114.本質を問い続けて
第四訓練場を後にした真澄とリシャールはそのまま徒歩で外部用宿舎棟へと向かった。
道々に真澄が昨日の顛末──サルメラ家での騒動とハウゼン邸からの接遇──について話すと、リシャールが「そうでしたか」と感慨深げに相槌を寄越した。
「そりゃ朝一で大騒ぎになるわけだ」
第一騎士団でも大層盛り上がっていたんですよ、と続く。
「魔術士団からあっという間に話が伝わって。うちの騎士長なんか『面白くなってきた』とかニヤつきながら『お前どっち派?』とか周りに訊いて回ってるし、団長は『またあいつか……』って言いながら胃薬飲みだして、あ、あいつっていうのはアークレスターヴ様のことですからね、誤解しないでください」
叔父だからといって目付け役のように思われているが、実の兄である宮廷騎士団長でさえ御しきれない人間をただの第一騎士団長である自分がどうにかできると思うかああ胃が痛い。
と、いうのが第一騎士団長の常日頃からのぼやきなのだという。
そうか叔父さんだったのか、という新しい驚きが真澄の中に浮かぶも、話の本筋ではないので胸中に仕舞いこむ。だから予算の融通を利かせてくれたりもしたのか、と今さらながら納得である。
しかし騎士団長とはつまり総司令官のことで一騎士にしてみれば雲の上の存在、「ただの第一騎士団長」だなんて口が裂けても言われないはずなのだが、いかんせんその悩みがあまりにも人間くさくて同情を禁じ得ない。
「それにしても着々と碧空派は勢力を拡大していますね」
「だからその碧空派ってやつはね、私はなにも」
「うーん、『何もしてない』はさすがにもう無理がありますよ。だって碧空楽士団作るんですから」
それはもはや象徴以外の何ものでもない。
そんな目に見える形を創ってしまえば、その旗の下に必ず人は集う。もう後には引けませんねと言ってリシャールが笑った。
「今後ガウディは全面的に碧空楽士団を支持しますし、姻戚のアーステラも当然同じです。そうするとアルマ伯母上の繋がりもあって第一騎士団も乗る可能性が高い。まあ団長の胃がもつかどうかが問題ですけど……下手すりゃ碧空・常盤で合同楽士団の未来もあるかも。ゆくゆくは宮廷楽士団を凌ぐ大所帯になるかもしれませんね」
「……伯母上?」
「はい」
「もしかしてアルマって第一騎士団首席楽士のあの方?」
「はい」
「伯母さん? え、親戚? ……そうだったの!?」
「割と有名な話なので敢えて説明してなかったんですが、そういえばマスミ様はアルバリーク人じゃなかったんでしたね」
これは失礼しました、と焦る素振りは皆無のままリシャールが言う。
「母の姉です」
「そうだったのね……あちこち繋がっててもう何がなんだか」
「ええ、ですから味方はそれなりにいます」
「ありがたい話ね。でも合同楽士団はともかく、楽士そのものを一気に育成するのは現実問題として難しいってのが悩みどころよ」
「そこはまあ、専属契約の在り方次第だとは思いますけどね」
「……どういうこと?」
思案しながらのリシャールの言葉が飲みこめず真澄は訊いた。すると、「楽士団の長となるマスミ様がどう考えるか次第ですが」とリシャールが続けた。
「制約の強さと回復量補正は引き換えです」
高い位置から降ろされる銀色の視線。そこには深い思慮が滲んでいた。
不意にもたらされた新しい情報に、その意味を真澄は考える。
そもそも専属契約というのは、単純にその楽士がこれと決めた相手のみ回復することを指すのだと思っていた。いわゆる婚姻という概念とほぼイコールなのだという理解だ。
違うのか。
その問いを胸の内で呟いた時、ふととある場面が真澄の脳裏によぎった。
あれはそう、ヴェストーファの夜だ。
この世界に来てまだ右も左も分からないまま、手探りでいろいろと調べて分かったことと分からなかったことがあった。
複数人に対する同時回復は簡単にできた。
真澄はそうであろうと予想していたが、騎士たちは驚いていた。あの時は、その理由まで突き詰める時間がなかった。
そしてもう一つ棚上げになっていた考察がある。
それは音程、音感に対する回復量の厳しさについてだ。絶対音感を前提としているかのようにシビアな判定で、それがゆえにアークの楽士が何人も交代したのだと推察さえした。
それらの答えを見つける前にタイムリミットを迎え、結局今に至るまでそれを思い出すことはなかった。
専属契約というもの。
その本質。
言われてみれば、リシャールの父は専属がありながらも任務で多くの補給を担ってきた。その卓越した演奏技術は確かなものだったと伝えられている。
音感と正しい技術さえあれば専属契約を結ばなくても充分な補給ができるという証左だ。そしてそれは真澄も身を以て体感していることでもある。
ではもしもそれらを持たなかったとしたら。
真正面からやって回復が捗々しくない、けれども楽士として在ろうとするのならば。
「もしかして専属契約って、楽士側が言い出したこと?」
人口そのものが増えて楽士需要が高まるも、必要な水準を維持できなかったとしたら、人はどうするだろうか。莫大な利があると分かっているのならどうにかしてそれを死守しようとするのではないのか。
定められた厳しさ。
おそらくその前提を覆すことは不可能で、けれど短期的にどうにかしようとするならばそこに魔術が介入する余地ができる。
演奏技術を門外不出にし、楽譜の普及を制限し、楽器そのものの供給源を押さえる。その上で楽士がそこにしかいないと見せれば必ず雇い手は来る。
需要があれば供給側から制約を課すことも簡単だっただろう。
制約。
つまり婚姻と結びつけて回復対象を限定することで回復量を上げるのだ。
そうして見かけ上は楽士のまま、実際には技術が覚束ない紛い物が増える。けれどそれは専属契約という作られた悪しき慣習に隠された。
そして時代は下る。
本当の理由が秘匿されたまま、いつしか専属契約は一対一の関係の代名詞となったに違いない。そこに疑問を抱いたとて、できあがった慣習を破ろうとする者は忌避される。そしてそういう者は楽士を得ることはできないのだ。
結果としていつから始まったか定かではないそれは、補給線の深刻な不足として今のアルバリークを内部から蝕んでいる。
「そういう理解で合ってる?」
考えた仮定を投げてみる。
すると返事は「俺の予想は概ねそのとおりです」ときた。
「ガウディと他の姻戚の家系図を辿って気付いたことです。ある時代を境にアルバリーク内に無数にあった小さな楽家が大量に絶えています。紐解くと、騎士、魔術士との婚姻が原因のようでした」
その動きは人口が増え、アルバリーク国軍の規模が大きくなった時期と一致しているという。
「それより前の時代は特に婚姻に縛りは見受けられないのです。誰が相手でも関係ない、軍人でさえない一般人を伴侶とした例も多々あります。つまり生業と婚姻は完全に別物と考えられていたし、事実その時代を生きた楽士はそう在った」
それを踏まえて時代の変化がもたらしたものは、
「きっかけはおそらく赤の周期か何か──騎士と魔術士が大量に必要とされた理由があるはずです」
そういう意味ではどちらが悪かったのか分からない、或いはどちらも悪くはなかったかもしれない、と続いた。
この苛烈な世界で。
一人では生きてはいけない弱さを抱えて、それでも生きようと肩を寄せ合って。
呟いたリシャールの視線は道に並ぶ樹々に注がれている。
それらは晩秋に色付いている。赤、黄、あるいは既に茶に朽ちているものもある。風が吹くたびに落ちる葉。どこへ往くこともなく足元で重なり続け、さながら柔らかな絨毯の様相だ。
続く道は夏とは違う。
自分たちはどこへ向かうのだろう。
静かな問いを脳裏に浮かべながら、真澄は無言のまま隣を見た。斜め上。すぐそこに見える肩章は常磐の深緑、冬にも変わらぬ恒久の色だ。
話の続きを促すとリシャールが一つ息を吐く。
「楽士の側も最初はただ傾国の危機に応えようと苦肉の策で未成熟の技術を補うための専属という制約をかけたのかもしれない。真偽のほどはもはや確かめようもありませんが、ただ発端がどうであれ、今はそれを利用した富の寡占と楽士供給量の限界という壁にぶち当たっているのは事実です」
深く静かな考察だった。
真澄などはアークたちの行き詰まっている現状に頭から楽士側が悪いのだと決めつけてかかっていた。しかしかつて楽士として教育を受けたリシャールには違う景色が見えていたのだ。
立場が違えば主張も違う。
どうしたらいいのだろう。
そもそも真澄としては養成する楽士に対して従来型の婚姻に付随する専属契約を課すつもりは毛頭なかった。あくまでも養成費用の回収そして楽士流出を防ぐために、第四騎士団を補給対象とする広義の専属契約にしようとしていたのだ。
回復量補正については全く考慮の外だ。
しかしこれは上手くすれば養成期間を短くできるかもしれないという希望でもある。
「ねえリシャール。一番強い制約ってなんなの?」
「うーん、やっぱりそう考えますよね。でも実はこれ、簡単そうで難しい質問でして」
伸ばした背筋のまま規則正しく歩きながらも、リシャールは眉を下げた。
そもそも論からすると、と前置いて。
「古式魔術を使った制約が最も強い効果をもたらします。ただ使える人間はほぼいないので、現生魔術で考えると人により異なるというのがより正確な答えなんですが、……万人に対して有効な手段という前提を置いた時に、基本は限定するほど強くなります。例えば、」
婚姻した上で補給対象は魔術士団あるいは騎士団どちらかに絞る。
これは割と多くの宮廷楽士がとっている制約の形で、ここが実は騎士団に楽士が回ってこない主たる要因であるという。
仕官している以上は補給任務があるためきつい縛りはかけられない。さりとて補正は欲しい。その結果としての形態である。
当然、婚姻相手が最もその恩恵を受ける。
それはあくまでも楽士側が制約を誓うからだ。婚姻相手を最優先に、次いで補給対象を限定する、と。
騎士や魔術士は制約しないのでどの楽士からであっても補給は受けられる。
「理論的には一人だけに絞るのが最も強いですね。ただそこまでいくとその楽士は一人しか回復できなくなってしまいます。国軍という組織を考えるとあまりに非現実的なので、単純ではありますが最も選ばれない方法でもあります」
「そっか。やっぱりそう簡単にはいかないか」
思わず渋面になったが致し方ない。難しいことをやろうとしているのは百も承知なのだ。
古式魔術と現生のそれとの違い。
それはかけられる制限が違うとアナスタシアから教わったことだ。
古式魔術はいわゆる熾火クラスの膨大な魔力とそれを操る精緻な術式を以てほぼ全てのことを叶え得る。しかし制限のないそれは生死の危険を伴ったがために、全大陸魔術統括機関であるイーファにより監視され、今は許可なしでは扱えない。
現生魔術は誰でも──叙任を受けた種火の人間でも──危険なく発動できるものだ。
しかし危険がない代わりにその効果は限定的である。あまり複雑な条件付けはそもそもできないだろうし、補正ありきでは本末転倒になるだろう。
考え込み唸る真澄に、リシャールが思案顔で「やるとするなら後は」と続けた。
「楽士個人の力量に合わせて制約を分けるというのも一つの選択肢です。補給する騎士の階級で縛るとか」
いずれにせよ、そういう意味でも専属契約と呼ぶのはもはや実態にそぐわないのだ。
「碧空楽士団がどこまでを対象に補給を担うのか次第ですが、婚姻はそれぞれの自由に任せて、制約は別の形でかけて万人が補給を受けられる状態にすべきかと個人的には思います」
個人に起因しない大枠での制約をかけることで回復補正ができる道を模索するのが望ましい。そこから育てなければならない最低限のレベルを定められるだろう、と結ばれた。
だから最初に「専属契約の在り方次第」とリシャールは言ったのだ。
楽家の出身でありながら今は神聖騎士として生きる彼の言はあらゆる示唆に富んでいた。
「ここはゆっくり考えていいと思いますよ。そういう条件付けは俺なんかより宮廷騎士団が得意なので、ヒンティ騎士長あたりに相談されるのが良いかと」
「うん、そうね。そうする」
「まあそういうわけなので、アンシェラ嬢を専属にというのは厳密には間違いなんですよね」
もしも大成できたとしても、楽士としての彼女を独り占めするつもりはない。
そうリシャールは言った。
「え、じゃあどうやって話切り出すの?」
真澄が問えば、
「そこはもう真っ向勝負。ただただ俺と一緒になって下さい、ですね」
一片の曇りもない爽やかな笑顔が返ってきた。淀みない言葉に軽く頭痛が襲ってくる。
「……ねえ。それやっぱり私要らないと思うんだけど」
最高に邪魔者でしかない気がするのだがどうだろう。
「いてくださいよ。あなたという人が隣にいて初めて俺の求婚に真実味が出るんですから」
「真実味……は、まあ確かに大事、よねえ」
脳裏に過ぎったのは遭難中に受けた求婚という冗談のような本当の話、というか自身の過去である。
真澄の語尾が若干曖昧になったのは致し方ない。
「切り出し方は正直迷いどころですけれどね。それでも、」
専属という言葉を体よく隠れ蓑にするのはやめる時が来た、と。
躊躇いなく口にするリシャールは緑の肩章が雄々しく、優しいはずの面差しは精悍に引き締まっていた。
* * * *
宿舎棟に着くと、玄関の先にあるロビーに見知った姿の二人が待っていた。メリノ公とアンシェラだ。彼らは真澄たちの姿を認めるなりソファから立ち上がり、二人揃って礼を取った。
リシャールが先触れを出していたらしい。
用件はデーア神殿の案内で、特に怪我など負ってはいなかった彼らはその申し出を受けたのだ。
「リシャール様!」
礼から顔を上げるなりアンシェラが笑う。その頬はばら色に輝いていた。
こんなに屈託のない笑顔はヴェストーファではついぞ見られなかった。どちらかと言えば貴族令嬢として礼を失しないようにと、どんな相手に対しても彼女は常に控えめだった。
自由なアンシェラ。
その生まれからどうあっても抱えねばならない荷、そこから束の間解き放たれて、ありのままの。これは確かに反則級の可愛さだ。
先に交わした会話を思い返しつつ真澄が一人納得していると、アンシェラが「マスミ様まで来て下さったのですか」と、今度は今にも泣き出しそうな笑顔で言った。
「お忙しいと伺っていたので……ヴェストーファに戻る前にまさかもう一度お会いできるなんて思ってもみませんでした」
祈るように組まれた指。
白く繊細な指先は微かに震えていた。
「リシャールが教えてくれたの」
震えるアンシェラの手をそっと包み込む。室内、それも温かな暖炉の傍にいたにしては、随分とその手は冷えていた。
不安な心が見えるようだ。
真澄は小さく笑って、自分より低いアンシェラの肩を抱いた。
「明日には行っちゃうって分かってて、大好きなアンシェラを放っておくなんてできるわけがないでしょう?」
神殿まで一緒にお供させてね、と。
真澄が言うと、アンシェラは「喜んで」と少しだけ震えた声で応えてくれた。
「こちらからお誘いしたのにお待たせしてしまいました。申し訳ありません」
リシャールが手を差し出し、メリノ公がそれを受ける。こちらは男性らしく力強い握手が交わされた。
「いいえ、幾らも待ってはいません。折角なので庭園を楽しませてもらっておりました。実に見事なものだ」
メリノ公がロビーの奥に大きく取られている窓を指差す。その向こうには街路樹とはまた別の、典雅な池を中心とした美しい庭園が広がっている。
水資源に恵まれたアルバリークらしい設計だ。
帝都の背後に連なる三連峰、その中にあるヴィスカス大瀑布からの急流は豊かな水量を帝都全域に供給する。それは街中でも樹々を育み、巨大な都でありながらそこかしこで自然を感じられるものだった。
来客用の宿舎棟とあってか庭園の植栽は綺麗に整えられている。
特に樹形の美しいもの、紅葉の色が目に綾なものが多い。庭園の中には散策の小路も造られており、思い思いに歩く人もちらほらと見えた。
「早速ですが参りましょうか」
外に馬車を待たせてある。
そう告げたリシャールのエスコートで一行は宿舎棟の正面玄関へと出た。そこにはいつの間に待機していたのか、二頭立ての馬車が止まっていた。
どちらも白い馬体、優雅な葦毛だ。
待っていた御者が扉を開ける。最初にアンシェラが乗り、次いでメリノ公が上がった。そしてリシャールに勧められて真澄もステップに足をかけた時、背後で小さな呟きがもれた。
「さっきのは妬けましたね」
思わず真澄の足が止まる。
振り返るとリシャールが苦笑していた。
「何の話?」
「俺なんかよりよっぽどマスミ様の方が愛されてましたね。あの笑顔は別格でした。初めて見た」
参ったな、と頬をかく。
「俺、いらないかも。碧空楽士団の話だけで神殿入りはやめてくれそうですね」
「なに言ってんの、もう。まさかここまで来てやめるの?」
「いいえやめません。マスミ様には負けません」
「何の勝負なの?」
最後は適当極まりない相槌で流し真澄はさっさと馬車に乗り込む。隣に座ったリシャールを見ると、彼はどこか余裕気な笑みを浮かべていた。
ゆっくりと馬車が動き出す。
宮廷を出て市街地へと出ると、そこでも街路樹が色づいていた。景色が流れてゆく。街ゆく人々は早い冬支度に追われているようでどこか気忙しく、落ち着かなかった。
「……冬が来ますね」
メリノ公が呟く。
今年は寒さが厳しそうだ、と。その視線の先には中央広場、女神デーアの像が変わらぬ姿で立っていた。




