22.面倒事は雪だるま式に
小鳥の鳴き声と共に迎えた朝は、優雅に晴れていた。
広めの部屋の中には、焼き立てパンの香ばしい匂いがふわりと漂っている。時折響く食器の音が耳に柔らかい。甲斐甲斐しく立ち回り、給仕をしてくれるメイドたちは今日も可愛らしい笑顔を絶やさず、清々しい気分にさせてくれる。
そんな朝の早い時間ながら、彼の台詞は本日五回目を数えた。
「申し訳ありません、騎馬試合の監督がなければ私が対応するのですが」
言葉通り心底申し訳なさそうにカスミレアズが顔を曇らせる。
いい加減に割り切ってしまえば良いだろうになどと真澄は思うのだが、近衛騎士長にしてみれば、そう簡単に承服して良い話ではなかったらしい。
「かといって騎馬試合の統括官をお願いするのもかえってご面倒ですから、」
「気にしなくていい、どうせ暇だ」
片やアークが鷹揚に手を振る。
話は誰が真澄をヴェストーファ市街に連れていくのか、という題目である。
魔獣騒ぎの翌日、真澄は替えの服がないことを訴えた。「だから容疑者にも人権というものが以下略」と詰め寄ったところ、意外にも着替えを調達する件についてはあっさり「妥当である」と認められた。
にもかかわらずカスミレアズが何を気にしているのかというと、曲がりなりにも雇用契約を結んだとはいえ、真澄にかかっているスパイ容疑は健在だからである。ただの司令官専属楽士であれば、現在進行形で世話になっている貴族邸に頼んで付き添いのメイドと護衛をつけてもらえば事足りる。が、真澄の場合は大変残念なことにただの司令官専属楽士ではないので、事情を知っていてかつ有事の際に対応できる人間が付くことが望ましい。
それ、候補二人しかいないじゃん。
思わず真澄は突っ込んだ。
まずもって真澄の事情を知っているのはアークとカスミレアズしかいない上、騎士としての実力は彼らが頭五つ分くらい抜きんでている。そりゃそうだ、第四騎士団の総司令官殿とその近衛騎士長だもの。
アーク自身は見るからにまったく意に介していない。先の台詞からも分かるとおり、叙任式が終わった今となっては騎馬試合を見るくらいしかやることがないのだ。であるからして、お遣いに出るのは本人的にはやぶさかでない状態らしい。
この総司令官様、地位があるのに緩い。
本人ではなく側近がそのあたり、かなり気にしている次第だ。
「メリノ家からもメイドを一人借りる。見立てはそっちに任せるから問題ない」
「流行りがどうとか申し上げたいわけではないのですが……」
どうでも良いことに気配りを見せたアークに、カスミレアズが微妙な反応を返す。
気持ちは分からないでもない。しかしこれ以上重ねても選択肢はない状態。身支度を既に整えていたカスミレアズは最終的に腹を決めたらしく、立ち上がって礼を取った。
「お手を煩わせてしまい申し訳ございません。時間ですので、私は競技場へ参ります」
「ああ。昨日の今日だ、あまり無理はさせないよう頼む」
「どうでしょうか。あれらも言って聞くなら可愛気もありますが」
カスミレアズが肩を竦めた。言外には「どうせ言ったって無駄」という投げっぱなしの諦めが見えている。隠す気はどうやら皆無らしい。
でしょうね、と心で相槌を打つのは真澄だ。
言葉の制止が有効な手段として数えられるのなら、肉体言語による激烈な説教など必要ない。わざわざやり直したアイアンクローは記憶に新しい。
「まあ聞きゃしねえだろうな」
からりとアークが笑った。
一応は心配されている彼らの部下――第四騎士団の騎士たちは、今日から四日間の騎馬試合と一日の競技クアッドリジス、さらに最終日には上位者への挑戦というエキストラステージをこなさねばならない。仕事ではあるがしかし、喜々として参加している実態は既に聞いた。
きっと上司の予想通りの展開になることだろう。どんな大暴れが繰り広げられるのか、見ものである。
* * * *
騎士の叙任式から騎馬試合という一週間にもおよぶ一大イベントが開催されているせいか、ヴェストーファの街は競技場周り以外も人出が多かった。
聞けば、この時期は騎馬試合目当てに滞在する旅行者も多いらしい。
朝ご飯を貴族の邸宅――メリノ家――で、ゆっくりたっぷり御馳走になった後、真澄はアークと一緒に競技場とは正反対にある商業地区に来ていた。
競技場側は露店が縁日さながらにひしめきあい人間もごった返していたが、こちらの地区は賑わいながらも歩きやすい。
広めに取られた石畳の道、両脇には白壁の美しい店構えが連なっている。天気が良い。陽気に誘われてか、雑貨店は木のワゴンに商品を並べ、軽食が取れるらしい飲食店はテラス席を設けている。
案内に付き合ってくれた若いメイドに希望を尋ねられ、真澄は取りも直さず普段着を所望した。
かしこまりました、とにっこり笑ってくれた彼女は、慣れた様子で先導してくれている。少しのそばかすが可愛らしい彼女は、道中の真澄とアークのたわいない会話を微笑みながら聞きつつも、余計な口はまったく差し挟んでこない。
そんな道中、さしあたって二人の話題は昨日の魔獣についてである。
「よくあんなに次から次へと湧いて出てくるわよね」
「そりゃお前、弱いから頭数いねえと他の魔獣に食うだけ食われて終わりだろ」
アークの言を鑑みるに、どうやら魔獣の世界にも食物連鎖はあるらしい。しかしあの獰猛さで弱いと言われても、真澄にしてみれば説得力は皆無だ。
「食われる側のくせに人間は襲うとかそれもどうなの」
「ウォルヴズに関してだけなら、人食いになることは滅多にない」
「あれだけの大群が例外、ねえ」
自然、真澄の目は胡乱になる。
「確かにマスミのような一般人には危険だが、俺たち軍人には遊び相手にもならん」
むしろ剣術魔術の練習台扱いだ、などとアークは事もなげに言う。
「ていうか遊び相手以下なら、あれはやりすぎだと思うけど」
「人の味を覚えると厄介なんだよ。さっさと駆除しねえと、知性が低いから何度でも襲ってくるようになる」
それはあれか。北海道のヒグマが人里を襲って味をしめるってのと同じ原理か。
「一匹でも残すと面倒だ」
「ふうん。じゃあ昨日のは全部片付けたっていう自信、あるんだ?」
「たかがウォルヴズごときにあれだけ大盤振る舞いすりゃあな」
至極当たり前の顔でアークが続けた。
予後を考えると正当防衛だったと胸を張っているが、無双した自覚があるあたり、それやっぱりオーバーキルだったんじゃないのかと真澄は喉まで出かかった。
口に出したところで詮無いので、まあ飲み下すとしておくが。
「そういえば、まだ疲れてる?」
真澄が右斜め上に視線を投げると、アークが「ん?」と小首を傾げた。
「魔力ってやつは、音楽を聴かないと回復しないんでしょ」
発覚した事実は衝撃だった。
しかし昨夜はアークたち騎士団の実情を僅かに窺い知っただけで、ほとんど何もできなかったというのが事実だ。夜は静かに更けていった。憤りを抱えて苦しむアークに、掛けられる言葉を何一つ真澄は持っていなかった。
身を寄せて、一人ではないと態度に示すばかりで。
やがて二人は眠りに落ちた。
アークは強く真澄を抱きしめて離さなかった。真澄も大人しくその胸に頬を預けた。互いの体温を伝え合うだけで、そこに言葉はなかった。
僅かにできたことといえば、『ヴルタヴァ』を弾いたくらいのものだ。
少しでも疲れが取れていれば良いが。真澄としてはそんな僅かな希望を抱きつつ、アークの体調が気にかかるのである。
「その話か。全回復はさすがにしてないが、別に問題ない」
「回復してないのに問題ないってのも良く分かんない話だわ」
「それは俺が『熾火』だからだ」
「もうちょっと詳しく」
他者にその力を分けて余りあるほどの者が叙任権を持つというのは既に聞いた。
絶えることなく膨大な熱を保ち続ける。故に彼らの魔力は『熾火』と称され、力を分け与えられる側は『種火』をもらうと言い習わす。
だが真澄が理解できているのはそこまでで、「熾火だから大丈夫」というだけではアークの状態が良く分からない。
「そもそも魔力量の桁が違う。だから多少減ったところで、常人より総量が多い状態は変わらない」
「どれくらい違うもんなの?」
そこではたとアークが考え込んだ。
「どうだろうな。連れてきている騎士全員合わせても、俺の半分に届くかどうか」
「全員って、三十人くらいいたわよね……」
それが束になってかかっても敵わないということか。
思わず真澄の頬は引きつった。規格外にしても程がある。まあそれだけ差があれば、あのど派手な攻撃もさもありなんと頷けるが。
ところが当の本人は涼しい顔をして「そんなもんだ」と流す。
「魔術士団の抱える大魔術士でさえ、『熾火』相手だと一人二人じゃ勝負にならん」
三人揃えてようやく楽しめ――じゃなかった、まともな交戦になる。
そんな物騒な台詞を吐くアークに真澄が「うへぁ」という顔になったところで、メイドが目的地に到着したことを教えてくれた。
買い物は順調に進んだ。
普段着とはいえ新しい服を一週間分も買ってもらった真澄は、ほくほく顔を隠しきれなかった。パンツスタイルは基本的には男性の服装と決まっているようで、取り揃えたのはいずれもスカートだがそこはそれ。
至れり尽くせりだったのは、買ったものを全て届けてくれるサービスがついていたことだ。
まあおそらくはメリノ家という大貴族の名前がそうさせたのだろうが、それでも大量の荷物を持って店をハシゴしなくて良くなったのだから、ありがたい話である。
次に向かっているのは化粧品の店だ。
案内のメイドがばら色の頬と透き通るような肌をしていたので、真澄の勘が働いた。少なくとも化粧水や乳液などの基礎化粧品は絶対にあるはず、と。そして尋ねてみたところ大当たりで、基礎どころか口紅やおしろいなどの普通の化粧品もあるという嬉しい回答だった。
程なくして化粧品を取り扱っているという店に到着した。
掲げられている看板が上品な赤で、金色の優美な縁取りが綺麗だ。大きな扉は観音開きに開かれていて、外から窺ってみると、中には様々な年齢層の女性が思い思いに商品を手に取ったり試し塗りをしていた。
真澄は後ろを振り返った。
目線で「どうする?」と尋ねると、アークは力いっぱい辟易した顔で、「外で待っている」と断りを入れてきた。
まあそうだろう。
納得しつつ、一軒目の服屋でも実は同じやりとりをしたばかりだ。真澄自身は比較的買い物に時間をかけないタイプではあるものの、苦行の域に達しているだろうなと申し訳なくなってくる。
必要最低限だけ揃えるに留めよう。
そんなことを考えつつ、真澄は出来る限り急いだ。やりとりをしっかりと見ていたらしいメイドの手引きが良かったお陰か、二軒目はかなりあっさりと終わらせることができた。
ところが、である。店の外に出ると、軒下にアークの姿はなかった。
あれ。
不思議に思って真澄が周囲に目を走らせると、店の斜め向かいが噴水のある広場になっていて、その脇に置かれているベンチにアークは腰を落ち着けていた。長くかかるだろうと踏んで、移動したのだろう。
足を適度に開き、少し前かがみに――膝の上に肘を置いて、長い指を組んでいる。
視線はぼんやりと足元に集う白い鳥たちに向けられている。昨日の戦闘中の鋭い表情と比べれば、随分と無防備だ。しかしその身に纏っているのは騎士服で、無駄に三割増しで見えている。
そんなアークは、明らかに周囲の注目を集めていた。
「どうしよう。ものっすごい近付きたくないんだけど」
「そ、そうは申しましても」
正直すぎる真澄のぶっちゃけに、若いメイドはおろおろと落ち着きを失くしている。彼女は広場のアークを見て、真澄を見て、「どうしましょう、でも、そうですよね」と呟く。真澄の心情は理解してくれているらしい。
おそらくアークは今、ヴェストーファで最高の知名度を誇る人間だろう。
叙任権を持つ第四騎士団の総司令官様だ。
当然のことながら毎年式典に出席しているし、騎馬試合も観戦している。その顔を知らない人間はいない。よって、遠巻きにひそひそきゃあきゃあ騒がれている。微妙に人だかりができかけているが、しかしお近づきになろうと直接話しかけるような猛者はいないらしい。
これをかき分けていくのはちょっと憚られる。
どうしたもんかと顎に手をかけ考えていると、アークが鳥に投げていた目線を上げた。そして店の軒下に立っている真澄たちに気付いたらしく、さっさと立ち上がる。
つつましくも黄色い悲鳴がそこかしこで漏れる。
当の本人はまったく意に介さず、それどころか愛想の一つも振らず、すぐに真澄の傍に戻ってきた。結果として、周囲の視線は真澄にも遠慮会釈なく突き刺さる。
自分が行こうが行くまいが変わらなかった。真澄の目は遠くなった。悩んだ時間を返してもらいたい。
「早かったな」
「あんまり待たせるのもね」
雑踏に紛れるべく、そそくさと歩き出す。人だかりからは「あれってもしかして」「楽士様?」「本物よ、私叙任式で見たもの」などという声が飛んできている。
真澄としては高揚した集団に居た堪れなくなる。
かといって、楽士とは名ばかりの実はスパイ容疑者なんです、とは口が裂けても言えない。綺麗な夢や憧れを叩き割るようなそんな真似、とてもじゃないができない。むしろ言ったところで残念な自分の境遇が浮き彫りになるだけだ。
気付かれていることに気付いていないフリをするため、真澄はアークに話しかけた。
「司令官って人気あるのね。みんなこんなもん?」
「さあな。俺は男からの支持が多いが、……他は違うだろうな」
「男?」
引っ掛かりを覚え、真澄は不自然にならない程度に周囲に視線を走らせる。
高い声が耳で拾いやすいせいか、女性ばかりかと思っていた。しかしよくよく見れば、確かに人だかりの半分以上は若い少年、青年だ。
カスミレアズはむしろほぼ女性ばかりに囲まれていたような気がする。
両者の差は一体どこからくるのだろうか。
ふと真澄が疑問を抱くと同時、広場の向こうで悲鳴が上がった。今度は黄色ではない。絹を割くような、本物の恐怖に怯えていた。
アークの目が鋭くなる。
それと同時、真澄の頬は引きつった。昨日の今日で、今度は一体何だというのだろう。そして巻き込まれる予感しかしないのは、なぜ。




