12.風呂と行進曲と公然わいせつ?
アークの天幕を退出してカスミレアズに案内されたのは、巨大と言って差し支えない大浴場だった。
脱衣所からしてだだっ広い。鏡のある洗面台以外は壁という壁一面に棚が設えられ、中央には数人が腰かけて休めそうな四角い切り出しの石がいくつも置かれている。石は茶と白のまだら模様で、落ち着く風合いだ。
その雰囲気は温泉を彷彿とさせた。
浴場の入口からは、湯煙がふわりふわりと漂ってくる。
この分だと数十人を問題なく同時に受け入れることができるのだろう。ここまで文化レベルが高いとは正直思っていなかった。
「すご、広……」
高い天井を見上げ、口がぽかんと開く。
「これを使え」
あちこち見渡していると、カスミレアズが何かを放ってきた。
両手で受け止め広げてみると、それはタオル地に似た柔らかな布だった。ご丁寧に大小組み合わせだ。つまりバスタオルと身体を洗う用、それぞれに使えということらしい。
「あなたの存在はごく一部のものしか知らない。見張りには立つが、外浴場までは目が行き届かないから注意するように」
「外? 露天風呂があるってこと?」
風呂好き国民の血が騒ぎ、思わず前のめりになる。しかしカスミレアズは生真面目な顔をしかめた。
「裏手側にあるとはいえ目隠しなど何もない風呂だ。男所帯だから必要がない」
確かに男だけならば、そんな気遣い無用の長物である。
「てことは、ここって男風呂?」
「そうだ。このヴェストーファ駐屯地に女騎士は一人もいない。気乗りはしないだろうが、こればかりはどうしようもない」
「違う違う、女風呂がいいとかわがまま言うつもりはなくてね。むしろ申し訳なかったなと思って」
真澄は頭を掻いた。
しかしカスミレアズは眉間を寄せるばかりで、いまいち分かっていない風だ。
「ごめんね。もっと簡単に済む話だと思ってたから」
こういう状況だと知っていたら、もう少し違う頼み方をしていた。今更反省しても遅いが、困らせるつもりだったわけではないのだ。
まあ元をただせばおたくの上司の責任九割ですが、とは言わないまでも、手間を掛けさせたことに違いはない。
「……いや、」
言葉少なに会話を切り上げ、カスミレアズはそそくさと出て行ってしまった。
見張りをしてくれると言っていた。となればあまり長湯はしない方が良いだろう。
真澄は躊躇いなく服を脱ぎ捨て、大浴場へと足を踏み入れた。
中もまた脱衣所に見合ってかなり大型だった。湯煙に視界を遮られる中、石造りの高い天井が目立つ。景色を見るような窓はないらしく、光源は天窓から幾筋も差し降りてくるものと、壁際と空中に点在する得体の知れない球体が柔らかく発光するものと二つあるようだ。
光の球体は大小様々である。色も乳白色から柔らかな橙と、それぞれ違う。まるで水中にいるように浮かんだり沈んだり、のんびりと勝手気ままにゆったり漂っている。
うむ。
もう何を見てもあまり驚かなくなってきた。
人間が服を着ているとか寝る為のベッドがあるなど、大きな部分ではそこまで常識が乖離しているとは思わない。それでも細部を見ればやはりここは真澄の知らない異文化だ。技術レベルが違うのかそれとも物理法則が若干違うのか、あるいは異文化というより異世界と言った方が状況説明としてはしっくりくる。
異世界なのに風呂はあるとかなんかシュールだ。
入口に近い手前側は洗い場、奥には温泉さながらの巨大な湯舟が横たわっていた。
普段は屈強な騎士たちが溢れ返っているであろうそこからは、たっぷりの湯がざあざあと惜しげもなく溢れている。見れば湯は薄白く濁っていて、形だけでなく本物の温泉のようだった。
毎日温泉に入れるなど、なんと贅沢なことか。
実に羨ましい。
隅に積まれている白木の手桶を使い、湯舟から湯をすくって身体にかける。適度に熱い湯が身体を滑り落ちる度、疲れもするりと流れていく。
まずは洗い場に行き、石鹸で入念に全身を洗う。
いきなり湯舟にダイブは許されざる行為である。風呂をこよなく愛する国民性ゆえ、そのあたりのお作法は完璧であるという自負がある。
胸を張ったところで誰も聞いている相手はいないのだが。
それにしても、得体のしれない魔術とやらを除けば文化レベルは同じくらいのようだ。これだけ大規模な風呂があるのは言わずもがな、クレンジングがないのでやむなく石鹸で頑張ることにしたのだが、何かが混ざっているのか擦らずともするりと化粧は落ちた。これは汚れ仕事の人間に嬉しいだろう。
不思議な場所だ。
知らないはずなのに、無駄に適応している気がする。それは取りも直さず、あの二人相手に勢いのまま体当たりをしているからか。
そんなことを漫然と考えながらがしがしと全身を手早く洗い、真澄は湯舟を目指した。
途中、白木の――生木の色ではなく、本当に純白の――桶をしっかりと元の場所に返しつつ。
そして今。
「あ゛ー……」
じいさんのような唸り声が出たのも致し方ない。全身の痛みが和らいでいく。用法は違うがまさに五臓六腑に染みわたる、そんな心地なのである。
気が付けば、感じていた身体の痛みは軒並み取れていた。
それは湯舟に浸かる前に気付いた。打ち付けた背中の痛みも、縄で縛られた手首足首の擦り傷も、全て。多分それは、「治してやる」とアークがくれた青い光が効いたのだろう。会話から察するに、出血大サービスだったようでもあるし。
湯の温度に慣れるまで閉じていた瞳を、ゆっくりと開ける。
無骨な岩がいくつも組み上げられた露天風呂、湯煙がふよふよと風に揺られている。薄白い湯は温泉さながらだが、つきものの玉子が腐ったような匂いはしない。それどころか微かに柑橘のような、爽やかな香りが立っている。
周囲には確かに衝立や目隠しといった類は一切なかった。まさに裸一貫で勝負の風情である。
さすが男所帯。
露天そのものは裏手に設えられているとカスミレアズが言ったとおり、人の気配はまったくない。
どうせ皆仕事中だろうと適当に読んで、窓のない屋内浴場よりも露天に入ることにしたのだが、これは正解だった。開放的で実に気分が良い。
静かだ。
時折、鳥がぴーちくぱーちく鳴き交わしていく。
端の岩に頭を預け、空を見上げる。綺麗な青空だ。おそらく多くの若者にとって人生の門出となるであろう晴れの日を、この空は祝福しているかのようだ。
「祝福、ねえ」
呟いて先ほどの説明を思い出す。
カスミレアズは言った。騎士たちがそう在ることを宣誓する式典。そうすると美しい優雅な旋律よりは、勇壮で誇り高い曲調がより相応しいだろうか。
「勇ましい……といえば、行進曲とか?」
まさに軍隊を彩るために作られる曲種だ。
一口に行進曲と言っても色々ある。華やかな式典の行進であったり、将軍を称えるものであったり、主眼は戦意高揚に置かれているもののそのテーマは多岐に渡る。
たとえば、ヨハン=シュトラウス一世が作曲した『ラデツキー行進曲』。
将軍を称える為に作られ、最初の小太鼓とシンバルの勇壮な節から一転、管弦合わせた前奏が大変に華やかな曲だ。その主部は装飾音がふんだんに使われており、軍隊の英雄を彩るに相応しい。
ちなみに彼の長男であるヨハン=シュトラウス二世は「ワルツ王」と呼ばれ、『美しく青きドナウ』が代表作になっている。
こちらも華麗で優雅な曲だが、ワルツという曲種の性質上、今回の場面には少しそぐわない。式典余興としてのダンス曲ならば、これ以上ないほど輝くだろう。
行進曲に思索を戻す。
ジョン=フィリップ=スーザの『ワシントンポスト』は最初から軽快で親しみやすいメロディーラインを持つ。行進曲ではあるものの作曲された背景は表彰式用だった為、イメージは物々しい軍隊というより、パーティー会場でかかっていてもおかしくないような、華やかで軽い音が連なる。
スーザは「マーチ王」という二つ名でも称えられる作曲家だ。
彼が手掛けた百を超えるマーチ曲の中でも、同じく有名なのが『星条旗よ永遠なれ』、『雷神』などがある。
「ラデツキーとか色々あるけど、でも」
ふむ、と手を口元に当てて考え込む。
曲を授けるタイミングは全ての騎士が長剣と盾を拝命した後、騎士が騎士である為に授けられる魔力を受ける時。まさに最後の締めくくりらしい。最高司令官からの祝いに相当するのだという。
それならば、華やかながらも勇壮な曲が良さそうだ。
抱えるであろうその誇りに、敬意を表すような。
叙任式の後に催されるらしい騎馬試合の最中に演奏となれば、終始疾走感のある曲を選ぶところだ。が、想像するに重厚な儀式の色合いが濃そうである。
となると。
「やっぱりエルガーの『威風堂々』かな」
通しで暗譜もしているし、これがいい。繰り返しも比較的しやすい構成だから、状況を見ながら主部と中間部どちらで終わらせるかを見極めればいいだろう。
短時間とはいえ深く悩んで肩が凝った。湯舟に浸かったまま両腕を伸ばすと、凝りが解れるようで気持ち良かった。
だから気付くのが遅れたのは不可抗力なのである。
真剣に考えたから、しばらく目を瞑っていた。唸る勢いで考えていたともいう。
その流れで伸びをする時もそのままだった。
輪を掛けて悪かったのは湯温が高めで、軽くのぼせたことだ。最初に立ちくらみのようになって、そちらに気を取られてしまった。めまいが落ち着いた頃にようやく顔を上げると、
ばっちり目が合った。
若い男三人衆と。
騎士らしい格好をした彼らは、完全に停止している。その顔は明らかに信じ難いと言いたげな――たとえばツチノコに代表される未確認生物を発見したかのような――凍り付いた表情だった。
一方の真澄も固まる。
露天とはいえ深さがあったので、一応下半身は隠れている。薄く濁り湯でもあるわけで、だから多分大丈夫だ。
だがしかし残念なお知らせもあって、上半身は力いっぱい惜しげもなく晒しているという状況だ。どう贔屓目にみても大丈夫とは言い難い。ちなみに「大丈夫」の基準視点をどこに持っていくかというのは、議論の余地がまた別にあるというのは余談だ。
これはどうすべき状況か。
悲鳴を上げるべきか。しかし公然にわいせつな格好をしているのは真澄なのであって、それは「盗人猛々しい」を地で行く対応ではないのか。
鳥がちーちーぱっぱとご機嫌に鳴いて飛んでいく。
「あ、あの」
とりあえず両腕を交差させて胸を隠す。不可抗力とはいえ恥じらいを捨てたわけではない。
そして、いざ弁明。
と意気込んだのも束の間だった。
「う、わああっ!?」
三人衆のうち真ん中の一人が腰を抜かさんばかりの悲鳴を上げた。
心外だ。人をまるで幽霊みたいに。
しかし真澄が内心抱いた抗議は、日の目を見ることはなかった。真ん中の一人が脱兎のごとく駆け出したからである。
「あっおい!」
「ちょっ待てよリク! おい、待てったら!!」
両脇にいた二人は目を白黒させながらそれを追っていった。名残惜しそうに二度三度と振り返ってきたのは見間違いじゃない。
一人取り残された真澄は、釈然としないものを抱えながら露天風呂を後にした。
そんな悲鳴上げて逃げられるほど残念な身体だったんだろうか。確かにぼんきゅっぼんとまではいかないですよ? でもぽんきゅぽん、くらいはある、ハズ。
ないのか。
希望的観測すぎたか。
だから逃げられたし、二度見三度見もされたのか。
色々なことにひっそりと傷付いたが、慰めてくれる相手は誰もいなかった。




