102.己が証明・中
アルラタウの夜は族長バートルからの宴席が設けられた。
公邸の中にある大広間に真澄とアークは通され、その中心へと案内される。床にはバートルの部屋と同じくとりどりの毛皮が敷かれており温かい。アルセ族は既に面子が揃っていて、老いも若きもところ狭しと座っていた。
あぐらをかく彼らは皆男性だ。
中心へと歩く間、そこかしこからアークは親しげに声をかけられていた。
後ろを歩く真澄には必然その様子が目に入る。そこで気が付いたのは、アークに向けられる視線には二種類あるらしいということだった。
好と悪。
物珍しさからくる好奇の目ではない。それらは全て真澄に集まっている。どちらであっても強い二つの感情を、しかしアークは柳のごとく受け流して歩みを進めた。
宴席の中心に座るやいなや、沢山の大皿に乗った料理が運ばれてきた。
こちらは艶やかな刺繍の衣装をまとった女性たちだ。彼女たちは大きな壺に入ったスープ、こんがり焼けた丸ごと肉、たっぷりとした酒樽などを並ぶ男たちの前に次から次へと置いていく。そうして大広間はあっという間にあちらこちらで湯気が立ち、また杯を交わす音が響いた。
真澄とアークの前にはガルダンが座る。
小刀を手に肉を捌いたガルダンは、それを皿に盛り真澄とアークの前に置いた。
「食べて。父さん後から来る」
自身の指先についた脂を舐めとりながらガルダンが勧めてくる。本来であれば族長を待つのが筋なのだろうが、長旅で疲れていたこともあり、真澄は遠慮なく手を伸ばすことにした。
「頂きます」
「マスミ、飲める?」
「お酒?」
「そう」
「もちろん頂きます」
「あはっ、良い笑顔」
「ガルダンもね」
なみなみと注がれた杯を持ちながらガルダンにも返杯する。困ったように笑うガルダンは、「少しだけね、弱いから」とまるで若い女子のようだ。
実際、アークに似ているとはいってもガルダンの方が全体的に線が細い。
誤解を恐れずに評すならば中性的な優男なのである。女装させて同じ台詞を言わせたら、引っかかる男が絶対に出てくるだろう。口に出せば引っ叩かれそうな絵を頭に浮かべつつ、真澄はガルダンの杯に半分ほどを注いだ。
「……優しいね、マスミ」
「だって飲めないんでしょ」
「騙されるなよマスミ。こいつはザルだ」
手酌でさっさと二杯目を注ぎながらアークが言う。
え、と驚いてガルダンを見ると、彼は「今日は夜番だから、本当に少しだけー」と舌を出した。
「なんだいける口なのね。若いからてっきり飲み慣れてないんだとばっかり」
「騙されるなよマスミ。こいつはもう二十六だ」
「そうなの? 二十歳くらいかと思った。童顔なのねー」
酒の席でつい真正直な会話になる。
ガルダンは特に気を悪くする素振りも見せず、えへへと笑った。本当に良く笑う。毒のないその笑顔には、見ているこちらが癒される。
大広間は徐々に喧騒が大きくなる。
酒精が漂い、人々の声が増す。しばらく経ってバートルが姿を現した折には、既にアークは若手に囲まれとても抜け出せる状態ではなかった。
しかしそのままでは礼を欠く。
真澄が呼びにいこうとしたが、バートルは首を横に振ってそれを止めた。
「あれを独り占めするわけにはいかぬ。皆に悪い」
穏やかな言葉を意外に思い、真澄は上げかけた腰を再び下ろした。
料理の大皿を挟んでバートルと向かい合う。実はガルダンもアークの傍に行っており、宴席の中心に残っていたのは真澄だけだった。
バートルはどこか眩しそうにアークたちを眺める。
そこには先ほどガルダンとの会話で滲ませた厳しさは消えていた。子の成長を喜び感慨に耽る、そんな顔だった。威厳が消えたわけではない。ただそれが、酷く人間らしく近しさを感じさせた。
酒の回った集団はそれぞれが楽しむのに忙しく、静かに佇む者には気付かない。
そんな中で、真澄とバートルはぽつりぽつりと互いの話をした。
バートルは、アークの母イリスを――彼にとっては一番上の妹を――とても可愛がっていたという在りし日の思い出から。
彼のみならず、彼女はアルセ族皆から愛されていたこと。帝都への輿入れは一族中から猛反対されたこと。その筆頭は次期族長と決まっていたバートルで、しかし彼女は全ての反対を押し切ってアルセ族と離縁の上で帝国へ嫁したこと。彼女が病に倒れた時、帝都からアルラタウへ彼女とアークを連れ帰ったのがバートルだったこと。静養は半年ほどしか続かなかったこと。彼女の死後、アークが一年間このアルラタウで過ごしたこと。バートルがアークの親代わりになるつもりだったこと。アークはそれに深く感謝を示しながらも固辞したこと。けれどアークは帝都に戻ってからも、年に一度必ずアルラタウへ里帰りをしてくれること。バートルはそれをかけがえなく大切に思っている、ということ。
そんな話をしてくれた。
真澄は、アークとの出会いはスパイ容疑からだったことを皮切りに。
ただの通りすがりと思っていたが、第四騎士団の困窮を知り楽士として働き出したこと。宮廷楽士との軋轢。誘拐騒動に遭難体験。気付けば季節は巡って武楽会があり、そこで最優秀賞を得たこと。母国を離れたアルバリークでの暮らし、早すぎる毎日に置いて行かれそうになっている自分がいること。そんな中でアークのことをほとんどなにも、――
母君を亡くしていたことも、帝国とアルセ族両方の血を引くことも、そこに必ず在るはずの彼の気持ちもなにもかも、
――知らない、知らなかった、知ろうともしなかった、ということ。
そんな話をした。
「惑うているか」
真澄が口を噤んでしばらくの後、バートルがそう尋ねてきた。
なるほど、今の自分はそう見えるらしい。
いい大人が困ったものだ。真澄は小さく笑って、小首を傾げた。
「どうでしょうか。身の振り方云々というより、自分が見えなくなりそうです。考えれば考えるほど分からなくなる」
本当に恐れているもの。
忌避するものの正体。
向かいたい未来があっても、歩んできた過去が往く手を阻む。そして現在が凍りつく。
「成程。そう見えぬ者ほどその胸に大きな理由を持つと言うが……」
バートルが真澄を見る。
真っ直ぐな視線に、しかし真澄は肯定も否定も返さなかった。バートルもまた重ねて問うことはせず、酔いの喧騒がただ静かに語らう二人を包んでいた。
ざわめきの中にあって、互いの声は不思議なほど良く聞こえた。
波のようにゆらぐ音に身を任せていると、やがて片隅からわっと声が上がった。
何事だろう。不思議に思って出所を探すと、一人の若い青年が立ち上がっていた。両手には一対の長短剣を持っている。周りはやんやと喝采を浴びせて、やがて手拍子がどこともなく始まり、青年が剣舞を披露しだした。
剣の一振りに鋭さが、足の踏み込みに力強さが表れる。
夏、帝都の星祭りで見た踊り子とは違う。彼女は美しくたおやかで、生の喜びにあふれていた。アルセの剣舞はそこに敵がいるかのように、ともすれば襲い来る闇を切り裂くように、躍動している。
竜が啼く。
あの勇壮な曲に合わせて剣が踊る。真澄は食事も忘れて彼らの曲と踊りに見入っていた。
「……己が自身を知る一つの方法は」
同じように剣舞を見ながらバートルが呟いた。
「己の周りにいる他者を見ることだ。優しき者には穏やかなる者たちが、猛き者には芯の強い者たちが、迷う者には道を知る者たちが傍にいる」
「……アルセ族の言い伝えですか?」
「さて、どうであろうか」
バートルの視線は真澄を捉えることはなく、ずっと剣舞に注がれたままだった。
* * * *
長らく続いた宴席だったが、日が変わる前に名残惜しくも解散となった。
公邸内に用意された部屋へ案内されたが、それからすぐに使いが来てアークは出ていった。真澄としては特に心配していない。公邸内には夜番という名の見張りが沢山いると聞いているし、このアルラタウでアークを襲う輩もいないだろう。いたとしてもどうせ返り討ちだ。
毛皮をかけられた寝台に腰かけながら、酒で火照った頬を撫でる。
先に寝てていいとアークは言った。つい出てしまった欠伸を噛み殺しながら、その言葉に甘えてしまおうかと横になる。目蓋を閉じれば身体が宙に浮くようだ。
冷静に考えてみれば、長かった武楽会が終わって間髪入れずユクに入り一騒動、そこから雪のちらつく寒さの中を馬車で丸一日移動してきた。こんな風に一人になって気が緩めば、さすがに疲れも出る。
考えはあまりまとまらず、意識が薄くなっていく。
真澄が着の身着のまま心地よさに身を任せようとした時、しかし部屋にノックが響き渡った。
「ガルダンです。ちょっといい?」
誰かと問う前に相手から名乗りがある。着替えてなくてある意味良かったなどと胸を撫で下ろしながら、真澄は「はいはい」と応対に出た。
「どうしたの? アークはさっき呼ばれて出ていったわよ」
「いいのいいの。用事があるのはマスミだから」
「え、私?」
真澄は思わず自分を指して目を瞬いた。
別に疑っているわけではないが、予想外の申し出で驚いた。しかしその反応は当然に想定内だったのか、ガルダンは重ねて「そうそう」と頷いた。
「マスミに見せたいものがあって。今日じゃなきゃ間に合わないから」
「なあに、そんな期間限定のなにか?」
「えーとね、それはいつでも見れるけど、マスミが期間限定。アーク、明日帰るって言ってたから」
「は? 明日って、……本っ当にあの男はもう」
ガルダン経由の新情報に真澄はがっくり項垂れる。
別に弾丸ツアーそのものに文句があるわけではないが、予定を早めに教えてくれていたらあんなに飲まなかったのに、と若干の後悔が襲ってきた。
「あー……具合、悪い?」
と、頭を抱えた真澄を窺ってガルダンの眉が下がる。心底残念そうなその声音に、真澄は慌てて手を振った。
「違う違う、大丈夫よ」
「ほんと? じゃあこれ着て」
「えーっと、……え、これを? 着るの? 本当に?」
「うん」
「えーっと、いいんだけど……いいんだけど、そんな寒い所に行くわけ?」
頬が引きつったのは不可抗力だ。
ガルダンが手渡してきたのは一抱えほどもある毛皮のコートだった。純白で、毛足の先が銀色に輝いている。その美しさからさぞ高価であろうことが知れたが、それ以上に気になるのはその分厚さである。
どんな極地に向かうのだろう。
温帯気候に生まれ育った真澄としては、北極や南極でも走破できそうなその毛皮を前にいささか腰が引ける。首府を出て真夜中の森を歩くのだとしたら絶対にお断りだ。
そんな真澄のビビりようを見て、ガルダンは「だいじょぶよ」と笑った。
「外に出るけどすぐそこ。風邪ひいたらマスミ、帰れなくなっちゃう」
そうしたらアークに鉄拳制裁を食らうのは自分なのだとガルダンは肩を竦めた。
なるほど、裏もなにもない純粋な厚意である。
一安心した真澄はありがたく毛皮を受け取り、そのまま羽織った。そして後ろを振り返る。ベッドの上にはヴァイオリンケースを置いている。アークがいれば任せるが、いつ帰ってくるか分からないところにヴァイオリンだけ放っておくわけにもいかない。荷物にはなるが命の次に大切な存在ゆえ、真澄は迷わずケースを背負った。
ガルダンの案内に続いて公邸内を歩く。
やがて正面とは異なる出入り口に着き、そこから二人は外に出た。
「寒っ!」
吹き抜けた真夜中の風は凍てついていた。
真澄は震えながら首を縮こまらせたが、慣れているガルダンは「雪が降ったらもっと寒いよ」などと暢気な相槌を寄越してくる。
知っとるわ、と突っ込みたいところだったができなかった。
寒すぎて歯の根が合わず、まともに喋れない。真澄は早々に会話を諦めて歩くことに集中した。
幸いなことに目的地はすぐそこだった。
三分ほど歩いて辿り着いたのは中庭のような場所で、四方を公邸の壁に囲まれていた。その壁に添うように生垣や手入れされた薮が連なっている。既に花はないが、暖かな季節になればそれぞれが美しく咲き誇るのだとガルダンが言った。
中庭の中心には堂があった。
簡素な建築が多いアルラタウの中にあって、その堂だけは優美な装飾が壁にも扉にも細かく施されていた。
「……これは?」
静かに佇むその姿に知らず声を潜めて問う。
吐いた息が白く凍り、夜の闇に漂った。
「廟」
「廟って……お墓?」
「そう。アルセ、つまり一族の」
いつか自分もここに眠る。近いか遠いか分からないけれど、いつか必ず。自分はガルダン=アルセ、その一族に名を連ねているから。
ガルダンは静かにそう言った。




