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ドロップアウトからの再就職先は、異世界の最強騎士団でした~訳ありヴァイオリニスト、魔力回復役になる~  作者: 東 吉乃
第一章 始まりは騎士の不遇

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21.他人であることの作法

「捨て駒って、少なくとも私の中では良い意味じゃなくて」

 真澄は真剣に考えてから、声を発した。

 これだけ互いの違いは顕著だ。

 話の流れ、文脈からしてもマイナス方向の言葉としか思えないが、念のため確かめることにした。前提の認識がずれていると、散々話が噛み合わないのは既に学習している。

 捨て駒。

 恣意を交えなければそれは、後の利益を見越して払う現時点での犠牲のことだ。

 大局的な視点に立てば合理的な考え方である。いわゆる肉を切らせて骨を断つに類する考えであるが、しかし自分から進んでそうするのと誰かから強要されるのでは話が全然違う。

「あなたの今の言い方も、あんまり嬉しそうには聞こえなかったんだけど」

 少なくとも自ら進んで踏み台になろうとするならば、もう少し誇りを持った言い方になるはず。

 それらを踏まえて出す結論は。

「つまり残念な話っていう認識で合ってる?」

「言葉が軽い。人が真剣に悩んでるってのに」

 アークが嫌そうに顔をしかめる。

 しかし否定はされなかったので、残念なものは残念らしい。真澄の推理は当たりだった。

「いやでもだって事実なんでしょ? 真剣に悩むくらい残念なんでしょ?」

「そうだがお前、その物言い、もう少し遠慮があってもいいんじゃねえか」

「遠慮しておたくの境遇が変わるっていうならいくらでも遠慮しますけども。方向性は理解したので、どうぞ続けて。残念かどうかの議論がしたくて、この話題を引っ張り出したわけじゃないんだろうし」

 とりあえず聴きますよ。

 努めて普通の会話を心掛け、真澄はアークを促した。なにかしら切っ掛けがあって、彼はこの話を始めたのだろう。そして困っているという彼は、どこかしらに着地点を考えているはずだ。

 それが真澄に対する相談なのか、依頼なのか、はたまた別の何かなのかは分からない。

 だからまずは何に思い悩んで困っているのかを聴こうと思う。話はそれからだ。

「抜けてるくせにこういう時だけ正論吐きやがって」

 アークが憮然とした表情になる。

 受けて立っても良かったが、そうするといつまでたっても本題に入れない。というわけで、真澄は肩を竦めて受け流した。空気を察したアークもまた舌鋒を収め、二人はようやくスタート地点に立った。



 そもそもアルバリーク帝国には二種類の軍人がいるのだという。

 騎士と魔術士だ。

 彼らはそれぞれに所属する部隊がある。どう違うのかが真澄にはさっぱり分からない。そこで両者の区別は何かと尋ねてみたところ、魔術士団が矛で、騎士団が盾であるとの回答が返ってきた。

 当たり前のように言われても、やはり真澄にはとんと見当がつかない。

「騎士が盾って、じゃあどうして剣を持ってるのよ」

 思わず口が尖る。

 今日、まさに彼ら騎士団の戦いを目の当たりにしたばかりだ。ばったばったと魔獣を切り倒していたのは夢だったとでもいうのか。

「お前の指摘は正しい」

「えっそうなの?」

「極論、というかある意味で、だがな」

「はあそうですか。良く分かんないけど」

「俺たちの存在意義は、魔術士団を守ることにある」

「それが盾になるって意味?」

「そうだ。敵国の魔術士からの攻撃を防ぐこと、自国の魔術士が損害を受けないようにすることが第一義だ」

 アルバリーク帝国は、つまり攻守を分業している。

 アークの言わんとする部分はそこらしい。

 分業が成立するのは力の差が顕著であるからだ。例えばの話、長剣で二、三頭の魔獣を仕留める間に、精度の高い魔術は群れ一つを葬り去る。それもまた真澄自身が同じく目に焼き付けた事実だ。

 人間の戦争に置き換えても効果は同じこと。

 だが魔術士団には致命的な弱点がある。いかな高度な魔術といえど、無尽蔵に放てるわけではない。必然、限られた魔力の割り振りはその特性である攻撃に多く割かれる。守りの手は薄くならざるを得ない、というかそんなもの端からない。

 まさにノーガードでの撃ち込み。

 男らしいことこの上ないが、軍事力に直結する部隊の話であるから笑えない。

「だから騎士団は本来、攻撃魔術より守備魔術に特化した部隊だ。最前線に展開して防衛線を張り、撤退の際は必ずしんがりを務める」

「まるで自分から手は出しませんみたいなこと言ってるけどさ。その割にはすごい火とか出してたし、剣も当たり前に使ってたような気がしますがその点についてはどうなんでしょう」

「そこが残念たる所以だ」

 いよいよ話が佳境に入ってきた。理由の何もかもは、限られた補給線――すなわち、楽士の少なさに端を発するのだという。

「魔力回復には楽士の奏でる音楽が必須だが、楽士そのものが大飯食らいの魔術士団にごっそり持っていかれる。だから、」

「は? ちょっと待って、音楽で回復? って、どういう意味? ごめん全然分かんない」

 最後まで大人しく説明を聞く、という芸当は真澄にはハードルが高すぎた。思わず折ってしまった話の腰に若干申し訳ないと思いつつも、一度抱いた疑問はあっという間に膨れ上がる。 

 リラックスするというなら分かるが、回復するとはこれいかに。

 そもそも魔力の何たるかさえも理解しているとは言い難いが、それにしても音楽が人体へ明確な影響を及ぼすとは、どういう状況なのだろう。

 盛大に疑問符を浮かべる真澄に、アークが説明を試みる。

「寝たら体力が戻るのと同じだ。音を聴けば魔力がみなぎる」

 ところが残念なことに、説明は説明になっていなかった。

「そ、ええー……? そうなの? なんで?」

「知らん。そういうもんだ」

「えー」

「じゃあお前、なぜ睡眠が体力回復に必須なのか説明できるか」

「寝ないと体調崩すから、寝ないわけにはいかないでしょ」

「答えになってないぞ。なぜ調子が悪くなるんだ」

「なんでって……そ、そういうものだから?」

「俺の答えと一緒だろう。どういう理由かは知らん、だがそういう風にできている」

「はあ、なるほど」

 言いくるめられた感は強いが、それでも納得のできる説明ではあった。

 なぜそういう仕様なのか。その問いは、目の前に創造主がいて初めて意味のあるものになる。結局、造りの働きと効果は解明できても、理由までは誰にも分かり得ない。

 眠らなければ身体に不都合が起こる。結果として人間は、生きているうちの三分の一という膨大な時間を睡眠に費やしている。

 だがなぜ不都合が起こるような造りになっているのかは、分からないのだ。

 サイボーグのように眠らなくても良い頑強な肉体にしてくれれば良かったのだろうが、材料がなかったのか面倒臭かったのかそれとも何か別のこだわりがあるのか、いずれにせよ人間の身体はなにがしかの理由でこのように繊細かつ脆い。

 そして人間として生まれた以上は、その肉体の制約に従わざるを得ない。

 好むと好まざるとに関わらず。

「使ったら補充する。ここまではいいか」

「うーん……色々気になることはあるけど、とりあえず先を聞くわ」

 未知の世界ではあるが、全ての疑問をぶつけていたらきりがない。夜も明けてしまうだろう。

 真澄は手で話の先を促した。

「魔術士団が大飯食らい、だったっけ」

「そう。矛である攻撃魔術は魔力を大量に消費する。つまり回復役の楽士も大量に抱える必要がある。結果として騎士団にはほとんど楽士が回ってこない」

「魔術士団が強かったら別にいいんじゃないの? やられる前にやるってやつ。なにが不都合なの?」

 矛盾、という言葉が表すとおりだ。

 最強の矛と最強の盾は同時に並び得ない。仮に盾であるところの騎士団が力の全てを発揮できなくとも、矛の魔術士団が最強であれば、結局のところ敵はいないと同義だ。

 首を傾げた真澄を、アークは真っ直ぐ見つめてきた。

 やがて、

「……お前も同じことを言うんだな」

 誰と一緒なのか、その名は明かされなかった。だが伏せられた黒曜石の瞳は、真澄を諦め、距離を取ったように見えた。きっと届かない、そんな諦観が滲んでいる。

 真澄はすぐに二の句を継げなかった。

 察するに、多くの辛酸をなめてきたらしい。静かに見切りをつけられるようになるまで、幾つの激昂を重ねてきたことか。真澄は知っている。ままならないことが多い世の中と理解していても、理不尽さを感じれば人は怒る。だがそれは心の奥底に幾許かの期待が残っているからこそであって、きっと何を以ってしても変わらないと気付いた瞬間、怒ることそのものに体力を使うのが馬鹿馬鹿しくなる。

 何を叫んでも届かないのだと目を逸らす。

 ただ、その見切りをつけている対象が相手なのか、それとも実のところ自分自身なのかは分からない。両者の境界は曖昧すぎる。


 その感覚に、懐かしささえこみ上げる。


 思わず真澄は苦笑を浮かべた。

 目の当たりにしている鋭利さには覚えがある。かつて集団の中で孤立した自分が目蓋に蘇る。苦さがあまりにも鮮やかで、真澄はアークに対して無言を貫いた。

「何も言わないのか。『違う』とか『それの何が悪い』とか」

「そのどちらかを言えるほど、私はあなたのことを知らないもの」

 アークが目を瞬いた。

「良く知りもしない相手を掴まえて良い悪いの説教をするの? そこまで私はできた人間じゃない。そういうコミュニケーションがもう少し上手かったら私は違う生き方を選べただろうし、そうであればクリスマスイヴにやけくそになって階段を降りることもなかったし、そうであれば多分あなたと出逢ってもいなかったと思う」

 平坦な感情のまま、真澄はアークを真っ直ぐに見つめた。

 別に彼自身を責めようとしたわけではないし、講釈を垂れようと思ったわけでもない。知らないから聞いただけだ。敵対しようなど微塵も考えていない。

 それほど強い想いを抱くほど、まだ自分たちは近くない。

「でも、ごめんね。知らなさすぎて無神経だったかもしれない」

 誰が何に傷付くのかなど、本人以外に分かり得ない。もしも土足で踏み込んだのだとしたら、その非礼は詫びて然るべきである。

 伝わるだろうか。

 少しずつでいい、時間をかけたい。性急に距離を詰めようとしても、つまづくばかりだ。

「私の聞き方がまずかったのなら謝るわ」

「いや、……俺が悪かった」

 気まずそうにアークが目を逸らした。


 一晩を共にした相手。けれど互いのことを何も知らない二人。

 アークがこの関係をどう捉えているのか、真澄には量りかねた。


*     *     *     *


 そのまましばらくを待ってみたが、アークは黙り込んだままだった。

 怒ったような傷付いたような顔のままで、深く考え込んでいる。口は真一文字に引き結ばれて、横顔は、或いは何かを後悔しているようにも見受けられた。

 沈黙は苦ではないものの、隙間を埋める為に真澄はヴァイオリンに手を伸ばした。

 昔ものの本で読んだ。無音の空間よりも雑音の混じる場所の方が、人は声を出すことに抵抗がなくなるらしい。何もせず待ち続けても良いが、このままではアークの言わんとする内容が聞けずじまいになるかもしれない。どことなくそれは惜しい気がした。

 アークの目線が動きを追う。

 もう一度、『ヴルタヴァ』の主題をゆっくりと奏でる。ただし弓は持たない。指で弦をはじくピッツィカートという奏法だ。

 夜は更けてきた。

 雨だれを連想させるこの小さな音たちは、無言の空間に優しく散らばっていく。弓を使った演奏のように豊かに歌い上げるには不向きだが、語りかけるには丁度良い。

 信じられないものを見るような目で、アークが息を呑んだ。

「それは、弾いている……のか?」

 困惑の視線がまとわりつく。

 真澄は小さく頬を緩めた。良かった、口を開いてくれた。

「音が鳴れば演奏よ」

 我ながら適当なことを言っている自覚はある。しかし真澄はその格好を改めはしなかった。

 ヴァイオリンは構えてさえいない。ギターのように横抱きにしている。そして右手で弦をはじき、本来守るべきリズムも気にしない。のんびりと大らかに、思いついたタイミングで旋律を鳴らしていくだけだ。

 たまに遊びで、左手でもピッツィカートをやってみる。

 本来は超絶技巧の一つに数えられる左手ピッツィカート、真面目にやればかなり難しい。これが指定される曲は軒並み難曲とされている。当たり前といえば当たり前で、そもそも弦を押さえる為の左手にもかかわらず、その指で同時に弦を弾くという正反対の動きをする技法なので、それなりの力と器用さと気合が要る。一朝一夕に身に付くものではなく、ヴァイオリンをやっていてもこの奏法に縁がない人間も当然いる。

 その左手ピッツィカートがどうやらアークの目を惑わせているらしい。

 右手の動きに対して音の数が合わない。つぶさに見れば、どうやら左手でも鳴らしているらしいが、一体どういうことか。そんな素直な驚きが伝わってくる。

「器用だな」

「こう見えても三歳からやってるからねー」

「お前、年は」

「ん? 二十八」

「カスミレアズと同じか」

「そういうあなたは幾つなの」

「一つ上だ」

「へえ」

「興味薄いな」

「そんなことはないけど」

 さらりと流してみるも、実は図星である。意識の八割は指先にあるからだ。

「長じるまで弾き続けてきたのか」

「んー、まあ、それなりに」

「毎日?」

「ほぼ。風邪くらいなら弾いたけど、インフルエンザの時はさすがに無理だったし」

「体調を崩しても弾いていた、と」

「うん」

「楽士でもないのにそこまでするのか」

「好きだったからね」

 できることが増えていくのが楽しくて、曲が弾けるようになる度に嬉しかった。時間は幾らあっても足りなくて、ずっと弾いていられたらいいのにと真剣に考えたものだ。

 全てとはいわない。

 だが生活のほとんどをヴァイオリンが占めていた。自分の人生の事実だ。周囲から賞賛された時も疎まれた時も、雨の日も風の日も、ヴァイオリンは傍にあった。

「宮廷楽士でも同じことができる奴はそういない。見たことがない」

「別にできなくても、普通の曲弾く分には問題ないからいいんじゃない?」

「ただの怠慢だと思うがな」

「できるけどやらないだけかもよ。その人たちに会ったことないからなんとも言えないけど」

「お前は公平なものの見方をする」

「どうかしら。派閥は面倒だと思ってはいるけどね」

「別にそれでも構わん。しがらみのないお前の目には、どう見える」

「え、なにが」

 爪弾きながら真澄は顔を上げた。

 それまでの雑談から一転、話の風向きが変わった。真澄は奏でていた音を止めた。見ればアークの顔からは先ほど覗いていた諦観は消え去っていた。

 代わりに、強い意志を宿した瞳がそこにある。

 襟を正すような姿勢を受けて、真澄もまた背筋を伸ばした。聴こう。言葉の向こうに、相手を理解する手がかりがある。



「先手必勝を信条とする最強の魔術士団。強さの源泉は豊富な魔力補給線と、攻撃に専念する為に彼らの盾となる騎士団を擁していること」

 アルバリーク帝国の魔術士団はその規模、質ともに大陸随一の陣容を誇る。この点については確かに疑うべくもない事実なのだとアークは言った。

「それと引き換えに、この国の騎士団は機能不全に陥っている。もはや盾とは呼べないほどに」

 声は苦悩に満ちていた。

 あまりにも辛さが滲んでいて、真澄は何をどうとも言えなかった。機能不全とはどういう状態なのか、盾と呼べないその理由は。単純な返しさえ憚られるほど、アークの雰囲気は硬く沈んでいる。

 それでもアークは今度こそ口を噤むことはなかった。


「楽士がいなければ魔力の盾は使い切りだ。そこから先、盾の役目を全うできるか、ひいては生還を果たせるかどうかは、本当の意味で自分頼みになる。だから騎士団は補給線の無さを補おうと剣の練度を高め、盾の扱いに長け、どうにか本来の防衛線という役割をこなす。

 誇りある殉職はいつ訪れようとも、覚悟はできている。魔術士団だけじゃない、誰かを守れるのなら喜んでこの身を差し出そう。その為に立てた宣誓だ。

 だが俺達だって人間で、無駄死にしたいわけじゃない。

 結果、やればできるとばかりに次の任務が決まる。必死に生き残る。練度は上がる。魔力以外の。そうして今の騎士団は精鋭揃いになった。

 だがそれは本来の騎士団のあるべき姿ではない。

 考えてもみろ。

 補給線がないということはつまり、毀損されても構わないという意思表示をされているんだ。

 不可能な奇跡じゃない、魔力さえあれば盾も治癒も使える。そういうことわりの世界であるのにそれを許されないなぞ、これを捨て駒と呼ばずしてなんと言う。許し難い扱いだ。到底許容できない。

 捨て駒になれたのならまだいい。

 仮に騎士団が全滅しながらも魔術士団を守ったとしよう。その後、どうなると思う。簡単な話だ、騎士団が潰えるような強大な相手ならば、盾なしの魔術士団も早晩敗れるだろうさ。

 アルバリークの勝利が約束されないのならそれは捨て駒でさえない。ただの消耗だ。

 今はまだこの大陸でアルバリークが最も国力を持ち、最大の軍事力を持っているからいい。だがいつか、盾である騎士団がその練度でさばききれない相手、高位の魔術士団や魔獣の集団が襲ってきたらどうする。いざという時に頼るべき魔力が減る一方では、盾どころか勝負にもならん。

 アルバリークの魔術士団は強い。だがその強さが過信を生む。

 慢心の上にある思考停止は戦略とは程遠い。

 今が上手くいっているからこのままで良いと言う奴は、国の未来に責任を負っていない。

 いつか来る脅威に備えるのが俺たち騎士団であり、軍人の存在意義だ。そういう意味で、そのいつかが明日なのか十年後なのかは、存在意義の論点にさえなり得ない」


 その饒舌さが、憤りの深さを浮き彫りにしていた。

 何の為に自分たちはここにいるのか。この手に抱く力は誰が為に。

 人の為に生きると決めた清廉かつ勇猛な心は、現実のままならなさを嘆いている。憂えて憂えて、国の未来を想いながら歯噛みする。

 無念さはいかばかりだろうか。

 守りたいからそこに立っているのに、守れないとなれば。

「そこまで分かってるのに、どうしてそのままなの」

「言ったさ、何度も。だが誰も聞く耳なぞ持たなかった。だから俺は騎士団に入った」

「変えようと思って?」

「少し違う。変えられないのなら、生き残るための力を分けてやろうと思った」

「それが騎士の叙任?」

「そうだ。俺は『熾火』で、俺の力は強い。魔術士団長と遜色ない程度に。俺が叙任権を持てば、叙任を受けた騎士は強い魔力の『種火』を持てる。そこから先は本人の努力次第だが、少なくとも一撃で昇天させられるような弱さではなくなる」

「訊いてもいい?」

「ああ」

「どうして自分が、とは思わなかった?」

 諫言が見向きもされない状況で、それでも尚諦めないのは何故だろう。

 もう知ったことかと全てを放っておく選択肢もあったはずだ。徴兵制ではなく志願制を引いているらしいこの国では、我関せずを決め込むことさえ不可能ではなかった。

 敢えて厳しい道を往くのは何故だ。

 真澄の問いに、アークは暫時押し黙った。

「帰りたい場所を、……」

 言いよどむ。

 長い指を組んで、そこに視線を落とす。理由に困っている風ではない。むしろ逆で、溢れだす想いのどれを選び取れば良いかを迷っているように見えた。

 きっと生半なまなかの決意ではなかっただろう。

 叙任の宣誓が生涯守られるとするならばそれは、誰より清廉潔白な生き様だ。

「この生を受けたこの国を、愛しているから」

 万感込められた一言は、ただ祖国を想うものだった。


 真澄はヴァイオリンを置いて立ち上がり、アークの傍に寄った。怪訝さを隠さず見上げてくる顔、その頬をそっと指で拭う。黒曜石の瞳から零れたしずくは温かかった。

 瞬きの合間に再び零れる。

 大丈夫、聞き届けたから。そう伝えたくて、しかし適切な言葉を見つけられずに、真澄はアークの頭を胸に抱き込んだ。



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