107.巻き込まれる面々
「は……!? 荒事対応の本職って言ったじゃない!」
静かな廊下にシェリルの押し殺した絶叫がこだました。
部屋の中の主に聞かれまいとの配慮らしい。実に器用なことだと感心しながら、真澄はうんうんと頷いた。
「大丈夫間違ってない。本職も本職よ」
「く、……第四騎士団なのはまあいいわ、でもなんでよりによって総司令官なの!?」
「今日暇だから。……っていうと身も蓋もないわね。即応可能な人員の中で一番強いから」
「最強なのは間違いないだろうけど、それにしたって!」
「ほんとはカスミちゃんあたりが適任だと思ったんだけどね。アークだと脅し効きすぎるかもしれないし」
逆に積年の恨みを晴らしたければ喜んで手伝うと思うがどうする、と。
もののついでに真澄が意向を尋ねてみると、「そういうことじゃなくて!」と怒られた。
「もうちょっと普通の、正騎士の方とかいないの!?」
「いるけどそれはやめといた方が無難だと思うわ」
「……どうして?」
「バレたらヒンティ騎士長から大目玉食らうわよ。それでいいならいいけど」
「大目玉ってなんでそんなこと分かるの」
「そりゃ経験済みだから」
「は? どういうこと?」
「武楽会の帰りよ。ソルカンヌからユクに寄り道するって言ったでしょ? あの時最初は私一人で行こうとしたんだけど、アークにバレてもんのすごい説教されたの」
「……それはあなたが悪いわよ。レイテア国内って敵地も敵地でしょう」
「サルメラ本家だって似たようなもんでしょ」
「うっ」
シェリルが言葉に詰まると同時、真澄とシェリルの背後でガチャリと扉の開く音がした。
「何事だ?」
顔を出したのは話題の当人、アークである。
抑え気味にしていたとはいえ二人で言い合いをしていたので、相応に気配は伝わっていたらしい。彼は扉の外にいた二人を見て驚きを露わにした。
「サルメラか? どうした珍しい……って、おいどうしたそれ」
廊下で長々説明するより見てもらった方が早い。
真澄がさっくりシェリルの右頬を指差すと、違う意味合いの「どうした」を繰り返しつつアークが扉を大きく開け放ってくれた。
「まあ入れ」
そしてさっさと手招きする。
真澄はシェリルを引っ張り、そのまま第四騎士団長執務室へと連れ込んだ。
「応接借りるわね」
一言アークに断りを入れながらシェリルを座らせる。
彼女は狼狽しながらもアークに一礼を忘れず、持ってきたヴィラードケースをそっと卓の上に置いた。
中は空なのだろう。
ケースを見つめる琥珀の瞳は不安と寂しさが入り交じって揺れていた。
「事情があって衛生科には行けないから、治癒かけてあげてよ」
「そりゃこの程度なら構わんが、お前また余計なことに首突っ込んだのか」
「余計なことじゃないわ、大事なこと」
決めつけてかかってくるアークに真澄は鼻を鳴らして反駁する。アーク自身は「まあどっちでもいいけどよ」などと適当極まりない相槌を寄越しながら、その手に青い光が満ちる。
そのままシェリルの頬にアークが手をかざすと、癒しの光はすうと吸い込まれていった。
傍目に分かるほど赤みが引く。
切りつけられたり慢性的な怪我ではないので、治癒が苦手なアークでも一度でそれなりの効果が出たようだ。
「痛みはどうだ?」
「無くなりました。お手数おかけして申し訳ありません」
「手数かけたのはどうせこっちだろう」
未だに真澄が事を起こしたと疑っているらしいアークが片眉を上げる。それに対しシェリルが微妙な顔で固まったので、真澄は「待って待って」と遮った。
「今回は私悪くないわよ。敵はサルメラ本家なんだから」
「敵?」
「そうちょっと聞いてよ腹立つったら! 話せば長くなるんだけどあいつらシェリルに言うこときかせようとしてシェリルのヴィラード盗んだのよ卑怯でしょ!?」
「長いと言いつつ一息で大筋は伝わったな」
感心しながら「それで?」と先を促してきたアークに、真澄は事の詳細を説明した。それこそサルメラ本家との軋轢がどうやって生じたのかから始まりつい先だっての衝突に至るまで、知りうる限りを微に入り細に入り。
話が進むほどにアークの顔は険しくなり、最終的には「楽士一族の事情はあれど人間としては間違いなくクズ」との裁定が下った。
良い感触である。
流れのまま真澄が今夜本家に乗り込む時の護衛を頼むと、しかし予想外の反応が返ってきた。
「……お前の護衛は構わんが、サルメラに関しては条件次第だ」
「なに心狭いこと言ってんのよ意趣返しは相手が違うでしょうが」
「違う。そんなケツの穴の小さいことなんざ言うか。ヒンティがこの件了承してるならいい」
どうなんだ、とアークに問われ、真澄はつと隣を見やった。
ぐ、と黙りこむ気配がする。
即答できない時点で答えは読まれているだろう。このままでは話が終わってしまう。真澄はそんなシェリルの援護射撃を試みた。
「事後報告ってのは駄目なの? 一人で行くのはアウトって分かってるけど、それなら逆に誰かしら護衛がいればいいってことでしょ。アークなら格的にも文句言われないと思うし」
「なるほどやっぱりお前が発案か」
いきなりバレた。
なぜだ、と首を傾げながらも真澄は食い下がった。
「ヒンティ騎士長に迷惑かけたくないのよ。ただでさえ衛生科に入院してるのに、説明したところで心配させるだけでしょう」
「……なるほど」
「ねえ、駄目? 一生のお願い」
「子供か。お前の一生はどれだけ安いんだ」
「安いって言うなら『お安い御用だ』ってきいてくれてもいいじゃない」
「うまいこと言ったって思ってんじゃねえぞ。おいサルメラ、俺の言いたいことは分かるな?」
埒が開かないと思われたのか、アークが直接シェリルに問いかけた。
硬い表情でシェリルが俯く。
やがて彼女は意を決したように視線を上げた。そして、
「……分かりません」
はっきりきっぱりその一言を返す。
構えていたはずのアークは驚きを隠さなかった。
「あ? 嘘だろお前、マスミになに吹き込まれたか知らんがさすがにそれは」
「分かりません。分からないのです。私にはあの方が、ヒンティ騎士長がなにをお考えなのかまったく分かりません。今回の件でどう思われるのかも。専属になった理由さえ知らないのに、どんな機微が分かるというの」
それは悲鳴のような吐露だった。
「……言われてないのか」
これほど驚いているアークを初めて見る。
そんな問いを受けることさえ耐え難い、そんな風情でシェリルは目を瞑って顔を背けた。
「私が言われたのは専属になってもらえないかと、それだけです。それも先任の喪が明けてすぐに」
「先任……流行り病で亡くなった奴か?」
「はい」
第四騎士団長に対して敬意を払い続けているが、シェリルの声はどんどん硬くなっていった。
一方アークは思案顔だ。
「確かリンツ家……アーステラに並ぶ大家の出だったな」
「そうです。本来であればサルメラなど入る余地はありませんでした」
「まあそれは今言っても詮ないことだろう。とりあえずヒンティの理由は横に置く。騎士の立場から言うと専属として選んだのなら戦中でもない限りその護衛は自身が担うのが当たり前だ。当人の知らん所で勝手にやるとややこしくなるぞ」
肝に命じておけ、と言いながらアークの視線は真澄に向かってくる。
なぜだ。
真澄が怪訝な顔を返したのがまずかったのか、アークの目力が一気に上がった。そしてもれなく血圧も上がったように見受けられる。「いいかお前に言ってるんだぞ」という無言の圧力がすごい。
その迫力に負け、いらんことを口にしないよう真澄は大人しく拝聴する姿勢を作る。
「他人の専属を無断で護衛するなんぞ宣戦布告もいいところだ。頼んだ側は専属解消、離縁の意思ありと見なされても文句は言えねえぞ。その覚悟あってのことか」
「あっそれ駄目アーク……!」
危険な単語が出てきて慌てて止めようとするも、遅かった。
「ヒンティ騎士長にご迷惑がかかるなら専属解消でも構いません」
ああ。
思わず真澄は天を仰ぐ。先ほど必死に止めた間違った方向への勢いが復活してしまった。これを再びどうにかできるのか、二回目の自信は少なくとも真澄にはない。
横ではアークが目を丸くしていた。
「構わないってお前……専属解消したいのか?」
「積極的にしたいわけではありませんが、ご迷惑をおかけするくらいなら」
「だから専属の護衛は迷惑でもなんでもない。騎士として当たり前のことだ」
「当たり前? ……そうでしょうか」
「お前も大概頑固だな。それなら逆に訊くが、なぜ専属を受けた?」
騎士にとっての当たり前を素直に受け取れない。にも関わらず専属契約を結んだのはなぜだ、と。
アークの問いに、シェリルは「補給線であるために」と答えた。
「宮廷騎士団は宮廷と王族の護衛という大切な役目を負われています。私は私が助けられたいわけではなくて、ヒンティ騎士長がその任務を滞りなく遂行できるよう努めるべき存在です」
「……大概真面目だな。どいつもこいつも」
諦めたようにアークが息を吐いた。
空気がゆるむ。
これはシェリルの寄り切り勝ちか。そんな期待を胸に真澄が「それじゃあ」とまとめかけると、アークからビシリと人差し指を突きつけられてしまった。
「護衛はしてやる。だがヒンティに説明してからだ。第四騎士団総司令官としてここは譲らねえぞ」
「でも」
「でももへったくれもない。そもそも理由はどうあれ専属云々は当人同士で話し合う問題だ。お前だったら周りからああだこうだ言われたいか?」
「えーと……それはもう激しく余計なお世話だと思います」
「だろうが。今回の件、説明した上でヒンティにサルメラの護衛をする意志があるなら、俺がヒンティに治癒をかける。三回くらい空になるだろうがそこは言い出しっぺのお前が働くところだぞ、いいか」
「えーと、はい分かりました」
「専属の話はヴィラードを取り返してからだ。サルメラ、疑問に思うことがあるならヒンティに訊け。専属である以上ヒンティには答える義務がある。答えない、あるいは答えに納得がいかなければそこで専属を解消したらいい」
仕事モードになったアークにさっさと差配され、さしものシェリルもそれ以上言い募ることはしなかった。
そして、急遽三人で衛生科へと行くことになったのである。
* * * *
真澄たちが衛生科に行くと、昨日は慌ただしく張り詰めていた空気が若干穏やかになっていた。
ベッドには空きがちらほら出ている。軽傷だった人間は昨晩のみ様子見で入院し、今朝方に問題なしと診断された順に退院したのだという。良いことだ。
科内を進むと、向こうから歩いてくる人物がいた。
薄いクリーム色の入院着のまま、両手で松葉杖をついて、「ゆっくり確かめるように」ではなく「猛然と」突き進んでくる。
「……セルジュさま!?」
目の前の光景、その意味不明さに思わず真澄は当人の名前を叫んでいた。
「おおマスミ殿」
呼ばれた本人はそこで止まり、爽やかに右松葉杖を上げて挨拶を返してくる。
なぜか左松葉杖だけが床についていて両足は宙に浮いている。というか身体が床と平行になっていて、左腕一本で全身を支えている格好だ。抜群のバランス感覚と筋力なのは分かるが、この人は確か入院中のはずだ。それも割と重症の部類だった。
「なにをして……足、骨折してましたよね?」
「いやあ困ったことに完治まで一週間かけるらしくてな。一日でいいと言ったんだが負荷がかかるからと却下されてしまった。それで身体が鈍らないように少しでも動こうと」
「それ動いちゃ駄目なやつだと思いますけど!?」
昨日骨折して今日猛然と動くなど意味が分からない。普段からあれだけ鍛えている人が一週間やそこらで鈍るとも思えない。
この人は泳ぎ続けないと死ぬマグロなのか。
動かないと死ぬんですかとつい突っ込みかけたが、目上にそれはあんまりなので飲み込んだ。
そんなやり取りをしている間にも、あちらこちらのカーテンの向こうでそっと松葉杖を置く音が連なった。自慢ではないが耳が良い真澄には全部聞こえている。そんなに元気なら全員退院でも構わないような気がするのだがどうだろう。
「大丈夫。綺麗に折れたから治った時にはむしろ丈夫になっとるよ」
「そういうことではなくて……いえ、ご無理なさらないようお気を付けください」
「ああ、それじゃ行ってくる」
爽やかな笑顔のまま、伝説の神聖騎士は四つ足獣のごときスピードで機能回復訓練室の方へと去っていった。
「……さすがですね」
茫然と呟くのはシェリルだ。その目は信じられないものを目の当たりにして見開かれている。
実のところ同じくらい驚いていた真澄は「そうよねえ」と曖昧な相槌を打って、再び歩き出した。
衛生科の最奥に到着すると、カスミレアズとヒンティ騎士長が穏やかに談笑していた。
二人の間のカーテンは開けられている。
その端、カスミレアズ側には椅子が一つ出ていて見舞いの先客がいた。
グレイスだ。
彼女は真澄たちの姿を見るなり立ち上がって場所を譲ろうとしてきた。が、真澄とアークは同時にそれを断った。目的の人物はカスミレアズではないからだ。「いいから座っとけ」と綺麗に声が重なったのはご愛敬である。
グレイスはおろおろしながらも一度座り、すぐに腰を浮かし、また座りと落ち着かない。
そんな彼女を横目に、真澄はお見舞いと称して二人の騎士長のベッド脇にある小机に果実ジャムのサンドイッチを置いた。初冬に旬を迎える赤い果実で、甘酸っぱさが爽やかで食が進むのだ。「食えば大抵のことは治る」とアークが豪語するので持ってきた。
「ありがとうございます。それにしても、珍しい組み合わせですね」
礼を述べつつカスミレアズが首を捻る。
道中会ったのかと問われたが、「色々あってな」とアークが説明を大幅に省略した。そのまま部屋の隅に置いてある椅子を引っ張り、ヒンティ騎士長の横に座る。身体の向きが完全にそちらへ向いているので、ヒンティ騎士長が目を瞬いた。
「私に御用ですか?」
「そうだ。少しばかり面倒が起こった」
「なんでしょう」
「サルメラが一族に因縁をつけられた。今夜八時に本家へ来い、だそうだ。無視はできん。ヴィラードを盗られている」
淀みなく、かつ余計なものを削ぎ落とした情報に、ヒンティ騎士長が眉を僅かに顰めた。
「マスミが現場に居合わせた関係で最後まで付き添うことになった。その流れで俺が護衛に行くが、お前はどうする。任せてもらっても委細構わないが」
「参ります。衛生科長に掛け合ってきます」
即答だった。
そして言うが早いか、ヒンティ騎士長は横たえていた身体を起こす。
機敏な動作はいつもと変わらない。彼の人の顔色も変わらない。ただ身体のあちらこちらに巻かれた白い包帯が、その場にそぐわなかった。
「行かんでいい。時間がかかって面倒だ」
引き留めたアークの手には既に青い光が満ちていた。
意図を正確に解したらしいヒンティ騎士長が動きを止める。そして悪戯が見つかった子供のように小さく笑った。
「おっしゃる通りですね。どうあれ書類を書くなら後回しにしましょう」
外泊申請も顛末書も大差ない。
そう言ったヒンティ騎士長に、「宮廷騎士団――優等生の名が泣くぞ」とアークが口の端を上げた。
「行儀が良くても専属は守れませんから。総司令官が誰よりご存知でしょう」
「……さて、どうだかな」
淀みなく言い切ったヒンティ騎士長に対し、アークは含みのある呟きだけを返した。
二人のやり取りをどう受け取ったのだろう。
シェリルは入り口の横で硬く立ち竦んだまま、唇を噛み締めていた。気遣わしげな視線をそっと送るグレイスにも気付いていない。
ただ、どうしてなのかと。
分からなさすぎて最早憤りにも近い、そんな想いが強く滲んでいた。




