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ドロップアウトからの再就職先は、異世界の最強騎士団でした~訳ありヴァイオリニスト、魔力回復役になる~  作者: 東 吉乃
第四章 その青に誓う約束

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145.ヴィルトゥオーソの証明


「あなたのために何を懸けるとも言えない私なのに、どうして守ったりしたの」

 本当の意味で専属でさえないのに。


 なぜそれほど強く在れる。


 弱かった真澄にとってそれはもはや羨望を越えた憧憬、手の届かない遥か高みだ。真澄の音など比べるべくもない。アークの強さこそ無二の価値がある。

 途切れ途切れに話した自分の過去。

 ひた隠しにしていたそれを語り終えた後、真澄は口を噤んだ。アークは目を覚まさない。相槌など望むべくもないだろう。

 打ち明けたことはきっと届いていない。あの時と同じ、自分は間に合わなかった。


 生きる世界を変えて尚、弱いままだった自分。


 ただ心が痺れている。言葉を見つけられず、真澄は再び目を閉じた。

 美しい旋律だけを追っていく。


 傍に。

 ただ傍にとそれだけを歌う。


 すると不意に右手首が熱くなった。驚いて弓を止める。その拍子に、形見のブレスレットがさらりと流れ動いた。

 命の石。

 深い青が、真夜中の小さな明かりを吸い込み輝く。

「……泣いているのか」

 次いでかけられた声は掠れていた。

 真澄は目を疑った。そこには半身を起こし、真澄の手首を捕えるアークがいた。

 滲んでいた汗はひいている。

 意識が戻ったのは喜ばしい。だがどこかおかしい。手首から伝わってくる熱さが燃えるようだ。何かがおかしい。真澄の心臓は早鐘を打っていた。

 良かった、と。

 そのたった一言が喉に絡まって出てこない。

 そんな真澄に気付いているのかいないのか、アークは真澄を捕える手に力を込めてきた。

「なあマスミ。お前は見返りが欲しくてヴィラードを弾くのか」

 違うだろう。

 問うていながら、アークはすぐにそう続けた。真澄は首を縦にも横にも動かせなかった。

「好きだからだろう。愛しているから。同じことだ。俺がそうしたい、その形で愛したいから守った。ただそれだけのことで、後悔も何もない」

 黒曜石の瞳は僅かも逸れずに真澄を射抜く。

 いつもと変わらない、装われる平静。これを真澄は知っている。もう間もなく、この後に訪れるのは、


 ──ながの別れだ。


 真澄の頬を涙が伝った。

 視界がぼやける。何度瞬きを繰り返しても、すぐにアークの顔が見えなくなる。言葉が出ない。

 熱い手が真澄を引き寄せた。

「……碧空楽士団が楽しみだ」

 アークが笑った。

「好きにやればいい。文句を言う奴がいても気にするな。お前を助ける人間の方がきっと多い。なあ、マスミ──お前はもう、自分を許していいと思うぞ。自由に生きていい、少なくとも俺は……お前を愛している俺は、そう思う」

 真澄の目尻にアークの唇がそっと寄せられる。

 それは手と同じく熱く、乾ききっていた。

「マスミ」

 耳元でもう一度名を呼ばれた。


「──幸せになれ」


 長らく引き留めて悪かった。自分の勝手な都合で、真澄にとって本意ではないことを強いてきた。理由が語られなかったのをいいことに。

 アークはそう言って、二人の関係をここで終わりにしようと告げてきた。

「大丈夫だ。言っただろう、俺の代わりはいくらでもいる」

 ゆっくりと熱が離れていく。

 全てが滲む景色の中で、アークが疲れたように寝台へと身体を沈める。気付けば胸元から首筋にまで、黒い紋様が広がっていた。

 真澄が弾いていないからだ。

 間近に迫る刻限を目の当たりにしたその時、真澄の中で何かが弾けた。

「……代わりなんて」

 ようやく絞り出した声は無様に震えていた。

 けれど真澄は構わなかった。

「だからって死んでいいなんて、……一言も、いってないでしょ……?」

 そこに全てを乗せた。

 自分では喧嘩腰で叫んだつもりだったが、実際はみっともない涙声にしかならなかった。いい大人が情けないにも程がある。だがもう形振り構ってはいられなかった。

 ここで口に出せなければ、本当に最後だ。

 真澄は手のひらで乱雑に涙を拭った。

 真正面からアークを見つめ返す。心情としては睨みつけるに近い。その優しさ。どうして出逢いのあの時ではなく、別れの差し迫るこの時に寄越してくるのだ。そういうところが狡い。


 自分勝手な振りをして人の心の隙間を埋めておいて、

 沢山のものを残すだけ残して、

 いざ自分はとなると何も要らないだなんて。

 

「勝手なことばっかり言うなこの馬鹿野郎……!」


 例えば『ありがとう』や『愛している』のような綺麗な言葉は一つも出てはこなかった。けれどこれが本心なのだから、ここに来て偽りようもない。

 今際の際。

 にもかかわらず真澄が投げつけた暴言を、アークは毒気を抜かれた顔で受けた。

「参ったな……ここでそう、くるか」

 顔が白い。一言、二言を口にするのさえ大儀そうだ。にもかかわらず、アークは一度沈めた身体をふらつきながらも再び起こした。

 その右手が真澄の涙をすくった。

 親指で、人差し指で。何度ぬぐってもあふれてくる。熱い吐息の後、アークは真澄をその胸に閉じ込めた。

 常より早い鼓動と、熱い体温が伝わってくる。

「なあ。それは俺のためと思っていいのか」

「あなた以外に、誰が」

 喉が締まる。最後まで言えない。

 熱い首筋に頬を寄せる。まだ生きている、その鼓動が伝わってくる。

 真澄の涙がアークの露わになった肩を滑り落ちていく。次から次へと肌を伝い落ち、その下の包帯に吸い込まれていく。


「……独りにしないで……!」


 どんなに仕方のないことだと言い聞かせても。別れはいつもそこにあって、見送り続けるのは生きていく限り真理なのだと、理解していても。

 それでも止まらないこの涙を、一体どうしたらいいのだ。

 ずっと抑えてきたこの気持ち。

 好いてしまえばきっとこの人も離れていく。失くしたくなくて踏みとどまってきたのに、ここで永久の別れになるのなら、最も恐れていた未来が来てしまうのなら、これ以上隠し通す意味がない。


 あなたまで、私を置いていかないで。


 これまで誰にも言えなかった本心。

 囁くより微かな声に、応えは力強い腕だった。

「──分かった」

 するりと腕が解かれる。

 そのままアークが掛布を退けた。簡素な寝台を軋ませながら降りる。縁に腰を下ろしていた真澄は突然の動きを目で追うしかできない。

 戸惑っていると、アークが真澄の右手首に──正確にはブレスレットに──指をかけた。

「これ寄越せ」

 言うが早いか、二連の細い銀鎖はふつりと切られた。

 青い石が揺れる。

 それを握りしめながら、傷だらけのアークがその場にひざまずいた。

 裸の上半身。太い首、頑丈な肩。筋骨たくましいが、包帯が巻かれて痛々しい。簡素な下衣、その下は裸足が続く。長剣もマントも、肩章もない。

 だが紛れもなく騎士の振舞いだ。

 僅かな動きにも肩で息をするアークだったが、一つ深呼吸をした後、手にした命の石をその手で強く握りしめた。そして、

「……っらぁっ!」 

 気合の発声と共に、石の砕ける音がした。

 アークの手が発光する。

 青、けれどいつものアークよりは僅かに明るいその色が、音もなくアークの身体を包み込んだ。

 揺らめく波間のような色。

 美しい。言葉を失くすほど。真澄が見入っていると、息を整えたアークがゆっくりと唇を動かした。

「我、アークレスターヴ=アルバアルセ=カノーヴァ、ここに宣誓す」

 その右手が左胸に添えられる。

 下から向けられるまなざしは、真っ直ぐに真澄だけを捉えていた。



 正しき力に従い、勇敢に、誠実に、寛大に、信念を持つ騎士として。

 我はマスミ=トードーを妻とし、片時もこれを離さず、これを守り、これの祝別のみを受け、我が生涯をこれに捧ぐ。

 女神より賜りし力、この誓願に応え遥かな恩恵を我にもたらすように。



 誓いの祝詞は淀みなく朗々と、深夜の幕に広がった。

 どこか懐かしい韻だ。どこで聞いたのだろう、真澄が記憶を手繰り寄せると、始まりの場所ヴェストーファが目蓋に迫ってきた。

 あの日、アークが騎士たちに祝別を渡した日。

 傍で聞いていた真澄の視界は滲んだ。

 今思えばあれは兆しだった。一人で生きることを決めてから、一度も泣かずに生きてきた自分。そんな自分が、再び心を動かされた瞬間。

 あの時から、止まっていた時は動き始めていたのかと思い至る。

 真澄自身が気付かない、気付きたくない振りをしながらも、着実に。

「受けてくれるのなら、許しを」

 胸に添えられていたアークの右手が促すように差し出される。

 だが真澄はすぐにその手を取れなかった。一つだけ、どうしても引っかかる言葉があった。

「……私だけの祝別?」

「文句あるのか」

「だってそれ、私がいなくなったら、回復が」

「いなくなるのか? 置いていくなとお前が言ったくせに?」

 熱で朦朧とするのか、アークの肩が大きく上下する。

「いずれ死ぬなら俺の何を懸けようと俺の勝手だ」

 アークが決然と言い切った。

 選ばれた言葉は直截にも程がある。が、アークの状態をこの上なく端的に表していて、そこで真澄も覚悟を決めた。

 何が起こるのか、アークが何をしようとしているのか、真澄には分からない。

 けれどどうしてもその手を失いたくなくて、必死に手を伸ばしたのは真澄なのだ。応えてくれるのなら、もう他に何も要らない。どんな生き方になろうと受け入れる。


 真澄が左手でその指先に触れると、大きな手のひらがそれを掴まえた。ゆっくりと引かれていく。やがて手の甲に、口付けが落とされた。

 ごく丁寧に。

 伏せられた目は、その唇が離れると同時、上目遣いに真澄を射抜いた。


 アークの身体を包んでいた光が膨れ上がり、繋いだ手を伝って真澄の身体に流れ込む。全ての光が移った時、アークが口の端を上げた。

「これでもう、……俺のものだ」

 高い熱のせいだろうか。

 黒曜石のその目が潤んでいる。真澄は何も言えなかった。言えば自分の涙が零れそうだった。

「約束する。お前を置いてなどいかない。絶対に、この生涯をかけて」

 ゆっくりとアークが立ち上がる。

 両腕が真澄を包み込み、


 ──それからアークの全体重が真澄に圧し掛かってきた。


「ちょっ……とっ……!」

 急な重さに真澄の体勢が崩れる。

 支えることは不可能だった。かろうじて地面ではなく寝台に倒れ込む。押し潰されてもがく真澄に、アークが目を閉じたまま「……すまん」と呟いた。

「押し倒す余裕は、……さすがに、ねえな」

「な、……にを、馬鹿なこと言ってんのよ!」

 今の今までこの場に満ちていた感動が、ここにきて見事に雲散霧消した。

 肩と腰に巻きついていた太い腕を引き剥がす。

 真澄が上半身を起こして見下ろすと、掛布に頬を埋めたまま見上げてくるアークがいた。全身は力なく投げ出されている。その中にあって、口の端だけが僅かに持ち上げられた。

「……だって懐かしい、じゃねえか」

 途切れながらアークは尚も続ける。

「幕で、二人きりの夜、だ。出逢ったあの日と、同じ」

「だからってあんたね……!」

 瀕死の状態で言うことがそれか。

 真澄が説教しかけると、アークの手が伸びてきた。そのまま真澄の後頭部を捕えて引き寄せる。開きかけた口は、そのまま唇で塞がれた。

 ややあって、ゆっくりと解放される。

「……だからだ。やり直したいだろうが」

「やり直すってなにを」

「お前は本当に……情緒がねえな。俺たちの、出逢いをだ」

「なんでわざわざ」

「いい加減分かれ」

 求めるように指先が絡められた。


「マスミはスパイなんかじゃない。──俺のものなんだぞ」


 言った後で、アークはため息とも深呼吸ともつかない息を吐いた。

 真澄は自分の口元が綻ぶのを感じた。

 こういうところは本当に篤い男だ。後悔しているとまでは思わないが、それでもずっと気にしていたのだろう。

「……スパイ容疑はとっくに晴れてるでしょ」

「それも、……そうだな」

 真澄の言いたいことは伝わっただろうか。

 真澄はアークではないので分からないが、アークはそこでゆっくりと瞳を閉じた。今度こそ本当に、全身を寝台に沈めていく。

「マスミ」

 名を呼ばれる。

 探すようにアークの手が宙を彷徨ったので、真澄はそれを捕まえた。

「……マスミ」

「大丈夫。ここにいる」

「ああ。それはいいんだが……悪い、そろそろ本気で……くたばりそうだ」

「は? ちょっと、ねえアーク!?」

「弾い、て、くれ。説明は、それから、だ……」

「そういうことは早く言いなさいよ!」

 繋いでいた手を振りほどき、真澄は慌てて立ち上がった。

 弓を張り肩当をつける間に横目でアークを窺う。気付けば呼吸がかなり苦しそうになっている。黒い紋様は首筋を埋め尽くし、顎にまで迫っていた。


 真澄は弓を走らせる。


 迫りくる死を止める、その重大さに緊張する。だが人生で一番、自由に伸びやかに弾けた瞬間でもあった。

 腕が軽い。

 まるで羽が生えたかのように。

 不謹慎かもしれないが、真澄の頬は自然と緩んでいた。幼い頃に戻ったようだ。ヴァイオリンを弾くことがただ楽しくて、聴いてくれる誰かがいることがただ嬉しくて。

 そんな真澄に気付いたのか。

 苦し気に目を眇めながら、アークも笑った。


 二人でいる。

 真澄はもう、何も怖くなかった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 良かった!まだ大ピンチだけど心情的にはハッピーエンドみたいな気持ちです!
[一言] 胸がいっぱいで感想がうまく書けません! アークがかっこいいです。「どうせ死ぬなら俺の何を賭けようが勝手だ」「これで俺のものだ」の台詞が…。アークの深い愛情を感じられて感動しました。 真澄ちゃ…
[良い点] 次、次をはやく… [気になる点] この様になるとは… [一言] お赤飯を炊かねば(笑)
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