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ドロップアウトからの再就職先は、異世界の最強騎士団でした~訳ありヴァイオリニスト、魔力回復役になる~  作者: 東 吉乃
第一章 始まりは騎士の不遇

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24.「よりにもよって」とは神懸かり的なタイミングを指すわけで


 間近で晒されたはずの素顔を見ることは叶わなかった。

 唇が触れた瞬間、真澄は固く目を瞑ってしまった上、首筋に息がかかった時は逃れようと反射的に顔を背けてしまった。

 再びその黒布は青年の顔を覆い隠している。

 何が目的なのかは未だはっきりしない。彼はこの空き家らしき場所に来てからというもの、先ほどの饒舌さは嘘のように押し黙っている。



 見張り台での攻防の後、真澄は身体の自由を奪われた状態で攫われた。

 隙の無い拘束術はデジャヴを感じる見事さだった。誰とは言わないが、どこぞの近衛騎士長も鮮やかな手腕をお持ちだ。このアルバリーク帝国とやらでは、人を縛り上げることができて一人前とみなされるのかもしれない。

 色々なことを平然とこなしすぎだ。

 妙な部分で感心していると、青年は真澄を担ぎ上げて夜のヴェストーファを疾走した。アークやカスミレアズに比べると、そこまで体格に恵まれているようには思えなかった。しかし人一人抱えてこんな芸当ができるのならば、あの黒衣の下は随分と鍛え上げられているのかもしれない。

 家々の屋根を身軽に飛び越え、裏路地を音もなく駆け抜ける。

 忍者さながらの動きは道行く人々の誰からも捉えられることはなく、やがて行き着いたのは街外れの閑静な住宅地だった。

 灯りの消えていた一つの家に入る。まさか自宅とも思えないが、鍵はかかっていないらしく、あっさりと木で出来た扉は開かれた。

 暗闇が二人を迎え入れる。

 おそらく家の中央にあるリビングにいるのだろうが、窓から差し込む白い月光だけが頼りだ。だが真澄が必死に目を凝らしていると、不意に部屋が明るくなった。

 ふわりとオレンジの光が広がる。

 出所を探す。青年が右手の平を上に向け、その上に小さな光球が四つ五つほど浮いていた。

 視界が確保できて、初めて居場所をつぶさに見る。予想に違わずそこはリビングのようで、置かれているソファやテーブル、果ては棚の全てに白い布がかけられていた。

 長い留守か、それとも家具ごと売り手を探しているのか。

 うら寂しい空気が静かに眠っている。いずれにせよ埃が薄く積もっている様子からも察するに、人の訪れはしばらくなかったようだ。


 ていうか多分これ不法侵入だ。


 人を問答無用で攫うような荒事をする人間が、まさか正規の手続きを踏んでこの家を手に入れるとは到底思えない。どうせ人の出入りがないことを調べ上げて、これ幸いとばかりに利用しているに違いない。

 いきなりスパイ容疑をかけられるのと、半強制的に犯罪の片棒を担がされている今の状況、どちらがマシだろうか。

 人生八十年と仮定する。まだ半分も過ぎていないが、この二つを比べる日は多分二度と来ない。実に貴重な体験をさせてもらっている。ただしいずれも残念すぎるので、人生の谷底であるのは覆し難い現実だ。

 つらつらとそんなことを考えていると、青年は真澄の身体をソファに放り投げた。

 ぼふ。

 音と共に埃が舞い上がる。むせた後に、くしゃみが二回連続で出た。

 無造作であるが、床に落とされるよりは余程良い。駄目な方向に真澄がポジティブシンキングをしていると、かさり、と乾いた音が室内に響いた。

 つられて辿ると、男の手には小さな紙切れがあった。

 何かが綴られているが、距離があって内容は読み取れない。まあ見えたところで真澄の知っている言語ではない可能性は多分にあるが、そこはそれ。どうするのだろうと注視していると、彼は内容に不備がないか確かめるように、暫時紙面に目を走らせていた。

 ややあって、青年が顔を上げた。真澄を真っ直ぐに見つめてくる。

「さて、誰が一番乗りで迎えに来るかな?」

 細められた瞳は挑発の色が濃かった。

 光球を出した時と同じように、黒装束の左手が宙にかざされる。ふわりとばら色の炎が上がる。大輪の花が綻ぶように広がったそれは、やがて鳥の形を取った。

 ばら色でありながら不死鳥のように燃える羽。その鳥は、男の右手にあった手紙をついばみ飲みこんだ。鳥の身体が一度強く光り、次の瞬間羽ばたきと同時にその姿は宙に溶けた。

「下級には荷が重いか。バナレットクラスで妥当だろうな」

 呟きが何を意味するのか真澄には分からなかった。

 アークに指摘されたとおり、本当に、自分は何も知らないらしい。だから置かれたこの境遇がどれだけ差し迫っているのかさえ、見当がつかない。

 ただし鳥に飲み込まれたあの手紙だけは、嫌な予感がする。


 迷子のお知らせであるはずがない。

 かといってラブレターなどもっと違う。


 シチュエーション的に、どう考えても脅迫文でしかないと思うのだが、どうだろう。


*     *     *     *


 そういえば、この声……


 とりあえず落ち着こうと深呼吸した真澄は、先ほど耳にした青年のそれが、どこかで聞き覚えのある声質だと気付いた。

 どこだろう。

 そう遠い記憶ではない。

 男の顔をじっと注視する。視線を感じたか、それまで窓の外に意識を向けていた黒装束が目線を寄越してきた。しかし用心深い性質らしく、ばら色の鳥が飛び去った後からこちら、男はなにも喋っていない。

 判断材料が欲しい。

 もう一度聴くことができれば、心当たりが思い出せそうな気がする。そして相手の素性が分かれば、あるいは目的も推し量れるかもしれない。

「あなた誰?」

 このまま黙っていても膠着状態は崩れない。両手足は既に縛り上げられて自由が利かない。だが猿ぐつわまでは噛まされていない今のうちに、真澄は勝負に出た。


 音域、つまり音の高低はやろうと思えば他人を欺ける。

 特に人間のそれは声域と区別されて呼ばれており、歌わない時、いわゆる地声であっても成人であれば二オクターヴの高低はつけられる。訓練次第で声域は広がり、明確に言葉が聞き取れるという前提を置いても、倍の四オクターヴ程度は操ることが可能となる。

 斯様に音の高低は意識できる。

 だがその質までは変えられない。それが音色というやつだ。

 聴覚に関して、一口に「音」といってもその属性は多岐に渡る。特に音域、音圧、音質が違いを浮き彫りにし、また、音楽というものに色を添える要因となる。中でも音の高低を表す音域と、音量の大小を示す音圧は比較的有意に変えられるのに対し、生まれ持った音質は自力では変えられない。

 音質は、同じ高さかつ大きさの音であっても異なる聴こえ方をする時、その違いを指す属性である。

 より簡単にいうのならば、例えば同じ442ヘルツのラであっても、ピアノとヴァイオリンが同じ音に聴こえるか、聞こえないのであればそれは即ち、音色が違うから、という区別になる。尖っているのか、柔らかいのか、鋭いのか、深いのか。このように楽器の属が異なるものを比較すると相違は明確だが、これは同じ属の楽器、ひいては人間の個体差にも当てはめることができるのだ。


 真澄の耳は、この声を覚えていると主張する。

 幼少から鍛え続けた耳だ。この勘を信じられる程度には、努力を重ねてきたという自負がある。

 男が油断なく僅か小首を傾げる。だが何も喋らない。もう一押しすべく、真澄は矢継ぎ早に質問を並べた。

「どこの出身? 名前は? そんな格好してるけど、騎士なの? それとも魔術士? 人を攫っておいて、まさか一般人とか言わないわよね?」

 黒装束の眉間に、より一層力が篭もった。

 間違いなく真澄の言葉に反応している。色々と言いたそうだが、立場上飲み込んでいる様子だ。「聞き分けるために一言でいい、発声させる」という目的からすると、努力の方向性は間違っていないらしい。

 阿呆のフリでもう少し押せば、突っ込みの一つや二つ飛んできそうだ。

 同時に自分の頭に残念な烙印を押されることにはなるだろうが、この非常事態に四の五の言っている場合ではない。誘拐されるなど人生初、交渉カードなどほぼないに等しい。

「もしかして裏家業の人? 誰かから雇われてるとか?」

「……言うと思うのか」

 あ。

 全神経を研ぎ澄ませていた真澄の聴覚は、鮮やかに埋もれていた記憶を呼び覚ました。

 質問に質問で返されたが、充分だ。当たりをつけて確認すれば、その特徴は顕著である。灰色の瞳。あの時は困ったように眉を下げて、口調さえ別人だった。

 あの青年だ。

 口元を隠し喋り方を変え、油断なく眉間に力を込めるだけで、これほど人の雰囲気は変わる。その大胆さに驚きを禁じ得ない。

「あなた、街でぶつかったあの……」

 ぴくりと男の眉が上がった。

「話半分だった割に、よく覚えてたもんだな」

「なにが目的なの?」

「古今東西、騎士団で最も命を狙われる人間ってのは相場が決まっていると思うが」

 やはりあれは脅迫状だった。

 真澄はアークをおびき寄せるための餌としてめでたく大抜擢されたらしい。ある意味名誉なことかもしれないがしかし、この男は大いなる勘違いをしている。

「残念なお知らせだけど、多分人質としての価値はないわよ」

「はったりだな。夜を共にしているのは調べた」

「や、それはそうなんだけど」

 恥ずかしいことを真顔で言うのはヤメロ。

 抗議したいのは山々だったが、そこは本筋ではない。仕方なし、真澄は訂正を諦め聞き流した。それをどう解釈したのかは不明だが、黒装束の肩が竦められた。

「総司令官の専属楽士だ。今頃は目の色変えて探してるだろうさ」

「うーん、それはどうかなあ……」

「単発契約ではあるが、来年のことも考えればないがしろにはすまい」

「いや、そうじゃなくて。契約更新とかそれ以前の問題で、私もスパイ容疑かかってんのよねー」

「そうか、かかってるか……は?」

 男の目が見開かれた。この驚きよう、おそらく布で覆われた口も開いていることだろう。

 彼は完全に話が飲み込めていない顔で絶句している。

 とりあえず言うだけタダかと思って交渉を試みたものの、そこまで驚かれるのも真澄としては心外だ。自分だって好きでスパイ容疑をかけられたわけではない。その点ははっきりさせておかねばならない。

「うっかり駐屯地に不法侵入しちゃったらしくて、いきなり不審者認定よ。おまけにその騒ぎのどさくさに紛れて本物の楽士が脱走したんだって。で、責任取れって詰め寄られて急遽代打に立っただけ」

 であるからして、建前上は確かに専属楽士だが、実態は全く伴っていない。真澄の言わんとするところはこれで伝わるはずだ。

 つまり同じ部屋で寝ているからといって、重要人物であるとは限らない。

 真澄が訴える内容を吟味するように、男の眉間の皺が深くなる。

「駐屯地? ヴェストーファ騎士団の?」

「うん、多分それ」

「そこにうっかり不法侵入?」

「確かにむしゃくしゃしてはいたけど、そんなつもりはなかったのよ」

 だから反省するのもどうかという状況だ。

 人を呪わば穴二つとはいうが、聖夜に幸せなカップルをやっかんだだけでこの扱い、どちらかといえば不本意すぎる顛末になっている感は否めない。

 このように真澄にも言いたいことは色々あるのだが、それ以上に目の前の男もまた困惑を深めている様子だ。とりあえず、想定していた人物と真澄はかけ離れている、という事実はどうにか伝わったようであるが。

「駐屯地には侵入者探知の術がかかっていただろう。どうやってすり抜けた?」

「さあ?」

「覚えていないのか。ということは『隠蔽された術者』だったか。それならまあ妥当」

「いや、多分それは違うと思う」

 勘違いが加速する前に真澄はぶった切った。

 これ以上続けても話がまったく噛み合わないのは見えている。ていうか、この流れは既に一回やった。

 楽士と見せかけて実は容疑者である。ぶっ飛んだ発言をかました挙句に要領を得ない真澄を見て、黒装束が途端に胡散臭そうな顔をしてみせた。

「違う? まさか力にものを言わせて正面突破しようと? それはまた剛毅な」

「だからそれも違う」

「では他の魔術で?」

「お願いだから侵入方法から離れて。そもそも私、スパイじゃないんだってば」

 灰色の目が瞬きを繰り返す。

「……は? スパイ容疑をかけられてるんだろう?」

 至極真っ当な疑問が出た。スパイ容疑がかかっていると明かしたのは、他でもない真澄自身である。

 これはなんともややこしい説明だ。

「どう言えばいいか、……ちょっと記憶が飛んでて。目が覚めたら駐屯地の敷地にいて、それがどうしてかは私にも分からない。本当に、ここに来るまでは平和に生活してた単なる一般人なのよ。魔術なんて使えもしない。だからスパイって言われたって情報収集とかできないし、司令官をどうこうしようなんて思ってない。むしろアークのことさえ知らなかったんだから『そもそもあんた誰?』状態よ」

「……それでどうしてスパイ容疑をかけられる?」

「だからそれはこっちが聞きたいわ」

 会話が途切れた。

 たっぷり十秒は沈黙した後で、男が盛大な舌打ちをした。

「これは、……人選を間違えたか……」

「多分ね。ご愁傷さま」

 ようやく伝わったらしい。心底頭が痛そうに黒装束が額に手を当てた。


 厳密に言えば狙いは間違っていなかったはずなのだ。

 騎士団の窮状を考えるに、やはり楽士は大切に扱われて然るべき人間であるし、現実アークたちはその姿勢を貫いて真澄に接してくる。スパイ容疑のせいで一定の警戒はされていることはさておくにしても。

 脱走した本来の楽士だったとしたら、男の想定どおり騎士団は大騒ぎになっていただろう。

 喉から手が出るほど欲しい楽士、誘拐されるような劣悪な職場環境となれば今以上に敬遠される未来が待っている。そんな噂が立つのは真っ平ご免とばかり、真剣に捜索隊が出されたはずだ。その意味で、確かに餌として申し分ない立場なのである。黒装束の描くそこから先の計画は不透明だが、騒ぎに乗じてアークに何かしらを仕掛けるつもりだったのだろう。

 どっこい、肝心要の楽士が入れ替わっていた。

 おまけに正規の楽士ではなくスパイ容疑付き。

 こうなると「重要」の意味が根本的に違ってくる。楽士はいなくなられると困るだろうが、スパイは極論どうなろうと騎士団側に痛手はない。


 タイミングがよりにもよって最悪だっただけである。

 

 傍目に分かるほど肩を落とすその様子を見て、同情しつつも真澄は内心で思った。もう少し確認しとけよ、と。

 誘拐犯のくせに詰めが甘いと言ったら、締め上げられるだろうか。


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