19.騎士というもの・3
その後の戦況は一進一退を繰り返した。
大盾の光が消えてからは、騎士側が劣勢に立たされた。第一防衛線が物量に押し負けかけたのである。
左右に展開した第二防衛線を担う騎士たちは、最前線を助けるどころか横を抜けられないようにするだけで手一杯。総崩れになるかと思われた最前線はしかし、交代要員として飛び込んだ第八から第十のランスによって持ち直した。
食い止めたのはやはり青の光だった。
あの大柄な騎士が率いる一つのランス――三人組が、先ほどよりも大きな炎を叩きこむ。色は冷たい青なのに、業火と呼んで余りある光景だ。
三頭の竜が大暴れするようだ。
炎は大地を舐め、宙を舞い、黒い波を席捲した。
その後ろに新たな青い壁が出来上がる。残る二つの交代ランスが、それを造り上げたらしい。
そうこうする内に、今度は左翼が破られた。
ある程度の知能を持っているらしい魔獣は戦力を分散させてはいけないと学んだらしく、一人の騎士に群がった。
最初に騎馬が狙われる。サラブレッドというよりばん馬に近い体型を誇るガチムチの馬だが、多勢に無勢で抵抗ができていない。四肢に食らいつかれた馬は、寄って集って引き倒された。
いななきと唸り声が交錯する。
騎士の方は辛くも巨体の下敷きを免れたものの、崩れた体勢で襲い掛かられ、左腕を持っていかれそうになっている。若い顔が苦痛に歪む。彼を助けるべき他の騎士はその手を差し伸べようとするも、次々になだれ込む魔獣に阻まれる。
焦りが綻びを生む。
左翼にいるもう一人の騎士の背中に、魔獣が躍りかかった。地に伏した騎士に気を取られていた彼は、対応が一瞬後手に回る。
魔獣は大型犬より筋肉質な身体だ。
体当たりを受けた騎士は、もんどりうって地面に倒れこんだ。衝撃で兜が脱げ、露わになった首元に牙が迫る。だが騎士の蹴りの方が早かった。
鈍い音と共に、黒い体躯が宙に放り出される。その瞬間を縫って騎士は身体を回転させながら立ち上がった。
取り落とした長剣は遠い。
馬はもはや助け出せない。
どうするのか。見るに、年若い彼は青い炎で戦えるわけではない。奇しくも先にカスミレアズが述べた通り、できるものならとっくの昔にやっているだろう。
だが彼の目は絶望するどころか、闘気がみなぎっていた。
落馬の際に同じく取り落した盾を拾う。四方を囲む魔獣に、彼は盾を振りかざして応戦した。盾の角が魔獣を抉り、なぎ倒す。金属の重量物は相応の攻撃力をもって魔獣の群れを蹴散らし続けた。
そんな戦い方もあるのか。
お行儀よく長剣で相手を切り倒し、盾で攻撃を防ぐ程度の想像しかできていなかった真澄は、鮮やかな動きに目を奪われた。
しかし善戦は束の間で終わる。
機動力に直結する馬を失った左翼は、とうとう魔獣の突破を許してしまった。
数頭の黒い巨体が街の入口に向かって疾走する。それはつまり、真澄とカスミレアズに一直線ということだ。食欲の塊を目の当たりにして、真澄の身体は硬直した。
と、真澄の腰に回されていた太い腕に力が篭もった。
「恐れるな。あなたには爪の一つも届かせない」
左腕は真澄を抱えたまま、カスミレアズは右手を突き出す。
小ぶりの青い炎が噴き出た。さながら不死鳥のように鋭く空気が切り裂かれる。最前線で大きくうねる竜の火ほど荒ぶってはいないが、動きの早さ、鋭利さは格段にこちらが上だ。
迫り来ていた数頭は灰と化し、役目を終えた不死鳥もまた宙に溶けた。
かすりもさせなかった力の差。
たとえ騎士たちがもう青い炎を出せないとしても、カスミレアズが前線に出れば形勢は一気に逆転できるのではあるまいか。魔獣掃討がどんなものか良く知らないながらも、真澄がそう思うに充分すぎるインパクトだった。
それが真澄に一つの問いを口にさせる。
「あなたがここから動かないのは、私が足手まといだから?」
痛い光景を目の当たりにして、叫ぶような気力はなかった。
「私がスパイかもしれないから目を離せない。だからあなたが戦えないというなら、私を誰かに預けて。どこにも逃げないわ。信じられないなら手足を縛っても構わない」
真っ直ぐに真澄がカスミレアズを見ると、彼は虚を突かれた顔になっていた。
純粋に何を言われているのか分かっていないらしい。違いはこんな基本的な部分で顕著だ。自分達の距離は多分、思った以上に遠い。
誰かが傷付くと分かっていて、放っておけるか。
助けられると知っていて、何もせずにいられるか。
真澄が二十八年を生きた日本という国は、ともすれば平和ボケしていると揶揄されることも多々あった。やらねばやられる、戦わなければ何かを失う、過去はともかく現代においてはそんな厳しい国ではなかった。日々のニュースに死者や事件がなかったわけではない。それでも犯罪率は世界的に見て低く、治安は女性が一人夜歩きできるくらい良く、医療は最高峰のレベルで整い、教育は平等に与えられ、職業選択の自由が認められていた。
自分が生まれ育ったそういう世界を知っているから、尚のこと涙が出そうになる。
どうか誰も痛くなければいい。
そんな風に願うことそれ自体、戦うことが当たり前のような彼らにしてみれば温い考えなのかもしれない。心が軟弱、頭が花畑なのだと一喝されれば話はお終いだ。それでも真澄は、目の前で傷付いていく騎士たちを案じずにはいられなかった。
素直に頷くなど到底できない。
たとえそれが彼らの仕事だと言われても。
「何を言っている?」
「私は戦えないけど、あなたは戦える。私がここにいることであなたの足かせになるのなら、邪魔をしたくない。たかがスパイ容疑より、人の命の方がずっと大事でしょう?」
視線の先では乱闘が広がっている。
炎の竜は二頭に減り、引き倒された騎馬が増えた。馬という足を失っても騎士たちは戦い続けている。果てが見えない大波にひたすら立ち向かっている。
真澄の気が急く。
今は拮抗を保っていても、彼らの体力は無尽蔵ではないのだ。ここで問答をしている間にその膝は折れるかもしれない。
「まさかとは思うが、案じてくれているのか」
「なんでまさかなのよ当たり前でしょ?」
手助けできないならせめて邪魔をしたくない。
真澄にしてみれば至極真っ当な感情だが、カスミレアズは鳩が豆鉄砲を食らったようだ。確認せずとも分かる、これは絶対に真意を理解していない。
互いの違いに頭を抱えたくなる。
だがどうあれこの期に及んで四の五の言うなら殴る。胸に誓って真澄がまなじりを決すと同時、その瞬間は訪れた。
見上げていたカスミレアズの背後から、青白い火球が空を走った。
大きい。
天をなぞるように弧を描く球は、そのまま魔獣の群れ奥深くに落ちた。閃光が空を照らす。直後、半円に膨れ上がった光は大爆発を起こし、周囲の魔獣を薙ぎ払った。
息を詰めて見入る。
衝撃波か爆風か、爆発の残滓に煽られた魔獣は宙に放り投げられ、その体躯は千切れて消える。
かろうじて騎士たちは地に伏せているが、騎馬ごと体勢を崩すもの、煽られて数メートル地面を引きずられるもの、いずれも必死に耐えている。
真澄は身構えたが、幸いなことにカスミレアズの防御壁が衝撃をはね返してくれ、無傷だった。
圧倒的な力に、姿が見えずともその存在の到着をはっきりと認識する。
間違いない。
総司令官のお出ましだ。
* * * *
青鹿毛を駆って悠々と姿を現したアークは、彼方に広がる大混戦の様子に目を眇めた。
そして開口一番、
「随分と手間取ってるな」
これだ。
どう考えても規格外なのはこの男の方であって、必死に戦っている騎士たちはあれで精一杯のはずである。炎の規模というより、そもそも使っている魔術の位が根本的に違ってそうな両者の力の差は、あまりにも歴然としている。
呆れかけた真澄だったが、そのあたりは事情を良く知っているカスミレアズが事のやむなきを弁明した。
「およそ半数は叩きましたから、現時点の成果としては妥当かと。今回の帯同は特に若手を選んでいますゆえ、守勢でほぼ手一杯です」
攻勢などないに等しかった。そうカスミレアズは評する。
この辺りの丁寧さは中間管理職として理想的だ。自分達がやらかした時の説教は激烈だが、必要な時にこうして盾になってくれる上司というのは希有な存在である。
「まともな戦力は十個ランスのうち三つしかありません」
交代要員と言われたあの大柄な騎士たちのことだろう。三頭の暴れる炎の竜を生み出して尚まともではないと言うのなら、何を出せれば合格というのか甚だ疑問だ。
アークは咎めるでもなく顎に指をかけた。
「それはまあ、この物量相手じゃ勝負にならんなあ」
「ご想像のとおりです。ご到着をお待ちしておりました」
「訓練としてはどうだ?」
「もう少し粘れるでしょう。市街地近くなので、温存気味に展開させています」
「俺がいない場合の勝算は」
「私が出ます。最終防衛線にしか力を割いておりません」
「つまりあいつらだけじゃ片付けられない、と。最後までやらせてみたいが」
「いえ、最悪私が出ずとも時間はかかるでしょうが完全掃討は可能な練度を持っています。ただしお勧めはしません。既に半分以上魔力は枯渇していますから、これ以上やらせると損耗が激しくなるでしょう。騎馬試合に支障をきたします」
「あー……それは良くねえな。実戦のまたとない機会だったが、諦めよう」
そうと決まればさっさと畳むか。
残念そうな様子を見せつつ、あっさり引き下がったアークが指をばきばきと鳴らす。
「しかし妙にしつこいな」
首を捻ったアークの目線の先には、衝撃波と暴風に耐え抜いた魔獣と騎士たちの乱戦が再び繰り広げられている。
言外には、最初の一撃で魔獣が引くであろうと見越していた思惑が含まれている。確かに圧倒的な力を見せつけられれば、尻尾を巻いて逃げ出すのが常套だが。
「商隊を好んで襲う札付きの群れだそうです」
「人食いか」
アークの視線が鋭さを増す。
「とすれば適当に散らしても意味がねえな。まとめて消してやる、全騎退却させろ」
好戦的な黒曜石の瞳がぎらりと光った。
命令に異を唱えることなくカスミレアズが動く。胸元で右手の親指を人差し指と中指に当て、普通の声で「全騎退却」と短く発令する。
拡声器ではなく無線のように繋ぐ術を使っているのか、少し遅れて騎士たちの動きに変化が現れた。
最初に街の防御壁内に駆け込んできたのは、最も手前に位置していた左右の騎士たちだった。
次いで、最初に第一防衛線を築いた組が辛くも戻ってくる。
最前線で戦っていた竜を操る主戦力たちは、退却に少し時間を食った。魔獣にとっての獲物が少なくなった関係で、分散していた魔獣が彼らに集中してしまったのだ。
しかしそこは「まともな戦力」と信頼を置かれるだけあって、危なげなく魔獣を切り倒しながら確実に安全圏へと彼らは生還を果たした。
総司令官であるアークの姿を認め、彼らの士気は一様に上がった。
まったく無傷なのは数人で、大体がどこかしらに傷を負っている。鮮やかな赤は激しい戦闘を物語るが、彼らは疲れも見せずに雄叫びを上げる。
声を一身に浴びるアークは怯むことなく不敵な笑みを浮かべた。
「これまでの掃討ご苦労」
全ての騎士が、一糸乱れぬ動きでその場にひざまずいた。
「後は俺が請け負った。暴れ足りないだろうが、その分は騎馬試合での活躍に期待する」
胸に手を当て恭順の意を示す騎士たちの視線は、総司令官を捉えて離さない。
強固な信頼関係だ。
単身魔獣の群れを相手取ろうとするアークを誰も、カスミレアズでさえ引き留めない。それはひとえに彼らの総司令官が誇る力を認め、敬服しているからなのだろう。
アークに託された掃討は、その後日没を迎えるまでに終焉を迎えた。
それが長かったのか短かったのか、真澄には判断ができなかった。




