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ドロップアウトからの再就職先は、異世界の最強騎士団でした~訳ありヴァイオリニスト、魔力回復役になる~  作者: 東 吉乃
第三章 生き方の決め方

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100.久遠に響くその音は


 その時の言葉はもう決めていた。


 長い夜はゆっくりと明けた。外の空気は凍てついたままだったが昨晩の吹雪はすっかり鳴りを潜め、空には雲一つなかった。

 ダズネ山の峰から差し伸びてくる朝陽の中、真澄はアナスタシアに右手を差し出す。

「またね。落ち着いたら遊びに来て」

 一度は胸で呟いた「さようなら」は、真澄の中で今はもう相応しくない気がしてならなかった。

 きっとまた会える。

 色々なことが終わり、同時に分かったこの美しく晴れた朝に、素直にそう思える自分がいた。誰かとの再会を待つ、それを喜びと感じるのは随分と久しぶりのことだった。

「きっとしばらくは忙しいだろうけど。でも待ってるから」

「……はい。必ずお伺いします」

 一瞬ためらいを見せたアナスタシアだったが、振り切るように彼女は笑った。

 かわいい笑顔だった。

 淑女のそれではなくて、十八歳という年相応の、屈託ない笑顔だ。誰しもが惹きつけられるだろうと思えるような。そんなことを考えて、「あ」と真澄は動きを止めた。

 握手の手を解いて、横を向く。

 そこには壁際にそっと立つライノがいた。魔術士団長のレイビアスを始め、他の魔術士が五人からいるため、邪魔にならないよう控えているらしい。

 転移を発動させるのがレイビアスということで、自分の出番ではないと思っているのだろう。

 そんな彼のところに真澄は行った。

「……何だよ」

「そんな嫌そうな顔しなくたっていいでしょ」

「お前が傍に来ると殺気が痛いんだよ」

 小声になってライノが顔を顰める。

 その視線が流れた先にはレイビアスと話をしているアークがいた。片手間でも他人を牽制できるあたり、実に器用な男だ。しかしそれを言ったところできっと「第四騎士団長を舐めてもらっちゃ困る」と常套句が返ってくるのだろう。

「それは自業自得でしょうが。命があっただけ良かったじゃない」

 真澄は肩を竦めた。

 これに関しては投げっぱなしだがこう評すしかない。危険にさらされたのは真澄本人ながら、それを真澄以上に許していないのがアークなのだ。あの剣幕ではとりなすにしても、もう少し時間が要るだろう。

「で、何だよ? もう転移が発動するぞ」

「約束して」

「は?」

「アナスタシアのこと、よろしくね。これから先一度でも泣かしたら承知しないから」

「承知しないっつってもどうやって」

「アークに言いつけてやるわ」

「お前それは卑怯だぞ!?」

「奥の手って言ってちょうだい。とにかく、絶対よ」

「分かった……」

 ここで「言われるまでもない」とか格好良く言い返してきたら一目置くのだが、なんとも「らしい」歯切れの悪さだった。

 けれど等身大だ。

 「魔の蛇」にいた時のような居丈高な姿勢ではなく、どこか好感が持てる気弱さでもある。そんなライノを前に、真澄の頬は緩んだ。

「ありがと。お返しっていっちゃなんだけど、私も約束する」

「は?」

「昨日の話。いつか死ぬまでにじゃなくて、もう少し早く言うよう頑張ってみる。そうね、次の叙任式――春までには必ず」

 予想外であろう真澄の宣言に、ライノの目が驚きに見開かれた。

「……馬鹿正直なやつだな」

「だから、遅くとも来年の春には必ず会いましょう」

 約束。

 それまで彼女を頼む、と言外に含ませた願いは、この青年に届くだろうか。失意の底にある彼女の傍に、どうか片時も離れずついていてほしいと。

 真澄が少し高い位置にある双眸を覗きこむと、その灰色は銀に見紛うほど強い意志がみなぎっていた。

「――約束する」

 右手が差し出される。

 相応に節くれだって、傷跡もある武骨な手だった。派手な二つ名はついていない。けれど彼には彼なりの歩んできた人生が垣間見える、そんな手だった。

 真澄も右手で応える。

 ぐ、と力が込められる。何よりも確かな決意を受けて、真澄は笑って結んだ手を解いた。

「行くぞ、マスミ」

 図ったようなタイミングでアークから声がかかる。「それじゃあね」と最後に言い置いて、真澄は転移の光へと向かった。


*     *     *     *


「そろそろどこに寄り道するか訊いていい? ものすごい重装備な気がするんだけど、まさか山とか?」

 分厚い毛皮のコートにすっぽり収まりながら、真澄はようやくアークに尋ねた。

 ユクから転移でノストアという国境の街に来てからというもの、息つく間もなくあれこれと買い出しに奔走していたのだ。食料はもちろんのこと、コートから始まり帽子や靴、手袋といった防寒具一式に加え、小型の馬車まで。

 ここまで周到な準備だと甚だ不安が募る。

 ノストアには留まらずすぐに出発する、とアークが言ったことも大きい。ビビりながら馬車に乗り込んだ真澄に対し、後から入ってきたアークは「山じゃなくて森だ」と答えた。

 後ろ手に扉が閉められる。

 吹き込んでいた寒風はそこで途切れ、ごとり、という鈍い音と共に馬車が動き出した。

「ちなみに森っつっても切り開かれた街がある。心配すんな」

「それなら安心」

 息を吐いて真澄は背もたれに身体を預けた。山と森、どちらがマシなのか真剣に考え始めたところだったのだ。

 武楽会の直前、まさかの展開で遭難した記憶はまだ鮮明すぎて、都会育ちの真澄にはちょっとしたトラウマになっている。ゆえについ警戒してしまうのだが、街があるなら少なくとも野宿はないし食事に困ることもないだろう。

 くつろいだ様子の真澄に倣ったか、アークもマントの襟元を緩めた。

「向かうのはアルセ族自治区だ。首府のアルラタウに入る。ノストアからはそうだな、夕方には到着できるだろう」

 その自治区はアルバリーク帝国のいわゆる辺境なのだという。

 独自の文化を持つ十四の部族が点在しており、中でもアルセ族が人口の半分以上を占める最大部族らしい。かつてはそれぞれの部族が交流もなくそれぞれの生活を営んでいたが、帝国に編入されるにあたって首府が建てられた。今ではその首府を中心として各部族の交流、交易が為されているし、帝国からの通達なども首府にいる自治区首席という代表を通して各部族に伝えられるようになっている。

 アルバリーク帝国というだけあって、やはり国土は広いし住まう人間も多様性に富んでいるのだ。

 知らないことの方がまだまだ多いと思い知りつつ、先ほどから繰り返される一つの単語に真澄は引っかかりを覚えた。

「アルセ族……なんだろ、聞き覚えがある気がするんだけど」

「俺の名前だろ」

「え、アークの?」

「アークレスターヴ=アルバアルセ=カノーヴァ」

「あっ」

 得心がいって、パチン、と真澄は指を鳴らした。

「てことはアークの出身地なの?」

「俺じゃなくて俺の母親だ」

 母の名はイリス=アルセ。

 十九の時にアルセ族から帝国へ輿入れしてきたが、二十歳でアークを産んだ後、二十七歳で亡くなった。彼女が産んだのはアーク一人だけで、他に同腹のきょうだいはいない。

 だから、ミドルネームにアルセを持つのはアークただ一人なのだとアークは明かした。

「バレたからついでに教えておく。王太子は一番上の兄で、イアンは二番目の兄だ。二人は同じスヴェントの母だから、どちらもミドルネームはアルバスヴェントという」

 そもそもアルバが帝国の血を継ぐ者を指していて、続くのが母方の氏、ラストネームとなるカノーヴァは現王朝である父の氏となる。つまりアルバリークの王族に関してはそのミドルネームを見れば血筋が分かる仕組みなのだという。

 それにしても、とアークが宙を仰ぐ。

「懐かしいな。最初に会った時、俺の名乗りを聞いてもお前は動じないというか、――俺が誰だか完全に解ってなかったよな」

 アルバリーク人にはあり得ない態度だった。しかし演技にも見えず、正直どうしたもんかと思案のしどころだった、とアークは笑った。

 昔ばなしに真澄の脳裏にもあの光景が蘇る。

 暗い原っぱ、突きつけられたカスミレアズの長剣、そして連行されたアークの天幕。

「懐かしいわね、本当に。あの時はもう自分が死んだとばっかり思ってたから、目の前の男が誰かなんて考える余裕もなかったのよ。まさか王族だなんて、」

 そこで思わず真澄は言葉を止めた。

 身分制度が廃止された日本に生まれ育った人間に、どうしてそれが想像できただろう。

「……なんで言わなかったのよ」

 いくらでもそのタイミングはあったはずだった。

 半ば恨み言のような真澄の問いかけに、アークは存外に真面目な顔を返してきた。

「言う必要なんてあったか?」

「ちょっとどういう意味よそれ」

「お前が俺の専属になるかどうかは、俺が王族かどうかで決まるわけじゃないだろう」

「分からないわよ、お金に目が眩んだかもしれないじゃない」

「ないな。あり得ない」

「なんでそこまで断言できるわけ?」

「楽に流れる人間は初対面であんな強情張らねえよ」

 にやり。

 アークがさながら悪代官のごとく口の端を上げた。

「腰砕けにしてやったのにヴィラードだけは絶対に弾かんとか」

「やめんか朝っぱらから恥ずかしい!」

「っと、危ねえな」

 真澄の投げた手袋はアークの大きな掌にあっさり受け止められた。造作もない、と言いたげなその余裕が余計に腹立たしい。

 どう罵倒してやろうかと真澄が顔を顰めていると、アークが「最後まで聞けよ」と手袋を放って返してきた。

「正負どちらであっても、理由を自分自身に持っている奴は強い」

 それは信念とも言い換えられるからだ、とアークは続けた。

 抱く信念はいつか意志になる、と。

「専属契約で縛ったところでそいつ自身に戦う意志がなけりゃどうしようもねえんだよ。どうせ死ぬなら同じこころざしの人間に背中預けて死にてえじゃねえか」

「どうせってあんたね……それにそんな、簡単に死ぬなんて言うもんじゃないわ」

「分かってねえな」

 分かってない。

 もう一度呟くように繰り返して、アークは真澄を真正面から見据えてきた。雑談の時とは違う真剣な顔だ。締まった空気に真澄の背も知らず伸びた。

「騎士は盾だ。守る為に存在する。職務に誇りを持つほどに殉職は他人事じゃなくなる」

「それは……そうなのかもしれないけど」

「良い機会だ。お前の身の振り方、もう一度最初からよく考えろ」

「……最初からって?」

「元いた世界には戻れない。確定だ、この世界で暮らすしかない。だがどうやって、誰と生きていくかはお前の自由だ。楽士を辞めて市井で暮らすもよし、お前がどんな答えを出そうとそれに対する十分な支援を約束する。求婚の件は忘れていい」

 真澄の心臓がどくり、と脈打つ。その言葉は不意打ちだった。

 知ってか知らずかアークが尚も畳みかけてくる。

「生まれた世界が違う。常識も習慣も何もかも違う。互いの生き方を理解できないのは当たり前だ。俺の殉職をお前が受け入れられないのも、お前の楽士に対するこだわりを俺が納得できないのも、どちらも仕方ない。俺たちは互いにあまりにも違いすぎて、――だから共に歩めなくても、それは互いにどうしようもないことだ」

 そしてアークは今冬に控えているという新しい任務のことを語った。ノストアからアルセ族自治区の首府アルラタウに到着するまでずっと、過酷になるであろう未来を。


 それは第四騎士団単独でのエルストラス遠征。


 最終目標は今般の赤の周期で発生した魔獣ジズの殲滅。第四騎士団はその準備が整うまでの間、エルストラス皇都を守らねばならない。

 文字どおり死守の戦いになる。

 ジズは神話で謳われるレヴィアタと比肩する魔獣で、『全天の覇者』とアルバリーク建国記に記されている。建国の女神デーアさえもその魔獣を退けるが為に大きな犠牲を払った。

 そんな魔獣が群れとなりエルストラス――召喚士たちの国――を襲った。

 襲撃を受けたエルストラス皇都は都市機能が麻痺し、対抗手段となり得るはずだった使役獣は食い殺され、結果として皇族の半数は死んだ。

 ジズの群れは膨らみ続けている。

 近くレイテアにもその影は見えるであろうし、その次はアルバリークだ。

 もはや一刻の猶予もなく、第四騎士団の態勢が整い次第遠征が始まる。中央大陸の南の果て、エルストラスは遠い。辿り着くまでが一苦労、しかし問題はエルストラス国内に入るところからより際立つ。

 国境となるグリスト川は橋のない大河。さらに強力な魔獣が棲む。そしてジズの拠点は知れず、どれほどの攻撃をどれくらいの期間受けるかも不明。魔術士団の派遣される日も確約されていない。レイテアの弱体化した魔術士団の立て直しと、アルバリーク本国の守備を平行してやらなければならないからだ。

 苦しい。

 最前線としてはあまりに厳しい条件なのだと、終始アークは重い口ぶりだった。

「第四騎士団は地方を総動員しても戦力が足りない。辺境の力が必ず要る」

 その為にここまで来た。

 いつの間にか斜陽の差し込み始めた窓の外、アークの視線の先にはいくつもの狼煙が上がる集落が見え始めていた。


*     *     *     *


「この音……」

 馬車を降りてすぐ届いた響きに、思わず真澄は目を閉じ耳を傾けた。

 とても懐かしく、郷愁を誘う音色だ。遠くの誰かに呼びかけるような、あるいは生き物たちが鳴き交わすような、空の彼方にまで届きそうな伸びやかな音は一度聞けば忘れられない。

 出所は分からない。

 周囲を見回すも、音はあちらこちらからそれぞれに聞こえてくる。洪水のような音が心地良い。

 ここは関所だ。首府アルラタウに入る者は全てここを通過しなければならず、アークはその手続きをしている。馬や馬車が許されるのはここまでで、首府内は徒歩で回るか、首府側で運営されている馬車を使わねばならないという。

 気温は低い。

 昨日の寒波はレイテアのみならずアルバリークにも広がっていたようで、森の中ではあるが雪が積もっている。

 夕方で周囲は既に薄暗く、かがり火がそこかしこに焚かれている。寒さや暗さを避けてなのか関所には真澄とアーク以外の姿はなかった。

 書類に何事かを書きつけていたアークがそれを関所の役人に手渡す。

 次に腰に佩いていた長剣も渡し、代わりに役人からは首にかける木札が二枚与えられた。それを持ってアークが真澄の傍に戻ってくる。

「ほら。アルラタウを出るまでは常に首から下げてろ」

 アークから手渡された木札はただの札ではなかった。

 複雑かつ見事な彫りが入っている。

 真澄の分は両翼を広げた鳳凰のような鳥が、アークのものには雄々しく立つ狼だ。どちらも一日二日ではとても作れないような精巧さである。

 その美しさに真澄が見入っていると、「もし失くしたら面倒になるぞ」とアークから注意が飛んできた。

「身分証が無ければ蛮族認定だ。森の奥の檻に投獄される。野獣も魔獣も出放題のところで骨も残らん」

「うっ……気を付けます」

 ていうか厳しすぎる処遇だと思うがいかがなものか。真澄の抱いた素朴な疑問に、アークは通行手形を首に通しながら「これでもマシになった」と返してきた。

 首府が建てられる前は移動を繰り返す部族を求めて境界も定かでない森の中をひたすら往くしかなく、彷徨った挙句に野垂れ死ぬ者も多かったらしい。

「アルセ族に関してはまだ見つけやすい部族だったがな」

「そうなの?」

「この音が印だ」

 アークが指で自身の耳をとん、と叩く。

「森の中でも平原でも良く響く。『竜の声』と呼ばれる音だ」

 使われるのは『竜ののど』という独自の楽器だという。

 これを聴けば懐かしく、落ち着くのだとアークは頬を緩めながら関を抜けるために歩き出した。真澄もその背を追う。連なる天幕を抜けて首府に入ると、西の空が夕陽に赤く燃えながら天頂は藍色に染まり始めていた。

「アルセ族は魔術を使わない。体術だけで戦う。だから彼らにはヴィラードは不要で、戦士を鼓舞するのは竜の声だけだ」

 見上げた暮れの空に白い息が舞う。

 そして竜の声は呼応するように一層厚く、いつしか勇壮な旋律と共に真澄の身体を包み込んだ。


 あの曲に良く似ている。


 勇ましい音は真澄の脳裏に一つの曲を思い起こさせた。

 『Scotland the Brave』、邦題は『勇敢なるスコットランド』と訳され、メロディラインは非常に単調ながらバグパイプの遠く響く快活で美しい音との調和が素晴らしく、一度聞けば強く耳に残る行進曲だ。

 非公式ながらもその名のとおりスコットランドの国歌に準じた扱いをされているほど演奏機会が多く、かつ愛されている曲でもある。

 途中から入る鼓、ドラムが勇壮さに拍車をかける。

 元よりバグパイプは軍の先頭に立って進軍し、相手に自軍の存在を知らせること、同時に仲間を鼓舞する役割を担っていた。音色の相似もさることながら、先にアークが言った「戦士を鼓舞する」という役目から見ても、世界を越えた先に存在する同じ楽器、音楽というものに、真澄は不思議な力を感じてならなかった。


 無条件に同じであること。

 そして互いにどうしても違う、という部分もあること。


 最初から違いは明白だった。噛み合わない会話に何度それを思ったか。けれど違うということの本当の意味をどこまで分かっていたのか。改めて自分に問い直せば、答えに窮する。

 アークの言うとおりなのだ。

 もう一度よく斟酌しなければならないだろう。勢いだけで飛び越えられるほど互いの距離は近くない。別れるのが最善でさえあるかもしれない。

 

 竜の声が重なり合う。

 揺るぎない透明な音が、この世界で真澄が生きていくことの決意と覚悟を確かめてくるようだった。


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