101.己が証明・前
自治区の首府アルラタウは不思議な街だった。
色々な雰囲気が混在しているとでも言おうか、行き交う人間の衣服もそれぞれであり、立ち並ぶ建物も一件ごとに趣が異なっている。木造の小屋があればその隣は毛皮の天幕だったりするし、全身黒ずくめで目元だけを開けている女性、豪奢な帽子を被る若い男、トナカイのような獣にまたがる初老の隻眼など、誰に目を留めても個性にあふれている。
しかしちぐはぐではないのだ。
混沌こそが常態、正しい姿なのだと疑わず、そこにいる誰も彼もが空気に溶け込んでいる。
真澄とアークは自治区首席を訪ねるために大通りを歩いていた。
そこに並ぶ様々な店は、武楽会のレイテアで見られた露店とはまるで違う。店主たちの衣服がまずばらばらで、天幕と同じく毛皮を縫い合わせているものあり、見事な刺繍のものありと目に鮮やかだ。
扱っているものも多岐に渡り、魚や貝などの海産の隣に小刀の並ぶ刃物商が、さらにその向こうには木彫りの工芸品などもある。辺境十四の部族はそれぞれに伝統の暮らしを守り今も生きているが、居住環境の違いがそのまま特産名産の違いとなり、こうして多彩な交易に発展しているのだという。
気になるものに目を留め、足を止めしながら歩く内にすっかり夜になっていた。
寒さが増していくが、負けじとかがり火も燃え盛る。輝く炎に照らされる大路は明るく、星の光さえ薄く霞んだ。
道は自治区の中心に向かい、やがて終わった。目の前には平屋ながら左右に巨大な木造建屋がある。外側はぐるりと有刺の杭で囲まれており、入口には大きな弓を携えた衛兵が油断なく立っていた。
自治区首席がここにいる。
辺境十四の部族を束ねる長はこの首府の中心を離れることはない。その役目を終えるまで、出身部族の本拠地にも戻らないのだという。
アークが胸の内側に手を差し入れる。
取り出したのは首から下げている身分証とは別の、手のひらほどの手形だった。
「バートル族長に取り次ぎを」
「先触れ来てます。ゆっくりでしたね」
手形を受け取った衛兵はそれまでの鋭い眼光から一転、人懐こく笑った。少しだけ片言なのは、彼が辺境の出だからだろうか。アークが「久しぶりだな」と拳を突き出すと、年若い彼もまた拳で応えた。
どうやら彼は衛兵ではなく、わざわざ迎えに出てくれていた人物らしい。
「この人の案内?」
興味津々の目が真澄を捉える。
アークが「それもあるが用件は別で」と説明しようとしたところ、そこまでを聞いた彼が大変嬉しそうに両手を打ち鳴らしてアークを遮った。そして彼は続きなどもはやどうでもいいと言わんばかり身体ごと真澄に向き直り、流れるように真澄の手を取った。
「ようこそアルラタウへ。アークが人連れてくるの、初めてです」
「余計なこと言うな」
「いたっ」
アークから小突かれた青年は額を押さえたが、その下は笑顔のままだった。左耳にだけつけられた牙の飾りが揺れる。首には宝玉だろうか、美しい深紅のペンダントが光っていた。
彼は柔和な表情のまま真澄に再び手を差し出してくる。
二十歳くらいだろうか、はつらつとした表情は黒髪黒目ということもあって、どこかアークに似ていた。
「はじめまして、ガルダンといいます。アークの、ええと、弟? 違う、なんだっけ」
「従弟だ」
「そうそれ」
パチン、と手を打ってガルダンが破顔した。
聞いて驚いたのは真澄の方だ。そのままついアークを見上げると、「母の兄、つまり伯父が自治区首席で、ガルダンはその末息子だ」と分かりやすく簡潔な説明がきた。
なるほど。
似ていると思ったのは間違いではなく、血の為せる技だったのだ。親近感を覚えて真澄が頬を緩めると、ガルダンからはさらにとびきりの笑顔が返ってきた。
なんとも人懐こい好青年で、初対面ながら真澄もつい頬が緩む。
「初めまして、真澄です。アークの楽士よ」
「やっぱり! それヴィラードでしょ、後で見せてお願い!」
目を輝かせたガルダンが真澄の肩にあるヴァイオリンケースを指差す。
勢いに押されて真澄が仰け反っていると、ガルダンは握手に差し出した真澄の手をためらいなく捕まえた。そして、
「早く早く。父さんが中で待ってる」
ガルダンはまるで子供のようにぐいぐいと真澄を建屋の中へと引っ張っていく。
背中から「おい」とアークの呆れ声が追ってくる。
少しだけ振り返ったガルダンはいたずらっぽく舌を出し、そしてまた笑った。それは柔らかに吹く風を思わせる、自由で爽やかな笑顔だった。
* * * *
自治区首席の館は途方もなく広かった。
館といいながらも首席としての公務はここで執っているため、公邸と呼んだ方が分かりやすい。宮殿に匹敵するのではと思うほどの広さで、おまけに通路があちこち入り組んでいる。敵が侵入してきた際に惑わせるためらしい。しかも魔術を使わないアルセ族の使う灯りは常識的なろうそくだ。さらに隠し通路もあるということを聞けば、真澄の脳裏に浮かぶのは同じ木造でもある日本の城だった。
とはいえこちらは平屋なので、息が上がることはない。
しかし道順を覚えることは早々に諦めた。攻め込みにきたわけではないので、どうせ帰りもちゃんとガルダンが案内してくれるだろう。そういうわけで真澄が壁の木目の美しさを楽しみながら歩いていると、ガルダンが「珍しい?」と尋ねてきた。
「帝都の家は石って聞きました。見てみたいなー」
「ガルダンは帝都に来たことないの?」
「ないですねー。でもそれは皆一緒、イリス叔母さんが特別」
あの人はとても強かったから、とガルダンが歌うように言った。
「アルセに生まれたら、アルセで生きて、アルセに死ぬ。他所の土地には行かない。でも友に助けを求められたらアルセは必ず行くよ」
三十二年前、レイテアとの大戦線。
当時まだ力のあったレイテア魔術士団にアルバリークは苦戦を強いられ、騎士団の損耗が激しかった。そこに投入されたのがアルセ族を中心とする辺境部隊で、機動力に富んだ近接戦闘集団は神出鬼没の速さを武器にレイテアの前線を蹴散らした。この時の勝利を境にアルバリークの優勢が確立され、今日に至るのだという。
その際、レイテアの司令官を討ち取ったのがイリス=アルセ――当時の族長の娘だった。
彼女は一対の短剣と長剣を自在に操り、踊るように鮮やかに敵を屠った。アルセの中でも一番強かった彼女は戦女神と呼ばれ、戦線が収束した後その功績から帝国に輿入れを請われた。
「アーク強いのは、だから」
「えっと、お母さんが強かったからってこと?」
「そう」
手燭の灯りにガルダンの瞳が輝いて、まるで自分のことのように嬉しそうだ。
「今のアルセの中でアーク一番強い。片翼が族長に相応しくないなんて言うやつ、ぶっとばせばいい」
「ぶっとば……え?」
ガルダンの口からなにやら急に血気盛んな単語が飛び出してきた。
が、
「余計なこと言うな」
「いたっ」
先ほどと同じ流れでアークがガルダンを小突き、真澄の疑問を挟む余地はあっさり消えた。ガルダンはぷうと頬を膨らませて「強いは誇りでしょ」とアークに言い返したが、指をバキリと鳴らされて渋々その話題を切り上げた。
そのまま三人で木の廊下を進む。
ところどころにある窓からは、公邸を囲む柵と点在するかがり火が良く見えた。すっかり日は暮れ周囲は昏くなっているが、ちらつく火で街に並ぶ建屋も行き交う人間も露わになっている。
「それで、またレイテアが悪さしてる?」
小首を傾げたガルダンの耳で、飾りが揺れた。
真っ直ぐな瞳と言葉だ。どう答えたものだろうか迷って真澄が窺うと、アークが後を引き取った。
「レイテアとの戦争は終わった。だが新しい敵がいる。アルセと辺境の力を借りたい」
「新しい敵、レイテアより強い?」
「強い。魔獣の群れだ」
「そう」
ヒュウ、とガルダンが口笛を吹いた。
「腕が鳴るね」
恐れなど微塵も見えない。
笑みを絶やさないまま言うガルダンの目は凛と強くアークと真澄を射抜いてきて、そこで彼は先へと手を差し向けた。
いつの間にか目的の部屋へと着いていたらしい。部屋からは灯りが漏れているが、入口そのものには衝立があり中を見通すことはできなかった。
「父さん入ります」
返事を待たずにガルダンは衝立の奥へと入った。
アークと真澄もそれに続く。中は広く、それまでの通路から一転して天井も吹き抜けのように高かった。
壁に等間隔で灯りが入り、魔術の光球がなくとも視界は充分に確保されている。床には大小様々な毛皮が隙間なく重ねられており、足音は全く消えてしまった。最奥の壁、灯りよりも高い位置に一際立派な毛皮が掛けられている。有頭で、見た目は熊のようだ。しかしその大きさは壁面一つを覆うほどで、とても普通の熊とは思われなかった。
中心には囲炉裏が据えられている。
そしてその一辺、入口に真正面を向く場所にどっしりと胡坐をかいて座る壮年の男がいた。
黒髪黒目、豊かな髭を蓄えている。両耳に牙飾り。静かな瞳はゆっくりと燃え揺れる炎を一心に見つめていた。
「よう来た」
どっしりと揺るぎない声だ。
炎に据えられていた視線が上がる。鋭い眼光が同じ色のアークを捉えた時、「伯父上には長らくご無沙汰を」とアークが挨拶した。
族長の右手が手招きをする。纏っているのは白く美しい毛皮の装束で、その毛先が淡く銀色に輝いている。だがその左袖はぺたりと萎んでいた。
「近くに。凍えただろう。……今年は冬が早い」
族長とはかくも威厳があるものか。積もりゆく雪のように、一言一言に重厚な響きが含まれている。
背筋を伸ばした真澄はアークに促されるまま、族長の右手側、斜め前にアークと共に座った。その向かい、左手側にはガルダンが腰を下ろす。居住まいを正したアークとガルダンが視線を交錯させた後、二人は同時に頭を下げた。
アルセ族の作法は知らない。だが間違いなく目上に対する表敬だ。
慌てて真澄も彼らに倣う。
数秒待って再び頭が上げられた気配を感じ取ってから、真澄もゆっくりと顔を上げた。
「新しき風を伴ってきたか。吉報か、それとも凶報か」
バートル族長が真澄を見据える。
出端に注目されるとは思ってもみないことで、真澄は驚きに目を見開いた。
「アルバリークにとっては凶報です。辺境の力をお借りすべく参上した次第。しかしガルダンは『腕が鳴る』と」
不敵に笑ったアークがバートルからガルダンへと視線を移す。
「私としてはガルダンに辺境部隊統括を頼めるなら願ったり叶ったり。末の秘蔵っ子だとは百も承知ですが」
「これを所望するか」
「ええ」
「なれば大いなる脅威と見える。相手を語るがよい。然る後、此度の戦いがこれに相応しいか否か決めよう」
バートルの返答に、アークが両手を拳のまま床につき、再び頭を下げた。
「敵は空から来ます。ジズという魔獣です」
「……聞かぬ名だ」
「不死の鳳と言えばいかがでしょう」
探るようなアークの眼差しに、バートルが返した反応は僅かだった。
その眉間に深い皺が刻まれる。
唸るようなため息と共に、その右手が左肩を押さえた。呼応して袖が揺れる。隻腕に何を思っているのか、バートルの視線は囲炉裏に据えられたままだった。
向かいに座るガルダンは知っているのかいないのか、顔色を変えぬまま同じく動かない。伏し目がちの面差しが父であるバートルに良く似ていた。
誰も語らぬまま時が過ぎる。
しかしアークはそれ以上重ねることなく、辛抱強く族長の判断を待っていた。
「口伝の禍が訪うと申すか」
問い質すバートルの声は低く、そして鋭さを増していた。
アークがただ一度、首肯する。
「影が遥か南方に。手を打たねばその翼は再び大陸全土を、このアルセの地をも覆うでしょう」
「相分かった」
ドン、と音が鳴る。
バートルが腰に佩いていた太刀を鞘ごと床に立てた音だった。
「ガルダン」
そして呼ばわったのは息子の名だ。
「はい」
「不死の鳳、我が手を食い千切ったあの大熊より手強いぞ。相手に不足はない」
背面にかけられている毛皮をバートルが指した。
驚きを見せたのはアークだ。その口元が何かを言いたげに開かれたが、とうとう言葉は出てこなかった。そんな様子を見て取ったか、バートルが「左様」と呟いた。
「老いだけが理由ではない。夏の終わり、彼奴らは大波と化しアルラタウに押し寄せた」
「……肝心な時にお力になれず、申し訳も」
傍にいさえすれば。
歯噛みするようにアークが僅か項垂れ、その先の光景が真澄には想像できた。
あの巨体がどれだけの数であったとしても、きっとアークは掠らせもせず群れごと葬っただろう。強大な魔術を使う彼の力が抜きん出ていることはこれまでにも数多証明されている。
そうであるから、苦しそうなその横顔の意味も分かる。
取り返しのつかない大怪我を負った伯父。自分がいれば違う未来があったはず、否、違う未来にできたはず、そう思えばこそ悔しさ無念さはつのるばかりだろう。
「族長の務めを果たしたまで。気に病むな」
いずれも定め、とバートルが呟いた。
納得がいかない面持ちながらアークもそれ以上は重ねない。バートルは立てた太刀を見つめながら「これは始まりに過ぎぬのだろう」と憂いを隠さなかった。
古い漆黒の瞳はそれから息子をひたと見据える。
「ガルダンよ、征け。暗闇の翼を切り裂き、変わらぬ日の光をアルセにもたらすよう」
「はい」
「戻れた暁にはお前が族長に相応しい」
「……父さん、待って」
アルセ族の遠征は決まった。
しかしまとまりかけた話がそこで止められる。遮った張本人のガルダンからは、あの柔らかな笑顔が消えていた。射るような視線は父に真っ向から向かっている。
「何回も言ってるけど、族長はアークがいい」
一番強いのはアークだ。
先ほど邸内を歩いている時と同じことをガルダンが繰り返した。
「片翼なんて関係ないでしょ。強さが絶対のアルセなんだから」
「おいガルダン、俺は族長には」
「アークは黙ってて!」
柔らかいながらぴしゃりとガルダンが遮った。
大獅子の迫力というよりは、迂闊に近づけない山猫の威嚇のようなしなやかさだ。珍しく焦りを滲ませたアークが言葉に詰まり、助けを求めるようにバートルを窺った。
しかしアークが何かを言うより先に、ガルダンがさらに続ける。
「片翼の竜は認めないなんておかしい。アルラタウができて百年は経ってて、今時両翼の方が珍しいのに」
「……理由のある掟だ」
「片翼は弱い、だからでしょ。弱くなければ、強ければ、それでいいはず」
「お前だけが良ければいいと申すか」
「俺だけ? 違う、若いやつは皆言ってる。アーク以外に次の族長はいないって」
「戦功なき口が何をさえずろうと価はない。強さが絶対、なれば尚更」
食って掛かられたバートルはしかし、山のごとく動じなかった。
急に始まった根深そうな言い合いに真澄が割って入る隙はなく、当事者であるはずのアークもまた口を挟みあぐね、気詰まりな沈黙がしばらく続いた。
「己が何者であるかを決めるのは、自身でもあり他者でもある」
激昂するでも苛立ちを見せるでもなく、淡々とバートルが言った。
その言葉に思うところがあったのだろうか。ガルダンの吊り上がっていたまなじりがふと緩み、その視線は考え込むように床へと沈んだ。
「九死に一生の戦いとなろう。心して臨め。話はそれからだ」
もはや問答は不要とばかり、そこでバートルは口を噤んだ。再び視線は囲炉裏へと向かう。それを見たガルダンもまた何も言わず、拳を床について一礼した。
ガルダンが立ち上がる。
退出の時が来たのだ。
自治区に来た理由、辺境の力を借りるという目的は早々に果たされた。アークも無言のまま立ち上がるが、目的が果たされたにしては浮かない顔色だった。




