18.騎士というもの・2
観客への説明を端的に終え、カスミレアズが振り返る。
その顔は常以上に引き締まっている。観客への説明から間髪入れず、近衛騎士長はすぐに命令を下した。
「総員第一種戦闘配備。五分後に競技場に集合。足のないものは試合用の馬を各自借り受けろ」
聞くが早いか、騎士たちはものすごい早さで散っていった。
顔つきが全然違う。
打って変わった雰囲気に気圧されていると、そんな真澄の手首をカスミレアズが掴んだ。
「不本意だがやむを得ない、ついてきてもらう」
「え」
「忘れるな。あなたのスパイ容疑はまだ晴れていない」
だから一人にするわけにはいかない。
そう言いながら、真澄はあっという間に膝裏をすくわれ横抱きにされた。
「首に手を」
次の瞬間、カスミレアズは観客席の手すりをひらりと飛び越えた。何の溜めもためらいもなかった。
「うっ嘘でしょおおお!?」
束の間の浮遊感。すぐ後に、胃がせり上がる落下感。
恥も外聞も捨てて、というかそんなことを斟酌する余裕さえなく、ここで真澄はカスミレアズの首筋にしがみついた。
この場合の絶叫は許されると思う。
いくら緊急事態とはいえ、詳しい説明も心の準備もなく、飛び降りの道連れにされるなんて。目測二階から三階くらいの高さはあったはずだ。
生身なら軽く死ねる。
良くて複雑骨折なんじゃ。
目を瞑って衝撃に備えた真澄だったが、着地は存外に軽かった。
とん。
音と共に、風がふわりと髪を撫でていく。恐る恐る目を開けると、目線の高さが変わっていた。
端の方から一人の騎士が栗毛を連れて駆けてくる。聞き分けよく手綱を引かれているのは、駐屯地からこの街まで乗せてもらったカスミレアズの愛馬だった。
競技場は引き出される騎馬、装備を検める騎士でごった返している。怒号が飛び交う雑然とした中でも落ち着いているのは、訓練された軍馬だからだろうか。
力強く歩を進める四肢は筋肉が盛り上がり、近衛騎士長を乗せるに相応しい風格が漂う。
そんな愛馬に、真澄を抱きかかえたままカスミレアズが颯爽とまたがった。
「後は頼む」
すぐ横に来ていた壮年の騎士に、近衛騎士長は短く告げる。
「お任せを」
意匠の異なる鎧をつけた彼は力強く頷いた。短いやりとりだけで、彼はこの競技場を預かることとなるヴェストーファの騎士だと分かった。
そんな彼も、真澄が馬上にいることを当たり前のように見ている。
競技場の中央に立つ。
既に騎士たちは整然と並んでいた。精悍な頬、決意の滲む眼差し。長剣を腰に差し、手綱を握り、大盾を掲げている。
そして誰も異を唱えない。
戦えない真澄が、彼らの司令官と共にいることを。それどころか彼らは驚きさえ表さない。ただただ熱のある視線を注いでくるばかりだった。
「出るぞ!」
近衛騎士長が高らかに右手を挙げる。栗毛が後脚で立ち上がり、出立を告げるようにいなないた。
防衛に残る騎士が、正面の巨大な引き戸を左右に開けた。
栗毛が力強く疾走を始める。
水を打ったように静まっていた会場が、歓声に割れた。それを遠く背中で聞きながら、真澄は厚い胸板にしがみついた。
激しく揺れる馬上で、真澄は振り落とされないよう必死になって腕に力を込めた。
駐屯地から街へ駆けた時より確実に速い。今回ばかりは声を出す余裕さえなく、ただひたすら目を瞑って激震に耐えるばかりだ。
そんな中、小さくない疑問が湧き上がる。
絶対に足手まといに違いないのだ、自分は。そうと分かっていて尚、こうして帯同されるのはなぜだ。
確かにスパイ容疑は晴れていない。
だが、どうしても置いていけないわけではなかったはずだ。
カスミレアズたちは討伐に出るにしても、ヴェストーファ駐屯地の騎士たちは競技場の守備に当たるのだ。後は頼む、その言葉は間違いなく信頼を意味している。そんな彼らに一言伝えおいて、真澄の身柄を拘束させれば済んだ話なのである。
それを、なぜわざわざ。
輪をかけて首を捻るのは、カスミレアズが一体何を考えているのかということだ。
真澄を疑っているのに、呼びかけは「あなた」と丁寧さを崩さない。スパイはその場で斬り殺されても文句は言えないとアークが言っていた。それほどに力関係が決まっているのならば、もっとぞんざいな対応をされてもいいだろうに。
考える程に矛盾しているようで、不可解だった。
* * * *
「数と種類は!」
馬上からカスミレアズが声を張る。
街の入口を守っていた衛兵が、慌てふためきながら駆け寄ってきた。真澄が目を瞑っているうちに、あっという間に街中を通り過ぎてきたらしい。
先ほど見た石造りの柱周りに衛兵が群がっている。彼らは一様に、街道から迫りくる黒い塊を注視していた。
「ウォルヴズです! ただ厄介な群れで、街道を通る商隊が幾つもやられています!」
「……人食いか」
カスミレアズの声が一段低くなった。
「この近辺で最大の群れですが、一か所にこれほど集まるなど初めてのことで」
衛兵の視線は街の外とカスミレアズを往復し、忙しない。その視線を辿った真澄は、思わず悲鳴を上げそうになった。
黒い大波が迫ってきている。先ほど追われた群れとは比較にならない多さだ。それだけでも逃げ出したくなるのに、さっき聞こえたのは「人食い」とかいう単語だ。
本気で勘弁してほしい。
ワイルドすぎる。
完全に腰が引けている衛兵と真澄をよそに、一方のカスミレアズは動じる素振りをまったく見せない。
「慌てなくていい。先ほど片付けた中に、この群れの眷属がいただけのことだ」
「眷属、ですか」
「仲間を取り返しにきたのだろう。叙任式だからと外観を気にしての配慮だったが、跡形もなく消したのは失敗だったな。死体を投げつけてやれば尻尾を巻いて退散しただろうに」
近衛騎士長が物騒なことを口走っている。ワイルドにも程があると思うがいかがか。
そんな真澄の心境をよそに、ワイルドな会話は続く。
「群れの規模は?」
「さ、三百は下らないかと」
「多いな」
カスミレアズの舌打ちが響く。その手が手綱をさばき、栗毛が後ろに向き直る。後ろにはやる気に満ち溢れた筋肉集団がひしめきあっていた。
熱気がひしひしと伝わってくる。
誰一人として不安気な顔はなく、むしろ命令を今か今かと待っている。俺が行く、いや俺だ、そんな会話が聞こえてきそうだ。
彼らの熱い視線を一身に受け、カスミレアズが数十騎の部下を一瞥した。
「アーク様が戻られるまでこの場を凌ぐ。第一ランスから第三ランスは最前線に展開。防衛線を構築の上、可能な限り削れ」
必要最低限の言葉数で命令が出る。
向かって左側にいた一団が、すぐに街の外へと飛び出していった。その動向を最後まで見送ることなく、カスミレアズは残る騎士に再び向き合う。
「第四から第七は左右を守れ。第一防衛線を突破してきたものを片付けろ」
詳細な指示を待たず、また集団が動く。
そして喧騒の後に残った人間はなんと片手で数えられる人数だった。
カスミレアズを入れても十騎しかいない。馬がガチムチで大きい上に、乗っている人間も相応にガタイが良いので、空間が実数以上に埋まって見えていたらしい。
想像よりはるかに少ない戦力を目の当たりにし、真澄は思わず背後を振り返った。
丁度、最前線に行けと言われた騎士たちが目的地についたらしい。
端から順に、持っていた盾をものすごい勢いで地面に突き立てていくのが見えた。確かに彼らの掲げていた大盾は下方が尖った五角形で、それだけ振りかぶればまあ地面にも突き刺さるだろう。
でもそれでいいのか。
盾って身を守るために使うものじゃないのか。そんな疑問がせり上がる。
が、真澄の心配を他所に、がんがんがんがん! と音が聞こえそうな勢いで、盾が卒塔婆さながら立てられていく。しかし数えてみれば端から端まで盾は九つ、最前線とか言いながらもやっぱり十人いないことが分かる。
おい本当に大丈夫か。
第一防衛線とか格好良いこと言われてたけど、たったそれだけの人数で何ができるのか。確か、相手は三百とか言ってなかったっけ。
真澄のこめかみに冷や汗が滲む。
広めの等間隔に展開しているものの、九人ぽっちではその距離もたかが知れている。成り行きから目を離せずにいると、最前線の騎士たちの身体が薄青く光り始めた。
やがて呼応するように、盾が光を帯び始める。
光は横に伸びていく。互いに手と手を取り合う、そんな柔らかな動きが繰り返された後、そこには弧を描く大きな光の壁が出来上がっていた。
光は盾を中心に厚く輝いて、向こう側の景色は青く染まって見える。巨大な水槽が出現したかのようだ。
カスミレアズは僅かに目を細めてその光景を見ている。
青い盾と黒い集団の間は、まだ距離があった。最前線に立つ馬たちの尾は風にたなびき、恐れる素振りは微塵もない。
第一防衛線を担う彼らの手前には、左右を守るよう命令された騎士がそれぞれ控えている。最前線が第一と呼ばれるのなら、左右の彼らは第二防衛線か。
「エイセル様、最終防衛線はいかがしますか」
と、斜め後ろから良い声が届く。
そこにいたのは、真澄の足首を掴んで「どうか専属に」と乞うてきたあの大柄な騎士だった。
呼ばれたカスミレアズが目を転じる。先を促され、部下が進言する。
「街の入口だけを固めるので良ければ、私共が参ります」
「東西と北か?」
「はい。私の第八ランスが北に、第九と第十がそれぞれ東西を守れば良いかと。南はエイセル様お一人にお任せすることになりますが」
「実力的には妥当だな」
「ではそのように?」
大柄な騎士が手綱を握る手に力を込めた。
今にも馬首を返そうとするその動きを、しかしカスミレアズが止めた。
「待て。やはりお前たちは第一防衛線の交代要員として待機を命じる」
言われた方の騎士は驚きを隠さなかった。
「エイセル様?」
「砦ならまだしも、街の最終防衛線に極小は許されない。住民に何かあってからでは遅い」
「ヴェストーファの外周全てに防衛線を張るのですか!?」
驚愕の声に、周囲から耳目が集まった。
待機している他の騎士もそうだが、門の衛兵も口と目を大きく開いている。誰もが呆気にとられた顔でぽかんとしている中、眉一つ動かさないのはカスミレアズただ一人だけだった。
「問題ない、私一人で充分だ」
「無論それは承知しておりますが、……エイセル様のご負担がかなり重くなります」
「構わない。守らねばならない時に、守るための力を出し惜しみしてどうする」
言い切られた決意に、部下は強く殴られたような顔をみせた。だが次の瞬間にその頬は引き締まり、彼は敬服した。
進言の騎士は待機場所に戻る。
その動きを見届けたカスミレアズは栗毛を操り、街の入口となる石橋の手前に立った。
何が始まるのだろう。
静かになった空気の中、真澄は固唾を飲んでカスミレアズの動向を注視する。
彼は盾を掲げることも剣を抜くこともなく、静かに発声した。
「青き正義の国アルバリーク、恒久なる光の恩寵、我が手を守護者とすべくこの生涯をかけた我が誓願に応えよ」
祝詞だ。
直感で真澄は理解した。
「この街に祝福あれ。あらゆる災厄を拒む大いなる光の盾、その輝きで全ての邪念を払え」
祈りが光に変換される。
カスミレアズの身体は深く青く輝き、水の源泉を彷彿とさせる。次々に身体からあふれ出てくる光は、生きた蔦のようにそこかしこを這った。
栗毛の馬体、足元の石橋、その下を流れる堀。
光は幾筋にも分かれうねりながら堀の水面を進んでいく。やがてヴェストーファの街は、青い光に包まれた。
* * * *
よくよく見れば、騎士たちは三人一組で動いているようだった。
てんでばらばらに動いているようで、その実統制の取れた動きである。きっと「ランス」と呼ばれたのが組み分けなのだろう。察するに日本語でいうところの「班」に近い意味合いか。
それを理解したところで、ちょっと待て、と冷静な自分が突っ込んでくる。
ランスとやらは全部で十までしか呼ばれなかった。単純計算で、三人かける十は、三十人。それしかいないのに、どうやって十倍の頭数を誇る相手と戦うのだろう。
単純計算で一人あたり十頭。
ただそれは「少なくとも三百」という前提の計算であって、おそらくそれ以上いるはずだから、実数はもっと多い。
千本ノックか。
素人目でも温いとは到底言えない状況のような気がする。ところがそんな真澄の心配も束の間、最前線が火を噴いた。
文字通りだ。
色は青いが。
騎士らしく一頭ずつ相手取って切り倒していくのかと思っていたが、全然違った。そんな前時代的で非効率な真似やってられるかと言わんばかり、青い炎が繰り返し翻る。
騎士たちの攻勢を前に、迫り来ていた大波は勢いを削がれている。
炎の派手さに霞むが、光り輝く盾も地味に良い仕事をしている。辛くも炎をかわした魔獣が突破を試みるのだが、その全てを「残念無念また明日」と弾き返している。
いぶし銀の渋さだ。
拍手を送りたい。
映画さながらの光景に真澄が目を奪われていると、カスミレアズが身動ぎをした。
「第八から第十そろそろだ、配置につけ」
命令と共に、門の内側に待機していた残る三組が一斉に動き出した。
何がそろそろなのだろう。
あの勢いでいけば早々に片付きそうなものなのに、と思いかけたのだが、そうは問屋が卸さなかった。
光の盾が消えた。
そして最前線を担っていた騎士たちが、地面に突き立てていた盾を回収しつつ後退する。燃え盛る炎も鳴りを潜めている。当然、魔獣の群れが勢いづいて、黒いうねりとなって迫ってきた。
騎士たちが長剣を構える。
ほどなくして、両者は真正面からぶつかり合った。
「なんで!? あんな危ない、怪我しちゃ、あっ!」
真澄の懸念はすぐに現実となった。
一人の騎士が馬上から落ちた。高い跳躍で飛びかかってきた魔獣が、肩に噛みついて引き倒したのだ。
あっという間に黒い塊が膨れ上がる。
目を逸らせず息を呑んだが、周りにいた二人の騎士が集った魔獣を蹴散らし、倒れた騎士を助け起こした。
だが胸を撫で下ろしたのもその一瞬だけだった。
途切れることなく、食欲を全面に押し出した狼もどきが押し寄せる。
最前線の騎士たちが長剣をふるうが、限られた間合いで取りこぼしが必然多くなる。それを二列目が引き受けるが、数に押されてじりじりと後ろに下がってきている。
魔獣の果ては見えない。
このままでは遠からず街に魔獣の波が押し寄せる。
「どうしてさっきの青い光で戦わないの!?」
馬上で上半身を捻り、真澄は厚い胸板を叩いた。
カスミレアズの顎とおとがいが視界に入る。だが彼は真澄には一瞥もくれず、戦況を静かに見守るばかりだ。
「できるものならやっている」
視線を戦場に縫いとめたまま、カスミレアズが呟いた。
声に感情は見えなかった。
「専属楽士がいないとはつまりこういうことだ」
諦めにも似た簡素な説明は、カスミレアズらしからぬものだった。いつも丁寧なそれと違い、真澄が状況を理解する助けにはならなかった。
だが真澄はそれ以上の疑問を口に出せなかった。
真澄自身を責められているわけでは多分ない。
それなのに、心苦しくなる。
何かを渇望しながら、いつかそれを手にする未来は信じていない。覚悟の滲む声に、かけられる言葉が見つからなかった。




