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110.訣別と道


 叩き閉められた扉、その軋みが収まった時、部屋には沈黙だけが残っていた。

 そんな中、最初に口を開いたのはシェリルだった。

「そこまでするの」

 ぎり、と音がするほどその唇を噛みしめる。

「……浅ましすぎて涙も出やしない」

 気丈な声はしかし震えていた。怒りかそれとも失望か。どうあれあまりに苦しいその呟きを聞いて、真澄とアーク、そしてヒンティ騎士長は同時に立ち上がった。

 臨戦態勢は整っている。

 相手がやる気ならばこちらも真っ向受けて立つのみだ。真澄などは(たぎ)る気持ちに苛つきも最高潮に達している。言わせておけば好き勝手なことばかり、それも一方的に言われて不愉快この上ない。

 気を鎮める為に目を閉じ、乱れてもいないスカーフを結び直す。その隣でアークの喉がくく、と鳴った。

「しかしまあ舐められたもんだな」

 驚いたことにその声に苛立ちは滲んでいない。

 おや、と思い真澄が見遣ると、果たしてそこには人を石にできそうなほどの激烈な目をしたアークがいた。

 これは、すごい。

 溢れ出る青い闘気というかもはや殺気に、沸騰しそうだった真澄の頭も冷静さを取り戻した。

「それにしても人の神経逆撫でするのが上手かったわね。私は『無駄死に』って言葉が出た瞬間切れたわ」

「確かにいきなりそこで突っかかろうとしてたな」

 一番乗りか、とアークが笑った。

「とはいえ一事が万事あの調子か? 難儀だったな」

 労うようにアークがシェリルに向かって言う。シェリルは目を伏せて「大変なご無礼を申し訳ありません」と頭を下げた。

 受けたアークは「別に構わん」と手を振る。

「ある意味久しぶりに楽しめた。曲がっていようが腐ってようが筋は筋だ。あれだけ頑なに通せば味方も敵も多いだろう」

 それくらい骨がある者の昨今なんと少ないことか。

 呟いたアークに対し、ヒンティ騎士長がふと視線を投げた。

「とにかく参りましょうか」

「そうだな」

 言葉を皮切りに、真澄たちは応接室を後にした。

 そこから先の案内はシェリルが先頭に立つ。桐の大広間というのはこのサルメラ本家の中で最も大きい部屋で、百人ほどは悠に入れるのだという。

 一体何人が招かれているのだろうか。

 そしてその内の何人が、こちらに向かって仇為すのだろう。

「本当に何かされるのかな」

 思わず真澄は呟く。

 殉職などと物騒な話を持ち出す相手だ。何を吹聴しているのか分からない。

 どうだろうな、と思案顔はアークだ。

「ヒンティだけならまだしも『熾火』の俺がいる。まともにやり合えばこの屋敷はまあ跡形もなく消えるわな。範囲攻撃は魔術士の専売特許じゃない」

 だから脅しは脅しにならないのだ、と続ける。

「楽士が欲しいのは本当だろうが、今後の魔術士人生を賭けるとは思えん。絶対に無傷で帰れないと分かっているなら尚更」

 ここにきてこれまで貫いてきた姿勢が役に立ちそうで何よりだ、とアークが笑う。それに苦笑を返したのはヒンティ騎士長だった。

「売られた喧嘩は絶対に買われますし、それはもう有名ですからね。まあ半分以上は我が団の某イアンセルバート様が原因ですが……エイセル騎士長の耳に入ったら『好き好んで全方位を敵に回しているわけではありません』と怒られるところです」

「ほう。原因の自覚はあったんだな」

「ご本人はどうでしょう、直接伺ったことはありませんが。どうあれ案じられているのは確かです」

「その案じられ方が余計な世話で鬱陶しいと何回言っても通じねえんだよ。どうしたらいいんだ、あれは」

「性分です。観念なさいませ」

「……ヒンティがそう言うならもう処置なしなんだな。よく分かった」

 ため息を吐きつつ、アークがこめかみに手を当てた。

 そこで角に行き着く。

 右手に曲がるとその先には閉ざされた巨大な木造りの扉があった。中からはヴィラードの音と波のようなざわめきが聞こえてくる。分厚い音に、やはりそれなりの人数が招かれていることが分かった。

 扉の前に取り次ぎはいない。

 夜楽会はとうの昔に始まっているし、そもそも真澄たちは招かれざる客だからだ。

 さてどう入るか。

 出会い頭にいきなり襲われるとは考えづらいが、それにしてもどうなのだろう。

「どうやって行くの」

 真澄が問えば、

「どうもこうもない。普通に入って置いてあるヴィラードを取ってくるだけだ。当主代理に断りは入れてあるんだ、何も問題はない」

 あっさりとアークが返してくる。

「えー……そういうもの? 本当に大丈夫? 危なくない?」

「おう、心配してくれてんのか」

「だってあんな啖呵切られたら気になるじゃない」

「まあ多少の因縁はつけられるだろうがそれだけだ。心配ない」

「いやその『多少の』ってところが心配よ」

「流血沙汰にはならん。エルストラス遠征を控えてるこの状況で、任務に支障をきたすようじゃ魔術士として失格だ。そういう頭の回らない奴はそもそも大魔術士候補にもなってないだろうよ」

「んー……ならいいけど」

「ていうかお前な、そもそも俺とお前は中に入っても端で待機だぞ」

「えっなんで?」

「サルメラのヴィラードなんだからサルメラ本人が取り返すのが筋だ。そしてサルメラがここで弾かずに立ち去ることに意味がある。分かるか」

「……うん。そうね」

 そこでアークとの会話を区切り、真澄はシェリルを見た。隣のアークも同じように視線を投げる。受けたシェリルは一つ頷き、「私が参ります」と静かな目で宣言した。

「ありがとうございます。ここからは私のけじめです」

 そう言って、シェリルは一呼吸置いた後にその手で大広間への扉を開け放った。


*     *     *     *


 大広間は目映い光に満ち溢れていた。

 華やかな曲を奏でる楽士が四人、最奥に並べられた椅子にかけている。会が始まって久しいからかその周囲を取り囲む人間はまばらで、人は会場全体に広がっていた。

 多くは黒のローブをまとっている。

 彼らはそれぞれ立食に興じたり数人ずつで談笑しており、真澄たちに気付いた者は少なかった。

 しかしその数少ない魔術士たちは、一様に驚きを露にする。黒ばかりの景色の中に急に違う色──白と青、そしてすみれ──が入り、どよめきが少しずつ、しかし確実に広がっていった。

 真澄はアークのエスコートで入り口程近くに空いていた壁際へと移動する。その存在を認めてまるで磁石が反発するかのように、アークが歩を進める度に空間ができた。

 一方でシェリルとヒンティ騎士長は広間の中央を横切っていく。人波は割れ、驚きが会場全体に伝播した頃、気付いた楽士たちが曲を奏でていた手を止めた。

 よく見れば端に空いた席が一つある。

 その上にはヴィラードと弓が置かれていた。

 エスコートしていたヒンティ騎士長が演奏者たちの程近くで足を止める。彼女たちの視線はシェリルに釘付けだった。その内の一人は真澄にも見覚えがあった。シェリルに因縁をつけ、返り討ちに遭った楽士だ。彼女は左端、ファーストの位置に座っていて、誰より強くシェリルを睨みつけていた。

 シェリルが彼女たちに一瞥をくれる。

 その首元で花開くすみれ色のスカーフ、縁取りの銀糸が光を受けて輝いた。

 かつん、こつん。

 ヒールの音が静まり返った大広間に響く。シェリルは置かれていたヴィラードと弓に手を伸ばし、そして無言のままそれを抱き締めた。

 そのままシェリルは踵を返す。

 それを見たファーストの楽士が立ち上がった。がたん、と椅子が倒れる音が響く。会場中の視線が彼女たち二人に集まった。

「待ちなさい。弾かずに帰るなど許されると思っているの。お前はサルメラの楽士でしょう」

 恥ずかしいと思わないのか。

 続いた手前勝手な糾弾に、シェリルは静かな視線を返した。今朝方に反撃された記憶が蘇ったのか、受けた楽士が傍目にも分かるほど怯む。しかしシェリルは彼女に対して距離を詰めることはしなかった。

 その手は愛器をしっかりと抱えている。

 決意の程が、浮かぶ手の筋に現れていた。

「あなたから──あなただけではなくサルメラ家の誰からであっても、私には命令される謂れはありません」

「ふざけたことを」

「私は本気です。私の名はシェリル=サルメラではなく、シェリル=ヒンティです。こちらにいらっしゃる宮廷騎士団近衛騎士長の専属楽士ですから、それ以外の誰からも指図は受けません。絶対に」

「なんですって……!?」

 シェリルの宣言に驚愕が会場を駆け巡った。

 二人に集まっていた注目の内、半分以上がヒンティ騎士長に向かう。それらを特に気にする素振りもなく、ヒンティ騎士長はただ黙って事の成り行きを見守っていた。

「私がこちらの敷居を跨ぐことは二度とないでしょう。お従姉ねえさま、どうぞお元気で。いつまで経ってもご期待に添えないまま、不出来な妹で申し訳ありませんでした。でも、もう、それも終わりです」

「シェリル!」

「さようなら、お従姉ねえさま」

 別れの挨拶の後で、シェリルが深く一礼する。

「小さな頃からこんな私でも可愛がってくださって、本当に……本当に、ありがとうございました」

 最後の言葉は真摯な響きで、そこに当てこすりなどの負の感情は見えなかった。

 シェリルが踵を返す。楽士たちに背を向けて数歩、そこには手を差し出して待っているヒンティ騎士長がいた。シェリルがその手を取る。穏やかな顔でヒンティ騎士長が頷き、そして二人は衆目の中を再び歩き戻ってきた。

 二人分の足音だけが響く。

 彼らが真澄たちの待つ入口ほど近くまで来た時、黒い集団の中から「ヒンティ」と呼ばわる声が上がった。

 ヒンティ騎士長が足を止めて声の方を向く。一歩進み出てきたのは魔術士で、彼は「久しぶりだな」と手を上げた。

「ジズに襲われて生死の境を彷徨っているのではなかったのか」

「……さあ、どうかな。制服の下はぼろぼろかもしれんが。セリノ、お前は信じた口か?」

「ぬかせ、人のものに手を出すほど落ちぶれちゃいない。まあ若い奴が何人か血迷ったらしいが……それが魔術士だと思われては困るぞ」

「そうか。統制が取れていて何よりだ。事と次第では軍紀の乱れとして宮廷騎士団からの正式な申し入れを考えていたところだ」

「おいやめろ。お前が言うと冗談に聞こえん」

 セリノと呼ばれた男は「盾がないと困る、あまり脅してくれるな」と笑った。

 よくよく見ると、彼の胸には記章が光っていた。それはハーバート=フェルデと同じものだ。他の多くの魔術士にはついていない。語らずとも彼の立場が分かった。

「それにしても、リンツにサルメラか。お前ばかり当たりがよくてうらやましいことだ」

「そう思うお前は人間ができているよ」

「分かってるさ。だから俺には専属がいないんだ。いいかヒンティ、たまには同期会にも顔を出せ」

「……考えておく」

 どうやら押しの強いらしい同期に苦笑を返し、ヒンティ騎士長はそこで話を切り上げた。

 シェリルが真澄の傍に来る。そして真澄が預かっていたケースの中に、取り返してきたヴィラードをそっと入れた。蓋をしっかりと閉めたところでケースを渡す。シェリルは肩紐をしっかりと握り、それを肩にかけた。

 用事は全て済んだ。

 周囲は遠巻きで、これ以上絡んでくる相手もいなさそうだ。

 退出するためにアークと真澄も壁から背を離す。入ってきた大扉にアークが手を掛けると、驚くほど軽くそれは開いた。

「その腕もお前限りか。惜しいことだ、一族に楯突いたばかりに」

 去りかけた真澄たちの背に、しわがれた声が追ってきた。

 全員で振り返る。そこには正装に身を包んだ初老の男が立っていた。魔術士ではない。最上級のいでたちから当主なのだろうと知れた。

 シェリルが俯く。

 言い返したくてもできないのだ。この世界では、ヴィラードの技術はその一族の中にあって継承されていくものだという常識が根強いあまりに。

 最後まで礼儀正しく振舞ったシェリルに対し、この仕打ち。捨て台詞と分かっていても真澄はそれを看過できなかった。

 足を止めて振り返り、男に対して真っ直ぐに詰め寄る。規則正しく高らかに響くヒールの音に衆目が集まった。

「ヴァイオリンを弾くということ、その技術の伝承に必要なものが何かご存じですか」

 急な、それも見知らぬ赤の他人。

 そんな真澄からの問いに、当主は一瞬口ごもった。その隙を真澄は見逃さない。

「大量の楽譜でも、秀逸な楽器でもありません。その意志ある人がいれば必ず道は続きます。たとえそこに血の繋がりがなかったとしても」

 真澄の師事した恩師は沢山の世界的な教え子を輩出した。

 最後の弟子として教えられた真澄はヴァイオリニストとして大成はしなかったが、今でも確かに教え伝えられた技術がこの手に残っている。

 不可欠なのは血筋ではない。

 身を以て知っている真澄はだから揺らがず対峙できるし、その未来を信じ抜けた。

「彼女にサルメラの庇護は不要です。我が碧空の楽士団は何人にも門扉を閉ざしません。平民でさえヴィラードが弾けるようになる未来はすぐそこです。その中にあって、彼女ほどの技術があれば生涯食うに困らないでしょう。補給だけが能じゃない、彼女は偉大な指導者になれるだけの力があるし、そんな彼女に第四騎士団は常に敬意を払い続けるのですから」

「碧空の……楽士団だと? そんなもの存在するはずが」

「先だって宮廷騎士団長より承認が下りたばかりです。ご存じないのもご無理ありません。お疑いならご案内しますよ。今は仮住まいですが、第四訓練場の隣に新しい楽士棟が建設される予定です」

 いつでも誰でも来たらいい。

 そう宣言した真澄に、サルメラ当主はただただ信じられないものを見る目を寄越してきた。

 これ以上話すことはない。今度こそ振り返ることなく真澄は大広間を去り、その扉を後ろ手に閉めた。


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