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ドロップアウトからの再就職先は、異世界の最強騎士団でした~訳ありヴァイオリニスト、魔力回復役になる~  作者: 東 吉乃
第三章 生き方の決め方

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122.布石・前


 第一騎士団が出征した翌朝。

 アークは執務室内で昨日届けられた書簡を眺めていた。それは軍法会議開催の通知で、場所は中央棟、時間は今日の九時から正午までとなっている。果たして予定どおり終了するかどうか、アークは腕を組んで考え込んだ。

 被告として立たされるのはハーバート=フェルデ。

 宮廷魔術士団の大魔術士だ。

 アルバリーク帝国としては確かに重要な戦力ながら、立場としては一介の兵士であり部隊指揮官であるアークとは違う。つまり彼が裁かれるのは高等ではなく常設軍法会議だ。

 時間はおそらくかからない。

 常設の審判はその長官と判士三名、宮廷文官である法務官一名が定数と決められている。判士を指名するのはこの会議を開催すると決めた指揮官、軍法会議長官であり、両者は必ず兼任されると定められてもいる。つまり今回はアークだ。

 そのアークが選んだ判士はカスミレアズとヒンティ、そしてヒンティに選定を依頼した宮廷騎士団の神聖騎士だった。

 審理の形をとる以上、奇数名は原則だ。しかしその内の実に四名がアーク側の人間である。実際にはアークの意向が必ず通り、番狂わせなど起こり得ない。故に通り一辺の形式をなぞるだけ、フェルデの処遇がどうなるかを公的に決定するためだけの場だ。


 昨日、会話の流れでこの話になった。

 国軍、いわゆる騎士団や魔術士団などがないらしい国出身の真澄はかなり驚いていた。それで公平性が担保されるのか、と。

 それから久しぶりに噛み合わない時間が到来し、実に昼までかかってアークは説明した。


 そもそも論として、軍法会議の目的は一般的な仲裁裁定とは全く異なる。

 これを説明するのにかなり時間をかけた。

 アルバリーク帝国軍として指揮命令系統を確実に守ること、国軍としての機能つまり指揮権を固く維持すること。これが軍法会議の目的であって、被告の主張が正しいか正しくないか、もっと言うならば冤罪かどうかさえ問題ではないのだというアークの説明に、真澄は完全に疑問符を浮かべていた。

 そこでアークは考えた。

 これまでの真澄の言動や考え方を勘案すれば、彼女がアルバリークと同じかあるいはそれ以上に発展した国出身であることは間違いない。おそらく人治ではなく法治国家だったのだ。だから平等という概念にどうしても引っ掛かるのだろう。

「軍人とそれ以外の人間。両者を明確に分けているものはなんだと思う」

 そのアークの問いに真澄はしばし考えを巡らせていた。

 例えば武器を使えること。その権利があること。戦う力を持っていること。その為の誓いを立てていること。

 彼女は幾つかを口に出したが、そのいずれも違っていた。正解が出ないことを分かっていたアークは長く引っ張ることはせず、そこで明かした。


 軍人には上官の命令に従う義務がある。


 軍人に与えられる特権はそれこそ武器の携行使用に始まり、平時の生活保証など数えれば枚挙に暇がない。しかしその全てはいついかなる時でも命令には背かない、任務遂行に必要とあらば極論「死んでこい」と言われても拒否できないという義務があるからこそなのだ。

 それを許せば国軍の態を為さなくなる。

 民の税で以て賄われる国の力。その一員となれば保証される己と一族郎党の生活、寄せられる幾多の尊敬。

 それは全て国に命を預けることを約束したからであって、その時点で国軍法の支配下に置かれること、その遵守に同意した結果だ。

 国軍法は軍刑法、軍法会議法などから成る。

 そこでは明確に敵前逃亡や抗命などは重罪と規定があり、その場で処刑あるいは軍法会議を経て処罰とされている。

 これを鑑みると、大前提として指揮官の命令に従わなかった時点でその兵の命はない。脱走して他国に逃れない限り指揮官に生殺与奪の権は握られているわけで、だから判士は指揮官が指名できるのだ。

 ここまで順を追って説明して、ようやく真澄の理解を得た。だがその理解に彼女は蒼褪めてもいた。

「……処刑しちゃうの」

 気丈に振る舞いながらも僅か震えた声に彼女の優しさが滲んでいた。

 それを眩しく思うのは、おそらくアーク自身が色々なものを切り捨ててきたからなのだろう。この場所に立ち続けるために、そう言い訳しながら人として大切なものを置き去りにしてきた。

 今さら言っても詮無いことだ。

 同時に後悔などもしてはいない。ただその自覚は一生己の傍にあり続けるであろうと感じている、それもまた事実だった。

「殺しはしない。覚悟を示せとは言うが」

 言い切ったアーク自身がどう見えたかは定かでない。

 だが真澄はそれ以上を訊いてくることはなく、しばらく考え込んでいる風情だった。


 やりとりを思い出しながら、アークはちらりと応接のソファに視線を投げる。

 当の本人は昨日の動揺などもう見せてはいない。

 ようやくカスミレアズの宣誓曲が完成したと言っていて、今日はこれから大聖堂に出向いて楽団の統括たちの説得を試みるらしい。「真剣勝負よ」などと口にしている割りに、鼻歌まじりで茶を啜るその姿は気負いなど一切見えない。

 真澄の目の前、低い卓には弓が置かれている。

 彼女はそれを手に取りつぶさに確かめながら「随分へたっちゃったな」と呟いていた。

「なあ」

「ん、なに?」

「マスミのその弓。前から訊こうと思ってたが、材質は何でできているんだ」

「これ? 馬の尻尾だけど?」

「……馬?」

「そう。そういや私も訊きたかったんだけど、こっちの弓って紺色よね。何でできてるかアーク知ってる?」

「植物だとは聞いたことがあるが。具体的な名前まではそういや知らねえな」

「へえー植物なんだー。ちょっと驚き」

「俺は馬って答えに驚いてるぞ」

「でしょうねえ」

 私が驚いてるんだから、逆もまた然りよね。

 そう言いながら楽しそうに笑う真澄を見て、アークの頬は自然と緩んだ。

「うーん……そろそろ張り替えたいんだけど、じゃあグレイスかシェリルに訊いてみよっかな」

「それがいい。悪いが俺は門外漢だ」

「うん、言われなくても知ってる」

 重ねて笑った真澄は、アークに悪戯っぽく向けた視線をやがて手元に落とし、彼女の分身にその全てを注いだ。


 愛している顔だ。


 彼女が楽器を。

 そしてアークが、──


 その横顔を何とはなしに眺めていると、執務室の扉がノックされた。アークの応えとほぼ同時に開かれた扉の向こうには、予想どおりカスミレアズが立っていた。

「……時間だな」

 急かされる前にアークは立ち上がる。

 隙の無い近衛騎士長の顔をしたカスミレアズは無言のままに頷いた。それを見ていた真澄もヴィラード一式を片付けて腰を上げる。

 中央棟と大聖堂。

 正反対の位置にあるが、第四騎士団事務所棟からは途中まで同じ道だ。そのまま三人で執務室を出て、いつもの勝手口へと向かう。すぐ先にある馬車止めには青毛と栗毛の二頭が既に待っていた。

 いつもの動作で真澄を鞍に上げる。この補助をする限り、もう彼女の腰が引けることはない。随分と慣れた。独りで乗るには今しばらく時間がかかるだろうが、それも遠くはないだろう。

 こうして二人で乗るのもあと僅かか。

 喜ばしいことだと思う一方、惜別の念も湧き起こる。複雑な内心を抱えながら、アークはあぶみに足をかけ一息に太い背にまたがった。

 待っていましたと言わんばかり、立派な四肢が踏み鳴らされる。

 手綱を操ると、青毛は快い速さで駆けだした。

 出会った当初は舌を噛んでいた真澄も、もうそんなことはなくなった。道中に他愛ない話をしながら分かれ道に着いた時、「ありがとう」と言いつつも真澄は歩き出そうとはしなかった。

 彼女はそのままアークとカスミレアズを見上げてくる。

 朝の光に彼女の瞳が柔らかく薄く輝いていた。吸い込まれそうなその色。アークが目を離せないでいると、真澄の方が先に視線を外した。

 その向かう先は、

「馬の尻尾かあ……」

「待て。張り換えたいとか言ってたな」

「いいところに材料があるわよねえ」

 つい、と青毛の尾をつまむ白い手。

 不思議そうな顔を尻に向ける青毛だったが、焦ったのは馬上のアークだ。

「ばっ、おいやめろ!」

「あははっ冗談よ冗談!」

 そこでぱっと尾を離し、真澄が手を振った。

「じゃあね。行ってらっしゃい!」

 子どものようにぶんぶんと大きく手を振って、それから大聖堂へと向かっていく。その足取りは確かで、振り返らないその背は細くありながら確固たる己を抱くように見えた。


*     *     *     *


 アークとカスミレアズが中央棟に到着すると、入口では既にヒンティとハウゼンが待っていた。

「やはりハウゼンが来たか」

「人選を間違えたとは思いませんが、いかがでしょう」

 応えたヒンティの言葉に、ハウゼンが肩を竦めて小さく笑った。

「私ごときで説得力になるかどうかは分かりかねますが」

「謙遜だな。逆に訊くが近衛騎士長と第三席の二人を信用できずに総司令官が務まると思うか?」

 アークの問いにヒンティとハウゼンは顔を見合わせ、思わずといった態で苦笑を漏らした。

 これは万が一の外乱を撥ね返すための人選だ。

 確かに軍法会議はその長官──つまり指揮官の結論ありきである。判士の選定は指揮官に一任され、特別な規定はない。それでもアークが第四騎士団からは一名だけとし、残り二名を宮廷騎士団としたのは理由がある。

 今、アルバリーク帝国は重大な局面にある。

 帝国史上稀にみる一大作戦を目前に、常にはない動きがそこかしこで目立つ。この状態をアークは危惧しているのだ。平時であれば問題なく決着することも、今はどこから待ったがかかるか正直読めない。

 フェルデは大魔術士だ。

 戦力としてはかなり大きい。いかに抗命という重罪が今回の発端だったとしても、この有事に大戦力の一人を第四騎士団の独断で采配することに異議が上がる恐れがある。その時に備えてアークはヒンティを頼ったのだ。

 ヒンティはアークの危惧をよく理解してくれたと言っていいだろう。

 ハウゼンを連れてきたことがその証左だ。

 アークが今回の軍法会議でいかなる結論を出すか、その内容は知らずとも、確実に支持するであろう人間。同時に、異議を上げるであろう人物に具申できる立場の人間だ。

 役者は揃った。

 後は舞台に上がるのみだ。

「さあ、行くぞ」

 俺たちには他にやるべきことが山積みとなっている。

 そう続けたアークに、判士として選ばれた三人は無言で頷き、そして歩き出した。



 アークたちが入ったのは中央棟四階、その最奥に置かれている部屋だった。

 扉は開け放たれている。

 そのまま中に入ると既に法務官と議事進行の文官が待機していた。

「おはようございます。本日はどうぞ宜しくお願い致します」

 緊張の面持ちで挨拶を寄越したのは議事役だ。まだ若い。彼は揃い踏みしたアークたちから目を離せないでいる。真正面からぶつかるのではなく僅かずれた視線は肩を見ているのだろう。

 金と銀の縁取りばかりが三人、あとは神聖騎士が一人。

 ハウゼン一人を取ってみてもいわゆる下級文官がおいそれと目通りできる相手ではない。あふれる物珍しさと隠しきれない好奇心の瞳に、思わずアークには苦笑が浮かんだ。

「初めてか」

「へっ?」

 アークから話しかけられるとは思ってもいなかったのか、議事役は目を丸くしている。

 若い文官の慣れない様子、しかし新鮮なそれに、背後からも小さく笑いがもれる気配がした。

「常設軍法会議の議事進行は初めてか、と訊いている」

 重ねてアークが問うと、議事役は飛び上がる勢いで姿勢を正した。

「はっはいっ! あのっ自分は五年目でしてっ! これまでは二度、上について進行は学ばせて頂きました!」

「三度目で独り立ちか。文官も厳しいな」

「え? ……っと、はい……あの、直属の上司は『習うより慣れろ』の人でしていつも無茶ぶり……あっ違、今のは忘れてください! 申し訳ありません大変緊張しておりまして!」

「そのようだな」

「わー笑った!? 違うんです本当は第四総司令官がもっと怖い方と思ってまして先輩たちなんか不用意に目を合わせると叩っ切られるぞとか不手際があれば跡形もなく消されるぞなんて脅してくるし正直まともに口が動くか粗相をしないか心配で心配で夜も眠れなかったのですがなんだか第四総司令官は普通にお話くださるし笑ってらっしゃるしで大変混乱しております……えっと、ですからその、どうしよう……どうしたらいいんですかこれ……?」

 立て板に水の如く喋る議事役。最後は泣きそうな声で彼の先輩である法務官を見遣り、同情と呆れの混ざった視線を返されている。

 そして背後では三人分の噴き出す音がしっかりと聞こえた。

 思わずアークは振り返り、「おい」と釘を刺す。しかしカスミレアズが「いけません」と微妙に締まり切らない顔のままで返してきた。

「そういうドスの効いた不用意な一言と一睨みが発端となってあらぬ噂が飛び交うんですよ」

 自重すべきであると今しがた分かったばかりではないか、としたり顔で続けてくる。

「マスミ殿のことばかり言えませんね」

「やかましい」

 アークが一喝すると、カスミレアズは肩を竦めて引き下がった。その指がとある一点を差している。辿った先には完全に蒼褪めて固まった議事役がいた。

 今にも消されそうな恐れ慄き様である。

 これを放っておくとまともな議事進行は望めない。やむなくアークは「悪かった」と矛を収めた。

 法務官がそこで「席に」と促してきて、アークを中央に全員が定められた席に着く。そこからは少しだけ静かな時間が流れた。

 誰も声を発さない。

 準備のための衣擦れ、紙を検める音。アークもまた手元に置かれていた数枚のそれに一通り目を走らせた。

 今日の議事、レイテアから出したアークの書簡──長兄である王太子の署名入りの。そして宮廷魔術士団長イェレミアスからの陳情書。そしてハーバート=フェルデの経歴書。

 歳は二十八。

 カスミレアズと同じだ。仕官に上がったのは十五の時。そこから僅か五年で従魔術士を卒業し、正の階級を得ている。平均的には十年かかるところを倍速だ。それから僅か八年で大魔術士に昇りつめている。正魔術士のまま仕官を終える者が大多数である中、この若さで名誉職にも近い大魔術士として認められたその才は本物だ。

 結果だけを見れば高名な魔術士一族の出にも思えるが、違う。

 フェルデ家はただの平民である。

 本当に中流の、帝都では珍しくもない大多数。古くから続く貴族でもなく堕ちて食い詰めた貧民でもない。

 一族の中には何人か仕官に上がった人間もいたらしい。が、ほとんどは後方支援方ばかりで魔術士はなく、父方の高祖父と祖父の代に正騎士が二人ほどだ。

 両親は健在。

 実家では古物商をしている。貧富入り交ざる客層を相手にする商売だが、堅実かつ誠実だと評判だ。

 きょうだいは兄と姉が二人ずつ、ハーバート自身は末子。長男が実家を手伝いつつ、他のきょうだいいずれも真っ当な職にそれぞれ就いていて、金のために仕官に上がった線は薄いと見ていい。


 なぜあれほど歪んだ。


 縛られるほどの家でもなく、環境に恵まれなかったわけでも、人に虐げられてきたわけでもない。本当に普通の家に生まれ育ち、普通に生きてきたはずだ。

 にもかかわらず妄執といっていいほど魔術士としての在り方にこだわりを見せたその理由。

 淡々と綴られる経歴書を見つめながら、アークはフェルデが発した言葉の数々を脳裏に浮かべる。ふと思いついたのは、彼自身が本当に欲しかったもの、手にしたかったものは何かという問いだった。

 ガウディ妹に執拗に絡んでいたのは事実だ。

 だが第四騎士団に対しても強い感情を向けてきた、それは間違いない。カスミレアズ然り、アーク然り。なぜだ。ガウディ妹だけが理由か。だがそれならばアークにまで捨て身で刃向かってきたことへの説明がつかない。

 経歴書を再び追う。

 高祖父の代の正騎士、所属は第四騎士団と書かれていた。そしてその正騎士は当時の対レイテア前線に出されて殉職している。

 この辺りに理由がありそうだ。

 そこまでアークが考えた時、被告人の入室を告げる声が上がった。


*     *     *     *


「本歴1782年、晩秋の月、第11日。被告人を宮廷魔術士団のハーバート=フェルデ大魔術士とし、長官を第四騎士団アークレスターヴ=アルバアルセ=カノーヴァ総司令官と定め、本軍法会議を開催致します」

 議事役の声が淡々と室内に響く。

 彼は緊張を露わにしたまま、次いで判士それぞれの所属と階級を読み上げていった。

「被告人の罪状に関してはお手元の書面のとおり、レイテア魔術士団を指揮下に置いたイグルス掃討作戦に於いて、カノーヴァ指揮官に対する直接抗命。滞りなく作戦遂行するため、本来その場で処断のところを本国の会議にかけることが決定され、被告人もこれに同意。ここまで事実に相違ありませんか」

「ない」

「……ありません」

 アークとフェルデの返事が順に為される。それに一つ頷き、議事役は再び手元の書面へと視線を落とした。

「結構です。では次。被告人の処断に入る前に、陳情書について具申があればここで受けます。長官、何かございますか」

 最初にアークに視線が向けられる。

 それを受けてアークは流麗な直筆で書かれたそれをもう一度だけ見た。だが何度見ても、アークの中での結論はもはや覆らない。

「ない。被告人が宮廷魔術士団にとり重要かつ主要な戦力の一人であることは理解した。以上だ」

 議事役がアークの言葉を議事録に残していく。

 羽ペンの走る音だけ。

 静寂の空間でフェルデを見遣るも、部屋の只中に独り立たされた彼は無表情のままで視線を床に固定していた。

「判士」

 議事役が呼ばわるが、四人の誰も何も言わなかった。

 最後に「被告人」と水が向けられる。訴えるとするならばここしかない。本来は罪状を読み上げられた後、すぐに処断に入るのが常設軍法会議だ。陳情書が届けられた時にだけ被告人にも発言の機会が与えられる。過去にはここで己の信条を叫び、そのまま処断された者もいた。

 しかしフェルデは何も言わなかった。

 ありません、と。

 先と同じ一言を以って答弁を終了し、頑なに下を見つめたままだった。

 そんな態度に驚きを隠さなかったのが議事役だ。若い彼は本来すぐに次の議事──処断に入らねばならないところを、待つような素振りで言葉を溜めた。

 だがそれも長くは許されない。

 議事役は痛そうな顔を隠さないまま、「結構です」と定型の言葉をどうにか発した。

「それでは処断に入ります。長官」

 どこか縋るような目であるのは気のせいではない。

 まだ若いとはいえ軍法会議の意味するところは理解しているはずだ。仕事であったとしても、厳しい処断──最たる例は会議終了後に処刑──に、思うところがないわけではないだろう。必要性を理解はしても、心がそれについてこれるかどうかは別物だ。

 だから法務官は若手が中々育たない。

 彼らは一人前になる前にこうして議事役の経験を重ねるが、そのまま法務官になれるのは半数にも満たないと聞く。ある意味で国軍の最も厳しい一面を目の当たりにするが故、耐えきれずに辞めていくのだ。

 真面目な青年だ。

 手加減してやりたい気持ちはある。しかしアークの立場でそれは許されないことでもある。命令に従わなかった一人に情けをかけると、命令に従った他の全員を裏切ることになるからだ。

 アークは最後まで目に映していた経歴書から顔を上げた。

「本常設軍法会議長官として被告人に対する処断を言い渡す」

 当の本人であるフェルデは微動だにしない。

 代わりのように議事役がびくりと肩を揺らした。


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