109.謀り合い
ヴィラードを取り戻すにあたっての方向性──シェリルの覚悟──は、ここに来て固まった。
やりとりの間に指定の時刻を過ぎてしまったが一行は焦ることなくむしろ悠々と歩を進めた。大魔術士にシェリルを売り込むという相手の目的を鑑みれば、多少遅れたからといって即座にヴィラードが毀損される可能性は限りなく低い、という判断である。
やがて個人邸宅としてはかなり大きな玄関にたどり着いた。グランドピアノが二台並んでも楽に搬入できそうだ。真澄がしげしげと眺めていると、シェリルが呼び鈴の綱を握りながら振り返ってきた。
「聞くに耐えない言葉を浴びせられるでしょうが、どうか手出し無用にお願い致します」
請われた願いに、真澄をはじめアークもヒンティ騎士長もすぐに返事をしなかった。
それはシェリルの真意を量るためだ。
ここにいる三人は皆彼女を最大限尊重するが、彼女が必要以上に傷つけられることを許さない。
「どうして?」
率直に真澄が問うと、シェリルは一瞬眉を吊り上げた。が、すぐに勢いは無くなり視線が下がる。
こういう時、待っても本音は出てこない。だから真澄はさらに重ねて問うた。
「もちろんヴィラードが無事に戻ってくるまでは大人しくしてるわよ。でもその後はなに言い返しても問題ないでしょ? どうせ縁切る相手なんだし」
「縁は切るけれど、でも……ここまで来てくれたあなたに、いいえ、あなたと総司令官、それにヒンティ騎士長に、できるだけ不愉快な思いをしてもらいたくないの。黙っていれば直接罵倒されるのは私だけで済む。もうこれで最後だから私がなにを言われたとしても」
「同じよ」
「え?」
「私に直接文句言われるのもシェリルに言われるのも一緒。最初も最後も関係ない。どっちも同じだけムカつく」
「ムカつくってあなた、そんな言葉」
「じゃあ婉曲に、腹立つ」
「そうじゃなくて!」
「自分に悪口言われるのが嫌なら最初から来てない。私は言われても全然構わないし、むしろ言われたら言い返すために一緒に来たの。倍返しよ。もしも殴られたら殴り返すためにこの二人も来たの。ちなみにこっちは三倍返しね」
ビシ、と騎士二人を真澄が指差すと、二人が盛大に噴いた。
「あーこれは言い出したらきかねえぞ。何なら五倍でもいいが」
などとアークが悪乗りすると、
「そうですね。仰せのままに」
ヒンティ騎士長が楽し気に同意する。シェリルはそんな二人を驚愕の目で見ていた。
「まあそういうわけで、さっさと済ませましょう」
そこで真澄はシェリルが握っていた呼び鈴の綱を引っ張った。力いっぱい五回ほど。ぎょっとしているシェリルの横で、アークが「敵襲警報か」と笑い、ヒンティ騎士長が「ある意味間違いではないのでは」などと相槌を打っていた。
しばらく待たされるだろうか。
一分以内に出てこなければ次は十回くらい鳴らしてやろうか。そんなことを真澄が密かに考えていると、存外に早く玄関の扉が開けられた。
顔を覗かせたのは初老の男性だ。
僅かに肩が上下している。それと悟られまいと隠しているようだが、広い邸内を走ってきたらしい。
彼は宵闇の中に浮かぶ光球に目を細め、それから真澄たち一人ひとりを見て驚きを隠さなかった。その反応はある意味想定内である。夜楽会の件は横に置くとしても、名乗らずとも誰が来たのか分かるように真澄たちは全員制服をきっちり着こんできた。
当然、アークの肩章は金糸で誰より目立つ。横に立つヒンティ騎士長も銀糸のそれだ。ついでに真澄は金糸で縁取られた碧空のスカーフをこれ見よがしに首回りに巻いている。騎士団など眼中にないと公言してはいても、宮廷内で立身出世に腐心する人間ならば必ず分かる記号だ。
「サルメラ当主名代のご指示があり参りました。お取次ぎをお願い致します」
「……こちらへどうぞ」
シェリルも家令も同じくらい硬い声だった。
そのまま四人は奥に通された。豪奢な絨毯が敷かれる玄関ホールを抜け、重厚な扉の一室だ。中には立派な卓とソファが中央にあり、壁際には大きな花瓶に色とりどりの花が生けられていた。
反対側を見れば、金の額縁の絵画がかけられている。
天井には輝くシャンデリア。窓には緞帳のごときカーテン。どこを見ても隙のない部屋だった。
「かけてお待ちください」
無駄話は一切せず、家令が部屋から退出する。扉が完全に閉まったことを確認してから最初に動いたのはアークだった。
ど真ん中のソファにどっかり腰を下ろす。
さすがは元王族と言うべきか、現役総司令官と言うべきか。やたらと高価そうな染み一つない皮張りのソファに態度も体格もまったく負けていない。その周りに真澄たちも銘々腰掛けた。
さてどうなるだろう。
ヒンティ騎士長は寛ぐとまではいかないまでも落ち着いた風情だ。一方シェリルは緊張からか膝の上で手を固く握りしめている。
壁の時計は八時半を指している。
この部屋までは夜楽会の音楽は聞こえず、会がどれだけ盛り上がっているのか、どんな様相なのかは分からない。無言のまま時計の音だけが部屋に響く。やがて部屋の扉がノックされた。そして扉が開く。姿を見せたのは壮年の女性だった。
「……伯母様」
「久しぶりねシェリル」
冷たく余所余所しい挨拶だ。にこりともせず伯母と呼ばれた彼女は部屋を横切り、迷わず中央のソファへと腰かけた。ちょうどアークの目の前だ。立身出世に腐心する一族、やはり序列を気にするらしい。
最初の標的が変わったことにシェリルが僅か動揺を見せる。が、当のアークは気にする素振りがまったくなかった。それどころかどこか満足気に口の端を僅か上げる。
「第四騎士団総司令官殿でございますね。お初にお目にかかり光栄至極に存じます。主は別件で不在にしておりますゆえ、わたくしが代わりにご挨拶を。急なご来訪でしたから、ええ。耳を疑いましたのよ、まさか総司令官殿ともあろう御方が先触れもなしに拙宅へいらっしゃるとは夢にも思いませんで」
慇懃無礼とはこのことだろうか。
何をしに来たと言わんばかりの牽制に真澄などは初手からカチンと来たが、受けたアークは「構わん」と鷹揚に手を振った。
「盛大な夜楽会で忙しいと見えるし、そもそも二度と来ない家の誰と挨拶しようと同じだ」
いきなり火花が散った。
さすが瞬発力の男と呼ぶべきか、売られた喧嘩はしっかり買うらしい。むしろ言葉が直截な分、アークの方が切れ味が鋭い。嫌味も恨み言も受けたところで意に介さないという明確な姿勢を示しているからだ。
シェリルの伯母は油断のない目でアークを真正面から見据えた。どちらも薄く笑みを張り付けているが空気は一触即発だ。
「左様でございますか。まあ、残念ですこと。楽士の来手がない貴団とこれからお付き合いができるかと期待してましたのに」
「気持ちだけ受け取っておこう。こちらのことは気にせず、これまで以上に魔術士団に媚びておくといい。近くエルストラス遠征が始まるのは耳に入っているだろう。質はともかく楽士の数が要る」
「ええ、そうですわね。無駄死にはしたくありませんもの、働く場所と相手はやはり選ばなければ」
聞き捨てならない言葉に真澄は手元に落としていた視線を上げた。
しかしその動きを察知したらしいアークが片手で止めてきて、真澄は開きかけた口をそのまま閉じた。そう、シェリルのヴィラードは戻ってきていないのだ。真正面から戦うにはまだ早い。
「益体もない世間話はこのあたりにして本題に入るか。シェリル=サルメラのヴィラードを返してもらおう」
きっぱり言い切ったアークに対し、そこで伯母の顔から潮が引くように笑みが消えた。
視線が横に滑る。
伯母が眇められた目でシェリルを見据える。シェリルは気丈にも視線を合わせていたが、その手は微かに震えていた。
「……本当に卑しい子ね。ヴィラードを返すとか返さないとか、一体なにをあることないこと吹聴したの」
「吹聴だなんて。伯母様、私は」
「どうせヴィラードを盗られたと思っているのでしょう。そんなだからお前はいつまで経っても半人前のままなのよ。ああ嘆かわしい」
「その、盗られたかはともかく、ヴィラードを本家で預かると言われ問答無用で持っていかれました。私の手元にヴィラードがないことは事実です」
「そう。随分と生意気な口をきくようになったこと」
「っ、……お気に障ったなら申し訳ありません。ヴィラードさえ頂ければすぐに退出します」
どこまでも見下した物言いの伯母に必死でシェリルが食い下がる。いつもの彼女とは違い、その顔は蒼白で声は絞り出すようだ。
彼女の生い立ちを思えば無理もない。
楽しい思い出など一つもなく、辛い記憶ばかりだ。苦手どころか二度と顔を合わせたくない相手だろう。今すぐにでも代わってやりたい。それは真澄だけではなくアークもヒンティ騎士長も同じように感じているだろうが、今は我慢の時だ。
少なくともシェリルが自分の意志を伝えるまでは。
「大した腕もないくせにヴィラードヴィラードうるさいわね。あんな安物がそんなに大事? 良い楽器を使えと再三教えてきたのに恥ずかしいったら」
「……確かにあれは若手の作でサルメラで使うヴィラードにはとても及びません。ですが私が自分の給金で手に入れたものです。どうかお返しを」
「そうね。お前はサルメラから出されて、良いヴィラードも一族の助けも何もかも失くしたのだったわね」
「何もかも、では」
「じゃあお前には何が残ったの?」
「……」
「仕事は干されて楽士として食い詰めて、仕官を今にも辞めて娼婦に鞍替えしそうな時にたまたま空いた専属の座に就いた。首の皮一枚といったところかしら。でもね、たかが近衛騎士長程度ではお前にかけた費用は到底回収できないのよ。仕官は続けているけれどもどう考えても失敗なの、分かる? お前は自分の人生を誤ってしまった。可哀想に」
「伯母様。私は私を可哀想だとは思っていません」
「惨めな者は皆そうよ。自分がそうだとは思いたくない一心で己の現実から目を逸らすの」
「もう、……どちらでも結構です。ヴィラードをお返しください」
「本当に可愛げのない子ね。久しぶりの会話を楽しもうという気持ちもないの? あれから何年も経って少しくらいまともになったかと思ったら……お前なんかに期待した私が馬鹿だったのだわ、そう、そうだった。もういいわ、そんなに返してほしければ自分で取りに行きなさい」
「分かりました。どちらにありますか」
「桐の大広間よ」
「え、……」
戸惑ったシェリルを見て、勝ち誇ったように叔母が三日月の目で笑った。
嫌な空気が部屋に蔓延る。
「可哀想なお前の話を然るべき筋に相談したの。そうしたら面倒を見てやっても良いという方が何人かいらっしゃって、今日はそのための夜楽会よ。ヴィラードはその方々に預けてあるから、自分でお願いして取り戻しなさいな」
「預けて、ある?」
「ええそうよ。頑張りなさい。そちらのお連れも一緒で結構」
そこで伯母が立ち上がった。それではご機嫌よう、と作り笑いで一方的に挨拶を寄越してさっさと歩き出す。その手がドアノブにかかろうかという時、シェリルが弾かれたように立ち上がった。
「お待ちください伯母様、どういうことですか」
問いかけに伯母の動きがぴたりと止まる。
錆びたからくり人形のように、その首がゆっくりとシェリルを向いた。三日月は消えている。白い化粧顔には憤怒の表情が浮かんでいた。
「伯母様だなんて馴れ馴れしく呼ばないで頂戴」
出来損ないのお前なんか。
怨嗟の呟きの後、鋭い舌打ちが響いた。
「いいこと? 三人の大魔術士候補の専属になればこれまでのことは大目に見てやるわ。お前を分け合うことで話はもうついているの。お前がこれまでに稼いでいて然るべきだった金額を前払いで頂いている。今更白紙には戻せなくてよ」
「何を……何をおっしゃっているのですか。三人? いえ、それよりも私はここにいるヒンティ騎士長の専属です」
「そう、立派な心がけね。けれどもしも騎士長が殉職されたら専属は要らなくなるでしょう?」
いつどこで死ぬかなど分からないのが騎士なのだから。
実に高尚な心がけだこと、とても真似できないわ、と伯母が無表情のまま続けた。反応を見せたのがアークとヒンティ騎士長だ。彼ら二人は射殺せそうなほど鋭い目付きを伯母へと向けたが、彼女はそれに一瞥をくれただけだった。
「育ててやった恩も忘れて後ろ足で砂をかけるような真似をしたお前にそれでも温情をやろうというのよ。一度くらい素直に『はい喜んで』と言ってみたらどうなの」
「温情など要りません。私はもうサルメラには二度と戻りません」
とうとうシェリルが宣言した。
どう出るか。
しかし伯母は動揺も驚きも見せることはついぞなかった。「そう」と感情薄く言った後、
「残念だけれど清々するわ。──無事に屋敷から出られるといいわね」
バタン!
力いっぱい叩き閉められた扉が勢いに歪んだ。




