25.過去の見え方
毒気を抜かれたのか、黒装束は対になっているソファにどかりと腰を下ろした。背もたれに身体を預け、天井近くに浮かぶ光球を見据える。
灰色の瞳は光を映すと、銀色に輝いて見えた。
「容疑をかけられるに至った状況を見ていないから、そこは何とも言いようがないが……つまりお前自身としては、巻き込まれた単なる女だと。そう主張したいわけか」
思考を整理しながらなのか、男は一言一言を噛んで含めるように呟いた。
うむ、と真澄は大きく頷く。
早かったとは言い難いが、それでも飲み込んでくれたならば御の字だ。完全に相手間違ってますよ、と。言いたいのはそこだった。理解した上で、真澄としてはあわよくば開放してもらいたいところなのである。
しかしそうは問屋が卸さなかった。
「どうあれ一晩くらい待ってみる価値はあるだろう。偽物だとしても、遊ぶ時間はたっぷりある」
銀灰の瞳が獰猛さを帯びた。
熱が篭もる視線に射抜かれ、真澄の身体は強張る。だがいつでも組み敷けるという余裕の表れか、言葉とは裏腹に黒装束は動かなかった。
黒い胸元に手を差し入れる。
懐から取り出されたのは、同じく黒い水筒のような瓶だった。キュ、と高い音が鳴り、蓋が開く。黒装束は瓶に口を付け、中身を一気にあおった。
飲み下す音が規則的に響く。
やがて空になったらしい瓶と蓋は、白い布がかけられたテーブルの上に放り投げられた。横たわった瓶を暫時見つめてから、黒装束がくく、と喉を鳴らした。
「それだけの腕なら、他にいくらでもあったろうに」
灰色の瞳はいつのまにか真澄に向けられていた。
同情とも蔑みとも受け取れる複雑な視線だ。受ける真澄も、自然と怪訝な顔になる。
「なんの話?」
「働き口だよ。帝都に行けば選り取り見取り、魔術士団も頭を下げて頼みに来るレベルと見えるのに」
「だから私はスパイじゃないけど楽士でもないのよ。ヴァイオリンはたまたま弾けるだけ」
このくだりも経験済みだ。
アークとカスミレアズを相手に、散々噛み合わなかった記憶は新しい。またあの説明を一からしなきゃならんのか、とげんなりする。
ところが黒装束は深く突っ込んでくることはなかった。
真澄の否定に僅か怪訝そうな様子をみせはしたものの、それ以上は何も言わない。逆に鼻で笑われた。
「であれば尚更、お人好しにも程がある」
「お人好しって私が?」
肯定とばかり、黒装束の目が眇められる。
「何の見返りもなしによく騎士団に力を貸したもんだ。それも、よりによって第四騎士団」
「……色々あったのよ、大人の事情ってやつが」
選択肢はなかった。それをお人好しと揶揄されては癇に障る。
午前中もそうだった。
この男、人の神経を逆撫でするのが上手い。観察眼が鋭いのか、性格がねじ曲がっているのか、それとも真澄の沸点が低いのか。
怒りを鎮めるために頭で考えていると、二の矢が飛んできた。
「運もないのか。名ばかりの役立たず騎士団に、間違った楽士。ある意味似合いだな」
ばっさり切って捨てられて、とうとう真澄の額に青筋が浮かんだ。
「ねえ。昼間もそうだったけど、喧嘩売ってんの? 初対面の相手に言っていい台詞じゃないと思うけど」
「初対面にもかかわらず心配してやってるんだ。知らないようだから教えてやる」
これまで一体何人の楽士が第四騎士団――それも総司令官に使い潰されてきたか。
低くなった声は、そして語った。
* * * *
アークレスターヴ=アルバアルセ=カノーヴァは、成人と認められる十五歳になると同時に、第四騎士団の総司令官に就任した。
彼は「熾火」の中でも突出した魔力量を生まれながらに誇り、同時に類稀なる剣術、体術の才能に恵まれていた。前者は父方の血筋、後者は母方のそれであると周囲の誰もが認めた。
とはいえ、成人して間もない彼がその座についたのには、もう一つの理由があった。
第四騎士団は取り潰し寸前だったのである。
叙任権を持つ総司令官の座は、長く空位だった。叙任権を持てる「熾火」の誕生が絶えていたがゆえに。代行として、先代の総司令官の近衛騎士長が、司令官――「総」司令官は、叙任権を持つ者だけが名乗りを許される役職だ――として、二十数年もの間、第四騎士団を支えてきた。
しかしいかに優秀であっても、代行はその域を出られない。
最も肝要である「叙任」――新入騎士の雇い入れ――ができなければ、騎士団は徐々にその規模を縮小せざるを得ない。国同士の諍いがあり、魔獣討伐もあり。戦いの日々を繰り返すうち、負傷して退役を余儀なくされる者もあり、生き残っても、若かった騎士たちもやがて年老いて衰えていく。
騎士団は「盾になる」というその性質上、人的消耗が激しい。
稼働率が上がれば、それだけ負担が圧し掛かる。
第四騎士団の衰退と共に第一から第三の騎士団がその分を補うこととなり、彼らもまた自分たちで手いっぱい。第四騎士団に新入騎士を回せるほどの余裕はどこにもなかった。
練度の高かった第四騎士団は、その規模を最盛期の半分以下に減らしても尚、代行司令官の指揮下で国に貢献した。
その数、僅か二十人。
かつては二百の騎士を擁していた最大の騎士団が、もはや見る影もなくなっていた。
それでも第四騎士団が存在感を発揮できたのは、彼らが騎士の中でも屈指の実力を誇る神聖騎士であったことによる。
魔力量が限られる一般の騎士――準騎士や、正騎士――は、防御魔術に特化して鍛錬を積む。真騎士になれば攻撃魔術の使用が許可されるが、中級までという制約がついている。しかし神聖騎士はその魔力量の多さから最上級の攻撃魔術を操ることができ、攻守に優れた騎士団の主力たる地位を占める。
数は減っても、実力は折り紙付き。
一人で正騎士の二ないし三人分、戦況次第ではそれ以上の働きができる神聖騎士たちは、最後まで最初と同じように盾となり続けた。研ぎ澄まされた少数精鋭、第四騎士団最後の輝きは、星が死ぬ間際と同じかそれ以上に鮮やかであったと今でも語り草だ。
その活躍は、後年「白き二十の獅子の聖戦」として、書物に賛辞と共に記されている。
しかし限界は訪れた。
代行司令官が病に倒れ、指揮系統さえ保てない第四騎士団は廃団が決まった。これまでの貢献を考えると、あまりにも呆気ない決定だった。
二十人の神聖騎士たちは恨み言一つ漏らさなかった。
彼らはある者は他の騎士団に所属を変え、またある者は退役を決めた。終わりに向けて粛々と準備を進める中、件の代行司令官も治療の甲斐なく短い闘病生活を終えた。或いは第四騎士団解散の報に接し、色々なことに失望してしまったが為、気力の全てが削ぎ落されてしまったのだと言う者もいた。真偽の程はもはや確かめる術もないが。
代行司令官の国葬がしめやかに執り行われ、その一週間後が第四騎士団解散の日だった。
何もかもが決定事項だった。
それを土壇場で覆したのが今の総司令官、アークレスターヴだ。その時彼は十三歳だった。
代行司令官の葬儀の場で、激昂の声が響いた。僧侶が口上を述べ、代行司令官の生き様とこれまでの功績を謳い上げ、最後に「残念ながら」と第四騎士団の解散を口にした時のことだ。
どういうことだ、と。
まだ若く、迫力があるとは言い難い高さの声。しかし彼は毅然とした態度で、すぐ傍に座っていた為政者である現王に食って掛かった。
『その力の恩恵だけ与って、あとは知らぬ存ぜぬですか』
鋭利な言葉にその場は静まり返った。
誰も何も言わない。否、言えなかったのだ。王が口を開く前に、次いで全騎士団を統括する宮廷騎士団長にその矛先は向けられた。
『宮廷騎士団長が使い捨てを容認してどうする。いつか己が往く道になるぞ』
宮廷騎士団長からの答えも待たずに、アークレスターヴはその場で宣誓した。成人を迎えたその日に、「熾火」として第四騎士団長の座に就くことを。
そうして、退役を決めた者は去ったが、残った神聖騎士たちは他の騎士団への移籍ではなく、二年後の第四騎士団再結成までの一時預かりとなった。
二年後、アークレスターヴが十五を迎えた年、約束は違えることなく果たされた。
見事復興を果たした第四騎士団だったが、すぐさま別の試練が立ちはだかる。
戻ってきた神聖騎士は半分の十人となっていた。騎士団などとは到底呼べない有様で、目減りした騎士の雇い入れが急務だった。
そこからアークレスターヴの獅子奮迅の働きが始まる。
「熾火」の中でも破格の力を誇る総司令官は、寝食を忘れて人材探しに奔走した。いかに彼が他者に与える「種火」が大きかろうと、誰彼構わず雇い入れて叙任すればいいというものではない。騎士になるには肉体の頑強さに加え、守ることに特化する宣誓ができるかどうか、生涯をかけて誓えるか、その精神が何より重視される。敵を前に怯むようでは、弱き者をその身を挺して庇えないようでは、騎士たる資格がない。
普通にやっていたのではいつまで経っても本当の再興とはいえない。
だからアークレスターヴは、通常は年に一度しか執り行わない叙任式を、就任後の三年間はアルバリーク帝国中を巡りながら、年に四度も行っていた。
その甲斐あって、最初の一年で騎士は五十人に増えた。
ほぼ若手の従騎士と準騎士ばかりであっても、まとまった頭数になれば任務が与えられる。それは簡単な国境の魔獣討伐から始まり、やがて国同士の小競り合い、その最前線にも駆り出されるようになった。
次の年に、騎士は百人に増えた。
叙任を受けたその中に、今の近衛騎士長であるカスミレアズ=エイセルがいた。七歳の頃から騎士見習いとして宮廷騎士団に所属していた彼は見る間に頭角を現し、三年後には神聖騎士にまでなっていた。歴代最速の記録である。カスミレアズはその後もあらゆる記録を塗り替え、二十歳にして近衛騎士長まで昇りつめる。これもまた近衛騎士長就任の最年少記録であり、かつその魔力量は歴代近衛騎士長の中で最高というおまけ付きだった。
その頃には既に二百名あまりの騎士を擁し、第四騎士団は完全なる復活を遂げていた。
破格の「熾火」である総司令官と歴代最強の近衛騎士長。
彼らが掲げる旗に若き騎士は集い、名乗りを上げた。
順風満帆に見えた新第四騎士団はしかし、その強大な力ゆえの苦境に陥る。
彼らの持つ力の前に、従来の補給線は脆弱すぎた。
魔力量の桁が違う上、特にアークレスターヴが総司令官就任後の最初の三年間は年数回の叙任式と通常任務をこなし、騎士団としては異例の稼働率を叩き出したのである。必然、補給線となる楽士も相応の負担がかかる。そんな若き総司令官の激務についてこれる楽士はいなかった。
総司令官の楽士ともなれば破格の待遇で迎えられるのが常だ。
にもかかわらず、三ヶ月と続く楽士はいなかった。帝都で訓練に明け暮れる程度ならば、まだ手を挙げる者もいただろう。しかし騎士団はいつでも最前線に往く。そして撤退の時はしんがりを務める。お世辞にも快適とはいえない、むしろ劣悪といってよい従軍環境に、楽士たちは悲鳴を上げた。
初年度に八人。
二年目は二十人。
三年目が三十一人。
アークレスターヴについた専属楽士、交代した人数である。その数、わずか三年で驚異の五十九名。一度に数名ではない。一対一の関係が基本である中で、これほどまで楽士が交代に交代を重ねた総司令官はいない。
総司令官から最後の専属が去ったのは就任からきっかり三年後、十八の時だった。
そこから先は櫛の歯が欠けていくように早かった。
次に逃げ出したのは、神聖騎士となっていたカスミレアズの専属楽士だった。さすがに総司令官に比べれば劣るものの、こちらも歴代最高の魔力量を誇る神聖騎士である。常人とはかけ離れた規格外、そんな彼は神聖騎士になって二年が経つ頃には、総司令官と同じ境遇に陥っていた。
それは近衛騎士長になってからも同じで、むしろ更に強化された魔力量に、どの楽士も恐れをなした。
近衛騎士長にもかかわらず、一度も専属楽士がつかない男。
前代未聞の状態であり、その点においても記録を打ち立てたのがカスミレアズ=エイセルという男である。
総司令官専任の首席楽士、近衛騎士長の次席楽士が不在となると、神聖騎士以下の楽士を指導する者がいなくなる。元来厳しい稼働率であったことが拍車をかけ、沈む船からねずみが逃げ出すかのように、第四騎士団は楽士の流出を抑えられなかった。
最後の楽士が逃げ出したのが八年前。
往時からみれば見事な再興を叶えたものの、同時に「楽士の居つかない騎士団」としてその名を轟かせているのが、他でもないアークレスターヴ率いる第四騎士団なのである。
これほど悪名高い騎士団は過去に類を見ない。
* * * *
「随分と詳しいみたいだけど、騎士団に恨みでもあるわけ?」
話の終わりを迎えて、真澄の目は否応なく細められた。
「感謝するならまだしも、悪名高いなんてよく言えたもんだわ。騎士団がいることの恩恵をあなた自身が受けてるくせに」
守られているくせに何を賢しらに。
その全容を理解したわけではないが、彼らの宣誓とその生き様を垣間見て、かつ総司令官の苦悩を知った身としては聞き捨てならない揶揄だった。
自然、真澄の語気は強くなる。
「どうしてアークやカスミちゃんが一方的に悪者なのよ。わざわざいびり倒したわけでもないでしょうに、被害者ぶる楽士の方がどうかしてるわ。激務できつい? ただの後方支援方が泣き言並べてどうすんのよ、じゃあ前線で身体張る総司令官はどれだけきついかって話よ」
「巻き込まれただけと言う割には、随分と肩を持つもんだ」
「むしろそっちがどうかしてると思うけど? 自分の国のことなのに、まるで他人事みたいに」
「他人事さ。とうの昔に捨てた国だ、もはや祖国でも何でもない」
男が吐き捨てた。
「機能不全の騎士団は、人を不幸にする。無理に再興などしなければ良かったんだ」
「……それで? どうしようって言うの?」
「簡単なことだ。手遅れになる前に――これ以上不幸な楽士が出る前に、第四騎士団を潰す」
だからお前も戻る必要などない。そう言って、黒装束は身体を起こした。
一歩、また一歩。
ゆっくりと歩み寄ってくる。
ソファの上から逃れられず、真澄はその動きを目で追った。やがて男が目の前に立つ。左膝を真澄の横に沈め、右手をソファの背もたれにつく。真澄はさながら籠の中に閉じ込められたようだった。
「総司令官を片付ける予定だったが、……」
灰色の瞳が近づいてくる。
「お前が戻らないだけでもそれなりの痛手になりそうだ。我が国の楽士になれ。第四騎士団に戻らないと約束できるのなら、丁重に迎えよう」
「これだけ手荒に扱われた後で丁重とか言われてもね」
「おかしなことを言う。無論、『血の盟約』を交わすつもりだ」
「盟約とやらが何かは知らないけど、お断りよ」
交渉が長引く前に真澄はぶった切った。
黒装束の言う「血の盟約」、物騒な名前だがおそらく雇用契約のようなものなのだろう。これだけ魔術だの魔獣だのが存在する場所だ、それなりに強制力がある代物とみて間違いなさそうだ。
丁重に扱われる代価は、第四騎士団に戻らないこと。
どんな形でこの誓いが執行されるのかは不明ながら、アークたちに二度と会えなくなるのは困る。僅か数日とはいえ面倒を見てくれた相手だ。まだ何のお礼もできていない。
速攻で断った真澄を前に、黒装束は肩を竦めた。断られたことそれ自体は想定の範囲内らしい。
「やはり心残りがあるか。アルバリークの民として」
「別にアルバリーク人じゃないけど、一宿一飯の恩くらい返すわよ」
高級ホテルとは言い難かった上に色々と余計なオプションがついて回ったが、それでも路頭に迷わずに済んだのはアークとカスミレアズのお陰なのである。
衣食住を満たすとは即ち、生きることそのものだ。
自分の力で生きていくのは辛い。それは社会人になり、必死に働くことを覚え、やがてそこから弾き出されて底辺に近い生活を味わったからこそ知っている辛さだ。
口で何をどう言おうとも、誰かに手を差し伸べ助けるのは生半の決意ではできない。
誰が好き好んで穀潰しを抱えようと思うだろう。代価として請われた際にヴァイオリンの演奏をしているが、現状はアークたち第四騎士団の基盤そのものに寄与しているとは到底言い難い。にもかかわらず下にも置かない扱いを受けていて、これを丁重と言わずしてなんというのか。
目の前の男も口では大切にすると言うが、いきなり拉致監禁するような相手を信用できるわけがない。
スパイ容疑を割り引いても、アークたちは行動が雄弁に語っている。彼らがどれほど切実に楽士を欲しているのかを。それは多分過去の彼らも同じであって、楽士をあえて使い潰そうとしたことは一度もないはずだ。
結果として潰れてしまった、というだけである。
多分、きっと。
「忠告してやってるのに、わざわざ身を滅ぼすのか」
「あなたが捨てた国がどうなろうとあなたには関係ないでしょ? 忠告なんて余計なお世話」
まして自分はアルバリーク人ではなくて、本当の意味での赤の他人。心配されるいわれなどない、真澄はきっぱりと言い切った。
同じ体勢のまま、微動だにせず互いに視線を交わす。
見つめ合うというより睨み合いだった。二人は暫時、そのまま言葉を交わさなかった。
* * * *
「……アルバリーク人ではない?」
呟きと同時、何かに思い当たったかのように灰色の双眸が見開かれた。
空いていた男の左手が真澄の顎を捉え、無理矢理に上を向かされる。急な動きに喉が締まり、真澄の顔が歪んだ。
それ見たことか、と。
伸びきった喉のせいで当てこすりの言葉は出せず仕舞いとなったが、真澄は視線で不信感を露わにした。丁重に扱うと言った傍からこの手荒さだ。
真澄が断ったからというより、一々動きが粗野なのだ、この男は。
「そういえば記憶が飛んだと言っていたな。もしかしてお前、召喚の」
男の声は驚愕に途切れた。
一層近くなった距離に、真澄は目を閉じて身体を捩る。けれど逃れられず、男の無骨な指が頬に食い込むばかりだった。




