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3.人生初、不審者認定からのスパイ容疑


 どこに連れていかれるのかと真澄は身構えていたが、意外なことに目的地は近かった。

 三分も歩かない内に草薮から抜け出たと思ったら、目の前に大きな天幕がそびえ立っていた。その入口を固めるように、騎士と同じような格好の人間が二人立っている。

 彼らは真澄を見て、目を瞠った。

「エイセル様、その者が?」

 驚きを隠さずに兵士の一人が問う。

「ああ。レイテアのスパイだ、おそらくな」

 真澄を肩に担ぎ上げたまま男が答えた。

 姓か名か分からないが、男はエイセルというらしい。様付けされていることから察するに、地位か身分が高いと見える。そういう前提を頭に入れてよくよく見れば、身に着けているものが両者で随分と違う。片やくたびれて薄汚れた鎧、片や光り輝く光沢の鎧だ。

 男の――エイセルの返事を聞いて、兵士の顔がそれと分かるほど曇った。

「やはり。武楽会が近いからでしょうか」

「目的はこれからゆっくり吐かせる。どんな手段を使っても」

 低い呟きに真澄の身体は強張った。

 それに気付いたか、真澄の腰に回されているエイセルの腕に力が篭もる。絶対に逃すかと宣言されているようでもあり、下手に動けば絞め殺されてしまいそうでもある。

 兵士は浮かない顔のまま一礼し、会話を切り上げた。エイセルの方も「後は頼む」と一言声かけをして、天幕の中に入った。


 一体誰が、何が待ち受けているのか。


 そんな真澄の不安はしかし、肩透かしを食らう。

 天幕の中、およそ八畳ほどの広さのそこには誰もいない。椅子や机が置かれているわけでもなく、本当にただの空間がそこにあるだけだ。強いていうのならば床に敷かれた絨毯のようなものに、円を基調とした独特の模様が描かれている。

 奥にはもう一つ、幕の切れ目が見える。

 つまり空間というか部屋がまだあるらしい。そうすると、ここは日本で言うところの次の間に相当する空間と考えて良さそうだ。

 そのままエイセルは奥の部屋に入るかと思われたが、彼は途中で足を止めた。

 そして真澄を肩から降ろす。

 絨毯の上に座らされた真澄は、丁度文様の真ん中、円陣の中心にいた。

 エイセルが距離を取る形で円陣の外に出る。不可解な行動を真澄が訝しんでいると、彼は右手を真っ直ぐ宙にかざした。まるで目に見えない円柱がそこに存在しているようだ。

「もう一度訊く」

 手をかざしたままエイセルが言う。

「その法円の意味は分かるだろう。今ここで目的を白状するのなら、他のスパイ同様レイテアへの強制送還だけで済ませてやる」

「法円? 強制送還って、」

「まだしらを切るか。いいだろう、身体に訊けば分かることだ」

 法円が何なのか、ただの絨毯じゃないのか。レイテアが何を指して、そもそもここはどこなのか。そんな初歩的な質問さえ許されず、物騒な台詞を吐いてすぐエイセルは何事かを呟いた。

 そして次の瞬間、

「……え!?」

 見慣れない光景に思わず真澄は声を上げた。


 綺麗だといえば綺麗だ。幻想的ともいえる。

 エイセルの言葉に応えるように、絨毯に描かれた円が俄かに輝きだした。さながら雷が走り抜けるように、円を飾る文様が明滅する。そして円の外周が下から青白い光を放ち、まるで真澄は光る円柱の中に囲われている風に見える。

 最初は輝く法円と溢れる光に気を取られたが、そういえばと思い真澄は法円の外に視線を向ける。


 目が合った。

 先ほどよりもう一段険しい顔になったエイセルと。


 目で射殺されそうとはこのことだ。

 そんなに睨まれるほど宜しくない状態なのかと訝ってみるも、真澄の身体には何の変化もない。法円はますます青白く輝きを増していくが、その中心にいる真澄は一ミリも光りはしない。

 当たり前だ。

 イカやホタルじゃないんだから。

 生まれ変わればその可能性もあろうが、今はまだあの世にいるわけで、ちょっと気が早すぎる。

 光ることのできない自分に焦りつつ、しかし両手両足を縛られているこの状況で何ができるわけでもなく、真澄はただ落ち着きなく身体のあちこちを見るばかりだ。

 そうこうする内に法円の光がすうと消えた。

 遮る光が無くなり、法円の外にいるエイセルの表情がはっきりと見て取れるようになる。彼は口を真一文字に引き結び、その手は握り拳を作っていた。

「随分と、……強い加護を受けているらしいな」

 独り言のような呟きは、一切の問答を許さない響きだった。

 法円の中にエイセルが押し入ってくる。無言だが凄い剣幕に真澄は思わず後ずさる。だが幾らも下がらない内に逞しい腕が真澄の身体を掬い上げ、先ほどと同じようにまた肩に担がれた。

 大股でエイセルが奥へと進む。

 幕の切れ間に辿り着き、「失礼します」と言うが早いかエイセルは幕を手で引いた。


*     *     *     *


「アーク様。不審者を捕らえました」

 天幕の入口とは打って変わって、エイセルが敬語を使う。言いながら、彼は真澄を降ろした。

 さっきから担がれたり降ろされたり忙しない。荷物じゃないんだっつの、と抗議したいのは山々だが、それを許される状況ではないらしいと肌で感じられる為、無言で耐えるのみだ。

 実際のところ、大きく動かされる度に縄が手首に食い込む。足首は死ぬ時に捻ったのか拍動するように等間隔で痛みが襲ってくる。その上をさらに縄で縛られているせいで、今や手首よりも気になる。ちなみに最初に打ち付けた背中は、最大瞬間風速は越えたものの今もって軋んでいる。


 死んでからも痛いなんて聞いてない。

 極楽浄土なんて嘘っぱちだ。


 本日二回目の文句だが言いたくもなる。もしもここから奇跡の大逆転で生き返ることができたとしたら、「極楽浄土を信じて修行するのはやめたまえ」と真顔で言う、絶対に。

 誰に?

 誰かに、だ。

 しょうもない決意を胸に秘めつつ、あちこちの痛みに真澄が顔を顰めていると、部屋の奥で影が動いた。

「不審者? スパイの間違いだろう」

 エイセルよりももう少し低めの艶やかな声に顔を上げると、鎧ではなく濃紺の制服に身を包んだ男が目に入った。真澄の知識で言うのならばそれは軍服に近い。

 幕内には簡素ながら机と椅子が置かれており、彼はそこにかけて何かの書面に目を通している。軍服は首から胸元までボタンを外されていて、お世辞にもきちんと着こなしているとは言い難い。というよりはむしろ、だらしないの域に達している。

 しかしその身体はエイセルと同じくらい鍛えられているようで、広い肩幅からがっしりとした腰を見ても遜色ない。

 年もそう変わらなさそうだが、違うのは黒髪に切れ長の瞳も黒であることだ。それだけで鋭利な印象だが、眼鏡を掛けていて、それが少しだけ柔らかさを醸し出している。

 眼鏡はまったく華美ではない。

 楕円のレンズに細い銀色のテンプル。それを右手でゆっくりと外し、アークと呼ばれた男は真澄たちに向き直った。

 最初に真澄を見る。

 次にエイセル。

 もう一度真澄に視線が戻って、アークは立ち上がった。

「ご苦労だった、と言いたいところだが、これはまた……随分と妙なのが忍び込んだな」

 そしてとてつもなく怪訝そうに小首を傾げる。

「ですから不審者と申し上げたのです。素性明かしの法円をすり抜けました」

「……なるほど。それでお前はその顔か」

「実際のところ、私の拘束を解けない程度に肉体はか弱いようです。しかし得体の知れない箱を持っておりますし、法円の反応の無さからしても隠蔽された術者である可能性が高いかと」

「ふうん」

 考え込む素振りでアークが腕を組んだ。

「いかがしますか」

 お任せ頂ければ適当に吐かせますが。畳みかけるようなエイセルの言葉には、不穏なものが混じっている。自然、真澄の頬は引きつった。

 頭から不審者認定を受けている現状を鑑みるに、客人扱いはしてもらえなさそうだ。そもそもワイン樽と同列だった、というのはこの際横に置いておく。

 順当にいって、牢にぶち込まれる未来が見える。

 あの世に未来もへったくれもないかもしれないが、それもこの際横に置いておく。エイセルの頑なな声から、いわゆる拷問的な何かもセットで待ち構えている未来が見える。


 冗談じゃない。


 そんな予定もなかったのについうっかり昇天したと認識したのも束の間、ほぼ問答無用でここまで連れてこられた挙句、右も左も分からないまま追加で痛い思いをするとか何の罰ゲームだ。


 本当に冗談じゃない。


 だが真澄の指先は微かに震え、止めてくれと言おうにも喉が渇いて声も出せなかった。

「任せてもいいが、隠蔽された術者なら骨だぞ?」

「労力はかかりますが、この時期にアーク様のお手を煩わせるわけには参りません」

「近衛騎士長は相変わらず真面目だな」

「今月に入ってからスパイの数はうなぎ上りです。武楽会が近いとはいえ、明らかにレイテアからの挑戦状と受け取って然るべきです。スパイの十人や百人を捌けずして近衛騎士長を名乗る資格はありません」

「真面目だな」

 やれやれ、とでも言いたげに黒髪がため息をついた。金髪は憮然とした表情を崩さない。

 横で聞いている真澄にしてみれば物騒極まりない会話だ。黄泉の国の政情はどうやら大変に不安定らしいが、それにしても十人どころか百人単位で人間を捌けて当然だなんて、ここは戦国時代か何かか。あ、でも彼らが死んだのが中世ヨーロッパだったことを考えれば、あながち認識は間違ってないかもしれない。

 と、アークがひょいと視線を寄越してくる。

 近衛騎士長と呼ばれたエイセルが様付けプラス敬語で接しているから、彼はもっと身分か地位が高いのだろう。にもかかわらず、随分と隙だらけの動きだ。


 威厳がないというか庶民派というか粗雑というか。


 立ち居振る舞いだけを見れば、確実にエイセルの方が上流階級だ。

 真澄がそんな失礼な感想を抱いているとは露知らず、二人の会話は真澄そっちのけで進んでいく。

「素性明かしの法円をかわしたんだろう?」

「はい」

「ならば俺が調べるのが手っ取り早い」

「ですが」

「どうせ今日は退屈な報告しか上がってきていない。丁度遊び相手が欲しかったところだ」

 ぎらり。

 適当そうな風貌から一転、その黒い瞳が肉食獣のように獰猛さを帯びた。

「遊び相手? 食い散らかすの間違いでは?」

「人聞きの悪いことを言うな」

「どうでしょうね」

 ものすごく残念そうな顔で、エイセルが真澄を見てきた。


 え、なに、その犠牲になる子羊を憐れむような目は。

 

 含みのある視線は明らかに憂慮を向けてきている。つい先ほどまで抱かれていたはずの不信感は、今はもう綺麗さっぱり消えてしまっている。

 大人しく牢屋に繋がれていた方がまだマシだったのに、そう言いたげだ。

 エイセルは諦めたように一つ息を吐き、アークに向き直った。

「明日は叙任式と新入騎士の迎え入れがあります。くれぐれも時間厳守でお願い致します」

「ああ」

「では私はこれで失礼致します」

 堅い礼を一つ取り、エイセルはさっさと幕から退出した。

 思わず真澄はその背を目で追う。しかし彼は振り返りもしなかった。


*     *     *     *


 二人っきりで取り残されて、しばらくは無言だった。というより、真澄はエイセルが消えた幕の切れ目から少しの間目を離せなかった。


 言いたいことは色々ある。


 そもそも長剣を突きつけてまで連行したくせに、あっさり放り出すあたり、何を考えているのか。取り調べをする気満々だったらしいくせに、すんなり引き下がるなんて、その程度なら連行しなくても良かったんじゃ。

 悶々としていると、後ろから影が差した。

 振り返る。

 すぐ傍に、男――アークが来ていた。

「さて」

 言いながら、横に退けてあった椅子を片手で引っ張り腰かける。傍目で分かるほど長い足を組み、考えるように手を顎に添えた。

「見張りがいたはずだ。どこから入った?」

 初手から答えられない質問だ。むしろこっちが聞きたいわ、と返したくなって、思わず真澄は眉間に皺を寄せた。あまりに噛み合わない回答を出して、先ほどのエイセルのように激烈に睨まれたらたまったもんじゃない。

 しかし答えがないことは委細構わないらしく、アークは続けた。

「寝首を掻くにしても、俺を選ぶとは余程腕に覚えがあるようだが」

 どこか楽し気だ。余裕があるようにも見える。

 威圧感溢れるエイセル相手だと何を言ってもたたっ切られそうで萎縮したが、彼はまだ話ができそうだ。だんまりを決め込んだところで事態が進展するとも思えない。少しだけ緊張を解いて、真澄は口を開いた。

「覚え、と言われても……ここがどこか、あなたが誰なのかも知らないのに」

「知らない? それも油断させる為の方便か?」

「あなたを油断させるの? 私が? 何の為に?」

「良く訓練されているな。それともやはり隠蔽術をかけられているか」

 名前が解除キーか? とアークが呟く。

 はっきり言って、さっきから何の話をされているのか皆目見当もつかない。なんとかの法円だのなんちゃらの術者だの、全く身に覚えのない話すぎる。

 人間というものは、全く知らない何かに対してすぐに的確な言葉を返せないらしい。

 何をどうやって訊けば良いか真澄がまごついている間に、話の続きが始まってしまった。

「俺の名を知っているか」

「だから知らないってば」

「アークだ」

「アーク? それがあなたの名前?」

「……そうだ。正式には、アークレスターヴ=アルバアルセ=カノーヴァという」

「長っ」

「ふうん……違ったか。とぼけているなら大した役者だな。もしくは、……余程強力な術か?」

 考え込むようにアークが首を捻る。

「その法円の上に置かれて尚、顔色を変えないのは流石だと言っておこう。並の術者なら昏倒しているはずだが、とうとう本腰を入れたということか。その情熱をもう少し武楽会本番に向けたらどうだ」

「ねえ、何の話?」

 さっきから腕に覚えがあるようだとかとぼけているとか、何を言われているのかさっぱり分からない。

 言いがかりをつけられているように薄々感じてはいるが、議論の元ネタというか話の大前提がすっ飛ばされている以上、言いがかりはやめろと決めつけて突っぱねるのもいかがなものか。


 とりあえずヴァイオリンの腕には多少の覚えがある。

 故に、一層言い出しづらいというのもある。


 下を見れば、次の間で見たものと同じような法円を描いた絨毯がある。特に光る素振りも見せず、先ほどの法円よりは小ぶりで、人一人が座れば一杯だ。

 紋様がかなり複雑に織り込まれているが、それ以外に目立った特徴はない。

 話の行方を注視しようと真澄が様子見を決め込むと、アークと名乗った男がとんでもないことを口走った。

「お前、レイテアのスパイだろう。次の武楽会までに俺を消すのが仕事の。まあここで『はいそうです』と簡単に吐くわけもないだろうが」

 意味の分からなさに真澄は絶句した。

 は? とも、え? とも言えなかったことを肯定を受け取ったのか、彼が泰然と座ったままで続ける。

「言っておくが俺に色仕掛けは通用しない。真正面からやり合う覚悟があるなら相手になるが、どうする? 剣でも術でもどちらでも選ばせてやる」

「話がまったく見えないんでアレだけど、とりあえず色仕掛けをするつもりも理由もまったくないし、真正面でも側面でも背面でもやり合う覚悟なんて持ち合わせてないし、そもそも何をやり合うのか分からないし、剣とか術とか何それって状態なんですけど」

「……ここまで頭が悪そうだと、本当に優秀なスパイかどうかが疑わしくなってくるものだな」

「だからスパイじゃねえって言ってんでしょ! 勝手に勘違いしながらその可哀相な人を見る目やめてよね!」

 思わず口汚くなった。

 スパイに間違われるのも御免だが、「頭が悪そう」は余計な世話すぎる。


 勢いよく噛みついてしまったせいか、アークが組んだ足をおもむろに解き、立ち上がった。




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