って良かった。

 たった一人所在なく葬儀会場の端に座っていた真澄に、彼らは声を掛けてくれた。

 恩師から話に良く聞いていたと。

 かわいい妹弟子、困ったことがあればいつでも力になるから、先生の傍にあり続けたその楽器をどうか受け取ってあげてほしい、そう彼らは言った。


 誰よりも澄みわたる音。

 その名のとおりに。


 恩師が嬉しそうにいつも自慢していたと兄姉弟子から知らされて、形見を譲り受けることに頷いた。

 その日から、学校以外はずっとヴァイオリンを弾いていた。

 寂しさに押し潰されそうだったのもある。でもそれ以上に、恩師が喜んでくれた音をただひたすらに追い求めていた。音が身体に響く時だけ、「自分は生きている」と信じられた。その他の時間をどう過ごしていいか分からなかったし、弾くということ以外にやりたいと思う何かはなかった。

 恩師の葬儀後、兄弟子の一人が折に触れ様子を見に来てくれるようになった。一番弟子であり、世界的なソリストとして活躍する人だった。

 忙しい身でありながら、それでも半年と開けずに必ず訪ねてきてくれた。

 会う度に言われた。

 音が洗練され澄んでいく、と。

 最初は間違いなく喜んでいてくれていたと思う。「先生の喜んだ理由が分かる」と目を細めてくれたのだから。

 それが曇り始めたのはいつだったか。高校を卒業間近に兄弟子から言われた言葉が忘れられない。

「鳥の翼も届かない遥か遠くの空。魚のいない底まで透き通る湖。そんな光景が浮かぶほどに美しく澄んだ音だ。だが遠い」

 この手が届かない。そう兄弟子は言って、悲しそうな目をしていた。

 兄弟子はどうしたら良いのか分からないようだった。それは真澄もまた同じだった。そして引き返せないまま月日は流れていった。



 母の死後、父との二人きりの生活は五年も続かなかった。

 年を追うごとに母の面差しが強くなる真澄を見て、父は苦悩を深めていった。かつて愛した女が、今また成長して新しく出会っているような錯覚に陥る。父はそう言っていた。

 辛いのだ、と。

 苦渋の顔で切り出してきた父を責めようとは思わなかった。夜ごと酒を浴びるように飲み、亡くなった最愛の妻の面影を求め続ける父が、不憫でならなかった。

 自分が傍にいる限り、この人は一生苦しみ続けるのだ。そう思うと、やりきれないより先に解放してやりたかった。

「大丈夫。困ったら、必ず電話するから」

 その約束を果たしたことはない。

 父が家を出る時に真澄が言った言葉だ。離れて暮らすことになるが、親子の縁まで切れるわけではない。事実、大学の学費も父は出してくれた。

 けれど近況報告の一つも、国際コンクールに出場したこと、そこで次席入賞しながら酷評されたことも、就職が決まったこと、ストレスから身体を壊して退職したことさえ、何一つ真澄は言わなかった。

 父を愛していなかったわけではない。

 ただもう、過去を振り切るように新しい家庭を作った父に、これ以上の重荷を背負わせたくなかった。


 高校卒業から数えて十年。


 真澄が一人で生きてきた年月だ。

 涙は恩師の葬儀が最後だった。いつでも歯を食い縛ってきた。泣くような弱さはとうに捨てて、生きていくことにただ必死だった。






 目の前で母が笑っている。白い光の中で、穏やかに。


 ここでいつも気付く。

 自分は夢を見ているのだ、と。


 気付くのは、どれだけ手を伸ばしても、母に触れることは叶わないからだ。


*     *     *     *


 ゆっくりと遠ざかる夢は、どこまでも現実味がなかった。

 母、恩師、父、兄弟子。走馬灯のように人が彼方の光に消えていく。

 ただひたすらに優しい心地だ。無条件に幸せではなかったが、恵まれていたであろう自分の人生に想いを馳せる。今は遠い肉親に一抹の寂しさを覚えはするが、一人で生きていく覚悟に陰りはない。そういう温かさは手が届かないものとして、とうの昔に諦めた。

 真澄は閉じていた目蓋を開ける。

 半開きになっている豪奢なカーテンが映る。窓の向こうは薄明に蒼くくすんでいて、まだ早朝であることが窺い知れた。

「……」

 ふう、と深く息を吐く。

 全身が鉛のように重かった。アークの激情を真正面から受けて、体力は早々に空になった。抵抗も許されず、真澄の意志を無視して与えられる強制的な快楽に身体は悲鳴を上げ、途中で意識が途切れた。

 食い散らかされた、と憤っていいはずだ。

 それくらい一方的な夜だった。

 けれど詰る気になれない自分がいる。その理由は、夜に揺れたアークの瞳を覚えているからだ。


 怒りは途中で戸惑いになり、やがて後悔に変わった。


 何が彼をそうさせたのかは分からない。記憶の片隅に残っているのはただ、猛々しさの中に拭い去れない痛み、葛藤が見え隠れしていたことだ。

 自分にはいつか必ずその目が向けられる。

 相手は何かに思い悩み、苦しんで、けれど口を噤むのだ。まるで「届かない」と言わんばかりに。逆に真澄には分からない。真澄は真澄であって、遠く在ろうとしたことなど一度もない。

 真澄は横向きのまま、緩慢に上半身を起こした。背中から聞こえる規則正しい寝息は、アークが深く眠っていると伝えてくる。首だけで振り返ると、夜通し真澄を抱いていたであろう両手が緩く投げ出されていた。

 蒼い薄闇に浮かぶ寝顔は幼い。

 昨晩の激しさが嘘のようだ。

 身体は倦怠感を訴えるが再び横たわる気にはなれず、真澄は三角に膝を立てた。そこに両手を預け、額を埋める。


 どこで生きていこうと、今さら何も変わらない。


 生まれてから二十八年間を過ごしたあの街。本当に帰りたい場所かと問われても、頷く自信がない。誰にも頼らず一人で生きていこうと決めた時から、大切な人は作らないようにしてきた。

 会いたい人はもういない。

 会いたくなるような人は、もういらない。



「眠れないのか」

 衣擦れの音と共に、寝起きにわずか掠れた声がした。

「何時だ……?」

 アークが掛布の下から右手を出し、小さな光球を一つ浮かべた。ホタルのようにふわりと宙を泳ぐ。それは応接の長椅子の後ろ、暖炉近くで動きを止めた。

 暖炉の上には金の装飾を施された置時計がある。

 薄明では見えなかった文字盤が、光に照らされて浮かび上がった。

「……四時か」

 気怠そうに呟いて、アークが真澄の方に寝返りを打つ。

 光球を放つ時に除けた掛布の下から、素肌の肩と胸がのぞいた。部屋の中を優しく照らすオレンジの光に、見事な筋肉が陰影をつけて露わになる。

「ごめんね、起こした」

「そこは普通文句を言うところだぞ」

 あくびともため息ともつかない吐息を吐きながら、アークの手が真澄の夜着の裾を撫でた。

「文句じゃぬるいか。殴っていい」

「なにそれ。私の手が痛いだけじゃない」

「……悪かった」

 無骨な指は裾には触れるが、真澄本人には触れないようにしている。滲む配慮にギャップを感じ、真澄は首を捻った。

「別になんとも。大人だし、そういうこともある」

 気に病む必要などどこにもない。真澄は小さく肩を竦めてみせた。

 どうあれ割り切った関係だ。

 良い年齢の男女が同衾となれば関係もできるだろう。けれどそれだけ。身体を合わせたからといって何かが変わるわけではないことを、真澄は過去に学んでいる。

「ねえ」

 膝に額をつけたまま、真澄はアークを見る。

「怒ってたよね。どうしてって訊いてもいい?」

 おそらくこの件に関しても、真澄には訊く権利があるはずだ。

 そうでなければアークが謝る道理がない。真澄が過ちを犯したのが原因だったとしたら、きっと彼は謝らなかった。

 薄明の静寂の中、そっと待つ。

 だがアークは真澄を見上げるばかりで、口を閉ざしたままでいた。絡まり合う視線は外れない。

「……探してるの?」

「何を」

「言葉。どう説明しようか、迷ってる?」

「なぜそう思う」

「皆そうだったから」

 アークの眉間にわずか力が込められた。

 困り果てた兄弟子が、苦悩に沈む父が、真澄の目蓋を掠める。しかし真澄はこれ以上説明する気はなかった。身の上話は本筋ではなくて、今聞きたいのはアークが激昂した理由だ。

 黙り込んだ真澄を察したか、アークがぽつりと言った。

「お前のスパイ容疑は公にはしない」

 今度は真澄が目を瞬く番である。

「容疑が消える……わけではないのね」

「ああ」

「じゃあ私の立場って?」

「対外的には俺の専属だと名乗れ。いいか、必ずだ」

「でも他の人の面倒も見るって約束」

「本来あり得ないが、緊急措置ということで実態はそれで構わん。他の騎士団にも、お前は総司令官の専属楽士だと通達する」

「第四騎士団付き楽士っていうのじゃ駄目なの?」

「この件に関して俺はこれ以上、一切妥協しない」

 寝起きの柔らかい雰囲気が、その時だけ昨夜のように鋭利になった。理性が働いているのか再び圧し掛かられることはなかったが、それでも有無を言わせぬ迫力に頷くしかなかった。

「余計な火の粉を、……いや」

「火の粉?」

「いい。忘れろ」

 アークが真澄の手首を掴まえて、誘うようにゆるく引く。

「まだ早い。寝るぞ」

 問答は打ち切られた。

 真澄は抗うことなく身体を寝台に横たえ、アークは当たり前のように真澄をその腕に抱き込んだ。穏やかに温かい寝床で、真澄はそれ以上考えることを放棄した。

 ゆっくりと意識が沈んでいく。

「どうせ地に堕ちた評判だ。どうでもいい」

 耳元で呟かれた言葉を斟酌しようにも、眠気には抗えなかった。


 スパイ容疑が、総司令官と近衛騎士長の胸の内に秘められること。

 専属以外を許さない頑なさ。


 名乗り一つ違うだけで、どんな不利益が待ち受けるというのだろう。考えても分からなかった。


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― 新着の感想 ―
いやいや、やってる事最低じゃね❔(爆)
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