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ドロップアウトからの再就職先は、異世界の最強騎士団でした~訳ありヴァイオリニスト、魔力回復役になる~  作者: 東 吉乃
第一章 始まりは騎士の不遇

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20.騎士というもの・4


 その川の名は、ヴルタヴァという。


 二つの源流がとめどなく湧いている。冷たく澄んだ一つと、暖かく生を育む一つ。やがてそれらは膨れ上がり合流し、その国を南北に蛇行しながら進む。

 川のほとりには様々な光景が広がっている。

 流れ出した源流は森に入る。梢から差し込む光、深く静謐な空気、野生動物の気配が漂う。命の恵みを与える川は、次に勇ましい狩猟の角笛を聴く。狩りの始まりに森は騒然となる。


 森を抜けるとなだらかな牧草地がどこまでも続く。

 人の暮らしが見え始める。進むにつれ、穏やかにせせらぐ川に明るい音楽が届く。混ざるのは陽気な歌声、華やかな嬌声だ。いつもの働く手を今日ばかりは休め、彼ら農夫は昼の日中から新しい夫婦の門出を祝っている。

 笑顔があふれ、幸せが花開く。宴は真夜中まで続くだろう。


 そして闇の帳がおりる。

 一つまた一つと人里の灯りは消えていき、水面に見事な月が浮かんだ。豊かな白い光は夜空を藍に照らし、星はその姿を隠す。

 生きとし生けるものが眠る夜にも川は走り続ける。

 孤独かというとそうではない。友がいる。水の妖精たちだ。

 月光の下、生まれては可憐に舞い、川の行く末を祈り、見送るように消えていく。川は瞬きの間も流れを止めることなく、一途に寡黙に全てを通り過ぎていく。

 夜の静寂しじまは何千年という悠久の時をかけ、それを見守ってきた。


 ヴルタヴァは下る。 

 祖国への愛が、偉大なる自然への情景と共に繰り返し繰り返し謳われる。


 偉大な川は穏やかな表情だけを見せるのではない。

 幾筋もの流れが絡まり合い、渦を巻き、岩にぶつかり白い飛沫を上げ、その流れは聖ヨハネの急流と名付けられた。

 荒ぶる川を見下ろすものがある。

 廃墟だ。岩に潰されて尚、その城は気高くそびえ立っている。かつて栄華を誇った宮殿も、時の果てに朽ちるのを待ちながら川の傍に侍り続ける。


 急流を過ぎれば川は幅広くなり存在感を増す。海のない内陸、百万の生活を支える物流を担うに相応しい風格が漂い始める。

 その到来を心待ちにする首都に川は迎えられる。

 大きく湾曲しながら、過去から続く人の生活をなぞるのだ。かつて王族が暮らした城跡、千年以上の歴史を誇る壮麗な城、祈りの大聖堂、古い橋には欄干に彫刻が並ぶ。

 全てを見届けた後、やがて泰然とした流れは去ってゆく。次の流れと一つになるために。




 その川に抱かれる国はチェコ、ボヘミアと呼ばれる地方が世界的に名高い。

 鮮やかな四季に彩られ、夏は強い日差しが降り注ぎ冬は厳しい寒さに耐える、中欧の美しい国だ。


 『わが祖国』と名付けられた作品は、六つの交響詩からなる連作交響詩である。全てを演奏すると一時間以上にもなる大作だが、中でも二曲目の『ヴルタヴァ』が非常に有名であり、単独で演奏されることが最も多い。

 作曲者はベドルジハ=スメタナ。

 チェコの生まれで、曲名の『ヴルタヴァ』はチェコ語の河川名である。ドイツ語では同じ曲を『モルダウ』と呼び、世代によってはこちらの名前の方が知られている。

 特筆すべきは、六曲のほとんどはスメタナの聴覚が失われた状態で作曲された点だ。

 そのように不利な背景を持ちながらも、トーン・ペインティングを用いて表現された大河の情景は時を経ても尚鮮やかで、人々の心に鮮烈な印象と郷愁の念を抱かせる。




 功績を認めてくれるのならば、美しく、長い曲を。

 戦いが終わった日の夜にアークからそう所望され、真澄が選んだのがこの『我が祖国』から『ヴルタヴァ』だったのだ。


*     *     *     *


 時間を少しだけ巻き戻す。


 魔獣の掃討が終わってからも、アーク率いる第四騎士団は駐屯地には戻らなかった。

 警備そのものはヴェストーファ駐屯地の騎士団に引き継いだが、不安定な大気の状態を嗅ぎ取った別の魔獣が来襲することを警戒し、街に残ることになったのだ。

 ちなみに競技場の方は、駐屯地騎士団の誘導で既に解散しているらしい。


 真澄たちがいるここはヴェストーファの中でも有数の大貴族の邸宅である。


 その貴族は、泥や埃、それに血で汚れに汚れた騎士団三十名を嫌な顔一つせず迎え入れてくれた。なんと出来た人間だろう。ノブレス・オブリージュを地で行く対応に、真澄は感嘆するばかりだった。

 邸宅と呼ぶに相応しく、三十人が入っても尚余りある大広間に一行は通された。

 寝る部屋は別に準備を進めているが、まずは鎧などの装備を外し、傷の手当てをするためにそこが選ばれたのだという。普段の用途は豪奢なシャンデリアや優美な壁の彫刻からも分かるとおり、夜会を催すための部屋である。

 アークは特に気にしていない風だったが、カスミレアズの腰が思いっきり引けていた。

 それぐらい、壮麗な部屋だったのだ。

 部屋を間違えていないか、本当に大丈夫か。近衛騎士長は同じ台詞で三回貴族に確認し、三回とも問題ないとの回答を得て、初めてその部屋に足を踏み入れるという慎重さを見せた。見た目は貴族然としているのに、中身は違うらしい。

 大広間には騎士団の到着より先に医師が数人待機しており、到着するなり手際よく傷の手当てが開始された。

 目を覆うような重傷者はいない。

 まともな戦力と評された上位騎士たちは無傷だったので、早々に風呂へと案内されたくらいだ。

 外された装備は、若いメイドたちが入れ替わり立ち代わり別室に運び出す。騎士たちが休む間に汚れを落とし、手入れをしてくれるらしい。

 長剣に大盾、鎧に兜。装備の種類は様々ながら、いずれも重量物である。

 彼女たちにとっては重労働だろう。

 しかし雇い主の人間ができているせいか、彼女たちは汚れることも厭わず天使のような笑顔で動き回っている。装備を預かる際には必ず持ち主に声を掛け、労いの言葉とともに軽い世間話もしてくれるという完璧さだ。

 至れり尽くせりの対応に、若い騎士は涙ぐんで鼻水をすする始末である。


 ごった返す大広間で邪魔にならないよう、真澄は端っこでその光景を眺めていた。


 アークとカスミレアズは当主と何事かを話している。

 年かさのメイドが手持ち無沙汰になっていた真澄に気付いてくれ、差し支えなければ入浴を、と勧めてくれた。この場でさしたる手伝いもできていなかったのでその申し出を有難く受けることにし、真澄は大邸宅の風呂場を堪能させてもらうこととなった。

 風呂は予想に違わず格調高かった。

 水滴の跡を残すのが躊躇われるほど磨き上げられた蛇口に、透き通るような白い床石。客人用の部屋に設えられているあくまでも小さな個人用だと言うが、ちょっとした旅館の家族風呂並みに広い。

 感激したのは、石鹸類が充実していたことだ。

 身体を洗う石鹸は言わずもがな、シャンプーとコンディショナーに加えてオイルが用意されている。

 良く落ちるとはいえ一種類しか石鹸が置かれていなかった駐屯地と比べると、比べてはいけないのだろうが、雲泥の差である。

 お陰で実に優雅な入浴時間と相成った。

 浴室を出てからは、更なる感動が真澄を待っていた。

 着替えが準備されている。それも下着を含め、ちゃんとした女性ものだ。至れり尽くせりで涙が出てくる。これでは先ほどの若い騎士と同じだが、感動してしまったのだから致し方ない。

 置かれていたのは純粋な寝間着ではなく、少しゆったりめの長袖ワンピースだった。

 腕の部分は薄い生地で肌が透けるようになっていて、夏という季節に配慮されている。色もカサブランカを彷彿とさせる清楚な白で、上品だ。

 袖を通しながら真澄ははたと考える。

 当面の懸念事項――ここはどこなのかとか、日本に帰れるのかとか、スパイ容疑は晴れるのかとか――は、おいおいどうにかするとして、可及的速やかにどうにかせねばならないことがある。

 それが、着替え。

 自分と楽譜とヴァイオリン、三点セットのみで迷子になった自分は、生活に必要な全てを持ち合わせていない。

「……明日、買い出しに連れてってもらわなきゃ」

 スパイ容疑がかかっている身の上であるが、だからといって着たきり雀はいかがなものかと思う。もしも渋られたら、その時は伝家の宝刀「容疑者にも人権が」で寝転がりネゴをする所存だ。

 費用についてはツケもしくは給与天引きにしてもらおう。

 現金を持ち合わせていない都合上、それ以外に選択肢はないとも言うが、そこはそれ。


 風呂から出た真澄を待っていたのは、先ほどと同じ年配のメイドだった。

 その後は幾つかの部屋に分かれて夕食を頂き、騎士たちは三人一組で部屋を割り当てられ、休息をとることになった。


*     *     *     *


 さすがに真澄が騎士と同じ部屋に押し込められるということはなかった。

 が、ほっとしたのも束の間、食事の後に案内された部屋には先客がいた。


 ちょっと待ってどういう部屋割り。


 そんな抗議の声を上げる間もなく扉は早々に閉じられ、真澄は先客――アークと二人、部屋に取り残された。躾が行き届きすぎているメイドも時と場合によっては良し悪しだ。

「遅かったな」

「カスミちゃんがなんか色々とお屋敷の人に訊かれてたらしくて。明日の予定とか。それで私たちの部屋だけ食べ始めるのが遅くなっちゃって……じゃなくて。なんでそんなに当たり前の顔してるの」

「俺に宛がわれた部屋だぞ、寛いで駄目な理由があるか」

「そこじゃない。私がここに連れてこられたことに疑問を持ってなさそうなその顔が、私にとっては激しく疑問なのよ」

 言いながらも部屋の中のとある一点に目が釘付けになる。

 右手の中央に、天蓋付きの大きなベッドが置かれている。他にエキストラベッドなどどこをどう見ても存在していない。確かにあのサイズのベッドであれば大人三人でも余裕で寝られるだろうが、そういう問題ではないのである。


 このままだと昨晩の続きになること必至。

 二日連続で足腰立たなくなるとかご免こうむりたい。


 しかしそんな真澄の切実な願いは、次の瞬間粉々に打ち砕かれることとなる。

「名目上は俺の専属楽士だ、別の部屋を取る方が不自然だぞ。不特定多数を相手にしたいってんなら引き留めはしないが」

「だからどんだけ理性の切れた野獣……」

「戦闘の後でただでさえ気が立ってるから、おそらく手加減は一切されないと思っていた方がいい」

 明日は一日使いものにならんだろうな。

 下種の極みとも言えるあけすけな予想に、真澄は白旗を上げるしかなかった。



「そんなとこに突っ立ってないで、こっちに来て座ったらどうだ」

 ベッドの反対側には布張りの長椅子が三脚置かれていて、その内の一つにアークは身体を横たえている。

 確かにこうしていても足が疲れるばかりだ。

 寛いでいる様子から察するに、いきなり圧し掛かられる危険性は低そうである。観念して一つため息を吐き、真澄はL字になる位置の長椅子に腰を下ろした。

「これ、運んでくれたの?」

 華奢な足のテーブルの上にはヴァイオリンケースが置かれていた。

 思わず安堵して、ケースに触れる。慌ただしく競技場を飛び出してしまったので、ほったらかしにしたことが気がかりだった。

「駐屯地司令が直々に持ってきた」

「わざわざ? 嘘でしょ、偉い人なのに」

「俺よりは下だ、気にするほどじゃない」

「その判断基準もどうかと思うけどね」

 呆れて真澄の眉は八の字になった。

 斜めに総司令官を見ると、まるで堪えた様子もなく泰然と長椅子に背を預けている。座れば四人は掛けられそうな大きさだが、それでも収まりきらない長い足はくるぶしから下が宙にはみ出ている。

 偉そうな態度選手権を開催したら、優勝候補に躍り出そうだ。

 口に出せばヘッドロックを食らいそうな失礼すぎる思考を抱えつつ、真澄は反応を待つ。どうせまた噛み合わず、「ああ言えばこう言う」を繰り返すのだろう。

 ところがアークは何も返してこなかった。


 は、と小さく笑う。

 黒曜石の瞳は真っ直ぐに真澄を捉えていて、だがいつもの強さは鳴りを潜めていた。


「……どうしたの」

「あ?」

「どこか怪我した? それとも疲れてるだけ?」

「急にどうした」

「元気ないっていうか、ものすごくだるそうに見えるから」

 アークの瞳は熱に浮かされたようにぼんやりしている。眠そうというよりは、しんどそうだ。

 無防備すぎる幼い表情に、真澄の心臓が跳ねる。

「大丈夫? 大変だったんでしょう、もう寝た方が良いかも」

「そうか……そういえばお前、何も知らないんだったな」

 俺たちのことも、お前自身のことも。

 呟きながら、何かを深く考えるようにアークが目を閉じる。その沈黙に言葉を差し挟むのは許されないような気がして、真澄もまた黙り込んだ。

 どれくらい時間が経っただろう。

 刻一刻と夜が深まっていく。静寂の中、真澄は傷付いた獣のような男から目を離せなかった。

「弾いてくれ」

 ぽつりと吐き出された言葉は、ささやかな願いだった。

「俺の。いや、俺たち騎士の功績を。もしもお前が認めてくれるというのならば、美しく、長い曲を」

 そこには脅しも強制もなかった。

 ただひたすらに丁寧な懇願は、真澄の手を素直にヴァイオリンへと向かわせた。


 そんなに白く願うのなら、と。


 どんな曲を選んだとしても、彼は耳を澄まし美しいと言うのだろう。

 何を弾こう。

 疲れ果てた身体に沁み入る旋律は、その景色が目蓋に浮かぶような、音そのものが語り掛ける言葉を持つような、そういう旋律が良い。

 立ち上がり、瞳を閉じて、正確なAの音を探す。

「認める? あの場所で役立たずだったのは私の方でしょう」

 降ろした目蓋に初めて見た戦場が蘇る。

 祖国の為に危険を顧みずその身を投げ出す騎士たちがいる一方で、苦しいほど何もできなかった自分がいた。素直に「認めてくれ」と乞われて、役立たずだった自分が彼らの何を否定できるだろう。

 勇猛果敢なその心に、素直に寄り添いたいと思う。

「これはね、祖国を想う曲なの」

 情景、その川の名は『ヴルタヴァ』。

 真澄の弓は滑らかに弦を震わせ、紡がれる音は夜の深淵に沁み込んでいった。



「これで楽士じゃない? 俄かに信じ難いな」

 長い息を吐いて、アークがゆっくりと目を開けた。

 連作とはいえ『ヴルタヴァ』一曲で十分以上となる曲だ。疲れていた様子でもあり、おそらく眠ってしまうだろうと真澄は思っていたが、むしろアークの瞳は輝きを取り戻していた。

 どうやら気分転換になってくれたらしい。

 安堵と共に、真澄の頬が緩んだ。

「他にも何か弾きましょうか。バッハ、好きだったわよね」

「疲れていないのか」

「まさか。たかが一曲よ、習い始めたばかりの幼児じゃあるまいし」

 ぷ、と思わず笑う。

 幾つもの場面を織り交ぜながら進んでいく長い曲に、アークの時間感覚が少しばかりずれてしまったらしい。ところがアークは「それもそうだな」とは言わなかった。

 至極真面目な顔で長椅子から身体を起こす。

 立ったままの真澄に指で「座れ」と促してから、彼は前髪をかき上げた。

「少しだけ、俺たちの話をしよう」

「話? いいけど、なあに?」

「騎士が戦うために必要なものが二つある。何か分かるか」

 急な質問だ。

 戸惑いながらも真澄は真剣に考えた。

「盾と剣?」

「それはまあ別次元で第一義だが、少し違う。体力と魔力だ」

 真澄は目を瞬いた。このままでは意味が理解できないので、小首を傾げて話の先を促す。

「最大瞬間出力が騎士団の強さを決めるんじゃない。継戦能力にこそ、その真価が現れる」

 どうしたら正しく伝わるだろうか、そんなことに心をひたすら砕くように、アークは続けた。


 継戦能力、それは即ち補給線をどれだけ確保できているかに左右される。

 世界にたった二人しか存在しない状況で殴り合うのとは違う。国が興り、およそ争いというものが個対個ではなくなった時点で、最強の矛があったとしても一撃で相手を沈めるなど不可能なのだ。

 両陣営に絶対的な差――たとえば冶金技術さえ持たない未開の部族と、騎士団のような――が存在するのならばそれは、もはや争いではなく一方的な蹂躙となる。

 であれば、拮抗する両者の勝敗を決すのは何か。

 それこそが継戦能力に他ならず、即ち、息切れせず持てる実力を常に発揮し続けられるものに勝利は輝く。

 簡単な話だ。

 自軍が平凡の域を出ない戦力だとする。ただし、いつでもその力は最大限に発揮できる。

 一方で敵方が強固な防御壁を持ち、かつ強力な攻撃手段を持っていたとして、それが時間の経過と共に衰えていくとするならば、最初さえどうにか凌げば勝機はやがて転がり込んでくる。

 繰り返すが国というものは個対個ではない。

 国力が同程度であれば、最終的に持久戦を戦い抜く力があるかどうかが分水嶺となる。


「この国の騎士団には――特に俺の第四騎士団は、補給線がない」

「……え?」

「体力は寝れば元に戻る。知ってのとおりだ。だが魔力は」

 一瞬、アークが躊躇った。

 真澄は待つ。やがて意を決したように、再びアークが口を開いた。

「魔力は、楽士なしには回復できない」

 楽士というものはまさに、騎士にとっての補給線となる。

 その言葉は真澄にとって未知の領域だった。


 そしてアークは続ける。


 補給線を持たない騎士団は捨て駒なのだと。


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