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ドロップアウトからの再就職先は、異世界の最強騎士団でした~訳ありヴァイオリニスト、魔力回復役になる~  作者: 東 吉乃
第一章 始まりは騎士の不遇

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23.本物との邂逅


 騒ぎは徐々に膨れ上がり、やがて聞こえてきたのは「魔獣だ」という切羽詰った叫びだった。

 ぎょっとして真澄はアークを見遣る。

「もしかして昨日の生き残り?」

「あり得ない。ウォルヴズの群れは俺が確かに跡形もなく消した」

 油断なく周囲を探りながらアークがきっぱりと否定する。

 元凶が定かになったせいで、混乱が最高潮に達する。我先に逃げ出そうとする市民がぶつかり合い、怒号と悲鳴が交錯する。

 人々が逃げてくるのは広場にある噴水の向こう側だ。

 すぐに駆けだすかと思われたアークはしかし、深く眉間を寄せてその方向を注視するばかり。難しい顔には、怪訝さと慎重さが同時に浮かんでいる。

「どうやってカスミレアズの防御壁をすり抜けた……?」

 低い呟きは、ありとあらゆる可能性を精査しているようだった。不吉だ。まるであってはいけないことが起こってしまったような、底知れぬ不安がこみ上げる。

 その横で、張り詰めた叫びが飛び交う。

「衛兵! 衛兵はどこだ!?」

「今呼びに!」

「まずい、子供が!」

 と、真澄の横で盛大な舌打ちが響いた。

「長剣を取りに戻る時間はねえな」

 深い思索を切り上げたらしいアークが真澄に向き直る。

「片付けてくる。すぐに戻るから、ここから動くなよ」

「……うん」

「そんな顔するな。大丈夫だ」

 アークの手が真澄の頭に乗せられた。ぽんぽん、と軽く叩かれる。

 周囲が騒然と浮き足立つ中、アークは踵を返して雑踏に消えていった。「子供じゃない」と強がりを言う隙間はなかった。



 その背が人波にかき消えても、しばらく真澄はその方角から目を逸らすことができなかった。

 現場に向かうアークが「落ち着け」と言って回っているのか、それとも駆け抜けるその雄姿が目立っているのか、先ほどの恐慌状態は少しずつ収まってきていた。

 口々に「総司令官様が」「もう大丈夫」などと市民は囁き合い、緊張の中にも安堵を滲ませている。

 たった一人で、これだけ絶大な信頼を寄せられている。

 守ることが騎士の存在意義そのものだとアークは言った。誓った生き方を違えたことは、きっと一度としてないのだろう。正直に過ぎるアークの生き様を垣間見たような気がして、真澄はその場に立ち尽くした。

 と、真澄の身体に衝撃が走る。

「っつ、」

 急ぐ誰かとぶつかったらしい。予期せぬ衝撃に真澄は体勢を崩し、石畳に膝をぶつけてしまった。

「失礼! 大丈夫ですか?」

 低く柔らかな声と共に、目の前に手を差し出される。

 その手を取る前に見上げると、それは若い青年だった。真澄より二つ三つ若いくらいだろうか。気弱そうだ。真澄が手を取らないことに慌てているのが分かる。

 思わず頬を緩め、ありがたく真澄は手を借りた。それは随分と温かかった。

「こちらこそすみません。ぼんやりしてました」

 世界一エクスキューズが得意な日本国民だ、この手の言葉はすぐに出てくる。

 青年と目が合う。

 三度瞬きをして、彼は「あ」と呟いた。

「あの、あなたは」

「はい?」

「総司令官殿の楽士様ではありませんか」

「あー……」

 期待に満ちた眼差しを向けられて、真澄は困惑した。


 スパイ容疑がかかっていて、それを晴らす為に臨時でやむなく弾いただけです、っていうかただの替え玉です、なんてこの場で言ったらどうなるのだろう。


 そう思いつつ、真澄の返事は微妙に濁したものになる。今回の叙任式でアークの楽士として立てとは言われたが、それが今後も続くとは聞いていない。貢献しろと詰め寄られたのは確かながら、その方法は未だに不確かである。ゆえに、自分の立場がどうなのか迷うところであって、結果明言を避ける形となった。

 ところが真澄の沈黙は違う方向に解釈されたらしい。

 青年は慌てて両手を振りながら、「違うんです」とまくし立てた。

「叙任式でお見掛けしたものですから、つい不躾に話しかけてしまいました。こちらは知っていても、あなたからしてみれば私は観衆の一人で顔も知らない他人ですよね」

「いえそんな」

「それにしても素晴らしい腕をお持ちですね」

「いえそんな」

「今までどちらの騎士と組まれておいでに? 総司令官殿はこれまで大変苦労されていらっしゃったようですが、あなたがいれば百人力というわけですね」

「いえそれは」

「本当に、もっと早くに出会いたかったでしょうね。そうすれば、騎士団ももう少しまともに働けていただろうになあ」

 どう返したものか、これには参った。

 アークを筆頭として、騎士団が補給線の確保に困っているのは周知の事実なのだろう。しかし事実であることを差し引いても、この言われ方は真澄の癇に障った。


 人を褒める暇があるなら、あんたがやれば良かったんじゃないの。


 空気を読む能力にかけては世界一の民族、その出身である。その無邪気さの中に一筋流れるその侮蔑はどういうことか、膝詰めで問い質してやりたくなる。

 良かったと言いながらも、実のところ彼は騎士団の境遇を丸ごと馬鹿にしている。

 騎士だなんだと肩をそびやかしても、力を発揮できなければ穀潰しなのだと。

 頭の良さと同時に、上から目線が垣間見える。何もかもを分かっていながら敢えて気付かないふりを装って揶揄する、目の前の青年はそういう狡さを持っていた。

 本当に、人は見かけによらない。昔の人はよくいったものだ。

「でも総司令官殿も冷たいですね。あなたをこんなところに置いていくなんて、ちょっと配慮が」

「すみません、行くところがありますので失礼させて頂きます」

「あ、あの」

「ごめんなさい。急ぐので」

 これ以上気分の悪い話に付き合ってられるか。

 吐き捨てたい気持ちを抑えつつ、真澄は笑顔で一つ頭を下げて、問答無用で話を切り上げた。


 大股で雑踏をかき分け進む。慌てて後を追ってきたメリノ家のメイドは、真澄の横に並ぶが何も訊いてはこなかった。時折、気遣わしげな視線だけを感じる。一区画ほどを勢いに任せて進んだ辺りで、真澄はようやく歩を緩めた。

「楽士でもない人間に言われる筋じゃないわよね」

 そんなに心配で口出ししたいなら、自分でやればいい。鼻息荒く真澄がまくし立てると、若いメイドは「あ」とそこで初めて合点がいったようだった。

 真澄が何に対して腹を立てたのかを理解してくれ、彼女は「この先においしいお茶屋がありますから」と気付け場所を勧めてくれる優しさを持っていた。

 そしてアークの戻りを待つ間、女二人で小さなお茶会と相成った。






 振り返りもしなかった真澄は、だから気付いていなかった。

「……大切なものを手元から離しちゃあ駄目だよな」

 青年が口端を吊り上げる。その右の掌には、小さな法円が描かれていた。


*     *     *     *


「イグルスが街の中に?」

 驚きと共にカスミレアズの手が止まった。

 まさに頬張ろうとしていた串焼きが寸止めになり、口がぽかんと開いている。

「ああ。心当たり、あるか」

 一方こちら、切り分けた塊肉に豪快に齧り付くアークである。その隣でちびちびと果実酒を舐めつつ、真澄は二人のやりとりに耳を傾けた。

 日は既に落ちている。

 ここは古い時代の砦で、その昔は騎士の訓練場だったとされる広範な敷地の中、宴が盛り上がっているところだ。周囲には幾つもの光球が浮かび上がり、幻想的な明るさに照らされている。

 例年のことだそうだ。

 騎馬試合が催される一週間、夜はここで「総司令官からの振舞い」という名目で宴が開かれるらしい。

 今年は魔獣騒ぎで初日の宴が取りやめになったこともあり、うっぷんを晴らすかのように今日の盛り上がりは激しい。田舎の盆祭り会場よろしく騎士も衛兵も市民も入り乱れ、笑い声や嬌声がそこかしこから聞こえてくる。

 それを横目で見つつ、訓練場の隅っこに陣取った真澄たち三人は、脇目もふらず腹ごしらえをしているところだ。

 がっつくに至った理由は至極単純である。

 最初の一時間はアークを筆頭に、カスミレアズと真澄もひたすら酌を受けては返杯を繰り返し、目の前に置かれる豪勢な食事にはまったくありつけなかった。ご馳走を目の前にお預けをくらって、三人の腹は加速度的に減った。ところが最初こそ酌に訪れる人間が後を絶たなかったものの、それぞれ酔いが回ると挨拶などそっちのけで騒いでいる。

 実に勝手なものだ。

 ともあれ酔っ払いどもの興味が逸れて、ようやく三人は落ち着いて固形物に手を伸ばしたのである。

 そして、先の真面目な会話に戻る。

 カスミレアズが騎馬試合を監督している間に、街で起こった騒動の件だ。突如として魔獣のイグルスが街中に現れ、あわや子供が襲われかけたところをアークが間一髪で助けた。

 イグルスは鳥型の大型魔獣で、その巨大な鉤爪で成人男性をも一掴みできるほどの体格を誇る。そのまま飛び立つこともでき、一度捕まってしまうと非常に危険な相手だ。単独行動を好む魔獣で滅多に人里には降りてこないが、それでも年を通して数件は必ず被害が出ている獰猛な魔獣である。

 ウォルヴズに比べると格が二つは違う、というのはアークの言。

 そんな魔獣が街中に入り込んだ。必ず理由があるはずである。心当たりを問われたカスミレアズはしかし、眉間に力を込めて首を横に振った。

「ヴェストーファ全域に張り巡らせた防御壁です。手抜きできるほど簡単ではありません」

 故に、防御壁が機能していないということはあり得ない。つまり破壊しようと攻撃を加えられた時点で、術者である自分が絶対に気付く。無効化についても同じである。

 きっぱりと言い切ったカスミレアズに、アークもまた「だろうな」と頷いた。

「となると、やはり誰かが悪意を持って隠蔽しながら持ち込んだ線が濃厚か。直接俺に挑んでくりゃいいものを、このクソ忙しい時に次から次へと」

「或いは違うのかもしれません」

「あ?」

 今度はアークの食べる手が止まった。

「アーク様狙いであれば市街地に放つのではなく、直接アーク様にけしかけるはずです」

「見くびられたもんだ。そんなもん返り討ちに決まってるだろうが」

 たかがイグルスごとき。

 憤慨した様子でアークが銀杯を一気にあおる。

「おっしゃるとおりです。アーク様をどうこうするのに、イグルスでは牽制にもなりません。ですから、狙いは別のなにかでは、と」

 カスミレアズの目が伏せられる。深く考え込む近衛騎士長を前に、真澄とアークは思わず互いを見遣っていた。

 誰が狙われているというのだろう。

 さりとて、どこの誰からどんな理由で恨みを買っているかなど分かるはずもない。アークじゃないと見せかけたアーク狙い、という線も完全には否定できないのだ。なんせ、第四騎士団の中で最も命を狙われる立場には変わりないのだから。

 うーん、と考え込んだ男二人を他所に、真澄は立ち上がった。

「ちょっと酔い覚まししてくる」

「大丈夫か」

 すかさずカスミレアズが腰を上げかける。

「自分で歩けるから平気。他の人の目もあるし、ちゃんと戻ってくるから」

 酔いが回ったこの状態で脱走できるわけもない。

 気にしないでゆっくり食べてて、と強めに言うと、不承不承ながらもカスミレアズは再び座ってくれた。


*     *     *     *


 この飲み方、改めるべきだよなあ。


 若干後悔しつつも飲んでしまったものはどうしようもないので、微妙に千鳥足になりつつ真澄は手洗いを目指した。

 最初のペースが若干早すぎて、頬が熱い。営業だった頃の癖なのだ。勧められた酒は絶対に断れないし、必ず返杯してしまう。

 どこからどう見ても紛うことなきおっさんだ。

 飲み方と自分の許容量を知っているから臨界突破しないだけであって、真澄自身はそこまで酒に強い方ではない。

 石造りの古い砦の中をちんたら歩いていると、数歩ごとに酔っ払いから声を掛けられる。「ようねーちゃん!」だの「楽士様!」だの。人懐こいというか、緩いというか。

 まあ親しみを持たれるのは悪い話じゃない。掛けられる声の全てに「ういー」と片手を上げて応えつつ、ようやく見つけた手洗い場で真澄は顔を洗った。

 驚いたのはその仕組みだ。

 切り出された石の中心に、一回り小さな石枠が設えられていて、そこに滔々(とうとう)と水が湛えられている。見れば底から少しずつ湧き出しているようで、ゆっくりと石枠を水が伝い落ちていく。神社の手水舎ちょうずやがまさに類似品の風情だ。

 ただし上水道が整備されていても、砦が生きていた時代に蛇口までは無かったらしい。豊富な水資源があって初めて実践できる方法ではあるが、いずれにせよ生活様式は悪くない。

 水は冷たくて気持ち良かった。

 滴り落ちる雫を両手で拭いながら、そういえばタオルも何も持っていないことにはたと気付く。さすがにワンピースの袖や裾で拭くのは妙齢の女性としてどうかと思われたので、真澄は夜風に当たって乾かすことにした。

 夜の闇に不案内かと思いきや、実は視界は明るい。

 蛍光灯ほどの強い光ではないが、風呂場で見たあの光球が砦中そこかしこにふよふよと漂っていて、柔らかな橙色の光が周囲を照らしている。魔術なのか別の何かか、いずれにせよ便利なものだ。

 案内さながらに浮かんでいる光球を辿っていくと、廊下の突き当りにある階段を昇り、最後は訓練場の上に出た。

 いわゆる見張り台だろうか。

 眼下の訓練場で繰り広げられる大宴会のみならず、ヴェストーファの夜景が一望できる。現代日本のように、様々な色のネオンが煌びやかに輝くのとは違う。広がる光は全て、優しい橙色だ。暖かな火の色が控えめながらも途切れることなく街を縁取り、闇夜に浮かび上がらせる。


 知らない街だ。

 でも美しい。


 眩さに目を細めながら、今後の身の振り方をどうしようかと考える。

 おそらく、すぐには帰れないだろうという予感はある。自分の素性出身をアークたちに説明し、状況を理解してもらうまでは無理だろう。日本というものを分かってもらわなければ、現実問題として帰り方も訊きようがない。

 ただし、分かってもらえる保証はない。

 拭い去れない「もしかして」が胸の内に燻っている。世界地図を見るのが怖くなる日が来るなんて、思ってもみなかった。

「こんばんは、楽士様」

「え?」

 考え事のせいか酔いのせいか、背後に人が立っていたことに真澄はまったく気付いていなかった。

 振り返るとそこには一人の男が立っていた。若く張りのある声から察するに、青年だ。

「良い夜ですね」

 目を細めながら、一歩青年が歩み寄ってくる。声は楽し気だが、笑っているかどうかは分からない。口元を黒い布で覆っているからだ。

 そのいでたちは全身が黒だった。

 黒装束、といえばいいのか。忍者のように動きやすそうな服装だが、肌は露出していない。夜の闇に溶けそうだ。見えているのは切れ長の目元から上だけで、世を忍ぶような姿をしている。

 騎士でもなく、市民でもない。

 異彩を放つ彼は足音を立てず、真澄の傍にするりとその身を寄せてきた。

「なぜこんな場所にお一人で?」

 見た目の違和感とは裏腹に、話しかけてくる声音は柔らかく紳士そのものだ。

「その、酔い覚ましに」

「女性というだけでも危ないのに、ましてあなたは楽士様だ。夜の一人歩きはお勧めしませんよ。総司令官殿や、近衛騎士長殿はどちらに?」

 黒装束の彼は右手を差し出してくる。どうやら心配してくれているらしく、戻る為にエスコートしますよ、と暗に申し出てくれてもいる。

 しかしいくら紳士とはいえ、初対面の相手にそんな面倒を見てもらうのは気が引ける。

 真澄は軽く手を振って、失礼にならないよう丁重にエスコートを辞退した。そして、見張り台の縁から盛り上がっている会場に視線を投げる。

「すぐ傍です。二人とも下の会場にいますから」

「それは好都合」

「……え?」

 急に低くなった声を、真澄は聞き取れなかった。

 聞き直そうと背中を振り返る。瞬間、両手首を拘束され、真澄は石の縁に背中を押し付けられた。急激に揺らされた身体は、酔いのせいで力が入らない上、視界が揺れる。

「っつ、……!」

 回る視界に吐き気を催しながらも、懸命に目を見開く。

 息がかかりそうなほど近くに男の顔が迫っていた。拘束は解けない。石壁に手首を縫い止められ、その力の強さに真澄は吐息も漏らせなかった。

「迂闊なことだ。大切なら、手元から離すべきじゃない」

「なに言っ……んんっ!」

 噛みつくように唇が奪われる。後ずさり距離を取ろうにも、真澄の身体は石壁に阻まれてどこにも逃れられなかった。

 熱い舌が口内を蹂躙する。

 離れたかと思ったのも束の間、熱さは首筋に移り、次いで痛みが走った。性急な攻め立てに、まともな抵抗は許されなかった。



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